Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 2001年2月

2001年2月28日  やられた

 自販機に500円玉と10円玉で\520入れてペプシを買ったら、お釣りが50円玉8枚で出てきました。ちょっとやられた。

 「コレおいしくないんだ。においも良くないし、色も、黒々としてないんだよ」と言って、UCCのインスタントコーヒーをもらいました。慥かにちょっと変わったにおい・味でした。色は普通のインスタントコーヒーみたいに見えたけど…。
 3/1、2と、一泊でゼミ旅行に行ってきます。お寺巡りをするようです。電車じゃなく、すべてバスで移動ということです。ちょっと不安。まあ、なるようになるでしょう。

 そんなわけで、明日は日記の更新が出来ません。失礼。

2001年2月27日

 NHKでやっていた電気釜の話、面白かったです。日本史の教科書には電気洗濯機・電気冷蔵庫・TVが「三種の神器」と言われた時代があると載っていたけれど、それに携わっていなければならない拘束時間からの解放を考えると、電気釜の方が図抜けていて、他より圧倒的だったのかもわかりません(TVはその分の時間を相殺してしまったのかも知れない)。TVに至っては、それを電化するという「それ」の概念さえなかった。他は「電気」が冠につくけれど、「電気TV」なんて言いませんよね。
 わたしが生まれるちょっと前までは、巷に溢れてる電化製品の多くって、「高くて買えない」とか「買い手が多くてなかなか買えない」じゃなく、存在すらしてなかったんですよね。なんかこれって不思議です。
 コンピュータだってそうですね。存在すらしていなかった。それが存在するようになって、「大きいし高いしとても買えない」になり、「ちょっと無理したら買えるぞ」になり、買ってしまい、今では「ちょっと無理すれば1ギガのCPUだって買えるぞ」になっている(電気コンピュータとも言わないな。電算機とは言うけれど、その訳語がコンピュータなんだろうし)
 グルーヴは電気なしでも言いますね。「電気」が頭についたグルーヴも好きです。

 むちゃくちゃ強引だけど、今日はちゃんとオチがついて嬉しいです。

2001年2月26日  ばいびー

 「じゃねー。ばいびー。」
 近所のスーパでエスカレータを降りたら、高校生から毛を取ったような男の子が携帯にそう話しかけてました。
 「ばいびー」って、てっきり死語だと思ってました。生きてたんですね。
 ローソンに入ったら、どういうわけかドリフがかかってました。著作権法違反になってしまいますので歌詞は紹介できませんが(?)、加藤茶が一番を歌う、『良い湯だな』じゃない曲です。まだちょっと耳に残っています。強烈でした。
 源氏パイのちっちゃいのがあったので衝動買いしてきました。\80。もうない。
 『HEYx3』を見てたら、パラパラで『TOKIO』がかかりました。サンタクロースみたいな女の子たちは可愛かったけれど、パラシュートは出てきませんでした。残念。

 なんかそんな感じで、どっちかと言うとレトロな感じの一日だった、のかな。

 にしても、オープニングのコナンくんはどうしてあんな無表情で踊ってるんでしょう。誰か知りませんか? とは言え『TOKIO』の女の子たちはすっごい楽しそうだったけど、それはそれでなんかパラパラに見えない気もしました。パラパラって無表情で踊るのが礼儀というか本式(……?)なのでしょうか。

 カードが『エンダーの子どもたち』(ハヤカワ文庫SF)ってのを出してました。エンダーに子どもなんていたっけかな。……仕方ないです。エンダー大好きです。
 まだ全然読んでないけどストーリーを紹介しますと、誰かが何らかの問題に直面し、さまざまな紆余曲折を経てその問題を無事に解決するという話、だと思います。

 流氷、大変な規模みたいですね。ガリンコ号その他は大喜びかも知れないけれど、あれやっぱ寒そうです。流氷に乗って「ソ連」から兵士がわんさわんさとやってくる、という小説を筒井がその昔書いてましたね。

 はい。ではでは。

2001年2月25日

 やってしまった。。。
 ラグビー日本選手権決勝を見忘れました。
 かなりショックです。

 ビデオ借りてきて『パーフェクト・ストーム』を見ました。怖かった。TVでやってくれてたので『レオン』も見ました。ジャン・レノにちょっとだけ似た感じの友だちがいるのだけど、何が違うって、やっぱ瞳かなあ。

 特記事項がないなあ……。明日は何か思いつくだろうか……。

2001年2月24日  うーん

 プロバイダを変更しました。なめてかかっていたら、インターネットの設定やメールソフトの設定、通信支援ソフトの設定を変更するのは案外難しいものでした。いろいろくっつけ過ぎだという感じもします。……そう言えば、ノートの方の設定がまだでした。うーん。

 すごい変な夢を見ました。実家周辺の風景の中でわたしと女の子が話していて、なんかその子がわたしんちに遊びに来ることになったんです、それもどうも大人の遊びをしに来るという雰囲気。で、わたしは京都の部屋の惨状を思い、非常に焦る。掃除は一日で終わるだろうか、いや終わるかどうかが問題ではないのだ、終わらせなければならないのだ、って。
 夢だから変なのはあたりまえだけど、それでも、なぜ夢の中のわたしは北海道から京都にわざわざ飛ばんならんと思ったのだろう。
 そして相手の女の子があの子だったのはなぜなのだろう。今まで好きになったことのない、ここ10年は会ってない女の子で、放課後に会って「いっしょに帰ろう」と言われたらそれがダイレクトにそういう内容を意味していたという事実を浪人になってから友だちに聞いて少なからずショックを受けた、高校の中で非常に目立っていた女の子。顔の表面的な可愛らしさと精神的な内面とが乖離していた疑いの濃いぃ女の子。なぜ今更。うーん。フロイトは嫌い。

 父と電話でパソコンについて話していたら(これは現実の話です)、「このハサミを押したら消えるのかな?」と言われました。多分[切り取り]のことです。父は他人から来たメールをプリントアウトして、元データの方を消そうとしています。……なぜだろう? と思ったけど、そういえば使い始めの頃、わたしもいろんな文書を矢鱈とプリントアウトしていた覚えがあります。プリントアウトって、パソコンを使い始めのヒトに共通の傾向なのでしょうか。
 「20ギガもあるんだから消す必要ないと思う。それに、メールをそのままプリントアウトするより、ワードか何んかに貼り付けて、それからプリントアウトした方が良いように思う。……左クリックしながらなぞって色を変えて、そのまま右クリックして[切り取り]じゃなく[コピー]して、そして他のファイルに[貼り付け]たら……」、と言いかけたら、「うーん、わからないよ」って言われました。そ、そうですね。今度帰ったときにまた。

2001年2月21日

 デスクトップと通信させてメールの草稿をノートにコピーし、それを喫茶店に持っていって、そこでメールの編集をしたり、本をレジュメ化したり、ということをここ最近続けています。ノートを持ち歩かねばならない積極的な理由なんてほとんどないと思います。でも部屋でずっと同じ姿勢を保ってるより歩いた方がそりゃ良いと思うのですよ。

 知り合いの方に貸すことになったので、久しぶりにプリプリを聞きました。なんか一緒に歌える曲が異様に多いです。でもって、とてもとても懐かしい……。
 慥かこのCDは出るなり買い、テープに移して、友だちと3人で北海道を車で2週間かけて旅行した時にヘヴィローテーションだったのです。そりゃイヤでも歌えるだろうなあ。北海道に上陸直後は「すげー!!」を連発していた二人が三日もしないうちに押し黙るようになったことや、運転してないのに夜はなぜかわたしがいちばん最初に眠り、残りの二人が熱く語っていたらしいことや、宗谷岬から友だちがかけていた電話を残りの二人で邪魔したことや、そんなのを思い出します。
 歌って、鑑賞して「良い曲だなあ」と思った曲だけじゃなく、いろんな記憶がくっついているのも「いい曲」になってしまうんですよねえ。これっていいことですよね、きっと。

 ……今気付いたのですが、『プロジェクトX』は火曜日なのですね。飲んでいて宗谷を見そこねてしまいました。TV雑誌によると来週は炊飯器などで、台所革命。うーん。思い出せば良いが。

 そういえば、その後のメールによると、父はCD一枚分もHDDの容量がないマックをとりあえず放棄し、SHARPのノートパソコンを買ったんだそうです。だからヘッダ情報が Outlook Express だったのね。ウインドウズなら力になれるかも知れません。

2001年2月20日

 今日は所属している宗門関係の北海道人会がありました。そこで初めて知ったのですが……。

 宗門には「宗会」という国会のようなモノがあるのですね。わたしはてっきり国会を真似てそれを作ったのだろうと信じ切っていたのですが、逆だったようです。わたしの所属してる宗派の代表の人がドイツとイギリスに行って議会を見て研究し、「宗会」を作ったのが先で、国会はその10年後に出来たのだそうです。国会が「宗会」を見本にしたのかどうかは不明です。とりあえず、「宗会」が国会を真似て作られたモノでないことは確実なんだそうです。
 うーん。偏見というのは恐ろしい。Sさん、ありがとうございます。
 本名ページでお世話になってる先生が、実は父の友だちである、という事実も知りました。良いよ、とおっしゃったので、父に先生のアドレスを伝えることにします。初心者がネットにハマっていくのには、メル友の増加が必須だと思います。ある程度気心の知れた友だちとガンガン喋れるというのは、魅力ですよね、きっと。

 北海道人会、そんなに飲んだつもりはなかったんだけど、寒気がしています。風邪ではないと思うの。きっとアルコールが肝臓で分解されている時に特有の寒さです。
 こういう時に、自分がもう若くないということを思い知らされます。うん。
 でも何んか、寒いなりに元気です。今日もいろいろな掲示板めぐりをしてましたが、きっと、わたしの書き込みを読んだ人の誰一人、わたしがしたたかに酔ってることには気付いてないんじゃないでしょうか。皆なさんにだけ、そっと伝達いたします。
 と言うか、世界に向けて開けているんでしたっけ、ネットって。時々忘れてしまいます。これじゃいかーん。

2001年2月19日

 昨日、某番組で、禁煙がなぜむずかしいのか、どうやったら成功できるのか、っていうのを科学的に検証してくれていました。非常にためになって「ほー」と何度も言いながら見ていましたが、しかし、要は、「やめるのは辛いんだなあ」ってのがよくわかった、くらいだったかな。
 わたしの吸ってるのは無添加で、他の煙草に較べるとニコチン量が多いのです。無添加な分、肉体(特に肝臓?)への悪影響は他のよりも少ないんだろうけど、ニコチン依存度は、その分、大きいと思われます。だから、やめようと思ったら、きっとすごく辛そうです。
 まだ全然やめる気ないからあまり深刻に受け止めることはできないんだけどね。

 最近入り浸っている悪名高き「2ちゃんねる」経由で、なかなかオモシロイところを見つけました。 ネットだから書ける貴方の人生物語 です。自分の人生経験を短くまとめてくれています。ファイルがでかくなりすぎて閉鎖された掲示板だそうです。そりゃでかくなるわな。
 まだ少ししか読んでないけど、なかなか衝撃的です。「2ちゃんねる」ですけど、もしよかったら、どうぞ。たまにはこういう「衝撃」と「ほっこり」を兼ねたような奇妙なのもあるのです。ほんとに「たまに」だけどね。
 っていうか、全部読んでないのに紹介するのは危険かも知れない……。

 っていうか、途中すっかり2ch口調になってないか、俺……。

2001年2月18日

 二日もサボってしまった。開設して1カ月も経てば更新がおっくうになりますよ、と、ある方からアドバイスをいただいていたのですが、半年を過ぎてその言葉の意味が、頭では理解できてませんが、体で納得しかけているようです。負けちゃダメだ! 凍えるぞ! 寝るんじゃない!
 金曜日、まるで子どもが書いたような文面のメールが来ました。
ととくかなパソコン更新しました。さむいよ!!!!
 まったく知らないアドレス。しかも自分が誰なのか名乗っていない。ネチケットの「ヽ」も知らない人なんだろうなあ、なんなんだろう、こわいなあ、と思い、相手にしないことも出来たのですが、なんか可哀想だったので一応「誰です?」って返信しました。
 返事が来ました。
 父でした。
 父の初メールでした。
 北海道だから寒かったのね。大丈夫、京都も寒いよ。

 必要なファイルを捨てるかどうかしてネットが出来ない状態になっていたマックの状態を、改善できたようです。何か手伝おうにも、マックはわからん。チキンタツタほどにもわからん。
 不安になったので、ネチケット関係のHPを二つ紹介し、わたしの思う基本的なことだけ書いて出しました。「名乗らないとわからないよ父さん。」くらいです。しかし気付くと150行になっていた。
 ごめんよ父さん。ネタにしてしまった。

 今日は耳にかけるタイプのヘッドフォンを買ってきました。店頭表示の値段が二種類あって戸惑ったのだけど、安価な方で売ってくれました。友だちのを聞かせてもらったときは重低音がヤバそうだったのに、これはそこそこ響いてます。スティングのベースラインも耳でなら追えます。さすがソニーですね。
 それを記念してユニコーンのベリーベストをMP3化しました。良いなあ。『与える男』や『ケダモノの嵐』なんて名曲だよなあ。なんで解散しちゃったんだろう。友だちが彼女と行こうとして苦労して獲ったコンサートチケット、諸般の事情で彼女がキャンセルして、行くことが出来ました。九段下の駅を降りて坂道を人の流れ追い越して二人で傘を差して行ったのが、若年齢層の女性がきゃっきゃ言ってる中を男が二人もくもくと歩いていったのが昨日のことのようです。ウソです。楽しい想い出です。それまでは『修羅の門』でしから知らなかった武道館。それがユニコーン最後のコンサートになってしまった。最後に聞けたのは嬉しいけど、でも、もっと聞きたかったなあ。

 お気づきの方もいらっしゃいますか? トップページにバナー(?)を入れました。しつこいようですが、森岡正博氏のページへ行けます。

2001年2月15日

 昨日はすみません。誰もチョコレートをくれなかったのが悲しくて泣きながら早寝したわけではなく、たくさんたくさんもらったチョコレートに添付されていた手紙を読むのに忙しくて他に何も出来なかったわけでもなく、たくさんの掲示板を見たり、たくさんの掲示板を読んだり、たくさんの掲示板に書き込んだり、メールを書いたり、今度プロバイダを変更するので新しいHNを考えたりしていたら(ここのメールはフリーメールなので変わりません)、日記のことをすっかり忘れてしまっていたのです。ありゃりゃ。

 潜水艦、操縦桿を握っていたのが民間人だったのですね。アメリカの軍がそんなことをするなんて想像できませんでした。石原慎太郎が『NOと言える日本』の中で、ある戦闘地域に行った時に機関銃か対空砲か何かの引き金を引くことを勧められた、と書いているのをちょっと思い出しました。緊張感がまったく違うけど、戦闘員が握れなくなったという非常時でもないのに、民間人に操縦桿を握らすのだろうか。平和ぼけっとしてるのは日本だけじゃなかったんですね。
 しかし、まるで、何も見ずに横道から飛び出すちゃりんこと同じじゃないか。ちゃりんこはぶつかった方が痛そうな顔をしてるけど潜水艦はこの上なく頑丈だぞ。なのにそれで良いのだろうか。って言うか、それって完全に無免許運転じゃないのか?

 勧められて(かな?)、『バトルロワイヤル』買ってきました。氷川透の新しいのも買ってきた。『バトル…』の方は、友だちが映画についてこう言ってました。
 (いろいろな問題を投げかけてくる作品ではあるんだろうけど、)見る人って、そういうこと考えて見るのかな? ただ単に「殺すシーンが格好良い!」とか、暴力性に惹かれて見るだけなんじゃないのかな?
 うーん。
 アメリカのとある映画館で『ロボコップ』を見た友だちが
 皆んなさー、全然見てないんだよね、静かなシーンは隣の奴とくっちゃべったりポプコン喰ったりして。勇ましい音楽がかかって戦闘シーンになったら見て、拍手して騒いでるんだわ。静かなシーンになったらまた隣と話し出して。セリフなんて全然関係ないみたいだった。アメリカの映画が無茶苦茶に盛り上げるの解った気がしたよー。
 と言っていたのを思い出しました。
 さてさて。とにかく、せっかく買ったのだから、読まないとね。しかし読んでない本がいっぱいだな。。。

2001年2月13日

 潜水艦が通常通りの安全確認作業を行い、そして急浮上して異常な事態になったのだとしたら、その「通常通りの安全確認作業」ではもともと安全確認が出来ていなかったのだ、という事実が導き出せると思います。しかし、アメリカ海軍(海兵隊?)が何十年にも亘って使用してきたマニュアルに不備があるとは考えにくいと思います。
 「考えにくい」という甚だ脆弱な地点を基盤にしまして、「通常通りの安全確認作業」には問題がないと仮定して考えてみますと、
  • 潜水艦の安全確認のための計器に何んらかの異常が発生していた
  • 安全確認のために読むべき計器の示した内容を担当員が読めなかった
  • 安全確認作業をそもそもしていなかった
    してもおざなりだった
 わたしには以上の3点が思い浮かびました。
 潜水艦の計器に不具合があるというのはちょっと考えにくいと思います。潜水艦は安全の上にも安全を重ねて作られる乗り物だからです。車なら異常事態が起こっても安全な地点で停止すれば良い。しかし潜水艦の停止は……。そんな危ない潜水艦が就航しているのは潜水艦の中にも外にも非常に危険です。すぐ修理しないとならないでしょう。
 いずれ、非常に単純な人為的ミスが原因なのではないかと思います。
 民間人が同乗していたということですから、そういう時って、多くの場合は知らず識らず「たるむ」ことになるんじゃないかと思いますし、箇条書きにした中の、いちばん最後の理由がもっともありそうだな、とわたしは考えています。

 しかし、実際に潜水艦がどういうふうに行動していたのか、その時に何が起こっていたのかが解明されても、時間が戻るわけではないんですよね……。

2001年2月12日

 人間が「かぞえ」であっても百歳になるというのは滅多にないことですね、ほんと。40人くらい一族郎党が集まった中に玄孫(やしゃご:ひまごの子ども)までおるってのもスゴイ。やっぱ母方のあのじいさんは妖怪だと思います。しかし今日は妖怪度も少し緩和されていて、会場となった温泉まで、自分で車を運転しては来ませんでした。もしものことがあったら困る、と考えたからではなく、今日くらいじいさんラクしてや、ということだったようです。
 100歳を祝う会はとても楽しいものでした。お礼を言うじいさんの声もよく通るし、意味も当然通ってるし、なんとまあやっぱこの人はすごいなあと思わされました。彼の玄孫は女の子なのに無茶苦茶りりしい顔立ちでした。きっと加藤あいみたいに男前な美人になるのだろうなあ。
 ただ、個人的には非常に残念なことが……。会場に、2年くらい使っていたジッポを忘れてきたことに気づいて、電話して探してもらったのですが、発見されなかったです。ショックです。

 旭川の方にある層雲峡(そううんきょう)では、「氷瀑(ひょうばく)まつり」というのが始まったそうです。骨組みを作ってそこに水をかけ、氷の瀑布を作り上げる、ということなんだそうです。10万トンの水を使ったそうです。宇宙戦艦ヤマトの排水量が2万8000トンくらいだったと記憶してますから、それと比較してもやっぱりでかいですねえ(おいおい)
 12日夜10時現在、会場の気温は零下16℃なんだそうでした。うわ、そりゃ寒くて舌も回らないんじゃないですか? みたいなフォローを入れてるスタジオのアナウンサがすごく優しい人に見えました。そういう時は、とりあえず鼻から息を吸うと痛いのです、鼻毛が凍って。にも拘わらず、会場のアナウンサは、よう頑張ってたと思います。

2001年2月11日

 変だとは思ってるんだけど、メール書いたり掲示板に書いたりしていたら、ほかには殆どパソコンできなくなってます。「やりたいこと」と「やれること」との間には、深くて長い川があるんですね。ひさびさに実感してます。書くべきメールをいくつも犠牲にしてコレだってことは、わたしの文書編集能力もたいしたことないなあ。…いつも実感してます。
 せっかく重たい思いして持って帰ってきたのに『ぼんくら』もケンウィルバーもG.グティエレスも全然読めてません。それでも森さんの新しい短編集だけは読みましたが、何がなんだかわからないのが一個ありました。『ゲームの国』ってやつです。深く気にしないで読み飛ばしておけば良いのかな。しっかしよく解らない。
 なぜか実家にあったのでダンスダンスレボリューション(しかも専用コントローラ)をやってました。……あれっメールじゃなかった……。楽しいけど床が波打ってます。一昨年の暮れまでアパートの向かいに住んでたヒトが注意してもしても夜中の3時4時にやってくれて、温厚で名を知られたわたしに殺意を芽生えさせてくれたことを思い出します。こりゃ面白いから気持ちはわからんでもないが、でも夜中はまずいっしょ。ほんまなまらはんかくさいやつやった(二種方言変換)

2001年2月9日

 もらったことのない方からのメールに返事を書きすぎたり、とある複数の掲示板に行って書きすぎたりして日記の更新ができないなんてこと、今まではなかったのに。変だなあ。
 こっちに来ると、本当に文書編集能力が落ちる、ような気がします。そのぶん何をしてるんだろう? ……早寝早起きだろうかなあ。
 実家で飼ってるネコ、わたしを見ると2匹とも逃げていきます。前に飼っていたネコはわたしが寄っていっても黙認してくれていたのに…。

2001年2月7日

 そんな感じで、佐伯は北海道の方に帰省して来ております。
 到着した時の空港、外気温は摂氏マイナス7度でした。さすがに暖かいとは思わなかったけど、でもそんな震えるほど寒くは感じませんでした。「京都と同じ」はやっぱりウソだけど、でも体感温度的にはそんなに変わりないです。街もそういう印象でした。しかし革コートのポケットに手を突っ込むと、まるで冷蔵庫に入れておいたかのように冷たくなった財布に手が触れました。比喩的にはずっと「懐が寒い」状態でした。今日はそれが「文字通り」になりました。

 高校の時によく食べに行ってたラーメン屋さんで遅いお昼をいただきました。みそラーメン。やっぱ、おいしいとこのはおいしいです。ちゃんと一味唐辛子もおいてあるし。おじさんはやっぱり10年分老けてましたがラーメンの味はまったく変わってませんでした。むっちゃおいしいままだった。むっちゃ嬉しかった。

 今コレを打ってる部屋の中は、ストーブを焚かなければ大体京都と同じくらいの気温です。(つまり、たぶんこの家を京都に持っていけば、中に入った人は今のわたしよりもっと暖かな思いをすると思われます。)焚いたら? 京都のわたしの部屋より暖かくなります。

 実はネットにうまくつなげるかどうか、まだ解りません。この文が日記上に現れていたら、うまく設定できたということです。さっきやってみたら、二階はつながりませんでした。変だなぁ 電話は通じているはずなのに……。  実はその後、新たに更新し直しています。

2001年2月6日

 明日の北海道、真冬日で、地元の最高気温は氷点下6℃だそうです。なんとなんと。
 さえきは明日帰省いたします。母方の祖父が100歳になるお祝いがあるので。
 飛行機はその時間3機目なのでボーディングブリッジが接続されず、階段で降りて空港まで歩くので、いきなり外気に触れられます。その瞬間には震えるのでしょうが、次の瞬間には慣れ、「今日は暖かい方だな」なんて思うことでしょう。いやそれはないか。でも日中に気温が2℃くらいになると「今日は暖かいな〜」で話が通じてしまいます。日射しがあるから、それでかもわからないです。明日も「晴」マークでした。きっと放射冷却で見事なまでの「氷点下の青空」ですね。
 ケン・ウィルバーを買うだけ買ってまだ全然読んでないので、それや、森さんの新しいのもやっぱ読んでないし、『ぼんくら』もまだだし、そのあたりを持って帰ります。G.グティエレス『解放の神学』あたりもレジュメ化する予定です。
 宣言だけなら誰にでも出来ます。なんとかしよ。

2001年2月5日

 あれあれ。テンキーが矢印とか「end」に反応するようになってる。さっき「キーボード掃除機」を使った影響に違いないが、改善策がわからないです。
 いきなりわかった。「Num Lock」を押したら数字が出るようになりました。そうか。ここのランプはいつもそういえばついていたような気がしてきました。

 個人の方がされているエッセイのページを紹介され、見に行きました。中島みゆきの歌が好きと書いておられたので、とっても良い方に違いないと感じ、読み進めたら、正統な仏典に記されている仏陀の言葉と大川隆法氏の文とを比較対照されていたりして、やはり良い方でした。ただ、「ヒトクローン」についてわたしと全面的に対立する意見を書いておられたので、これは掲示板に足跡を記さねばと思い、むっちゃ長いのを書いて「さてさて。」と思ったら、掲示板なんてなかった。寄せられたメールをご自分でアップされているようでした。
 力作…かどうかは解らないけど、せっかく集中して書いたのを伝えることができないのは悲しくて、少々の編集を加えて、メールで出してしまいました。でも「ベッキー!」で見たら152行って書いてあります。
 返事が来なくても致し方ないと思います。熱いだけで論理的には弱い文だと思うし。「うふふ、若いね、青いね」で終わってしまいそうな気がします。

 対面したことのない人にメール出すのって、やっぱり緊張します。でももらうとなんかすっごく嬉しいです。だからってわたしからもらう人も嬉しいかどうか? それは解らないんですよね。ってことは、やっぱいきなり長いのを出すのはまずいな…。

2001年2月4日

 洗濯物を久しぶりに屋上に干しました。朝干して夕方収穫したんですが、一部乾いてませんでした。寒干ラーメンみたくうまくはいかないなあ。きっとフリーズドライ。
 浜崎あゆみの若い頃、デビュー当時の写真を見ました。ぶっとびました。滅茶苦茶かわいい。今のよりずっとかわいい。もちろん主観的には、です。まつげ? そんなもん、ない! いや、あるけどあんなにない!
 そんだけです。長い日記の後は短くなる傾向がある、のかな。

2001年2月3日

 なんか寒いよー。凍らないように気をつけないとー。

 「和田移植」で有名な和田壽郎氏の本を読みました。『あれから25年 「脳死」と「心臓移植」』 かんき出版 1992年初版。本格的な移植容認・賛成・推進論に触れられるかと思ったのに、全然違いました。立場を異にするするせいでしょうか、わたしやっぱり「臓器移植法」制定前の賛成派の文章はちょっと参考にできそうにないです。
 ただ、たとえ「新鮮な臓器」確保の重要性を訴える文脈であったとはいえ、エア・アンビュランス(救急医療の空輸化)という考え方を提唱していたのには純粋に感心しました。各方面の努力の結果、現在は少し改善されていたと思います。

 政治家のお国入りやビジネス目的としては、すでに五〇〇機を超えるヘリコプターが日本の上空を舞っているという。ところが、医療用のものは一機もないありさまだ。なぜ、この国ではすべてにビジネスユースが先行するのだろうか。人の命がこうも軽く扱われるのだろうか。(pp.47-48)

 ただ(2連発!)、やはり臓器移植に関する1992年当時の彼の考え方には賛同できませんし、わたしの疑念をぬぐい去るに十分な記述にもめぐりあえませんでした。まあ、そういうものでしょう。検察が不起訴処分にしたのはそれなりの理由があるのでしょうから。

 死は死なのである。脳死も疑いもなく人間の死である。脳死の過程や、医学的な変化や推移の過程で見られる諸問題、あるいは脳死後の臓器提供は、本来は死の定義とは別の次元に属する問題であるはずだ。臓器移植の必要性や臓器摘出の是非論は、本来的には脳死の定義とは関わりがない問題だと思う。しかし日本の医学教育においては、こうした問題をじっくりと考えさせるカリキュラムがない。(pp.209-210)

 上に引用した一連の文章、1992年の出版ということもあって、前半は現在の事実とは著しく異なります。ただ、最後の一文の内容に関しては現在もそれほど改善されてはおらず、目下改善途中であり、まだ通用しています。
 結論的には、技術職である医師だけにこんな大事な問題を任せきり、結果的に問題の解決を医師に「押しつけ」て済まそうとしていた、そういう状況がまずかったのだ、そういうことになると思います。教師に教育のすべてを押しつけてはいけないし、僧侶に宗教のすべてを押しつけてもいけない、そんなことは少し考えればわかることだと思います。同様に、医療に関わる問題のすべてを医師に押しつけるのもアンフェアだ、そう思います。
 知識を伝授する人、信仰のそばにいる人、医療行為に携わっている人。専門家の領域は専門家の領域として厳然と存在し、専門家はその領域の内部で努力しつづけるべきですが、だからと言って、その周辺に山積している困難な価値判断まで専門家に押しつけるのは酷です。
 余裕がある時、少しずつで良いから、情報を集め、取捨選択し、自分なりに考えて判断し、実践していきたいと思います。

 ……なんか今日「思います」ばっかりですね。

2001年2月2日

 こないだ変わった夢を見ました。
 ポストペットがいなくなった部屋に、透明なペットが住んでるんです。お菓子もやらなくて良いし、なでてやらなくても良いし、ちゃぷちゃぷ洗ってやらなくても良いんです。でも下の「○○はおつかいにいきました」というところに「彼」の喋ったコトバが出て、こっちが何か打ち込むと、すごく賢そうなコトバが返って来て、会話が成立してるんです。
 ……どうしてあんな夢見たんだろ。そんなに世話するの面倒だったんだろうか。それともノートのデスクトップに「窓の手」を使って透明なアイコンを量産した、その影響なんだろうか。
 今は新しいペットとうまくやってます。もといたペットの名前に「2世」付け加えるはずが、そのままにしてしまいました。ごめんよ。

 ノートは、画面を暗くすればするほど発色が抑えられて、その分電池がもつそうです。「ソニーはもたそうもたそうとして本当によく考えてるよー」と言ってその人が見せてくれた画面は、文書編集の画面でさえ、いちばん明るくしても相当に暗かったです。でもって、カスタマイズの結果デスクトップは真っ黒でした。わたしのも今は壁紙を「なし」にして、ショートカットの題名しか見えないようになってます。
 もちろん、牛さんは今までどおりでやってます。壁紙は木村さまです。リンク参照のこと。)

2001年2月1日

 なんか、深夜のNHKを見ていたら、「スキーのジャンプは刑罰が発祥ではなかった?」ってやってました。ノルウェーのスキー文化の中で自然に生まれたらしいです。刑罰説は日本だけだって。うーん。ドラマチックで好きだったのに、ウソだったみたいです、少なくともノルウェーでは「自然に生まれた」と言われている。でもって、日本の「刑罰説」に書かれているその村は、ノルウェーに実在したことがなかったようです。うーーん。
 ラグビーも、サッカー、アソーシエーション式フットボールからではなかったようです。うーん。こんなにためになる、NHK。ごめんなさい。災害や大きな事故・事件が起こるとずっとつけっぱなしにしてるのに、本当にごめんなさい。


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