Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 11月

2000年11月30日

 もう今世紀も残り少ないですね。来来世紀まで生きられるとは思ってませんが、なんかこういうのおもろいですね。新世紀ですよ、新世紀。一生に一度、会えるか会えないかの新世紀。
 しかしセカンドインパクトは起こらなかったしマクロスも落ちてこなかったし、つまんないです。ほんと来年に月の裏側で見つかるモノリスだけが頼りです。
 しかし、今でさえ「1900年代末期に大流行した終末論が云々」って書けるのに、これがあと1カ月を無事に過ごしたら「前世紀の遺物がいくつも存在し続けている云々」って書けるようになってしまうんですよ。ほんとワクワクします。
 「昭和」の早い時期には「大正生まれのお嬢さん」という言い方が流行ったんだそうです。しかし、誰だったかは忘れましたが(武者小路あたりだったような気がします)、「今は「若さ」の象徴として用いられているそのような言い方だって、いずれ「年寄り」の代名詞になる日が来るのだ」って書いてました。実際にそうなったな。これは「昭和」にも「平成」にも言えることですよね、多分。でもって、来世紀でも言われることでしょう。
 しかし、別にそんなことに目くじらたてなくても良いと思うんだが。言いたい人には言わせておけばいいじゃない。

2000年11月29日

 なんか、恋人じゃない女性になんですけど、口紅買っちゃいました。どきどきしますね。「ある特殊な方法で返してくれたどうしよう?」なんて。まあ彼女の場合はたぶん絶対にないんですけどね。もはや。

 「lion heart」って、英語にはそういう普通名詞があるんでしょうか。高校の時からケイゾクして使ってるすっかり茶色いライトハウスには「lion hearted」=「勇猛な」という対照はあるんだけど、いまいちよくわかりません。
 いや。あの。
 スマップの『らいおんハート』は最近よく聞きますが(今日つたやから借りてきたし)、わたしは『イケナイコトカイ』の流れで岡村靖幸の『Lion Heart』もかなり好きです。「猛獣のようなハートであの、とき、激しく抱きしめてたなら…」って歌詞。つまり悲恋ですね。こっちにすんごい卑猥でえっちな歌詞の曲があるかと思ったら、こっちには同じ口から紡ぎ出された全然毛色の違うバラードがある、そういうのが岡村の魅力の一つだと思います。なんせ『イケナイコトカイ』は名曲すぎます。だって朝からずぅ〜〜っと待っちゃうんだもん。いいねえ。ばかだねえ。岡村「だいすき。」

 高校の同窓会案内ハガキが来ました。書いてあったHPに行ってみたら、掲示板がありました。「個人を特定できるような記述は極力避けてください」という但し書きがあって、誰が誰だかよくわかりません。「1」とか「fw08」とか、不思議な記号ばかりです。半信半疑でメール出しました。反応してくれたら誰かわかります。
 でもその割に、冒頭に「【情報求ム!】 このBBSを見てる方で以下の同級生の連絡先をご存知の方、教えていただけませんでしょうか?」とあり、いきなり同じクラス出身の友だち数人の本名が漢字でそのまま書かれていました。必死みたいです。幹事さん本当にありがとう。

 昨日とはうってかわって少し平和な内容にしてみました。

2000年11月28日

 レアルなめすぎてましたね。試合開始直後から本気にならないとトヨタカップで勝てるはずがありません。かなり期待はずれでした。

 あるニュースショウで、女の子を殺してドラム缶に詰めたヴァカどものうちの一人にインタビューした映像が流れました。それを見て、わたしは非常に憂鬱になりました。
 あの番組のスタッフが考えていることはわかるつもりです。あの特集は少年犯罪というモノについて考える糸口の一つを我々視聴者に提供するという崇高な使命感から作られたに違いありません。わたしは、それはよくわかっているつもりです。

 しかし、です。

 情報とか新たなる価値とか、そういうのを発信しようとする側は、自分の行為が自分の思いを超えて受容される危険性を認識していなくてはなりません。なぜなら、時に情報の発信者となる我々は、様々な実例から、発信された情報が発信者の予想外の受容を生む危険性があることをすでによく知っているからです。
 ビートルズは自分たちのロックを世に問うつもりだけで『ヘルター・スケルター』を発表したはずです。わたしもあの曲は大好きです。しかし、あの曲はシャロン・テート事件という徒花としても開花してしまいました。島田裕巳は宗教に於ける精神性を重視し、それを礼讃することのみを目的として、とある宗教団体を絶賛しました。しかし、その絶賛はあの教団の手による犠牲者を量産することに荷担してしまいました。
 情報を発信する側は、想像してもいなかった反応が情報の受取手から起こっても、それを真摯に受け止める気構えがなければ情報を発信してはいけない。
 ビートルズや島田裕巳には、自分の為していることがどのように受容されるのか、解りませんでした。あの曲で殺人事件が起こるなんて。あのレポートであの教団に入る人間がいるなんて。
 ことが起こってから、彼らは自分のあさはかさを思い知ります。そして償いの日々を歩み始めます。

 しかし、28日のあのニュースショウは、これらとまったく違います。

 思い上がったキャスターは特集の意義を滔々と語り、自分たちの想定した以外の受容法を馬鹿にし、切り捨てました。被害者をツマにして少年犯罪について少しだけ語り、CMを流しました。免罪符はどこにも見あたりません。
 九州でバスをジャックした「イヒヒヒヒヒ」少年は、とりあえず世に出たかったのです。世に出て、自分の思いを「世界」という無形物に向かって無限に放出したかったのです。
 マスメディアが肥大的に発達している現状は、「とりあえず世の中に私の名を残したい。とりあえず私の思っていることを世の中に言いたい。私の思想を手っ取り早く試したい」と思った人間が短絡的に犯罪に走ることを許しています。
 そしてあの特集はそれを助長しています。

 最大目標のために手段を選ばない人間の目に、心に、今日の特集はどう響くのでしょうか。

 特集では、犯罪者が自分の思いを語っていました。地上派TVという極めて受動的なメディアにおいて、犯罪者が自分の思いを語ってしまいました。つまり、「犯罪者になれば自分の思いを世に向かって垂れ流す機会が与えられる可能性がある。」そういう思考が、新たに生まれる危険があります。それも、その情報を求めていなかった人間がTVをつけているだけで。

 スタッフがそのような危険性を認識しないままであの特集が放映されたのなら、わたしは「あさはかな奴らだな」と言う以外、何も言いません。
 しかしあの特集は、そのような危険を想定し、それを実践するヴァカが世に出ることをも想定し、その上で作られています。でなければ、キャスターは番組があの特集を流した意図を弁明するはずがありません。視聴者を馬鹿にしたあの弁明は、「我々の考えている受け取り方以外の受け取り方を我々は認めない。我々はこの特集がヴァカに与えかねない危険性を重々承知した上で、だが、崇高な使命感に燃えてこの特集を放映したのだ。」という宣言にほかなりません。
 つまり、そこには、「我々が想定した以外の受容を我々は認めない」という押しつけがあります。また、「人間は理性を持っている。良識を持っている。理性や良識の発達した人間以外は見ていないはずだ。我々はそう信じる。そうじゃない人が見ていたとしても、そうじゃない人がそうなるために具体的には何もしていないこの特集を見て、心を入れ替えてくれるはずだ。」という甘えがあります。
 押しつけと甘えしかないから、だから、言い訳にしかならない弁解が必要になるのです。
 換言すれば、自分たちの意図とは違う受け取り方をする人間が出ることを想定しているからこそ、あの弁解は生まれたのです。つまり、あの特集は、そのような受け取り方が出ることを想定しているにも拘わらず、「良識」というあやふやなものに期待をかけているのです。しかしあの特集の出発点は、「少年たちやそれ以外の世代から「理性」や「良識」というものが失われているから、だからこそドラム缶の犯罪その他が起こっているのではないか? この現状を我々はどうしたら良いのか?」というものなのです。

 そもそも自分たちが信じてもいない「良識」に期待したスタッフの怠慢から、あの特集は放映されたのです。

 ……実は、まだいくつか気になる点があります。

 キャスターの話を総合するに、つまり、遺族はあの放送を承諾していません。なのに、番組作成者は、自分たちが信じてもいない「良識」に期待するという体裁を取ることで、自分たちの青臭い正義感を世間に押しつける欺瞞を優先した。だからあの特集は放映されたのです。他の特集においては「遺族の心情を云々」と言っている番組ですが、実は、彼らこそが遺族の心情を全く考慮していないのです。遺族を鞭で打っているのは、加害者とともにあるあの番組なのです。

 また、「彼」の語った内容にも、とてつもない誤解があります。
 「彼」は自分が子どもを持ったことで変わった、と言っていました。慥かに「彼」の最後の発言は、「彼」自身の罪をある程度以上のやり方で真摯に受け止めた上での発言だったと思います。
 しかし、「彼」は、「遺族の方にしてみれば悔やんでも悔やんでも悔やみきれないと思う」という内容の発言をしてしまいました。
 遺族が一体何を悔やむと言うのでしょう? 「悔やむ」のは、自分の行為です。遺族は何か「悔やむ」べきことをしたのでしょうか? していない。
 遺族は、恨むだけです。恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨んでも恨みきれない、それが遺族の気持ちです。「悔やむ」べきものなど何もありません。「悔やむ」べきものを持っているのは、「彼」です。

 「悔やむ」のは、加害者です。遺族ではありません。「彼」は、自分と、自分と立場を180°違えている人間とを無邪気に混同しています。「彼」が携えているのは恐るべき自我同一性です。そのように未熟な自我しか持っていない輩に自我を放出されて、遺族に一体何が残るというのか。加害者が加害の後ですくすく成長して子を為したという事実を知ることで、遺族に一体何が残るというのか。わが子を踏み台にして強く生きている加害者を見て、遺族に一体何が残るというのか。そして、そのようなものを特集で流して、あの番組は遺族に一体何を訴えようと言うのか。

 あのように欺瞞に満ちた番組は久しぶりに見た気がします。特集の内容ではなく、特集そのものに対して、怒りと悲しさを感じています。

2000年11月27日

 ヒューゴ・ネビュラの両賞を受賞した大好きな『エンダーのゲーム』の「姉妹編」が出ていました。財布に相談なしで迷わず買いました。暖かさ的にはちょっとあぶなくなりました。
 『エンダー…』の続編『死者の代弁者』も両賞受賞です。慥かにこの第一作・第二作は随所で泣くことの出来る作品だと思います。でも第三作『ゼノサイド』は、ある箇所で腰が砕けて笑いが止まらなくなる作品だけあって、何も受賞してません。
 だからこの「姉妹編」も喜んで買ってきては見たものの、実は不安でいっぱいです。しかし正しき「SF者」としては読まずにいられない作品です。どうなんでしょうね。どなたか読んでる方いますか?

 学会というのは、いろいろあるんです。前に「和歌」の学会を見ました。所属してる学会で、発表できることもあるし、できないこともあります。今年の管理人は二回発表できたんだから、かなり運が良かったんだと思います。来年はどないな感じになるんでしょう。未知の領域です。鬼もにっこり笑います。

2000年11月26日

 Jリーグ見ました。どっちのファンでもなかったんですが、面白かったです。勿論TVです。
 サンガはやはり厳しかったですね。勝ったところで、勝ち点で並んだところで、得失点差がかなり開いていたからねえ。これで少なくとも一年間、コンサドーレは西京極では見られないか。ショック。

 3週間前くらいに提出期限が切れてるレポートのようなモノを必死に打っています。高校生を相手に「迷信」を授業する、という想定のを選んで書いています。今やっと「迷信」や「信仰」の辞書的な定義を大辞林と広辞苑から写し終わりました。
 その講義を担当されてる先生は「生徒に宗教への関心を持たせる」というのを「宗教」という授業の最終目標に掲げておられるのですけど、わたしは一気に「生徒をカルト的な宗教や団体から守る」を目標にしたいので、迷信を選んだんです。関心を持って変な方に走ってしまったら、そんなん、いっそ授業しない方が良いでしょう。
 で、「科学的な根拠がない俗信が迷信であるのなら、人権というのも迷信です。これに科学的な根拠はありません。また、一部で正当だと思われている全ての宗教も、全部迷信ってことになります。……では、それらと所謂迷信との違いは何でしょう。役に立つ、立たないでしょうか。それとも……。」って感じでやっていこうと漠然と思っていたんだけど、難しいです。

2000年11月25日

 すみません。いろいろあって(って、昨日「書評」を頑張りすぎたせいだけなんですけど)ちょっと疲れたので、今日は眠らせてもらいます。
 どなたさまも、よい夢を。

2000年11月24日

 今日、先輩から「佐伯くんのページ(本名ページの方です:佐伯註)で紹介してる加藤尚武の『脳死・クローン・遺伝子治療』が本屋さんで見っからんのよ。今度貸してくれる?」と言われました。この発言はつまり「佐伯くんのページ見てるよ!」と同義なので、すごく嬉しかったです。
 本名ページの方は、最近すごく頻繁に更新しまくってました。
 なのに、こちらの偽名ページは、日記以外全く更新していないという状況がここしばらく、ええと、……

 うわあ! テキスト類は 8/19 から何んにも更新してなかったんですね!

 これで「アクセスが伸びない」なんて悩んでたわたしは一体なんなんでしょう。

 ……ということで佐伯はいたく反省し、こないだ最新の『私の嫌いな10の言葉』を読了したばかりである、中島義道氏の「本の紹介」を6冊分書いてみました。これは今まで書き溜めていたモノをコピペしたわけではなく、今日一日で一気に書いたんです。だから、かなり内容的におっかしな感じになってるかも知れません。変なところに気付いたら、適宜、たぶん無断で直していきます。
 早ければ良いってもんではないんだけど、でもこんなにいっぱい書けたの久しぶりで、なんか嬉しいです。

2000年11月23日

 ニュースステーションでロボットをやってて、なぜか手塚真が出てきて凡庸なコメントを披露してました。お父さんはきわどいモノを生産し続けたけど、息子は完全無害みたいです。ロボットネタが三日続いています。よっぽど気になってるんでしょうねえ。

 友だちからデータのバックアップを頼まれてCD-Rを焼いたんですが、二回ほど失敗してしまいました。寒いからパソコンも書き込む手がかじかんでるんでしょうか(?)。それとも知らないうちにわたしが何か無茶をさせてしまったのでしょうか。その後、無事に書き込めました。むずかりますね、パソコンって。

 5時頃にテレビ欄を見たら、2時からラグビーがあったみたいでした。ありゃりゃ。そういえば毎年この日にやってたんでした。とにかく本格的なシーズン到来です。絶対やれないだろうけど、見るのは大好き。

 ではでは。

2000年11月22日

 今日はFFFTPの調子がいいようです。昨日の誤作動は一体何が原因だったんだろう。
 友だちに聞いたら、ソニーの二足動歩行ロボットは50センチくらいしかないんだそうですね。ホンダの「P」たちは成人くらいあるから、両者は全然違うみたいです。開発コンセプトの根っこは「鉄腕アトムを作りたい!」という点で一致してますけど、その上にある考え方が多少違うのかも知れません。そういえば、ホンダのはなんとなく真面目そうで、ソニーのはなんとなく陽気そうです。
 あと、彼によると、ホンダの「P」の頭があんなに小さくなったのは、腕とか足とか胴とかに基盤類を分散して収納したからだ、とのことでした。なーるほど。ヒトとはやっぱり違うんですね、似てるけど。
 本名ページが森岡先生の同志の方によって「ヤフー!」の一部に紹介され、アクセス数が一日で40くらい伸びました。滅茶苦茶嬉しいけど、かなりおどおどしてしまいました。ああ、小市民。もっと自信をもって書かなければなりませんね、論文って。

2000年11月21日

 ホンダだけでなくソニーも二足動歩行ロボットを作ってたんですね。知りませんでした。共同開発するわけにはいかないんでしょうか。素人考えだと、あれを合わせたらなんかゴツいものが出来そうに思うのですけど。
 ……でも、競争した方が良いんでしょうか。一つにまとまったとして、ゆくゆく製品化することになった時に競合する他社がなければ独禁法にひっかかるから、それもあってまとまらないのかな。

 大江志乃夫の絶版 『靖国神社』(岩波新書)を、またネットで申し込みました。そしたら、「京都の紅葉はどうですか?」という感じの、私信めいた確認メールが来ました。私信めいて返信しました。なんか、やっぱり長くなってしまった。

2000年11月20日

 『イングリッシュ・ペイシェント』の原作小説 『イギリス人の患者』が、ネットで手に入りそうです。かなり好きな映画なので嬉しいです。
 中島義道の『私の嫌いな10の言葉』を読了しました。中島氏の文章は平易で解りやすく、ユーモアも申し分なく、でも内容はとても硬派で、読めば読むほど自分の中途半端さが際だって来るように感じられて辛い本です。でも好き。
 友だちに聞いて「このサービスは俺のためにもある」と思いプロバイダに確認したら、フレッツINS(1カ月インターネットつなぎ放題4500円)には対応してません、とのことでした。対応する予定も今のところないんだそうです。なんで〜?
 そんなこんなで、夜型生活はまだ続きそうです。

2000年11月19日

 そうか、曙か。しかし琴光喜すごかったみたいっすね。
 今日は例によって楽しい楽しい飲み会に参加してました。友達のお姉さんがすごくかわいくてどきどきしました。うそうそ。いやほんとほんと。
 帰り際、例のごとく前を全然見ていないおばちゃんやおじちゃんに遭遇して例のごとく悪態吐いてたんですが、よく考えれば、よくよく考えるまでもなく、わたし自身が前見えてないですね、人生のこれからの航路。他人のことを全く言えへんというのが、何んか今日はよく解った気がしてます。そっちが見えてない分、自転車をこいでいる時は前がよく見えてるのかもしれません。ならば、見えてない人は見えてる方が避ければ良いと思ってます。
 はい。
 友達とその彼女にも遭遇しました。思わず「こんなのにだまされないでね。だまされるんならいっそ一生だまされてやって」と言ってしまった。酔ってたせいでしょう、もう一言「こいつは完全に一生だまされてるみたいだし」と言い忘れた。ごめんなさい。
 はい。ほんとごめん。

2000年11月18日

 どうも、今日は大阪の方で何かの勉強会があったような気がするのですが、バイトを選択してしまいました。最近学会や論文やレジュメやそれらのHTML化などがあって、CPUもメモリも空き容量も少ない頭を無理にこき使っていたような気が本人はしています。ので、勉強会はしんどくなってしまいました。いかんいかん。
 そう言えばHTMLの手直しをしなくてはならなかったんだ。忘れてた。
 朝に洗濯物を屋上に上がって干してからバイトに行ったら、帰ってくる途中で弱い雨に二度ほど打たれてしまいました。被害はあまりなかったと仮定し、気にせず取り込んで畳み、収納しました。うん、夜風に当てられて冷たーくなってたけど濡れてるようには感じなかったので多分大丈夫でしょう。もし濡れてたとしてもタンスの中でじわっと乾いてくれることを願っています。
 うん。
 もうすっかり冬になってきたなあ。あとは雪かな。
 雪のない冬ってコーヒー豆をセットせずにいれたコーヒーみたいで、冬じゃない気がしてしまいます。実家の暖かな部屋の窓から外を見て雪があるとすごく落ち着きます。京都の冬は大体寒いだけなので、ちょっと苦手です。
 ま、そんなことも言ってられんな。
 がんばろ。

2000年11月17日

 そう言えば今日はアパートから一歩も出てません。良いんだろうかこんな生活。なんとなく不健康な気がするからコンビニでも行って来ようかな。
 うう。短いぞ。

2000年11月16日

 ネットで買った『僕とフリオと校庭で』というマンガが今日届きました。短編がいっぱい詰まってなんか濃いぃ感じです。「紫式部」というところで探しました。ココです。ヤフーかダヴィンチか、どっちかに掲載されてました。古本検索 & 購入ができます。
 あんまり会う機会のない友達と話してて、お互いにU2が好きだということが判明し、妙に意気投合しました。昔「ボキャ天」で木村拓也が「たわしいの叫び」ってボキャってたよ、と言うと、彼は「うわあ、キムタク俺の中で好感度アップや」と言い、「キムタクがU2好きだから『眠れる森』の挿入歌に『With or without you』が使われたのかなあ」と言うと、「うわあ、ますますアップや」と言っていました。いや、後者は正確にはどうなのかわからないんだけど。ま良いか。
 そういうのってなんかありますよね。自分の好きなモノを好きな人と急速に距離が縮まるように感じるのって。
 小学校の時、1年から5年までずっとすんごい仲の悪かったやつがいて、6年の時に何かのはずみでこっちも向こうも『マクロス』大好きだと言うことがわかって、そこから急速に親しくなった奴がいます。なんか、性格似すぎてたからお互いに毛嫌いしてたみたいなんです。
 そいつのことが心底嫌いで、だから『マクロス』まで大嫌いになる、なんてことにならんでホント良かったと思います。そいつとは今も親しいです。

2000年11月15日

 佐伯はすっかり大人しくなっています。一部燃え尽きて真っ白です。髪の一部。
 友達と話してて、士郎正宗と押井守をしばらく勘違いしたままでしゃべってしまいました。一方はまったく世間に顔をさらしてないんだそうです。ふーん。
 ああ。なんかやる気になってこないな。
 そうそう。やっと『善悪の彼岸へ』を買えました。一緒に中島義道の『私の嫌いな10の言葉』も買ってきました。もう6刷。すごいな。
 はい。
 今日はそのような感じでございます。

2000年11月14日

 学会発表が終了しました。夏前からこれに結構気をつかっていたので、感慨もひとしおです、多分。妙に淋しくなっています。いや、これは風邪が原因なのかな。
 ヘコみ過ぎて泣きながら眠る、という目にはあわずに済んでいます、今のところ。でも発表も、なんか論文や習作と似てますね。事前に一生懸命やってるときは「おれってスゲーやん?」とか「おれってやっぱすんげーアホやん?」とかコモゴモに思いながらやって、最後の方は前者の割合が高くなって、で、終わってしばらくすると後者ばかりになっていく。
 まあ、スゲーのもアホなのもどっちも事実だ。そう思っておこう。
 おれはアホだ、と思い続けている方が、進歩も発展も多いような気がします。でも、あんまりやると卑屈になってしまいそうですから注意が必要です。
 わたしはすごくすごく緊張しながら発表したため(直前に後輩とベンチでコーヒー飲んでて財布を落としたことで自覚しました)、自分が何を言っているのか、どんな顔をしているのか、どんな声で話しているのか、全然わかりませんでした。舞い上がっていたようです。まあ、「やめろ!」とかの野次は来なかったので、そんなに酷い発表ではなかったんじゃないでしょうか。そんなに褒められた発表でなかったことも確実でしょうけど。
 わたしの直後に発表した先輩は、とってもリラックスしながら発表されて、質問も軽くあしらうような感じでした。わたしと良い対比になったんじゃなかろうか。ただちょっと態度デカすぎかなと思った。
 昼からは記念講演でした。講演してくださった先生は、残念ながら脳みそがすっかり腐っていました。まあ、よくあることだと思います。わたしも他人のことは言えません。

 「さあ、学会も終わったし、こないだ見た RX-78-2 を買ってこようかな」と思ってスーパに行って見たら、なんだ、わたしの持ってるやつとは足ぐらいしか違いませんでした。ちょっとげんなりして喫茶店に行き、馳氏の『雪月夜』をちょっと読んで根室の吹雪に震えながらコーヒー飲んで帰ってきました。色彩のない風景って寒いです。

 実家から革コートが届きました。こちらからは替わりに夏服とハリーポッターを送ります。
 もうすっかり冬ですねえ。皆様お変わりなきように。

2000年11月13日

 パブロンのおかげで風邪は小康状態が続いています。どかんと破裂しないことを希望してますけど、どうなりますやら。
 レジュメできたできた。結論も捏造しました。友達に結論を言うと苦笑いされたので、また捏造しました。二度目のは内容的に良かったのかそれともわたしに何かを期待するのを諦めてしまったのか、「……なんにせよ、自信を持って言うことだと思うよ。まあ○○先輩みたくあんまり自信たっぷりに言うのも角が立って大変だけど、でもある程度は堂々として言った方が良いと思うよ。」という、すごく親身に考えてくれたアドバイスをもらいました。
 なんとか頑張ろうと思っております。その顛末は、ヘコみすぎて泣きながら眠ったりしてなければ、明日の日記に多少は書く予定です。
 んではでは。

2000年11月12日

 まだ風邪です。馬鹿も風邪をひきます。世の中わたしの思い通りにはいきません。ゥウッン。
 ま、そのうち治るでしょう。できれば早めが良いな。

 デスクトップは、増設が容易だしディスプレイも見やすくて良いんですけど、布団に入りながら打つってことがどう足掻いても不可能なので、そのへんしんどいです。今は寒気がしたら布団入らないとならないんだけど、そうすると打てません。んー。

 何かをしているときは「何かをしている」になりきるのだ、それが「空」(クウ)につながっているのだ、的に西谷啓治が言ってるけど、わたしは「ながら」が大好きです。風邪をひいているときでも「風邪をひいている」にはなりきらずにレジュメをちゃくちゃくと打ちたいし、自転車をこいでいるときでも「自転車をこいでいる」にはなりきらずに風景を見たり向こうから来る危なっかしいおばちゃんに対処したりしたいし、二丁拳銃で撃っているときでも(比喩ですよ)「二丁拳銃で撃っている」にはなりきらずにその向こうに何があるのかを考えたり向こうに人間がいるのならその人間の背景について考えたりしたい、と、思ってます。
 西谷的な「なりきることが空につながっている」という考え方は、風呂に入ったり、思考したり、コーヒーを飲んだり、……そういうふうに一人で過ごしている時にはとても良い感じだと思います。ヨーガは「ヨーガをしている」になりきらないとうまくいかないだろうと思うし。
 でも、相手がいる場面で自分だけの「空」を求めることにわたしは賛成できません。だって、アジア太平洋戦争のときにはそういう考え方を無闇に延長して、「三八歩兵銃を撃っているときは三八歩兵銃を撃っているになりきるのだ」的なことを言ってしまったわけでしょう。「撃つ」になりきることでその歩兵は「空」に近付いているのかもしれないけれど、それを考えるばかりで銃口を向けられている相手がいることを考えないでいて、本当に良いのか? 相撲とはわけが違うんだぞ?
 自分は自分一人だけでこの世に存在しているわけではない、ということを仏教では言っているし、別に仏教に言われるまでもなく、これはすごく単純な事実だと思う。だから、自分だけの「空」を求めて、それで事足れりと考えるような考え方には、わたしは賛成できません。
 京都学派には斯くも明確な限界があると思う。
 ということで、わたしには、西谷的な「空」は今のところいりません。もっと別の「何か」を求めたいと思ってます。

 ……とは言っても風邪は風邪に集中した方が治り早そうですね。でもそうもいかない。
 困ってます。
 また寒気してきたし、とりあえず、ヨコになって考えようか。

2000年11月11日

 なんか風邪っぽいです。だから今日は久しぶりに風呂にゆっくり浸かって眠ろうと思ってます。いま風邪が深刻になるとレジュメが完成しないままで学会当日になってしまう、という、考えるだけで全身に悪寒が走る状態になってしまいますので。最近ちょっと生活のリズムが不規則になっていたので、それもあるのかなあ。やっぱ朝起きて夜眠る生活を維持した方がいいみたいです、もう若くないし。
 まあゆっくり暖まってゆっくり眠ればすぐまた元気になるでしょう、まだ若いから。
 京都サンガ、やばそうです。そんなに熱烈な愛着はないんですけど、コンサドーレがJ1に上がるでしょ、来シーズンから永遠に(願望)。それがすぐそばで見られると思ってすごい楽しみにしているのに、ちょっと遠くまで行かないと見られないってことになるんでしょうか。そうはなって欲しくないんだがなあ。どうだろう、京都サンガ。そんな感じですごく不純な動機なんだけど、わたしも応援しています。
 もうすっかり冬ですねえ。寒いです、毎日。北海道では天然雪のスキー場がオープンしたんだそうです。今日TVに映ったスキー場は、雪が降っていると言うより吹雪いてるみたいに見えました。そんな感じで北海道の人は冬を全身に感じている状態だろうに、親はわたしに革コートをまだ送ってくれていませんでした。京都もかなり寒いのになあ。北海道だけが冬ってわけじゃないって。
 ではでは。

2000年11月10日

 プリンタを酷使する状況になったので、いつ切れても嘆かないで済むようにインクを買ってきました。黒も色も両方。スキャナと同じくらいの値段になってしまいました。まあ背に腹はかえられません。エプソンのインクはいっぱいあるのにHPのは少ないような気がします、電気屋さん。あの店だけ少ないんだろうか。

 中谷美紀『フロンティア』のシングルを買ってきました。アルバム『私生活』に入ってるのとは微妙に違うバージョンでした。でも本当に微妙にしか違わない。英語版の『all this time』もやはり違うバージョンでした。『クロニック・ラヴ』もシングルとアルバムとで違うし、サカモトさんって微妙に変えるの好きですよね。『forbidden colours』も変わっているし。『クロニック・ラヴ』はそもそも『バレエ・メカニック』の別バージョンと言えると思うし。この勢いで『オネアミスの翼』の新バージョンなんてのは出ないんだろうか。出ないんだろうな。

 首相変わるんですか? アメリカの政権交代の真似でしょうか。なんで今更変えようとするのかちょっと解らない。フジでは「国民不在」って言ってます。うん、いままでもそうだったし、今もそうだし、きっとこれからもしばらく以上はこの調子でしょう。誰がどうやれば今のこの変な状況(政治って格好わるい、関わり合いになりたくない、っていうイメージが多数派になってしまっている状況)って変わっていくんでしょうね。今のわたしにはちょっと見当がつかないな。

2000年11月9日

 昨日はさぼってしまいました。すみません。
 田中麗奈だ〜。
 アメリカの大統領まだ決まんないんですね。どっちかなあ。(実はよくわかっていない)
 今日も実質さぼります。すみません。

2000年11月7日

 こんちは。
 京都はすごく暖かくて亜流の夏みたいでした。でもすぐ寒くなってくるし、革のコートを送ってもらうように実家に電話しました。近所のスーパではソフトクリームをなめなめ歩いてるおじさんおばさんを見ました。多分夫婦なんでしょうけど、なんかデートみたいにも見えました。
 アパートの下においしいお蕎麦やさんがあります(ちょっと高めなのであまり行きませんけど)。 いま魚を焼いてるすごくおいしそうな匂いが漂ってきてます。今日はわたしも塩鮭の切り身を買ってきました。米をといだ上に切り身をのせて炊き、ほぐし、サケごはんです。イクラがあれば親子丼。ココにそんな豪勢なモノはありません。いもは送ってきてもさすがに新巻鮭一本を送ってきたりはしないですね、うち。
 はい。

2000年11月6日

 京都の北の山の上の(“の”4連発)方にある精華大学に、 森岡正博氏 の講演会(対談)を聞きに行きました。地図を見て思ったのと同じくらい遠かったです。国際会館前からは小さめのスクールバスに乗って行きました。大学は結構高いところにありました。「ダライラマもこの坂道を上ったんだろうなあ。輿だったのかなあ、やっぱりタクだったのかな」なんてどうでも良いことをふっと考えてしまいました。とっても綺麗なキャンパスで、建物の多くはコンクリートの打ちっ放しという外壁だったのですけど、妙に暖かい感じがしました。

 コンピュータに翻訳をさせたりヒト語を喋らせたりしようという研究をやってる方との対談で、非常に興味深い内容でした。「理系」と「文系」の「棲み分け」という状態は現実世界に厳然として存在していますけど、そういう状況に一石を投じる内容でした。壇上の対談者も、観客も、精華大の掲げるテーマ「知の工房」を体感できた1時間半でした。
 しかし、ガダマーに関する入門書を一冊読んではいたものの、哲学術語の「地平」というのが今日ほど理解できたことはありません。わたしエラそなことばっかり言ってますけど、やはりかなり不勉強なようです。再認識させられました。

 サインもらって来ちゃいました。「木村佳乃のカレンダが云々」とたびたび書いていることからお察しの方もいらっしゃると思いますが、わたしはミーハです。みぃちゃんはぁちゃん。すんごいです。嬉々としてもらっちゃいました。そういうことをしてるのはわたしくらいでした。
 本名ページの方は森岡先生のところと実は相互リンクになっていたりするのですけど、「そういえば「初めまして」ですね」と言われて初めて「そ、そうですね。お世話になってます」という挨拶を返してしまうほど、お子さまな佐伯でした。

 ではです。

2000年11月5日

 連休も終わって、もうすぐ学会です。さて。さてさて。

 大学ラグビーがもう始まってるはずなんですが、関西圏では東京の試合がほとんど見られません。京都に来て参ったのがこれです。秩父宮にも国立にも電車に乗って気軽にフンフン行くことができないし、TV中継は関西の大学ラグビーが中心だし。
 そのかわりと言ってはなんだけど、アメフトの中継が東京より多い気がします。でもわたしアメフトよく解らないので、通ったり走ったりすると「わっ」っと思うんですが、あまり熱中できません。なかなか切れない流れの中でいろんなことが起こってタテやヨコに展開していく動きの方が断然好きです。やはり、えび茶色のジャージがどろどろになって勝つシーンが見たい。

 アームレストの新しいのを買ってきました。ジェルの山が二つになっててとても良さそうです、が、肘を広げて構える傾向のあるわたしには、ちょっと小さいかも知れません。ラクはラク。ケチらないでもっとでかいのを買って来ればよかったかもしれない。

 宮内勝典の「善悪の彼岸へ」という本を知り合いのお坊さんに紹介されて、どんな本なのか解らなくてネットで検索かけたら、ちょっと前に生協で平積みになってるのを見かけた本でした。結構大きな本屋さんの「宗教」という棚で探しましたがありませんでした。
 棚には宗教や疑似宗教の本がいっぱい並んでいました。先頃映画化された、分厚くて内容の薄い本もやはりありました。彼の本は一冊だけ読めば二度と手に取る気にもならないシロモノです。新新宗教の研究はかくも難儀です。

 RX-78-2 の1/100 MG の、わたしの持ってるやつより数倍格好良いのを目撃しました。「PG をそのまま小さくした感じ」と兄が言ってましたが、まさにそういう感じです。危ない危ない。

2000年11月4日

 文化の日も終わりました。今日は文化的ではありません。昨日作ったシチュを暖めていたら油断して思いっきり焦がしてしまいました。文化的ならカセットコンロの使い方くらいマスタしてるはずやねん。うん。
 ホワイトソースが焦げ茶色ソースになってしまったけど、変わらず美味しいです。ちょっと見た目はよろしくなくなりましたが。

 破防法適用寸前まで行き、ちょっと前に改名したあの教団が昔使っていた(?今も使ってるのかな?)修行用教本のページを教えてもらいました。ここ。 まだじっくりは見てませんけど、かなりな大部です。
 こんなにたくさんの文章を一生懸命に読んで、そしてみっちり修行して、それでもって本当に神秘体験が出来たら、信じ切って暴走してしまうんでしょうか。わたしは神秘体験というのをしたことがないので何とも言えないんですが、でも神秘体験というのはヨガを真面目にやればほとんど誰にでも体験可能なもののようですし(中沢新一だってしてるし、あの人もこの人もしてるし)、科学という生半可な世界観からもカッチリと説明されきってしまってます(脳のある部分と酸素量の関係なんかだったと思う)
 実存的な自分の経験を何よりも大事にしたがるのは人間に共通の傾向だと思うけど、重要なのは、他人もそういう価値観を携えて生きているということを知る必要がある、ということだと思う。自分の神秘体験を最重要視するあまり他人の経験や世界観を無視したり、自分の世界観を他人に無批判に延長したり垂れ流したりするのは、あまりよくないんじゃないかなあ。神秘体験の一つや二つで人間の「器」みたいなものが突然大きくなるわけでもないんだし。
 でも宗教のもつ「伝道」という要素は、元をたどれば自分の価値観を他人に押しつけようとするところから始まっている。全ての宗教は他人への押しつけという要素を持っている。
 その時点で何が問題になるのかを考えてみると、「押しつけようとした時に相手が嫌がったら一度は退いてみよう」、あるいは、「自分の持ってる価値観は本当に普遍的なのかもう一度考えてみよう」ということなんだろうか。つまり、思考放棄をしないこと、思考放棄をしているのならそれを自覚し、絶えずそれを問い続けること、なんだろうか。
 とは言っても、そこまで冷静になれる人やそこまで思考できる人、そこまで自分を相対化してしまえる人は思考放棄なんてしないし、思考放棄を他人に押しつけることもないんだろうな。

 ありゃ。
 本文中のリンク、IEだとカーソルを持っていくと消えてしまうんですね。いま気付きました。

2000年11月3日

 文化の日ですね。
 今日は文化的に、クリームシチュを作りました。シチュ。休日で、本屋も、食料品売り場も、喫茶店も、自転車置き場も尋常じゃないくらい混んでるスーパマーケットでニンジンとタマネギ、肉を買ってきて、鍋を洗った時点でマギーブイヨンが切れていたことに気づき、コンビニに行きましたが、なくて、激混みの大きいスーパマーケットに行く気にはなれず、小さいスーパマーケットに行って買って来ました。
 おいしいよ。うん。わたしにはおいしい、と言うべきかもしれませんが。
 いもが良いからねえ。なんたって十勝産だからねえ。

 馳星周のトップランナ出演は昨日だったんですねぇ………………。
 すごいショックです。泣きそうです。

 本の紹介を書いたんですけど、『大川隆法の霊言』と『いまどきの神サマ』なので、本名ページの方にアップしました。あんまり、書いても書かなくても良いような内容になってしまいました。こりゃ不発です。

 『宇宙旅行へようこそ』ってのを教育テレビでやってます。面白いです。ヒルトンが月にホテル作る計画を持ってるなんて知らなかった。きっと高いんだろうなあ。似而非SFの『スター・ゲイト』より、この番組の方がわたしには数万倍面白いです。
 そういえば、月の裏側でTMA(ティコ・マグネティック・アノマリィ。モノリスとも。アーサーCクラークの言葉です)が発見されるのも来年に迫って来ています。うん。本当に発見されると思ってるわけではないけど、でも妙に楽しみです。

2000年11月2日

 おいもさんは美味しいです。ここんとこの主食はいもです。じゃがいもの中にあるビタミンCは、生でも煮ても焼いても炒めても揚げても、何をしても変わらないんだそうです。今日は塩煮にして、上に溶ろけるチーズをのせてみました。トルティーヤっぽいっちゃあぽいけど、つかみどころのない味になりました。

 バックナンバへのリンク多少変えてみました。スッキリしたと思いません?
 ここ最近、カタカナで書く言葉の語尾にある「ー」を書かないように書かないように努力しています。森博嗣の影響が大です。でもそうするとツインビーはツインビ、ファイナルファンタジーはファイナルファンタジ、ロバート・ソウヤーはロバート・ソウヤ、ガダマーはガダマ、アンジーはアンジ、ってことになっていくのか。……「ドナー」って書きまくってるなあ。あれはどないしよう。

 Opa のCMって、なんかちょっとエッチに見えません? わたしだけ?
 Ford のCMって、ここんとこずっと “Every Breath You Take” ですね。次のバージョンはラストの優しげなささやきなのかな。

 過去の日記を見ると、わたしってやっぱ短気ですね。改めて自覚。

2000年11月1日

 そうかぁ。Macだとうまく見らんないのかあ (掲示板 参照)。
 Macはあんまりいじったことないし、実家のマックは父親のおもちゃだし、ネットに繋がってないし、いつ起動させても眠そうにしてるし(あの目がね)、ちょっと解んないです。すみません。トップページの推奨言は、そしたらちょっと意味ないのかなあ。

 明日から学園祭です。どこかのゼミではそれに合わせてゼミ合宿するんだそうです。おお。学部の時はこれに合わせて帰省する人が結構いました。今年のわたしはおおむね部屋で大人しくして、レジュメをちくちく書いて、仕上げていこうと思っています。
 ……思っています。

 瀬名秀明の新作が生協に置いてありました。馳氏の『雪月夜』も読み切ってないのに買っちゃいました。これはどうなんでしょうか。表紙カバーはなんか『ドラえもん』っぽくてステキです。


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