Just a Little Bit of
2005年10月の日記

2005年10月31日(月) 10月31日(月)22:10 +0900

■ 報恩講ご満座。

 お晨朝は7:00からなのでいつもは6:50くらいに目覚ましで起きる(それで起きられなかったら起こされてから起きる)んですが、今日は6:30頃に起こされました。体中鈍〜く痛いのを確認しながらうーん準備があるもんなあと思ってカーテンを開けたら、もうご門徒さんの車が何台も何台も停まってました。大変だ大変だ。
 ‥‥
 で、準備からいろいろ薄いことや濃いぃことがあったのも今では反省材料 兼 よい想い出です。昨日の夜に暗闇で椅子を蹴飛ばして、丁寧なことに両足の脛に内出血が出来たのがいちばんの想い出というか、長く残る反省材料かもしれないなあ。暗いところであんまり闇雲に歩いてはいけませんです。徐行すべきです。

 そうそう。久しぶりに【bk1】で本買ったのが届きました。こないだ一冊、昨日三冊。大事に読みます。

 今日はゆっくり眠ります。明日は月二回のご法話のご縁です。今日はこれからお風呂入りながらぶつぶつ喋って考えようと思っております。

2005年10月30日(日) 10月31日(月)22:10 +0900

■ 報恩講お逮夜。

 報恩講の行事はお昼過ぎからなんだけど、お手伝いの班が当たっているご門徒さんは朝の早い時間からみえていろいろされていました。それを手伝ったり御伝鈔の直前練習をしたりしてるうちに、30分くらいでも眠ろうと思っていた予定が当然のようにつぶれていきました。やることがあって走り回れるというのはきっとある意味とても良いことです、うん。しかし非常に疲れたなあ。

 ご法話のご講師は藤田徹文先生です。大学で父と同期だったんだそうです。うーん、そうなのか‥‥。わたし中学生の頃に先生が帯広でなさった講演会を二回聞いたことがあります。ありますが、「聞いたことがある」という記憶があるのみで一体どんな話を聞いたのか内容はほとんど覚えてません。なんともったいない。ただすごく面白かったこと、興味深かったこと、中学生なりに衝撃のようなものを受けたことは辛うじて覚えています。今回も興味深かったです。でも衝撃はなかったような気がします。なぜなかったのかを自分なりに考えてみると、たぶん、先生が昔おっしゃったことで当時わたしも聞かせていただいたことが、先生がその後いろいろなところでおっしゃっているうちにきっと真宗内でのスタンダードになっていって、先生以外の多くの人もだんだんそのように言うようになっていって、その結果、衝撃を受けたのと同じ内容をいろいろな機会に聞くようになる。それで、わたしがだんだんその内容に慣れて衝撃が徐々に薄れたのではないか? と思っております。多分そうなんだろうな。‥‥でも聞いた内容を覚えてないから何とも言えません。

 『御伝鈔』(ごでんしょう)の拝読は、今年からせっかく『御絵伝』(ごえでん)をかけることが出来るようになったので、最初その説明をさせていただきました。いわく、昔は『親鸞聖人伝絵』(しんらんしょうにんでんね。方言の「〜ねんで?」とは違います、念のためでんがな)という絵巻物で絵と字が両方あった。それを絵だけ、字だけに分けて『御絵伝』と『御伝鈔』にした。絵巻だと一回にせいぜい5、6人でしか味わえないけど、『御絵伝』の軸をかけておいて脇で誰かが『御伝鈔』を朗読すれば、ものすごく大勢で味わうことが出来ます。だから、こうやって御絵伝を掛けておいて『御伝鈔』を読むんです、それではこれからその『御伝鈔』を読みます。聞いて下さい。「本願寺の聖人、親鸞伝絵の〜、上。‥‥(後略)」

 上下巻を全部読むとちょっと大変なので(はい軟弱です)上巻の1・2・8段、下巻の2・6・7段だけ読みました。途中でのどがいがいが言ったり変な汗が出てきたりいろいろありながら一応読み終えることができました。きっと心配してくれていたんだと思います、ご門徒さんも一生懸命聞いてくれて、非常にありがたかったです。わたしの今の読み方ではせっかく掛かっている『御絵伝』を見ながら聞いても情景が全然浮かんでこないので、もうちょっと何とかしたいと思いました。思いました。思いました。

 今日の日程が全部終わってから、お仕事を持ってこられていて忙しくされてる先生のお仕事の合間を縫って、先生と父とわたしと三人でお酒を飲むことも出来ました。なんという。

 今日は頑張った頑張った。家族総出で頑張った。ベッド入ったらきゅっと眠れました。うまく表現できませんが音を立ててキュッと眠れたというか何と言うか、ベッドに入ってから寝入るまでものすごく早かった気がします。

2005年10月29日(土) 10月31日(月)22:10 +0900

■ 父の誕生日。

 報恩講の準備のためにご門徒さんがたくさん来られていろいろなさっているのを手伝ったり御伝鈔の練習をしたりしてるうちに暮れていきました。手伝ってくださっているご門徒さんと一緒に父の誕生パーティをしようか? という話を母がしていたのだけど、ケーキを買いに行くような時間も体力もなくて、恐らく今年もまた父の誕生日はほぼ何事もなく済んでしまったのでした。家族だっけになってから美味しいお酒は飲めましたけども。大きな行事の前後に誕生日が来るというのはいろいろ大変みたいです。

2005年10月28日(金) 10月31日(月)22:10 +0900

■ 報恩講前日の前日。

 勉強のようなことや、報恩講の準備や、御伝鈔を拝読する練習などをしているうちに暮れていきました。寝不足がものすごい。

2005年10月27日(木) 10月28日(金)1:30 +0900

■ 御絵伝。

 研修会が終わって家に帰ってきたら、京都の本山から『御絵伝』(ごえでん)が届いてました。木の枠でものすごく厳重に囲われていて、開けるのに非常に苦労しました。御絵伝というのは親鸞さんの生涯をまとめたタテ方向の絵の軸で、一般的には四幅の軸になっています(本願寺には6幅か8幅のがあると聞きました)。印刷ものもありますがせっかくなのでうちでは発注してから1年くらいかけて本当に絵で描いてもらうのを頼んだんだそうです。

 御絵伝の内容は、親鸞さんが生まれて得度され、比叡山で学ばれて、法然上人に出遇い、阿弥陀さまに値い、「信行両座」という少し眉唾っぽい逸話もあったりしながらやがて法然上人の集団が弾圧される折りに親鸞さんも別のところに遠流され、その後はおもに関東で布教し、『教行信証』の執筆が始まり、京都に戻ってからも布教したり本を書いたりされ続け、やがて亡くなり、荼毘に付され、残った人たちで木像を作って東山の方に安置したところから本願寺が始まったんです、‥‥という感じのことが絵になってます。もともとは絵と字からなる一つの絵巻物だったのを『御絵伝』と『御伝鈔』として字だけと絵だけとに分けて今に至ります。‥‥ちょっとわかりにくい説明でした。眠いので‥‥。

 今日はその御絵伝が届いたので、木箱をバリや金槌などでガンガン開けて、桐のすんごい良いハコに入ってるのを取りだし、本堂内陣のしかるべきところにかけました。余間左側の七高僧を右側の聖徳太子のヨコにもってって空いたスペースに4幅ともかけるのが本当の作法なんだけど、そこに四つかけるのは無理だったので、そこには二つ、残りは隣の壁にかけました。かけたり移動させたりバランスをみたりいろいろして、大体良い感じになりました。これは報恩講のときだけかけて、あとの季節はずっとしまっておくものです。大事に大事にいたします。

 ‥‥という報恩講ももうすぐ始まります。しっかり手伝います。

 しばらく見てなかったうちに、重重掲示板の方にマルチポストな詐欺書き込みが二件もありました。教えてくれてありがとうです。なるべく早いうちに消しておきます。

2005年10月26日(水) 10月28日(金)1:30 +0900

■ 研修会。

 十勝川温泉で僧侶研修会がありました。大阪の行信教校から天岸浄圓先生が来られて26・27両日で3時間講義、1時間質疑応答です。講義のタイトルは「信心の社会性が問われる理由」で、内容はとてもわかりやすかったです。ただ自分がそのまま実践できるかどうかはとても難しい感じがしました。もちろんやっていくしかあるまい。

 研修の後は懇親会でした。おいしかったです。どこかでTVを見ていたら、ロッテが阪神に勝って日本一になってしまってました。もう少し長引いた方が経済効果的には良かったんではなかろうか。ま、いいか。大学の後輩で熱烈なロッテファンがいました。きっと大喜びしてるんだろうなあ。おめでとうです。

2005年10月25日(火) 10月26日(水)10:30 +0900

■ 風が強い。

 車が出払っていたので自転車でお参りに行きました。車庫を開け、停めてあった自転車に乗ろうとしたら、とてもじゃない、一夏分のホコリがこびりついていて乗れたもんじゃありません。なので家から雑巾を持って来て20分くらいかけて綺麗に拭いて、それから出かけました。

 うちからそこのお宅まではほんの300mか500mです。民家3軒・牛舎2軒、他は延々と畑を越えて行きます。その間、ずっと強い向かい風が吹きました。旭川や紋別の方では初雪が降ったそうですが、こちらは空っ風がびゅーびゅーです。秋なので畑も刈り取りがどんどん進んで遮るものも遠くの防風林くらいしかありません。北風ダイレクト。気温はそんなに、冷え込みが厳しいという感じではありません。日中は太陽も少し照りました。でも帰りは手袋が要りました。昨日のワックスかけとともに、とても体が鍛えられた二日間だった、気がします。

 晩ご飯は40コ1200円のすごく美味しい餃子をいただきました。

2005年10月24日(月) 10月25日(火)0:35 +0900

■ ワックスかけ。

 二階の部屋にワックスをかけました。複数の部屋にあるいろいろなモノを今日はワックスかけをしない一室に集め、他の部屋の床をまず何か特殊な洗剤で磨いて、乾かして、それからワックスを塗る。9月には一階の部屋をやりました。そのときは和室があったからソコに全部集めました。二階には和室がないので中途半端なことになります。

 ‥‥ということでへとへとです。

 それにともなって部屋が模様替えされました。と言ってもモノがあんまりないし、単にベッドが頭の方へ40センチくらいずれただけです。クローゼットとか別の部屋とかに移動しているからこの部屋の中にモノがあんまりない。これは非常に落ち着かないです。こちゃこちゃこちゃっといろんなものが詰まっていて一部屋あればすべて事足りるっていう、そういう状態がわたしは非常に好きです。

 こないだ書いた書評の載った「りゅうこく」が届きました。‥‥どこかの新聞か何かに載ると思われた方があったようですが、わたしなのですからそれはありません。書き方が紛らわしくてすみませんでした。『りゅうこく』はいま手元に3部ありますので、欲しい方がいらっしゃいましたらご連絡ください。先着順に1部ずつあげます。詳細はメールで、件名は「りゅうこくほしい」くらいでどうぞです。一部は投稿したのでbk1にもあります。古い方から順番に【こちら】です。「みる・みられる、よい書評」くらいな感じがします。これでは全然ダメです。だめであるということはわかっていつつわたしなりに努力は一応しています。努力を重ね、自己満足のマスターベーションな書評はなるべく書かないようにしたいものです(手遅れとも言う)。でも、自分で読んだ感じでは良い書評は良いと思います、ほとんどあんまりありませんけど。

 こっちはどんどん寒くなってきています。うちでもみんながあつまる部屋はストーブ焚きまくり。今日は殊に冷えます。初雪が降るかも知れないんだそうです。東京や京都で暮らしていたため北海道で報恩講や冬を迎えるのは15年ぶりです。寒いけど非常に楽しみです。

 では、またです。

2005年10月23日(日) 10月24日(月)0:10 +0900

■ 買い物。

 姉夫婦が新しいノートパソコンを買うのに付き合いました。彼らはわたしがパソコンに詳しいと思っているようですがそれはあんまり事実ではないと思います。それは店に向かう車の中で「前のパソコンがこんなこんなで電源がすぐ落ちるようになって、そこからどんどん悪くなった。どうなったかわかる?」と聞かれて「???」という反応を返したのでわかってもらえたと思います。役に立たずに申し訳なかった。でも一緒に行ったおかげで「新橋」で豚丼を食べさせてもらえたり、帰りにはユトリベルグに寄ってもらえたりしたので、わたしとしてはとても良かったです。新しいキィボードカバも買えたし。

 ‥‥残念なことにユトリベルグのものすごいアップルパイは売り切れてました。お店の人によるとお昼頃までに行けばまだあるかもしれません、とのことでした。うーん、と思いながら選んだ他のケーキもしかしすごく美味しかったです。にゃーごさんも掲示板でおっしゃっておられますが、帯広・十勝はお菓子が全般的に非常においしいと思います。有名どころでは六花亭【★】のバターサンド、柳月【★】の三方六、クランベリー(旧「アンデルセン」)のスイートポテト【★】

 小豆、牛乳、バタ、小麦、砂糖などなど素材も材料もほとんど十勝でとれるいわば「地物」を使ってることもあるんだと思います。しかも圧倒的に安価だと思う。

 じゅる。

2005年10月22日(土) 10月23日(日)1:00 +0900

■ もろもろ。

 朝、お寺の方の玄関に行ったら猫の毛がもわもわっといっぱい落ちてました。かきむしったような落ち方。きっとけんかでもしたんだろうか。夏にブラシしてもブラシしても全然毛が取れない方の猫の毛っぽかったのでちょっと心配になりました。もう一匹の方の猫はにゃぁにゃぁ鳴いてとても元気ですが‥‥。とりあえず玄関は掃いておく。土や砂もいっぱいあったのでちょうどよかったです。

 東京にいたときからずっと使っている、しかし年に何回か(あるいは何年かに一回か?)干したり叩いたり掃除機で吸ったりするだけで一度も洗ったことのない丹前毛布を、姉の家にある大きな洗濯機で洗ってもらいました。これで今年の冬は例年になく安心です。そうそう、ウォームビズは単に「厚着」と言っちゃあやっぱりいけないんでしょうか。

 図書館から借りてきた本の一部分をスキャンしました。スキャン後、OCRソフトでテキスト化して保存しました。もとの画像も残してあるのでおいおい誤字チェックをします。これでいつでも返却できます。大学院では一カ月借りられたけど町の図書館は2週間。なんか懐かしい感じです。

 昼は軟白ねぎと万能ねぎをいっぱい入れたチャーハンを調理しました。うまかったです。チャーハンの素を使おうかと思ったけどごはんの量が少なかったので塩と濃縮めんつゆで味付けしました。ソーセージを細かく切って入れたのの味も出たんでしょう、そこそこ美味しかったです。

 夜はとんかつでした。揚げたてはうまい。キャベツをもっといっぱい食べたかった。

 では〜。

2005年10月21日(金) 10月21日(金)23:45 +0900

■ 図書館。

 靖国問題のうち、特に政教分離問題の調査というか何というか、資料を探しに図書館に行きました。町立の図書館、わたしが中学生の頃は中学校から400mくらいのところにある「農村環境改善センタ」内にあってとても便利でした。『幻魔大戦』を全巻借りたけど途中でわけがわからなくなって読むのを断念したり、『アドルフに告ぐ』を見つけて図書館にマンガが蔵書されてることにショックを受けたり、ルパンやホームズや怪人二十面相を読むばっかりで、『それから』や『潮騒』や『斜陽』のような純文学的な感動を味わうことをすっかり忘れておりました。ええと何を書こうとしてたんだっけ。

 ‥‥町の図書館に行って、憲法20条や89条関係の判例を探しました。ネットで知り合うことが出来た現役の弁護士さんが有斐閣の『ジュリスト 憲法判例百選』を勧めてくれたのでそれを探したけどなかったので、似たようなのをまず三冊借りました。その後、受付のおねえさんに言って探してもらって、『ジュリスト』の方も別の図書館から借りてもらえることになりました。大学の図書館では一貫して雑誌は借りて帰ることができなかったので、雑誌を持って帰ってこれるってのが新鮮です。とにかくオンラインで各図書館がつながって貸し借りしあえるのってとても便利、とても素晴らしい。

 ちなみに憲法の20条と89条は‥‥
第20条
(1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
(3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第89条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
 という内容です((1)(2)(3)は本当は「まるいち」「まるに」「まるさん」です)。昨夜風呂に浸かりながら靖国関係で思いついたキィワードは「MustWhy don't you 〜 ? の違い」です。うん、いま考えてもなかなかうまい言葉だと思う。思うのだが、いかんせん説明がひどく長くなるのが困る。また、どうして英語になってしまうのか、そのへんの自分の日本語の語彙力の貧弱さを反省しなければなりません、と言っているこの文章自体「の」が三つも続いて居心地悪いです。

 89条の関係で一つ。本願寺ではいま御影堂を修復してます。クニからもお金をもらってやってます。毎年少しずつくれるので毎年少しずつ直してるんだ、という話を聞いたことがある。公金が本願寺の修復に使われているわけですが、これは国家の機関が宗教団体の持っている「文化財」を保護したり修復したりするためのお金を出してくれてるのであって、本願寺の便益若しくは維持のためじゃあない、ということなんだろうなと思います。ありがたいことです。そして、それと玉串料を公費から出すこととはまったく違う話です。そのことを説明するときに「must と Why don't you〜? の違い」が使える、と思う。

 だんだん寒くなってきていて、比較的近所の然別湖や糠平ではすでに紅葉のピークは去ったんだそうです。惜しかった。帰ってきたらとりあえず然別湖の紅葉を見ようと思っていたのに‥‥。

2005年10月20日(木) 10月21日(金)23:45 +0900

■ 桐チェストふたたび。

 こないだ買って来た桐のたんす、追加で注文した分が届いたので引き取りに行きました。こないだもらって来たときは、駐車場で店員さんに積み込んでもらい家に帰って降ろそうとしたら「ヨコ置き厳禁」と書いてあるハコが思いっきりヨコになって置かれてるのに気付いて「おや」と思ったけど、今回は積むときタテに置いてくれるのを確認できました。よかったよかった。

 その後、住所を確認した感じではその界隈に「ユトリベルク」(掲示板でお知らせいただいたお菓子屋さん)があるらしいのでうろうろ歩き回ったんですが発見できませんでした。すぐに気付きましたが丁目丁目の区切りがあのあたり300メートルあるので歩いて探すのはちょっと無謀でした。車でも探してみたけれど、ほとんど夜の暗さだったし、車通りも多くなり始めた頃だったので、やっぱり落ち着いて探すことができませんでした。惜しい。代わりに、今までたまに見るけどどこにあるのかよくわかってなかったお寺は見つかりました。なるほどココにあったのか。

■ 「聞即信」Tシャツ。

 伝道院で一緒だった人たちが着ていたTシャツ、去年専門学校で揃えて作ったという黒地のシャツ、赤い字で胸には控えめに「聞即信」(もんそくしん)、背中には大きく「18」と書かれたTシャツの追加注文版が届きました。親はこれを見て「そういうのはみんなで着ないと意味がないのでは? 北海道で一人だけ着てても楽しくないのでは?」と言うけれど、そんなことありません。大丈夫です。送ってくれたNくんありがとうです。振り込み用紙には通信文を書きませんがとても感謝してます。

 御伝鈔むずかしいです。

2005年10月19日(水) 10月21日(金)23:45 +0900

■ 組み立て。

 「おみがき」でぴかぴかになった部品を組み立てました。外すのも手伝ったはずなのに、事前に撮った写真がなかったから何ともならず途方にくれまくってたところでした。備えあれば憂いなし。バックアップは世界を救う。後は灯芯が来れば輪灯も輝き出します。

2005年10月18日(火) 10月21日(金)23:45 +0900

■ おみがき。

 報恩講さんを前に、当番に当たっているご門徒さんがたくさん集まって本堂じゅうの真鍮をぜんぶ磨く「おみがき」がありました。わたしずーっと昔、たぶん15年以上前にちょっとだけ手伝うか何かしたような気がしますが、何せ昔のことなのでなんも覚えておりません。おぼろげな記憶をどうにかこうにかたぐり寄せると、祖父に言われて一年分の汚れを満載した菊灯か何かをあっちからこっちへ移動させた、くらいなもんではなかったろうか。

 今年はそんな中途半端な手伝い方ではなく、ご門徒さんに混じって住職や坊守とともに磨きました。軍手をはめ、古タオルまたはちぎって丸めた新聞紙に「ピカール」という白濁した専用洗剤をちょっとだけつけ、輪灯や菊灯、蝋燭立などの部品を磨く。油くさい洗剤であります。つけてこすった後で拭き上げるとものすごく綺麗になる。名前はどうかと思うが実力は素晴らしい洗剤でありました。磨いてるうちにだんだん疲れてきて、ご門徒さんや住職が面白いような面白くないような、ちょっと笑えるようなちょっとも笑えないような冗談を言うたびに皆んなでうひゃうひゃ笑いながら、とても楽しく磨けました。頑張った分が目に見えて綺麗に、いままで鈍色だったのがきらきら白金色になっていくのがわかるのはすごく励みになりました。

 磨き終わると軍手もタオルもひどく汚れ、ひどく油くさくなってます。洗濯機に入れ「念入り」設定で二回洗っても完全には落ちない、でも「おみがき」にだったら再び使えるくらいには綺麗になる。洗濯機は二、三日ものすごく油くさいままです。

 おみがきの後は大掃除でした。本堂や廊下、会館など、お内陣と庫裡以外のすべてをまんべんなく掃除しました。わたしは主に天井をこすってクモの巣やホコリを落としました。猫アレルギーだけでなくホコリにも非常に弱い、ことがあるので、わたしだけマスクしてやってました。そんなにはホコリが立ってなかったのか、他のみなさんは別に何もせず、平然とされてました。

 外回りを掃除して集まった木っ端や枯れ草、葉っぱ類を住職が燃やし出しました。あれぇ、良いのかなぁ、と思って聞いたら、消防署にはちゃんと連絡したよ、とのことでした。お寺の方から煙がぼうぼう上がっていたらみんな心配するから、先に。「こっちからあらかじめ言っておくと大丈夫なんだ」とのことです。

 その後、昼ご飯をはさんで報恩講の運営に関する打ち合わせもありました。来られた方に合間合間に嘗めてもらう飴を小袋に詰めたりもしました。

 たぶん8月にこっちに帰ってきてからほとんど始めてじゃないだろうか、磨いたりはたきかけたり、これだけキッチリ肉体労働系の労働をしたのは。振り返るとぜんぜん運動しない日々を送っております。それで食っちゃ寝、食っちゃ寝してるんだから太らなかったら逆にマホウです。

2005年10月17日(月) 10月17日(月)23:45 +0900

■ 靖国の参拝。

 小泉さんが靖国神社に参拝したんだそうです。

 今回は、公用車を用い、しかし一般の人と同じ方式で、玉串料の奉納や「内閣総理大臣 小泉純一郎」と書く記帳そのものも行わず、‥‥という方法をとっての参拝だったんだそうです。

 総理大臣が、公用車を用い、公務時間中に行えば、本人がいくら「私的」な参拝なんだと「主張」したとしても、それは「公的」な参拝になってしまいます。実際先日は小泉総理大臣が別の機会におこなった靖国神社参拝は違憲だとの判決も出ました。今回の参拝ももちろん当然完膚無きまでに違憲です。違憲が確定した中で違憲を連ねる姿勢が示すのは、政教分離を定めた憲法を、わたしは今後もどんどん反故にする用意があるぞという態度表明なのだろうと思う。反故にして反故にして、最後にはコレを変えますよ、という。

 今日の小泉さんの参拝は違憲だからもちろんいかんのですけれど、しかしわたしとしては、憲法に政教分離が定められているからいけないんだ、という主張を今まで通り繰り返していても埒が明かなくなる日が早晩来るのが明らかな以上、憲法に定められているからではなく、もっと大事なところでダメなのだ、憲法はそのもっと大事なところを補完するために定められているに過ぎないんだ、ということを主張すべきだと思っております。

 そのように考えているのですが、さてさて。

 【まるさんのサイト】からリンクされている掲示板からさらにリンクされていたブログを見た感じでは、わけがわかってない人がわかけのわからない戯れ言を書いて、いろんな人がわけわからないまま、自身の無知を専門家の説明不足というまったく筋違いの理由で片付けて無知を無知のままで放り出してそのわけのわからない戯れ言に賛同して、‥‥ということを続けていけば、無知は無知のままで多数意見となることもあり得、そのまま法律も何もかも承認されていくこともあり得るんだなあ、ということを再認識させられるばかりでありました。

 この問題は、まるで臓器移植法の自民党による改正案と同じ問題をはらんでいます。民主主義は衆愚政治と紙一重だと思っておりましたが、あるいはひょっとするとこのクニでは紙一枚分の違いさえ既になく、まったく同義なものと化しつつあるのかもしれません。

 とりあえず、声の大きい人の意見、あるいは大きな活字で書かれた意見、あるいはたくさんの人が読んでいるように思える記事が主張している内容に対して、それが多数意見っぽいからという理由だけで闇雲に賛同するのはやめましょうよ、と言いたい。自分の先入観を揺すらない意見だけを食べ続けて生きていけると思わないで欲しいんだなあと言いたい。

 ‥‥ちょっと話はズレますが、とりあえず、政教分離と再生産装置がわかってない他の国の政府は、問題の一部だけを針小棒大に取り上げ、勢いだけで内政干渉せずにいてほしいものです。話がややこしく・かつ無駄にヒステリックになるだけだと思うのです。

■ お寺のサイトへの書き込み。

 【お寺のサイト】の掲示板に、あるお寺が実名で非難されている内容が書き込まれていました。これって名誉毀損になるので削除しないとなりません。でも、書き込んだ方にその旨を掲示板上で説明して、納得してもらってからにしたいです。‥‥こういう態度は某教育系出版社のネットバイトでも相当鍛えられたんじゃないかと思う。説明して理解・納得してもらった上で消す、あるいは本人に消してもらう。きほんきほん。

 なお、名誉毀損というのは、その内容がたとえ事実であっても、その人や団体に不名誉なことを言うと罪になる、ということなんだそうです。事実だからならない、というものではないらしい。だからそういう意味でのみ名誉毀損になると思っているということだったりするかもしれません。

 全然関係ないけど、マニアックスさんが某事件の容疑者から電話で脅迫されていたのを最近のTV報で知りました。beyondさんと容疑者との電話でのやりとりの録音がそのまま放映されていたのを見て、ああ、わたしも喧嘩腰の人に対してこういうふうに落ち着いた応対がしたいなあと思いました。短気は損です。

■ おみがきの準備。

 今月末の報恩講にむけて、ご門徒さんがいっぱい集まって本堂や会館、廊下、外回りの大掃除をしたり、真鍮製の仏具を「ピカール」で磨いたりする「おみがき」があります。今日はその準備とて、本堂のお内陣にある真鍮製の仏具を全部外して、本堂外陣に並べたテーブルの上・広げた新聞紙の上に並べました。

 以前かよっていた専門学校でも、報恩講に向けて仏具を丁寧にみがいていました。そのときに使ったお磨き用の洗剤、なんという名前だったかすっかり忘れてますが、あのときに使った洗剤は素晴らしく汚れが落ちた、‥‥ような気がしております。ちょっと大きめのハコに入っていたことだけは覚えてるんだけど、あれって何ていう名前だったんだろ。

 オフラインでの知り合いに対してたくさん送った住所変更通知はがきが一枚戻ってきました。Iさんはいつのまに、どこに引っ越したんだろう‥‥。

2005年10月16日(日) 10月17日(月)23:45 +0900

■ 家族そろって香港に行く。

 京都の友だちが幼稚園に通っていた頃、幼稚園の友だちが「こんどかぞくみんなでほんこんにいくことになった」と言ったんだそうです。ほう、それは素晴らしい、とても良いことだ、そんなに遠くもないし、でも外国だからいろいろ日本と違うこともあるでしょう、気をつけて行ってらっしゃい、おみやげよろしくね、‥‥などなど、幼稚園の友だちや先生方みんなでたくさん言葉をかけて、心配したり大丈夫だろうと言ったり羨ましがったりしたんだそうです。

 そして香港に行くと言っていた当日、なぜかその友だちが幼稚園に出てきたんだそうです。どうしたの、香港には行かないの、予定は変更したの、‥‥などなど聞いたら、「ほんこんじゃなくほうおんこう」に行くのだったんだそうです。

 ほんこん、ほんこさん、ほうおんこう。たしかに似てます。言い間違いか聞き間違いか、よくはわかりませんが、しかし間違っていたんであっても「それはとても良いことだ。すばらしいことだ」という反応はとても当たっていたわけですね。

 今日はご門徒さんが何人かお晨朝に参拝されて、その後のご法話をわたしが担当させていただきました。まったくまったく、いつ聞いても何を言ってるのかよくわからない話になってしまって申し訳ない、気がしておりますが、今日は今月末にお寺でつとまる「報恩講[ほうおんこう]」のお話をさせていただこうと思い、その導入部分に上の話をさせていただきました。ちょっと笑ってもらえました。その後、「わたし今月の1日にはこの場におりませんでした。どこに行っていたのかと言いますと、ほんこんに言っていました。というのは事実ではありませんで、広島の某所であった報恩講に参加させて頂いておりました」などとも言ってしまいました。

 報恩講というのは、親鸞聖人のご命日にかこつけて・ご命日をご縁として、自分が今ここでまさに救われつつあるということがどういうことなのか、その不思議を味合わせてもらう、そういう機会のことです。京都の本願寺派本願寺では1月中旬に、他の本願寺派寺院ではそれ以外の日程でつとまります。うちのお寺では、10月30・31日につとまります。今年のご講師は藤田徹文さんです。

2005年10月15日(土) 10月15日(土)23:45 +0900

■ 傾く本堂。

 「傾く」というか、「傾いている」。

 うちのお寺では、本堂、特にお内陣の一部が奇妙な角度に傾いていることがここ50年くらい、‥‥ずっと昔の、本堂を新築した翌年に発生し、近所の喜寿+1くらいのおじいさんの生涯の中では最も揺れた十勝沖地震の直後あたりから‥‥、指摘されて久しいんだそうです。でも17年前に会館を新築するので本堂をちょっと移動させたとき、基礎から何からしっかりやってもらったのでその傾きも大分改善されていました。ところが昨年の今時期にあった、やっぱり十勝沖地震を境に、また傾きがちょっと目に見えて大きくなってるんだそうです。

 今日は建築関係の人や門徒総代さんも来られて、その傾きの現状を把握し、今後の傾向ならびに抜本的な対応策について考えるため、みなさんや住職と一緒に本堂の床下にもぐって見てみました。
 ‥‥
 結論からいうと、何もせずに現状維持、ということになりました。

 何もしないでいても(ちょっとやそっと以上の地震なんかでは)「崩れることはない」のだそうです。かつ建て替える以外の対策としては「レベルをとってやる」のが最善なんだそうですが、傾きが気にはなるものの安全面ではほぼ何の問題もない現状をふまえると、絶対にやらなければならないもんでもないんだそうです。また、「レベルをとってや」ってみたとしても、ジャッキ等で引っ張っておいてパッキンを詰めたり筋交いを入れたりしたあとで引っ張りを戻すと、柱や梁がは50年なら50年そのままでいたカタチに固まってしまってるせいか、すぐまた元のかたちに戻ってしまうんだそうです。だからやっても無駄、‥‥とまでは言わないけれどかなりそれに近いことになるんだそうです。

 と、いうわけで、建て替えるまで現状の傾きが維持されることに決定してしまったかもしれない。しかしその「建て替え」というのは今後いつ可能になるのか。まったく見当が付きません。

 まあ今日はそんな本堂で今後つとまる報恩講をお迎えするにあたっての、お内陣の掃除をいたしました。今後はご門徒さんが集まっての「お磨き」(お荘厳の道具をぜんぶ真鍮磨きで磨く)や、庭の掃除や草取りや、子ども会や聖歌隊が集まっての歌の練習や、御伝鈔の練習や、そんな感じでいろいろ推移して参ります。明日はお晨朝にご門徒さん方が来られます。

2005年10月14日(金) 10月15日(土)23:45 +0900

■ お好み焼き。

 晩ご飯にお好み焼きをいただきました。広島ふうにしようと思って麺を買って帰ったのに調理し始めてから食べ終わるまでの間すっかり麺のことを忘れておりました。まったくまったく、これっぽちも思い出さなかった。さもありなん。今後焼きそばにでもしていただくほかありません。

2005年10月13日(木) 10月14日(金)19:00 +0900

■ 家具。

 法衣を入れる横幅と奥行きが広くて高さはそんなにない箪笥と、もろもろの日用雑貨を入れるための小さな引き出しのたくさんついた小さな箪笥を買いに行きました。
 ‥‥
 法衣を入れる箪笥は白木の桐?のがすごくお手頃な価格で見つかりました。しかし小さな箪笥はなかなか見つかりません。でも探してるうちにとても良さそうなのがあった!ので店員さんを呼んだら「これはこのベッドと机とセットなのでバラでは売れません。このタイプの××は2月3月になると机と一緒に大量に出回りますけど今のシーズンはまったくありません」と言われました。とても正直な店員さんだなあと思いつつ、これで良いのかなあとちょっと心配になってしまいました。

 その後、桐の箪笥だけ注文して帰りました。帰り際の通路に箪笥とは似ても似つかない蓋付きのハコみたいなのが積み上がっていて、それが箪笥の代用になりそうだったのでコロコロ三つ買ってきました。その後行ったホームセンタで書類用の引き出しを多少大きめにしてたくさんつけたオールプラスチックの箪笥があったので、それを購入しました。その前に行った家具屋さんには、三つコロコロ買ったハコと、この合成樹脂の箪笥の使い勝手がよっぽど悪くならない限り、かつモノが溢れてしまわない限り、たぶん2月3月が来ても行かないかも知れません。客として抱いた先ほどの心配は杞憂では終わらなかったのでした。

 でも、正直というのは良いことだと思います。ありがたい。

■ ぶたさん。

 帯広にもヴィレッジ・ヴァンガードの支店があるらしいので、そこに向かいました。向かいましたが、探しても探してもそれらしき店が見つかりませんでした。これはきっと帯広ではやっていけないから撤退してしまったのかな? と思い始めた頃に、さっき通ったときには通りの逆側ばかり見ていたところにものすごくでっかい店舗が建ってるのを見つけました。

 そこには当然のようにバムセがいっぱいいました。今回救出できたのは一匹だけです。家に連れて来たら早速もとからいた二匹と仲良くなって、重なり合っています。びっくりしたことには色が全然違います。もとからいたやつらはかなり色あせていたんだなあ。

 ‥‥そこの駐車場から出ようとするとき死にかけました。右折して出ようとしたら、ちょうど右から来た車が入って来ようとしたのでそれと入れ替わりで出ようとしたら、その車の陰になっていたところにもう一台いて、わたしの運転する車はその車の鼻先に「ひょっ」と出てしまいました。わたしがとった行動と言ったらただ「あ」と言っただけです。父が同乗していたのに「さきいくわ」と言うでもなく「今までありがとう」とお礼を言うでもなく唯一言、呆然として「あ」。

 わたしの最後の言葉はきっとそういう系の、とてもよくある言葉になりそうな気がします。できればわたしの周囲に誰か人がいて看取ってくれるような亡くなり方が個人的には良いなあと思う。運転技量が未熟で、判断力や洞察力も未熟で、それが原因で死んでしまうのは避けたいです。大バカなわたしが死なずに済んだのは、ただただ、相手の車がしっかりしてたからという、それだけが理由なのでした。

 さて。もっともっと精一杯注意深く運転しようと思っております。

2005年10月12日(水) 10月14日(金)19:00 +0900

■ 一太郎の裁判。

 一太郎が松下系のどこかから訴えられていて、一審では有罪との判決が出ていた裁判、二審では無罪の判決が出たそうです。新聞報道によると、原告が独自のものであるとして所有権?を主張していた技術は数か月前の雑誌を読めば容易に想像できるタイプの新規技術だったんだそうです。

 一審は判事の名前が全員女性の名前のように見えていました。「男ばっかりでなんでも決めると途中で行き詰まることが多い傾向がある」的な偏見がわたしにはありますが、同様の偏見に「女性ばっかりで何か決めようとしてもやっぱり間違いが多くなる」というのもあります。今回は偏見の通りだったのかもしれないな、と少し思っています。。

 

2005年10月11日(火) 10月15日(土)23:00 +0900

■ いもをおくる。

 関東と九州に相次いでいもを送りました。前日に学んだことには、郵便局の郵便は休日の扱いがないんだそうでした。なのでローソンから出そうと思ってちょっと探したんだけど見つからなくて、そのまま、いもを積んだまま車を車庫に戻したんでした。

 いもを送って、帯広の街に出て万年筆のインクを買って、コーヒーを飲んで、そして帰ってきました。みちみち思うのですが、十勝の車は総じてスピードがむちゃくちゃ速い気がします。ラリーじゃないんだからもうちょっと落としても問題ないんじゃないかと思う。

2005年10月10日(日) 10月15日(土)23:00 +0900

■ ヤスリなど。

 そろそろプラモデルが作れそうな雰囲気になってきたのでヤスリやニッパを購入してきました。紙ヤスリはプラモデルの箱の中に入れて持って帰ってきてるのがあったのでそれを使います。ニッパとヤスリも以前購入したのがあったのはあったんですが、切れなくなったり削れなくなったりしてたのもあったし、京都の方でごみにして来ておりました。

 ニッパ、プラスチック専用のすごく良さげなのが \1500 くらいで売られてました。欲しいな!と思ったけどよく見たら「鉄線厳禁!」とか書いてあったのでやめました。きっと作ってるときに出来心で切るんですよそういうの。ぼくにはわかる。なので \400 のにしました。ちっちゃいのは不安だけど、たぶんそんなにデカいランナってないんです。ぼくにはわかる。

2005年10月9日(日) 10月10日(月)23:00 +0900

■ 定例。

 今日は定例でした。いろいろでした。本を鬼のようにいっぱい買っていたことが役に立ったかもしれない、ということをちょっと感じることのできる日曜日の昼下がりでした。「仏教と平和」関係の資料を集めておられる布教使さん(というかお知り合いであります)にお見せしたたくさんの本のうち、ネットの古本屋さんで購入していた大江志乃夫『靖国神社』(岩波新書)は特に役立つかも知れません。元の持ち主の方が巻末に大事に保存されていた大江氏と加藤周一の「文化」という朝日新聞掲載エッセイ(1985年)の切り抜きは現在の一般的な新聞より文字が小さくてちょっと時代を感じさせました。内容は全然時代がかってません。併せて今年出た高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)もお勧めしておきました。

2005年10月8日(土) 10月8日(土)23:00 +0900

■ ご挨拶に。

 昨日は組長[そちょう]さんのお寺に挨拶に行きました。今日は相焼香[あいじょうこう]のお寺に挨拶に行きました。

 昨日おじゃまさせていただいたお寺は去年のこの時期に会館や納骨堂、書院が落慶(もとあったのを更新、新築して落慶)したんだそうで、それはそれはものすごかったです。案内してもらうこと ‥‥ じっくり見せていただいたので1時間くらいかかったかなあ。羨ましいなあと正直思いつつ、こりゃ大変だなあとも思いました。

 今日おじゃまさせて頂いたお寺は、会館がうちの会館とまったく同じ構造なのですごい既視感を覚えました。なんで同じ構造なのかと言うと、うちが完全に真似をさせてもらったからなんだそうです。とても使いやすそうな会館なので、うちのお寺で会館を新築すことが決まってから三回か四回おじゃまさせて頂いて勉強して、同じ設計業者さんに依頼したんだそうです。なるほど。

 今までにいろんなところからもらっていた卒業証書や許可書みたいなモノを整理しました。卒業式の時にもらう、蓋を取ると「ぽん」「ぽん」とものすごく高い良い音が出るあの筒が15本もある。こんなにいっぱい卒業した覚えはない。きっと違うモノもある。と思って調べたら、数本は姉のもの、数本は卒業証書じゃなく記念品、数本は中学生の時に書いた絵の筒、‥‥という内訳になってました。五日間くらいの研修の修了書というのもあったし、得度でもらう度牒や教師のやつとかもありました。今までの生涯でたった一度の、専門学校でいただいた皆勤賞もありました。えっへん。

 それらをすべて、100円ショップで売っているという、まるで誂えたような大きさのクリアファイルにまとめて入れました。侮り難しダイソーショップ。ものすごい勢いでピッタリでした。でもでかすぎて入らないやつも一枚ありました。これはどうも印刷じゃなく一枚一枚全部手書きしてるみたいです。すごい。びっくり。こういう字が書ける人間にいつかはなりたいものda。

 明日はうちのお寺の定例です。知り合いのお坊さんがご講師で来られます。楽しみであります。もう今日は眠ることにいたします。

2005年10月7日(金) 10月8日(土)1:00 +0900

■ 布教使です。

 本願寺からちょっと大きめの封書が来て、中から「布教使に任ずる」という内容が書かれた紙が発見されました。ということで石田は晴れて布教使になりました。よかったです。ちょうど伝道院の名簿も届きました。一人でよくここまで綺麗に整えてやってくれたと思いました。ありがとうございます。

 9月30日からこっちの日記をアップしました。

2005年10月6日(木) 10月8日(土)1:00 +0900

■ 広島平和資料館。

 ホテルをチェックアウトして荷物を駅のコインロッカに入れて、路面電車に乗って原爆ドームの方に行きました。まずは原爆ドームを間近に見る。うーん。そのまま平和公園の中を歩いて資料館の方へ。みちみち修学旅行らしき集団がたくさんいました。説明の声もよく聞こえる。ツルもたくさんある。

 資料館の中は、パネル → 模型 → パネル → 模型、そして最後に遺品がものすごい量ならんでました。説明の後に実物が来るという展示方法はモノや論理の持つ説得力が劇的に増大する気がします。

 一人だったし時間も十分あるからゆっくり回れました。パネルをゆっくり読んで、模型をぐるぐる回って眺めて、遺品も想像力がはたらくのにまかせてうるうるしながら見ました。浸る?というのはどうも適切じゃないような気がするけど、なんかそんな感じです。実物というのはすごいです。夏に龍大のパドマでも実物の遺品を少し展示してたのを見ました。そのときも今回も展示品が即「遺品」であることの運んでくる滅入りさ加減がとても深刻でとても良かったと思う。遺品の一つ一つに誰がどこで身につけていたものなのかが事細かにキャプションしてある。ここに並んでいるものは単なるモノじゃなく一つ一つが一人一人のいのちのそばにあったものであって、全部がその人の死である。全部が文字通り本当に遺品である。

 見ててしんどい。見ててしんどくなければ広島の遺品ではないんだろうと思う。かつ、しんどいから熟視しなければならないと思う。

 ‥‥残念だなあと思ったこともありました。まるで「観光地」化してる部分も少なくなかった。一つはおばちゃんの集団が女子トイレから溢れて男子トイレを占拠していたので用を足せないということがありました。深刻に困ったので「こんなことをされると困ります」と言ったら「遠慮しちゃってるわあはははは!」と言われました。わたしが言った言葉は内容が一切彼女に届かず発せられた途端にBGMに成り下がってしまったようでした。宮代が分析して言った言葉があります。「自分以外みんな風景」。まさに「ヒロシマの記念館の中の風景」の一つになったわたしでした。

 「フラッシュは焚かないで」という表示が至る所にあるのにフラッシュを焚きまくってるおばちゃんがいたので「フラッシュは焚かないで、っていう表示があるんですけど、それで良いんですか?」と聞いたら「ああ」と言って変な目で見られたりもしました。一体、「フラッシュは焚かないで」という表示を見ても理解できないヒトが展示物を見て何かわかるのか、何か感じることが出来るのか、非常に不安になりました。走り抜けるようにして見るべき展示内容では全然ないんでないか?

 顔の全体をやけどして目も口も鼻もよくわからない状態になった「女学生」の写真パネルを見て、「こんなふうになって生きてたら可哀想」と言うおばちゃんもいました。

 ‥‥どうなんだろう?

 「こんなふうになっちゃって可哀想」と言うのと「生きているのが可哀想」と言うのとの間には、想像力においてものすごい隔たりがあると思う。キヴォーキアンの言う類の「medi-cide」はこういう発想から出てくるんだろうか。

 「こんなの可哀想で見てられない!」と感じるのも言うのも良いと思う。だけどそこで「だからこのヒトは生きてない方が良い」と思ったり言ったりするのは行きすぎではないか。ただ目をそらすことしか出来ない、でも心はその人に捉えられ、その人の痛みや苦しみを想像してもだえてしまう。

 そういうのが良いんではないか?と思いました。

 自分の基準が絶対基準だと勘違いした生活を送っていると、「自分だったら生きてない方が良い」→「他人も生きてない方が良いと思うに決まってる」という大きな勘違いだけが世界の意見になってしまうので、注意が必要だと思いました。「みんなやってる」とか「誰だってそうだよ」とか「そうに決まってる」とか、まったく無根拠にしゃーしゃーと言う人がそういえばよくいます。あれはかなわんです。いったい何のデータをもとにそんなことを言ってるのか問いつめたくなって実際に問いつめたら、わたしが非常にヒトデナシ扱いされる。あれはかなわんです。「みんなやってる」も「誰だってそうだよ」も、とりあえずわたし自身が違っていればこの「みんな」や「誰だって」は虚偽になるわけです。

 眠い。

 と言いつつきっとわたし自身何度もそういうことを無自覚のうちにやってるに「決まってる」。それは非常に深刻な事態です。もしよかったら、わたしがそういうのをやってるのを見たら注意してやってください。

■ 飛行機。

 帰りは広島から羽田へ、羽田から帯広へと飛びました。羽田を離陸して10分か20分、ずっとシートベルト着用サインが出たままでした。おかしいな?と思って客室乗務員を見たら、彼女たちもそう思ったらしく、操縦室に何度か連絡を取って、そのたびににこにこして受話器を戻していたので、サインの消し忘れではなかったらしいです。サインが出続けていた間に一体何があったのか、一体何がサインを出し続ける理由として存在していたのかはまったくもって不明です。

 日記を書いていたら隣の隣の席のおばちゃんが豆大福をくれました。べらぼうにうまかったです。通路を挟んで二つ前の座席に座っている外国人の方が漢字の書き取りをやってるのが見えました(テキストブックに従って正しい書き順で「酒」と「油」という感じを練習してました)。英語で「そのマルボロくれよ」と話しかけてくる類の外国人には日本語で答えたくなりますけど、こういう外国人の方には外国語、英語あたりで話しかけたくなりますね。ま実際に話しかけるかどうかは考えどころです。

 家に帰ってきて、録画予約して録ってあったガンダムを見ました。

 ‥‥最後の最後で端折りすぎてると思いました。前のガンダムも最終回とその前の回との端折り方がすごかった。こんなにスルスル進むのなら途中もっとくどくない進め方があったはずだ、みたいなことも思いました。

2005年10月5日(水) 10月6日(木)16:00 +0900

■ 報恩講五日目。太宰府へ。

 「執持名号」の判決を聞き終わると同時に広島を発って九州に行き、九州で月に一回催されてる勉強会に今月だけわたしも参加させてもらいました。九州ではこういうことを毎月やってるのか、良いなあ、と思いました。九州に限らず西日本は東日本にないものが多い。すごいと思う。

 その後は年に一度のバーベキューだそうで、そちらにも参加させていただきました。べらぼうにうまかったです。九州は本当に良いなあと思いました。肉は勿論、いちばん印象に残ったのはじわりじわり焼いたニンニクです。ものすごい美味でした。

 その後、宿のある広島に戻ってホテルで眠りました。部屋にはなぜかベッドが二つありました。パック旅行だから全然わからないんだけどひょっとすると高いホテルだったのだろうか。有効活用するうまい方策があるわけもないのでケースを片一方のベッドに置いて拡げたままにして眠りました。荷物整理も出し入れも非常にラクだった。

 TVで『リトル・ブッダ』をやってるのを見ました。映画館で見たときも思ったけれど、やっぱり最悪の映画だと思いました。ただし音楽は最高。

2005年10月4日(火) 10月6日(木)16:00 +0900

■ 報恩講四日目。「執持名号」

 会読は「執持名号」でした。題意と出拠、釈名くらいで終わるんじゃないかという甘い期待はわたしの問答の直前に打破されました。二日でやらなきゃならんのだから、そりゃそうだよね。ちょっと困ったけど、いやだいぶ困ったけど、時間は流れていくものでありいつか終わるものであるのでした。

 5日は会読が終わったらすぐ駅へ行って太宰府に行くことにしたので荷物を整理しました。お聖教が重たいから荷物が重たくなるということがよくわかりました。個人的な参照だけでなく全員の公的な参照が全部PCで済むようになったら相当ラクになるんだろうなあ。開きにくいのは困るけど。

 ちょっと時間があったので日記を少しだけ書きました。五日分くらいちゃっちゃっと書ける予定だったのに全然書けませんでした。しょぼーん。先日羽田空港で買った森博嗣『τ[タウ]になるまで待って』を少し読みました。相変わらずの本っぽいです。楽しみです。

2005年10月3日(月) 10月6日(木)16:00 +0900

■ 報恩講三日目。「念仏為本」判決。

 会読も三日目となりました。わたしがもごもご言った後で念仏為本の判決が出ました。乱暴につづめて言ってしまえば『安心論題綱要』と同じ内容が結論として出るわけです。しかし大事なのは問答(もんたつ)であり過程であり思考であって、結論を示した文章ではない、とは思うけ、どでも判決は判決でとても大切です。どうやったら問答を通してコレがすっきり出てくるのか。問答を通してこれをスッキリ導き出すためにはどういう手続きが必要なのか。難しいなあ。

 翌日と翌々日の会読「執持名号」のレジュメを作る手伝いをしました。手伝うったって執筆を手伝うわけじゃなく折り折りとかホチキスとかなので、うん。その後は勉強会になりました。

 広島からもココのサイトにアクセスされている方のいらっしゃることがわかりました。ますます変なことを書けなくなっていくこの日記であります。

2005年10月2日(日) 10月6日(木)16:00 +0900

■ 報恩講二日目。友だちとあそぶ。

 フツウに就職して広島にいる本願寺派関係ではない友だちと会ってあそびました。

 去年の同じ時期も広島に来て、そのとき道を迷い迷い二人で行ってやっと探し当てたら定休日か何かで開いてなかった八丁堀界隈のお好み焼き屋さんがありました。そこを探して行ってみたら、やっぱり今年も定休日か何かで開いてませんでした。学習能力のない二人でありました。

 昼ご飯にお好み焼き食べて、カラオケして、夜もお好み焼き屋さんで軽く食べてからショットバーで飲んで、です。

 カラオケ、もう『焔の扉』が入ってたので入れてみたけどうまく歌えませんでした。『vertigo』は思っていたより歌いやすそうな気がしたのでもっと練習してみます。『君という花』を入れたらBGFがPVそのままですんごい豪華でした。すんごい豪華なんだけど異様に変。『水の星に愛をこめて』を入れたらZガンダムのオープニングがそのまま流れたり最終回のすっごい重要なシーンが流れたりしてこちらも非常に豪華でした。その他、アニメのオープニング曲は軒並み豪華でした。『あんなに一緒だったのに』ではガンダムのエンディングがきちんと流れる。『暁の車』は全編カガリで「お父さま〜。」な映像もある。「これは!」と思って『禁じられた遊び』を入れようと思ったんだがそっちは駄目でした。『恋スル気持チ』も駄目でした。『にんげんっていいな』も駄目でした。あの可愛い「ばい、ばい、ばい。」が見られると思ったのに‥‥。『鳥の詩』(Lia)もゲームの映像は一切流れませんでした。惜しい。『プラネテス』は予約端末に読めない字で表示されていたので最初入ってないかと思った。『Inner Universe』が入ってたので期待したけど『I do』は入ってませんでした。入ってたとしても歌えまい。久しぶりに会ったのにカラオケしまくるという(3時間か4時間か)、そのへん不思議な感じはちょっとしました。ま良いのです。

 夜に軽く食べたお好み焼き屋さんは「ちぃちゃん」というお店でした。他人とは思えない名前だなあと思って入りましたがやっぱりそりゃ他人でした。店員さんおばちゃんが三人くらいで、きっとそのうちのどなたかが「ちぃちゃん」なんだろな、と思いました。聞かずにもくもく。その後飲んだお店はカクテルやヱビス樽生が非常に美味しかった。こりゃ期待できそうだと思ってウィルキンソンかどうか聞いたらカナダドライだとのお答えでした。惜しい。惜しすぎる。一度は飲みたいウィルキンソンで作ったモスコミュール。

 学寮に帰ってきたらちょうど勉強会が始まるところでした。それに参加させてもらって大体終わったかも、でももう少し続くかも、というところで眠くて眠くてたまらなかったのでわたしは眠りました。夜中に勉強部屋から「わっはっは」「わっはっは」という声が断続的に上がって何回か起きたような気もします。そりゃ勉強終わったら飲みますからね。飲んでると楽しくて声も上がります。ましかしわたしは寝覚めがすっきりしてたから良いのです。問題ありません。

2005年10月1日(土) 10月6日(木)16:00 +0900

■ 報恩講一日目。ご法話。

 なんで広島に来たのかと言うと、浄土真宗本願寺派の「広島学寮」という学校のようなところで報恩講さんがつとまるからであり、そのときに年一回本願寺の本部の方(会場は龍大の本館)でもやってる「安居会読[あんごかいどく]」があるからであり、それがしたかったからです。

 去年は、浄土真宗系の勉強をあんまりしてこなかった・してないわたしは「問答[もんたつ]」が苦手なので、本山の安居がようわからんでしんどいから、広島ではその練習をさせてもらえると思って参加しました。だけど今年は練習させてもらうという感じではなく、浄土真宗の教義教学や安心[あんじん]関係の学問は「問答」という形式の方法でやるべき時もあることがわかったように感じてるから参加させてもらった、と思ってます。

 まあそんなに変わらんね。

 朝昼晩と6回ご法話があるのも素晴らしい。大体の講師は安居会読の参加者で占められてます。それぞれのご講師さんがそれぞれ特徴的なご法話をされる。わたしも一日目の夜の法話をさせてもらってしまいました。話したかったのはおおむね「自分で確信した内容を真実だと思うのはやばいよね」または「ご信心であれ他の信仰であれ自分にわかる証拠を求めてしまうけどそれってやばいよね」ということでした。もちろん実際に話せたのはそんな内容じゃぁありませんでしたとさ。

 話したあとで友だちや先生からいただいた意見(おもに改善点の指摘)は、 1. ご讃題の説明をせず内容そのもので語らせようとした姿勢は良いと思う。 2. 内容がご讃題とどうつながるのか不明瞭だった。 3. 最後ご讃題の内容を語ればよかったと思う(つながりだってはっきりしたかもしれない)。 4. 「自浄其意」の前の二句も出さないと。 5. その他。でした。

 われわれ僧侶が会読してるのを取り囲んで『真宗聖教全書』を開いて一緒に勉強してるのが広島のお同行です。わたし会読の時散々なのでソコが割れてて良いっちゃ良いけどやっぱり名利人師を好むのがわたしなので緊張したし焦ったし、しんどかったです。そして非常にありがたいご縁でした。えらいことでした。


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