Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 2004年10月

2004年10月31日(日) 11月1日(月) 9:05 +0900

◇ 活動的ではない。

 いろいろやってるうちにめでたく昼夜逆転になってしまい朝になって眠ろうとしていたら、イラクで人質になっている日本人っぽい遺体が発見されたという報に接しました。彼かどうかの確認・同定にはまだ時間がかかりそうだなと思いつつ、血なまぐさいニュースに接した直後でもしっかり目がとろんとろんになって来ている自分を感じつつ。その後ちゃんとくーくー眠れてしまう自分っていうのは、ある意味では健康的なんですが、とても鈍感で無神経ということでもあり、ちょっと不健康さも感じます。

 わたしがいちばん最初に接した報道では、遺体と彼との一致した身体的特徴の一つに「後頭部に10円玉くらいの大きさの毛のない部分がある」を挙げていました。自分のことだとしたら、気にしない人は気にしないけど気にする人は気にする種類の身体的特徴の情報なので、ちょっと隠した方が良いかもなあと思いました。しかし彼の身体的特徴としてこういうのがあるというのがわかったことで、前日アメリカ軍が「似た特徴を持つ遺体が見つかった」と言って全く違う遺体を日本のために運んでくれた理由がわかった、ような気がしました。なぜなら、箇条書き的に伝えられた情報を総合すると昨日発見されたのは「50歳くらいで小太りの、後頭部に大きな毛のない部分があるアラブ系の男性」の遺体だったからです。

 なんとなく「なるほど」と思ってしまいました。日本人という大前提はどこかに消え去り、同定するための情報が極めて断片的に伝わるもののようです、アメリカ軍の場合。米軍に入るとアラビアンもモンゴリアンもアジア人が全部同じものに見えるようになるなんてことはないんだろうな。

 起きてニュースを見たら遺体は彼と同定されていました。可哀想だと思いました。いろいろ想像して気分が悪くなったり悲しくなったりしました。陳腐な言い方になりますが、やっぱり人が死ぬ・人が殺されるというのは、ものすごく大きなことだと思います。

 感想と、もしかしたらはあるかもしれない教訓は、

  • 本人かわいそうだ
  • 家族すごく可哀想だ
  • バグダッド入りする前に関わった人も可哀想だ
  • しかし彼の行動すこし変に思える
  • 「海外安全情報」とか見て情報を仕入れよう
  • ホテルに政府からの通達が張ってあるなら読んで理解しよう
  • 行きたくても行けない場所はある
  • そのくらい嗅ぎ分けて判断したいです
  • 我慢すべきところは我慢しよう
  • 現地で関わってくれる同邦人の言うことは聞こう
  • 現地人の言うことも吟味しよう

 くらいなもんです。

 わたしは「一人旅」というのができない人なのでちょっと違うと思いますが、以前中国の奥地を旅行したとき、うじゃうじゃいた日本人の旅行者同士、お互いにガセからホンモノから何から何まで情報を持ち寄ってそれぞれが自分なりに判断して行動していたのを思い出します。中国に入ってしばらくしてふと実家に電話したら「ロシアでクーデタ! ゴルバチョフが失脚! (エリツィンが台頭!)」という熱すぎる情報を伝えられ、大いに不安になったのも得難い経験ではあった。父が言う冗談にしては面白すぎたので事実だと確信。また、敦煌に入る直前には別の日本人旅行者から「○○砂漠で地下核実験失敗! ◇◇壊滅! ××には近づくな!」というガセネタももらいました。いくらなんでもそういう情報がTVその他で流れないってことはないだろうと思ったし、その情報はたった一人からのみ持ち寄られ、他の誰もそんなことを言わなかったというのもそのネタがガセであるという判断に役立ちました。

 ‥‥わたしはヘタレなので非同盟国同士の複数のクニや地方の軍隊が常駐・駐屯・侵略している場所やその近くには近づきたくない。戦争や内戦地域であるということがわかってる場所にも近づきたくない。また脳天気で馬鹿で陽気なお金持ちの日本人旅行者が極端に少ない場所っていうのも危険な気がしてあんまり近づきたくない。自分以外に日本人旅行者がいないという事実はその地域がひどく危険であるということを伝えてくれていると思うべきだろう。

 銃も怖い。ものすごく意気投合したパキスタン人に「一緒に水牛を撃とう! ばん! ばん!」って誘われた時には心がグラグラ動いたけど(一緒に旅してた友だちは行く気満々)、でも冷静に考えるとそこに行けば「銃」がゴロゴロしていてライセンスが一切ない自分のような奴にも撃てるという状況が怖すぎた。本当にヘタレだ。イラクの武装解除はまだまだ始まったばかりだ。というか、勇気と蛮勇とは微妙に違うと思うのです。

 ‥‥事後に当事者じゃない立場からぬくぬくとならば、お茶を飲みながらある程度は冷静に物見高く誰にでも何でも言えるわけです。

 まとまらない。だいぶ削ったけど長くなってしまった。

 ではです。

2004年10月30日(土) 11月1日(月) 6:30 +0900

◇ バイトはない。

 土曜日にも拘わらず今週はバイトがありませんでした。しかし雨が降っていたのでどこか出歩いて遊びに行ったりということもありませんでした。雨降りの日にはあんまり活動的でなくなるというのは、一説には狩猟採集生活を送っていた頃から人類の遺伝子?に染みついている特徴だ、とのことです。便利なので使わせていただいております。

 またカレーを調理しました。トマトを入れすぎた気がします、ちょっと酸っぱめです。男爵いもはメークインよりも硬いんですね、カタチがよく残っています。

 イラクの人質の話で昨日に流れた情報は誤りで、別人の遺体だったそうです。ホッとしてしまいましたが、この反応は間違いかも知れません、誰かが誰かに撃たれて殺害されているというのは事実なのですから。

2004年10月29日(金) 10月30日(土) 6:30 +0900

◇ 今日も勉強会。

 金曜日も勉強会でした。木曜日に参加した勉強会は開始を二時間間違えての参加となりましたが、こっちは携帯に時間を書いていたので間違わずに行けました。

 今日も末木文美士の最新著作を繰り読みしました。今週は頑張って二人読みました。村上専精と清沢満之です。二人とも真宗大谷派の画期的な研究者(運動家?)であることもあり、本願寺派から見るといろいろな問題を含んでいるわけですが、すんごい特徴的で面白かったです。もちろん「面白かったね!うんうん!」だけでは済まなくて、ちゃんと考えないといけません。


◇ バイトなし。

 土曜日のバイト、瀬田の方でお祭りがある関係で今週はないんだそうです。情報収集が怠慢なので今日やっと知りました。自分で自由に使える時間ができたのはめでたいんだけど来週もないしゆくゆくお金がちょっと困ります。頑張ります。


◇ 今後はお金がいちばんかも。

 新潟の地震、被災地のことを心配した人からその後いろいろなものが届いていて、十分間に合っているモノも出てきてるそうです。神戸の時と一緒みたいですね。要望を聞かずに不要物を送るより今後何かしっかりしたところに募金しようと思いました。(なんか変な書き方になっている)


◇ かもしれない。

 イラクで人質になっている日本人っぽい、そうかもしれない人の遺体が発見されたんだそうです。‥‥これは金曜日の日記ではなく土曜日の日記ですねえ。なんか切ないです。第一報に接してからずっとニュースサイトを気にして同じような記事をぐるぐる読んでいる石田という状況もちょっとよくないなと思う。

 悪マニが復活してました。一体何のエラーだったのかよくわかりませんが本当にただのエラーだったのかもしれません。なんにせよ良かったです。

 では。

2004年10月28日(木) 10月29日(金) 16:50 +0900

◇ 勉強会。

 とある勉強会のレジュメを切らせてもらいました。何年か前にも一、二度参加させてもらったことのある勉強会で、そのころは『歎異抄』を読んでました。いまは「正信偈」をやってます。わたしが今回はじめて切らせてもらったのは道綽禅師のところでした。

 開始まで二時間以上あるので安心してコーヒーをいれていたら、「石田さん来るんですよね?」という電話がかかってきました。レジュメは昨日中に渡してあったので開始の30分くらい前に身軽に行けば良いということだったし、うんうんと言って会話してたんだけど、どうも話がかみ合わない。変だなと思って念のために「7時からですよね?」と聞いたら「いいえ、5時からですよ?」とのことでした。時計を見たら5時寸前。

 ご迷惑をおかけしました。

 勉強会そのものではないところで感じたことですが、伝統教学側も伝統教学を嫌う側も、どっちもが本当に嫌っているのは伝統教学側でも伝統教学を嫌う側でもない、自分が真宗のことをよくわかってないという事実を自覚せず逆に精通していると思いこんで酷いことをしている第三・第四の勢力であるという、あたりまえかもしれないすごく単純な事実が見えてきた気がしました。

 まあ、違うかも知れませんが。


◇ 悪マニはどこ?

 菅野よう子という人がいます。アニメのBGMや主題歌その他をいっぱい作ってるヒトで、カウボーイビバップや攻殻機動隊のTVシリーズ、ラーゼフォン劇場版の主題歌なんかも手がけています。坂本真綾をデビューさせたのもこのヒトらしい。

 その人に「犬がいなくなって探している」というシチュエーションの曲が二曲あります。二曲ともすごく淋しそうで好きです。犬をいなくならせたらこの人の右に出る人はいないと思う(猫は内田百閨B【bk1】)。そのうちの一曲は『ロッキーはどこ?』というタイトルです。で、今回はそれっぽいタイトルです。さみしそうに探しています。

 2004年10月29日16:20現在、「悪徳商法?マニアックス」 ttp://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/ のトップにアクセスできません。「500 Server error (何らかのエラーです)」という表示が出て工事中みたくなってます。

 一部検索エンジンでは検索できなくなったことがあるので(現在進行形)あの関係かなあという予測は立ちますが、ちょっと突然でびっくりしてます。エラーのきっかけになったとは思えない昨日の記事は「捨てる神あれば拾う神あり」的なタイトルで、内容は「gooの「詐欺・悪徳商法対策」というカテゴリ → 【こちら】 に悪マニが紹介されることになりましたというお知らせメールが来ました。でもgooって検索には一部検索エンジンを使っているからgoo検索で「悪マニ」を検索するとやっぱりひっかからないんですよね」的なものでした。

 これが何かに抵触したり逆恨みされたりすることは素人考えですがありえないと思う。しかし一部検索エンジンで引っかからなくなったこと自体が素人考えではありえないことだったので、まあ何があっても不思議はないと思っておくべきかも知れないなってふうにも思えます。大丈夫かなあ。

 悪マニの管理人さんに対して訴訟を起こして引っ込めた一部検索エンジンと関係が深いと思われるある業者さんのCMを昨日・一昨日あたり何度か深夜のTVで見かけてるので、そっち系の一部勢力が盛り返して何かし始めたということなのかな? そういう感じの理由でないなら良いのですが。

 ではでは。

2004年10月27日(水) 10月28日(木) 15:25 +0900

◇ やばそう。

 アメリカサイドのいろんな国のいろんな軍隊をイラクから撤収させようとしていて、撤収させないと酷いことをするぞと言って脅し、今のところずっと撤収させられないことが多くソレをある意味では完遂し続けているように思える集団に、日本からイラクに入った人がとうとうつかまって人質になってしまいました。

 なんかとてつもなくやばそうな気がします。

 今までにも結構多くの日本人がイラクに入っていて無事だったのに、なぜ今回だけ彼らの人質になってしまったのか不思議に思っていたところ、どうも観光目的っぽく入ってしまったという報道が読売のニュースから伝わって来ました。 ttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041027i213.htm

 以前3人の日本人が人質になって解放されたときに新聞やTVが「自己責任」という、軽石でこすったチーズのような切り口でもって複数の立場に分かれてモメていた記憶も総動員して考えると(しかし記憶はあてにならんのよね)、少し斜めに構えて見なければならない気もしますが、彼がイラクに入る直前に会話したという映画監督やホテル従業員の話をTVで見た感じでは、この読売の記事の方向性はそんなに間違ってなさそうに思えます。

 映画監督が呆然としつつ「もう少し強く止めればよかったかも」と言ってたのもちょっと変な感じがしました。フツウは彼が悪趣味な冗談を言ってるに過ぎないと思うんではなかろうか。止められるわけないと思う。「フツウって何?」? 自分の価値観が他者にも共有されてると思い込むことが許される状況を指します。

 以前、「これ拳銃。ホンモノ。弾も入ってる。」と言って自分一人で自分の頭に向けてロシアンルーレットをし続けてた人が死ぬという事件がありました。「目撃者」はおったわけですが、目の前にそういうことをやってる(言ってる)人がいても多分「コイツは何をやってる(言ってる)んだろう?」と思って放っとくことしか出来ないんではなかろうか。当時の新聞記事の記憶があやふやなので目撃者がどう思っていたのかはよくわからないんですけどね。

 現在のこの状況下、フツウの人はフツウに考えれば観光目的でイラクに入ることなどフツウに避けると思う。でも彼はそういうふうには思ってなかったから入ってしまったわけで、その意味では途轍もなく異常な精神的状態にあったんだろうと思える。

 そういうタイプの異常とフツウとが向き合っても、どっちもがどっちもに現実を感じることができないと思う。だから本人もものすごく気の毒だけど、結果的には彼を止められなかったことになってしまってる映画監督やホテル従業員も、ものすごく気の毒に思えてます。

 親御さんが謝罪のコメントを出しつつ「イラクを見て、自分の将来を考えようとしていたのではないか。」とおっしゃっているわけですが、いや本人が本当にこういう気持ちで行ったんだとしたらあらゆる想像力があらゆる意味で枯渇しすぎてると思う。 ‥‥ いや、他人の不幸を見て自分の将来を考えるというのは、まあ多くの人が日常的にやっていることだと思うし(TVその他のニュースって最早そういう目的のモノかもしれないと思う)、他人の不幸ソノモノを実地で見ないと頭が動かないから手っ取り早くその刺激を受けたいからと言ってその場所に行きたくなる気持ちもわからんではないけれど(まさに今のわたしが他人の不幸を見て自分の将来や現状その他を考えているわけだ)、何もこの時期に行かなくても良いじゃないかと思いました。「やりたいんだからやっちゃえ」で済むことと済まないことがあるし、済まなくてもフォロウできることとできないことがあると思う。

 そのへんはロジックな感覚(?)ではなく動物的な嗅覚で踏み分けるしかない気がする。いやしかし、なあ。ぶつ。

2004年10月26日(火) 10月27日(水) 1:25 +0900

◇ 香山さん。

 チャンネルをぱちぱち替えていたら動いてる香山リカが映りました。びっくり。二回目かな、動いてるの見たの。わたし酔っていたので語られてる内容をよく覚えてないのですけど、「子どもに○○を感じて欲しいならまず大人がめいっぱい○○を心から感じられないとだめなのではないでしょうか!」みたいなことを言っていた気がします。 ‥‥ どうも子どもが子どもに熱く語ってるような印象を受けました。シンジくんが「だってきみはいいことをしたじゃないか」と言って惣流を慰めてるような印象と言っても良いと思う。

 恐らくカメラのヨコか下にカンペがあったんだと思います、視聴者を見つめている目が言葉に合わせて左右や上下にめまぐるしく動いていました。伝えたい内容を間違えて伝えたり気づかぬうちに端折ってしまったりするより良いと思う。でもちょっとすごかった。


◇ 逆。

 言うまでもないことですが、ここ何年かうまい具合に論文が書けなくなっています。『あぶない脳』に瞠目させられたことのひとつに「A型の研究者は大成しない」というのがあってそれは非常に納得がいきました。いやいや。もちろん著者の方も冗談で書いておられます、念のため。

 わたしが今までに書いてきた論文のタイトルはほとんどが「真宗と××」でした。この「と」は単純に「and」に変換してもまったく意味がないので英語に訳すときはオーソドックス ? に「真宗から見た××」→ "A Study of BATSU BATSU From a View of Shin-Buddshim" で考えていました。実際、論文の方向性も一応は「真宗からみた」だったわけです。

 でも今日、「真宗からみた「脳死」臓器移植の問題」(例)で考えるだけより、逆方向から考えるのも良いかな? と ふと思いました。 "A Study of Shin-Buddshim From a View of BATSU BATSU" ですね。いまさら。

 というかやっぱりこれは、言われたとおり、タイトルとしては成立しないな。もうちょっとやわかく「「脳死」臓器移植の問題と真宗」くらいにして、せめて順番を変えて考えてみることにします。お茶を濁すとも言います。ではでは。

2004年10月25日(月) 10月25日(月) 23:00 +0900

◇ 科段。

 土曜日に実家から届いた材料を使い、肉とルウを買ってきてカレーを作りました。ひさしぶりに圧力鍋を使ったらすごく早くできました。しかし気が付いたらいもがどこかに消えてしまっています。いかんじです。まだいただいてません。

 図書館から教行信証の「科段」というモノを借りて来てます。コピーするのも良いけれど、スキャンして画像データとしてパソコンに置いておこうと思ったんです。しかし各巻の科段とものきなみA1以上の大きさなのでスキャンした後でペイントその他でまとめないといけなくて、それがちょっと苦労しました。折り目の部分に文字その他があると表示が壊れることが多いので別の箇所からコピペしたり、線がうねうねしてよくわからなくなってしまった箇所はちょっと引き直したり、そういう感じです。しかし細かいですね、科段って。

 さてさて。

2004年10月24日(日) 10月25日(月) 22:22 +0900

◇ 南瓜。

 土曜日の夜、実家から段ボールが届きました。開けたらメークイン・男爵・にんじん・たまねぎが入っていたので「肉とルウを買って来ればすぐにカレーが作れるな!」と思ってにこにこしていたら、下の方からレトルトカレーが出てきました。‥‥感謝しつつ、一緒に詰めるならルウじゃなかろうかと思いつつ。

 てのひらサイズのかぼちゃも出て来ました。小さくてかわいいけど切るのにはノーマルなかぼちゃと同じくらいの労力が要って、焼いていただいたら味もノーマルなそれと同じかそれ以上のほくほくさで、素晴らしく美味しかったです。久しぶりだなあかぼちゃ。

 九州から送られてきたという巨大ななしも入っていました。九州から北海道へ、そして京都へ。長旅にもめげずどこも傷んでない。重い。でかい。1000ccくらいあると思う。うーむ。

2004年10月23日(土) 10月25日(月) 21:20 +0900

◇ プレート。

 夜は眠って昼間は起きているという生活に限界が見えてきた今日この頃、土曜日の朝は辛うじて目が覚め、バイトに遅れずにすみました。

 帰ってきてガンダムSEEDやDESTINYを見ていたら新潟地震の速報がテロップで流れました。DESTINYのオープニング映像にはずっと震度の速報が重なって、しかも「震度6強」という激しさだったので、NHKその他にチャンネルをちょこちょこ替えながら、それでも放送され続けているガンダムって何なんだろう?と思いつつ見ていたら、さすがに途中でニュースに切り替わってました。

 地震、わたしの部屋ではまったくわかりませんでした。東京も相当揺れたらしいのに距離的に似た感じの京都はなんで揺れなかったんだろう? 地盤が違うのかな。

 ‥‥と思って調べたら地学その他で見たこともありそうな図解が出てきました。やっぱり地盤が相当に違うらしいことがわかり、のみならず新潟には「ユーラシアプレート」と「北米プレート」の境目が走ってるらしいこともわかった。 ‥‥好奇心はちょっと満たされけど、プレートの境目と小千谷市とは微妙にずれてる気もします。(日曜の夜にTVで見た断層の説明図でもたしかずれていた。)やっぱり地震のことはよくわからない。こわい。

2004年10月22日(金) 10月22日(金) 18:45 +0900

◇ 勉強会。

 木曜日、現教研の勉強会がありました。先週から末木文美士を読んでいます(【1】 【2】 【bk1】)。今回は井上哲治郎という人についてまとめた章を読みました。著者のスタンスについて「扱っている人物ひとり一人の業績をまとめるだけじゃなく問題点も指摘してくれている」という意見が出ました。まったくそのとおりだと思いました。

 井上氏が宗教と哲学との関係をどのように考えていたのかについて、末木氏は井上氏を引用した後でこのように述べています。

 哲学と宗教は同等でない。知的進歩が進めば、哲学に帰着するのであるが、無智蒙昧の人間が絶えない以上、すべての人が哲学に入ることは不可能であり、宗教の残る余地があるというのである。ヘーゲルを思わせるような哲学の傲慢である。(一巻、p.77)

 うーむ。ありがちです。


◇ 「脳死」と「植物状態」との違いを理解していない脳科学者。

 以下、書評っぽく書いてありますが実際には「ぼくはこの本が嫌いです」という宣言のようなモノです。

 先日読み終えた『あぶない脳』【bk1】 にも上と似たような「傲慢」がありました。この本の著者にとって葬送はどうでも良いものなんだそうです。わたしはそうは考えませんがそういう考え方があることは認識しています。しかしこの本で展開されていたのは、

脳が死滅すれば意識も自我も人格も消滅する。脳は死んでいるが、他の中枢神経である脳幹や脊髄が生きているため肉体的には死んでいない状態(いわゆる植物状態 ― 嫌な言葉だが)でも、そうだ。したがって、死後には意識それ自体は存在しないし、霊も実在しない。死後の世界も輪廻転生もありえない。したがって、「霊を弔う」ことなどは、幻想の世界での「戯れ」である。無意味・幻なので、葬送をどのようにしようが、葬式をあげようがあげまいが、どうでもよい。好きなようにすればよいことだ。(pp.195-196)

 という、

 “わたしにとってのわたしの葬送”と
 “わたしにとってのわたし以外の人の葬送”と
 “わたし以外の人にとってのわたしの葬送”と
 “わたし以外の人にとってのわたし以外の人の葬送”と

 ‥‥が混同された論理、いや論理ではない酷く粗雑なモノのように思えました。一体、この著者が葬送を「霊を弔う」ことに限定させて考えるのはなぜなのかな。歴史的にも実践的にもいーっぱい意味があるのに。そして事実を把握する方法・態度も一つではないのに。

 また、著者は脳研究が専門なのに「脳死」と「植物状態」とを混同して「脳は死んでいるが、他の中枢神経である脳幹や脊髄が生きているため肉体的には死んでいない状態(いわゆる植物状態 ― 嫌な言葉だが)」なんて書いている。ちょっと呆れました。臓器移植法には「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に‥‥」と書いてあるのだから、こういう話題の時に脳と脳幹とを別々にして書くと読む方はわけがわからなくなる。無用の混乱を避けたいなら別の書き方をすべきだと思いました(また上の「どうでもよい」は「どうやってもよい」と言い直すべきではないかと思いました)

 瞠目させられる箇所も多かったのに、この箇所や全体の方向性、著者のスタンスなどは最悪の印象です。わたしの脳は相当あぶないが『あぶない脳』の著者の脳もひょっとするとかなりあぶないんじゃないか?と思ってしまいました。

 ぶつぶつ。なまんだぶつぶつ。このままでは書評にならないのでもう少し錬って錬ってやわらかくしようと思います。ではです。

2004年10月21日(木) 10月22日(金) 15:45 +0900

◇ うまくない。

 キムタクが『2046』の宣伝でインタビューを受けてるのを見ました。彼の話し方や文法、語彙は「急いでいて日本語が今ちょっとおぼつかないんです!」と言ってるだけの内容に思えました。椅子に座ってじっくり・ゆっくり語れる環境であるように思えるのに変わった人だなーと思いました。そこまでは他人事だったんだけど、落ち着いて書いているのにどうも日本語がおぼつかない、まるでわたしの日記のようだなーと思ったら、悲しくなりました。

 小泉首相が、“わたしの靖国参拝が日本政府と中国政府との関係がこじれる原因になっている、との考え方はとりません”、という旨の発言をしているのを見ました。たしか中国政府は再三「小泉首相の靖国参拝が(中国政府側からの)日中関係をこじれさせる一つの要因となっている」という旨の発言を何度もしていたはずなので、ちょっとだけ唖然としました。小泉さんに何かを期待するのはもうやめようと思いつつ、でも人は決して凝り固まった現象ではなく変わろうと思えば変われることがあったり、変わろうと思っていなくても変わってしまったりする現象でもあるので、ひょっとすると変わるかも知れないという妄想を抱きつつ、気にしています。

 念のためにわたしの考えを言いますと、中国政府その他が首相の靖国参拝について日本政府に何か言ってくるのが内政干渉ではない「との考え方はとりません」。それをゴリゴリ押して無意味な言辞を吐き続ける中国政府の言い分を通すために首相の靖国参拝をやめて欲しいと言っているつもりもありません。うちの首相がわたしでもわかる政教分離の原則を理解できないで首相であり続けていることを憂え、そこから反対しています。

 などなど、最近非常にうまくないです。社会情勢や政治のかけひき、MLBの結果、台風等いろいろありますけど、最近わたしにとっていちばんうまくないのはわたしの頭の中の調子です。いつも以上にどよよ〜んとしてます。

2004年10月20日(水) 10月20日(水) 23:45 +0900

◇ 台風です。

 朝から台風っぽく大雨でした。わたしの歩いた範囲の京都市内では、午前中はそんなに強い風は吹いてませんでした。「学校」(19日の日記参照)に着いたら、昨日と同様に殿試講習の関係プラス今日は本当に台風の影響もあって人は少なかったけど、和上はちゃんと講義をなさってました。でも少し早めに切り上げられました。

 「学校」の隣にある幼稚園では「京都に警報が発せられました。午後はお休みになります」という放送がかかってました。大雨・洪水警報なら龍大は休講にならないんだよな、と思いながら生協食堂にごはんを食べに行ったら、龍大も休講にするという案内が出ていました。ということは暴風警報も出たんだそうです。購買もお昼で閉めるんだそうで、いつもなら午後五時過ぎに半額になるパンやおにぎりお弁当が既に半額になってました。

 「学校」は午後もしっかりありました。しかし龍大が休講なので午後五時からのバイトもなく、今日は勉強会の予定も初めからなかったので、バスに乗って帰ってきました。いちばん前の席に座っていたらバス会社から運転手さんに「警報が出てます・無理をしないように・気をつけて・しっかり」みたいな無線連絡が入ったのが聞けました。バスに乗っている時も雨は降り続けていましたが風はほとんどないように思えました。でも降りて歩いていたら時々突風のような強い風が吹いてちょっと危なかったです。(でもそのときはビル風っぽかった。)


◇ 雨漏りです。

 部屋の中で水の音がして、変だなあ? と思ったら、雨漏りがしてました。ハコ型のアパートなので天井の真ん中から漏ることは流石にありません。しかし、わたしの部屋にはこじゃれた感じの出窓がありまして、ちょっとした風をともなって大雨が降ると出窓のところがほぼ確実に漏ります。なのでその対策を物理的に何とか施しました。以前すこし大がかりな工事を大家さんの方でしてくれたはずなのにまだ漏るんだよなあ。困ったなあ。

 雨はその後ほとんど止みました。さっきは風だけびゅーびゅー吹いてましたがそれも一段落ついたようです。大風に混じって「誰かー!」という声が聞こえたような気がしたので外に出て見たら、女の人がぽーっと立って何かを探してるようでした。聞いたら、近所の飲食店から子ども(中学生)が飛び出した、わたしは客なんだけど台風なので心配で探しに出た、出たのだけど、自分がどこをどう通ってココに来たのかわからなくなってしまった、靴もどこかに行ってしまった、とのことでした。そうだよなあ他人の心配して飛び出してわからなくなることってあるよなあ、と思いつつ、どうもその中学生はわたしが何度か見かけたことがある、いつも挨拶してくれる彼のことらしいのであんまり心配しなくても良さそうな気がしました。なので、とりあえずその女の人がどこを通って出てきたのかを確定しました。お店の人とその人が話すのを聞いたら靴もお店に残っていたのが判明、お店の人が「(中学生は)ええねんええねん大丈夫やて」とおっしゃってるのが聞こえたのでまた安心、風も雨もおさまりつつある、そしてその人がわたしの存在をすっかり忘れてしまったように思えたので一件落着。帰ってきました。

 近所ではゴミ箱が転げていたりガーデニング用の透過ワッフルみたいな壁が壊れていたりしてました。さっきの「びゅーびゅー」という風は本当に強かったようです。 ‥‥ 雨は本当に止んだようです。でもその後も時々突風が吹いてるようです。

 ではでは。

2004年10月19日(火) 10月20日(水) 22:40 +0900

◇ 勉強会を忘れた。

 朝から雨でした。通わせてもらっている、龍大のそばにあって本願寺派が運営している研究機関(短く言うと「学校」)に着いたら人が半分もいませんでした。変だなあ、台風はまだ来てないはずなんだがなあと思ったところ、いなかった人たちの大半は今度ある「殿試」(デンシ)の講習会に行ってるようでした。講習を受けながら一生懸命出拠を書いて覚えようとしていたあの頃が(少し)懐かしいです。

 学校が終わったので帰ろうかと思いましたが、こないだからもらってあるのに使えていなかったHDDのケースを買いに出ました。こないだ秋葉原で買った600円のは残念ながら動かなかった。今日買った1500円のはサクサク動いてくれました。良かったです。

 そのままバスに乗って部屋に帰って来て、しばらくした頃、「今日『華厳経』の勉強会ですけど、いまどこですか?」という電話をもらいました。完全に忘れていた。雨なのでそのままお休みしました。申し訳ない。

2004年10月18日(月) 10月20日(水) 22:22 +0900

◇ 映画を観ました。

 昼起きて夜眠る生活をしつづけているせいか今日もやっぱり朝早くに目が覚めました。そして今日は龍大がお休みです。報恩講に出たらうるち米で作ったお赤飯のようなモノをいただけることもあるんだそうですが、でもひと思いに映画を見に行きました。『アイ、ロボット』です。アシモフの『我はロボット』を原作 ‥‥ ではなく原案にしているそうです。

 面白かったです。ラブシーンがないハリウッド映画って新鮮だなあ。二足動歩行ロボットはこんな形でもう実現されていたのかな?んなわけないよな?と思ってしまうくらい、わらわら出てきたロボットの動きはスムーズな場合が多かったです。

 タマシイあるいはもっとスピリチュアルかも知れないモノとして、機械(ロボット)の中に「ゴースト」が存在する、という台詞が出てきてました。『攻殻機動隊』好きなわたしはその言葉だけでワクワクしてしまったけど、こういう反応は邪魔かも知れないね。「Ghost in the Machine」は「Ghost in the Shell」とも違うし。ということでポリスの4枚目のアルバムを思い出しました。しかしメッセージインアボトルという映画で『Message in a Bottle』がかからなかったように、今回も『Ghost in the Machine』からは一曲もかかりませんでした。2004年もののコンバースは出てきたのにな。惜しかったな。

 『攻殻機動隊』の他にも『イノセンス』や『マトリックス』、『ちょびっツ』その他、いろいろ思い出しながら見られました。オマージュっていう感じはしなかったけど何か感じさせるものがいっぱいあった気がする。

 込み入った話をするとネタバレになりそうなので今日はこのくらいにします。DVDでも良さそうな気が少ししますけど、大画面ならではの「圧巻」とか「圧倒」とか、映画館で通しで見ないと感じられないカタルシスのようなモノもあったので、もし余裕があるなら劇場で見た方が良いと思います。

2004年10月17日(日) 10月18日(月) 1:35 +0900

◇ 一体この量は。

 朝から洗濯しました。8:00くらいに別の部屋の人が「がたんがたん」と言って何かをしはじめるのは正直うるさくて迷惑です。が、そうでないことも稀にあります。今日は目覚ましをかけてなかったのに洗濯するのにはとても良い時間に起きることが出来ました。

 ブツを洗濯機に放り込みながら数えていたら、この一週間わたしは何を頑張っていたのか、シャツその他、干すのにハンガーが必要なモノがやたら大量に出てました。いつもより苦しそうにうめく共同の大きな洗濯機。独り者なのに。一週間経っただけなのに。寒くてTシャツを二枚重ねて着ました!なんてこともないのに。非常におかしい。ともかく次からはもっと短い間隔で洗濯をしようと思いました。ちなみに靴下とパンツは日数ときっちり同数でした。

 同じ色(黒)の靴下をいっぱい持って履いていると、洗濯 & 乾燥が終わるたびにどれとどれを組み合わせれば良いのかわからなくなって困ります。でも、だからと言って真緑とか深紅とかわかりやすい原色系で7色そろえて一週間!なんてことが出来るわけもなく。多分、同じ色の場合はどこかに小さく「さ」とか「ち」とか刺繍すれば良いのかも知れない。でも面倒なので却下です。


◇ 想像以上に。

 昨日買った澤口俊之『あぶない脳』(ちくま新書)【bk1】 をちょこちょこ読んでいます。まったく予想していなかったことには、なかなか下品(げひん)な感じです。いや、テーマはとても興味深いし、テーマに向かうときとそれを説明するときの著者の態度には問題がないと思えるのですが、でもときどき読者を笑わせるつもりで完全無欠の完璧さで滑ったり、テーマに対する誘因のためにちょっとまずいことが書かれていたりするので、この新書は再版されないんじゃないかと思います(コレやアレに対して彼らが「うにゃうにゃ!」と言ってきた場合、著者が「そんな意図で書いたわけではない!」と言って開き直ることは容易だけれど、それにともなう諸々のリスクを出版社が積極的に引き受けるとは思えない)。すごく面白そうなテーマなのに、そして実際ところどころ瞠目させられてものすごく面白いのに、残念です。

 うん。今日はよくけなした。


◇ よくわからないが。

 生姜を粉砕して乾燥させたっぽい調味料を見ました。おお!こんなものが出ている!チューブタイプより使い勝手が良さそうだ! と思って買ってきました。冷蔵庫にはちくわがあまっていました。魚のソーセージで脂分がいっぱいのやつもずっと長い間とってあったのがありました。部屋の中からいつ買ったかわからないタマネギも一個発見されました。なのでそれらをどちゃっと煮て夕飯にいただきました。よくわからないシロモノになりましたが塩気やダシに微調整がいらないくらいうまい具合に調って、とても美味しかったです。

 うん。ではです。明日は大学の報恩講でお休みです。

2004年10月16日(土) 10月17日(日) 11:35 +0900

◇ 脳のはなし。

 澤口俊之『あぶない脳』(ちくま新書)【bk1】 という本を買って来ました。脳生理学の立場から人間の思考の性質や特徴、限界などについて語られている本のようです。おもしろそうです。脳はいろんな機能ごとにモジュールに分かれている、だけではなく高性能のOSをも備えている、だけではなくそのOSを操作しているのは外部の誰かではなくOS自身である、みたいなことなどなどが書かれています。何年か前に中沢新一(あんまり好きではないよ)の対談を聞いたとき旧人と新人の脳を比較した話が語られていて、その中でもやっぱり「OS」「モジュール」の話が出てきてたので、あるいは中沢はこういう話を取り入れて語っていたのかも知れないな、と思いました。


◇ 八尾南。

 上記の本を買ったり読んだりしていたのはバイトの昼休みなどでした。今日はその後、八尾に行ってお説教を聞かせていただきました。お聖教を五巻全部持って行くのは重いのですが今日はちゃんと持って行きました。っていうかノートにデータを入れると軽くて楽で良いです。ただえんぴつやボールペンでは書き込めないので、そのへん少し不便です。要らんデータが入ってるのでお聖教のように押し頂いたことはまだありません。そのうち気が変わればするようになるかもです。そういう場合は軽いノートが重宝されます。

 その後は梅田に戻って飲みました。駅構内でなぜか阪神の応援グッズを持って歩いている小学生を見かけました。串カツとおでんその他おいしかった。店の中に日本シリーズのラジオ中継が流れていたのだけど、店員さんと別のお客さんの会話がちょっと聞こえて来た感じでは試合の半ばで何か変なことがあったんだそうで、それ以降の試合経過はよくわからなくなっちゃったとのことでした。

 そんな感じで帰ってきて、深夜になる前に眠気が襲ってきたので逆らわず眠りました。

 最近、友だちが語る(書く)言葉の中の冗談と本気を語り手の意図通りにうまく区別できなくなってきてます。友だちが不親切なだけなのか、わたしの頭が固く硬くなって来てるだけなのか。どうも後者っぽくて不安だ。

2004年10月15日(金) 10月17日(日) 10:45 +0900

◇ 末木文美士。

 今日は現代教学研究会という自主ゼミのような勉強会でした。活動内容は、ほぼ毎週の勉強会と、年に二回くらい「現代」「教学」「研究」がキィワードとなった講演会を開いたり開かなかったりしてます(後援:真宗研究会)。

 前期中は橋爪大三郎『世界がわかる宗教社会学入門』(筑摩書房)【bk1】 や八木誠一『宗教と言語 宗教の言語』(日本基督教出版局)【bk1】 なんかを読んでましたが、今度は

 末木文美士
  『近代日本の思想・再考 I 明治思想家論』【bk1】
  『近代日本の思想・再考 II 近代日本と仏教』【bk1】

 を読むことになりました(ともにトランスビュー)。大まかに言うと、日本近代の思想史を語るときに仏教系の思想家が何をしたのかほとんど顧みられていない現状に対し、それを打破し、近代史をより立体的に把握するための新たな試みが行われている書です。近代の思想を語るときに仏教勢力の影響を認識するか否か?というのは二者択一ではあり得ないのに、今までの大々的な流れは「否。」という択一を行ってきたが、それはいかがなものかという緩やかな方向修正を我々は促されるのでしょう。たぶん画期的な本です。

 それでいて読みやすい。なんと素晴らしい。

 ‥‥という、仏教系オタクの多くがいま萌えの対象としている本の紹介でした。用例としては「末木文美士萌え!」とか「『近代日本の思想・再考』萌え!」です。ちなみに末木文美士はスエキフミヒコと読みます。

 ではでは。

2004年10月14日(木) 10月15日(金) 14:40 +0900

◇ コンサート・映画上映。

 朝から午後まで

海勢頭 豊 平和コンサート
"GAMA〜月桃の花" 上映会
〜沖縄からのNEGAI〜

 というのを見に行きました。パンフレットを見た友だちは「どっちかと言うと〈海勢頭 豊〉の方をローマ字にして〈NEGAI〉の方を漢字にした方が読みやすいなあ」と言ってましたが、たしかにそうかもしれない。昨日「記録用の写真を撮る」云々と書いたアレです。どんな感じだったかというと【こんな感じ】になってました。ちなみに人名でして「うみせど ゆたか」と読みます。

 午前中のコンサートは、ボノのように観客を舞台に上げて二人で寝っ転がって甘く歌うような暴挙もなく、プリンスのようにギターソロを延々10分も続けて観客を呆然とさせることもなく、ユニコーンのように冒頭で若い頃の曲を若い頃の出で立ちで演奏して一回下がりもう一回出てきて「今日は前座がありましたね!」と言って笑わせるようなこともなく、マイコーのように泣くこともなく、そういうわかりやすい派手さこそありませんでしたが歌もMCもすごく優しい感じでしっかりしっとり落ち着いた良いコンサートだったと思います。いや、どちらかというとコンサートと言うよりライブだったのかな。

 楽器はギターとバイオリンとパーカッションといたってシンプルでしたが音は深かった気がするなあ。曲間のMCは琉球の歴史や沖縄戦の記憶、それ以後の占領、基地の話、とっても辛い話が多いのに、曲は長調が多かったように思います。悲しさをそのまま歌うんではなく、自分の中にいっぱいたくわえて少しずつ抽出して歌ってくれてるような、そういう優しさのようなものも感じました。

 午後の映画は沖縄戦を語り継ぐための物語でした。名前を知ってる役者は、川平慈英が現代のアメリカ人(日系二世)役、沖田浩之が沖縄戦を指揮している日本軍の将校役、『ちゅらさん』のおばあちゃんがどこかのおばあちゃん役、‥‥でした。午前中のMCが映画の説明になっていて、映画だけポッと見るよりだいぶ立体的に理解できた気がします。実際にアメリカ軍が撮った映像も、見たことあるの・ないの、いっぱい使われていました。一部ちょっとノルマンディーがかってました。

 しんどかったけど見られてよかったと思ってます。

 安居や広島でお世話になった先生が来られていてびっくりしました。

 その後は『論註』の勉強会でした。おでんをいただいて帰ってくる道々、非常に寒かったです。金曜日も夜遅くなるので暖かくしていこうと思います。こないだまで晩夏だったのにもう初冬です。京都には秋というモノがないのでしょうか。

 では。

2004年10月13日(水) 10月14日(木) 1:30 +0900

◇ 味噌。

 今日はちょっと寒いです。最近風邪気味の人が周囲に多いです。

 暖まるモノを食べようと思い、ひさしぶりにキムチと豚肉と豆腐を煮ていただきました。なんとなく味噌を入れずに調理しようと思ったんだけど(たまにはさっぱりめにしようかと)、やっぱり味噌を入れないとわたし好みの味になりませんでした。ニラも一束入れました。刻みながら、そういえば昔東京の銭湯で菖蒲とニラを見間違えたことがあったなあ、菖蒲って大きめのニラだよなあ、と思ったりしました。そういえばキムチ買ったの久しぶりです。コレを食べながらビールを飲んで煙草を吸って野球を見てるうちにおなかがふくれて眠ってしまう、という生活をしていると確実に痩せます。今はしかし野球も煙草もないので太ってしまう。いやいや何か間違っている。

 サッカーの予選を見てます。この審判は‥‥ 選手より熱くなってどうするつもりなんだろう? もちろん演技なんだろうけど意図がいまいち不明です。

 木曜日はコンサートと映画があります。どういう感じになるのかわからないんですが、友だちの体調がどうも思わしくないということなので多分わたしが記録用の写真を撮ることになるのかも知れません。ただこの「記録用の写真」というのにはいったいどういう意味があるのかなあ。

 よし勝った! MVPはあるいは田中誠選手でしょうか。

 おやすみなさ(−_− zzzz

2004年10月12日(火) 10月14日(木) 0:50 +0900

◇ 華厳経。

 勉強会でひさしぶりに『華厳経』を読解しました。読むのが久しぶりでも内容は前回までとそんなに変わってなくて地の文も偈文も繰り返しも多くて長くて、そして読み応えのある難しい文章を最近あんまり読んでなかったせいもあってしんどかったです。『小経』みたいなのだけがお経だと思ってはいけないのでし。

 勉強会の後はいつものようにお酒を飲んだり焼鶏をいただいたりしました。帰路、そんなに不良っぽくない小学生の集団がにこにこ話しながら歩いてるのを見かけて「なぜこんな夜中に小学生が歩いてるのだろう?」と不思議になりました。でも部屋に着いてTVをつけたらまだプロジェクトXが終わってなくて、つまり全然夜中ではありませんでした。ちょっと早めに飲み始めたのと最近夜ちゃんと眠ってるので「夜中」が石田史上かつてないほど早くなってるみたいです。こんなのわたしらしくないので頑張って早晩改めようと思っております。

2004年10月11日(月) 10月12日(火) 2:46 +0900

◇ 日記更新しました。

 ためてた日記をやっと書きました。こんなにためるつもりはなかったのに ‥‥ 。

 月曜日が休日の特異日になったため講義数が足りなくなってしまうらしく、その調整の一貫で今日は大学が休みではありませんでした。まあわたしは講義を何も受けてないのであんまり関係ないんです。バイトはちょこっとしました。

 最近ずっとシャワーだけで過ごしてましたが、今日はひさしぶりに湯船につかりました。すごく気持ちよかったです。お湯をこんなに無駄遣いして、なんて贅沢なんだろうなあ。

 去年の10月8日頃から始まった休煙(禁じてはいない)が一年を超えました。あっという間だった気がします。とても辛い時期もありましたし、今も友だちとお酒飲んで楽しくなったり、逆にものすごくストレスたまったりするとやっぱり吸いたくなることもありますが、部屋がヤニ臭くないし、味の素が舌に残るいやな感覚がわかるし、脳内ではニコチンとアセチルコリンが完全に交替して電気信号の伝達がデフォルトに戻ったっぽいし、お金がかからないし、今後はずーっとこれでいきたいです。

 今までたばこ何万本も吸ったけど、いちばん美味しいと思った一本は、吸わなくなってしばらく経った頃に見た夢の中で吸った一本です。あれは本当に美味しかった。その後の後悔と言ったらなかったし、夢だったと知ったときの安堵と言ったらこれまたたまらなかった。あんなに辛かった日々も今では大切な想い出の一つです。なんだそれ。ではでは。

2004年10月10日(日) 10月12日(火) 1:55 +0900

◇ 洗濯しました。

 隣の部屋の人? か誰かが比較的大きな音でドアを何度も開閉して、それがうるさくて朝9:00頃に目が覚めてしまいました。もっと眠っていても良かったのに‥‥。

 でも案外スッキリ起きられたので、そして空がからっと晴れわたっていたので洗濯して、久しぶりに屋上に干しました。近くでやってるお祭りのお囃子っぽい何かにぎやかな音が風に乗って聞こえてきました。アパートの下の道路は上ル下ルともに大渋滞でした。たしかメインストリートを御神輿その他が練り歩いて一時的に通行止めにするから、その影響だと思います。

 ところで、25日からはじまる「BSアニメ夜話」【こちら】ではナディアやガンダムなんかを扱うんだそうです。前回・第一弾は議論の質がマンガ夜話よりちょっと落ちてた気がしてます。マンガの学術的研究とアニメのソレとは歴史が違うだろうから、それでなのかな。何にせよファンがオタクな会話をするだけならどこでもやれるのでTVでやる意味がないと思う。今回はどういうふうに深めてくれるのだろう。

2004年10月9日(土) 10月12日(火) 1:35 +0900

◇ 京都は静かでした。

 二日くらい前に見た衛星写真や天気図では台風は京都の方へ来そうな感じでしたが、実際にはかなり東の方へ行ったようでした。公共の交通機関も動き、バイトはちゃんとあったし、大学も休講にならず、予定されていた講演会も滞りなく行われたようです。出かけるときは雨がしょぼしょぼ降ってましたが帰りはからっと晴れてました。風も、あおられて壊れたから捨てました!的な傘を道で一つ見かけましたけど、わたしが歩いてるときにはそんなに強いのは吹きませんでした。でもTVその他の報道を見ると東の方では雨も風もかなりな被害があったようで、やっぱり大きな台風だったんですね。自分の経験だけに注目するといろいろ把握し損ねます。

 友だちは友だちから「かぶを食べたことがあるか?」と聞かれて「漬け物ならある。煮物もある。でもあんまり好きじゃない」的に答え、「それはもったいない!本当に美味しい煮物を食べたことがないんだな!つくってあげよう!」とのことで、おいしいかぶ料理を作ってもらうようなことを言って帰っていきました。しかしわたしと友だち二人で意見が一致したことには、「かぶって美味しいのかもしれないけれど、どうも大根の煮物を食べ慣れてしまうとそっちを基準にして『やわらかすぎる』『みずっぽい』などなど思ってしまうねえ」という感じでした。そういえばわたしニンジンもカボチャもかぶも、あんまり京野菜が好きではない。多分そういうののおいしさがわかるためには薄味の出汁の微妙なところを味わえる人にならないとだめなんだろな。

 京野菜でぜひ全国区になって欲しいのは九条ねぎです。北海道では育たないのか、育ってもなかなか稀少なのか、安いスーパにしか行かないわたしは一度も見たことがありません。惜しい。

2004年10月8日(金) 10月12日(火) 0:45 +0900

◇ 飲む。

 中部地方の方へ越した先輩が木屋町の方に出て来られている!という連絡が入ったので飲みに行きました。しかし夜の10時にいきなりそんな電話をかけて来られても正直少し困ります。台風が接近中だけど雨は降ってなかったので自転車で行けて良かったです。

 木屋町に行くのも先輩に会うのも久しぶりでした。先輩とわたしはやっぱり口論のようなことになってしまいました。帰ってきて思ったのは、なぜわたしは自分のよく知らない話題に自信たっぷりで間違ったことを言えるのだろう?ということなどなどでした。そういうふうに気づくのは時々だけど実は年中そういうことばっかりしてる気がする。自分の中にはどうでもいいものばっかり詰まってるっていう事実をどうして諦めきれないのかなあ。せっかく久しぶりに会えたのに、もうちょっと近況とか聞きたかったなあ。

2004年10月7日(木) 10月12日(火) 0:45 +0900

◇ 未払い。

 友だちから電話がかかってきました。ある論文をコピーするために大学の図書館まで何とかという雑誌を閲覧に行ったら、「一応入ってるんだけどまだ製本・整理が済んでないので閲覧はちょっと‥‥」みたく言われたそうです。たまにあります、そういうこと。なのでその雑誌を持ってそうな人(わたし)に電話をかけたんだそうです。雑誌の名前を聞いた感じではうちにもありそうでした。しかし、わたしの部屋の中がどんな感じなのか知っていたら彼もそんな用件では絶対に電話なんかかけてこなかったんだろうなあ。

 床と一体化した感のあるいろいろなモノをひっくり返したり脇へ避けたり崩れるのを見たりしながらその雑誌を探していたら、 ‥‥ 別の雑誌がいっぱい見つかりました。ある雑誌の入っていた封筒には振り込み用紙と「二カ年分の会費が未納なので一万円振り込んでください」という便箋が入ってました。ああ。他にもそういう振り込み用紙がわらわら出てきそうな気がしてちょっと困っていたらやっとその雑誌が見つかりました。しかし目的の論文が収録されていない。変だな?と思って別の、比較的保存状態の良い、少し大事にしてる全然違う雑誌を念のため調べてみたらそっちに載ってました。よかったよかった。

 他にも何かあった気がしますが書いてるのが火曜日なので記憶が‥‥。

2004年10月6日(水) 10月7日(木) 15:00 +0900

◇ 買い物。

 『真宗聖教全書』(大八木興文堂)の四巻と五巻を買いました。五巻はどのページもすごく開きやすくできてます。でも四巻は開いて置いてもすぐパタンと閉じてしまいます。何が違うのかなあと思って比較してみたら、五巻はページを開くとハードカバーの表紙が「ぐぐっ」と外にずれて見開きの中央がホチキス留めの雑誌の真ん中のページのようになる(「の」の連発)のに対し、四巻は表紙がずれずに頑張っているのできっちり開ききることが出来ない、ということがわかりました。他の巻はどうなっているのか確かめてみたところ、開ききらない分には 1.本が比較的薄い、2.発行が「平成」6年〜8年くらいの一ケタ台 という少なくとも複数の共通点があるように思えました。

 内容は四巻も五巻も「拾遺部」です。四巻には法然さんがいっぱい、五巻には蓮如さんその他の歴代御門主の文章がいっぱいです。帖外の御文章がゴッと入ってる。戦前・戦中に出された「戦争遂行がんばれ!」みたいな非論理的・非教学的な内容の「教書」も収録されてます。多くの方が「あれは戦争で言論の自由もなくて仕方なく出さされたようなもんだ」と思っておられるかもわかりませんが、たしか明治政府を作った頃から真宗教団の当局は西も東も「富国強兵!戦争遂行がんばれ!」の路線でいろいろブッ飛んだことを言いまくってました。戦中の教書については失効宣言みたいなものが出されてますが一体どのへんまで遡って失効させてるのかなあ。‥‥って調べないと。


◇ 三〇日から五日までの日記は。

 書き直したり加筆したりしようと思ってたんだけど、あんまり細かく書けそうにない。箇条書きしましょう。

  1.  夕方に新幹線で広島へ向かいました。広島駅から西空港行きのバスに乗って「南観音」の二丁目?で下車、てくてく歩いて学寮に着きました。期間中忙しいそうなので「忘れないうちに」お好み焼きをいただきました。焼き上がるのを待ってる間、地元の人がわらわら買いに来てました。地元の人が買いに来るってことはうまいってことではなかろうか。実際わたしにはすごく美味しかったです。
     食事の後は学寮に戻り、ごろごろしたり、先生がレジュメを刷って来られたのを冊子にされるのを何人かで手伝ったり、そのままほやほやのレジュメで勉強会になったりでした。

  1.  学寮の報恩講が開催しました。以下のようなスケジュールでした。

    朝食朝七時〜。(初日は無し)
    お晨朝朝八時〜。正信念仏偈・六首引和讃。
    引き続き前席・後席のお説教。
    会読同十時〜。
     1-3日 報化二土
     4・5日 聞信義相
    昼食正午より。
    昼の勤行十三時〜。仏説阿弥陀経。
    引き続き前席・後席のお説教。
    夕食十六時くらいから適宜。入浴なども。
    (最終五日はこれ以降なし)
    お夕事十九時〜。らいはいのうた。
    引き続き前席・後席のお説教。
    勉強会大体夜九時〜‥‥
    有志参加につきフレキシブルに。

     メインは会読と勉強会かなと思います。藤沢和上や全国から集まって会読に参加される方がなさるお説教もかなりメインです。しかしわたしはちょっとそういうのできそうにないので遠慮させていただいておきました。
     スケジュール表がどこにも張り出されてないのがすごく意外でしたが、例年まったく決まったスケジュールで運営されているようでしたので、いちいち張らないみたいでした。

  2.  日中は前日とほぼ同じスケジュールでした。会読も相手の方がどんどん話してくれて、ぴっ、ぴっ、と短い質問と短い回答でぐるぐる回っていく美しい会読ではないけれどカタチは調った感じになってホッとしていました。しかしこういうのはおんぶにだっこ状態という。
     夜は広島にいる「宗教には興味がない」と言ってはばからない友人に連れられて「ばくだん」というつけ麺屋さんに行きました。辛かった。美味しかった。

  3.  日中は前日のようなスケジュールでまったく変動有りませんでした。特筆すべきは会読のときのわたしの不甲斐なさのみ。頭の中になーんにも入ってないのに「わかりません」って言わないもんだから時間ばっかりかかってしまいました。ああいうときは「どういうことかよくわからないので、お教え願いたいものですなあ」みたくふてぶてしく言って、自分の勉強不足が原因で良い会読にならないという責任を引き受けた上でちゃんと理解の深まる方向に持って行ってもらうべきだったんだろうかなあって今頃思い当たったりしています。
     夜は前日の友だちがお好み焼きに連れてってくれました。おいしかったです。外国人の客には英語のメニューが用意されてるようでした。それ以降、町を移動するとき少し意識して周りを見ていたら外国人の観光客が京都くらい多いように感じられました。平和への願いを60年発信しつづけてる場所ですものね。
     原爆ドームをちらっと見ることが出来ました。以前見たときは早朝で、すごく綺麗に美しく見えてしまったんですが、今回は何とも言えませんでした。薄暮のような夜のような、たぶんいちばん悲しそうに見える時間だったのかも知れない。いろいろ変わって見えるみたいです。(そういえば以前TVで原爆ドームの絵をずっと描き続けている方が紹介されてるのを見た覚えがあります。)
     たぶん来年わたし秋頃には北海道に帰るかもです、と言ったらなかなか淋しそうな反応を返してくれてちょっと嬉しかったです。いやいや。

  4.  やはり前日のようなスケジュールでした。会読では出拠を尋ねてばっかりでした。釈名で和上が「味をきくという表現がある、あんたそこを聞きなされ」というご助釈をくださったので方向性をまったく把握できずあっぷあっぷしながら問うてみたりしました。方向性がわかっていて「ぴっ」と問えたらならもう少しうまい方向に進んだんだろうなあ‥‥。
     お昼のおつとめは歴代の学寮寮頭和上を偲んでお焼香が入りました。「先請伽陀」は久しぶりでした。
     夜は中央仏教学院の同級生で父くらいの歳の方のおうちへお邪魔しました。わたしはきっと、なんか調子の良いことばっかり言ってたんではなかろうか。お刺身もお酒もビールもエビチリも美味しかったです。ありがとうございました。

  5.  最終日です。午後のお説教のあとは「打ち上げ」でした。ご法事でいただくような二段重ねの立派なお弁当が目の前にあったので開けて食べようと思って隣を見たら、今回の報恩講に誘ってくれた友だちは、まったく、風呂敷を解こうともしていない。いくら小食だと言ってもこれはちょっと変だなあと思っていたら、乾杯と同時に始まった打ち上げは、お世話をしてくれたお同行さんたちにお礼を言いに行っていたらいつのまにかお開きになって、お弁当をいただく時間なんてまったくありませんでした。それにしても、広島のお同行のお話はまるでご法話のようです。大阪の人は話にことごとくオチをつけるのがクセになってるっぽいけど、広島のお同行はお話のすべてが御法義に裏打ちされていると言うのかなんと言うのか、何かものすごいパワーを感じました。

     その後、新幹線で京都に戻ってきました。開いたけどすぐ閉じた、打ち上げでいただいたお弁当をやっといただけました。美味しかったです。イチローがどんなふうにして記録を塗り替えたのか、ネットの記事でやっとゆっくり読むことが出来ました。やっぱりLIVEの中継で見たかったなあ‥‥。

 という感じで、9月30日から10月5日にかけてのまとめ日記は終わりです。宗学院の本科ではちょうど同じ時期に二泊か三泊で唯円さんのお寺とか関東の真宗系ゆかりの地を巡礼に行っています。そちらも行きたかったけど体は一つ、コピーロボットはないしお金には限りがあるので広島にしました。。


◇ 水曜日、それ以降。

 水曜日はアルバイトでした。事務所には何日間か工事が入っていたようです。その工事関係の方が何か勘違いしてまったくそのへんの配慮をしていなかったせいだろうと思うのですが、石膏ボードの破片か塗装関係か、何かの細かい粉が一面にうっすらと積もっていました。どのような粉かというと、感覚としてはガンダムやゲルググを作ってるときに細かい紙ヤスリをかけてると出てくる粉みたく思えました。そういう細かい白い粉が、机、椅子、本、ペン、OHPの機械、裁断機、マイクアンプ、懐中電灯、ベル、マイク、マイクスタンド、ポット、床、壁、エアコンなどなど、部屋の中のすべてのモノの表面にうっすらとまとわりつちていて、すべてがうっすらと白くなってました。最初見たときは「なんじゃこりゃ?」という驚愕のみの反応だったのに、雑巾を絞って拭いてるうちにだんだんイライラして、何回かの小噴火を経て小康状態となり、いまは休止しています。しかし事務所にモノがいっぱい置いてあるのは見ればすぐわかるのになぜ何もかもをガードせぬままで粉塵が舞い踊るような作業をしてしまったのか、非常に不思議でした。何を目的にして実施された工事なのかといえば、事務所の居住性を向上させるのが最大・唯一の目的だったはずなのに、本末転倒も甚だしい。

 ぶつ仏。なまんだぶつぶつ仏。

 広島に行く前に自転車屋さんに預けた自転車が完治して戻ってきました。おじさんは「グリスが足りなかったみたいだ」とおっしゃってました。治ってよかったです。

 バイトの帰りにラーメン屋さんに行きました。長崎ちゃんぽんをいただいたら熱くて汗が出まくりました。コショウをかけすぎたのかなあ。おいしかったです。

 ではでは。

2004年10月5日(火) 10月5日(火) 19:17 +0900

9月30日〜10月5日は広島日記です。

◇ 帰路。

 そのような感じで、広島真宗学寮?真宗広島学寮?の5日間にわたる報恩講が終了し、京都に帰ってます。のぞみを指定にしたらだいぶ高くなりましたが、自由席がだいぶ混んでたみたいだったので指定にして良かったんだろうと思う。

 最終日の会読もわたしはへなちょこでした。会読でのわたしの姿を見たヒトはやっぱりわたしがホキョウであることを知ると驚愕されます。これからもこれを公然の秘密としつつ、いつかホキョウに恥じぬような問答ができるように、なんとか。


◇ のう、お同行。

 昔どこで聞いたか忘れましたが、若い若い布教使さんがお説教で目の前に座っているたくさんのおじいさんおばあさんに向かって「のう、お同行。」と言っているのを見たことがあるが、あれはよくない、何が良くないかと言うと、若くてお説教をするのにも全然慣れてないのに「お同行」なんて言葉を使ってはいけない、普段の言葉でお説教をしなくてはならない、という文脈でした。

 今日ごはんを食べてる時に何かの文脈でその話を思い出してその場の人たちの前でしたんだけど、聞いた人は「別におかしいこととは思わないなあ」という反応でした。自分も話しながら、そして「おかしくないよ」という反応に「いやこういう意味でおかしいんです」という反論の様相を呈した解説をしながら、自分もあんまりその若い人が「のう、お同行。」と言ったというのがよくないことのようには思ってない、ということに気づいたというか思い至ったというか、あれ?って思いました。

 ‥‥わたし多分受け売りで話しすぎなんだろうなあ。聞いた当時たしか「うん、それはおかしい」と思ったり「いや、そんなにおかしいこともないんじゃないか?」という揺らぎがあったはずなんだけど、何年か経って口をついて出たときにはその話をしてくれた人と同じ位置に自分を置いて自分のフィルタをまったくかけてない状態でぺらぺらしゃべってしまう。もう少し考えてから喋らないと、きっと非常にまずい気がする。

 なお「お同行」という言葉は昔のわたしは文語だと思ってましたが実際に使われてる場面をよく見ているのでその考えは改まりました。文語では全然ありません。ただ、北海道ではあんまり聞かなかった気がします。京都や大阪ではたまに聞きました。広島に来てお説教を聞いていたらフツウにばんばん出てきてます。お説教でご講師が聴衆に向かって「お同行」とおっしゃる場合はほぼ「みなさん」の意味です。わたしが「広島のお同行」と言う場合は「広島のご門徒さんたち」という意味だと思います。単複同形で丁寧語です。


◇ まあ、

 まあ、そんな感じで新幹線に乗っています。毎日おつとめの時と会読で自分の番がおわるまでは正座を崩さなかったので一日通算二時間くらい正座をしていたからか、足が全体にしんどそうです。いま左足の甲がつった感じになりました。わたしが言うまでもないんですが正座を甘く見るとひどいめにあいます。無理して正座し続けると足が確実にいかれるので、格好悪くても何でも一定の限界を超えたら、崩して良いときは崩してます。

 続きは部屋に帰ってから。というか、帰ってからは行っていた間の日記を埋める作業をするかしないか。迷うところです。

 帰ってきて買い物に行ったりしてまた帰ってきました。今は6日の午前0時半です。1〜5日の日記で抜けているところは明日以降に考えます。今日はもう眠ります。ではでは。

2004年10月4日(月) 10月4日(月) 時間不明 +0900

◇ 左ヒラメの右カレイ。

 何も書いてないのも愛嬌がないと思ったのかどうなのか正確なところはわかりませんが、その昔、北海道では小中学生に少しでも知識を身につけて欲しいという願いからだろうと思います、アイスホッケーのルール解説になったり世界七不思議の紹介になったりいろいろな知識の大系が牛乳の三角パックにプリントされてました。「左ヒラメの右カレイ」というのはそのうちのあるシリーズにあった文言です。「いずれがあやめかきつばた」という言葉もありましたけどあれはよく覚えていません。よつ葉という、うちの町に工場があるってことはたぶん弱小メーカだと思っていたら北海道中に牛乳を卸していた会社の、学校向けのテトラパックのお話です。ストーブの上に蒸発皿というのを置いて水を入れて蒸発させて空気の乾燥を防いでいました。そこにソレを入れて温かい牛乳を飲んでた時期もありました。冷たい牛乳も美味しいけれど暖かい牛乳も美味しいです。わたしカステラは温かい牛乳でいただくのがいちばん好きです。コーヒーでいただくのも美味しいけど、やっぱカステラには牛乳が合うと思います。

 ヒラメとカレイの見分け方ですね。両目のついてる側面が左側っぽかったらヒラメ、右側っぽかったらカレイです。両目が同じ面についてると言ってもエイのようなひらべったさではないので、エラは一個しかないんだと思います、そちらを下にして見て考えて、左だったらヒラメ、右だったらカレイです。

 今日は専門学校の同級生で父と同い年の方のおうちに寄せていただいて、楽しくごはんをいただきました。そこにヒラメのお刺身があって、とっても美味しかったです。ヒラメの縁側っていうのをたぶん生まれて初めていただきました。経験したことのない食感+うまさでした。

2004年10月3日(日) 10月3日(日) 16:50 +0900

◇ 会読。

 1日から5日まで開催される「広島学寮」の報恩講に寄せていただいてます。お経をいただいたりお説教を聞いたり、会読に参加させていただいていろんな方に半端じゃなく迷惑をかけたりしています。3日めにしてやっとはっきりとした自覚症状が出てきた感じです。

 30日の新幹線以降から2日までの日記がないのはそれだけハードな生活をしていたからとです。夕方とかひまっぽくしてる時間もありますけど、滅多にない合宿みたいな感じなので集まって話してる方がこうやってキィ叩いてるより楽しいわけです。いまは友だちに迎えに来てもらってお好み焼きをいただいたり原爆ドームを見たりしてるうちにちょっと車に酔った感じになってるっぽいので寝る部屋で一人打ってみております。新聞もテレビもネットもない生活なので(コンビニに行けば新聞は買えるか)、イチローがどうなったのか見られませんでした。結果だけは聞いています。見たかったなあ。今年は野球のとんでもないやつが今のところ二つとも(駒大苫小牧とイチロー)リアルタイムでは見られてません。

 ではでは。


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