Just a Little Bit of
2005年1月の日記

2005年1月31日(月) 2月1日(火)2:00 +0900

■ 更新。

 バイト系と先生系の二つのサイトを更新しました。バイト系はすぐ更新できたのだけど、先生のサイト、先生パスワードを変更したのをわたしに伝えてくれてなかったものだから一瞬は更新できませんでした。その数時間はFFFTPのせいにしてしまった。ごめんなさい。

■ モデム。

 モデム、一件落着です。

 昨年の後半からネット接続がおかしくなり、前触れなくぷちぷち切れ出し、暮れには「ときどき切れる」のではなく「ときどきつながる」というのが常態になっていました。先日それを so-net にメールしたところ、「回線を絞る」作業が行われて接続は一応安定しましたが、ADSLとは思えないほど遅くなってしまったので、あわせて新しいモデムが送られてきて、取り替えて、取り替えを待って「回線を絞」っている状態なのを「解放」し、それでどうなるかを見ることになりました。

 「解放」が行われたのは昨日で、速度は接続が勝手に切れ始めた頃に較べて格段に改善されました。今日は so-net の方から電話がかかってきて、新しいモデムでは速度も出ていて切断もまったく起こっていないことが確認されました。それを踏まえて古いモデムにもう一度取り替えて様子を見たら、今度はまったくつながらないことが確認され、やっぱり、外的要因ではなくモデムがおかしいから接続が不安定になっていたのだろうという結論が一応出ました。でも外的要因の何か変な症状も併発している場合もないわけではないかもしれないので、何かあったらまた連絡をください、ということになりました。「ゆうパック」の送り状が届いたら古いモデムを送って、それで本当におしまいになりそうです。

 よかったよかった。

■ JOY。

 YUKI【公式】の『JOY』はどことなくくるり【公式】の『World's end supernova』に似てる気がします。こういうくるくる回る感じの曲、大好きです(「どことなく」と言うよりサビですね)。たぶんどっちの歌詞もどっちのメロディでも歌えると思う。ということはこのジャンルフリーみたいなリミックスは『World's end supernova』にも可能かもしれない。だとしたらすごいなあ。しかしこのジャケット写真は何を意味しているのだろう‥‥。

 昨日の夜に調理したシチュー、すごくうまいです。

 さて、さて。

2005年1月30日(日) 1月31日(月)4:15 +0900

■ モデム調整。

 今日は「モデムどう?」の電話が so-net の方からかかってきました。13:00頃に約束をしたはずだと思って安心していたら、12:00の記憶違いだったようで、かなり焦らされました。パソコンに電源が入ってないときにパソコンの話なんて出来ません。もっと注意深く生きられればいいな。

 電話はすごく丁寧で、ゆえに長かったけど、話の要点は簡単、「新しいモデムは到着しましたか? 到着しましたか。では2,3日以内に調整させていただきます。モデムの電源を切らずにお待ち下さい。」という内容でした。電話をしながら調節するという図を思い浮かべていたのですが、そうではなく、向こうでいろいろ引き継いだ結果として調節が為されるようでした。二日もかかるのかと思って喫茶店に出かけて帰ってきたら「調節しましたよ」という留守電が入っていました。

■ 喫茶店。

 遅くまで本を読もうと思って行った喫茶店、こないだおじさんに聞いて答えてもらったとおり10時に閉まるはずだと思って安心して本を読んでいたら突然寒くなって、部屋が寒いから避難するために喫茶店に出かけているという一面もあるのに完全に無意味になりました。どうしたんだろう?と思ったら、すごい勢いで、でもすごく静かに店じまいしていた。びっくりしました。日曜日だけは7:00に?閉まるんだそうでした。前聞いたのは平日だったからなあ。

■ 本。

 町田宗鳳『前衛仏教論』ちくま新書【bk1】を途中まで読みました。「前衛的でなければ芸術ではない」という石原慎太郎の言葉をもじって「前衛的でなければ宗教ではない」と言い切るあたりすごく良いと思う。主題はオッケー、でも ‥‥ なんか変だ、なんか変だぞ、と思いながら読んでおります。上田紀行『がんばれ仏教!』【bk1】みたいな本だけどちょっと違う。最近チエが付いてしまったせいか心の底から「すっげーおもろい!」と言える本にあんまり出遇えてない気がします。でも好きな作家や思想家はいるし、新規に読み始めて気に入る場合もあるから一概にそうとも言えないんだろうけど、 ‥‥ よくわからんです。たぶん単純に好みの問題かも知れない。

 ではです。

2005年1月29日(土) 1月30日(日)3:00 +0900

■ 風邪クスリ効く。

 バイトでした。

 朝早くに家を出るわけですが、どうも熱っぽいな熱っぽいなと思いながら小川珈琲で朝ご飯、そのあと風邪クスリを飲んだら、効く効く。よかったです。昼以降は飲んでないけど元気です。今日もちゃんと暖かくして眠ろうと思っております。

 大学は深草で入試をやってるので、大宮にもまったくまったくほとんど誰もいらっしゃいませんでした。図書館も閉まってました。当然のように生協食堂も開いてなかったので昼はセカンドハウスでカルボナーラをいただきました。びっくりするくらい早く出てきてちょっと恐怖を覚えましたが、ちゃんとアルデンテでした。さすがです。

 バイト先のサイトや先生のサイトを更新するためのファイルをわしわし作りました。試行錯誤試行錯誤。フォントの設定がスタイルシートに移行するのはまだまだ先になることでしょう。すっかり忘れておりました。

 ずっと学校に置いてあったマンガその他いろいろな本を半分くらい持って帰ってきました。その本にプラスして段ボールに詰め、コンビニに持って行って実家に発送しました。送ったのは、マンガがサイカノ・キラキラ!・さくらの唄、それぞれ全巻。他は『ゲド戦記』全6冊、『ブレイブ・ハート』『ico』その他。とにかく重たくて、コンビニで宛先をうまく書けないくらいでした。なので帰りに送り状を三つ貰ってきました。今度は持って行ってから書くのではなく、書いて一緒に持っていこう。

■ モデム。

 モデムを新しいのに取り替えました。明日電話がかかってきていろいろ調節したり試してみて、それで接続がムチャクチャになってるのの理由が、モデムか、その他か、ある程度以上にわかる筈です。わたしは前々から多分モデムが深刻な事態に陥ってるんだろうと思っているのですが、専門家じゃないのでわからんのです。とりあえず以前はモデムのファームウェアさえも更新できないくらい不安定だったので、それが何とかなれば万々歳かもしれません。「お客さん!モデムはどこも悪くないよ!原因まったく不明だよ!」って言われたら立ち直れないだろうな。

■ 本。

 佐伯啓思『自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで』講談社現代新書1749 2004年11月20日 740円(税別)【bk1】を読了しました。統一的な価値判断基準がこの世にはないないない! という幻想みたいな事実がこの世界には現在まさにあるわけですが、それについて、前半ではいろいろな枝葉的な話題を具体的に詳細にこれでもかというほどに検討してそれを憂えているような感じでした。でも、それでいて、後半部分では統一ルールがあることを「われわれ」という言葉を多用しつつ‥‥夢想している。論理がかなり弱い。「佐伯さんどうしたの? 駄目になっちゃったの? 講談社現代新書なのに?」という第一回目の読後感でした。

 たぶん、「自由」をいろんな角度から論じる中でいろんな哲学者が目白押しでいっぱい出てきすぎたので、わたしの理解がおぼつかなくて悲しい誤解に陥ってるだけなんじゃなかろうかという気がしてます。本の紹介を書くつもりなので、とりあえずもう一回は読んで、そしてもし上↑のような思いをぬぐい去れなくてもそれは薄めて、知的な議論がとても楽しい!という事実に焦点をしぼった紹介をしたいなと思っております。

 森岡浩之『星界の戦旗』の「I」も読みました。アニメのイメージが強烈なせいもあってか、ドゥサーニュさんとケネーシュさんの話は特に好きです。‥‥ あと、どうでも良いことかもですが、「bk1」で作家名の【も】を選択してどんどん下がっていくと、森岡浩之(SF)の直下に森岡正博(生命学)があるという、なんかすごいことになっています。共通点は ‥‥ 二人とも書き下ろしが多いということでしょうか。

2005年1月28日(金) 1月28日(金)23:33 +0900

■ 風邪かな。

 この冬、京都ではまだ暖房器具のスイッチを入れていない石田です(もちろん北海道では入れまくりでした。でないとこの世にあった僕という現象はすでに滅び去っていることでしょう。いやそんなことが言いたかったわけじゃなく)。このたびめでたく風邪をひいたようです。というのは、眠るとき、いつもはシャツの首の後ろのところに携帯カイロを貼って暖かくして眠っているんだけど、昨晩は寒さ(暖かさ)が微妙だったので貼らずに眠ったんです。うつらうつらしながら「いや今日も貼った方が良いんじゃなかろうか? いやこのくらいなら貼らなくても良いよ、むしろ貼ったら暖かすぎて寝汗だらだらで逆に風邪ひくよ。いやでも貼った方が暖かいよ。いやでも寝汗は怖いよ。いや貼った方が。いやいや。いやいや。‥‥」と思っていて、起きたらどうも、風邪のような重たさです。

 今日はどうあっても貼って眠ろうと思う。

 アリナミンVで風邪薬を服みました。子どもがこういうことをすると体調崩して死んでしまうことがあるみたいですが、わたし頭の中はお子ちゃまやけど体はほとんど大人なので、そして何度もこういうことして鍛えてるので、きっと大丈夫だと思います。問題はカフェインか何かの作用でまったく眠れなくなって逆に深刻に体調を崩すことがないわけではないということです。ってやっぱりお子ちゃまですね。

■ クラナドの音楽集。

 昨夏のコミケで限定発売されたという『CLANNAD』の音楽集が一般向けに発売されました。アマゾンにて購入。たいてい発売日前日の発送で、かつ発送後すぐ「発送しました」というメールが来るはずなのに、今回は発売前日(昨日)のメールが来ませんでした。ふうん、今回はきっちり発売日の発送なんだ、と思っていたら、今朝商品が届きました。何も言わずに送ってくるってことがあるのかな? と思ってメールボックスを開いてみたら「発送しました」というメールは今日の5:00過ぎに受信されていました。不思議な感じがしましたが届いたから良いのです、うん。

 以下、プレイしたことのない人にはわからない言葉たち。
 CDは3枚組で、Disc1にはことみ、Disc3には杏のそれぞれ夏服姿が、Disc2にはこないだまでKeyの公式サイトの表紙にもなっていた、汐を抱いた渚の姿がプリントされてます。ゲーム版DVDに収録されていなかった曲も数曲収録されてます。ライナーノーツを参照しつつざっと聞いてわかったのは、『メグメル』の新バージョンと『−影二つ−』のオリジナル・フルバージョン、ならびに『メグメル』と『小さな手のひら』のボーカル無し版、そして未使用曲が二つ、です。
 多くは優雅で感傷的な、まるで日本野球のような曲たちで、とても気に入っております。いちばん好きなのはしかしやっぱり『小さな手のひら』ですねえ。『AIR』の夏みたいな感じで、クラクラしました。そのうち何曲かには無理矢理PVが出たり、‥‥しないのかなあ。

■ あれれ。

 自分の持ってる浄土真宗聖典註釈版(七祖篇)には当然の事ながら書き込みがしてあります。黄色鉛筆だけにしておけば良いのに、よせば良いのに赤ボールペンでぐるぐる囲ったりしている。そんなにたくさんの頁にしてあるわけではないけれど、綺麗にコピーしようと思うとちょっと、元の表記の判別に邪魔なくらいの書き込みがある。なので大学の図書館に綺麗なやつを借りようと思ってやって来たら、‥‥フツウの註釈版の第二版は借りられるけど、七祖篇はあんまり貸し出してないみたいでした。辛うじて深草に置いてあるのは一冊借りられるみたいなので、それを借してもらえるように手配を頼みました。しかしここは龍大なので、そして真宗に関係のある本なので、もんのすごい書き込みがないとは限りません。どんな本が来るのか、楽しみなような怖いような、複雑な感じです。

2005年1月27日(木) 1月28日(金)3:10 +0900

■ 二日酔い。( ̄〜 ̄;)

 どうもご無沙汰しておりました。論文が一応終わったので、やっと書けております。

 今日は起きたら朝でした。昨晩の帰路の途中からとぎれた記憶をたぐり寄せようとしたんだけどうまくいきませんでした。ノートがリュックの中から消えていて青くなりましたが、何のことはない、机の上に置いてありました。携帯が行方不明になっていて非常に困ったので固定電話からかけてみたら、部屋の中のどこかで「ただいま電話に出られません」という声が聞こえたので、ちょっと安心出来ました。コートのポケットに入っていた。よかった。昨日出そう出そうと思っていたメールを出さずに眠ったので出そうと思ったら、すでに出してありました。出した記憶がない。というか先生に出したのに
以前申しておりましたように提出前に卒業論文のご指導をお願いしたかったのですが筆が遅く(タッチタイピングは誰より速いのですが)まったく叶いませんでした。
 なんて書いてある。他の所にもよくわからん文章のカタマリがありました。全体としては、ヨッパライにしては抑えた文章だったけど、こういうおちゃらけたことを先生に書いて出してはいけないと思います。

■ 遅れる。( ̄□ ̄;)

 そんなこんなで約束に遅れました。行っても非常に頭がしんどい。胸が重い。ごはんは美味しかったです。喫茶店とか他の人がいっっぱいいるところで携帯の着メロを二人で観賞する人って苦手です。と道々大声で歌う奴が言うな。

 夕方になるまでずっと胸が重たかったです。

2005年1月26日(水) 1月28日(金)3:10 +0900

■ 提出。

 今日も学校はあったんですが講義は聞けず論文の手直しに明け暮れました。「註」部分のレイアウトが字数と行数を逆に設定してたことにやっと気づいて修正したり。こういう不備は提出直前に判明するものと相場が決まっている。プリンタが壊れるのもたいていこういう時ですよね、今回は大丈夫でしたけど。

 16:30頃に提出しに行ったら、ちゃんと受け取ってくれました。よかったです。今回の提出人数は5人で、わたしがいちばん最後だったそうです。

 論文は、本文が20字×20行で34枚、註と参考文献は20×25で20枚です。タイトル・目次は
  「「脳死」臓器移植の問題と真宗」

   はじめに この問題を扱う理由

   第一章 自己決定と共鳴する死

     第一節 自己決定と他者
     第二節 他者の共鳴
     第三節 イメージという拘束具

   第二章 「脳死」臓器移植とは

     第一節 臓器移植法の性質
     第二節 判定基準の妥当性
     第三節 脊髄反射とラザロ徴候
     第四節 揺らぐ判定基準

   第三章 QOL概念の中心

     第一節 延命治療とQOL
     第二節 医療の中心点
     第三節 中心課題

   第四章 町野案の検討

     第一節 町野案とは
     第二節 死後の臓器提供への自己決定
     第三節 「さるべき業縁」
     第四節 町野案は是認されない

   第五章 真宗の接近法

     第一節 真宗からのアプローチ
     第二節 慈悲と「脳死」臓器移植
     第三節 往生の因 無疑

   結論 「脳死」臓器移植の問題と真宗

     第一節 理念的には
     第二節 具体的には

   おわりに
   註・参考文献

 という感じです。面白くなくて僅少論理なのはいつものわたしの論文の特徴を踏襲してますが、でも内容の一部は非常にわたしらしくないと自負しております。読みたい方はどうぞおっしゃってください、コメントをヨコしてくれるならメールに添付して送ります。怖いモノ見たさって大事だと思いますから。でも「好奇心がネコを殺す」ということわざもあるんだそうですね。怖いですね。わたしがいちばん好きなことわざは「勉強ばかりしてジャックは駄目になってしまった」ということわざです。All study but no play made Jack a dull boy. だったかな。この dull boy というのがだるそうでとっても好きです。

■ 新年会。

 参加させていただいている『論註』勉強会、今日は勉強会の後に新年会がありました。お酒をいっぱい飲んでるうちにわたしだんだんおかしくなって、先生をぺしぺし叩いたりかなり年上の人にヘッドロックかましたり、なかなか酷いヨッパライになっていた気がします。

 帰り、ヘッドフォンステレオを聴きながら元気に歩いて帰ってきたんですが、音楽に合わせてすごい大声で歌っていたことを覚えています。覚えてはいるんですが、一体どのへんまで歌って歩いていたのかがわからない(なんせ歌って歩いてるあたりから朝起きるまでの間の記憶が皆無)。ソトならまだなんとかなるけれど、アパートの階段や部屋でも歌っていたとしたら周囲にひどく迷惑だったろうなあ。苦情はまだ来てないから大丈夫だったのかな。苦情を言うこともためらわれるほどひどかったのかな。

2005年1月25日(火) 1月28日(金)3:10 +0900

■ 論文論文。

 論文を提出する先の研究機関に出かけて講義を受けました。提出期限は水曜日なんですが、今日提出するという友だちが論文を見せてくれました。「30枚程度」という規定に対し彼は37枚くらい書いたそうです。なら俺も!と思い、北塔和上本の感想+は組み込まれることが決定です。

 その後、提出用の紙を買いました。背負って帰るの重たかったです。

 その後は今日もやっぱり喫茶店に行って論文を書きました。一応本当に完成したみたいです。家に帰ってきて提出用のレイアウトに整え、章のタイトルなどをわかりやすくゴシック体にしたりして、プリントアウトしました。

 今回の執筆はなかなかスムーズだったような気がします。内容の出来がどうかはまだよくわかりません。研究員の先生や和上がどんな意見を持たれるか。その前に少し冷静になって読み返し、書き直すべきところを自分なりにはっきりさせておければ良いなと思います。

2005年1月24日(月) 1月28日(金)3:10 +0900

■ 遅くなる。

 so-netから電話がかかってきました。モデムがいかれてるのかも知れないけれど、いろいろ調べてみないと本当のところはわからないので、「切り分け」のためにいろいろ試さないと駄目なんですよ、的なことをすごくわかりやすく説明してくれました。とにかく今は接続が非常に不安定なので、安定化するところまで「絞った」設定にしてくれてるそうです。8メガなのに1.5メガしか出てない。

 いろいろ試した結果、やっぱりモデムがおかしいのかも知れないということになりました。新しいのを送ってくれるそうです。それをつけてみて、「絞った」設定を解除してみて、それでどうなるか。速度が出た場合はやっぱりモデムがおかしかったんだ、ということになるんだそうです。

 まあまあ、うん。どうなるのであろ。

 その電話が13時頃で、その後、二日続けて行くのも優雅さからほど遠いよなと思いつつ喫茶店に行き、カップケーキを食べ食べコーヒーを飲み飲み『星界の紋章』を読み読み論文を書きました。北塔和上の本の感想+を論文に何とか組み込めないかと思い、文章をもう少ししっかりしたものに変えたりしました。変わった喫茶店で、他のテーブルでは碁を打ってる人たちがいました。ぱちん、ぱちん。バックギャモンとか持ち込んでやっても何も言われなさそう。

2005年1月23日(日) 1月28日(金)3:10 +0900

■ ケーキ二つ。

 男子の都道府県対抗駅伝は京都じゃなく広島で実施なんですね。そういえばそうだったかもしれません。去年も「あらそうだったの」と思ったような記憶が、少しあったかもしれません。ともかく京都はフツウの日曜日でよかったです。

 論文を書きに、こないだ教えて貰った喫茶店に今日も行きました。お昼にチキンカツカレーをいただき、ごちそうさましたらコーヒーを頼んでノートを開いてぱちぱち書き、煮詰まりそうになったら『星界の紋章』を開いて読み、またぱちぱち、ノートの電池が切れるまで居続けました。2003年の12月に買ったモノなのでさすがにバッテリが古くなっていて、連続で使うと5時間くらいですかねえ。

 その喫茶店、コーヒーにカップケーキが一つついてきます。ふわっとしてておいしい。おおこりゃええわいと思って黙っていただいています。それが日曜日は二つついてきました。カレーを食べた後なのに。困ったなと思いつつ論文を書き書き過ごし、もう一つコーヒーを追加で頼んだときに「ミルク要りません。このケーキもさっきのが一つ残ってるので良いです」と言ったら、‥‥今度は袋に入れて持って来てくれました。ここで食べられなかったら持って帰って食べてね、みたいな。家で美味しくいただきました。コーヒーにも合うけど、牛乳にもとても合います。

 カレーを作りました。

■ 八尾。

 土曜日(この↓下)はこういうファイルを一生懸命に作り、バイトをし、八尾南に稲城和上のご法話を聞かせていただきに行き、梅田でいろいろ食べたり飲んだりし、友だちんちでまた飲んで話して、それで帰ってきました。何かあったんですが、忘れました。

2005年1月22日(土) 1月23日(日)3:10 +0900

■ 曲がっている。

 曲がっている気がする。〈仏教経典や戒律を解釈すればこう言える〉と〈真宗の聖者の論説の解釈からはこう言える〉とはまったく違うし、この世の人間の行いは「善行」と「悪行」との対立した二項で分類し尽くせるものではないし、「許される」と「勧励される」とは正反対に違う。
現代は医療技術が発達しています。そのため、麻酔の使用や術後の治療次第では臓器等を取り出すことによるドナーの苦痛はなくなることでしょう。そうしますと、先の人肉の使用を禁じる第一の理由は成り立たなくなります。その理由だけでは臓器移植を禁ずる必要がなくなると思われます。とりわけ、死後の身体からの摘出であればまったく本人への苦痛はありませんから……。
北塔光昇 『仏教と脳死・臓器移植』 永田文昌堂 2001年3月1日 p.53
 まず第一に、(略)
 第二に、臓器を摘出されることとなった「脳死」の人には麻酔が施術され、時にはモルヒネも投与された上でメスが入れられ臓器が摘出される。なぜなら、そうしないとその人が「脊髄反射」の域を逸脱したかのように「のたうちまわる」からである(法的な「脳死」の判定が全脳の機能が不可逆的に停止した状態とそうでない状態とを精確に分断することを可能とした脳死判定基準によって行われる以上、そのように判定された人がどのように行動しようとも、その行動に脳が関与しているはずがない、それは脊髄反射に決まっている、と言われている)。臨床的に「脳死」と診断された人の場合でも自発的な運動を行う「ラザロ徴候」と呼ばれる現象が起こる場合のあることが知られてもいる。また、意識というものがどのようなものであるのかが科学的・医学的に解明し尽くされているとは言い難く、脳生理学者が脳について「よくわからない」と言わざるを得ないのが現状であるという事実と、以前はあり得ないとされていたニューロン再生が実際には起こっている事実を重く受け止めるべきである。
 現行の法的な「脳死」の判定基準に対し斯様に多大な疑問が投げかけられている現状では、臨床的に「脳死」と診断されたり法的に「脳死」と判定されたりする人はまさに生きていると考える方が妥当である場合があると言える。であるならば、たとえ苦痛が緩和されているからといって、その人の身体から生存に必須の臓器を摘出する行為が許されることは〈仏教的には〉ない。
 また、文脈から判断するに、この文章は生体移植と「脳死」の人からの臓器摘出との二つを二つながら一息で語る工夫を試みているのだが、性質がまったく異なるものである以上、ドナーの生還があり得ない「脳死」臓器移植を、ドナー・レシピエントの両者の生還を前提として施術される生体移植と混同して語ることは避けられなければならない。
慈悲の心を失わないための教育的配慮があれば大乗仏教の目的は達せられると思います。すなわち臓器移植を行う人々に慈悲の心を伝え、人体や臓器を単なる「モノ」として扱うことがないような方法を講じればよいのです。具体的には、学校や、医療現場での(儀式を含めての)教育的な布教伝道となります。今後、仏教者の側から臓器や人体が単なる「モノ」として扱われないように、倫理的な側面を重視する社会への積極的働きかけが必要になってくると思います。
北塔光昇 『仏教と脳死・臓器移植』 永田文昌堂 2001年3月1日 p.63
 このような論理で「脳死」からの臓器移植を容認するのには無理がある。なぜなら、そのように考える仏教者から慈悲の心を伝えられていない人同士の間でも臓器移植は可能だからである。
 また、仏教が世間に対する無力を指摘されて久しい現状では、仏教の提唱する理念がどのように素晴らしいものであろうと、世間の人にその理念が十全に届くとは言い難く、であるならば、届けるために努力を行うということと、実際にどのくらい届いたかという事実とは、厳密に分けて認識する必要があるであろう。
 また、素晴らしい理念に裏付けられて開始された社会的なシステムがひとたびシステムとして稼働を開始すれば、その高邁な理想は次第に忘れ去られていくことが知られている。「自己決定」と「いのちのリレー」という〈自己犠牲〉の善性に彩られて開始されたはずの「脳死」臓器移植がそのようなものになる危険を常に包含していることを正しく認識すべきである。
 理念を敷延するべく努力することは尊いが、理念を敷延するべく努力がなされることに気をよくし理念が行き渡った後の世界でのみ許されるべきことをその前の世界で許してしまうことは欺瞞である。臓器ではなく理念そのものが都合よく道具化され、モノとして利用される事態が現出することに加担してはならない。
 仏教的理念が他に秀でて素晴らしいことは言を俟たないが、システムに組み込まれてしまえばいかに素晴らしい理念であっても一顧だにされなくなる危険があることをよくよく心してかからねばならない。
いったい脳死の状態は完全な死体なのでしょうか。もしも仮に仏教教理上から脳死の状態が「人の死」として認められたとしたら、そして人々がその状態を「人の死」として受け入れたとしたら、臓器移植に対する問題はすべて解決するのではないでしょうか。
北塔光昇 『仏教と脳死・臓器移植』 永田文昌堂 2001年3月1日 pp.64-65
 そのように考えることは自由だが、それは事実とは異なる、楽観的とも言えないような妄想の域を出ない。
 「脳死」は生物学上・医学上の出来事であり、p.68で「二番目の理由(臨床的診断や法的判定の妥当性の問題:ただし意訳)は医学の問題ですから仏教的に考えることはできませんが」と述べられているように、仏教教理上から判別しうるものではない。
 「脳死」が何であるかは、医学上の事実を付き合わせて理解されるべきであり、仏教教理上からの判断はその上で初めてくだされるべきものである。「脳死」が何であるかを理解せずに、また、「脳死」がどのように運用されているのか、その事実を知らずに云々しても詮無い。
 また、この「人々」が何を指しているのかまったく不明である。「脳死」について主体的に考え、その上で疑義を呈している人がいるから「脳死」が一律で「人の死」であるものではないということが言えるのが現状である以上、この「人々」が何を指すのか、文脈がまったく不明である。
 当然のことながら「臓器移植に対する問題」が「すべて解決する」ことなどあり得ない。ある立場から構築された〈理念〉の上ではすべて解決することがあり得るかも知れないが、それは限定的で理念的な場所で起こる、限定的で理念的な事態に過ぎない。
脳死臓器移植の問題は、法律や医学がどのように死を定義しようとも、世論がそれを受け入れなければ、仏教側から安易に勧励できない
北塔光昇 『仏教と脳死・臓器移植』 永田文昌堂 2001年3月1日 p.90
 「仏教側」とは何か。「古代の仏教経典や戒律を解釈した一仏教者の見解としては」、と言い直すべきではないのか。この文脈で「仏教側」という言い方を用いるのは、世界が「仏教側」と「非仏教側」とで一刀両断に分割できるものであり、かつ「仏教側」は一枚岩のまったき合一体でもあるかのような印象と誤解を与えかねない。注意されたい。
脳死判定や臓器移植が仏教教理から否定されなくても、そのことを人々に知らしめ賛意を得なければならないということになりましょう。
北塔光昇 『仏教と脳死・臓器移植』 永田文昌堂 2001年3月1日 p.90
 「仏教教理から否定されない」が事実であるならば、事実に賛意を求める必要はないのだから、そこで賛意を求め出すと非常におかしなことになる。
 もっとも、その事実が世に受け容れられにくいものであり、かつ、その事実に立脚して何かを能動的に為したい!という気持ちがある場合には、その気持ちとその行為の両方に対して賛意を取り付けた方が良いだろうとは思う。

 ‥‥と言って楯突いてみたものの、なんかこっちの言ってることの方が非論理的な気がしてならない。もう少し頑張らないとこの部分を卒論に入れることは不可能だなあ。分量的にもテーマ的にも町野案をやっつけるだけで精一杯なのかなあ。

 この本の主張してる内容や態度はわたしあんまり好きじゃないけれど、北塔先生は実験を行っているのであって、この通りに主張したいと考えているわけでは必ずしもないんじゃないかなあと思います。念のため。

2005年1月21日(金) 1月22日(土)18:20 +0900

■ さてどうなるかなあ。

 偶然ネットにつながった機会を逃さずソネットにメール(フォームからの投稿というカタチですが)しました。折り返し対応策を考えてメールをくれるそうですが、そもそもネットにつながらないと言って困ってる人宛てにメールを出してもらってもそれではお話にならない場合が考えられますし、かつ、お話になる場合とお話にならない場合とでは後者の方が掛け率が格段にアレだと思えるので、電話ももらえるように手配しました。携帯の番号を書く欄もありましたが so-net アッカでの個人情報流出事件という記憶に新しいものを考慮に入れれば、すでに登録してしまっている電話番号しか書かないのがノーマルなやり方だと思ったので、不便かも知れないけれど、書きませんでした。

 「全然つながらなくて困っています。つながらないことの方が多いのでモデム?ルータ?を取り替えてくれたら嬉しいです。いろいろためして結局取り替えということになるのは時間の無駄だと思うのでサックリ取り替えてくれたら本当に嬉しいです。」おおむねそういう内容のメールを出して以降、なぜかサクサクつながっています。わけがわからん。だいぶガタ来てるし車そろそろ買い換えようか? と車の中で会話すると急にしゃっきりして快適にとばせるようになる、という話をよく読むのですが、あんな感じなんでしょうか。さて、それで、この日記は更新できるのか?

2005年1月20日(木) 1月20日(木)18:20 +0900

■ 本当につながらない。

 ルータがどうかなってしまったようで、本当にネットにつながらなくなってます。今はソトなので無線LAN内蔵とは言え設定してないところではつながるはずありませんが、しかし部屋で有線LANをつないでるのに接続できないというのは、 ‥‥ 電話がNTTその他の会社につながってるはずなのにうんともすんとも言わない状態、あるいはそんなはずないのに「圏外」と表示される携帯か。ともかく、今は Opera や IE のレゾンデートルが大部分失われている状態です。ひとに話して「それは so-net に言った方が良いんじゃない?」と言われ、初めて自分のせいではないことに思い当たりました。今度つながったらメールしようと思っております。

■ 実家あてに発送。

 そんなこんなな今日このごろですが、ブラウザでパソコンの中にあるファイルを表示したりテキストをいじったりはいつも通りできております。いつ更新できるかわからぬながらサイト更新用ファイルも調整できています。で、4月から行きたいと思っている専門学校のようなところに提出するための原稿(願書には「論文」とあったけど原稿用紙5枚です)をぱちぱち打ってあったのも無事にプリントアウトすることができまして、願書その他の記入事項も遺漏なくキッチリ書けたので、実家に送りました。お寺の住職(父)と、組長([そちょう]と読みます)さんと、教務所長さんの署名・はんこがないと受理されない類の書類であります。

 親はわたしの「論文」を読んでどんな反応を示すかなあ。「なんだ彼奴は? この内容ではつまり、京都で何もしとらんってことじゃないか ‥‥ 」と言って泣くことのないような文章を、わたしは首尾良くでっちあげることに成功してるんだろうか。

■ 原稿用紙。

 上記の「論文」、ワープロ書きもオッケーということながら、原稿用紙のマス目に文字を入れなさいという指定があったので、 ‥‥ ワープロソフトでそういう設定をするのが面倒だったのと、たまには自分の手を使ってペンで文字を書いた方が良いよなと思ったのとで、ダイソーで購入した原稿用紙をまるっこい文字で埋めることにしました。

 ほどなく挫折しました。なんだこの緊張感は。

 面倒だ面倒だと思っていたワープロソフトの設定は数枚の反故と数十分の時間とを引き替えに完璧さを身につけることができました。よかったです。プリントアウトした後で致命的なミスを発見するというお約束も乗り越えることができました。よかったです。

 いまはバイトの同僚に聞いて知った、比較的近所にある喫茶店でほっこりしております。BGMが大きすぎ禁煙スペースが皆無であるのはしんどいけれど、コーヒーは美味しい、カツサンドも美味しい(このソースは何だろう?)、とても良いところです。

 ‥‥カツサンドについてた小さなコーヒーがホットではなく冷えててびっくりしつつ飲もうとしたら、コーヒーゼリーでした。たしかにそう言われたかも知れない。

2005年1月19日(水) 1月20日(木)18:40 +0900

■ 勉強会。

 いま通わせてもらっている学校のようなところに午前中だけ出て、午後はちょっと先生と打ち合わせのようなことをしに深草へ行って自分が最近論文を全然読んでなかったという事実にやっと思い当たり、生協の場所が変わってるのを知ってびっくりし、その後は大宮でバイトをし、その後、ひさしぶりに勉強会に(大遅刻ながら)出席しました。

 本のデータが入ったノートは勉強会の前に力尽きてしまったので他のメンバから本を借りて読み読み、わたしが参加した頃に始まった「業」論みたいな議論に少しだけ参加できました。頭が回ってないのはいつものことだけど、今日は回ってないなりに折り合いをつけることに成功したような気が少し、少しだけですが、しました。

 その後はファミレスでごはんでした。こないだから食べたい食べたいと思っていたハンバーグをやっといただけました。でも高いなあファミレス。今度なんとかして自分でこねてみよう。

■ 夢。

 親鸞さん関係のごく小さな勉強会か何かのようなモノをなぜか鬼束ちひろその他のメンバとしています。他のメンバが何か調べものをしに行っている間も、勉強熱心なちしゅーとちひろの二人は額を付き合わせて議論というか意見交換とすりあわせのようなことをしています。わたしは二人の顔が必要以上に近づいてるのに気づくけど、「このコはこういうの気にしないんだよな」と思い、でもあまりにすきがありすぎだったのでキスをします。すると彼女は、やっとしてくれたね、わたし待ってたんだ、みたいなことを言ってくれる。その後二人は議論ではなくキスにはげんでしまいます。

 ‥‥ という、まるで中学生の妄想のような夢を見ました。途中からちひろの顔が前の恋人の顔になり、かなり微妙で不思議な感覚を覚えました(心外だろうなあ)。まあそんなに大騒ぎすべきことじゃないよ顔が変わるくらい、と思った気がする。なんて鷹揚なんだろう夢の中のわたしって。

 その後、なんかとてつもなく美味しい焼き肉を食べる!という設定の夢も見ました。その夢で食べた肉は味がしなかったけど、キスの方はすごく甘美な味がしました。その後、煙草を吸う夢をまた見ました。その煙草も非常に美味しかった。

 起きたあとの分析では、どうやら、夢の中で噛んだり飲んだりするのはそんなに美味しく味わえないけど、吸うのはかなり美味しいらしいぞということがわかってきた、ような気がします。

 なんだそりゃ。ではでは。

2005年1月18日(火) 1月20日(木)19:10 +0900

■ 勉強会。

 火曜日は華厳経の勉強会がありました。年度末が近いこともあり、これが最後なので、おわった後、メンバ全員(3人)で飲みに行きました。いしださんもだいぶ漢文が読めるようになったはずですよ、という評価(しかし半笑い)をいただきました。よかったです。

■ うーん。

 うーん。うーん。

2005年1月17日(月) 1月18日(火)2:10 +0900

■ 44444。

 なんとまあ。44444hitをgetしてしまいました。今までにアクセスしてくれた方々ありがとうございます。キリ番ヒットの方には何かお贈りしようと思っていたんだけど自分じゃあなあ ‥‥ 。バイト先のパソコンでふと開いたらそんなことになってしまったので、証拠のビットマップ保存にちょっと煩雑な手続きを要請されましたが、無事に保存されました。最近このサイトの全容量が10メガに迫っているので、画像はそのうち、何か良い方法が見つかったら公開いたします。

■ そんなもんかもですね。

 明日の講義で使うという資料を部屋で探していたら、‥‥日本宗教学会の会費(8000円だとぅ?)を振り込むための紙や、そういえば買っていたかも知れない森岡浩之『星界の紋章I 帝国の女王』、ハバネロ、『   』が出てきました。そして一体どこに行ってしまったのか、資料の行方は杳[ヨウ]として知れません。どうしよう。

■ つながらない。

 以前にもましてルータ?の調子が激烈に悪くなっていて、とても困っています。したいときに更新できず、もちろんメールの受信・送信もおぼつかない。連絡が遅れて申し訳ありません。

 では。

2005年1月16日(日) 1月17日(月)2:10 +0900

■ やっと買えた。

 こないだ改装で休業していて今日か昨日かから新装開店のニノミヤに行き、先日から買いたいと思っていろいろなところで探していたノートのキィボードカバーをやっと買えました。前のは柑橘系の皮に含まれるリコピンという物質(プラスチックを溶かす)の浸食を受けボコボコに盛り上がっていて打ちにくいことこの上なかったけれど、今はとても快適なタイピングができております。爪を切ったから、それもあるんだろうな。新装開店と言えば、わたしパチンコ屋さんの新装開店で良い思いをしたことは一度もありませんが(大小を問わずギャンブルはだめです、というか、煙草を美味しいと思って吸うことは今後ひょっとするとあるかもしれないけれど、パチンコを楽しいな楽しいなと思いながらやることは二度とないだろうなあと思う今日このごろ)、量販店や専門店の新装・改装開店は品数・在庫ともに感動的なまでに豊富でとてもよろしいです。

■ 女子駅伝。

 今日は京都で都道府県対抗女子駅伝がありました。ニノミヤに行く途中で京都新聞の旗を持った人をいっぱい見ました。みんなに配ってる人も数人見ました。中にNHKの旗を持ったもちょっといて、場所にもよるのかもしれないけどそっちの方がレアっぽくみえました。京都新聞とNHKの旗がぱたぱた揺れてる中に各大学のラグビー応援用の旗がところどころに揺れていたらすごく目立って面白いだろうな、と、すごく無意味なことを一瞬想像しました。大学生の選手も出場していたはずだからそんな完膚無きまでに無意味ってわけでもないか。

■ 混み混み。

 気分を変えようと思ってノートを背負って喫茶店に出かけました。でもコーヒーやラテの美味しい、禁煙席のあるお気に入りの喫茶店はどちらも酷く混んでいたので、そのまま帰って来ざるを得ませんでした。きっと駅伝のせいだ! 駅伝さえなければ論文はもっと進んだのに! (いやそれは逃避だ、美味しい喫茶店は日曜日は混むモノです、それに論文はどこでだって書けます、そもそもそのために買ったんでしょそのノート。)とぼとぼの帰路の上、歩道いっぱいに自転車を停めて他の往来を阻害しながら車道で遊ぶ、なぜか制服を着た中学生の集団がいました。幅10メートルにわたる完全な通せんぼです。駅伝もなかなかな通せんぼだと思うけどそれは不問に付しつつすごく腹が立ちました。まだまだだなあ、という何というか。こんなにイライラしっぱなしではストレス過多で老い先短いぞわたし。

 うーん、論文。眠い。(−_− zzzz (・_・ ハッ

 ではでは。

2005年1月15日(土) 1月17日(月)1:11 +0900

■ 寝覚めスッキリ。

 6:30に目覚ましをかけていたところ、6:15に目が覚めました。二度寝しようと思うも猛烈な、英語的表現でいう「自然がわたしを呼んでいる」状態だったので厠に行かざるを得ず、行ったら目が覚めてしまったのでそのまま起き続け、10分ごとにかけてあった携帯の目覚ましはすべて一時停止状態に追い込まれていきました。ぜったいに降って来そうな曇天模様の空の下をわたしはバイトに向かうのでありました。今は最寄りではない方の小川珈琲でモーニングです(ジパングとか燕尾服とかベトナムとかバビロンとかの方ではなく、コーヒーとホットサンドのセット的な、食べる方のモーニングです)。どうもこの席は暖房がきつい気がする。‥‥ 隣にずれたら少しマシになりました。風を感じるものの乾燥した温風が始終吹き付けて風邪を呼ぶ状態からは脱した。

■ 新築。

 その後、バイトに行ってバイトしたり、空き時間にロイズのポテトチップスチョコレートをいただいたり、いろいろでした。帰りはしっかり雨が降ってたのでバスに揺られて帰りました。停留所のところにローソンの入っていた建物があったはずなんだけど、今日気づいたことには建物も取り壊されて更地になっていて、3月から8階建ての共同住宅の建築が開始されるという張り紙が出ていました。完成する12月にはわたしはきっと北海道だなぁと思うとちょっと淋しい気がしました。

■ 廊下では静かに。

 アパートに戻ったら、洗濯石けんのハコを持った隣の部屋の人と何かの業者らしき男性が廊下で話していました。こちらに気づいて通路を少し空けてくれつつフル無視っぽく話し続けていたので、挨拶せず部屋に入ったんですが、 ‥‥ 何の話をしてるのか内容は全くわからないんだけど、男性の大きな声がとどまることなく聞こえてくる。隣の部屋の人の相づちはまったく聞こえないしタイミング的にも不可能だろうと思える。ということは、どうも悪徳な業者が無辜の一般人をつかまえて一方的に喋り倒して押し売りをしているような雰囲気に思えてきた。1時間弱そんな状態なのでついに救済を気取って苦情を言ってみたけれど、二人から「なんなんだこいつは? 二人の平和で楽しい語らいに口をはさみやがって!」的な顔をされてしまいました。どうもよくわからなかった。なぜ廊下で! なぜ1時間も! なぜ会話ではなく一方的演説! なんの業者さん!

■ みんなのうた。

 その後ニンジンを炒めたりコーヒーを入れたりしつつふわふわ暮らしていたらTVで『CCさくら』が始まったので取りあえず見ました。かわいいけれどちょっと無茶だなあいろいろ。その前後に堀下さゆりという人の歌うみんなのうた、『カゼノトオリミチ』が流れたのでそれも見ました。ちょっと前の『星のワルツ』や『道』的な、わたし好みの歌と声と映像でした。耳に残る・目に残る感じのみんなのうたが好きです。

2005年1月14日(金) 1月15日(土)1:20 +0900

■ 開いてない。

 ノートのキィボードカバーを探しに最寄りのニノミヤへ行きました。自転車を停めてからやっと気づいたことには、開いてませんでした。臨時休業の真っ最中、というか今日までが臨時休業なんだそうです。脱力してそのまま帰りました。

■ もうない。

 昼の定食を食べさせてもらおうと思って大学のそばのとんかつ屋さんに入ったら、「定食もう終わりましたけどよろしいですか?」と聞かれたので、「じゃあ良いです。」と答えて出てきました。たぶん日本語的には間違ってないけど人間としてはちょっと間違っていたかも知れません。

■ そんなもんない。

 ソフマップのPCゲームがいっぱい並んだコーナの、アダルトとそうじゃないのとのちょうど境目のところに、ゲームに混じって本が平積みになってました。「攻略本か?」と思ってよく見ると『もえたんII』の上巻でした。取りあえず買っておきました。これで来週の期末テストはばっちりです。

■ 見付けられない。

 喫茶店にコーヒーを飲みに入ったらランチタイムでした。直前になか卯で食べていたので、というかそのつもりで行ったのでコーヒーとケーキをたのみました。410円+370円で780円か、と思っていたんだけど、お会計は500円強でした。たぶんメニューのどこかにセットその他の割引方法が書いてあったのかもしれない。すごく得した気分になれました。

■ 撒かない。

 ドン豆が安く・美味しく販売される季節がやって参りました。わたしは嬉しいです。でもいちばん好きなドン豆は、大豆じゃなく黒豆です。黒豆のドン食べたことありますか? おせち料理の黒豆煮もうまいですが(調理はやたらしんどいんですけど)、黒豆のドンは本当にうまいです。黒豆の食べ方の中ではいちばん好きです。二番目はおせち料理の黒豆煮。三番目きなこ。以降はまったく知らない。黒豆ココアはわたしとしては頂けません。黒豆はドンか煮るかきなこが、ココアは森永の純ココアと冷たい牛乳で作るココアが良いと思います。(何の話だったんだ? そうか節分の話か。)

■ うまくない。

 昨日に続き今日も発行された「タイシタ☆ニュース」(メールニュース)によりますと、サザンオールスターズの『君こそスターだ』が2005年の選抜高校野球大会の入場行進曲に決定したんだそうです。「タイシタ」というのは主にサザンのレコード&CDを発売しているレーベル?か何かです。鯛みたいなトビウオみたいな魚から稲妻様の舌が出てる絵ですね【参考】。高校のとき机に鉛筆ですっごく綺麗に描いたこともある。

 インドネシアのスマトラ島沖巨大地震と津波の被害に対して、洒落の大好きなサザンのことだからきっと何か、少なくとも北朝鮮あたりよりは大きな支援をしてくれるんじゃなかろうかと、ちょっとしたファンの石田としてはそのような期待が大きくふくらんでいるところなんだけども、どうもうまくない。メールニュースには「2001年に『TSUNAMI』が行進曲になったよ!」的な紹介があるのに、まだ動く気はあんまりないみたいだ。まあヒトさまの冗談や本気は放っといて、やった方が良いと思うことは少しずつでも自分でやるべきだな。

 ではです。

2005年1月13日(木) 1月13日(木)21:35 +0900

■ 新しい本。

 森岡正博さんが2月7日に新しい本を出されます。まだ購入のためのリンクはどこにもありませんが、生命学HPに特設ページが出来てたので、そこにリンクします【こちら】。面白そうな内容です。というか何というか。たぶん本当にすごいです。

 発売の2月7日は、4月から通いたいなあと考えている教育機関に入学するための願書の締め切り日です。わたしがその日までにその教育機関に出せば良いのかというと全然そういうことではなく、もっと早めに実家に送り、実家から組長(「くみちょう」ではなく「そちょう」と読みます)のところに持っていって話してもらい、はんこをもらったりしなければなりません。本願寺のこういう種類の提出物を出そうと思うたび、「わたしはいろいろなところに面倒をかけながら生きている」という事実がイヤでも再認識・再確認されます。きっとそれも狙いの一つなのだろうと思う。

■ うーん。

 芥川賞が決定したそうです【文春公式】。うーん。熟読せずパラ読みしただけだけど、あれはそんな賞をもらう話であったのだろうか。ずっと以前に友だちにちょっと勧められて読んだ『インディビジュアル・プロジェクション』はなかなかな気がするけれど ‥‥ 。きっと文学というのはわたしが思っているよりももっともっと底が深く、幅も広いモノであるのだろうなぁ。というか、最近滅多に読まなくなっている『群像』の、その号の阿部和重だけ図書館でなぜか読んでいたということがちょっと嬉しかったりする。

 今日も寒い。お風呂で暖まってからベッドでノートをぱちぱち打って卒論らしきモノやその他の文書を捏造することにしよう。なお今日の夕飯は、大きめのニンジン一本とキャベツ半玉とを切り、サラダ油で炒め、クレイジー・ソルトと醤油、昆布出汁の顆粒とブラックペッパーで味を付けたものとドラフトワン一本でした。でも朝昼しっかり炭水化物を摂ってるので、しかも感触までしてるので、これじゃ痩せていかないんだよなあ。長時間の正座に耐えられる人間になりたいです。

 ではです。

2005年1月12日(水) 1月13日(木)1:40 +0900

■ 来た。

 今日の日記は無意味にカラフルです。

 Panasonic から USB で電源を供給するライトが届きました。商品名は「USB パソコンライト + デンチボックス」。単四乾電池3本の電池ボックスからも電源供給が可能。これで、部屋の明かりを消してベッドに転がりながらでもキィボードその他が見られます。 ‥‥ 本当は去年の暮れに届き、先日の帰省に持って帰って使うつもりだったんだけど、入荷の遅れにより叶いませんでした。

■ いろいろお世話に。

 以前通っていた専門学校に行き、それからずっといろいろお世話になっている先生に会いました。そして昔話をしたり近況を報告したりしつつ、4月から通えたら良いなと思っている教育機関の過去問をいただきました。すごく嬉しかったです。これでなんとかなるかもです。勝手をお願いしたのに快く応じてくださって、先生本当にありがとうございます。 ‥‥ ちょっと見た感じではお聖教にあまり親しんでいないわたしにとっては、かなり難しい内容です。ショックです。しかししかし、今は論文執筆や願書関係など文書編集が目白押しなので、記憶の方は2月に入ってからやろうと思っております。うん、日記っぽいかも。

■ 弔電。

 先生の奥さん宛てに弔電を出すことにしました。いろいろ頭を絞りましたが、中身がないモノをどれだけ絞ったところで何が出てくるわけもなし。昨日の日記とかぶりまくりの内容を書き、レタックスで、先生のお寺に出しました。

 先生ご逝去の突然の報せに、おどろき、戸惑い、さみしく感じております。
 先生は高校2年・3年のときに私たちの担任をしてくださいました。ちょうどお子様がお生まれになったときで、お風呂での苦労話や、お子様を育てることの喜びについても話してくださいました。私たちの卒業式のときには七条袈裟をつけて出席され、とても華やかでした。
 ご住職としてもご活躍と伺い、私としては、今後様々に頼らせていただけるものと勝手に考え、力強く思い、安心しておりましたが、せんだって行われたクラス会でお会いできたのが、私が先生とお話できた、いちばん最後の機会となってしまいました。
 いまはさみしさばかりですが、先生が身を以てお示しくださった会者定離の教えをかみしめています。
 ありがとうございます。
 南无阿弥陀仏

 「一生補処のお浄土でまた会えることを」とか書ければとてもお坊さんらしくなるんですが、でもわたし本人がうまくわかってないことをわかったフリして書くのはあんまり好きじゃないので、こんな感じが精一杯です。しかし何んかとても他人行儀な気がします。また、先生の奥さんに宛てて出したにしては、誰に宛てているのか全然不明な内容になってる気がしてならない。「力強く」は「心強く」の間違いだろうとも思います。そしてこちらの郵便番号をちょっと間違って書いてしまったことに出してしばらく経ってからやっと気づきました。

 まあまあ、そういう感じです。

■ 困ったな。

 りんごをむいて食べるたびに食道の手前あたりがムズかゆくなる気がしています。なのであらゆる機会に「俺はどうもりんごアレルギーらしい。なので一日に一個が限界だ」と冗談を言っていたんだけど、今日は食道手前のかゆさに加えて舌が痛い。こりゃ笑い事じゃなく本当にアレルギーらしい。

 ‥‥たぶんこういうのは加熱すると大丈夫だったり缶詰だと大丈夫だったりすると思います。きっとパイナップルの棘と同じだろう(希望)。同じアップルつながり(pineapple)だからきっとそうだ(確信)。しかし困ったな。健康にも良いと聞くし、それ以前に小さい頃から大好きなのに、りんご。

■ ない。

 ノートのキィボードカバーを買いにソフマップに行ったら、ELECOM から出ているデコボコのカバー、Tシリーズのはあったんだけど、他はぜーんぶ売り切れてました。 ‥‥ R3 が出てからこっち Tシリーズを買う理由はほとんどなくなったような気がするので、Let's note は T 以外順調に売れていて、それ用のキィボードカバーも順調に売れていて、売り切れてしまっているということなのだろうと思います。仕方がないので明日あたり近所をへめぐってみようと思っております。しかし木曜日はたしかお気に入りのニノミヤが定休日だったような気がする。ジョーシンにしようかと。でもあるんだろうか。

■ 本。

 先日紹介した先輩【こちら】の本(木村世雄『こんなの書いてある』百華苑 2004年12月21日 【紹介文】)、読了できました。著者を個人的に知っている本って非常に読みにくい気がします。と言うか感想を書きにくい。かつ紹介文もやたら書きにくい。

 思っていたより本らしい本でした。いや変な意味ではなく、もっとこう、掲示伝道の手引き書のような、ポスター集のような本を想像していましたが、そうではなく、先輩がお寺の掲示板に張り出した短文と、その解釈の一つの可能性をちょっとした文章にまとめたものがワンセットになったものがたくさんから出来てました。わたしはこういう体裁の本ではなく、張り出された掲示伝道をポスター集のようにまとめたものを想像していたんですが、違いました。ちゃんと真宗の「こういう本」になっていたように思います。しかしそのへんは先輩なので「こういう本」で埋没することはなく、良くも悪くも?先輩独自の色がすごく色濃く出ていました。途中ちょっと「むむむ?」と思える箇所もありましたが、先輩が思いのたけをそのままぶつけた感じで、親近感?何て言うのだろう? とても正直な印象を受けました。先輩の字はとても伸びやかでダイナミックな感じもあって、お世辞とかそういうんではなくとても羨ましく思っています。なので欲を言えば、せっかく毛筆で書かれた各掲示伝道をモノクロでも良いからすべて写真で掲載できたらもっと良かったのになと思いました。でもそういうことをすると、たぶん本の価格がハネ上がってしまうんだろうと思います。だから泣く泣くカットされたんだろうと思う。本を出すって大変なことなんだろうな、と思いました。

 さて、日記はこういう↑感じで良いんだけど、もっとちゃんとしたところには一体どういう感じの紹介を書いたものか‥‥。

 ではです。

2005年1月11日(火) 1月12日(水)2:10 +0900

■ 担任が‥‥。

 今日の日記はしめやかです。

 高校2年、3年と担任してくれた先生が10日に亡くなったという知らせが入りました。びっくりしました。実家に帰ったときに「先生伏せってるらしい」とは聞いていたのですが ‥‥ 。

 わたしは小中高と一貫してあらゆる先生にまったく懐かないタイプのガキだったこともあり、卒業してからこっちあんまり交流はなかったんですが、先生もうちの実家と同じ宗派のお寺の住職をされていた関係で、お寺同士の交流はありました。卒業後何年も経った頃、親が鬼のようにいっぱいのコロッケ(十勝のイモと肉を原料に士幌町で丸めていて、いろいろなところに卸しているらしい。激烈に美味しい。)をお中元に持っていくのについていった時、忙しい時期だったからか先生はいらっしゃらなかったけど、先生の奥さんとうちの母親が親しげに話していたのと、そこのお子さんが何故か桑田真澄と一緒に写ってる写真が居間に飾ってあってびっくりしつつ激しく嫉妬したのとが印象に残ってます。

 先生、うちらの担任をしてくれてたちょうどその時にお子さんが生まれて、ときどき雑談でそのネタを披露してくれました。お風呂に入れるのが先生の役割なので、入浴剤を入れて片手で支え持って片手で洗いながら大事に大事に入れていたら、子どもが突然「にこにこ」っとして、どうしたんだろう? と不思議に思ったら、何かがポコポコポコっと浮いてきたとか。 ‥‥ いろいろ話してくれたはずなんだけど、なぜかそういうのばかりが強烈な印象として残ってしまってる。先生は数学科で、わたし一年の時に数学を早々と諦めてしまったので、それもあってあんまり授業の印象が残ってないのかなあ。

 他は知りませんが、うちの宗派ではクリスマスという行事をまったくしません。理由は、しなければならない理由がどこにもないからです。宗教的な自我意識みたいなものが芽生えてくるとそれで良いのだけど、しかし子どもはそれではさみしい場合がある。なので、うちのお寺は(昨年末の日記にもちょこっと書いたように)わたしが小学校を卒業するまでは親が(理由不明なプレゼントを)頑張ってくれていました。先生のお寺も同様で、というかちょっと独特で、苦肉の策として「阿弥陀サンタ」(阿弥陀仏の親しげな呼称である「阿弥陀さん」と「サンタ」を掛けています)を考案、子どもは翌日の朝プレゼントが枕元にあるのを発見、「うちには阿弥陀サンタが来てくれたようだ」と言いながらお父さんに「ありがとう」と言ったという、なんかそういう感じの話を先生の奥さんがすばらしい文章で北海道新聞のコラムに投稿、各方面でいろいろ話題になり、その年の最優秀作品にも選出されたという、そういうこともありました。

 うちの高校はちょっと変わった高校で、普段は私服通学なのに、入学式・卒業式ならびに修学旅行と、姉妹校との交流戦(?)だけは制服でなければならないのを知っているのに、うちらの卒業式の日、先生なぜか張り切って七条袈裟をつけて出席、「先生格好良いね! それどうしたの? 坊さんの格好でしょ?」と問われて「これは正装なんだ! (^▽^) 教え子の晴れの舞台なんだから先生も正装したんだ!」と答えてました。生徒はみーんな制服なのに ‥‥ 。壇上で卒業証書を受け取った代表は頑張っておさげのかつらをつけていたのに ‥‥ 。その日の地元の夕刊紙には「管内の公立高校で一斉に卒業式が行われました」という記事とともに先生の七条袈裟姿の写真が載ってしまい、先生はきっとしてやったりだったのかどうか、ともかく誰かが「卒業生より先生が目立っちゃいけないべや!」と言って半ば本気で怒っていたのも記憶にあります。先生が出したいちばん最初の卒業生がうちらだったので、本当に嬉しくて、本当にお祝いしてくれる気持ちでいっぱいだったんだろう、という話も後で誰かから聞きました。

 卒業後にクラス会が何度か企画されて、何年か前のいちばん最近のクラス会は先生いそがしさの中を縫って二次会に出て来てくれました。そのときにお会いしたのが、わたしにとっていちばん最後の機会になってしまいました。

 実家に帰ったらいろいろ頼らせてもらえるんじゃないかと勝手に考えていたのだけど。

 気むずかしくて全然授業も聞かずフツウのレベルでも懐いていたとはあんまり言えない奴から、急に勝手に都合良くそんなふうに思ってたって言われてもあんまり嬉しくないだろうな。というかもうちょっと早めに伝えておくべきだった。

 さみしい。

2005年1月10日(月) 1月11日(火)18:00 +0900

■ 面白かったです。

 高校サッカーの決勝を見ました。昨日はラグビー、今日はサッカー。国立競技場は斯くも急がしいものなのであります。鹿児島実業も市立船橋も、どちらももうちょっとで一点ずつくらい入っていたように思えました。どっちかを応援していた人からすれば酷い展開だったんでしょうけれど、サッカーの試合という点で評価すればすごく面白い良い試合だったと思います。最後まで気が抜けず最後の最後であんなに悲喜こもごもというのは、とても好きです。
 ‥‥‥。
 本気でやって本気で悔しがってるのを見ながら「面白かった」というのは失礼なのかも? と思いつつ、でもコレは確実に見せ物でもあるわけだから、「面白かった」という評価でもやっぱり良いんだよな? と思いつつ。
 良い試合をありがとう。

■ 「しゅりしゅり」と。

 久しぶりに庖丁を研ぎ、ニンジンとキャベツをざくざく切って炒め、先日購入した「クレイジーソルト」だけで味を付けて非常に美味しくいただきました。庖丁が切れすぎたから、と言うよりわたしが不注意すぎて、ニンジンと一緒に左の小指の先端をざっくり切りました。切った瞬間は、これは庖丁の切れ味が抜群だったからでしょうか、全然痛くなかったです。血がちょろちょろ流れてその後の作業があまりはかどらず、それはそれは参りました。
 ‥‥‥。
 いま見て人差し指の爪が削られているっていうことは、きっとこのとき削ったということなのだろうと思います。どうも全然気づかず一緒に炒めて食べてしまったらしい。カルシウムと言えばカルシウムかも知れない ‥‥ むむ。

2005年1月9日(日) 1月10日(月)11:09 +0900

■ 勝った。

 ラグビー大学選手権、今年は勝ちました【参考】

 そのよろこびについてわらわら書いているうちに電源ケーブルをいじってしまい、保存していなかったモノはすべて消えました。

 今日の試合は「うわぁっ」と言うミスもあったけど本当に強く思えました。解説とアナウンサの会話では、今年は早稲田が四年生主体の充実したチームで、来年は関東学院がそういうチームになるんだそうで、ここ四年間どちらにも連覇がなく交互に優勝している状況は、この一年おきの巡り合わせにも依るんだそうです。うまくいかないもんだなあと思いました。

 メールを書いたり更新したりするのが不可能なほどに、ソネットから借りてるモデムの調子が悪いです。この日記を更新できるのはいつになることだろう。

2005年1月8日(土) 1月9日(日)2:05 +0900

■ 塩。

 バイトからの帰り道、普段めったに通らない道を歩いていたら、「卸売り」という看板のかかった店がありました。 ‥‥ 今まで何度か通って存在は知りつつ卸売りの酒類専門店だとばかり思っていたんだけど、どうもそうではなかったようです。一般のヒト向けに思える。ちらっと見た感じではそんなべらぼうに安いモノはありませんでしたが、今まで見たことのなかった商品がすごくいっぱいあって感動しました。たとえば、その辺でよく見かける MARUHA のさんま蒲焼き缶詰(もちろんノーマルな格安)のヨコに、128円もする、よく似た別の缶詰が並んでました。すごく美味しそうに思えたのでとりあえず買ってきました。ほかほか御飯の上に載っけていただこうと思っています。

 クレイジーソルトというのもありました。岩塩をガリガリ砕くタイプのヨーロッパ塩がありますよね。以前アレを使いながら現教研のメンバで塩の話が大盛り上がりになった時かいつだったか、この塩の名前が誰かから出ていたような気がしたので、これも買って来ました。いま Draft One を飲みながら嘗めてます。岩塩+ハーブ&ペッパーです。タマネギとニンニクも入ってる。とても良い。良すぎる。(肝臓に悪いかもしれねえぇぇ。)

■ 劣化ウラン弾。

 帰ってきて、以前【eireneさんち】で紹介してくれていた NHK スペシャルの劣化ウラン弾を見ました。わけがわからなくてクラクラしました。この「わけがわからない」というのは「わかりたくない」あるいは「理屈や経過はよくわかるが何故そんなことになってしまったのか理解に苦しむ」ということであって、SF的免疫を飼ってない人が『マトリックス』を見た後で言う「わけがわからない」とはまったく異なっています。どうでも良いかもしれないことですが一応そこには言及しておきます。

 劣化ウラン弾が使われていた場所で働いていたアメリカ人兵士たちの体内には一切の放射能汚染が見られなかったのに、そこで飛び交っていた劣化ウラン弾を持ち帰ったヒトは「危険な放射線物質を持ち込んだ」という咎で5週間刑務所にぶち込まれたという話が特に印象に残りました。このままの状態(何かあるたびに劣化ウラン弾が飛び、飛ばしたヒトが「問題があるかないか科学的に検証・証明されていない」と言い張る状態のこと)が10年くらい続くと、何も解決されていないのに、「劣化ウラン弾の問題は議論され尽くしていて何ら目新しいところがな」と言うヒトが出てくるのでしょう。そうならないうちに何とかしなければならないんだろうと思いながら、自分に何が出来るかまったくわからず、です。

■ 友だちの友だちは。

 友だちのサイトが、別の友だちのサイトを、内容的には揶揄しつつ、それでもしっかり内容的にフォロウしたリンクを含む日記を書いていました。すごいなあと思いました。ムチャクチャ遅いんだけど最近になってやっと気づけたことには、わたしにはこういうタイプの余裕が30年以上前から著しく欠けているとです。せめて、読んで苦にもされずクスリにもならず腹の足しにもならない、そんな文章をわたしは書きたい、と思ったとです。

 読んで常に苦痛を感じるサイトには、わたしは行けなくなります。たまに自分のサイトを読み返してはいたたまれなくなり、もっと軽めで短めで、面白い文章が書けたら良いなと思っては溜め息を吐いている、そんなわたしが言うのはとても変ですけど ‥‥ 。

 溜め息と言えば、ある女の子が溜め息を吐(つ)きながら言った、「どのくらい溜め息を吐くと幸せが尽きるんだろう?」(溜め息を吐けば吐いただけ幸せが逃げていく、という俗信?に対するコメント)は すごく秀逸だと思っております。そういう、笑いながら言われると南海キャンディーズ状態になり、煙草をくゆらせたようなデカダンな雰囲気の中で言われるとジャズになる、そんな言葉を、わたしは見つけたいとです。

 今わたし頭の中に統一性がない。かつパクリ三昧。疲れたのでセルフ・フォロウもなく、今日はもう眠ることにいたします。仲間由紀恵のドラマを今度ちょっとくらい見ようと思っています。うん。

 ではです。

2005年1月7日(金) 1月8日(土)1:05 +0900

■ 京都です。

 実家から京都に戻ってきています。さむいよ〜。

 空港に、クランベリーのスイートポテトを売ってるコーナがありました。ロイズも売ってるし、六花亭と柳月を一緒に買えるコーナもあるし(反則だ!)、清見もガンガン買えるし、空港はほんとに良いところです。

 飛行機の中で中島義道『続・ウィーン愛憎』中公新書【bk1】を読了しました。前作には前作の、今作には今作の色がはっきりあってとっても良かったです。自分が死んだらこの世界なんてどうなっても構わない、というか、わたしは自分が死んだ後もこの世界がこのまま続いてる姿を想像できない、と言い切っていたあの中島さんが ‥‥ という、ファンならではかも知れない変な感動を覚える箇所もあって、ウィーンが中島さんにとってあんまりよくない空間になりつつあるというのは悲しい出来事に違いないんだけど、うん、本当に良かったです。

 関空でお昼をいただきました。「がんこ」のトンカツ屋さんがある。とても美味しい。甥ぐらいの大きさに見える男の子が親から離脱して店の中をちょこちょこ歩いてました。昨日の甥もこんな感じでぐるぐる回っていたなあと思いましたとさ。昨日、甥はカニの生簀の前でカニを熟視していたそうです。美味しそうだと思ったのか、面白いと思ったのか。

 京都駅に戻って来て、 ‥‥ バイト系のサイトの更新が不完全だったので、それを直しに大学に行きました。途中、何かが車道に向かって「ひらひらひら」と舞って落ちていきました。なんだろう?と思っていたら、さっき通り過ぎていった自転車のおじさんが明らかに焦っていて、そのおじさんのものだったことがわかりました。拾って渡したらすこし良い気持ちになって「ふんふんふん」って歩いていたら前から来た別のおじさんが何か落として、それも拾って渡せました。なんだったのかはよくわからなかったけど大事なモノだったようです。立て続けだったのでびっくりしました。「今度は俺が何か大事なモノを落とすんだろうか?」と不安にもなった。

 大学のパソコンはどこも混んでました。卒論・修論シーズンだからでしょうね。きっと図書館もすごい混み方なんだろうか。バイト系のサイト更新は、データをはるかの中で確認・修正してあったのですぐ済みました。

 バイト先その他におみやげを渡しました。美味しいお菓子は自分で食べても良いし、他の人に食べて貰ってもほこほこと嬉しいし、うん。良い。

■ 事故直後。

 何となくバスには乗らずに帰ろうと思い、大学から四条大宮まで歩きました。途中、人が二人 道の真ん中に立っていてとても危ないのが見えました。真っ暗だし、片側二車線で車通りも多い時間なのに、その真ん中側に立ってあの二人は何をしてるのか。足許には大きめの袋が置いてある。何だろう? 車が困ってるじゃないか? 迷惑だなあの二人? と思って歩いて行ったら、黒っぽい袋に見えたモノが人のカタチをしてるのが何となくわかってきました。えええ? と思って道なりにさらに近づいて確認したら本当に人でした。うつぶせでピクリとも動かない。邪魔者に見えた二人は作業用のヘルメットを振って、車がその倒れてる人を避けて通るように何とか誘導しているんでした。

 こういうの見るの初めてですごくびっくりして、多分声に出して「ええええ」って言って立ち止まって心の中かなりオロオロしていたら、車列を誘導している二人連れの仲間らしき人が「近所に警察ある?」と聞いてきました。道の反対側の人が携帯電話をかけてるのも見える。わたしは「本願寺の向こうの角にある」という内容を焦って伝えたけど、別にそれで何が変わるわけでもなく、「何してるんだろう、早く来いよー、今やったところなのに ‥‥ 」と話ながら、その人も車列の誘導を始めました。どうも第一目撃者らしいその人たちは、撥ねてしまった人物(誘導していた人たちとは無関係な人のようでした)が停車した車の横で立ちつくしている横に立って車列を誘導したり救急や警察に連絡をしたりしてるようでした。わたしがいても何も変わらないのはわかったけど、救急隊が来てその人を担架に載せたり、警察車両と警官が来てパトランプその他で誘導を始めたりして、ヘルメットを振って車列を誘導していた人たちが役目を終えて引き揚げていくまで、ただただ見続けてしまいました。

 すっっごいびっくりしました。車通りが途絶えたら信号も横断歩道もないところを渡ろうと思っていた、まさにそのときに、別の人がどうもそれを完遂しようとして失敗してしまったっぽい情景を見せつけられてしまった。

 ‥‥カメラを持っていたので、いろいろ考えました。こういうのを撮ればきっと「決定的瞬間(の直後)」みたいなモノになるんだろうか? とか、いや俺はこれは撮れないや撮れないタイプの人だわ、とか、カメラを持ってることを思い出す俺がすっっごくイヤだ! とか、いろいろ。

 そういうことがあったその通りから一本奥に入ると、子どもがきゃっきゃ遊んで、おばちゃんがわいわい喋りながら歩いて、ものすごく「平和」な感じでした。事故なんてどっこにもなかったような気さえし始める。さっきあんなにどきどきしていた自分が平然と歩いてるのにも違和感を覚える。と言うか、事故のことを何も知らずにフツウに暮らしてる人を見て奇妙な違和感を感じている自分のココロの方に、より多くの違和感を覚える。

 うーん、あんまり整理できていない。

 ではでは。今日はいろいろ疲れてるのでくーっと眠ることにします。卒論は土曜日から本格的に頑張ることにします。いろいろ整理しないと、うん。

2005年1月6日(木) 1月7日(金)23:20 +0900

■ 海鮮と温泉。

 わたしが7日に京都に戻るということで、父がご門徒さんへのお年始参りで飛び回っているというのに、母と、姉夫婦と甥とわたしとで、ちょっと良い方の居酒屋さん兼料理屋さんみたいなところに行きました。「海鮮 蔵」という地元の人はほとんど皆さんご存知の所かもしれないところです。ホッケの焼いたのや、ミニトマトをベーコンで巻いて串にコロコロ刺して焼いたのや、海鮮を包みキムチ?ふうにしたのや、見たことがないくらい立派なガーリックトーストや、いかごろルイベ や、とにかくとても美味しかったです。

 その後は十勝川温泉にも行きました。モール温泉のとても良いお湯でした。わたしメガネ外すと何も見えないので判然とは見えなかったんだけど、姉の旦那さんが甥を抱えて湯船の中を「わーっ」という感じで歩いているのは見えました。後で聞いた話では、甥の足がギリギリ湯船の底に着くので「抱える」と言うより「支えて」歩いていたようです。

 十勝川温泉はモール温泉(公称:日本唯一・世界に二つ)のため茶色く濁っています。ちょっと違うけどイメージで的には濃いぃ番茶みたいな感じでしょうか。義兄はずっと以前、子どもの頃、十勝川温泉とあんまり馴染みのない親戚のおじさんと二人で十勝川温泉に浸かりに来たことがあるそうです。そのときおじさんはそのあまりの茶色さと濁り具合とを見て「こりゃきっとこないだの台風の影響で濁ってるに違いない!汚い!」と勘違いしたそうです。たしかに台風が通り過ぎてまもなくだったらしい。(そして温泉の名前が「十勝川」だ。)結果、浸からず、体を陸湯で洗うだけで帰った、という悲しい悲しい思い出話をしてくれました。。。「あれはもったいなかったな。」

 その後、義兄父子と分かれて一人で露天風呂に行ったり打たせ湯に叩かれたりしていたら、「おじさん!おじさん!」という元気な声が聞こえました。返事をしようと思ってふと思い出したことには、甥はまだ「あー!」ぐらいしか喋らない子なのでした。いきなり「おじさん!」では順番が違うだろう。 ‥‥ はたして、まったく違う人でした。

2005年1月5日(水) 1月5日(水)15:45 +0900

■ 本。

 先輩【こちら】が本を出したんだそうです。【紹介文】。アマゾンでも bk1 でも引っかかりません。もう京都に戻るし百華苑さんに寄ってみようと思っています。

 今日はまた後で書く予定です。更新は明日になるのかな。

■ そして。

2005年1月7日追記

 そしてもう7日になっています。5日の夜は友だちと街に出てごはんをいただきました。18:30に彼がうちに迎えに来てくれて出かける予定だったんだけど、その前に30分くらい空き時間があったそうで、友だちはパチンコに行っていまい、思い切り確率が変動してしまい、予定は1時間ずれてしまいました。おかげで焼き肉をおごってもらえました。【平和園】の本店は久々でした。ひさびさだけどやっぱり美味しかったです。ウシさん・ブタさん、ごちそうさま。(ジンギスカンはいつでも食べられるような気がしたのか、そういえば頼まなかった。)

 その後、もう閉店の時間に違いない、でも看板の明かりがついている「茶房 琥珀」に入ってほとんど無理矢理にコーヒーをいれてもらって恐縮しつつ「美味しいね」「やっぱり美味しいね」と言いながら飲み始め、 ‥‥ そのうち話が盛り上がって時間を忘れてしまいました。ちょっと(かなり?)迷惑をかけたかもしれない。

 その後は冬道をドライブしたり「道の駅」で話し込んだりして、わたしが帰ったのは朝3時、友だちは「家に着くのは4時になるかなあ?」と言いながら帰っていきました。いろいろ大変そうだけど、うん。奥さんかわいいし子どももすごくかわいいらしいし、彼がちょっと痩せれば問題なく大丈夫でしょう。

2005年1月4日(火) 1月5日(水)15:22 +0900

■ ひさびさ。

 ノートにインストールしてあったクラナドがプレイ不可能な状態になっていたのでアンインストールして、実家に置いてあったDVDからインストールし直しました。何故プレイできなかったのか考えてみたのですが、記憶の中にある旧来のフォルダと新しくできたフォルダの中身とを比較するに、どうもプレイに必須なテキストファイル(拡張子は「.txt」なんだけどこのままの状態では意味のある日本語ファイルとしては読めない)を何かの間違いで捨てていたっぽいです。

 半年ぶりくらいです。なんかとても良いです。

2005年1月3日(月) 1月3日(月)23:22 +0900

■ うーん?

 箱根駅伝では早稲田を、高校サッカーでは北海を、ライスボウルでは立命館を、それぞれ応援していたら、全部のチームが負けました(駅伝は一応シード落ちを「負け」としときます)。ショックです。昨日はとても順調だったのに。三つ続くっていうのは滅多にないことなのではなかろうか。

 町野案【こちら】をちょこっと読み返しています。 ‥‥ こらやっぱり著しく変だよなあ。 ‥‥ わたしの考え方と相容れないところは明瞭なので、読んで、検証して、今度は良いところを少しでも見付けようと思います。

2005年1月2日(日) 1月3日(月)0:22 +0900

■ 現世利益和讃。

 お正月の「おとそ気分の抜けないうち」みたいな期間、うちのお寺ではご和讃の六首引ではなく「現世利益和讃」を変わったフシでとなえます。六首引をいただくより大幅に時間が短縮されるような気がしてとても嬉しいです。いただけないのは、フシがよくわからないということです。富山・石川界隈から越してきた集落とお寺なので、その付近でポピュラーなフシなのかもしれないし、祖父・祖母の実家が石狩なのでその付近でポピュラーなフシなのかも知れないんだけど、ルーツがどちらなのか良く分かっていません。祖父に生前聞いたところでは「うちでは昔からこれなんだ」というつかみ所のない話になっていました。また、こちらもそんなに熱心に、彼が何もかも話したくなるような聞き方で聞いたわけでは全然ない気がするので、わからなくても無理ないかなぁと思います。

 まとにかく正月に帰省してくると現世利益和讃を変わったフシであげるのです。和讃なので恐らく四行ごとの型があるはずなのだけど、「うちでは昔から」のあげ方は最初と最後が型通りっぽいものの途中がムチャクチャになっている。これは多分ひょっとすると恐らく間違いなくムチャクチャな部分は繰り返し表れるある文言に引きずられておかしくなっているだけだろうということが何となく想像ついてしまったので、いただくたびに父とわたしとの間で小さな小競り合いが起こっています。

 どこかでルーツのホンモノのフシを聞きたいです。

■ 決勝へ。

 ラグビー大学選手権の準決勝を見ました。早稲田も関東学院も順当に決勝へ勝ち上がっていったように思いました。気になったのは関東の仕上がり具合と早稲田のいやらしいプレイと、珍しくはないけれどやっぱりない方が良い誤審の数々でした。密集の中で何が起こっているのかは正直よく見えないことが多いです。でも一週間あるからすぐ仕上がるだろうし、清宮監督ちゃんと指示するだろうし、ボールがくるくる回って飛び回っている間はTVのこっち側の方がときどき主審より良い位置で見えてしまうのでそういうことになるんだろうなあと思っております。プレイはともかく、予期せぬ・意図せぬ・故意ではないミスジャッジは許さないと、です。

 ミスジャッジが偏って出てしまったらわからないけれど、多分それでも、巡り合わせも味方につければ今年は勝てそうな気がします。両チームとも本当にラグビーが大好きな監督と学生が集まってやってるところなので期待しています。9日が今から楽しみです。

2005年1月1日(土) 1月2日(日)13:13 +0900

■ どうもです。

 1月1日です。今年もよろしくお願いします。

■ もろもろ。

 おせち料理やおもち、いただいたお菓子など、案の定と言うかしてやったりと言うか急いては事をし損じると言うか、とにかく食べ過ぎてしまいました。「今年は少しでも体重を落とそう!」という高邁で前衛的でいささかエキゾチックな感さえある目標が、早くも年頭から蛇行し始めています。

 お寺にお年始に来られたお客さんと「わはは」「わはは」と談笑していたら天皇杯の前半が終わっていてびっくりしました。

 そんな中とりあえず css を少し書き換えました。どうもうまくないんだけどこれで各ブラウザ間の見た目状況の相違と言うか格差と言うかしんどさみたものがだいぶ少なくなりました。しかしボックスの罫線をよく理解できていないらしいので、今後はその辺を重点的に改善していく所存であります。 margin と padding の扱いが Mozilla・Firefox 系と IE・Operaとではかなり違うみたいで、それも戸惑いに拍車をかけています。

 ではでは。


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