Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 12月

2000年12月27日

 佐伯はそんな感じで帰省いたします。本当に寒いらしいです。恐怖です。

 今年はいろいろありがとうございました。
 もしよろしかったら、来年もよろしくお願いいたします。
 どうぞ、末永く、ごひいきに。

2000年12月26日

 今日は不思議なくらい安価で安価でよくお世話になっていたお店が閉店するそうなので、そちらに顔を出してきます。忘年会なのだろうかフェアウェル・パーティなのだろうか。閉店の理由は「計画性がなかったようです」ということだ、と伝え聞きました。慥かに安すぎたような気がいたします。

 座布団もニョロニョロも、やはり無生物は抱いた瞬間つめたいです。人肌のぬくもりってのはそういう意味でも貴重です。そう考え出すと無根拠で変な妄想をしたり記憶を辿って正しい想像をしたりいろいろ止まらない若い佐伯も、来年30歳になってしまうのでした。そして多分、ほぼ確実に、いろいろな要素が組み合わさって出来た「私」という現象は、今世紀中か来世紀中かは解りませんが、そのうち現象としての役割を終えるのでしょう。

 明日から2001/01/08まで帰省いたします。今日の飲み会から帰ってきたら日記また書こうと思ってますが、何があるか解らないし、ひょっとすると部屋掃除を頑張りすぎて書けないかも知れないので、書いていきますね。

 今年はいろいろありがとうございました。
 もしよろしかったら、来年もよろしくお願いいたします。

2000年12月25日

 ニョロニョロと過ごしたこの夜を、僕はきっと忘れない。なんせとっても息苦しかった。
 今日はこれから「マンガ研究会」みたいな集まりの忘年会に行って来ます。プロテスタントの人たち・仏教徒たち・それ以外の人たちが集まった会です。だから『ナウシカ』レジュメの後ろに「宗教との関連」という項目があるんですね。
 そんな感じで日記は今日これ以上更新できるかどうかちょっと解りません。時間があったので書いていきます。

 帰ってきました。6キロくらい自転車こぎました。二次会に行く前は真南にあったオリオン座が、帰る時には西にありました。
 キリスト教の人と話すと、キリスト教や仏教の特殊性が何となくですが実感できます。日本的なスタンダードだと言われるモノの特殊性も際だって認識できます。

 関係ない話ですが。 ↓

 教会でクリスマスの飾り付けをしていたら、そばを通った人が「あっ。教会でもクリスマスってやるんですかぁ。」と言って通り過ぎていった、という話を聞きました。実話だそうです。こわいっす。知識と実際とがかみ合ってないのか、それともクリスマスがなんなのか本当に知らないのか。どっちにしろ面白すぎました。

2000年12月24日

 関係ないと考えている人には関係ないかも解りませんが、 森岡正博氏 が来年1月10日頃発売の『中央公論』2月号で、「脳死」に関して、「専門家もほとんど知らない脳死の最新事情について書」かれたんだそうです。チェックする方はチェックしてください。わたしはチェックします。詳しい情報は こちら をどうぞ。公開日記です。

 今日は17:00直前の郵便局に駆け込んで現金を引き落とし、速達を出し、そしてニョロニョロの救出に向かい、成功しました。むっちゃ嬉しいです。彼(女? まあ森鴎[鴎+歐−欧]外も女性に「彼」って使ってるし)のためにも部屋掃除しなくてはならないなと思っております。思っております。思っております。
 ……こういうのを「不可逆的」と言うのかも知れないな、と思いながら、台風一過・泥棒さん一過、みたいな部屋を眺めております。誰か来る予定でもないと頭が掃除モードになかなか入らないっす。ええと。そうね。「新世紀」が来るんですね。

 あれ。ラグビー負けちゃったみたいです。うん、きっと頑張ってくれたんだと思う。

2000年12月23日

 久々にトップページを見てみたら、カウンタが「1235」でした。危なかった。「1234」であることに気付いた方、お知らせ下さい。更新履歴のページに書かせていただきますので。

 北海道にいる姉と電話で話しました。『やまとなでしこ』の結末を教えてくれました。やっぱドラマに出てくる人間たちって強いのか弱いのかまったく解らないし、性格や行動に一貫性もないみたいですね。もちろん生身の人間に一貫性なんて求めようがないんだけど、度を超してぐしゃぐしゃだと思います、ドラマの人って。
 姉とわたしで一致したのは、「堤真一はうまい」、でした。友だちの奥さんは、結婚する前から今に至るまで一貫して堤氏のファンです。その影響で『ポストマン・ブルース』を見ましたが、本当に、本当にうまいっす、堤氏。

 知り合いにもらっていたりんごを食べました。りんご大好き。美味しかった。でも身体的にはアレルギーらしく、口の中がかゆくなります。大好きな人に心底から避けられてるような、そんな寂しさを感じます。

2000年12月22日

 なんか、今日の日記ちょっと濃いぃ気がします。

 今日もう一回見たら、ニョロニョロは「だきまくら」じゃなく「クッション」でした。かまへん。今は座布団抱いてんだし。

 米本和広の『カルトの子』というのを読んでいます。「カルト」と呼ばれる宗教団体や宗教的な集団に親が所属した子どもたちに関するリポートです。
 著者は「第一章 超人類の子」(オウムの子どもをリポート)の中でマイケル・ランゴーニ(アメリカ家族協会事務局長)の言葉を引いています。
 私たちは、カルト集団を離脱した子どもたちの心理的な治療についてはほとんど何も知らないと言ってよい。その心の状態についての系統的な研究もまったく行われていないし、臨床的な研究もほとんど報告されていない。
 そしてこのように述べます。
 “カルト先進国”アメリカにも治療の手本がないというのだから、児童虐待の主官庁である厚生省は是非研究を進めるべきだった。初めての経験だけに、十全なものではなくてもある程度の調査・研究がまとまっていれば、子どもたちのその後の心のケアに何らかの役に立っていたことは間違いない。実際、このあとヤマギシ会やライフスペース、加江田塾の子どものことが社会的な関心を呼んだ。今となっては残念というしかない。
 ……慥かに、子どもたちがその後どうなってるのか、わたしは全く知らなかった。でも恐らく誰かが何らかのフォローをしてるはずだし、当然のように研究も為されてると思ってたんですが、どうも違ったようです。恐らく、この本がそういうのの嚆矢になるんじゃないでしょうか。
 まだ全然途中(第一章のみ読了)ですが、印象としては『永遠の仔』みたいな感じに思えます。
 親子の絆って何? 愛情って何? 教育って何? 宗教って何? カルトって何?
 ……重た〜いです。むっちゃお薦めです。


 「携帯電話の迷惑」ってなんでしょうね。大嫌いな宮台のしかし名言「仲間以外みんな風景」というのは別に携帯を持ってる人間すべてに当てはまるわけではないし、その人たちに限らないし、年齢もまったく関係ないとわたしは思うんですが。でも報道では若年齢層に特有、みたいな妄念に固執してるように思えます。喫煙者だけがマナー悪いわけでも、喫煙者のすべてがマナー悪いわけでもないんです。それと一緒だと思う。ひとくくりに出来るはずのないモノを無理矢理くくろうとするのは、無茶だと思う。
 公共の乗り物の中で集団でうるさくしてる人も、一人だけでうるさくしてる人も、どっちもわたしは迷惑することが多いです。また、車道のライトがまぶしくて歩道に何があるか目を細めても分かりにくい時間帯に、無灯火で、なおかつメール打ちながら疾走してこっち向かってくる自転車って、とても危ないと思います。これは別に携帯が悪いんじゃなく、風景みたいに見えてるかも知れないけど確実に生きている他者に対する配慮なしに騒音を発するのが迷惑なのだし、無灯火が危ないのだし、前を気にせずに自転車をこぐという行為が危ないんだと思う。
 たまに至極まともなことも言うけど、わたしの考え方にもかなり問題あると思うよ。しかし携帯のマナーだけ問題にしても仕方ないと思う。もっと何んか大きなモノでしょ、問題にすべきなのは。って言うか、この民放なんか伝え方が説教クサイと思う。なんでだろう。「大丈夫? 聞いてる貴方は大丈夫?」? でしたっけ。報道してるあなたは大丈夫? ……わたし? わたしは全然大丈夫じゃないです。自覚しててもまったく免罪にならないってのは厄介だと思いつつ、大丈夫じゃないです。

 で、たぶんそういうことなんだろうね。教育基本法を見直すのですか。森さんじゃなくなってからの方が無難な気がします。「神の国だ」と思うのも言うのも構わないと思うけど、それを他人に無批判に押しつけようとする人に「最大限に努力する」と言われても、その「最大限」はかなり小さい「最大限」なんじゃないかと疑えてなりません。自分と他者、自分のココロと他者のココロを分けて考える必要性をもっと真摯に認識し、その能力を備え、それから、しかるべき発言や行動をして欲しい。森さんもっと欲深に頑張って。自分を諦めないで。


 ごめんよ〜。愚痴っぽくなってる。


 リアルジュークボックスで中島みゆきの『歌暦』をMP3化しようとして「CD情報」を見たら、アルバムタイトルが「utagoyomi」でなく「utamaro」と表示されました。あれあれ。「暦」と「麿」の、OCRなみの読み間違いでしょうか。
 そうか『バガボンド』なんかわからん賞をとったんですね。いちおうおめでとう。面白いからねえ。わたしは1巻を読みながら思わず「そんなところでするなよお前」って言っていました。
 「思わず」つながりでもう一ついきます。紅白歌合戦の審査員に木村佳乃さまが入ったようです。思わず「おおっ!(^^)!」と叫んでました。彼女の姿態(肢体)が見られるってのは非常に嬉しいのですが、でも彼女って一応歌手じゃなかったっけ ?(^^;)? あれあれ。
 ファンとしてはちょっと複雑。

2000年12月21日

 おもちゃ売り場で「だきまくら」の最終進化形を目撃しました。ニョロニョロ。変な言い方かも知れないけど等身大より大きいです、多分。むっちゃ愛らしいのに狭いハコの中に5匹くらいぎゅうぎゅう押し込められて、でも「にょろ」っと寝てて、可哀想でした。たぶんその中の1匹くらいは救出できるかもな、って思ってます。お財布と相談です。と言うかお財布が首をヨコに振っても救出したいです。泣いてイヤがっても救出してしまいたいです。ああ。欲しい。ムーミンにはさほど愛着を感じないのに。

 毎年この時期になると二人連れの男女が街に激増する、ような気がします。しかし実際に増えてるのでしょうか。それともわたしのさみ[も?]しい目がそういうふうに見ようとしてるから見えるだけで、実際には別に増えてないのでしょうか。誰か知りません? もしかしたら人間の発情期がいつなのか解るかも。夏と冬かな、という気がしてます。

 うちの大学、屋外・屋内とも指定場所以外は全面禁煙なんです。屋外に設置してある灰皿の一部のそばには「この灰皿はここで吸うためのものではなく、建物に入る前に処理するためのものです」と書いた張り紙があります。で、そこで吸いながら思うのは、「じゃあ、その前にその人はどこで吸っていたのだろう?」ってことです。屋外・屋内ともに指定場所以外は全面禁煙とうたっているのに、どこで吸っていたから、ココで「処理」するのだろう? かなりおかしくないか?
 今日もその看板を見ながら吸っていました。
 その張り紙の文面は、「構内でのくわえタバコ、タバコのポイ捨てはやめよう!」という続きがあります。それを見ていたのですが、なんかねえ。「バタコのポイ捨て」って誤植してました。

 ちょっと笑えました。

2000年12月20日

 子どもの頃はサンタさんがいましたが、サンタさんがいなくなるのと相前後してクリスマスがキリスト教のお祭りであることに気付いた、のかな。わたしは多分その頃に仏教徒になったのではなかろうか。いや、違うかも。そんな簡単なことではないような気もする。

 それ以降、わたしにクリスマスは原則としてありません。が、彼女がいたらあります。だって寛容で有名な仏教徒ですから。良くも悪くも他宗教に寛容なんです。全然仏教とは思えないけど日本中がそうなのかもね。
 …とは言ったものの、イスラムの人が職場などでアタリマエのようにメッカに向かって礼拝しようとすると「それは困るんですよ、皆んなと一緒にやってもらわないとねぇはははは」とか言うんでしたっけ、この国の多くの人って。実は全然寛容じゃない。……「仏教」もそうか。

 今年のクリスマス? わたしはいまんとこカゲもカタチもないね。

 危なかったです。「関西一週間」を買い忘れてて、人に言われるまで日韓戦があることを知りませんでした。しかし韓国のヘディング高くなかった? しかも10人なのに問題なく強かったし。と言うか、日本は新しいことを試しすぎだったのでしょうか。
 夜中にやってた『ケイゾク』の再放送も終わりました。これも見そこねそうになっていた。ほんま危なかった。『やまとなでしこ』も見てなかったのにこれは見てました。……これ中谷とモウルなんね。チョコレートも一緒にやってる。良いなあ。

 今年いちばん売れたシングルは『TSUNAMI』だったんだそうです。オリコン調べだとNHKが報道してました。わたしファンなんですがコレ買ってないんです。ちょっと凹んでます。

 いやびっくりした。間違って書いてる途中の日記をアップしてしまった。

2000年12月19日

 昨夜は日記を書いた後で『マーシャル・ロー』を見ました。面白かったのかも知れないけど、なんか腑に落ちないところのある、変わった映画だったと思います。

 本名ページにアップしてる、とあるファイル(3つ)がどうも文字化けしてひどかったんです。「西ヨーロッパ言語」になってたんです。
 で、地元の友だちで、自分でマシンを組んだというくらいパソコンに明るくて、自作CGIの掲示板を隣町の役場のHPにまんま参照されるというくらいネットにも明るい、そういう人がいるので、彼に「なんでだと思う?」って聞いてみたら、
ちょっとソースをみさせて貰ってひとつだけ気に掛かったのだけど、
「<META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;charset="Shift_JIS">」
「Shift_JIS」の前の「"」(ダブルクオーテーション)って必要なのでしょか?
ちょこっと気になったものだから。
 という返事が来ました。
 ……見てみたら、慥かに「"」が一つ多いんですね。
 彼の気がかりを取り除いたらどうなるのかな、と思って「"」を消してみたら、文字化けは跡形もなく見事に解決してしまいました。わあっ! 1、むっちゃありがとう!

 うーーん。今日はわたしにとって良い日であった。もっと嬉しいこともいっぱいあったし。

 その後、HPにアップしている全てのファイルを点検してみたら、ほぼ全て「"」が入っていたので全部消しました。ちょっとしんどかったけど文字化けはイヤです。これで解決したと思います。

 あ、飲み会は可もなく不可もなくでした。

  友人A 「俺のどこが好き? って聞いたら彼女はなんて答えたんでしたっけ?」
友人B 「誠実なトコロ。」
友人A 「……はぁいはいはい、飲みましょー!」
友人B (ごくごくごく)

 という会話や、

友人A 「で、先輩は彼女のどこが好きなんですか?」
友人B (モゴモゴモゴ)
わたし からだ。
友人B 「(なぜわかった!? という目)」 【うそ】

 という会話がありました。
 わたしが友人Bにはたかれたのは言うまでもありません。

 「顔も好きだし性格も好きだし、うん、まあ、全部。」
 だ、そうです。やれやれ。

2000年12月18日

 部屋も身もココロもフトコロも寒いっす。でも佐伯は元気です。

 どこかで「正直者は馬鹿を見る。神はいない」というメモを持って自らを殺した女子中学生がいた、というニュースが流れてました。彼女のメモはとても正しい現実認識の表れだと思うんだけど、なんでそれで死ななければならないのかなあ。
 正直者が馬鹿を見ることがある程度以上に判然としてしまい、困難なことや悲しいことや怒るべきとだと自分が判断することの方が、喜ばしいことや楽しいことだと自分が判断することよりも多いように思えて、「神」みたいに漠然と想定していた「絶対者」や「絶対他者」みたいなモノが実は存在しないんじゃないかという実感のようなモノを得てしまって……
 ……でも、それが自分を殺す最大の原因になるとはあまり思えない。

 彼女は何んで死んじゃったんだろう。

 周囲に宇野千代みたいに彼女の話を「うん、うん、そうなの。ふうん。」って聞いてくれる人がいなくて、周囲からの何か疎外感みたいなものを感じ続けたからだろうか。何かで行きづまって自棄になったからなんだろうか。死んだら何かがうまくいくという確信が得られたか得られたと勘違いしたからなんだろうか。

 失恋したことってあります? 特に、振られてしまったこと、って。
 佐伯は「よく」でもないけどあります。
 失恋したら、まあどういう感じで好きになっていると思っていた(わたしの場合「思っていた」じゃなくいつまでも「思っている」なんですが)のかにもよると思うんだけど、ものすごい勢いで「世界中からの疎外感」みたいなのを感じてしまうことってありません? でもって、無茶苦茶に自棄になって、酒弱いのに無理に飲んで三日くらい寝込んだりしません?(酒飲んでひっくり返るというのではないにしても、自分を妙に痛めつけたりしません?)
 あんな辛いのに「えーん」って泣くだけで死なないのって変なのかなあ、って多少思います。なんで生きてるんでしょう。
 自分で自分を殺した後で彼女への思いを綴った遺書なんかが発見された日にゃあ、彼女にすごく迷惑がかかるとか、何人かの人間はちょっとくらい悲しんでくれてしまうかもとか、生の領域に踏みとどまっている理由はいろいろあると思うんだけど、わたしの場合は「この自分で生きていくしかないんだ」という諦めをどこかで得てしまってるせい、あるいは、なんのかの言ってもとりあえずまだ生きていたいからだけなのかな、って感じがします。
 わたしの場合、仏教の教えとか、世界と自分との関わりとか、何かの信念とか、将来への希望とか、そういうものを感じたから踏みとどまって生きてるわけではないと思う。その時に「死のうか」とも思わずに、思ってもすぐに完全に打ち消して、別の方向に進もうとしているような気がする。自分を殺す必要性を感じることが、ないようです。
 つまり、実は完全な絶望に陥らなかっただけが理由で、ただ何となく生き続けてるのかなという気がします。
 「死にたい」と言う人の多くは「今のわたしはイヤ。もっと別の自分で生きたい!」と言いたいのに間違って「死にたい」と言っているんだ、というようなことを河合隼雄の本で読んだこともある。でも、そんな単純なものでもないのかな、とも思う。よくわかりません。

 なんか奇妙な方向に進んでしまいましたが、心配は要りませんよ。
 明日は恐らく日記書けないかもしれませんが、それはゼミの忘年会のせいです。最近恋に墜ちて墜ちまくってとんでもないくらい幸せを感じてるらしいヒトがいるので、拒まなければ彼をいじって遊んできます。報告できる内容であったら報告いたします。

 追伸 :
 書評のコーナ、推理小説の表紙画像もアップしました。重くなりました。

2000年12月17日

 名刺のローマ字表記、なかなか良い感じにできました。「Ryouu」とすべきか「Ryou」にすべきか、よく悩みます。本名も似たような語尾なのでやはり迷います。
 ……結論的には「Ryou」にしました。
 楽しく作ってるうちに大量にできてしまいました。欲しい人は言ってください。オフで会える方にはお渡しいたします。いなそうな気がしますが一応ね。クラス会もあるし、帰省する時に持って帰れば20枚くらい減りそうな気がします。

 納豆って好きですか? わたしは好きです。関西の人は納豆を食べないと聞いていたので、京都に来る前は怖かったです。なかったらどうしよう、って。でもスーパにもコンビニにもあってホッとしました。でも食べない人は本当に食べませんね。においとかではなく存在自体が許せない、と言うくらい嫌う人もいます。わたしにとってのカニミソみたいなもんなんでしょうか。うまいとはどうしても思えない。でもあれを否定してしまうとカニは生きられないし、そうすると足もなくなるから、存在までは否定しません。
 納豆ほど手軽に食べられるものではないので、問題は少ないしね。食べられる人は「ええっ! 食べられないの? 可哀想にぃ。」って言いながら嬉しそうに僕の分も食べてくれるし。
 ただ、根室で花咲ガニを友だちと3人で食べ放題した時、食べられる人が一人もいなくて全部捨てたと言ったら、友だちがすごい残念そうな顔をしてました。もったいないのかなあ。

2000年12月16日

 無茶苦茶な寝不足状態ですが(また36時間くらい起きてます)、佐伯はなんかまだ起きています。わたしは違うと思うんですが、ひょっとすると元気なんでしょうか。
 ジム・ジャーミッシュの『ダウン・バイ・ロー』を見ました。変わった映画でした。いくら寝不足でも、佐伯でも、さすがにこれでは泣けなかった。
 
『ミステリー・トレイン』といい、『デッドマン』といい、あの人は変なもの撮るの好きだと思います。実は結構好きです。『デッドマン』はニールヤングがギターをかきならすサントラも持ってます。でも滅多に聞かないなあ、そう言えば。
 名刺用の紙を買ってきて印刷してみました。なかなかうまくいったなと感動して何人かに配り、ふと気付きました。「名前のローマ字表記がない!」。あ〜あ。
 どこかやっぱり抜けまくってる佐伯でありました。

2000年12月15日

 「書評」で紹介している何冊かに、表紙写真をつけました。いま手許にない本は如何ともしがたいのでついてません。
 綺麗にしようと思ったら重くなるし、でも軽くしすぎると粗くなったり小さくなりすぎたりするし、いろんなジレンマです。このくらいが妥協点なのではないかと思います。それにしてもスキャナって便利ですね。

 中島みち『脳死と臓器移植法』文春新書を読んでます。まだ途中までしか読んでませんが、賛成派にも反対派にも、ちょっと興味があるけどよくわかんないや、でもなんとかしないといけないな、と思ってる人にも、自信を持ってお薦めできそうな気がします。本屋さんで見かけたら手にとって見てみてください。わたしはこの視点、すごく素直な感じがいたします。
 そう言えば、読了しないままに紹介を書いて本名ページにアップしてしまったなあ。ま、いいか。それが佐伯's style にならないように気をつけよう。

2000年12月14日

 宗教ってやっぱ難しいです。自分が「宗教」とか「真実」とかの言葉を実はよく把握してない、把握してないんではないとしても、なんかこう、確固としたモノがないってのが、他人と話すとよく解ります。(本当は自分でやらなきゃならないんですけど。。。。)説得力なくても仕方ないなあ。
 そろそろ大掃除しないと床の踏み場が本格的に見あたらなくなって来てます。そういえば、時期的にも申し分ないですね。

2000年12月13日

 ある新新宗教のカルト団体が力を込めて売り歩いていた(いる?)ビデオを見ました。
 親鸞さんの生涯のうち、念仏に出会うまでを1時間くらいで描いた作品で、現在のその教団がこういうふうにして信者を獲得している、という評判通りの内容であるように思えました。
 面白い、とは思えませんでした。押しつけが鼻について、うんざりしました。

 宗教団体の言うことって、どれもこれもマッチポンプ的なんだと思います。わたしが所属してる教団にだってそういう面は否定できないと思います。
 ある価値観があって、その価値観をもとにすると、人間やこの世界はすべて罪深くて救いようのない現象になる。そして、その汚染されまくったモノを浄化する唯一の手だてとして、特定の「教え」や「ヒト」が示される。それを示された人がマッチポンプに気付かず、その特定の価値観をこの世の唯一の価値観であると勘違いしてしまえば、そのマッチポンプはマッチポンプとして機能する。しかし、冷静になってみれば、その価値観を受け容れる容れないはその人の好みに過ぎない。
 自分で自分を冷静に見つめることが出来れば、自分の嗜好性とか、自分の性質とか、自分が内的に抱えている欲求とか、そういうのに気付くことが出来ます。そして、既成教団の枠内や、それでは難しい場合にはその枠を超えて自分で考えた何らかの世界観を手に入れることができる。そして、自分で求めて得た世界観を、向こう側からやって来たモノとして受容していくことができる、と思う。
 冷静さがあれば、です。
 カルト教団がコワイのは、悪賢い手段を用いて人間の冷静さを奪うからです。彼らはとてもうまいので、こちらからは近付かない、向こうから近付いてきたら逃げる、という以外に防衛策はありません。

 他律的で、困難な問題にぶつかった時に自分の頭で考えず、時間にも聞かず、何か便利な「解答」を他人が提示するのを待つヒトが、そういう悪賢い手段に絡み取られることを欲している、というのも見逃してはいけないと思いますけど。

 はいはい。

 中途半端ですけど今日はここまで。

2000年12月12日

 昨日はバニーガールのいるお店に友だちと飲みに行って、楽しい時間を過ごしました。ピザもハーパーもジョニー(ジャックダニエルズは親しくなるとそう呼ぶんですよね?)も美味しかった。それもあって更新できませんでした。すみません。
 初対面の女性とエッチな話をするとドキドキしますね。非日常的な楽しさもあるんだけど、でも楽しさだけじゃなくて、彼女たちがどういう気持ちでそういう話をわたしたちにふって来たのか考えて、
  1. そもそもそういう話が好きである
  2. 長く引きとめるため : つまりお仕事
  3. 「2.」をやってるうちに「1.」が混ざった
  4. 「3.」をやってるうちにどうでもよくなった
  5. 「3.」をやってるうちに自分がとてもイヤになったが、話題が途切れると知らないうちにエッチな話題が口をついて出ている
  6. 「5.」を続けているうちにどうでもよくなった
  7. 基本的には「6.」だがでもやっぱりイヤ
 という段階を2秒くらいかけて想像し、すんごい申し訳ない気持ちになりました。ひとりのコが何をするのにも「えいやっ」って感じで思い切ってやっている、というふうに見えたんです。別に無理をしてるようにも見えなかったんだけど、「無理をしてるように見えないように無理をしてる」ように見えてしまって、気の毒な感じがしました。友だちにしなだれかかったのだって何んか「えいやっ」って感じに見えてしまったし。
 まあ、深読みのしすぎでしょう。
 わたしの思いが顔に出ていなければ良かったんだが。

 「今日初めて入ったんですぅ」って言ってたコがなかなか可愛かったな、と思っていたら、友だちもそう言いました。やっぱ友だちですね。類は友を呼んでしまうようです。
 以前、多少違うことを書いた記憶もあります。そちらも本心です。

 そのお店に行く遙か以前、昼間、京都駅の南にあるスーパともデパートとも思える大型店の中にある万年筆コーナに行ったら、目当ての万年筆がありました。ちゃんと黒でした。しかも「クリスマスプレゼントに如何ですか?」という感じで標準価格から3割引。むっちゃ嬉しかった。書き味を見たり「もっと細いのない?」って言ったりしてたから当然のようにプレゼントでないことがバレて、「ご自宅用ですね?(プレゼント用に包まなくて良いですよね? あれって実はちょっと面倒なんですよ)」と言われて、なんとなく自分への「ご褒美」的に考えて包んでもらおうと思ってたのに、「ハイ」って言っちゃった。
 うん、やっぱモンブランっす。インクはブルーブラックっす。

 バニーさんの店から帰ってきて、それまで30時間くらい眠らないでいたのに、ノーマルな状態で見ても泣ける『イングリッシュペイシェント』を一人で見てみたら、もうだだ泣きでした。嗚咽までしてもうた。睡眠不足で映画を見ると泣けるし、泣ける映画なら増幅します。これはたぶん良い発見です。
 今度は『ニューシネマパラダイス』や『銀河鉄道の夜』で試してみようっと。

 今日は先輩に連れられてJAZZ喫茶に行きました。想像していたイメージとはちょっと違って、「洋食弁当」はじめ各種定食がそろっていました。洋食と言うわりにお大根さんゴボウさんの煮付けがあったり、芯まで柔らかく煮た椎茸とナスの煮付けがあったり、なんかJAZZっぽいのかどうなのか。しかもサイフォンでいれてくれたコーヒーは問題なく美味しいし。京都に来ていちばん気に入った喫茶店かも知れません。ただ、先輩によると日曜日の昼間には、JAZZじゃなく競馬中継のラジオがかかってるんだそうです。
 うん。
 JAZZってのは、きっとすごく深いんですね。

2000年12月10日

 部屋の中か部屋の外か、どこでなのかは解らないんだけど、しかも当然のように正確にいつなのかも解らないんだけど、とにかく万年筆を紛失したことに気付いてから、はや半年以上が経過しました。部屋中をひっくり返しても他人に聞いても全然見あたらず、やっと探すことを諦める決心がついたので、しかも2万円くらい自由にできそうなので、新しいのを買うことにしました。パーカーとかパイロットとかを買えばもっと安いんでしょうけど、個人的にはやっぱモンブランです。いちばん欲しいのはマイスターシュティックだけど、それはまあまだ買ってはいけないような気がしてます。ので、紛失する前に使っていたのと同じ、モンブランのいちばんグレードの低いのを買おうと思ってます。そもそも書きやすいボールペンが150円で買える(シグノ)時代に学生が万年筆を持つのは贅沢なのかもしれないけど、でも筆記具は少し贅沢したい。
 というか、実際に買いに行ったんです、専門店よりも安価で売っているのを以前見ていたスーパに。新橋のキムラヤほどは安くないけど、でも標準価格は大幅に下回っています。そしたら、買うつもりだった黒いのが見えず、えんじ色のと群青色のとしか売ってなかった。どうしたんだろう。黒が基本でえんじ色はオプションだと思ってたんだけど、ひょっとすると、今日はじめて見た群青色とえんじ色が基本、というふうに変わってしまったんだろうか。
 明日にでも専門店に行って聞いてみようかなと思ってます。いや、ネットでモンブランのサイトでもあたってみましょうか。
 公式サイトはまだ発見できず、詳しいことは解らなかったです。群青色が基本になった、という情報もないし、あるところにいけば黒はありそうでした。

2000年12月9日

 今日は暖かかったです。昼間はそれに加え太陽光線が目にしみて非常に眩しかった。小春日和と言うよりは夏っぽかったと思います。全国的だったみたいですね。わたしは自転車を8キロこいだくらいだけど、「スポーツ日和」だったらしい。
 今のアントラーズは本当にディフェンスが良いんですねえ。しかし、第一戦からは全く予測のつかない結果でした。こんなことってあるんねえ。サポーターが何人か上半身裸で応援してるように見えました。国立はあの時間も寒くなかったのかな?
 中田のあれはセンタリングだったの。精度じゃなく結果が問題だ、っていうことか。
 この国ではJリーグの年間チャンピオンが決まったっていうのに、太平洋を挟んだ隣の国の大統領はまだ実は決まってなかったんですね。「祭り」は短い期間で爆発するから良いんじゃないのかなあ。御神輿担いで騒いで発散するのが楽しいんであって、その御神体が何んであろうとそれほど問題はないんじゃなかろうか。こんなに長引くと興醒めしそうな気がします。他国民だから別に関係ないんだけど、わたしはしてますね。

2000年12月8日

 やあ、寒いねえ。
 『風の谷のナウシカ』レジュメをアップしました。アップして数時間後に掲示板に書き込みがあってすんごい嬉しかった。このレジュメ、わたしも慥かに「面白い視点」から書かれてると思います。でも「〜だから…だ!」ってのがなくて、いまいちつかみどころがないかもしれません。あまりない視点から書いてるってのは事実だと思ってます。「生命とは何か」というのをもっと突っ込んでも面白かったのかなとも思う。ただ、今はそんなパワーなかったりします。
 日記も比較的短めです。

2000年12月7日

 「佐伯くんって全然素直じゃなくってカワイイ」

 って言われました。放っとけ。放っといてくれ。でもありがとう。

 ロボコンの地方大会ってイキイキした方言が聞けて、実はこれもすんごい魅力ですね。
 ……それは「ちょうつがい」と読むのです、多分。方言ではないな、多分。

 友だちの結婚式の引き出物で、「この本の中からなんでも選んでね」ってのをもらって、それで選んだ布団カバー(なぜにそのようなモノを?)が送られてきました。掛け布団カバーは良いんですが、敷き布団カバーが、どうも敷き布団より小さいです。敷き布団のウラには数年前から元気にカビが生えてるし、うん。良い機会だ。ノーマルサイズの買って来ようかな。(^^)
 本の中にはフライパンもあったんだけど、でもその数日前に奮発してテフロン加工のちょっと良いのを購入していたので、自分の欲求と、他人が自分にもたらそうとしてくれたモノとの間の断絶をものすごい勢いで感じました。
 いま欲しい調理器具は圧力鍋です。赤飯が手軽に食べたい。魚をまるごと骨まんま食べたい。カルシウムかるしうむ。

 明日はジョンの命日ですね。対アメリカ開戦の日ですね。お釈迦さんがこの世の摂理やなんかを悟った日ですね。それに加えて初恋の人の誕生日か。古い話や。

2000年12月6日

 ロボコンを見てます。時間が合えば毎年見てるんですが、今年はマシン同士の肉弾戦がなくてちょっと淋しいような気もします、が、それぞれのマシンがどんな動きをするのか、ある程度ゆっくり、カメラワークと自滅以外の邪魔が入らずに見られるのでこれはこれで面白いです。しかし豊田高専は相変わらず強いですねえ。
 ハイビジョンではもう放映したみたいなんですが、全国大会決勝、地上波では12月27日だそうです。誰か一緒に見ませんか? その頃わたしは石油を燃やすストーブのある部屋でぬくぬくしてると思いますけど。
 東京に住んでた頃、西武線に乗っていたら、そばにいた何人かが今まさにそれに出場してきたところ、みたいな話をしてました。「あの人いい人だよね。相手じゃなくて俺たちの方もちゃんとフォローしてくれたじゃん」みたいな話だったから、全国まで行けなかったみたいでした。

 ドライフラワーの新技術、恐らくこれ以降はドライフラワーの標準的技術となり、食品などにも(宇宙食にも)応用可能かもしれないすごい技術を世界で初めて開発したという、恐るべき主婦がニュースで取りあげられてました。わたしの実家のある町に隣接した市の主婦らしい。慥かに、あのドライフラワーすごい綺麗でした。でも北海道に宇宙基地は来ないのであった。 117の時報サービス、「午前」「午後」を言うようになったのは、10年くらい前に同じ市の人がNTTに進言したからなんだって。日本の標準がまた一つ隣の市から。ドリカムも六花亭も隣の市から。

 なんにせよ、今日はNHKネタが二つか。

 違うのも一つ。
 ラリってる時に一人を殺し二人にケガをさせ逮捕され、それを実名で報道された当時19歳だった少年が出版社と記者を相手に名誉毀損で訴えてた裁判、少年側が取り下げたんだそうです。「新潮社の報道は間違っていたと、今でも思う。しかし、自分は被害者から許してもらうことを目標として生きていかねばならない人間で、人を許せないと憤ってばかりではいけない」」的なことを言ってるらしいです(朝日のサイトからコピペ)
 なんか違うと思う。
 少年に訴えられていた記者はある新書の1セクションで、「少年法が少年の更正と健全な育成とを目的としていて、そしてその立場からわたしたちを訴えようと言うのなら、自分が遺族に払う賠償金の一部にあてるためにこの訴訟を起こすような少年が本当に反省していると言えるのか、更正すると思えるのか、健全に育成できるのか、それを問うのが先ではないか?」という方向の発言をしています。この記者の他の発言や態度には思い上がったイヤラシイ誤解に満ちたものもあると思うけど、この記者のこの発言には、わたしは、激しく共感します。少年の発言には共感できません。
 「お前に許す資格なんかない」なんて言うつもりはない。少年の犯した犯罪と、新潮や記者が犯した犯罪とは区別すべきだとも思う。また、法律は利用すべきモノだと思う。だけど、19から20になる数ヶ月で、自分は責任を担える身になることが出来たのか。「18、19」はそもそも「真夏の雨のように」「蒸発」してしまうものなんだしさ。 その確信がないのなら、訴訟を取り下げる前の彼は恐らく心ない弁護士にそそのかされてただの裁判ゲームをやってるに過ぎなかったのではないか、と思う。もちろん反省しながらゲームすることもできるだろうとは思う。しかし、なんかこう、腑に落ちない。

 ……歯切れが悪くてごめんなさい。

2000年12月5日

 昨日の日記いきなり訂正します。ビーンは第一人称じゃなく第三人称で語られてました。
 展開が急になって来てます。前作の粗筋しか覚えてないのでなかなか楽しいです。

 寒い寒い言うだけでなくエアコンで暖房することを思いつきました。「ばしっ」とではなく、ほんのり暖かです。ちょっと石油を燃やしてみたい。でもいちばんあったかいのは、人肌か、人肌の澗かなぁ。何んにせよ夏が待ち遠しいです。
 南半球では同じように冬を恋しがってるんでしょうか。

2000年12月4日

 先月27日の日記で触れたオースン・スコット・カード『エンダーズ・シャドウ』ハヤカワ文庫を読んでいます。心配もなんのその、今のところ良い意味ばかりで面白いです。
 自分と離れたらビーンがさみしがるとシスター・カーロッタが思った理由は? なぜなら、ビーンと離れたら彼女自身がさみしく思うからであり、彼女のきもちがどうあろうと、ビーンは同じ感情を抱かないかもしれないと想像することができなかったせいだ。シスター・カーロッタの頭のなかには、想像上のビーンができあがってしまっている。(P134)

 なにごとによらず、感情的になるのは無意味だ。感情的になっても、生き残る役には立たないのだから。大切なのは、すべてを知識としてたくわえ、状況を分析し、行動の方針を決めて、しかるのち大胆に動くことだ。知識、分析、選択、そして実行。このリストに“感情”のはいる余地はない。ビーンにも感情がないわけではなく、ただ単に、大事な問題をまえにして、感情を考慮したり、それにこだわったり、感情で決定が左右されたりすることをしないというだけだ。(P208)
 この思考の主・ビーン少年は4歳です。びっくりだね。あり得ないかもね。SFだけど、「すっかりフィクション」の「SF」かもね。
 『エンダーのゲーム』同様、主人公の天才少年が第一人称で語ります。地球が「バガー」なる異星生命体に突然攻められ、なんとかそれを撃退し、いずれ来る二次(最終)攻撃に備えて震えつつ、手をこまねいているばかりではない、という状況下です。こんなんじゃ全然わかんないですね。
 この作品、ストーリーも主人公も世界も魅力的ですが、そこここに見えるいろいろな警句も魅力的です。ある程度以上にキリスト教の影響がうかがえる警句も多いです。しかも全然押しつけがましくないし、押しつけがましい場合も、その押しつけがましさを著者や主人公、読者が分かち合える仕組みになってます。
 うまく言えないや。
 でも、わたしこういうの結構好き。講義中にすべて忘れて読むくらい。

2000年12月3日

 掲示板に書かせていただきましたが、また言います。

 
!祝! 早明戦勝利!
!嬉しいです!
!早明戦だけ勝てば良い!
!でも選手権も頑張って!
!なんせ、よく勝った!
 

 ここ最近の成績は、4年続けて負け、思い出したように1回勝ち、また4年続けて負け、また勝ち、ということを繰り返してるんだそうです。わたしがいた時は1回も勝ちませんでした。敵校の友だちは見事に4連勝です。
 ちょっと凹んでいたんですが、この勝利で妙に元気になってます。単純な佐伯に愛を!
 …自己紹介では触れてませんが、わたし早稲田OBです。入学式に来た母親は、体育館が新入生であふれかえってるのを見て、しかも2回に分けて入学式をするのを知り、「こんな何千人も受かるのになんであんたは浪人したの?」と真顔で聞いてくれました。うん、なんでだろう、不思議だね。

2000年12月2日

 冬ですね。なんか身もココロも寒いです。風邪なのかなあ。どうもそうではないように思えるんだが。
 論文書いたり他にも込み入ったモノを書いたり、いろいろ論理論理で書きすぎたんでしょうか。どうも昨日あたりから論理的な文章が書けないのみならず、論理的な思考ができなくなってます。脳ミソかじかんでるのかな。こういう時は、アウトプットはせず、インプットした方が良いんだろうかなあ。ということで、なんか読みます。『雪月夜』も『八月の博物館』も『エンダーズ・シャドウ』も、そう言えば全然読んでなかった。なのにこないだ『ぼくは始祖鳥になりたい』なんてのを買ってきました。うう。積読にも限界があるぞ。
 でも、読むべき小説がいっぱいある状態って、ちょっと以上に幸せでもありますね。

2000年12月1日

 昼間はすごく暖かかったのになあ。やっぱり冷えてきました。
 「弓子さん」って誰だろう? って思ったら、奥さんだったんですね、そう言えば。一人で行くよりも強そうな気がします。今日ある場所でイチローを絶賛するような文章を知らず識らずのうちに書いていたんですが、わたしかなり前に東京ドームでバイトしてた時、「フレッシュオールスターズ」か何か、二軍の選手が集まって本当のオールスターよりも前にやる試合に、まだ「鈴木」で登録されてた頃のイチローが出てるのを見たことがあります。慥か、ホームラン競争で優勝してました。「誰だ鈴木って? 全然知らないけどあいつ使えるんじゃないのか?」と思った、ような、かなりアヤフヤですが、そういう記憶もあります。普通のオールスターよりもアットホームな感じがして、すごく好感が持てました。相撲で言えば十両かもっと下の方か、そのへんを見てるような感じがしました。「この中に間違いなく明日のスターがごろごろしてるんだろうなあ」って。バイトしてる間は、本当はお客さんの方しか見ちゃいけないんですけどね。でも打球が飛んできたら危ないので、いい音がしたら振り返るようにしてました。
 そのバイトを紹介してくれた友だちの別の友だちはもっとすごくて、ストーンズか何かの公演の時に客と一緒になって手を振って跳びまくってて、関係者に無茶苦茶怒られたらしい。わたしはちゃんと、プリンスの公演の一回目は客として楽しんで、二回目はバイトでした。二回目の方が実は良かったのでちょっとだけ嫉妬しました。彼は客を毎回ホントに楽しませてくれようとしてるのがすごく伝わってくるので、ちょっとだけです。


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