Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 2001年3月

2001年3月31日  うーん。

 宇多田ヒカルのセカンドと一緒の日に出た岡村靖幸のベスト、なんとなーく買っちゃいました。予定外というかなんというか。
 俺も年をとったなあ、みたいな感じで聞いています。歌詞がね。良いのですよ、なんか非常に。
 プロ野球も良い感じですね。今年の阪神、外国人すっごい「あたり」なんじゃないだろうか。せっかく清原が打ったのに、うちは負けちゃったけど・・・・。
 でも、最後にいちばん上にいるのはうちだから、良いのです。(願望)
 しかし、プロ野球ニュースが終わったのにはちょっとびっくりしました。慥かに、プロ野球ニュースなのになぜサッカーをやってるのかな? って思ってた時期がありました。でも、その違和感も含めて結構好きな名前だったのになー。
 しかし、なぜ新しい番組はひらがな表記なのだろう? はやりなのかな?

2001年3月30日  シンポジウムの衝撃

 所属している宗派の一機関、・・・・と言っても教学的に非常に重要な位置を占める一機関が主催した「脳死」など生命倫理関係のシンポジウムに行きました。
 名ばかりのシンポジウム(基調発言で時間切れなど)が多い中、パネリスト同士での会話が成立していたので、まあ上出来だったのでしょう。

 しかし不満も尽きません。いや、正確に言えば不満しかありません。

 基調講演者とパネリスト、司会、総勢5人だったのだけど、「脳死」周辺の医療情報や社会的な情報を正確に把握していたのは、僅かに1名でした。

お粗末にもほどがあります。

 あるパネリストは「キリスト教圏では何の混乱もなく「脳死」からの臓器移植が実施されています」と言い出す始末。「それは隣人愛が基本にあるからです。カソリックとプロテスタントが合意しているような感じです」的な発言も。

 一体何をどう把握すれば、そんな有害でウソ八百な発言が出来るのか。一介の院生(≠陰性)にさえ満たないわたしでさえ、少なくとも二人のプロテスタント神学者が活字媒体で「脳死」臓器移植に異を唱えているのを知っています。うち一つはネット上で公開されてさえいます。
 ・・・・しかもそのパネリストの発言は終始一貫して自家撞着を起こしていた。そんなことで体を張って笑いを取っても仕方がないということに、彼は本気で気付いていなかったのだろうか。

 基調講演を行った先生は先生で、まったく関係のない文章をツギハギしただけのレジュメをもとにして喋っていました。シンポジウムにも参加されていたけど、何を聞かれても、始終トンチンカンな答えしか返しません。確信犯ならあれで良い。だけど、だけど、気付いていないのなら非常に心配です。ドーパミンの分泌が著しく殺人的かつ不可逆的で圧倒的に致命的なほど過剰なのではないでしょうか。

 あまりに深刻に感動的だったので、今日のレジュメをとりあえず全てOCRでHDDに読み込みました。このままアップすると著作権の問題で確実に後ろに手が回るので、目安として3倍以上の独自コメントを付加し、評論か論文の体裁にしてから本名ページにアップする予定です。

「共有すべきは、正確な情報」

と言う、森岡正博氏の言葉が身にしみる一日でした。

 何せ、これをこのままで放っておいて良いわけがない。
 震えているのは寒さのせいでも怖いんでもなく、ただただ、怒りによります。

 ふう。だけどこんなに不満ばっかりの更新って久しぶり。ごめんなさい。

2001年3月29日  2000の衝撃

 今、掲示板での発言と昨日の日記での発言の矛盾点に気付きました。今は酸っぱいモノを食べたくない、ということなのだろうな。二枚舌とはよく言ったもんです。掛詞です。

 掲示板に書き込みがありますが、というかトップページを詳細に見ていただけた方ならお気づきだと思いますが、ついに、ついにカウンタが2000を超えました!!

きゃーーーーーっ! ばりばりばりっ!

 嬉しくて嬉しくて、部屋掃除をまた忘れそうです、じゃない、これを機に部屋掃除やっとできそうです。1、ボクに勇気をありがとう!!

 今日、知り合いの方がうちに来て、「フレッツにするヒマがあるんなら携帯を買えよ〜。」という至極もっともな指摘を受けながら、テレホじゃない時間に数時間ネットしました。2ちゃんねるに「エヴァ」というスレッドではなく、板が立っている、よかったね佐伯くん、って。
 「ミサトさんのエッチ画像ないかな、っていうスレを立てたんだけど、すぐに削除されたみたいなんよ。最近2ch “なんでもあり” じゃなくなってるみたいだ」と言います。でも、霧島マナの、ゲームで一瞬だけ流れる画像へのリンクがあったり、なんかやっぱり2chってすごいや。っていうか、なんで今なのにやっぱりエヴァなの? そしてそれを嬉しそうに見てるわたしって、一体なにさ。

 しかし、2000って、ほんとめっちゃ嬉しいです。すべてのカウントを踏んでくれた全ての人、本当にありがとうございます。これからもバリバリ行かせていただきます。

2001年3月28日  ちょ寒

 だんだん桜の花が開いてきていますね。やっぱり春です。でもやっぱりまだちょっと寒いです。
 なんか今デスクトップが反応しないのですけど、なぜなのでしょう? 不思議です。

 六花亭が、大きな乾燥イチゴをチョコレートでくるんでみました、というお菓子を発売しています。変わった味がしました。わたしにはおいしかった。地元では賛否両論です。
 今日、それを1ハコ持って学校に行き、反応を見ました。
 おいしいおいしい、と言われていたようです。なんとなく、よかった。

 そんな感じです……。

2001年3月27日  2.今回は買えた。  「1.」はこの下。

 宇多田ヒカルのアルバム、今回は、ちゃんと早い時期に買えました。

 前回は『だんご三兄弟』のシングルと同じ日かそこらの発売でしたよね。あの曲は出る前に飽きたので全然かまってなかった。個人的にはそれよりも宇多田のCDが気になってたから、報道を見て「社会一般の興味は『だんご』に流れてる…?」と思い、安心してました。
 たいてい発売日の前日から販売が始まるはずだよな、と思って前日の夕方にCDショップに行ったら、なぜかもうない。おかしいなと思って三件回ったけど、やっぱりどこにもない。団子は大量に売れ残っていた。やはり。
 手に入ったのは300万枚を超えた時あたりだったでしょうか。
 そういう目にあっても、なぜか予約をしない佐伯であります。

 「だって予約特典なんて今時つかないんでしょ?」

 ……とタカをくくっていたら、完全な偏見でしたね。レジでわたしの前に並んでいた家族連れ、予約証と引き替えにCDケースと同じくらいの大きさのマウスパッド ? らしきモノをもらってました。あれれれ。ちょっと損した気分……。
 globeか何かのCDにはポスターがついていたようだったし、あゆのCDは抽選をしてるようだったなあ。宇多田のCD、初回限定ということでCDに絵がプリントされていました。…たしか世界初のピクチャCDって、友だちが大ファンだった島田奈美でしたよね。ま良いかそんな薄い話は…。

 最近太りすぎているらしい岡村靖幸ちゃん のベストも宇多田のアルバムと同日発売らしいです。そっちはお金が出来たら買います。宇多田よりもファンなのにねえ……。

 いちばん最近に予約して買ったモノって、初号機のパーフェクトグレイドだったかな。コアをむき出しにした初号機とシンジくん、レイ、カヲルくんの描かれたポスタがついてました。嬉しそうに部屋に貼ってたのだけど、一部からの受けが激烈に悪く、はがしました。木村さまのカレンダは諦めてもらえたので良かったです。

2001年3月27日  1.帰京してます。

 昨日、3月26日に帰京しました。

 実家のお寺でやってる「こども会」から二人、今日から明後日まで本願寺で実施される中央研修会(?)に参加するんですね。母親もそれに付き添って出てきて、わたしもそれと一緒に帰京したのです。

 昨日は北海道から関空へ来て、そのまま大阪港の 海遊館 に行きました。
 素晴らしい水族館ですね、あそこ。分厚い強化ガラスが凸レンズになったり凹レンズになったりして目がちかちかしたけど、すごく楽しかった。『ファントム・メナス』ほどチカチカではなかったんだけどね。

 アシカか何かが、ガラスのこっちにいるちっちゃな子どもの手に反応して、水槽の中でくるくる回ってました。時々いきつぎをして、また「くるくるくるっ」。
 人なつっこいなあと思って見ていたのだけど、彼は兄弟らしき子どもから 「もう帰るぞ! もう30分もやってるじゃないか!」 と言われていました。帰るに帰れなかっただけれらしい。

 おなかに何も乗せていないラッコは手持ちぶさたでした。
 おいしそうなマイワシが群泳していました。
 大きなエイの後を何かの群が追っていました。

 オホーツク海のコーナがあって、タラバガニがいました。ちょっともったいない。誰かやっぱり湯がいて食べるのかな。「タラバガニは実はカニじゃなくヤドカリの仲間です。足は10本あるのだけど、2本は殻の中に入ってます」 ……ほほう。
 当然のようにクリオネもいました。やっぱ不思議な動き。
 「フウセンウオ」というちっちゃいちっちゃい魚もいました。まるでアレ、アレです。スライムか、ぷよみたいでした。動かないで口をぽーっと開けている。でも、どうも生きてるらしかった。そこの人混みがいちばん大きかったように思えました。「かわいー♪」という声が続出。

 いちばん不思議な生態としては、ヒトですね。変わったのをたくさん見ました。

 海遊館 、良いところでした。

 そんな感じで充実した一日を過ごし、子どもたちや母親と京都駅で一緒にごばんを食べ、3人がホテルに入るのを見届けて部屋に帰って来ました。そして22日付けで「フレッツISDN」になっていたパソコンの設定に思ったよりも手間取り(TAの会社のHPにあった「うまく接続できない時は以下の方法をお試し下さい」という方法を初めから試してたからでした。初歩的ミス)、また、一週間くらいずっと風邪でしんどいし、それで、HPの更新ができませんでした。

 うん。これからはバリバリ行きますよ。願望。

2001年3月25日  後悔

 今日は久しぶりに帯広の街に出ました。六花亭や柳月でおみやげを買ったり、十勝管内唯一のデパートで姉や母親の買い物に付き合ったり、七階のTVで東海大四が勝ったのを確認したり、外が見えれば眺望が良いってわけではないんだなと思いながらごはんを食べたり、たぶん全国どこでも売ってるリーバイスの普通のを買ったり、そんなことをしてました。

 街、春休みの日曜日だからでしょうか、すごく混んでました。空前の人出。いつ行っても「大丈夫かな?」ってくらい空いてるデパートも、駅南にあるスーパも、国道沿いのもろもろのお店も、駐車場や売り場がすさまじいことになってました。個人的には、わんさわんさの人出が苦手なのだけど、しかし帯広近郊のこのくらいの賑わいならまだ大丈夫です。

 昨日の地震、亡くなった方は二人とも屋外でしたね。日本の耐震基準はかなり厳しいのだし、震度七以下なら家の中で布団かぶっていた方が良いのかな。…なんて言ったって揺れてる時はどのくらいか解らないことが多いか。

 そういえば、小学生の時に友だちんちに遊びに行ってた時に慥か当時の震度五を経験して、わたし家の外に走り出たことがあります。彼の家はたぶん鉄筋コンクリートか何かで、とてつもなく頑丈だからまず潰れないにも拘わらず。周囲が畑ばかり、屋根も瓦じゃなく「亜鉛鍍金鋼板葺(あえんめっきこうばんぶき)」か何か、とりあえず鉄板だから何も落ちてこないし、だからわたし無事だったのかもしれないなあ。

 「買わずに後悔するより買って後悔」
 「言わずに後悔するより言って後悔」
 「読まずに後悔するより読んで後悔」

 これと似てるのかな。態度決定がなかなか出来ない場合、わたしはこれで行きます。でも地震の時は動かない方が良いようですね。気をつけないと。
 ……いや、ちょっと違うか。地震の時は焦りと恐怖で正常な判断力を喪失して、それで足が取られても走ろうとするのか。そして、下手に動いたら「後悔」以外の全ての行為も一切できなくなってしまうかもしれないのか。

 焦らず、冷静に・・・・

 できればいいなぁ、そんなこと。そうすれば、あらゆる場面で感じるあらゆる後悔の念も激烈に減るのになぁ。

2001年3月24日  お子ちゃま

 昨日から、姉が子どもともども泊まっていました。1年8カ月の姪がわんわん泣いていたのですが、こないだ泊めてもらった友だちの家の子どもと声の大きさが全然違う……。

 友だちの子どもは、お客さん(わたし)がいたから遠慮してそんなに大きな声で泣かずにいてくれたんでしょうか。擬態語なら「キュー♪」って感じで、なんかゴマちゃんみたいにカワイく「鳴」いていたように思う。ねえねえかまってね、って感じ。
 姪、全然そんなのと違う。どこかに拡声器が内蔵されてるんじゃないかってくらい、わけわかんないくらい大きな声で泣いてました。なんなんしょう、この違い。そういや、今年小学校に上がる彼女の兄貴も昔はこんな声で、いやもっとでかい声で泣いていたっけか。

 泣く子は育つんですよね。ガンガン泣いてるうちに肺活量もどんどん鍛錬されるし、きっと抵抗力も強くなることでしょう(?)。うむ。んなこたぁわかっちゃいるんだ。

 子どもっぽいヒトの代表みたく言われてるホールデンくん。彼、実は子どもが大好きで、のみならず、どう読んでも本気で愛しているようにしか思えない。子どもを愛せるのって大人の証拠じゃないか。対して、わたしのように子どもを全然愛せないのって、子どものままでいるってことの証拠なんじゃないか。
 と、いうことで、ホールデンくんは「永遠の子ども」なんかじゃなく完全に大人になってる、と思う。

 同内容のことを以前ここに書いたような気がしてきたぞ。
 病み上がりだし、ま、いいことにすっか…。

 業務連絡。本の紹介 に『バトル・ロワイアル』を追加しました。

2001年3月23日  意味

 今日は祖父の一周忌でした。それで帰省してるんです。 彼は去年の今日亡くなったんですね、いろいろな疾病が重なって。
 亡くなったのは衝撃だったし悲しかったけど、米寿の誕生日に亡くなったという事実は、「結構、おつ?」「格好いいかも」などなどの思いも運んできました。そして、それらとは全然異なった思いも。

 人間って、誰がいつ亡くなっても突然の衝撃をもたらすと思います。
 その人が「死ぬ」のを思ってもみなかった、と発言するのはウソだと思う、最悪の事態は真摯にあるいは不真面目に、一度は想定すると思うから、そういう意味で。だけど、やっぱりその衝撃は突然、圧倒的しかも不可逆的そして問答無用的に来る。88歳の祖父が亡くなっても、同い年の友人が亡くなっても、突然ということに限れば、同じ衝撃。

 異なるのは、自分がその人にどんな意味を担わせているか、だと思う。

 この人そろそろやばいかな、って思うと、変な話、その人から一つ一つの役割を引き剥がしにかかりませんか? 社会的な役割であるとか、家庭における役割であるとか。
 とにかく、自分にとっての、その人の役割を引き剥がしにかかってませんか?

 引き剥がしの進行がゆるやかに、世代交代的に、……つまり、どちらかと言うと慣用的に進んでいくと、その人を喪った悲しみは悲しみとして残るけど、困惑とか、混乱とか、そういうものは最小限で済む。良い悪いは別にして。
 そうでない亡くなり方をされると、困惑や混乱が実体験としてクローズアップされ、そればかりになる。その人が亡くなって、本当に困り、途方に暮れる。
 カタチあるモノは必ず壊れるし、生きてる人間は極めて近い将来に確実に死ぬ、そんなこと事実としては知っている。だけど、「その人」が本当に死ぬという事実は、経験的には全然わからない。本当にわからない。実際に死んでみないと、いや、時に、死んでしまっても全然わからない。わかりたくない。
 ……その困惑や混乱はダイレクトで涙に結びつく。

 問題は、どちらかと言うと慣用的に亡くなっていく場合、その人が自分に対して発揮してくれている役割を引き剥がすついでに、その人の意味まで引き剥がしてはいまいか、って思えることです。

 祖父は数年前に田舎のお寺の住職という役割を終え、その何年も前に、わたしにとっての、人生のよきアドバイザとしての役割を終え、負的に反面教師的な役割ばかりを担っていました。だけどそれは、わたしにとって祖父が祖父としての意味を喪ったことをまったく意味してはいません。なのにわたし、その意味を引き剥がしていた気がします。のみならず、祖父その人の意味を彼本人からさえも奪おうとしていたのではないか、という気がします。
 そんなふうにしていたからなのかな。
 ……去年の今日、父から電話を受けた時に感じたのは「突然の衝撃」でした。しかし混乱や困惑は最小限で、しかもそれ以外の衝撃もとてもとても小さくて、その小ささに、かえって衝撃を受けました。衝撃が小さいということは、わたしが祖父に対してそれだけ冷淡であったという事実を示しているように思えるし、それ以外の内容を持ってはいないのではないか。わたしはそう思い、少なからず愕然としました。

 今日、ミールが落ちましたね、さほどの混乱もなく。
 全てがコンマ何秒刻みで進行している「宇宙開発」事業の一つでもあるし、ミールの自由落下に突然の衝撃はありません。また、ロシアがミールに与えた役割は、ミールは全て終えている。
 だけど「役割がない」イコール「意味がない」なのかと言えば、それは違う。素人のわたしに解る範囲で言えば、ミールには、大気圏外で暮らす方法を模索した人類の歴史の重要な部分が大量に刻まれている。

 自分が感じている、自分にとっての、「その人」という他人の役割。それを、その人にとっての意味と混同するのは、よくやってしまうことのように思えるけど、ほぼ絶対的に、事実を見つめる眼を曇らせる。

 役割を終えた ≠ 意味がない

 ……そんなふうに思います。

 というか、当たり前のことを力説するなよ佐伯。んなことしてっから日記が長くなる……。

2001年3月22日  本

 伯母さんに貸していた本が返ってきました。

楡周平
『青狼記』
講談社
この作家にしては文章表現が綺麗です。ゴーストライターかもね。ストーリーは、作者が主人公に何んでも許す王道パターンです。ハリポタみたいな感じで正直どうしようもない。でも結構好きだったりする…。
クランシー
『日米開戦』
新潮文庫
息もつかせぬストーリー。『レッド・オクトーバーを追え』からずっと元気なライアン作品の一つ。お話は「おいおいクランシーそんなことがしたかったのかよお前ちょっと待てってだから待ってくれよ」って感じで、むっちゃおもろいです。ランクルが鬼のように走りまくる。
中島らも
『ガダラの豚』
実業之日本社
小説です。あまり知られていない事実ですが、中島らも、実は天才です。他の追随を許さないくらいに天才です。
ル=グウィン
『ゲド戦記』
岩波書店
シリーズ既刊4作全部。「アンシブル」考案者の、超弩級の児童文学作品です。年内に最新刊が出るらしい。飼い犬にこの作品をふまえた名前を付けてる知り合いがいます。気持ちわかる気もするけど、犬かい……。

 再読に耐えるのは、らも兄さんとグウィン婆さんだけ?

 今日も引き続き風邪です。においが解らないと何食べてもあまりおいしく感じられないですね。日常でのちょっとしたトピックスを嗅ぎわけたりするのもやっぱ、嗅覚ですよね。
 そんな感じで、昨日に引き続いて体調ちょっとうまくないです。今日の日記はここで止めて、比較的早めに寝ますね。明日からまた忙しくなるんだし。
 ではです。季節の変わり目です。ほんと御自愛くださいね。

 ではでは。まぶた結構重いかも………。

2001年3月21日  えっ。

 メールをもらいました。
 「敢えて 鬼「束」ちひろ とは書かないの?」

  えっ。
  一緒に帰って来てる、ちひろを見ました。
  ありゃぁっ。
  そうだったのね……。

 昨日までの日記、軒並み訂正させていただきました。ありがとう、1。
 今日は会えずにごめんなさい、ちょっと別の予定が……。

 そういえば、大学のとき、堀辰雄 研究の結構「権威」な先生のゼミだったのだけど、そして彼も堀辰雄を結構好きだったのだけど、友だちが 堀辰「夫」と誤記したレジュメを切って来たことがありました。わたし何か違和感を感じたものの、先生がやんわり「夫ではありませんねえ」と言うまで気づけませんでした。
 「束」の字、若干あれに近いモノがあるかもしれません……。

 1900ヒット&メールもありがとう、1。
 これはしかし、1だけにじゃないですね。

 今までに来てくれた方、ほんとにほんとにありがとうございます。

 これからも、楽しませることはできるかもしれないし、できないかもしれません。でも、わたしは精一杯(……)書き続けていくつもりです。
 よろしかったら、これからもよろしく。

 ちょこっと風邪らしいです。泣く子と地頭……いや、風邪です、風邪にはなかなか勝てません。ので、今日はこのへんで……。

2001年3月20日  風が強いです。たいしたことないです。

 元気にされていますか。
 京都 → 東京 → 十勝 の気温差が原因なのでしょうか、なんか昨日の夜からずっとのどが痛いです。たったこのくらいでネを上げるなんて、わたしも随分と軟弱になったものです。

 そんな感じで、引き続き、地元に帰ってきてます。

 昨夜から今朝にかけて、ものすごい音・ものすごい勢いで風が吹き、そして今日の日中は穏やかな春の陽差しに包まれました。きっと今夜も冬の嵐みたいに風が強く、明日の日中も、ウソのように暖かいのだろうな。この時期のこの場所には、こんなアンビバレンツな表情で春が近づいて来ます。まるでわたしのココロの中みたい……じゃあずっと春なんて来ないやん、なーんて……

 父のノートを見せてもらいました。何に使うのかよくわからないソフトがわらわら入ってるのはわたしのノートと一緒ですね。オールインワンの宿命、なのでしょう。
 いまいち勝手がわからず戸惑いましたが、とりあえずアウトルックエクスプレスが起動と同時にメールチェックするのは止めさせました。何となく危険な気がしたので。あとは、「HDDが20ギガもあるんだから、来たメール削除しなきゃならない理由なんてないんじゃない?」と、再度伝えておきました。

 わたしは何かにつけて自分の環境がいちばん「まとも」だと勘違いしがちなので、わたしの使ってるメールソフトや、日本語変換ソフトや、接続支援ソフトや、ダウンロード支援ソフトを勧めたのですが、あまり評判はよくなかったです。
「何か良いモノがあるのだとしても、今はとにかく満足に使えているわけだし、これで良いんじゃないのかなあ?」
 という感じです。
 わたしがそうであるように、きっと、何んも身構えずに、何んも解らなくたって、適当にいじって経験を増やしていけばパソコンくらい使えるようになって行くんですよね。
 パソコン周辺のわたしの知識や経験なんて、はっきり言って父とドングリなわけだし、非常に偏りもあるし、何も必要を感じていない時にわたしの勝手な思いを「あれもこれも」って押しつけても、逆にパソコン嫌いになってしまったら勿体ないし申し訳ない。

 ということで、押しつけないことにしました。彼は彼でうまくやっていくのでしょう。うん。
 パソコンに関しては、たいてい追い風しか吹いてないし。きっと大丈夫。

 ……そっか。わたしの説明は、たいてい解りにくいのです。だからかも。

2001年3月19日  ブラジルからです。

 よかった!! 来てくれたんですね。ありがとう。

 北海道に帰省して来てます。昨日18日の17:00までは東京でした。

 東京で、連絡が取れずに会えなかった人が何人かいます。せっかくノートを持ってたのにつなげなくてごめんなさい。こんな矢鱈滅多羅な不義理は久しぶりだと思います。すみません(久しぶりですよね??)。「携帯持ったら?」と、よく言われてます。

 半年ぶりに行った東京は、相変わらず人が多くて歩きにくかったです。これはたぶんずっと変わらないんでしょうね。
 しかし、品川から電車乗り換えたら羽田空港へ行けるようになったのって、いつからなのでしょう? 知りませんでした。わたしが学生の頃はモノレールの寡占状態でした。

 ギュイっと飛んで、こちら北海道では、やはり石油ストーブって暖かいなありがたいなと思ったり、やっぱ今年変に雪が多いよなと思ったり、今度大きな法要があるのでその準備の手伝いをしたり、ご飯を食べたり、父にWindowsの操作を理解してもらうために持ってくるはずだったいろんなファイルを京都に忘れてきたことに気づいてアタマ抱えたり、それでも今月号の『ヤフー!』は持って帰ってきたし多少これでフォローできるよなと思ったり、メールの返事を書き始めるも恐らく長旅の影響で文書編集能力が格段に落ちてるかもしれないと自覚したり、BSでずうっと下位の方からやってる大相撲中継を見たり、楡周平の最新作のタイトルってあからさまでちょっとオカシイなと思ったり、やっとやっと『バトルロワイアル』を読み進めたりしています。

 大丈夫、更新もしています。

 ……っていうか、なんで今日あんなタイトル書いたのだろう?
 ま、良いか。


 追記
 ヘイ・ブルドッグというところを友だちに聞きました。
 わたしがこないだ登録したReadMe! Japan に登録しているWebページを軒並み見て、独自に評価してる、そういうところです。以下、BLOCKQUOTE。
Just a Little Bit of… [佐伯良羽]
大学院生兼僧侶 (浄土真宗本願寺派)のかたのページです。本の感想と創作物と日記がありました。中身はたいしたことはありませんが、書くのはとりあえずお好きなようです。(20010315)
 そうかぁ、やっぱりたいしたことないかぁ……。趣味ばっかりだしなあ……。

 すぐ上で紹介されていたJUNKNEWSってところは赤い字で「おすすめ」って書いてありました。隣の受験番号が合格していた時に何となく「あ、惜しかったやん!」って思ったような、そんな感じ。
 ………つまり何も惜しくなかったりする………

2001年3月15日  ソラリスの海に帰ります。

 佐伯は本名ともども明日からバイトの関係で東京に行き、そしてそのまま帰省します。帰省先でも日記の更新はする予定ですが、東京にいる16日から18日までは更新できません。この日記の更新を心待ちにしておられるご奇特な方々、非常に申しわけありません。

 以前から複数の方に勧められていた映画『惑星ソラリス』を見ました。ロシアのタルコフスキー監督。名作との呼び声きわめて高し。
 全体に、ゆったりとした雰囲気の映画でした。ロシアって、そういえばヨーロッパ、しかもどっちかと言えば東欧。……だから、ゆったりの中にも『アンダーグラウンド』や『白猫黒猫』のような焦燥を覚えさせるのでしょうか。
 見ていて、体が何度も震えました。ホラー系のじゃない心地よい鳥肌にも全身を何度も何度も覆われました。いや、照れますね。

 ソラリスの海は、いろいろなことについて、深く、深く、考えさせてくれました。これだけでも消化するのにすごく時間がかかるだろうし、きっと何度も反芻するだろうし、そして、これからも何度も観る映画なんだろうな。『イングリッシュペイシェント』ばかり見ていても前には進めませんしね。俺もちょっとくらいは強くならなきゃ。

 加えて、画面が非常に美しい! 色遣いもスバラシイ! ベンダースの『ベルリン天使の詩』もカラーとモノクロを効果的に用いていましたが、もっとすごかったと思う。昔の映画ということもあり、特撮技術は現在のハリウッドに太刀打ちできません。でも映画はやっぱり特撮に甘えてはいかんのかなあ。CG合成も素敵だけれど、アナログな特撮もまだまだいっぱい可能性が残されてるに違いない、そんなふうにも思いました。

 何はともあれ、非常に新鮮な刺激に満ちた映画でした。特に、後半のある部分が、わたしには非常にタイムリーでした。似たようなところにオチる映画を一つ知ってますけど、ネタばらしになってしまうので題名は伏せておきますね。

 近未来イメージとして、最初の方に、けっこう長々と首都高の映像が流れました。『ブレードランナー』でも漢字の看板が出てきたし、『マトリックス』のオープニングでは裏になった半角カタカナがわしわし走ってたし、YMOは“TOKIO”をテクノポリスに指定していました。それらと接した時に感じたのと近似した奇妙な違和感も覚えて、それもステキでした。

 では、しばしのおわかれです。元気に、また来てくださいね。待ってます。

2001年3月14日  やっぱちひろ良いっすよ

 昨日ここで推奨した鬼束ちひろ、レンタル開始を待てずアルバム買ってしまいました。やっぱ良いです。
 歌詞カードについてる写真、笑ってないんですね。寂しそう。見開きでテーブルに突っ伏したりしてる。心配だなあと思ってぱらぱら見てたら、笑ってるの一枚だけありました。
 何んか、よかった。

 今日ってホワイトデーでしたね。何んかいいことありましたか。佐伯はなかったです。いや、そうか多少はありました。

 部室でパソコン使って遊んでたら、図書館でバイトしてる友だちから電話で呼ばれて、余ったお弁当を食べることが出来ました。なかなかおいしいお弁当だったし、また、それを食べた場所も素晴らしかったです。案内された部屋のテーブルには女性ばっかり。男は電話をくれた友だちとわたしだけ。
 わたしが行ってる大学って、仏教系の大学ということもあり、と言うかなんと言うべきなのか、とにかく、女性があまりいないんです。いやほとんどいないんです。いやまったくいないんです。いやこれっぽっちもいないんです。石を投げても男にしか当たらない。たまにそういう錯覚をします。顔も見たくないくらい女たらしの、そう呼びたくもない別の友だちがうまいことを言ってたらしいです。ニュアンス引用。

 「この大学にいると、毎日おちょこで牛丼食べてるようなもんなんですよ。だから僕らは並を見ると「うっわあご馳走だ!」って思っちゃうんです」
 文末に「でもあなたは違う」を接続すれば、立派な口説き文句です。まあしかし、彼の言葉は大学の惨状を正確に描写して余りある表現である。←現代思想文ふう

 ……なのに、図書館の事務室、閲覧室とは別のトコにある事務室には、ほんとに、信じられないくらいいっぱいの女性がいました。
 お弁当を食べに行ったはずなのに突然のまぶしさに圧倒されてしまい、おいしいお弁当だったのは覚えていますが、しかし実際の味覚をよく覚えていません。なんか、緊張しちゃった。本当です。こんな青臭い緊張をしたの久しぶりです。女性の顔もよく解りませんでした。本当です。なかなか視線を静止できず正視できず、盗み見るようにしか確認できませんでした。でも、加藤あいみたいな人がいるのは確認。本当です。一目惚れしそうになって余計に正視できなくなりました。危険危険。一目惚れに良い思い出はない。本当です。

 ……そんなこんなで、めくるめくお弁当が終わりました。
 のち、友だちと二人で。

  「うまかった?」
  「うん。図書館あんなに女性いるんだね。知らなかった。」
  「うん。閲覧じゃないから、表に出ないもんね」
  「加藤あいみたいな人がいたね。」
  「いないよ」 即答

 と、とにかく、女性が少ない大学です。というお話でした。

2001年3月13日  ちひろ良いっすね

 弥絵ちゃんちアンリミテッドライン を、新たに リンク に加えました。二つとも日記です。リンク自体もちょっと整理しました。わかりにくくなっちゃったかもしれないのでフォローしておきますと、後ろに NEW!ってあるのが新規です。

 弥絵ちゃんち の管理人さんは 友だち のWEB師匠なんだそうです。こないだわたしも「日記はこういうことを考えて書くと良いんじゃない?」と、手ほどきしてもらいました。非常に非常に感謝しています。わたしの日記の質が最近ちょっと変化したかな? と思っておられる方がもしいたら、それはそういうことだったのです。気付いておられない方、無理もないです。佐伯は学習能力に難があるのか、なかなか成長できません。

 鬼束ちひろのシングルを借りてきました。『月光』と『眩暈』。可能ならアルバムを借りたかったんだけど、発売日とレンタル開始日って、そういえば違いましたよね。
 おもろい声だなあ。歌詞も「きみは一人じゃないよ云々」「いついつまでも云々」「あなたとわたしが云々」「優しさの意味が云々」なんていう、ちまたにあふれかえってる耳心地良いだけのとは違うし、何んか変わってるなあ。
 かなりな「屈折」というか「ひねりまくり」を感じます。だから(?)、総合的にはよくわからないや。「みんな一緒に頑張ろうよ! …こういう歌詞だったら元気出るかな?」的な優しいメッセージじゃなく、「わたしはこういうふうな感じです。」っぽく、ちょっと自己完結してるのかもしれないな、って思う。
 いや、勝手な偏見に基づいてますよ……。(^^;)

2001年3月12日  思う・考える

 「思う」と「考える」の違いが、やっと実際の経験からわかりはじめてる、気がします。
 大野晋『日本語練習帳』(岩波新書)には、複合的になってくのが「考える」で、一つのことを漠然と心にかけるのが「思う」だ、的にあった気がします。違ったかな。それに関連して、「恋人のことを思う、というのはよく聞くが、考える、というのはあまり聞かない」みたいにもあった、ような。……違ったかな。

 まあ、コトバ的なものはおいて、自分が実際にやるのはどうなのかな、って、夢を見ながら少しだけ考察してみました。

 恋人が対象じゃなくっても、自分が自分の少ないながらもさまざまある過去について「思う」のと「考える」のとを比較すると、「思う」は「後悔」に、「考える」は「反省」に、それぞれダイレクトかな、って気がします。
 「思う」をやってる間は、びっくりするくらいに馬鹿っぽい自分の姿や、対人的なものなら相手への恨み言とか、そういうのがどんどん止めどなく出てくる方向に心が進みます。でも、それを「じゃあどうすれば良いのか?」や「相手はどうして欲しいのだろう?」みたいな方向に少しだけ、ウソでもなんでも論理的に「考え」るような方向に変えてやると、「後悔」は、わたしがしたがっていた「反省」に、ちょっとずつあるいは劇的に変化する。ような気がします。
 ……そうは言っても、「思う」を「考える」にシフト出来るのって、ココロに一段落ついて、それからです。ココロが渦中にあると、「考える」なんてコトバ、全然理解できず、「こんなんじゃいけない、思うんじゃなく考えなきゃ!」って感じても、まったくうまくいかないことが、何と多いことか。
 というようなことをメールに書いてるうちに、寝ながら構築していたモノよりも頑丈になった気がして嬉しくなり、そのまま出してしまいました。
 相手がどういうメールを求めているか(長すぎるメールはあまり求めていない!)ということを、思いも、考えもせず、ただ出してしまった。
 つまり、さえきさんは、まだまだ何もわかっちゃいないみたいです。

2001年3月11日

 うちのリンクからも行けますが、サイバーテンプル電脳寺が更新されていました。「やせがまん」ということや、タリバンの破壊活動について書かれています。
 わたし最近やっとその「やせがまん」を開始せねばならないことに気付いていたところで、しかもそれを「やせがまん」というコトバに変換できないで悶々としていたところだったので、結構ツボにはまりました。こういうシンクロニシティって大事にしないといけないと思う。頑張らなきゃ。
 HPを始められたいきさつも「お気楽新聞」に書いておられました。うーん。なるほど。
 「これをやろう!」と決意しても、でも、その人の実力が伴っていないとその決意の行為はショボショボになってしまいます。(わたしのそんな有様に)対し、「電脳寺」住職・電脳和尚さんの辻説法は、確実な知識や文章表現力に裏打ちされていますし、和尚が新たな知識を得ることに貪欲であることもそこここからひしひし伝わってきます。
 ……そういう総合的な力のある方の文章って、いろいろ考えさせてくれるきっかけや、力になって、すごく面白いです。

 ちょっと前にBSのニュースで見ましたが、イギリスには「ビートルズの木」というのがあるのだそうです。TVに映ったのを見たら、森の中にある、ぽっかり開けた空間、って感じの草原の真ん中に大きな木が立っていました。何かの映画でジョンやポールがその木の周りを走って追っかけっこをしてる映像も流れていました。映画の中と今とでは、木の大きさが全然違っていて、やっぱり、太く大きくなっている。「そっか、木がこんなに大きくなるくらい、もうビートルズはそんな昔の存在になったんだな、音楽は今でも新鮮だけど、そうかそうなのか、ふーん」…みたいに思いました。やはりイギリスはその木を「ビートルズの木」として保存しているのだそうです。ちょっと良い話ですよね。
 ……という夢を、ついさっき見ました。もうここまで来ると俺の夢もわけがわからない。

 あ、でも、電脳和尚の更新は本当ですよ。よろしかったら、どうぞ。 → 電脳寺 ←

2001年3月10日 火星よ…

 昨日、トップページの体裁を変えることに夢中になるあまり、日記などの更新情報を変更し忘れてました。うーん。いかんですね。

 Jリーグが開幕し、コンサドーレが久しぶりにJ1で勝ちました。嬉しいっす。

 レイ・ブラッドベリの『火星年代記』(ハヤカワ文庫NV)ってご存知ですか? 地球から火星に移住していった人たちのお話です。この完成度の高さはすごい! どう読んでもSFに思えるのに、NVに入ってます。つまりSFじゃない読物としても楽しめるってことでしょう。子どもの頃に読んで、1年前くらいにもう一回読んだけど、やっぱりスゴイ! H.G.ウェルズの諸作品や、コナン・ドイルの『失われた世界』なんかと並ぶ、古典的なSF名作の一つです。

 先日、ある方から「ブラッドベリの最新作を買ってあります」と言われました。
 ……最新作?  (・ ・)
 検索したら、ご存命らしいです。わたし前世紀中に亡くなってる方だ、って思いこんでた。ファンの方、知らずにすごく失礼していました。

 余談ですが、火星SFでは、他にイアン・マクドナルド『火星夜想曲』やグレッグ・ベア『火星転移』(ともにハヤカワ文庫SF)なんてのがあります。わたしは、お話としては前者、設定としては後者が好きです。でも火星モノはブラッドベリが抜群のてっぺんです。

 「夜もヒッパレ」を見ていたら、桑名氏と息子が出てきました。アン・ルイスが昔「スター取調室」か何かの番組で、あのねのねに聞かれて、子どもの名前は「みゅうじ(美勇士)」だ、「くん」をつけると「みゅうじくん」になるのよ、「おんがく」になるから「おんが(音雅?)」でも良いと思ったんだけどね。って言っていた、その彼があんなに大きくなってたんですね。
 遺伝子的な両親どっちにも似た感じの、良さげな声に聞こえました。
 サカモト教授の愛娘・坂本美雨は、顔は教授、声は矢野顕子。……はっきりしてますね。

2001年3月9日  ほろ酔い酔い

 トップページの体裁をマイナ・チェンジしました。

 ゼミで今年度最後の研究発表会がありました。いろいろ考えさせられました。この後どうやって進めて行けば良いのか解らずに一人で困っていたモノでも、他人の視点から見れば、わたしが陥っているすごく明らかな間違い・勘違い・混同に気付くものなんですよね。たぶん当たり前のことなんだと思うけど、わたし、つい忘れがち。。。

 「ここまでは解った(かもしれない)。とにかく、ここまでは来ることが出来た。……でもここから先進めなくなっちゃった。きっと何か変なんだと思う。どこ変だと思う?」

 いきなり「教えて!」って言っても誰も教えてくれないけど、一人で一生懸命やって、でも解らなくなった時に上のように発言する。すると、いつも必ず何らかのレスポンスが返ってくるとは言えないし、返ってきたとしてその中にヒントがわかりやすいかたちで含まれている、とも言えない。でも! 今日は非常に稀な「その日」でした。

 また何か勘違いしてしまってるかもしれないけど、そしてこれからも知らず識らず勘違いしてしまうのかもしれないけれど、とりあえず前に進んで行くことの出来る方法が見えた! ように感じています。すごくすごく嬉しかった。…ありがとう。

 その後の飲み会の席で、ある先輩から 「それにしても、○○(本名)くんさ、レジュメの語り口がまるで佐伯くんの日記みたいだったよ」 って言われました。
 そうかあ、とうとうわたしの文体も完成しつつあるのかあ!
  コレ ↑ が、まず一つめの勘違い?

 っていうか、こんな文体でレジュメ切ってしまったわたしって……。

2001年3月8日  春なんだって

 「雑誌も春の装いですネ」と、生協レジのお姉さんに言われました。買ってきた『KANSAI 1週間』の表紙、慥かに春っぽいです。でも、ついこないだ道東から「また40cmくらい積もったよ」という内容の、いたってローテンションのメールが来てました。……そうかぁ。春なんですか。うーん。地域差があるなあ。でもマフラーはもう巻かなくていいかな、って思うようになってますね、わたしも。風邪気味なのでまだ巻いてますが。
 『KANSAI 1週間』の占い(……)によると、今期のわたしに幸運を運んでくれる場所は教会なんだって。穏やかな気分になれるらしい。日本最大級のお寺は大学の隣にあるけれど、教会ね。ちょっくらキビしいなあ。……マンガ研究会つながりで何とかなるかな。

  春と言えば買い物の季節です、多分
  電気製品の量販店から「お客様感謝デー」の案内ハガキが来てたので行きました。パソコン用のスピーカが壊れてヘッドフォンでしか聴けずに困ってたとこだったので、新しいスピーカ(panasonic)と、こないだ買ったのはやっぱりちっちゃくて使いにくかったので、新しいアームレスト(Arvel?)と、備えあれば憂いなしってことでCD-R(太陽誘電)を購入。ほとんどの商品が10%off。ちょっとお得な日。しめて\7,000弱でした。…しかしi-Mac、i-Bookは割引除外品、他のMac製品は3%offでした。ハガキにはそんなこと一言も書いてなかったから、行ったMacユーザの方は残念に思ったかもしれません。

 スピーカって、安価でもやっぱり良いですね♪ ごきげんな佐伯です。

 ……\7,000あればGAPでちょっとした春物の一つでも買えたんだな、なんていう冷静な考えは、さっきやっと沸きました。後の祭りってやつです。いや、しかし何んか買わないと本当に何んもないな。

 昨日の日記、一部順序を変えたら昨日とは別のとこでもオチました。いやはや。

 さっき雨が雪に変わる瞬間を見ました。っていうか春どこさ。そんなじらさんでって。

2001年3月7日  思いこみ

 最近、見た夢を比較的よく覚えています。ひまを見つけては記憶を引っ張り出して理由の分析にいそしんでいますが、分析してるうちに記憶がぼやけ、歪み、なかなか叶いません。

 アパートの廊下にマンガを20冊くらい積んどいたら、そこを家族で通りかかった人たちが誤って崩して、直してくれていて、それを見たわたしは「こんなところに置いとく僕が悪いんです。直しますからどうぞそのまま……」と言っている。北方謙三みたいなお父さんは、「そうかい、悪いねえ」と言いつつ、一緒に直してくれます。実際のアパートは階段が一箇所なのに、夢の中では二箇所になっていました。しかも実在しない方がメイン階段になっていた。また、わたしが現実に暮らしているアパートは単身者専用です。

 夜中に真っ暗な山道を歩いています。本当に真っ暗で、舗装の上の白線も見えない。わたしは懐中電灯ではなく煙草の火をかざして道を確認しながら歩く。なんか非常に急いでいるみたいなんだけど、目的地は10キロくらい先。そこに車が通りかかる。「こんな山道をこんな真っ暗な時に歩いていたら、はねられるかもしれないし、オバケかと思われるかもしれない。なんせびっくりさせてはいけないよな」と思い、ヘッドライトから隠れるわたし。漆黒の山道を歩いているという恐怖はみじんもない。急いでいるという状況も完全に無視している。

 昨日、「アクセス解析サービス」と「ReadMe!」というのに登録しました。トップページの下の方にあるやつです。「ヤフー!」その他の検索サービスに登録するやり方もいまいち把握してない(きっとできてると思うんだけど……)状況下でこんなことをしても意味があるのだろうか、と思いつつ。

 ラジオやTVから流れる「○○さんが××さんをアヤマってはね……」というニュースを聞くたびに、「なぜブレーキを踏まない? 『ごめんなさーい!』と叫ぶヒマがあるのに、どうしてそのままはねるんだ?」 ……不思議で不思議でたまらない少年時代を過ごした先輩がいます。「誤って〜する」を「謝って〜する」だと思いこんでいたんですね。なんだなんだ唐突に。
 「プリンスとマドンナってデキてるんだろうな」 って、名前だけからなんとなくそう思っていた小学生の頃のわたし。ロッキング・オン渋谷陽一の『サウンドストリート』を聞くまで、その思いこみはケイゾクしました。

 オチ? 今日も探し切ることができません。……プリンスのようにグルーヴ感重視で。

2001年3月6日

 今日は上の姉の誕生日でした。メールも出さずに7日になってしまった。すまん。

 「リンク」Heart Strings を追加しました。バナー付きです。日記のあるサイトですが、ココとはかなり毛色が違(うと思)います。ほっこりした、やさしい気分になれると思います。

 独特で魅力的なナウシカ論を展開されている jellyplastic さんから、巨神兵を製作されたという連絡を受け、写真を見せていただきました。むっちゃカッコ良いです。わたしこういうの大好きです。ワクワクしちゃいます(jellyplastic さんのサイトは ココ ですが、行くには『ナウシカ』本編読了が必須です。巨神兵の写真もだと思います……)。

 リンクのページにバナーを追加しだしています。「なぜ今頃?」 やり方がわからなかったからです、と言うか、「わたしのページにもバナー画像がないとバナーにならない」という単純すぎる事実を知らなかったからです。はっはっはー。ふぅ。
 知ったのは森岡氏のページへのバナーを貼った日です。くしゃっ。

 潜水艦艦長の査問が始まりました。家族の方が「はやく本題に入って欲しい」というコメントを出してました。同感です。が、前提を整備しないと本題には入れないんですよね。じゃないと極東軍事裁判みたく、後から冷静に振り返ったときに「??」と思う単なる茶番劇になってしまうかもしれない。

 査問や裁判って、実は論文みたいなモノなのかもしれない。論文は執筆者がやりたいことばっかり一方的にやってしまうと、読みにくくなるし、説得力なくなる。何かを訴えかける力もなくなる。人の数だけ真実はある(or 真実なんてどこにもない)し、「客観的」なんてのも絶対的に不可能だけど、反対意見や反対勢力の存在、自分に都合の悪い事実までしっかり見据えて、共通の基盤をカッチリ整備してから始めないといかんのですよね。
 論文は所詮論文に過ぎないから「筆がすべった!」で済むこともあるし、しょうもないモノは無視されて終わりですけど(さえきの論文とかね)、裁判は、そうはいかない。較べモノにならないくらい感情も絡むし、難儀そうですね。

 ……過ぎ去った時間が取り戻せないぶん、しっかり厳格にやって欲しいです。

2001年3月5日  春は…

 早朝、屋上に洗濯物を干しに行ったら、ところどころにある水たまりが全部凍ってました。そりゃ夜中寒いわけです。昨夜の「ゴゴゴゴゴ」は春一番ではなかったみたいだなー。
 屋上で風を感じてると、いやでも岡村靖幸の名曲と佐伯は信じて疑っていない『イケナイコトカイ』を思い出します。でも壁にもたれていても、ドラム缶から立ち上る煙に「いぬひも」の最中のおばあさんが手をかざして暖まっているのが見えるだけで、変なモノを反芻してブルーに浸ってる雰囲気なんか、これっぽちもない。なんせ寒い寒い。春はまだか!

 ……と言いながら大学に油を売り行き、帰ってきて屋上に行ったら酷いことになってました。雨は降らなかったけど、そして昼間は暖かかったけど、今日も風が強かったようです。タコ足は靴下一つで辛うじて引っかかってましたが、屋上に散乱していたハンガーとそれに付着していた衣類を回収したら、どうも一つ足りない。「そういえば前もこんなことがあったぞ」と思ってアパートの下を見ると、路駐してる車の上に……。ドラム缶じゃなくて本当に良かった。
 何はともあれ、洗濯物は春うららかな風にあおられまくったおかげで全部乾いてて、とても元気でした。よかった。車? 知らない……。
 いや、さっき見たら停まってなかったし、きっとそこそこに元気なのでは?

2001年3月4日  タイミング

 F1、せっかく新しくなったオープニングを見そこね、ハッキネン(発揮年ってなんや)が消えた理由もわかりませんでした。終了までは見ましたが……。
 スペインリーグにチャンネルを変えたら後半が始まっていて、「西沢は二試合連続スタメンでしたが、前半で退きました」と言われました。こっちも試合終了まで見ましたが、その前もその後もノーゴール。
 タイミングって難しいっす。

 今日は風が強かった。そういえば春一番の頃でしょうか。スペインのピッチも強風でした。ゴールわきの看板が、部屋の外で荒れ狂う「ゴゴゴゴゴ」という音とともに飛びました。絶妙。思っていた以上に近いんですね、京都とスペインって。新発見です。

2001年3月2日  おまけ

 ゼミ旅行から帰還いたしました。自分がどのあたりを回ってきたのか「点」でしか把握しておらず、よくわからないのだけど、すっごく楽しかったです。
 帰ってくるなり先輩に誘われて北京ダックを食べ、肉の部分も調理してもらってちょっと食べ(鴨さんには申しわけないけど肉はおまけ)、カラオケをし、分かれて帰る途中で別の友だちに会って屋台でラーメンを食べて来ました。さっきまで元気なつもりだったのですが、いま気付いた。昨日の深夜にわらわらと語り合ったために陥った寝不足はバス中眠ではあまり改善されておらず、実は疲れてるみたい。

 「温泉! 温泉!」と、今回の旅行はそればっかり考えて参加してしまったのですが、メインは「真宗関係の宝物に触れよう!」でした。でもおまけでついて来た温泉は「日本三大名泉」の一つと言われる榊原温泉でした。清少納言も絶賛しています。とっても暖まりました。

 「真宗の宝物」。……建築関係では、真宗高田派の本山の「如来堂」や、同じく高田派である妙源寺の「柳堂」でお参りさせてもらったり、 文書では、法然『選択相伝御影』(真蹟)・ 親鸞『十字名号』(真蹟)を肉眼で食い入るように見たりすることが出来て、しかも無理を言って専門家の方に説明をしていただいたのですが、その説明が非常に生き生きしていて、文書は「真蹟」(直筆)かどうかが判明した経緯や、その文書が一体いつ、どういう経緯で、誰のために書かれたものなのかなどを臨場感たっぷりに感じられて、……「きみの論文には真宗学がない」と言われたことがある似而非研究者のわたしだって興奮してしまいました。

 並べて公開されている信長・秀吉・家康の直筆書簡を見た時もちょっとはわくわくしたんだけど、そちらはホンモノが展示されてるのに、親鸞さんの文書はレプリカしか展示されてないんです。なんとまあ。天下布武半ばで倒れた武将や関白や将軍には悪いけど、彼らの文書はおまけみたいなもんでした。

 ……わたしの価値観って、やっぱ偏ってるんでしょうね……。


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