Just a Little Bit of
2004年12月の日記

2004年12月31日(金) 1月1日(土)12:00 +0900

■ こんな年。

 今年一年をわたしなりに、自分の身の上や世間的な事物で何か感じさせられたモノを挙げてふりかえってみると、今年はこんな年でした。

 ・甲子園の優勝旗が津軽海峡を越えた
 ・WRCが超地元で開催された
 ・岡村靖幸が久しぶりにシングルを出した
 ・松中が三冠王になった
 ・イチローが頑張った
 ・ものすごい津波があった
 ・近鉄がなくなった
 ・キューブラー・ロスが亡くなった
 ・シウバが無敗でなくなった

 以上、一応世間的なこと。以下、個人的なこと。

 ・博士論文にエントリ出来なかった
 ・夏、エアコンのスイッチを入れたまま帰省した
 ・2003年と同じ場所で同じような事故に遭った
 ・安居に懸席した
 ・彰順会に参加した
 ・広島学寮の報恩講に参加した
 ・美味しいラーメン屋さんにめぐり会えた
 ・たれ口で記憶がdだ
 ・イノセンスを映画館で4回見た
 ・GWはCLANNAD三昧
 ・いろいろ萌えた(特に智代)
 ・どんどん太ってどんどん老いています
 ・ギコネコのフラッシュで泣いた
 ・木村さまのカレンダを買ってないな
 ・アフターダークを読了しなかった
 ・煙草を一口も吸わなかった

 そういう感じでした。他にもあるけれどまあぼちぼちです。

2004年12月30日(木) 12月31日(金)1:00 +0900

■ 覇者の影。

 『シャドウ・オブ・ヘゲモン』を読了しました。面白かったです。でも『エンダーのゲーム』ほどの衝撃はやはりなかったです。何かで途轍もなく感動してしまうと後が大変だなあとあらためて思いました。続編なのにある意味では本編を上回ってしまった『死者の代弁者』の衝撃も多大であった、それもやっぱり考え物ではある気がします。でも『エンダーのゲーム』と『死者の代弁者』は本当に素晴らしいと思うのです。

■ 牡蠣パーティ。

 九州から牡蠣が届きました。なので今日・明日は牡蠣パーティです。わたし牡蠣ってあんまりばくばく食べられる方ではないんですけど、それでも美味しかったです。特にバター焼きするとびっくりするくらい牡蠣の味が抑えられてとても食べやすくなりました。しかし無塩バターでやれば良かったと思うくらいしょっぱくなってしまったし、せっかくの牡蠣なのにそんな食べ方をしては冬に鳥せいにせっかく行って「たれ口」や「かす汁」を飲まずにビールや酎ハイばかり飲むようなもんじゃないかという気がします。ということで贅沢だしもったいないのであんまりしないようにします、牡蠣のバタ焼き。しかし本当に食べやすかった。と言ってリピート。

 声明笛の購入を依頼されました。

 更新は31日の昼間にして、今日は疲れたのでもう眠ります、すみません。 ‥‥ と書いても更新が31日なのだからほぼ無意味であることに気づけないくらい疲れているらしい。。。

 いや、気が変わった。頑張ろう。

2004年12月29日(水) 12月29日(水)23:05 +0900

■ 栗きんとん。みかん

 昨日の夜から水にさらしてあったサツマイモをゆで、栗きんとんを調理しました。調理法は、たぶん去年かそこらも書いたと思いますが書きますと、クチナシと一緒に茹で上げ、砂糖をまぶして軽く混ぜてから裏ごしし、裏ごししたモノに栗の煮汁やみりんを煮立てた蜜みたいなものをとろとろかけながら混ぜ合わせていき、火にかけて水分をとばしながら更に混ぜ、適当なところで栗を投入して火が通ったら出来上がり、という、書けば非常に単純な感じです。実際にはものすごく体力や根気、時間が要ったりします。技術はまったく要りません。

 みかん、今年は本当に非常に高価になっています。いつもの2倍以上の価格だそうです。なので試食も出せないみたいで、みかん売り場で応対してくれたおばさんもちょっと困った顔をしてました。でも、ちゃんと甘いそうです。おばちゃんのその言葉を信用していっぱい買って、甘酒も大体出来たし、除夜会・元旦会の準備も着々と完了しつつあります。

■ 小川珈琲。

 こないだ買ってきてあった小川珈琲をいただきました。どういう焙煎方法なのか、なかなか出が良いです。そろそろ出なくなるであろうと思っているのにどんどん出ます。しばらく入れていると豆がふくれてくるような気もする。とにかく、とても美味しいです。

 三日分くらいの日記を書き終えました。来年はなるべくためないようにしたいものです。メールもこれからすごくひさしぶりに開けます。豚の缶詰やVIRUSが最近すごく多いです。おたがい気をつけましょう。

2004年12月28日(火) 12月29日(水)21:30 +0900

■ もちが出来る。その他の準備。

 昨日といでおいたもち米を機械でついて、もちができました。今年は直径20cmくらいの鏡餅が鏡餅らしくきちんと真ん中の盛り上がった丸もちになりました。これは今までなかったことです。例年はどうやっても丸いけど平べったいもちになっていたのに。今年は多分つきあがってから暫く置いておいて硬くなったのが良かったんだろうということになりました。

 玄関に置いておいたら、のしもち、豆もち、ともに数時間でかちかちになり、切りやすくなりました。とは言っても全部切るのには二時間くらいかかりました。

 年賀状を出しました。ポストに投入口が一つしかなかったので不安になりましたが、そのまま投函しました。無事1月1日に届くのでしょうか。一枚出し忘れがありますが ‥‥ 。

 サツマイモを切って水にさらし、栗きんとんを調理する準備をして眠りました。

■ ユニクロ。

 ユニクロで部屋着の上と下を買いました。上はフリースです。下はてろてろしてて歩くとしゃかしゃか(釈迦釈迦)言いますがあったかです。こりゃ良いやと思って洗濯情報を見ると「手洗いのみとし、」って書いてありました。ただで暖かいわけはなかったのです。

2004年12月27日(月) 12月29日(水)19:50 +0900

■ 荷物が届いた。

 京都から出した荷物が届きました。段ボール箱二つをヒモで結わえて一つの荷物にしているのを見て、母は「宅急便にこういうふうにして出したら『ヒモを外して下さい』って言われたわぁ」と言ってました。わたしはコンビニで「結わえて一つにした方が安くつく」と言われてヒモを買ってゆわえた、と言うとびっくりされました。まあそりゃそうでしょう。

 中には服や本や電池充電用の道具その他いろいろ入れてました。イノセンスやアップルシードのDVDも入れてありました。前者の特別版は中にフツウのDVDサイズのハコが入ってるからそれだけを京都に持って帰るんですけど、後者は特殊なハコ(デジパック?)なので、 ‥‥ どうしましょうか。ノートの中に入れて持って帰ろうか。

■ 米をとぐ。

 もち米をとぎました。2升×5、10升分もとぎました。わたしが何かするわけじゃなく鏡餅その他の手伝いでございます。庫裡(お寺にくっついている住宅。住職宅)の方の台所は狭いのでお寺の方の台所でやりました。親が出かけてる間にわたしがといでおくことになったので、お米をボールに秤り入れて水詮を見ると落としたままになっていました。なのでレバーを引いて流れるようにしたら、蛇口だけじゃなく、ガス湯沸かし器の変なところからも水が「びちびちびちびち」と溢れ出して、ちょっとまごつきました。湯沸かし器にも小さな詮があって、それを外してから水を抜かないと湯沸かし器が壊れてしまう、という話はそういえば聞いたことがある気がする。

 とぎ汁をえい、えい、と元気よく(乱暴に)流していたら20粒くらい米も一緒に流れて行ってしまいました。黙っておくことにしています。

 オースン・スコット・カード『シャドウ・オブ・ヘゲモン』ハヤカワ文庫SFを買ってきて読んでいます。他にやることいっぱいです。

2004年12月26日(日) 12月26日(日)16:30 +0900

■ 昨日の日記の補足。

 昨日は、バイト帰りに小川珈琲に寄っておみやげを買いました。朝もちょっと買ったんですがそれを拡充させたカタチです。抽選会をやっていて、朝のお店では有機栽培さとうきびを原料とした砂糖が当たりましたが夕方は末等の5%割引券でした。その後、ダイヤモンドシティ・ハナのはす向かいにあるラーメン屋さんで夕食をいただきました。おばさんがゆがいてくれました。今日は美味しかったです。よかった。おじさんは「29日に取材に来ます」という旨の電話に応対していらっしゃいました。今まで知らなかった情報を漏れ聞くことができました。 ‥‥ 内容も興味深かったけど、あのおじさんはすごく謙虚でがんばり屋さんなんだということを再確認しました。その前にも「明日ほんとうは休みなんですけど、駅伝の応援に行くから開けといてくれって言われてましてね。」みたいなこともおっしゃって、ちょっと大変そうでしたが ‥‥。いま駅伝走ってるところですね。おじさんは仕込みとか頑張ってるんだろうな。

 帰ってネットのTV覧を見たら、どうもキューブラ・ロス本人が『死ぬ瞬間』を迎えたルポっぽい番組があるようでした。うおおおおと思いつつ何かしてるうちに予約をすっかり忘れ、10分くらい見られませんでした。風呂に入らないといけなかったのでビデオに録って、 ‥‥ 帰省の荷物に入れ忘れました。

 何時間か眠ろうと思って布団に入ったんですが、目が冴えて全然眠れない。朝に飲んだリゲイン(風邪対策)がまだ効いてるのかなあ、でもリゲインってこんなに効いたっけ? などなど思ってもやっぱり眠れないので、しばらくは読まずにとっておくつもりだった『キラキラ!』を読了してしまうことにしました。こんな話だったんですね。断片的にしか覚えてなかったので改めて感動できました。よかったです。恵美里はやっぱりかわいいなあ ‥‥ 。

 そしてそのまま朝になりましたとさ。

■ 預かる・いただく・頂戴する。

 少し前、「レジを打つ人が『1000円お預かりします。200円のお返しです。』というべきところを『1000円ちょうどお預かりします。レシートのお返しです。』と言うのはちょっとおかしい。『1000円ちょうどいただきます。こちらレシートです。』と言うべきだ。」という話がそっこらじゅうのメディアでわーわー言われていた時期があったと思います。多分その反動だと思うのですが、昨日も今日も「1000円頂戴します。200円とレシートのお返しです。」という言い方を耳にしました。面白いけどこれも変です。どうして一律にしてしまうんだろう。

■ そんなわけで。

 帰省してきてます。空港まで迎えに来てくれた姉@看護師にキューブラ・ロスの番組のことを聞いてみたら「まったく知らなかった」そうです。あてがはずれた。電話すればよかった。

 その後、空港の南にある「かしわ」というところで豚丼をいただきました。肉が厚く、やわらかく、たれも良い味で、非常に美味しかったです。肉ばっかりでグリンピースも何も載ってませんでした。これはこれで非常に正統だと思う。付け合わせでサラダのセットもあったんだけど、それをたのむと1600円くらいになるので我慢しました。でも、我慢しないでちゃんと野菜も取れば良かったなあと今は思っています。

 こちらは非常に寒いです。

■ 津波。

 インド洋のスマトラ島沖で地震が発生し、その後津波が押し寄せたというニュースがありました。どんな規模だったのかわからないけど、かなりな被害らしい。ニュースを見ていて、知り合いのお姉さんがつい先日「こないだタイ行って来たのー。すんごい良かったのー。」って満面の笑みで話していたのを思い出しました。ほんの一週間くらい前ではなかったろうか。危険がいっぱいと言うか何というべきか、よくわかりません。ぞわぞわっとします。

2004年12月25日(金) 12月26日(日)0:30 +0900

■ 帰省しますよ。

 石田は12月26日から1月6日まで帰省します。困ったことにバイト先のサイト更新を一部失敗したのに、それをそのままにして帰省することになってしまいました。ごめんなさい。どこにもつながらない電話番号が連絡先になっていても困るのです。

■ ちょっと待て。

 【「大阪でテロが起きる」デマ広まる…府警に通報30件】

 ↑読売オンラインの記事です。記事のどこにもデマである証拠が示されていないので、まるで「幽霊はいるか?いないか?論争」みたいな感じに思えました。たぶんこの記事の真骨頂は「いつ何があっても本当はおかしくないんだよ」という感覚を無意識の中に植え付けておいて、少しでも免疫にしようということなのではないでしょうか。それはあたかも『日本沈没』中、週刊誌に「日本が沈没する!?」というオカルトでキワモノな記事(実は事実)が出て日本中半信半疑で大騒ぎになり少し免疫になったような。

 幽霊の存在・非存在も、この所謂「テロ」がデマかガセかも、決定的な否定材料がない以上、「どっちが事実かわからない」が正しい判断だと思います。なので、デマだデマだと言いながらちゃんと冷静に警戒を強化しているというのはとても良いことだと思います。絶対に大丈夫! と言って原発の事故対策マニュアルを本当に作らなかった人たちとはえらい違いだと思います。 ‥‥ 「アラブの会」代表のコメントはちょっと意味が分かりませんでした。ばらばらにして考えた方が良いことをねじってくっつけているような印象を持ちました。

■ どういうことなのか。

 eireneさんのサイトに行って、東京新聞かどこかに猫クローンの実用化?の記事があったらしいことを知りました。でも古い記事らしくリンク先は消滅してました。 ‥‥ ちょっと探したら他の記事がすぐ出てきました。【産経】 【Biglobe EPA】 【朝日】。他にもTBSのキャッシュとかが残ってます。

 それによると、猫・姿形が同じ・性格がそっくり・口の中にあるホクロの位置まで同じ・「ジェネティック・セービングス・アンド・クローン社(カリフォルニア州サウサリート)」・ベンチャー企業・5万ドルで販売・遺伝子を保存・クローンを作る契約、というのがキィワードであるようです。作った会社のサイトも紹介してもらいました(eireneさんありがとうです)。【こちら】ttp://www.gsc-jp.com/about_us/index.shtml。

 うーん。1.上に書いてある内容がそのまま事実 2.主観的な感想をそのまま客観的な事実ででもあるかのように発表しているだけ 3.「体温が0度でなければ生きている」並み 4.今日はぼくの知らないうちに4月1日になっている ‥‥ のうちのどれかだろうという予測はつきますが、なんかこう、変な感じです。人間は基本的に「やりたい。やれる。やろう。」だけなんだなあ。(猫の「性格」って実は四つくらいしかないのかもしれないニャ。)

 ぼくが飛行機に乗り遅れず、飛行機が無事に飛び、無事に降りた場合、次の更新は北海道からになる確率が高いです。

 ではです。

2004年12月24日(金) 12月25日(土)21:00 +0900

■ 風邪のような。

 寒空の中をバイトに向かうときは何ともなかったんですが、職場(?)に着いてから鼻がぐすぐす言い出しました。たぶん外出直前にシャワーを浴びたのがまずかったようです。普段ならわたしもそんなこと致しませんのですけど。ちょっとうっかりしてました。

 最近やっと肥満対策を取り始めておりまして、23日の夜はチゲ鍋もどきを調理して、全部は食べずにセーブしたんです、半分くらい。夜はそれをいただきました。

■ 多分安価。

 帰省の荷物と、10月に広島の学寮で報恩講に参加させていただいた時に実家から送ってもらっていた白衣・黄袈裟その他を北海道へ送りました。ハコは二つになったけど衣類中心だったのでいつもより軽く、何とか一度でコンビニに持って行けました。伝票を二つ書くつもりでいたら、「ヒモで括って一つにすると600円くらい安くなりますよ?」と言われたので、200円のヒモを購入、括って出しました。

 二つ分で計算すると2600円、一つにすると1700円、でした。「900円!も」と考えたくなりましたが、二つとも持ち込みなので−100円×2、同一の宛先なので−50円(100円でしたか?)、という計算をすると1000円弱ではなく慥かに600円ほどの安価になっています。最寄りのコンビニ店長さんに感謝しております。帰りに浮いた400円でヱビス&おつまみを買って安さを実感いたしましたとさ。

■ 『註釈版』。

 ちょっとした用事があって『浄土真宗聖典(註釈版)』(以下『註釈版』)を(目次だけ)精読しています。タテ書きで本文に続いているこの「刊行にあたって」ならびに「跋」と、ヨコ書きの「索引」とは、表紙の側から開いていくとこの順番で当たるんだけど、内容的には「索引」が先なんですよね、こういうのって。どうも確信が持てないんですが、縦書きの雑誌の裏表紙側に横文字の論文が掲載されていて、編集後記がタテ論文とヨコ論文に挟まれて真ん中にある、アレに似てると思うので、そういうふうに考えようと思いました。(なんて独り言だろう。)

2004年12月23日(木) 12月24日(金)2:35 +0900

■ 多数派・現状維持派。

 BSで見たabcニュースによると、アメリカでは今「クリスマスをどうするか?」が大きな問題になってるんだそうです。たとえば、公立学校でクリスマスの飾り付けをする場合、木は良い、ロウソクも良い、しかしイエスさん生誕の場面を人形などを使って再現してはいけない、という決定をどこかの行政の側がして、市民@キリスト教が猛反発しているらしい。別のところでは、他の宗教を信仰している人も買いに来るのでそちらに配慮してあんまり「メリークリスマス」を前面に出さないクリスマスフェアをしているお店に対して、ある牧師さんが「このクニではいつからメリークリスマスが禁句になってしまったのでしょう?」と言い、「メリークリスマスのないクリスマスなんてクリスマスじゃない」的なアプローチでその店をボイコットするように呼びかけ、結構な数の市民@キリスト教がそれに同調しているらしい。そんなわけで「メリークリスマス」を前面に押し出して「キリスト教徒に配慮」したフェアをしているお店は市民@キリスト教から推奨され、着々と業績を伸ばしているんだそうです。

 「配慮」というのはたぶん少数派や嫌われ者なんかに対してするものであり、多数派や現状維持派に対してする「配慮」は単に「迎合」と呼ぶべきではなかろうかなあと思いました。

 以下、関係ない話をいたしますと、ぼくの実家@浄土真宗では、小学六年生まで「クリスマスプレゼント」という無根拠な「プレゼント」が父親からもたらされていました。それは単に「もらえるものはもらっておこう」とか「他の家でもやってるんだからうちもやっとこう」というせせこましい精神の産物であり、積極的な理由はどこにもあるものではありませんでした。「人並み」のキィワードの一つとしてのクリスマスプレゼント。ありがとう。

 ケーキとか飾り付けとかそういうのは流石にしませんでしたが、それはうちだけではなく、あんまり熱心にやる家庭はわたしが子どもだった頃は周囲に皆無だった印象です。ある先輩は「昔は酔っぱらったオヤジが集団で赤白の帽子をかぶってわーわー騒いでるのがクリスマスだった。それがある時期を境にして「恋人たちのクリスマス」という商品価値のようなモノに取って代わられて、今に至る」みたいなことを言っていたのをふと思い出した。

 子どもの頃の記憶に話を戻しますと、クリスマスパーティは姉の通っていたピアノ教室主催のやつに参加させてもらってた記憶があります。姉二人と母親が行く以上わたしが家にひっそりいるのは不憫だったのでしょう。ありがとうです。

 その後、大学生になってからこっちは、恋人がいないときは「うちは仏教だからなんもせんのです」と言ったり、いるときは妙に画策しても慣れてないから裏目に出たり。仏教徒である自覚を持って以降は「メリークリスマス」と言わなかったばっかりに恋人が「あなたって何て偏屈なの!」と言って泣いてしまいオロオロしているうちによくわからない展開になったりという感じです。今年は ‥‥ 純粋仏教徒でいけるようです。同僚がバイトに入れなくなったのでヘルプで入ったりします。

 ここでおまえたちに言っておく。(←マタイ受難曲ふう) 仏教徒にメリークリスマスを言うように強要するのは、ムスリムや菜食主義者にチャーシューメンを食べるように強要するようなものなのだ。わたしもそのうち信心獲得したと思えたり努力したりしてココロ丸くなったなら、強要されなくてもダダ漏れで言うようになるので放っておくべきなのである。

■ 髪を刈(ってもら)った。

 お正月なので、というか実家に帰るので髪を刈ってもらいにいきました。刈ってもらってる間、真正面の鏡の中がどうなってるのかまったく見えません。今日も大体終了した感じになった時きょとんとしました。たぶん彼女ははっきり言わず「こんな感じでどうですか?」っていう目でこちらを見たのだろうと思います。そして多分「あぁこの人そういえばさっき眼鏡はずしてたっけ ‥‥ 」と気づいて、眼鏡を渡してくれました。コンタクトレンズにすれば髪を刈ってもらってる時間が今より楽しくなるかもしれませんね、相手の目を見ながら話せて。

 美容院を出たら、ものすごい天気雨でした。傘持ってない人が多かった。ぼくは持っていましたが風がくるくる回りまくって、あんまり役に立ってないみたいでした。一応「持っている」という事実のみが周囲との差を生んでいたような感じです。

 刈ってもらってる間に考えていたアイデアをまとめようという理由をねつ造して小川珈琲に行ったら激烈に混んでいて入れそうになかったので、そのまま家に向けて歩きました。途上、見たことのない古本屋さんが「新規オープンしたてです!」という出で立ち建っていたので入って見て回っていたら、安達哲『キラキラ!』が全巻あったので「おおおお」と言って買ってきました。ちょっとずつ読んでます。おもしろいです。懐かしいです。どのくらい懐かしいかと言うと、1989年から1990年にかけての連載で、わたしはちょうど高校三年生から浪人という、とても微妙できらきらした時期を過ごしていたのでありました。書いてすぐ言うのもどうかと思いますが少し嘘を申しました。

 深夜のNHK教育を見ていたら、川が流れている場面で『Air』のBGMが流れていました。NHKも遂に発売当初はエロゲーに過ぎなかったもののBGMに手を出し始めたわけです。海老沢さんはますますやめざるを得なくなってきたぞい(今回が初めてなのかどうかは不明)。

 昨日から今日にかけて、ネットになかなかつながらなくて非常に困りました。ルータがおかしくなってきてるんだろうか? つながってる間にアップします。

2004年12月22日(水) 12月23日(木)3:55 +0900

■ 少し改善。

 Mozilla で見るとすんごく変だったトップページの配置の件、一応は直せたみたいです。でも Mozilla を優先すると他のブラウザでの見た目が著しく悪くなるので、ちょっと妥協させてもらっています。各行の右端が切れてしまうのはノートにインストールしていた Mozilla のフォント設定がいけないのかな? どうやってもデフォルトの設定に戻せそうになかったので一旦 Mozilla そのものをアンインストールしてみました。新設定で今日の日記をアップしてから再ダウンロード・インストール、それで(あるいはデスクトップに入ってる方で)表示させてから再び考えることにします。なお、スタイルシートがよくわからないという感覚はまだまだ治りそうにありません。

■ 長い。

 ノートのバッテリが「残り: 15分 (5%)」という表示になってすでに10分くらい経つのですが、打っても打っても残量が変わりません。よくわからないくらいすぐなくなるよりよくわからないくらいもつ方がそりゃ便利なのでこれで良いことにしておきます。できればもう少しすっからかんにしてから充電したいです。

 ‥‥その後、全然ちがう速度で減り、順調に「残り: 2分 (1%)」となっております。もうこれからは何も書かず待つだけにします。

 ‥‥その後、やはり10分は経っているはずなのに全然ガシガシ動いてます。「2分」はいつからその5倍の時間を意味するようになったのだ? ブラウザを複数立ち上げ、閉め、立ち上げ、閉めを繰り返しているというのに。

 今は<hr>の設定がよくわかりません。IE以外ではなぜ表示されないのだろう? <hr>のためのスタイル設定があるのだろうか?

■ 火狐。

 バッテリがめでたくすっからかんになりました。今は外してコンセントにつないで書いてます。充電はわたしが眠ってるあいだにするに限ります。というわけで Mozilla をインストールしました。起動させたら FireFox というブラウザがある旨の表示がいちばん最初に出たのでそれもダウンロード・インストールしてみました。コレどこかで名前だけは見たことがあったなあ。ブラウザだったのですね。知りませんでした。

 今日は「コックリさん」を漢字で「狐狗狸さん」と書くことを知りました。輸入された当時はテーブルが「こっくり」「こっくり」動くから「こっくりさん」と言っていただけだったモノに漢字をあてたら爆発的に広まった、という安斎育郎教授@立命館大学の説明でした。NHKの人間講座はときどき面白いです。以前は星野仙一さんが阪神(含野球一般)への愛を何時間にもわたって語り続けていました。中でも強烈な印象だったのは大学時代の恩師のお話でした。明治大学ってラグビーの北島監督はじめ素晴らしく熱血漢な指導者をいっぱい出してたんですね。多分その流れの中に星野さんも位置付けられそうな気がします。

 ‥‥その後ネットが全然つながらなくなってしまいました。この日記はいつごろアップできるのだろう? そうだこういうときはこっくりさんに聞いてみようか。しかし部屋には一人しかいないのでした。

2004年12月21日(火) 12月23日(木)2:15 +0900

■ 大袖振 豆もち。

 近所のスーパで豆もちを揚げたやつを買ってきてバリバリいただいております。(【ココ】にあるやつです。)美味しいな、やっぱ豆もちって美味しいなと思ってパッケージをよく見たら「十勝産」って書いてありました。(豆が十勝。米は新潟?)地元じゃん! と思って裏を見たら「私たちが作りました」というコメントと栽培者の写真が載っていました。ありがちと言えばありがちだけど十勝だからねえ、うん、頑張って欲しいものだ、と思ってよーく見ると、同じ小学校の友だちのお父さんでした。

 ちょっと嬉しかったです。がんばってください。

 ご門徒さんはお寺に対してじゃがいもその他いろいろなものを、たまにもちろん大豆もくださります。寺族なのでわたしもそれを美味しくいただくわけですが、わたし相当すごいものをいただいて来てるのかも知れません。。

 参考:コメント・商品紹介抄:
「大袖振豆もちに使っている大豆は私たちの畑で丹精こめて栽培しました」

「北海道十勝地方で栽培される音更大袖振大豆は高糖質、低タンパクで味がよく、米菓などの食味が求められるものに最適な品種です。食品の中では大豆だけに含まれている成分「イソフラボン」が、最も多く含まれています。大袖振大豆に徹底してこだわり、この大豆を音更町の生産者と、栽培契約を結ぶことで安心と美味しさを皆様にお届けします。」

■ よく夢をみます。

 最近よく夢を見ます。面白かったら日記に書こう(ネタにしよう)と思うんだけど、見た直後は鮮明なので書き留めなくても覚えていられると思い、何もしないで過ごしてしまう。で、日記を書きながら内容を思い出そうとしても全然思い出せません。 ‥‥ 今日見た夢では何かが三つあって、その「三つ」というのが夢的なオチと慥か密接に絡んでいたと思うのですが、如何せん何がどう面白かったのか思い出せない。冷静なところから見ると面白くも何ともない話だったのかどうかの検証もできない。困ったものであります。

2004年12月20日(月) 12月21日(火)3:33 +0900

■ 変更。

 サイトをテーブル主体からスタイルシート主体に変更しつつあります。これから書く日記のすべてとトップは今うんうん唸ってるのが完成したらそういう感じでやってけると思います。しかし今までに書いた日記や本の紹介・習作のソースを書き換えるのはちょっとしんどいので、多分やらないんだろうなあ。

 どうやったら真ん中に寄るのか? とか、なんで左右のワクをきっちり設定してないのに左右に表示されるのか? とかがとんとわかりませんでしたが、【弥絵さんのとこ】その他を見て

  {text-align:center;} とか
  {float:left;} とか
  {overflow:hidden;}

‥‥なんてふうに書き直したらわらわら動いていってくれたので、どのような定義なのかをもう少し吟味して勉強しつつ、でも今はこのままで良いやと思って放り投げつつ行こうと思っています。(だってtextじゃないものがtextの指定で動くなんて‥‥。)

 スペルを間違うと動かないのも正直で、うん、良いことです。今回は「hidden」を「hiddn」と書き間違えてました。

 色その他フォント系の指定に<FONT>を使わないっていうのは、しかし面倒です。今後の世界はそんなにフォントの指定をしない方向に進んでいくのでしょうか。

■ 気の毒だ。

 アメリカ軍のイラク駐留を追った番組を見ました。NHKのサイトによると18日にアルジャジーラの話と一緒に放送した特集番組の一部だったんだそうですが、一方だけでも1時間近くありました(アルジャジーラの話はフジを見ているうちに見逃してしまっていた)

 アメリカには「州兵」という屯田兵のような制度があるんだそうです。登録制で、普段はフツウに暮らしながら月々給料をもらいつつ月に一度くらいは訓練している。二年経つと大学に行くための奨学金ももらえたりする。兵士が足りなくなったからなのか何なのか、その人たちが実践的な訓練をみっちり受けた後で陸軍と交替でイラクに入り陸軍のやっていたことを引き継いでやっている。もちろん州兵の中にも国防意識に燃えてイラク入りを自分から希望する人もいるけれど、番組で紹介されていた州兵は、50余人すべてがイラクに行きたいとは思っていなかった人たち。

 ‥‥その人たちと、その人たちを送り出した地元の人たちの一年を追った番組の中に、こないだ報道されていた、ラムズフェルドが兵士から「装甲車が足りないぞ!」と言われて「可能な限り回してるさ!」と答えた話(【毎日】 【ベリタ】)に近いものが出てきてました。

 駐留を終えて引き揚げようとしている陸軍の人たちは軍需大国アメリカが誇る最新の立派な装甲車に乗っている。そして、その立派な装甲車をクニに持って帰ろうとしている。対し、これからイラクに入ろうとしている州兵たちは1950年代に州に配備されたぼろぼろの車に乗ってバグダッドに向かおうとしている。「そーんなバカな話があるかい! 乗り換えないとあぶないじゃないか!」と思っていたら、ナレーションは「陸軍と州兵は管轄が違うので、陸軍の装甲車を州兵が使うことはできないのです」的なことを教えてくれました。

 なので州兵は仕方なく、破壊された装甲車の破片みたいに見えるガラクタや防弾チョッキで、走ってるだけで故障しそうなポンコツを補強して装甲車っぽくして配備につく。ある州兵いわく「国防総省は何を考えているんだ」。

 ラムズフェルドは装甲車を〈可能な限り増産していると説明〉してるそうですが、「戦争は手持ちの部隊で戦うしかない」とも言っている(たしかTVニュースでは「部隊」じゃなく「装備」と言っていた気が)。政府管轄のところに手持ちの装備があるんだからきちんと回せば良いのに何を考えているんだろう?

 ともかく志願兵でもなんでもない州兵たちは、そんな「装甲車もどき」に乗ってバグダッドに入り仕事を始める。そんな似非装甲車の車列に対しても、イラクの人たちの一部は律儀にロケット弾を撃つ。そんな人たちの宿舎に対しても、イラクの人たちの一部は律儀にロケット弾を撃つ。何人か死んでしまう。

 縦割り行政で役立たずなことをしてるのは日本の行政に特有の最悪な部分だというイメージだったんだけど、たぶん世界でいちばん強いはずの米軍でもそういうわけのわからないことになってるとは ‥‥ 。ちょっと、いやかなりびっくりしました。60年くらい前の日本でさえ使えるモノは何もかも、使えないはずのモノまで何もかも掻き集めて総動員して「国防」してたのに。ヘタにモノがいっぱいあるとそのへん頭が回らなくなるんでしょうか。それとも自分の住んでる場所以外での「国防」や 「 「 「 「 正義 」 」 」 」 を彼らは本気でやるつもりがないってことなんだろうか。

 州兵もラムズフェルドも気の毒すぎる。後者は頭の中でひまわりか何かが満開に違いない。かわいそうに。

2004年12月19日(日) 12月19日(日)21:00 +0900

■ ( ̄〜 ̄; 。

 起きたとき「わたしはどうしてここにいるのだろう?」と久しぶりに思いました。なかなかに深刻なふつか酔いの状態で、荷物が届いたようなノックの音のようなものがドアの方で響くのはわかったんですが起きられませんでした。ほどなく、昨日、桃山御陵前かいわいの「鳥せい」を出たあたりから記憶がないことに気づきました。でもちゃんと着替えて寝ていたし、財布の中を確認したらお金もちゃんと減ってたし、メガネもあったし、MP3もパソコンも鍵も壊れずちゃんとあったし、自転車もちゃんと停まっていたし、 ‥‥ 記憶がdだわりにそんなにおかしな行動はしてないように思えました。案外しっかりしてるのかな? と思って流しの中を見たらコーヒーを入れたカップが置いてありました。いれるだけいれて飲まなかった(飲めなかった)らしい。これもヨッパライがいれたにしては上出来な、すごく美味しいコーヒーでした。

 目下の気がかりは、一緒に飲んだ友人に何かとんでもないことを言ったりしたりしてないかと、わたしは酔うと歌いたくなる人なので夜中に大声で歌って近隣の方に迷惑をかけたりしてないかと、どこかの公園でトイレに入った後何か気がかりなことがあってパソコンを広げた記憶があるんだけどあのときわたしは何をしようとしていたのかと、 ‥‥ です。

 その後、荷物の人にもう一回来てもらいました。北海道行きの航空券でした。なので石田は26日から6日まで帰省の予定です。

 先輩からもらっていたすがきやのラーメンをいただきました。もやしとねぎをトッピング。ちょっと水の加減を間違えたらしく非常に薄味になってしまいましたが、でも美味しかったです。

 さっぱりしたものだけをいただきたい今日一日です。

2004年12月18日(土) 12月19日(日)20:24 +0900

■ たれ口。

 朝早くからバイトに出かけ、その後、友人と近鉄に乗って桃山御陵前下車、鳥せいへ行き、たれ口を飲んで来ました。とても楽しく飲めてよかったです。何を注文しても美味しかった。以前先輩に連れてってもらったときに「コレを食べないと!」と言われたメニューが何だったかなかなか思い出せなくてちょっと困ったけど無事に「鳥雑炊」であることも判明しました。焼き鳥もつくねも美味しかったし、手羽もおいしかったし、かす汁も美味しかったし、たれ口はもうものすごく美味しかったし、本当によかった。四杯もいただいてしまった。

 しかし、お会計を済ませたあたりからこっち側の記憶がまったく断片的で、お店を出たことも、近鉄の駅に向かったことも、電車に乗ったり降りたりしたことも、京都駅から(たぶん)自転車で帰ってきたことも、まったく覚えていません。

2004年12月17日(金) 12月19日(日)20:20 +0900

■ スキャンをしたり。

 金曜日、ぼくは一日何をしていたっけかなあ‥‥。ごはんを食べたり本を読んだりいろいろしてたとは思うのだけど、あんまり記憶がないです。

2004年12月16日(木) 12月17日(金)20:00 +0900

■ 八尾。

 八尾の報恩講に行って帰ってきました。ということでトップにあった報恩講の案内が消えました。阪急はJRと違い昼間割引などがないけれど日常的に安価でとてもよろしいです。

 帰ってきてメールを受信して、その後日記を書いたのでアップしようとしたらネットにつながらなくなってました。なんだかなあ、これじゃTV何やってるかもわからないじゃないか、と思ってチャンネルをテキトーに替えていたら、サッカー日本代表のドイツ戦が今まさに始まるところでした。非常に危なかったです。危うく見逃すところだった。

 年賀状を印刷しました。去年‥‥というか今年の年賀状でやったのと同じような安直な方法を採りました。インクジェット紙を使っているので綺麗なのは綺麗です。去年もらった分は出そうと思っております、たぶん。喪中関係のはがきをくれた方には「寒中見舞い」と称して同じようなモノを送るつもりでおります。

 宗学院の卒論中間発表?をしたときにアドバイスの一つとして教えてもらった本を読んでいます。難波紘二『覚悟としての死生学』文春新書380【bk1】です。切り口が独特かも知れないけれど実はオーソドックスで、また言語明瞭・意味明瞭で、非常に面白いです。こういうやり方があったんですねぇ。Fさんありがとうございます。八尾で他の方からも方向や方法についての意見をもらえたし、少しずつ良い感じです。しかし座礁してぐずぐずしてるとすぐ難破するので気をつけないと。どこを修理すれば良いのかは一目瞭然なんだけど。。。

 ぐすぐすしてもぐずぐずしない。なんだそれ。では。

2004年12月15日(水) 12月16日(木)1:40 +0900

■ 体調悪し。

 複数のヒトがまったく別の局面で冗談めかして「わたしアルツハイマーかも‥‥」的に言うのを見ました。一人には「更年期障害の軽いやつでは? そういうのいつでもどこでもありますよ、うん。老いの境目かもしれませんよ、うん。大丈夫大丈。うちの80越えた婆さんでも自分の老いを感じて淋しそうなこと言ってたりしてましたよ、うん。」みたくフォロウにもなんにもならないコメントをそれでも返せたんだけど、もう一人の方にはまったくコメントを返せませんでした。実害のようなものを受けた場合は反応が鈍るかダイレクトになりすぎるか、とにかくあんまりよくありません。そんなわたしはちょっと体調が、特に肉体よりも頭脳の方の調子が崩れております。こくまろシチューだと確認して信じて北海道シチューを買ってくることからもそれは明らかです。なので今日の夜から行く予定だった八尾に行くことをひとまず断念、明日の朝早くに出かけることにいたしました。

 無事に起きられるかどうか不安でおちおち眠れない。

■ ブンシャカ。

 NHKのTVニュースでアナウンサや竹中平蔵さんが「分社化」という単語を繰り返し使っていました。「ブ」にアクセントを置いていないぶんリズム的な語である「ブンシャカ」「ブンシャカ」が不自然に聞こえて面白いと思いました。そういえばU2の『Pop』中『DISCOTHEQUE』(本当はEに点が入る)という超かっちょ良い曲に「ブンチャ、ブンチャ」という歌詞があってなんか鄙びた感じに思えて椅子から転げそうになったことを少し思い出しました。ガンプラを作るにはとても良い曲だった。

 では。

2004年12月14日(火) 12月16日(木)0:30 +0900

■ 「お金」。八尾。

 ヒトから勧められていた、仲正昌樹『お金に「正しさ」はあるのか』(ちくま新書)【bk1】を読みました。目からウロコがぼろぼろ落ちるタイプの本でした。ひとはなぜ働かなければならないのか? という問題を論じてる類の本ではひょっとするとまったく扱ってない内容の、しかしそのへんをまさに中心点に据えてもいる本のような気がします。今までクリアじゃなかったことさえ認識していなかった窓が、ものすごい勢いで曇っていたことを後ろからチョイチョイってつついて教えてくれた、でも磨き方はあんたが何とか習得しなさいねと言ってくれている、そういう本に思えました。いやー、良かったです。

 八尾で報恩講です。勉強会が入っていたのをうっかり忘れていました。。。うーん、うーん、とはかりにかけて、今回は今まで参加したことのない方に参加することにしました。すみません。

 夜に帰ってくることになるので暖かい格好で出かけましたが、そうすると昼間は非常に着ぶくれた感じで苦しかったです。外側からは見なかったので正確にはわからないけれど、でも多分、わたしを見たヒトが感じたほどにはわたし自身は暑く感じていませんでした。しかし、夜は非常に寒かったので着込んで行ってよかったです。

 味の素って、大量に摂取すると本当に寒気がして体中がだるくなるみたいですね。わたしそんなに敏感な体質ではないので気のせいか風邪のせいかとも思いましたが、でもどっちも違うのもとてもよくわかった。信じられなかったけど、たしか以前にも一度か二度あったんだよな。しかし今日のは本当にひどかった。死んでしまいそうなくらいにだるくなった。今度からは口当たりが良いからといってうまいうまいと大量にいただかず、もっと気をつけていただこうと思います。 ‥‥ 次はうまくいけば来年の四月ですね。

 帰り、駅ですごい大きく脚を投げ出して座ってる小学生か中学生の男の子がPSPやってました。どうも見せびらかしながらやってるように見えてしまった。実際にどうだったのかはわかりません。しかし、もしわたしが持っていたなら得意げに見せびらかせながらやるでしょうし、もしわたしが良くないガキさまだったらカツあげるんじゃなかろうかなあ。良いなあ。

2004年12月13日(月) 12月15日(水)23:45 +0900

■ 火・水は休み。

 火曜・水曜の宗学院本科は休講なのかどうかを勧学寮の事務に聞きに行ったら、今まさにその確認の電話をしているという状況に遭遇しました。おお。どこと話して決めるんだろう。 ‥‥ 電話が終わるまで待っていたら、すぐ帰るのにお茶を出していただきました。びっくり。ものすごく満杯だったのにもちょっとびっくりしましたが、すぐ帰るところだったしタイムリーだなあと思いながらいただきました。で、休講の確定情報をいただいて帰ってきました。部屋に戻ったら全員宛のお知らせメールも入っていました。

 バイト関連の書類を提出しました。生協に行ったら買いたいと思っていた本が一冊もありませんでした。でも買いたいと思っていたTシャツは買えました。本はアバンティに行ったら何冊か買えました。プラッツ近鉄に行ったらいちばん買いたかった本がやっと置いてありました。見た目が予想と違ったから生協では見過ごしてしまったのかもしれない‥‥。

2004年12月12日(日) 12月13日(月)21:21 +0900

■ 日曜日は休みの日です。うん。

 落ち着いた感じの日曜日でした。外では雨が降ってる音がしてましたが室内までは降ってこない(というか漏ってこない)ゆるい降り方でよかったです。そういえば徹底的に外出しなかったな。

 サッカー中継が多い一日でした。トヨタカップ面白かったなあ! 何年か前、いちばん最初にトヨタカップを見た時は「なぜ? なぜ? なぜ?」って思い続けてた記憶があります。「なぜ世界一を決める試合を日本でやってるの? 変すぎるぞ? うそだろ?」という。「トヨタカップ@日産スタジアム」も一度くらい見たかったな。。

 何かあったんだけど思い出せないな。まあ良いことにしよう。

2004年12月11日(土) 12月13日(月)20:40 +0900

■ バイト・八尾南・いかごろ。

 朝から夕方までバイトでした。バイト前の朝ご飯、今週はすき家じゃなく小川珈琲でした。分煙してるところは落ち着いてコーヒーが飲めてとても嬉しいです。わたしが入った時は喫煙席が満席で禁煙席は誰もいないという、何とも贅沢な感じになっていましたが、その後ぽちぽち入って来てました。

 夕方から夜にかけて八尾南でお説教を聞かせていただきました。

 夜は梅田でいかごろというのをいただきました。一緒にいた二人は「こないだ別のところでいただいたやつはもっと肉が厚くてこう‥‥」と言っていました。そっちも食べてみたいなあ。日本酒にむちゃむちゃ合うよ! というのは一緒みたいでした。おいしかった。

 バイトはとてもラクでした。八尾南に向かう電車は、乗った車両は空いていましたが他の車両は激烈に混んでいたそうです。また、駅舎やホームはごったがえしていたし、駅周辺のアブーな駐輪地帯もいつもより自転車多かったし、人出はなかなかなものでした。お説教はひさびさだったからかうまく聞き取れないところや漢字変換がおぼつかないところが少し多かったです。

 和上たまに何か思い出せないことがあると「いかんの、ココ(と言って人差し指あたりでアタマを触る)に穴開けんといかんの、」みたいなことをおっしゃります。今回の土曜日はそういう局面はありませんでした。しかし【おりん】さんのところを経由して【こういう記事】を知ったのです。これ、和上にはあるいは耳寄りなお話かもわかりません。でもいろいろなことを思い出す目的ではなく「癒し」を目当てにしてるんなら、まったく耳寄りではないことでしょう。

 はいはい。

2004年12月10日(金) 12月11日(土)16:00 +0900

■ 千尋やってましたね。

 一日まったりぐったりしていました。

 経済制裁というのは、経済封鎖されて暴発したクニが昔あったので、そして一部にはその暴発を外交手段の一つとして積極的に容認しようとする論調が未だに一部にはあるから、やっぱり慎重にやった方が良いと思います。自分がされて嫌だと思うことは他者に対してもするな、みたいなことをたしかコンフューシャスさまも仰有っていたと思います、そこまで強くは言いませんが、でも出来ればしない方が良いと思う。

 彼らの嫌がることをすることにするとしても、積極的に「制裁する!」んじゃなく少し消極的に「何も援助してやらない!」と言った方が良い気がします。しかしそういうふうに言い方を変えたとしても、彼らの言い訳が「経済制裁をされたから核ミサイルを撃ち込んだのです! 経済制裁をやめさせる方法が他になかったのです!」から「援助してくれなかったから核ミサイルを撃ち込んだのです! 援助させる方法が他になかったのです!」に変わるだけなのでどんぐりだと思う。後者の方がよりムチャクチャ度が充実してますが、しかし端っからムチャクチャなことばかり言う・する相手なのだから何がどうなっても今さらって感じが否めない。ミサイルの準備をさせないように管理した上でタテをしっかり構え、その上でアメとムチを両方ともちらつかせておいてギリギリを相手に選択させる、という、今までは何度か失敗してる観もあるやり方を徹底させていくという、古くさいやり方がいちばん良いのでしょうか。

 糖尿病その他で食事制限をしている人に向けたお弁当調理・配送をしているベンチャー企業が京都にある、業績を伸ばしている、というニュース映像を見ました。利用している人が「単身赴任で食事制限するのは大変です、少しだけ調理して少しだけ食べることが困難なのです、どうしても多く調理しがちで、調理したからには多くてもどうしても全部いただいてしまいがちになるからです。」みたいなことを言ってました。なるほど、だからわたしは太りがちなのか ‥‥。

 ‥‥ 結婚してしばらくしたところで会ってみるとガンガンに太ってしまってる友だちが少なくないんですが、あれもやっぱり全部いただいてしまいがちだからでしょうか。作る方は一生懸命たくさん作り、食べる方は一生懸命たくさん食べてしまう ‥‥ 。それも愛のひとつのカタチ ‥‥ なのか?

 W杯の最終予選、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と同組になってしまいました。やっぱりホーム&アウェイなんでしょうか? いろいろ不安&心配です。もちろんうちが負けるなんて毫ほども思えません。

 よく放言しました。

2004年12月9日(木) 12月11日(土)10::00 +0900

■ 方法論

 話を聞いたりテキトーなことを言ったりしながら、真宗学にはやっぱりこれと言った決定的な方法論がないんだなあ、という思いを新たにしました。しかし、ないからと言って開き直るのもどうかと思いつつ、でも開き直られるとどうにも反論のしようがないというのもすこぶる事実っぽくて、そのへん面白いなあと思いました。そんな面白さは要らないとも思う。

 そんな今日は恐らく今世紀最後かも知れない現教研の忘年会でした。参加予定だったけど参加できなくなった先輩から忘年会のただ中で着信があったという事実を家に帰ってきて眠る直前に知った、そういう少し気まずい一日でもありました。その後かかって来てませんので、きっと無理すれば来れそうだという連絡だったんではなかろうか。気がかりですがかけ直していません。すみません。

 モツというのがどういうふうな感じで調理されるのか少しだけわかった一日でもありました。あんなに脂・脂してるもんだとは知らなかった。ヒトの腸(というかわたしの腸)もあんなに脂・脂してるのかな?だったらエラいことだと思います。美味しそうなフォワグラと美味しそうなモツなんて羊と牛に任せておくべきだと思います。おなかのなかに抱えていても良いことはない。もう少し運動しようと思います。

 二次会の最中『黒革の手帖』の最終回をみんなで見ました。なるほど、面白かったです。特に、声の裏返し方がすばらしいと思いました。みんなどうしたのか主演の女優やCMに出てきてケータイで音楽聞きながら寝転がっていた女優を口々に「綺麗だ」「かわいい」「いいむねだ」「いや俺は伊藤美咲の方が良い」など言葉を極めて無闇に褒めちぎってしまう瞬間がありました。いやいやよく覚えていません。ベイリーズはすごく美味しかったです。ちゃんとお酒のおいしい味がして、びっくりしました。

2004年12月8日(水) 12月11日(土)9:15 +0900

■ 「課程博士を取りなさい」。

 朝から学校のようなところに行って講義を聞き、講録の準備に参加し、昼に帰ってきてテキトーに暮らし、夜には『論註』の勉強会に参加し、ラーメン研究所でラーメンその他をいただき、大宮通りの某所でご酒をいただき、高い声が出なくて困っていたら隣の見知らぬ男性がカウンタの中の女性にわたしの歌い方をあからさまにけなしているのがぼんやり聞こえてきたけれど聞こえないつもりを装って聞かせているという中途半端な言い方だったのでとりあえず完全に無視して、気持ちよく帰って来ました。

 朝の講義は『天台四教儀』そのほか天台の教えと真宗の教えとの接点というか共通点というか、知っておくべき内容の講義でした。そうではあったのですが、先生は、これからの宗学と龍大の真宗学とのかかわりの見通しについて最初の15分くらいお話なさいました。先生がおっしゃるには、これから龍大は学部の規模を恐らく全体的には縮小する方向に向かうと思われるが、真宗学その他の文学部系の大学院はどんどん拡充する方向に向かうと思われる、あそこの角の元銀行だった土地をすでに買っていて、そこに文学部の大学院を総合したモノを建築する計画もある、それで必要になってくるのが教員です、そしてその教員の質です、文科省から助成をもらって新しい何かをする計画もあるし、そのためにも教員や研究者が必要です、ですから皆さん、課程博士を取りなさい、龍大でも、龍大の真宗学科でも課程博士を出すように変わって来ています、その論文についての会議が毎月入るようになってます、一回の会議で一人につき一時間くらいかかって結構しんどいんですが、これから採用される教員や地方で何か講義をする場合には課程博士を持っていることが前提となるという、そういう時代が恐らく来ます、なので皆さん、課程博士を取りなさい、宗学院で勉強しながら、龍大の真宗学で課程博士も取りなさい、課程博士の博士論文の目安としては、先頃通ったものを見るに、大体1000枚くらいでしょうか。 ‥‥ 多少脚色も入っていますがおおむねこんな感じでした。課程博士の論文の提出が不可能となった翌日に聞く話としてはちょっと不適切過ぎる内容で、自分にのみ責任があるというのは重々承知なのだけど、それでもやっぱりロジックが感情を完全に支配することは不可能だし、かなり凹みながら聞かせていただきました。

 良いときも悪いときも、タイミングがどうだからこうだ、こうだからどうだ、みたいな感じで物事の時間性?物事の因縁生起する時勢?に縛られるのは愚かだと思います。普段通らない道を歩いていたら道の向こうから好きになりかけてる相手がこじゃれた格好で歩いて来るとか、ぼんやりと相手のことを思っているまさにそのときに電話がかかってくるとか、タイミングの良さ・悪さに凹んだり嬉しがったりさせられて「二人タイミングばっちりだね! (散々だね!)」などと言いたくなるのは仕方ないとして、それだけに乗っからないようにしたいです。

 そんな成道会・真珠湾・命日・誕生日、の一日でした。土曜日になるまで日記を書かなかったのは(更新は日曜になってますが)多分それなりにへっこんでるからだろうと思います。

2004年12月7日(火) 12月9日(木)1:15 +0900

■ (−.−)y−〜〜。

 煙草を吸いながらRX-78-2かMSZ-006を組み立てたくなる、そんな一日でした。

 つまりグレても誰もがそりゃしゃあないよと本人には言ってくれそうな環境が整ってしまった一日でした。多くは語れません、と言いながらそれでも語ると、宗学院の卒業論文は座礁していたし、博士論文はわたしの知らないうちに難破していたという、そういうことが一気にわかった、そんな一日だったということです。

 どちらも(喫煙とプラモ)やってません、念のため。

 どちらもやれる環境ではあります。

 RX-78-2は着色無しで年内には完成しそうな気がしてます。

 フォルムもシルエットも組み替えも、MSZ-006の方が萌え!です、念のため。合体・可変はヲタクのロマンなのです。地元の柳月(りゅうげつ:『北へ。』のゲームにはかなりリアルな絵で登場してたようです)には「まろん」というクリまんじゅうがあります。名前は好きですが、クリは栗きんとんが好きです。


 どちらも(RX-78-2とMSZ-006)PGです。念のため。
 煙草もプラスチックもぜんぜんいただきませんでしたがご酒はいっぱいたまわりました。念のため。お昼のお斎が12時で、そのあと誰も何も食べずに18:00に宴会が始まってしまったためでしょうか、開式のシャンパン一杯でかなりの人数が顔を真っ赤っかにしてキャッキャ笑っていたような印象があります。

 もちろん、印象と実際との間にはかなりの開きがあるわけです。

 やばい、書いてる内容を思いついたのは大部分が水曜日になってる。もう書くのやめます、今日の分は。

2004年12月6日(月) 12月6日(月)22:22 +0900

■ さすがに

 今日はさすがに実質的な更新ができそうにありません。なんでかと言うとですね。これからレジュメの結論部を捏造したり、計画書のようなものを書く真似くらいしないと安眠できそうにないからです。安眠できなかったら明日の発表の時に寝不足でとんでもない状態になってしまうだろうからどんな意見をもらってもそれを今後の論文に反映させることができないでしょう。でもそれは避けたい。発表の後で先生と論文について話すときも思考や記憶その他がいつもにもまして覚束なくなることでしょう。それも避けたい。 ‥‥ そういう事態を避けるためには、肝っ玉のちいさなわたしは、今日は日記の実質的な更新をせず、このくらいの書き込みで切り上げて、捏造と真似に走った方が良いのです。では失礼いたします。

 少しだけ書きます。帯広は一昨日から今日にかけ結局60センチも積もったんだそうです。この時期に道東でそんなのありえねえ。みんな困ってるだろうな。何ともないと良いな。

 ではでは。今日寒いです。って結構書いてるし。

2004年12月5日(日) 12月6日(月)2:10 +0900

■ いろいろ崩れる。

 うちの部屋、僕には狭いんですよ。

 モノを買いすぎる&捨てなすぎるわたしには限界をとうに超えた狭さなので、そろそろ掃除をするか根治のために捨てまくるか、とりあえず性格を変えるか引っ越すかしないと生きていけないところまで来ています。

 そんな状況なので、当然のように本の山の一部がベッドと机(ラック)・椅子を行ったり来たりです。起きて椅子に座ってデスクトップのパソコンを使ってるときやノートをデスクトップのラックの上で使ってるときはベッドの上に、ベッドで眠ってるときはラックの上や椅子の上に置かないと本を置いておく場所がない。

 ‥‥。

 それが、今日崩れました。死ぬかと思った。

 がんばります。

■ ラグビー蹴球部。

 早明戦、今年勝ちました。連続被トライのときは流石にちょっとびびりましたが他は全体を通して安心して見ていられた気がします。最後の最後の危ないところもキッチリ守っていたし。素人目にはそれがとても良かったです。

 それにしても今年「も」って贅沢で良いですね(^▽^)。わたしが在学していたときは「次こそ!」ばっかり、本当に一度も勝てなかったんですけどね ‥‥。まあそのおかげで執念深くなれたし、ラグビーのルールも多少はわかるようになったしフツウの人よりは好きになれたし、何が起こっているのかよくわからないながらもフォワード戦を熟視するようにもなれたし、結果的には良かった気がします。1992年には両チームがノートライの極めて珍しいやつも見られたしね。 ‥‥ そうかあ、あれから12年なのかあ ‥‥ (ほんとーに遠い目)。

 ‥‥でもやっぱり勝つのを一回くらいは見たかったなあ。

 今の明治の辛さ(5連敗)が本気で解るのは、あるいは良いことかも知れない。 ‥‥ しかし二度とごめんでございます。

 最近の早稲田の戦い方は、サッカーの誰かが「サッカーの必勝法は相手よりも一点以上多く取ることだ。そうすれば必ず勝てる」みたいなことを言っていたと聞いたことがあるんですが、それに近い路線なのかもしれません。隙があるからトライを許すんだけど、それ以上のほとんど絶対的なまでの強さがあるなら負けるとは考えにくい。先日の早慶戦での、素人目には不徹底に見えたあたりもそういう戦略であったのだと考えればかなり納得がいきます。そのくらい今の早稲田は何がどう転んでもやっちまえる自信や裏付けをいっぱい持っているんだろうと思います。

 しかし関学は関学なので、‥‥ってな心配は本人たちに任せておこうか。とりあえず、わたしはわたしの為すべきことを為そうと思います。

 五郎丸(フルバック)ってステキな名前だと思います。初めて見た。八郎太や九太郎(どちらも姓ではなく名だが)に通ずるモノを感じます。最初ギャグかと思ってしまった。すみません。体が丈夫って素晴らしいことだと思います。

■ 地元は大雪。

 この時期には珍しく、地元で大雪が降ったんだそうです。いつもは年が明けてから、それも多くの場合は2月に入ってからドカ雪が降る土地なのですが、こんな早くにもう50センチも積もったんだそうです。 ‥‥ スキー場は大喜びかも知れませんね。母校の小学校もリンクが早く仕上がるって言って大喜びかも知れない。

 さあ、ちょっと読書してから眠りま(−_− zzzz

2004年12月4日(土) 12月6日(月)0:10 +0900

■ 雨降りです。

 今日の京都は雨降りです。朝、バイトに向かう時は遠くまで空を見渡すとちょっと靄がかかってるように見えたし、お昼に御飯を食べに戸外に出たときも とってもほかほかした空気でしたが、ほどなく雨が降り始め、暗くもなり、寒くもなってきてます。こういう「まとまった雨」、言ってみれば「プラム・プラム」的な雨は久しぶりな気がします。

 こんな雨降りですが本を借りました。リュックはどうも全然防水がなってないってのに。でも本はプラスチックの袋でいっぱい囲ったので濡れずにすむと思います。パソコンも同様です。パソコンと言えば『アップルシード』(2004)に出てくるパソコンがキィボードもモニタも現代のそれとかなり似てたのが逆にリアルなかんじになってました。似ていたと言えば『ガンダム SEED DESTINY』や『プラネテス』(マンガの方)に出てきた携帯電話が現代のそれにあまり似ているのが、 ‥‥ こっちはリアルを通り越してデジャヴのようで、見ていてなんかすごく不思議でした。不思議と言えば『天空のエスカフローネ』に出てきた、やたら格好良いけどどう見ても歯車しかないのにいろんなモノを映し出していた機械も不思議です。ぼくも歯車をぐるぐる回して自分の運命を変えてみましょうか、と言って話が完全に見失われたところでお時間となりました。今度はもっとうまくやります。新潟のチャリティサッカー、リアルタイムで見たかったな。明日は明日で、14時からTVの前に釘付けです。

 ‥‥ ここまで、土曜日お昼の執筆です。

 土曜日は雨が本格的になってる中をバスに乗って帰り、近所のスーパで買い物をして、冷蔵庫が悲惨な状況になっていたので前日に霜取りのスイッチを押していた中に卵を入れたり何だりしつつ、キムチチゲを調理していただいて、論文のことを考えて精神的に著しく不安定になってサッポロの発明したエンドウ系の第三のビールをかっくらってケラケラ笑ったり、田代俊孝の本をパソコンに取り込んだり、友だちが掲示板に書き込んでくれてるのを見てリンクをちょっと更新したり、いろいろしておりました。

2004年12月3日(金) 12月4日(土)16:10 +0900

■ 顕真館20周年シンポの感想 その二。
  あるいは不完全リポート。


 当日会場で取ったノートから、一人一人の発言をまとめて箇条書き的に編集したものを記します。感想は「迫力があって楽しかったです。むずむずしてきました。頑張ります」に尽きます。

 当日、実際には、パネリストの発言の多くは阿満利麿が「○○さん、これってどういうものなのですか?」とか「これってこういうことですか? そのへんも含めてご説明いただけたら嬉しいです。」あるいは「こうおっしゃっていますよね。それでいくと、どういうふうになるのでしょう?」など整理しながら質問するのに答える形式で、極めてわかりやすく発されました。
--------------------コレは休憩です。
 休憩後も阿満氏による整理の中、会場から文書で寄せられた質問に解答しつつ語るという方向での発言がなされました。
 なお、これは石田のノートをもとにしているので、接続詞や助詞その他が実際の発言内容とは多々異なっていたりします。読んで「ココ良いなあ!」と思われた部分は発言者の思いや発言がそのままであったりするかもしれませんが、そうでない部分や言い回しがオカシイと思える部分・誤字脱字その他の責は石田にのみあります。なんてこた言うまでもない。

龍谷大学 顕真館 建立20周年記念シンポジウム
「いま、仏教徒は何ができるか」
仏教とどのように出遇ったのか。それはどのように行動させるか。
阿満利麿

 高遠さんが著書の中で「自分は無力ではない、微力なんだ」という意味のことをおっしゃっていた。
 願いに生き、願いに倦まない、それが本願念仏の宗教の生み出したものだと思う。
 自力・他力の考え方はあるいはいろいろなものを妨げていると思う。仏道があるだけ。それを凡夫として生きるだけ。小林一茶も指摘していることだが、「それは自力行か? 他力行か?」という縛り方はひどく不便だ。
 アウンサウンスーチーも、慈悲は実践だという意味のことを言っている。
 人間の中に深く眠っていて気づかなかったものに気づく、気づくことによって一歩を踏み出す。
 仏教徒は何を為すべきか。理屈を言ってごまかすんではなく体を動かす。
 平和とか宗教的な実践というのは、ぼんやりしたものではなく、具体的なものだ。日々の中で。ひとりひとりが愛を感じる。
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 人間の悪。凡夫という人間観が基本にあるが、自分だけが安全地帯にいて世間を評論するというのは真宗から遠い。善悪どっちに転ぶか分からない。
 仏教徒は何が出来るか。「人間は」「信心は」ではなく「仏教徒は」。
 ヒトはどうして日本にいるとヒトでなくなってしまうのか。「慈悲の実践には智慧が必要なのではありませんか」という質問があったが、‥‥。

上田紀行

 『がんばれ仏教!』は、わたし自身引き裂かれている感じの本です。
 わたしは、「そもそも仏教という大系は、『仏陀が昔言った正しいことに連なっていれば、わたし自身は何も正しいことをしなくても良いんだ』的な、わたしが主体になって行動するというのが希薄なものなのだろうなあ」と思っていた。しかしスリランカでは寺や住職を誇りにしている人がいっぱいいた。サルボダヤ運動も、村の「開発」に仏教が密接に関わっている。自分たちで変えていく。その後で日本に戻ってきて、「日本の仏教は抹香くさいだけで何を変える力にもならない」と思っていたんだが、実際には面白いこともやれるし変えていける。
 小泉さんがいまやろうとしてるのは「頑張ったら市場に評価される」→裏返せば「市場に評価される人は頑張った人」→「市場に評価されない人は頑張ってない人」という発想の政策であるように思える。でも、そんなんじゃない。
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 仏教の教えの深さは、誰でも一人一人が悪人になるということだと思う。「悉有仏性」とも言うが、我々はいつでも悪にはまりこむというのが大きいと思う。
 善人であり仏性であるとしても、世界中から「おまえは悪人だ」と言われ続けたらそりゃ誰かを刺したくなるかもしれない。我々は善でも悪でもある。縁起の中でそのどちらが発言権を持つか。
 社会的な状況を一つも知らないで少欲知足で行くのは仏教じゃないと思う。
 仏教(真宗?)では阿弥陀さまによって救われている。 ‥‥ なら負け戦はいくらでもやっていいんだと思う。勝ちか負けかは時代が決める。向こうで阿弥陀さまが待っていてくれてるんだからそれでいいじゃん、何でもできるじゃないか、みたいな。

故選一法

 「実践」を探していた。そこでアミダの森の主催者のことばに触れた。
 まず息子がその先生と一緒に砂漠に行った。一年後、わたしも一緒に行った。わたしを連れて一緒に砂漠に行った息子の、砂漠を前にしての第一声は「お父さん、去年より鳥が増えた」だった。砂漠は不毛の大地だと思っていたんだが。それに感動した。
 木を植えるわたしたちに対して「それは自力だ!」という言葉がずいぶん出てきた。でもそうじゃない。親鸞聖人はそんなことでお念仏を届けてくれたんじゃないと思った。生態系がここで回復して鳥が雛を育てているのを見てみんなで感動した。コレは他力だと、そういうふうに思わせてくれた。卵は食べ物ではなく生き物なのだ、と思った。お聖教で習った親鸞聖人の言葉が脈々と輝いてきた。
 わたしは、お葬式を坊さんにまかせてくれている今の世の中に感謝している。死はいろいろなものを学ばせてくれる。いろいろな人たちに届いているメッセージを○○するのがお寺の住職の役割だろう。
 動くことによって味わえる仏教。机に向かって読んで読んでわかっていく仏教とはちょっと違うのかも。
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 親鸞聖人の教えに出遇えてよかったなあと思えるのは、自分の思い上がった心に気づけるようになるところだと思っている。実践を通して頭を下げさせて貰った。これは仏教徒だからだと思っている。出会いを通して味合わせて貰える。そういう広がりのある阿弥陀の世界であると実感した。
 ヒトのことはいい、自分はどう生きるのか、実践をして欲しい。それは信心の問題だと思う。

高遠菜穂子

 ダライラマの二回目のティーチングの時に、‥‥マザーテレサの最後の詩をもらっていたのだが、それとダライラマの教説の内容がまったく同じもののように思えた。
 拘束されていたとき、仏陀を「かみさま」的に捉えていた彼らに、シッダルタは人間だったのだ、という話をした。ムハンマドも人間だったように人間だった。ムハンマドよりも前の人間だった。そう言ったら彼らは仏教に興味を示した。苦行についても話した。「おまえがおれと一カ月一緒にいたらお前絶対イスラムになる」と言われた。「わたしがあなたを日本に連れて行ったとして、わたしは一カ月たってもあなたにムスリムでいてほしい」と言った。
 わたしたちには、彼らに武器を持たせているというつもりはない。しかし彼らはああいう行動に出ている。わたしたちは彼らの背中を無意識のうちに押しているんだなあと思った。
 何かが起こりつつあるというサインに気づくことがどうしても必要だ。その場所で、その関係性の中で。気づいたら、自分の「微力」に気づく。無関心を脱したら微力にも気づける。
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 「あなたが解放された当時の生々しいレポート」という内容の言葉が質問の中にありましたが、「当時」ではありません。イラクはいまも当時と変わっていません。(と言ってここ最近の生々しいリポートを口頭でされました。本当に変わってない。)
 香田さんのことを知ったのはイタリアにいたときでした。イタリア関係のNGOから4人拘束されていて、それに関する行動をしていたから。その人たちはすぐに解放された。元気そうに見えて元気じゃないこととか、そういうのは、よくわかる。
 そういうときに香田さんのことを知った。メールでまず知った。
 マスコミから質問が来た。答えようがなかった。彼のことを全然知らなかったから。
 わたしが拘束されている数日間、わたしを多くのヒトが語り、誤報みたいなものもあった中でわたしが語られ、帰ってきたら日本にはわたしの全く知らない高遠菜穂子がいた。イデオロギーや哲学本を意識して読まない人間なのに。自分の前についている形容詞の意味がわからなかった。いないあいだに、知らないヒトが自分について語っていた。
 自分がやられていやなことはヒトにもしたくないと思っているし、そういうふうにさせてもらった。ただ、ご家族のことに関しては、自分でも出来る限りのことをするし祈ります、とは伝えた。キリスト教徒だと聞いたので、拘束しているイスラム教徒に有効なキリスト教の言葉を教えて欲しいと思った。
 「この時期にイラクにいること自体が間違っている」と書いてある質問状もある。
 似た時期に似た感じの別の若者に会って話したことがあった。彼も「どうしてもイラクに行きたい」と言っていた。わたしは「今は入るな」と言った。イラク人も「イラクのことを思ってくれているなら来ないでくれ。あなた方の思いとは関係なくあなた方は強烈な爆弾になってしまうのです」と言っていた。まったくそのとおりに思う。彼はわたしの言葉を聞き入れてくれて、イラクに入るのをやめてくれた。
 自分の背中にいろんなものがくっついているという自覚。むすびつき。
 知らされていないことだけど、調べれば分かること、それを知ってしまった。知ってしまったからには、‥‥。
 「微力」というのは、動かないとどうにもならない。

宮崎幸枝

 わたし自身が仏教から解決をもらっている。だからみんなにも知って欲しいと思っている。
 仏法に遭っていない患者さんに仏法を聞いて貰おうと思って計画していたのだけど、その患者さんは、来て貰おうと思っていたお坊さんが来てお説教をする前に亡くなってしまった。そのときに「そうか、仏法・宗教は、いざというときに聞くモノではなく、若いうち健康なうちに出遇うものなのだ」と思った。それからビハーラの継続的な活動をしている。
 「わたしから愛を! 慈悲を!」と考えたことはない。でも目の前の人のことを。医者は患者さんの声を聞く。仏法に出遇ったら、その人の不安がっていることが何なのかアンテナが出たように伝わってきたり患者さんもそれを出してくれたりするように感じる。
 「おのずからしからしむる。」わたし自身このままで全面的に投げ出せる、受け止めてくれる相手。自分でも知らなかった自分が見える。未熟だったわたしが少しずつ変わる(?)。
 仏教は難しいものではない。上田さんの「癒し」の文脈で行けば、仏教は癒し以上の癒し、癒しを突き抜けた本当の救い。
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 仏は仏法を説いたが、わたしはそれゆえに仏教があるんではなく、それ以前からある、本当の宇宙の真実の法が仏教なのだと思っている。わたしは仏教(徒)だ、仏教(徒)じゃない、という問題ではなく、わたしが思うと思わざるとに拘わらずあるものだ。それにアタマが下がるかどうか。どうしようもない自分が中心であるか、真実が中心であるか。
 わたしが悪の根源であった。というのが知らされてくる。
 仏法を重んじないのは自分自身を疎かにしていることだと思う。仏法に出遇うと、そこから出発があると思う。自分の中におかげさまとか、ああこういうことだったんだとかが見えてきた時に、体が「何かしよう」と思うようになる。
 「評論家」になっているときには仏法と関係できてないと思う。自分自身が仏教徒であるかどうか。それが問題だと思う。
 (今の日本には)信心のお坊さんが少なすぎると思います。信心に立っているということは(が)仏教なのですが。
 日本は宗教的に未熟です。「死にたくない」というだけで生きてるのはおかしいと思います。
 お坊さんになろうとしてるヒトや、この会場にいるすべてのヒト。ヒトのことかまってる場合じゃないです。評論してる場合じゃないです。自分はどうなのか。それが問題です。今回のシンポジウムの意味はそこにあると思います。

阿満利麿(まとめ)
 今日話し合ったようなことが仏教です。全部。

 という感じでした。いいでしょ、うらやましいでしょ、こんなの聞けて。 (^_^) 昨日の日記にもちょっと書きましたが、会場は全体がすごく集中してるとても良い雰囲気でした。というか自分自身がこんなに集中して聞いたシンポジウムは久しぶりな気がします。論理とかは後で考えれば良いこともある、とりあえず動いた方が良い、というか動けば? Why don't you? 動いたらどうですか、そろそろ? という婉曲表現だったんだろうなという気がします。

 なんもなんも、理屈を考えようとすると難しいわけだけど、動くのは難しいことではない。「背景にそれ相応の論理がないとそのように行動することは出来ません」なんてことはないわけです。現今の価値観で考えると相対的にとても良いことをするという照れや、実は本当は動きたくなくて座っていたいだけなのに無駄な言い訳をしたがってるとか、慣れてないから戸惑っているとか。あらゆる意味で言い訳は必要ないんだと思います。

 うーん、わたし言葉足らずですね。思考も足りてません。
 「行動はもっと足りてない。」? うーん。

2004年12月2日(木) 12月3日(金)0:30 +0900

■ 顕真館20周年シンポの感想 その一。

 顕真館建立20周年記念シンポジウムが深草学舎・顕真館で開催されました。きっと混むだろうから早めに行かないと良い席がとれないよなあ、と、ちょっとだけ思ってかなり早めに出かけ、一時間半くらい前に着いてしまいました。一緒に行った友だちは「学部生って若くてなんか学生っぽくって良いですね!」と言っていましたが、わたしにはなんとなくガラが悪く見えて仕方がなかったです。きっとこういう偏見は多くの老人に共通なのかもしれません、だからうちの祖父は元気だったころ毎日あんなに機嫌が悪かったんではなかろうか。

 シンポジウムはかなり面白かったです。パネリストがお互いの発言を受けてガシガシ取っ組み合って唾と言葉が飛び交うようなシンポジウムをのみシンポジウムと呼ぶべきだ! という主張がわたしの中にはあるんですが、そうじゃなかったのにこんなに面白かったのは初めてかもしれません。取っ組み合わないまでも受けて喋るというのは可能なのですね。

 全体的な感想は、「迫力があった」に尽きます。何らかの仏教的な見地を価値観や世界観の中にもっていて、何らかの社会的な活動を「実践」しているヒトが5人集まって話すんだからそりゃ迫力があるに決まってるのかもしれないです。またはこういうべきか、「大学教授二人も、アミダの森の代表も、ボランティアも、お医者さんも、動きたい・伝えたいと思っている、いや、動いている・伝えている人たちなのだから、その語る内容が迫力に充ち満ちるのは自明のことです。」と。

 超満員と言っても良さそうなくらいの人出でした。学生の中にはは先生方からノルマを課せられて動員されたヒトも多かったはずなんですが、私語は一切聞かなかった気がします。壇上も客席もかなり集中力高かったんではなかろうか。

 すみません、シンポジウムは面白かったんですが今日はここまでにします。シンポジウム終了後、深草をテキトーに回ってポンと入った「時代屋」という串居酒屋さんが美味しくて安くてとても良かったので、今日はもう眠ります。明日以降に思い出したらぽちぽち書きます。写真は ‥‥ 最近うちのサイト容量がいっぱいいっぱいなので、どうなるんでしょうねえ。

 ではでは。

2004年12月1日(水) 12月2日(木)11:30 +0900

■ 「極秘」では?

 前日に引き続き、水曜日も、水曜日までに完成させることが推奨されているレジュメの作成にいそしみました。やっとやっとの思いで提出したところ、○○さんと□□さんは提出なさらずご自分で印刷されるということでした、という裏情報?っぽいかもしれないことを教えて貰えました。そういうやり方もたしかにあったんだなあ、とひとりごちました。でっでもぼくはいそがしいのでこのレジュメはこのくらいな中途半端で放り出すことにいたします。

 ある先輩からたぶん極秘っぽい情報をもらって一人であたためていたら、別の複数の人もその情報をアタリマエのように知っているのがわかっ、おや? と思いました。どうも本人と関係者がわらわらいろんな人に喋ってるってことのようです。まあ初めからそういう内容の話だったのかも知れませんね、わたしが勝手に極秘と思いこんでいただけにすぎなくて。

 ファミレスで先輩にビールをおごってもらって飲んだのにオーダーが記録されてなくて、お会計のときしばらく時間がかかりました。 ‥‥ まあ別に全然かまわなかったんですけどね、入ってないなら入ってないで。

 ではまた。


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