Just a Little Bit of
2005年8月の日記

2005年8月31日(水) 9月2日(金)10:40 +0900

■ 本が本当に出た。

 本を並べ終えました。残ったのは鬼のような形相の人たちばかりではありません。

 ‥‥↑わたしは一体何を書こうとしたのだっけ。わからないな。突然だな。今日の日記のタイトルだって意味がよくわからないのです。上を書いたこの瞬間は眠っていました。

 引っ越し荷物の山の中から三原順の超絶的な名作マンガがわらわら出てきています。今日は取りあえず『夕暮れの旅』を読みました。すばらしい。

2005年8月30日(火) 9月2日(金)10:40 +0900

■ 本が出た。

 本を段ボール箱から全部出す作業を開始しました。出せば良いってもんではない、それはわかっているつもりだけど出さないと何も始まらないので、とりあえず分類整理を。

 森博嗣の小説がところどころ抜けているのはなぜだろう。

 萩尾望都『半神』は名作だなあ。文庫一冊まるまる『半神』なのかと思っていたら、冒頭たった16頁であったことも衝撃であった。こんな短い作品を野田秀樹はよくまああんな長い芝居に仕立て上げたよという衝撃もあった。でも短さも野田の演出も作品そのものの衝撃には較ぶべくもなく。

 すべての本を段ボール箱から出したというのに、それなのに坂本真綾のシングルCDがどこからも出てこない。わたしはどうしたら良いのだろう。とりあえず反省するしかあるまいな。

2005年8月29日(月) 9月2日(金)10:40 +0900

■ 友だちが遊びに来た。

 中学の時に塾で知り合い、その後、高校でも同じ塾に通って合宿などにも一緒に行った友だちが遊びに来ました。地元で就職してるわけじゃないので遅い帰省、のようなものなんじゃないかな。思い出話をしたり、わたしは今後の展望についてあんまりパッとしない話をしたり、お茶やコーヒーを飲みながら三方六をいただきながら徒然しゃべりました。

 地元にヤマダ電機が出来ているということだったので見に行きました。3万円前後で何か良い液晶モニタはないだろうか? というわたしの質問に答えるような感じです。行ったらありました。17インチになるともう五千円くらい高くなる。「モニタなんて写ればええねん」とはよう言いませんのでよくよく吟味して買いたいと思っています。

 友だちと一緒にココのサイトを見ていて、伝道院ファイルに行くためのリンクがトップページからのものは無効になっていたことに気付きました。日記ページからコピペしたままだったからです。申し訳ありませんでした。コレはきっと「人知れずリンク」になっていくのだろうなあ。

 近いうちに(目標:年内)日記はブログに移動してしまうつもりです。予定は未定。写真その他のファイル類を中心にこちらに保管することになっていくのかなあ。

 朝方に見た夢は以前のシチュエーションを正確に再現しているかのように装って、以前すごく好きだった女の子を夢の中に出現させました。実際のそのコとは顔も性格も全然違う。背格好も違う。化粧も違う。社会的位置付けもまったく違う。でも僕はそのコがそのコであるという理由だけで「好き」という感情を維持している。

 15年経てばヒトそのものも変わるし、社会通念も大幅に変化する。奨励されている「常識」も激変する。そんな現実をかいくぐり15年の時を隔てて蘇ってきてくれたもろもろの想いたちに夢の中で出遇えたことはヨロコビでした、というか、夢って缶詰みたいなモノでもあったんだなあ。

2005年8月28日(日) 9月2日(金)10:40 +0900

■ 甥が増えました。

 お葬式も終わったし、出産予定日よりかなり早めに子どもが生まれそうな塩梅になって来た姉を心配し続けていた母親は汽車に乗って姉の所へ飛んで行きました。「生まれそうだ」とは言っても予定日より20日も早く生まれることはそうそうないだろう。 ‥‥ と思っていたら、14時過ぎに母親からたった一言「うまれた」というメールが来ました。

 予定日というのはあんまりあてにならないものなんでしょうかね。いやいや、人は生まれるのも死ぬのも全然人間の都合通りにはいかない、予想通りにもいかない、ということなんでしょう、きっと。

2005年8月27日(土) 9月2日(金)10:40 +0900

■ お葬式。

 お葬式でした。自分にわかっているだけでも『三奉請』の三行目を一文字まちがえました。もっと数限りなく間違えてやいないか、ちょっと心配になって来ております。たぶん大丈夫なんではないかと期待してをるんですけど、でも客観的な立場から見るのが不可能なので、いずれともわかりません。

 七条袈裟は暑いです。

 帰ってきたらペリカンがパソコンを持って行けなかった旨を知らせる伝票が郵便受けに入っていました。慌てて電話して来てもらって、メンテナンスに持っていってもらいました。

2005年8月26日(金) 9月2日(金)10:40 +0900

■ お通夜。

 お通夜でした。おつとめはお正信偈なのでほぼ問題なく。問題はご法話です。10分くらい話してしまったような気がします。どうもすみませんでした。

2005年8月25日(木) 9月2日(金)10:40 +0900

■ 彦。

 友だち宛てに送ったとうきびが届きました。その後知ったことには、ふるさと小包を申し込んだときに書いたわたしの名前の「秀」が「彦」に誤植されていたそうです。しっかりしろ郵便局! と言うか以前にもそういう間違い読みをされたことが複数回あるので、わたしの書く「秀」はよっぽど「彦」に似て見えるのかもしれません。

 「顕」という字の読みを「顕微鏡のキョウ!」と勘違いする人も多いから、たぶん、というか恐らく確実に「この字って何て読むんだっけなー。 ‥‥秀彦のヒコ!」って勘違いして、その勘違いが漢字に反映されての「彦」なんではないかなあと思っています。

 いや実際にどうなのかはわかりません。

2005年8月24日(水) 9月2日(金)10:40 +0900

■ 枕経。

 一人のご門徒さんが亡くなられたという連絡がお寺に入り、父が所用で出かけているので母とわたしが枕づとめ(臨終勤行)に行くことになりました。母が導師をしても良いんじゃないかと正直思うのだけど、でも父が出かける前にお通夜・お葬式ではわたしが導師をすることに一応決めていたこともあって、臨終勤行からわたしが導師になりました。

 終わってから母は「もう少し阿弥陀経うまくなりなさい」という内容のことを、もうすこし柔らかいような棘を隠しただけのような微妙な言い方で言いました。

 墨書を練習したりご法話を考えたり、とてもそれどころではなかったので日記はまったく書けませんでした。引っ越しの荷物もまったく整理できませんでした。予定としては日記をひとまず書いてアップするつもりだったのですけども。人が亡くなるのも生まれるのも本当ににんげんの思い通りにはいきませんね。

 衆議院議員選挙、京都の選挙人名簿で投票が出来るはずである、という旨を先輩からもらったメールで知りました。先輩自身が以前選挙の前後に引っ越し・転出、前にいた住所での選挙人名簿に基づいて投票したことがあるんだそうです。「最近は投票率を上げようとして選管も必死のはずだから電話して聞けばきっと丁寧に教えてくれると思うよ」という内容のフォロウもいただきました。

 上述の方とは違うご門徒さんのところにお参りに行きました。お経が終わってからの会話は駒大苫小牧の今後についての心配を語り合う場でした。駒苫野球部そのものももちろん心配だが、その野球部長さんは今後どうなるのか? とか、問題の親御さんは今後どうなるのか? とか、何十発もはたかれたというその野球部員さんは今後どうなっていくのか? 野球を続けられるのか? 残ったとして彼にはレギュラーになれるだけの力があるのか? などなど。

 誇張でもなんでもなく、本当に北海道じゅうで駒苫の心配をしまくってそうです。

2005年8月23日(火) 9月2日(金)10:40 +0900

■ 立振舞。

 従妹のような友だちのような、「お寺同士のつながり」と言ってしまえばそれまでなんだけどそれだけではちょっと違うような気のする、‥‥やっぱり「友だち」の結婚式前哨戦のような「立ち振る舞い」というのに参列させていただきました。日にち以外は何を書いてもプライバシに触れる気がするのであんまり書く気になれません。と言いながら書くべきことを書かせていただくと、とても落ち着いた「立ち振る舞い」だったと思います。ちょうど別の友だちが「引っ越しました」メールをくれたところだったので写真を撮って送ってみたりしました。でも携帯のカメラが画素数そんなにないからかあんまり鮮明なのは送れませんでした。残念。非常に嬉しかったのはクラブハリエのバームクーヘンが引き出物についてたことです。滋賀県はもちろんたぶん日本でいちばん有名なバームクーヘン。巨大すぎるので 1/4 が石田さんちの食料になり、後は甥と姪という育ち盛りの人たちがいるところのおやつに持ってってもらいました。きっと喜ばれたのではなかろうか。普段ちっちゃいのに接していてそれがあたりまえだと思っているモノの巨大なバージョンに触れると変に嬉しい気がします。バームクーヘンもそうだし、例えば三歳児くらいの大きさの三次元ミッフィを見ても変に嬉しい。でも等身大の綾波はちょっとアレだと思う。

 という、結婚式みたいな日でした。

 立ち振る舞いが終わった後で、それとはほとんど関係なく、宗門関係の先生を囲んで茶話会のようなことを母や母の友人がするのについて行きました。茶話会以上の話がたくさん聞けて嬉しかったです。

 母親が地元随一の新聞に載りました。ボランティア活動をしている人を紹介していく週一の記事です。いろんな方から電話をもらって照れまくってました。

2005年8月22日(月) 8月23日(火)10:00 +0900

■ スーツ、衣類、ホコリ。

 昨日合わせたスーツを受け取りに行きました。駐車場に入るのが非常に苦手です。車体感覚が激甘でまったく思ったところに停まれない。空いてる時間帯で良かったです。

 引っ越し荷物の整理と言うよりもともと実家にあった衣類と持ち帰った衣類の整理を中心に押入を掃除して鼻水が停まらなくなりました。

 皮膚や粘膜のアレルギー、わたしネコは完璧に駄目です。抱いたり撫でたりブラッシングしたり写真撮ったりエサ食べてるの眺めたりトリ獲ろうとしてじっとしてるの見たりのど触ってごろごろ言わしたりするのは大好きなんですけどねえ。ネコ以外でもホコリ一般が非常に駄目です。少量でも鼻やのど・目に来ます。今日は耳にも来た気がします。おかしいなと思うのは京都の部屋でフツウに生活できてたことです。ベッドを除けたらホコリが1cmくらい積もってる場所があったのに、あのホコリにはどうして粘膜が反応しなかったのだろう。耐性だろうか?

 着るモノがほぼ終わったから、あとは本とCDとVTRとDVDとプリント類です。全部終わらないとガンダムもZガンダムもプラモデルを組むことが出来ません。やるしかあるまい。

 ‥‥とまこまいが大変なことに!

2005年8月21日(日) 8月23日(火)10:00 +0900

■ 髪を切ってもらいました。

 やっと髪を刈ってもらえました。従姉のところです。だいぶ梳いてもらって軽くなりました。頭が洗いやすくなって乾きやすくなりました。とても良いことだと思います。

 京都でやっていたようなやり方で味噌ラーメンを作りましたが、あんまり美味しくできませんでした。悔しいのでうまくいくまで朝鮮し続けようと思っています。

 夏物も秋冬物も、体系と流行の変化に伴いスーツ類がのきなみ買い換えの必要に迫られているため、母親を助手席に乗せて青山に買いに行くことになりました。行きも帰りも運転を細かく注意されて何度か二人ともブチ切れたりしつつそれでも事故に遭うこともなく行って帰って来れたのは、つまり運転してる本人に問題があったとしても周囲が大丈夫ならなかなかどうともなるもんではない、ことが決して少なくはない、ということなのだろうなぁと思っています。

 スーツ類、普段ご門徒さんのところを回るときは法衣なのであんまり必要性がわからない。‥‥でもそれだけでは糊口をしのげないので、何か就職活動をしたり、就職活動がうまくいったら働けるかも知れないからそのときに着ていったりすることもあったりするかもしれない、と思いつつ、まるでフォーマルな感じのスーツを揃えてもらっていました。

 スーツやシャツは何が良くて何が悪いのか、デザインも仕立ても柄も全然わかりません。でもスーツに合わせてネクタイを選んでたとき早稲田のラグビージャージーみたいな柄の(というかソノモノでした)ネクタイがあったのでそれだけは褒めちぎってしまった。そしたらそれを買うことになりました。果たして本当にスーツに合ってるのだろうかちょっと不安です。

2005年8月20日(土) 8月23日(火)10:00 +0900

■ とまこまい。

 正直、去年の今頃は「一生に一度あるかないかわからないことが今まさに起こってるんだなぁ。もう北海道のチームが優勝することなんて俺が生きてる間には絶対ないんだろうなざ」と思いながら、TVもラジオもない関空特急はるかに乗って、でも友人や姉、先輩から来た「駒大苫小牧優勝」メールを読んでました。

 しかし、二連覇はまったく予想できなかったなあ。

 ありえないなあ。すごいなあ。

2005年8月19日(金) 8月23日(火)10:00 +0900

■ 町議さん。

 町議さんの応援パーティのようなものに参加させていただきました。町議さんはじめ地元の人ばっかりでした。わたしはここ15年くらい全然「地元の人」ではなかったので誰が誰やら全然わかりませんでした(いやさすがに町議さんはわかるよ)。もったいないことにわたしに対して話しかけて来てくださる人は少なくありませんでした。最初のうちは「あの方(遠くにいる人の方を見ながら言う)はどなたですか?」と聞いて「○○さ。」と答えてもらって15年の空白を埋めようとしてたのだけど、その、答えてもらっている目の前の方の名前がどうにも思い出せなくて非常に困り始め、また遠くの方にいる人の顔と名前も一瞬で混乱し始めたので、同年代の人の顔を何とかして覚えるように努めつつ、あとの方の顔と名前は諦めてしまいました。

 ジンギスカンは美味しかったし生バンド演奏もなかなかのものでした。車で行ったのでお酒が飲めなくて、それは非常に残念な気がしました。

2005年8月18日(木) 8月18日(木)23:45 +0900

■ 少し整理。

 日記を少し整理しました。左の日記リンクを見ていただけばおわかりになるように、伝道院日記を独立させました。ただ3カ月分を一つのファイルにしてしまったので異様に重たいです。アクセスが減ること請け合い。

 伝道院提出ファイルのPC版見本【こちら】もつけました。巡回に来られた寮務さんに「配布された書式に手書きせずPC用の書式を自分で作ってプリントアウトして提出しても良いでしょうか?」と尋ねたら「全然問題ありません」と言われたし、わたしも相方も、他にも何人もこの書式で書いて提出していますので今後もしばらくは何の問題もないと思います。一部ファイルは罫線がやっかいですが、でも手書きでやるより非常にラクです。コツ?としては、テキストファイルで文章を全部書いておいてコピペして、改行すべきところをちゃかちゃかクリック&ドラッグしていけば良いと思います。

 ‥‥もし使用なさる場合は配布される純正の用紙と見比べてちょっと考えてからにしてください。これで書いたものを伝道院当局に受け取ってもらえなかったことがあったとしてもいしだは一切責任を負えません。まあ問題なくいけると思いますけども。なおマイナチェンジがあった場合にはそれを反映させてからやってください。

 自己紹介ページも少し更新しました。好きな本・マンガ等の部分です。増やせば良いってもんではないと思いつつ「枯れ木も山の賑わい」という言葉を思い出したりしつつ。

 住民票を京都から北海道の方にやっと移しました。今回はとても面白そうなのに選挙できないってのが、非常にこう、なんとも残念です。

 父が所用で行けない報恩講にわたしが代理で行くことになりました。汽車に乗って2時間、地下鉄やタクシーを乗り継いで1時間くらいのところです。何のお経をいただくのかよくわからないので非常に不安です。、『勤行集』と“赤本”ならびに三部経の薄い方の折り本を持っていくことにしたのでそこそこ対応はできると思います。先請伽陀の出音をまかされることもまずないであろう、とは父の読みです。

 ではまた。

2005年8月17日(水) 8月18日(木)23:45 +0900

■ せっかくの。

 せっかくのW杯最終予選 日本代表 vs イラン代表 戦だったのに、全然集中して見ることが出来ませんでした。ショックで寝込みそうです。でも勝ってくれたのでそんなに深刻ではありません。他者から話しかけられながら、集中力を目一杯削がれながら、代表戦以上にもっと重要なことがこの世にはあるのだという間違いを押しつけられそうになりながらですけど、でも曲がりなりにも全ゴールを見られたのでやっぱりそんなに深刻ではありません。

 東京でオフト監督が指揮するアウェイの代表戦を見ていたら先制されてしまい思わず「わー!」と言ったら隣に住んでる大家さんが怒鳴り込んできたことがあります。今日もやっぱりそれと同じで、わたしにとって何よりも大事なモノなのに他者にとっては別に全然重要でもなんでもなくあまつさえゴールが入ったのに「あー入った」で済んでしまうそういうものであるという、そういうことを改めて知ることが出来た貴重な時間ではありました。

 ジーコの挨拶がとてもよかったです。選手はこれから大変だけど見てる方はドイツまでずっとわくわくが続くのでとても良いです。気になるのはドイツ開幕の6月9日がお寺の初参式と定例であり、最終戦の戦われる7月9日もお寺の定例であるということと、もしかしたら1日と16日のお晨朝の時間に日本代表が変に重要な試合を戦ったりしないかということです。住職には今のうちからそのへん伝えておこうと思います、重なったらわたしはTVを見る、と。

 TVからふと目を離した隙に駒大苫小牧が 1-6 で劣勢になっていました。ああ、連覇なんて夢のまた夢、妄想の域を出ないハクチュウムみたいなもんだよな、と冷静になってチャンネルを替えてしばらくしてまた見てみたら、 7-6 で勝っていました。すごいね。わけわからなくなって来てます。

 もうすぐ決勝戦なので、それが終わったら『ツバサ・クロニクル』もまた再開されるんでしょう。リアルタイムの大画面、とても楽しみです。

2005年8月16日(火) 8月16日(火)21:45 +0900

■ 法話でした。片付けでした。

 うちのお寺では7月1日から「朝参り」と称して1日と16日には広く一般の方にもお晨朝に参加してもらうことになりました。お寺なのでお晨朝は毎朝してますよ、もちろんです。で、今日は16日なのでその日でした。行譜でした。ご法話はわたしがさせていただきました。5分くらい。しんどかったです。ご讃題は『歎異抄』の5条でお念仏についてお話しさせていただきました。専門用語を駆使して、それはそれはわかりにくかったんではなかろうかなあ。

 お晨朝後、午前中は誰かお参りに来られたらすぐ対応できるように寺務所の方にいました。でも来られる方来られる方ほとんどお供えを下げに来られる方だったので何もせずにいられました。その間ずっと下↓の日記を書いたりリンクを少し整理したりしてました。どうも文章に力が感じられません。

 お昼からは納骨堂の片付けに入りました。例年どおりです。個人的に片付けに来られる方が年々多くなって来ていてかなりラクでした。全体の片付けを手伝いに来られる方も少しずつ多くなって来てくれてます。良いことです。

 昨日はクルマの運転が出来ませんでしたが今日はできました。十勝川を渡る橋をふたつ渡ったりしました。おじさんちに行ったりビール券をもらったり買い物をしたりして帰ってきました。

 臨月の姉は『海猿』を見ています。

 おやすみなさい。(−_ゞ ごしごし。

 『智代アフター』【key公式サイト】は11月25日発売だそうです。ソフトの名前が名前なので間違いなく関係ありそうに思えるんだけど key の公式なコメントには「※本作はCLANNADとは別の作品です。登場人物(キャラクター)や 世界観などあらゆる類似に関わらず、両作品に関係はございません。」とあります。なんだろう? コアなファンが「 CLANNAD のイメージが壊された!」と言いかねないのを予測して先手を打ってるんだろうか? どういうことなのよくかわからないので、それをわかるためにも予約しなければなりません。などと言ってみます。

2005年8月15日(月) 8月16日(火)12:15 +0900

■ お盆でした。

 13日から引き続いて、この日もお盆でした。(13日のところにも言い訳を書きましたがその多忙さにかまけて今日まで更新できませんでした。) お参りのヒトは14日よりは多いけど13日よりは断然多くなかったです。朝食後にアリナミンVを飲んで臨んだわりにそんなにしんどくなかったです。というか、飲んだからしんどく感じなかったのかも知れません。声はよく出たような気がします。‥‥聞いてる方がどう感じたかはわからないんだけど、読んでる方はスーッと楽に声がいっぱい出ました。

 下の会館で待っていれば涼しくて冷たいお茶もあって快適だと思えるのに、一族が集まるのを上の納骨堂で待たれる方が昨日から引き続いて少なくなく、見ていてちょっと不思議に思えました。お経をいただくのの順番待ちをしているように見えなくもないので他の方々が少し戸惑ってるのがわかりましたが、まあ、何度いただいても良いのですよ、お経もお念仏も。うんうん。ただヒトが多いと明らかに気温が少し上昇するのでソコは弱ったかもしれない ‥‥ 。

 とは言え、今年はおおむね気温が低くて、納骨堂でお経を読ませていただく分には汗がそんなに出てこなくてラクな感じでした。

 夜は姉の買ってきた「らむ亭」のジンギスカンをいただきました。やわらかくてとても美味しかった。そのへんのスーパで売ってる廉価なモノよりかなり良い値段がしてるんだそうです。コレ自体がフツウのの倍くらいの値段がしてる。でも更にコレの二倍くらいの値段のもあるんだそうです。恐るべし、ジンギスカン。姉夫婦や甥や姪が集合して花火をしました。花火のバチバチはフラッシュを焚くのと同じかそれ以上の効果があってとてもキレイに写真が撮れて良いと思います。

 ない、ないと思っていたファイルがやっと見つかりました。引っ越しのどさくさも悪いばかりではないのですねえ。そういえば水晶の腕輪念珠も京都で荷物整理をしていたら MSZ-006 の箱の陰から見つかったのでした。

 組み立て説明書をよくよく読んでみたら、頭部カメラ・ウェーブライダーの翼端灯・コックピットで電池が4つ要るんだそうです。ビームサーベルの電池は付属してました。黄色い小さな部品がいっぱいあるから、これは本格的に色を全然塗らなくて良さそうな気がする。何にせよ引っ越しの荷物が片づいてから組んだ方が良いと思います。

2005年8月14日(日) 8月16日(火)12:15 +0900

■ お盆なのです。

 例年お参りは13日と15日が多くて14日はそんなに多くありません。今年もそうでした。なのでガンダムがたくさん読めました。高校の同級生と中学の同級生が相次いでやってきて大いに焦りました。あちらはあちらでやっぱり多少困って、というか当惑して? いやなんて言うんでしょう、ともかくお互いに何か照れのようなものが大いにありました。

 この日はクルマの練習でケンタッキーフライドチキンを買ってきました。最寄りのケンタッキーは地球のほぼ裏側ですが最寄りのKFCはうちから10キロくらいのところにあります。今から揚げるのかな、時間かかるのかな、と思っていたら置いてあったのをぽんぽん詰めてすぐくれました。よかったです。しょっぱいですねケンタッキー。ビールにはむちゃむちゃ合うけど夜中に喉が渇いて乾いてちょっとびっくりしました。いや? ビール飲んだからかもな。

2005年8月13日(土) 8月16日(火)12:15 +0900

■ お盆です。

 お盆でお寺にお参りにくるご門徒さんの前でお経をいただく手伝いをしました。13・14・15日の三日間が超多忙の中でも今年は13日がいちばんしんどかったです。実際にはそんなことないと思うけど体感としては二度三度くらい死にそうになりました。

 しんどすぎて、手伝いが終わった後にはココを更新するだけの体力も残ってませんでした。でもって13日がしんどすぎたので「こりゃ体力を温存しなければならん」と思い14・15日も更新をしませんでした。でも13日以外はそんなにしんどくなかったのでやろうと思えばやれたのかもしれない。13日はしかし夜中にデスティニィをしっかり見たのです。まあまあ、そんな感じでした。

 今年はお参りの合間・合間に、京都でもらった『機動戦士Zガンダム』の小説を読みました。くださった方がおっしゃってるように、本当に軽〜く読める。あまりに軽くて富野由悠季の書きグセが異様によくわかったりもする。「、」と「を」が多い。ときどき煩わしい。ときどき効果的。内容はまったくTV版のZガンダムと同じに思えます。背景が詳しくわかったり、TVの方が逆に詳しかったり、そのヒトがそのとき何を考え何を思っていたのかがよくわかったりよくわからなかったりします。3巻でやっとフォウが出てくるっぽい。

 北海道でいちばん大きいかもしれない花火大会が十勝川の河川敷でありました。クルマの運転の練習で10キロくらい離れたところにあるスーパに買い物に行く道々でもどかんどかん大きなが上がってるのは容易にいっぱい見ることが出来ました。買い物はですね。いただきもののスーパードライはたくさんあるんだけどわたしやっぱりヱビスが無性に飲みたくなるので買ってきました。やっぱりサイコーにうまいです。地球にヱビスがあってよかった。‥‥ソーセージも欲しいかな。

2005年8月12日(金) 8月13日(土)0:15 +0900

■ コタツの清掃など。

 いろいろ少し落ち着いたので、というか落ち着いたことにして、部屋に布教使部屋からTVを持ち込みビデオデッキとスピーカもセットして友だちがデスティニィとツバサを録画してくれたビデオをやっと見ることが出来ました。

 アスランも大変だなあ。

 ツバサは甲子園の影響で前回も明日もお休みだそうです。そういえばこの時期のNHKはそういうことになってるんでした。タイガースの連続アウェイよりアニメの不放送の方がよっぽど深刻な気が個人的にはします。以前読んでた『アニメディア』という雑誌に「大相撲で放送中止になった分の『スプーンおばさん』をNHKは最優先で連続放送すべきだ、そしたら許さないでもない」的な意見が読者投稿に掲載されていたのを少し思い出しました。あれにつけても「アニメファン」と「ブンガク青年」は似たものなんですねえ。(意味多少不明か)

 そんなこんなですが明日の分のデスティニィもきっちり予約できました。

 今まで帰省するたび部屋でノートを打つのが不便だったので(わたしの寝泊まりしてる部屋には机もテーブルもないので座って膝の上に置くかベッドの上に置いて寝ころんで打つしか方法がなかった)、今日ついにテーブルコタツを組み立てて配置する事にしました。組み立て初めて気付いたことには取り返しがつかないほど汚れていたので掃除機やクイックルワイパーを駆使して掃除しました。たぶん8割くらいのホコリは排除できたと思います。分解して初めて知ったんですが、冬になってスイッチを入れたら電熱線が暖まると同時に大きな風車のような板がクルクルまわって熱を放散する仕組みになってるんですね。ふぅん。そしてこの小さな蛍光管のようなモノは一体なんなんだろう。

 そういう感じで結構な夜中に掃除機をガーガー言わせていたら、ちょっと離れた部屋で母親と一緒に眠っていたはずの甥がわーわー泣き出しました。うるさくて起きてしまったのか? ( ̄□ ̄;) 悪いことをした! と思って、でもそのままにして放って眠りました。起きて聞いたことには熱を出したりいろいろ体調が悪くって泣いていたんだそうです。姉は掃除機の音に気付かなかったそうです。

 はい。

2005年8月11日(木) 8月12日(金)0:15 +0900

■ クルマの運転。

 1991年に免許を取得してからずっと、まる14年もペーパードライバーをやっていたので運転技量にまったく自信がありません。東京や京都で暮らしていたときは電車や地下鉄ならびにバス・路面電車という公共交通機関、あるいは自転車や徒歩、ごくまれにわたしじゃない人の運転する自動車を駆使して何とかやってこれていましたが、しかしこの地元に帰ってくると公共交通機関でわたしの家の方にまで来てくれてるものが譬喩でも大袈裟でもなんでもなくまったくの 皆無 なので、自動車を運転できるようにならないといけません。

 ということで今日は母校の自動車学校で「ペーパードライバー講習」を受けて来ました。

 今は、助手席に座っている人が自分の運転と全然違うからハラハラしてしまう点を除けば、誰の運転もそんなにべらぼうに危険であるわけはないんじゃないかと思えてます。

 もちろん過信はしたくないケド。では。

2005年8月10日(水) 8月10日(水)20:00 +0900

■ DOVE。

 間違って洗濯石けんで何日かゴシゴシ洗って大荒れに荒れた肌が、間違いに気付いてからフツウの石けんで洗うようにしてるのに全然回復していきません。なので今日は抜本的対策?としてモイスチャーミルク大配合でも有名な DOVE 石けんを買って来ました。わたしとしては回復効果に非常に高い期待が持てると思ってるんですが、さて実際はどうなんでしょう。

 何も洗濯石けんだけだとは思ってませんよ、肌が荒れる理由。かゆくてかいちゃってるのとか、ネコをじゃらしたまま手を洗わずに体触ったりしてるのとか、アレルギーがあるのわかっててりんごを美味しくいただいてるのとか、肌が荒れる理由には事欠きません。でも石けんってのはきっと大事だと思います。

 しかしまあ本当に見事に荒れてるなぁ肌。

 お寺のサイト、トップ掲載の写真が雪景色だったのが春も夏も通り越して秋っぽい曇り空になりました。 →【妙法寺 トップ】 何日か前にカラッと晴れた日もあったんだけど、そのときは大きなクルマがこっちに停まっててあんまりお寺メインじゃない感じだったので、今回のような曇り空の写真となりました。今日もちょっと曇ってます。明日からはまた晴れるようです。

 明日は自動車学校にクルマの練習に行きます。ゴールド免許で非常に優秀なわたしですが14年かそこら運転せずにいるので危険すぎます。ご門徒さんちに行ったり買い物に行ったりラーメンを食べに行ったりできるよう、ちゃんと練習します。 ‥‥ 然別湖も見に行きたいな。

2005年8月9日(火) 8月10日(水)20:00 +0900

■ 荷物が届いた。

 午前中に荷物が届きました。二階のリビングのような空き部屋に運んでもらいました。積み上がった荷物を見て父が「広い部屋があって良かったね」と。すごいことになってます。

 午前中は会館や納骨堂の掃除、午後は定例がありました。母親と掴み合いに近いケンカをした後で一緒に本願寺派の出している『大経』のビデオを見ました。お釈迦さまが阿弥陀如来による救いの法をひとしきり説いた後に「どうしてこのような法があるのに人々はこれを受け容れないのか」的におっしゃって嘆かれた後に出てくる「人々」の有り様がまさに、貪欲・瞋恚・愚痴というような抽象的な表現の上でも、具体的な顔・髪の生え方・目つき・顔の曲がり方などでも、わたしにあまりにソックリで、いやぁーな気分になりました。なるほど、こらたしかに一緒に見ないといかんわなあ。母は母でやっぱり自分にソックリでいやぁーな気分になったんだそうです。そのへん似てはいる。

 いやぁーな気分になるようなことはせんことですなあ。わかっていてもできないことってのは何と多いことか。ご報謝の生活にも全然なってかんし、まさに易往而無人でございます。

 ‥‥じゃなく。ぶつぶつ。なまんだぶつぶつ。

2005年8月8日(月) 8月8日(月)23:00 +0900

■ 留守番。

 どうも。すごくひさしぶりの更新です。お元気ですか。ちしゅーは肌が荒れてひどいです。

 4日の夜あたりに更新しようとしたら電話が切れてました。たしかNTTにはそのように連絡したんでした。連絡してお願いしていたのにすっかり忘れて更新しようとする、そういうわたしなのでありました。という感じで、8月3日分からこっちの日記が新しくなっております。2日のもいちばん最後にちょっと増やしてあります。では、どうぞ。

 月曜日なのでお盆参りはたぶん一件もないだろうという予測がありました。でも誰もいないのはアレなのでわたしが留守番してました。果たして、誰も来られませんでした。

 留守番しつつ、ないながらにそれでもある掃除などをしつつ、甲子園を見たり、政局を眺めたり、ディスカバリーの帰還情況を見たりしておりました。参議院で郵政関連6法案が否決されるのを見ながら、ああ、こんな面白い選挙なのに俺住民票まだ京都だから投票行けないわぁ、って思ってちょっと残念に思いました。参議院で否決されたって別にねえ、衆議院で可決してるんだから放っておいても法律にちゃんとなるんじゃなかったっけ? どうして解散せんならんのか全然わからん。おかげで「支援法」も可決されずに済んだみたいだから(ただし未確認)良いっちゃ良いのかも知れないけれど、何んか非常に腑に落ちません。

 引っ越しの荷物が明日届くので、受け入れ態勢をちょっとだけ整えました。段ボールを20箱以上ガンガン積んでいけるスペースを確保したり、クロネコはお礼の現金を受け取ってくれないので大好物?のアリナミンVを買っておいたり、ですね。

 風呂場にボディソープがありました。でもわたしボディソープは苦手で固形石けんがすごく好きです。なので帰ってきてからこっちずっと風呂場にあった見たことのないタイプの固形石けんで体を洗っていました。で、今日母と話していて、わたしが今日まで使っていたその固形石けんが洗濯石けんであることが判明しました。こんなに肌が荒れる夏はあり得ない、いくら十勝の陽射しだと言ってもこらあり得ない、ちょっと酷すぎる、などなど不思議に思っていたよ。洗濯石けんで体洗ったらそら肌荒れるわな。

 という感じで久しぶりの更新なのでした。以下、8月3日から更新してあります。

2005年8月7日(日) 8月8日(月)23:00 +0900

■ もりだくさん。

 いろんなことがたくさんありました。わたしがすべてに関わったわけではありませんが盛りだくさんでひぃひぃふぅーでした。午前中から、昨日のお通夜に引き続いてのお葬式、別の方のご法事、老人会の草取りならびに追悼法要、子ども会、でした。うちの母親はそれにプラスして本読み系のボランティアでも奔走してました。

 親によると今日はもともと忙しくなる予定で考えてたんだそうです。なのでお盆参りも今日だけは一日ずっと入れてなかった。ただ、お葬式はやっぱり予定立たなかったそうです。なので目一杯の予定にプラスしてお葬式が入りちょっと目が回るほどの忙しさになりました。そのお葬式にわたし今日は一般参列じゃなく導師のヨコで作相をしたりいろいろさせていただく感じで参加させていただきました。教義教学やご信心はもちろん、儀式もともて大事だと思います。わたしが何の手伝いをしてどうなるのか、かなり心許ない感じがしましたが、そして声も小っちゃかったという指摘を受けましたが、大きな間違いや取り返しのつかない大失態もなくおおむね滞りなく進んだように思えました。

 おばあちゃん、94歳で亡くなられたんだそうです。周囲でもある程度の予感というか、考えておかなければならないことだっていうのがあったようで、そんなに涙。涙。な感じではありませんでした。でもあんまりにこにこされてる方が多いのもどうなのかなあって思っていたら、棺を会場の真ん中に持ってきてお花を入れてるとき、多分お孫さんかひ孫さんの年代の方だと思うのですけど、ずっとシクシク泣いてる女性が何人かいらっしゃって、変な言い方だけど、ちょっとほっとしました。

 定例その他の法要がお寺でつとまるときずっとお参りされてたおばあちゃんでした。阿弥陀さまの還相回向のはたらきに乗っかって、今まさにここに来られてます、って父がお通夜の時に言った、それが何ていうのか、こういうわたしが言うと説得力皆無なんだけど、でもそれが感じられる瞬間もないわけじゃない、確実にある、そういうお通夜であり、お葬式であったように思えました。

 その後は、わたしは子ども会に参加しました。

 子どもは元気だわ。

 近所の農家の方がくださったジャガイモや人参を使ったカレーを調理していただきました。無茶苦茶おいしかったです。記録で写真を撮るの、花火をしてるところはフラッシュ無しでもかなりキレイに撮れます。

 子ども会も片付けも何もかもすべてが終わってから、父と二人でちょっと早めだけど本堂や会館の打敷を整えました。手伝いに来てくれていた伯父さんと伯母さんも、本当にいろいろもろもろ熱心に手伝ってくれました。あの二人がいなかったらうちら三人眠るの2時間くらい遅くなっていたことでしょう。

2005年8月6日(土) 8月8日(月)23:00 +0900

■ お通夜でした。

 暑かったです。掃除その他を手伝いました。他には何をしたんでしたか。手伝いは何もしてません。お寺の会館でご門徒さまのおばあちゃんのお通夜があったので一般の人にまじって参列しました。でも正信偈とかお念仏とかが一般的じゃなく坊さん的だったので、わたしが誰なのかわかるひとにはわかったんじゃないかと思います。父がご法話を始めたらマイクの音量がちょっと小さくて聞こえず、実際後ろの方で「聞こえないよー」っていうそぶりを見せてる人が多かったので「マイクお袈裟につけたままじゃなく持って喋って、持って喋って」という指示?を最後列から送ったりもしました。

 十勝では珍しいほどの熱帯夜な夜で、網戸がないのに戸を開けっ放しにしたモノだからハエがすごいことすごいこと。しかも葬儀を取り仕切ってる方々が外の戸を外してそのままにして帰ってしまったものだから (^▽^;) (笑うしかないがな)、お通夜が終わってから思いがけない肉体労働が待っていたりもしました。

 田舎だからでしょうか、亡くなったおばあちゃんの人望でしょうか。夜通したくさんの車がずーっと停まっていて、たくさんの人がずーっと泊まって、お通夜らしいお通夜だったみたいに思えました。

2005年8月5日(金) 8月8日(月)23:00 +0900

■ 北海道です。

 関空の本屋さんで『20世紀少年』の19巻、限定版の方を買えました。漫画なのでさすがに飛行機の中で読了できました。CDはまだ聞けてません。

 北海道に帰ってきました。京都も北海道も暑いです。同じ気温、同じ湿度です。同じ便に関西の方がたくさん乗っておられました。きっと涼を求めて北海道に来られたんだろうに、ちょっとお気の毒です。ただ良かったなと思ったのは、飛行機が着陸する直前に十勝平野のパッチワーク状態の畑をずーっと見られたことでした。「すごいすごい!」って、多くの皆さん上機嫌でした。

 クロネコの引っ越し荷物は9日に着くので、それ以前に必要な法衣その他を別便で送ったのが届きました。

 開けてみたら、法衣ではなくセータが入ってました。

 ああ、big勘違い。

 9日まで法衣は父のを全面的に借りることになりました。

 熱帯夜でした。

2005年8月4日(木) 8月8日(月)23:00 +0900

■ 家賃の話。

 午前中に大家さんと話しました。修理その他でお金がかかる分を敷金から引いた額を後々に振り込んでくれるそうです。あまりに大きく壊したりしてるのならその修理代はこちらがもつのは当然として、でもTVでよく見るトラブル解決法みたいなのによると、10年も住めばそれはいろいろ手を入れないと次の人は住めないわけだけど、そういうのをいろいろするのは実際には住人ではなく大家さんの責任なんだそうです。なのでいろいろ言ってごねることもできたのかもしれませんが、なんかそういう雰囲気ではなく、お互いに「いや10年も本当にお世話になりました」「いやいやこちらこそ本当に」みたいなことになってたので、それで良いことにしました。

 もめたのは家賃のことでした。

 わたしは以前、大家さんに最終月の日割り計算をお願いしたらご快諾いただきました。だから5日に引っ越すことにした。なのでそのむね申したら、大家さんは「入るときに日割りをしていたら出るときは日割りにせず一カ月分をいただくし、入るときに一カ月分をいただいていたら出るときは日割りをすることになっています」とおっしゃる。

 話がこないだと違っている。

 大家さんは夫婦でやっておられます。わたしが快諾いただいたのは奥さんの方で、今話してるのは旦那さんの方。なので旦那さんが奥さんに聞いてみる、ということになり、そのままわたしは部屋に帰った。

 待てど暮らせど何の連絡もない。

 仕方がないのでこちらからもう一度行きました。今度は奥さんが出てこられて、そんなふうに言った覚えはない、一日でもいたらずっと以前から一月分を申し受けている、だからわたしがそのように言うはずがない、とおっしゃる。

 これはおかしい。

 わたしは日割りをしていただけると聞いたから、だから5日までいたんである。一日でもいれば一カ月分かかると言われたのなら無理をしてでも31日に出たに決まっている。契約書にも「最終月の日割りはしない」旨が明記されているにも拘わらず大家さんが「日割りで良いですよ」と格別の計らいをしてくれたから、だからわたしは5日に越すことにしたんである。

 ‥‥

 ‥‥

 ‥‥

 ‥‥

 ‥‥

 ‥‥

 最終的には半月分より少し少ない額で落ち着きました。

 ‥‥

 こちらとしてはわざわざ聞いて確かめて確約をいただいたから5日分で良いと考えていたところを3倍近く「払わされる」わけです。非常に不満です。大家さんとしてはそんなことを言うはずがなく(大家さんによると京都では最終月の日割り計算はそもそもしない習慣なんだそうです)そんなことを言った記憶もないのにいきなりわたしがゴネて値切った感じに思っておられるのかもしれません。そう考えると、大家さんとしては一月分の家賃が突然半額以下になってしまうわけですから、それはそれで不満かも知れません。

 日割りで良いと言ってもらったときに一筆書いてもらうべきでした。

 もう一度言うと、「言うはずがない、だから言ったはずがない」とは言えないと思います。そう言いたい気持ちもわかるけれど、言えないと思います。

■ あいさつに。

 この部屋を借りるときからお世話になっていた京都の知り合いのところに久しぶりに挨拶に行きました。わたしが中学生の頃、二人が結婚される前から知っている、今はお子さんが三人いるご夫婦のところ。

 予測してたり聞いてたりしたけど、でも時間の経つのは早いモノです。お子さんあんなに小さかったはずなのにわたしより大きくなってるし、わたしより先に結婚してたりもしました。

 いやあ。光陰矢の如し。すごいなあ。

2005年8月3日(水) 8月8日(月)23:00 +0900

■ 引っ越しでした。

 いわゆる粗大ゴミにするものを全部出してから部屋の中のこまごまとしたモノをゴミとしてまとめ始めました。いつか使うかも知れないからと思って大事にとっておいたものの大部分が今日はゴミとして分類されて行く、それが変な感じしました。大事な着想だと思ったから書き留めたはずの、今見るとむちゃむちゃ陳腐なフレーズがいっぱいのノートとかも取りあえず捨てました。中学校の時に国語を教えてくれた担任の先生が、大学生のとき、サトウハチローに憧れて「母」にまつわる詩をたくさん書いて出版しようと思っていたが、大病で入院し生死の境をさまよって生還してからそれらを見たらあまりに陳腐でどうしようもなくてびっくりして詩をほとんどやめてしまった、と言っていたのが少しわかった気がしました。どうしてそこでやめたのかはよくわかりませんが、でも陳腐でびっくりするってのはわかります。だけど中には今の自分には到底書けないようなモノを書いてるのも残ってますから、それもびっくりです。

 とにかくそういうふうにゴミをいっぱい捨てました。

 午後の16:00からはクロネコさんが二人来てくれて、本の入った段ボールを20箱とか、組んでないガンダムのプラモデルとか、ちぃのポスターコレクションBOXとか、通信教育で書道を申し込んだら送ってきてくれた、でも一度も使ってない何かのセットとか、とうとう捨てられなかった・もらってももらえなかった木村佳乃のカレンダ(2002・2004)とか、服とかレジュメとかいろいろなものを積んでってくれました。

 こちらはボックス2つのつもりだったんだけど、クロネコさんとしては一つで承ってくれてたようでした。なので最初にすごく恐縮されて申し訳なさそうに「この量ではボックス1つだけだと無理かも知れませんね」と言われて逆にこっちがびっくりすることになった。「いや、2つで申し込んだつもりだから、良いですよ2つになって?」と言ったら「ああ、よかった!」みたいな。

 わたしが一つ運ぶ間に彼らはそれぞれ二つ運ぶという仕事量の差がある中で作業が進んで、三人とも汗だくだくになりました。滝のようでした。シャツが二回くらいしぼれそうでした。全部運び終え、代金も払い終え、最後ご祝儀というか御苦労様というかチップのような某かの金額を渡そうと思ったら、「怒られます!」とおっしゃって頑として受け取ってくれませんでした。申し訳ないなと思ってアリナミンを渡そうとしたら、今度はにっこりされて「ああ! こちらはありがたくいただきます!」と言って持ってってくれました。よかったです。

 その後もゴミをいっぱい整理しました。一日で10袋とか出しては本当はいかんと思うんだけど、でも出さないと仕方ないので出させていただきました。想い出ではなく本とゴミとでいっぱいのわたしの部屋だったのがよくわかりました。

 夕ご飯は「てんぐ」に行ってラーメンをいただきました。帰ってきてしばらくして、自転車をもらいに来てもらいました。いろいろいただいてしまいました。ありがとうございます。

2005年8月1・2日(月・火) 8月3日(水)3:45 +0900

■ 引っ越しですよ。

 すみません二日分の更新です。

 昨日も今日も引っ越しが大変です、終わり。以下その説明です。疲れてます。

 カラーボックスはゴミに出す交渉がうまくいきました。テーブルもゴミとして出せることになりました。よかったよかった、と思っていたのが1日です。でも姿見やOAチェアが残ってしまうのは如何ともしがたくて、そのへんちょっと困ってもいました。

 1日の昼間、若い男女が隣の部屋に荷物を運び込んでいるのにあいました。独去独来、みたいな気がしましたが彼らはどうも「一人」じゃないようなので正確には独去二来ですね。向かいもそうだけどココはいつから同棲アパートになったのかなあ。

 2日になって、姿見をもらってくれる人が見つかりました。カラーボックスと一緒に持ってってくれることになりました。よかったよかった。

 ゴミをゴミ袋に入れ、本その他を箱に詰め、という作業を延々繰り返していたら、予定通り20時頃に友だちが二人車で来てくれました。カラーボックスと姿見を持っていってもらうためです。あらかた積み終えて、OAチェアが未だ残ってしまってることを言うと、合研に置けば良いのでは? というまるでずっと前から決まっていたかのような提言が帰ってきて、バラせるだけバラして一緒に持ってってくれることになりました。また、部屋を一応見せたらコンポのスピーカは欲しいとのことでコレも持っていってもらいました。

 その後、2日の深夜、3日の午前0時以降にゾクゾクとゴミを出しました。PCラックや小さめのテーブル、PCモニタ、パイプで出来た衣装ケース、などなど。名前のシールを貼って出していたので通りかかる人からとがめられることもなく。偶然会った下の蕎麦屋さんの店長さんがソレらを見て「ちょうど物置の棚に良い!」とおっしゃって、これはちょっと汚なすぎるなと思って人に譲らず捨てることにしていたカラーボックスを持って行かれました。その後テーブルもなくなっている。たしかに、物置で使うのなら問題ないくらいの汚れかもしれないなあ。

 「後はコレとコレ」という大体の目星がついた気がしたので、先日頼まれていた燃えないゴミ出しに下京区へ行きました。水曜朝もしくは火曜深夜に燃えないゴミを出しておくことを約束していたのです。行って困ったことには、一体どこが依頼者の家の最寄りの集積所なのかがわからない。10分くらいぐるぐる回って、100mくらいのところにやっと一つ見付けたのでそこに置いてきました。「出しに行ったけどどこに出したら良いかわからなくて出せませんでした、はっはっは」的なガキの使いにならなくて本当によかった。次からはもっと確認しよう。

 帰りに横綱でラーメンをいただいて来ました。混んでました。こんな夜中にみんなラーメン食べて眠ると太るよ、大丈夫なの? と思いながらいただきました。まあまあ大きなお世話です。ビールも飲みたかったけど、ねえ、店で飲むお金出したら酒屋さんでは2倍買えます。というか眠くなっても困るので断念しました。と言いつついま非常に眠気に襲われております。飲んでも飲まなくても一緒か。じゃなく飲んでいたらもっと強烈な睡魔であったに違いない。飲まなくて良かった。今日はネギを一気にラーメンの上に空けたら店員さんから「ネギおかわりいかがですか?」と問われました。そうかそんなネギネギ三昧なこともできたのか‥‥。今日はやめておきました。

 これから衣装ケースを下に運んで、コタツ布団も運んで、それからベッドの上に載ってるモノを床に下ろして、いよいよベッドをバラします。こんなに眠いのにもうベッドでは眠れなくなるわたし。しまうべき布団は大事にしまわまくては。

 では、引っ越しに戻ります。こんな今日昨日なので次に更新できるのがいつか予測が付きませんが、でも京都にいる間にもう一度くらいは更新できるんじゃないかと思ってます。なお京都を去るのは5日の早朝です。見送り、餞別、ハナムケの言葉、募集しております。掲示板もメールもどうぞどうぞ。チェックできるかどうかも更新同様はっきりとは言えませんけども。

 ではでは。お元気で。

 2005年8月3日 8:00 付記

 ベッドを解体しようと思ったら、解体するのに使うべき六角棒(正式名称わかりません。六角柱を途中で90度折り曲げてあるやつで、自転車ハンドルの支点を調節するときにも使います)が見つからない。見つかった! と思ってはめてみるとコレはさっき解体したPCラック用である。

 ペンチも、さっきあったのにもうない。どこかの何かの下に潜り込んだかどこかの箱の中にもぐり込んで荷物になってしまったか。探しても探しても出てこないので、もう仕方がない。解体せずに出すしかあるまい。

 壁やドアを壊しそうになりましたが(一部目立たないところが本当に破損した)なんとか無事にベッドも部屋から出すことができました。階段も大きな関門でしたが途中何度かぶつけながらもアパート下の指定された場所に置くことが出来た。ホッとして、ゴミのシールを貼るのを忘れそうになった。

 先に出してあったPCモニタが持ち去れていることに気付きました。大きいし古い方の書体で「Gateway」って書いてあるし、ファンにはたまらないものだったりするのでしょうか。わたし自身ケースは未だに使っているし日本撤退当時はキィボードを使い続けるのがもったい気がして新しいのを買ったりしましたし、気持ちがわからなくもありませんが、そのモニタは3月に一度逝きました。その後も逝ったりきたりを繰り返していて、そしてつい先日、ほんの一昨日くらいに完全に逝ってしまった、ような気がわたしはしています。あれは持って行かない方が良かったんではないかなあ。

 見た感じ、カラーボックス(おじさん)、テーブル(これもたぶんおじさん)、モニタがなくなりました。申請したのとこれだけ違うと京都市の方から「あるべきものがないんだけど何故?」という電話がかかってくるかもしれませんね、なんて適当に書いてみる。

 引っ越しの写真、いっぱい撮りました。足の踏み場のない部屋がまずあって、そこからゴミ満載の袋がまず一つ二つ抜けていく。次いで PCラック・椅子 -- ベッド を往復していた本が箱に入って部屋の外のあんまり誰にも迷惑がかからないはずのところへ去っていく。その後はカラーボックスの中に入っていた本が続き、ベッドの下や机の下からも続き、‥‥やがてビデオテープ・DVD・CDも続く。

 2002年と2004年の木村さまのカレンダ、表紙が素晴らしすぎて一枚もめくりませんでした。なので「新品並みやや色あせ、少しヤニくさくもある、だけど休煙以降は良い香りのお線香でも薫習しているから相殺済み」という状態で存続しています。捨てるのも不作法なので持って帰ることにしました。

 シャープの書院も持って帰ろうと思っています。

 PCの本体からHDDだけ取り出すのはやっぱりやめました。きっと、きっと大丈夫だよ。だめだったとしてもメールもマイドキュメントもノートが主になってるからそんなに問題は起こらないんだろうと思うんです。実際どうなるかはわかりません。

 眠いな。ちょこっと眠ります。すぐ起きてクロネコさんに持ってもらう箱を整理します。でも予定は未定。徹夜はきつい。いやそうは言っても頑張って起きましょう。

 2005年8月6日 22:30 付記

 2日のお昼ころ、アパートの中で犬がものすごいでかい声できゃんきゃん鳴いてうるさかったので、どこで鳴いてるのか不審に思ってドアを開け様子をうかがってみたら、犬じゃなく女の子の声で、しかも隣の部屋からでした。びっくりしました。たしかお昼の12時か13時だったと思う。アパートは狭い。狭いけど、狭いながらも、せめて寝室ですれば良いんじゃないかと思いました。どうして殊更に筒抜けの玄関でしていたのか、今もすごく不思議に思っています。聞かせるためかとも思うんですけど、でもわたしが「聞こえてるけど、良いの?」という意味をこめてうちの部屋のドアに手をそえず自由落下っぽく「ぱたん」と閉めたら、2日は一日中ドアをすごい音をさせて閉め続けられたので、どうもそうでもなかったらしい。じゃあなぜ殊更に玄関で?

 不思議でした。


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