Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 2003年9月

2003年9月30日(火) 10月1日(水) 22:50 +0900

◇ やっぱり見そびれた。

 夜11時からのドラマ、ジャンクsportsを見て笑ってるうちに11:10になっていて、やっぱり前半見そびれました。なぜ小鳥遊さんの実家が出てくるんだろう? と思ったら、そうか、逃げていたからなのね。

 見始めた瞬間に「もう帰ろうか」と言って、次の瞬間は東京にいました。なので写っていたらしいけど、帯広はまったく見られませんでした。

 まあ良いのです。いや全然よくない。うーん。


◇ 眠ってしまいました。

 30日は比較的しっかり眠りました。京都の方々、最近夜さむくないですか? わたしは眠りはじめの暑さに幻惑され、布団をあまりかぶってないようです。そして、どうも冷えてるらしい夜中に起きることもまったくなく、結果「ねびえ」というコドモみたいなことになってるっぽいです。風邪気味なのです。布団は暖かいのです。

 そんな感じで、30日中はもとより、1日朝にも日記の更新ができませんでした。

 今回も短め。

2003年9月29日(月) 9月30日(火) 10:00 +0900

◇ 深草。

 バイト系で、深草に行きました。休み前の会議で行ったのがいちばん最後だったので、非常に久しぶりでした。皆さん元気で良かったです。

 深草学舎は相変わらず人が多かったです。最近知ったことには毎年4000人入学するらしいです。しかし少しは瀬田に行ってるはずだから‥‥。とにかく多かったです。休み明けだし。にぎわってて良いことです。

 写真のデータCDをCDに焼いてこようと思い、HPのデータなどなどを焼いてあったCDを持っていったら、何かのはずみで書き込み禁止になっていて、まったく焼けませんでした。MuVoを持っていってよかったです。しかしこんなに出し入れしてたらきっと寿命が短くなると思うので、時期を見て、壊れないうちに、512MBのフラッシュメモリを買っておきたいです。


◇ 寝てしまった。

 11時からのドラマを見ようと思っていたのに、眠すぎたからちょっとのつもりで眠って起きたら11:30になってました。あーあ。ガンダムなき今いちばん楽しみにしているプログラムなのにピンポイントで外してしまった。

 金曜日深夜の再放送に期待します。ビデオ録ったり。

 はい。短め。

2003年9月28日(日) 9月29日(月) 4:04 +0900

◇ 洗濯。

 なぜか朝早くに目が覚めたので、そしてやたら晴れ渡っていたので、シーツ代わりにしてるのと、上にかぶってるのと、タオルケットを2枚とも洗濯しました。

 屋上に干して、午後は少し暑めだったけど昼前はそんなべらぼうに暑くはならなくて、過ごしやすかったというか、乾きにくかったというか。それでも風が強めで、しかし飛びもせず落ちもせず、無事に乾いてくれて良かったです。

 別の建物の屋上にいろんなものが干されてるのが見えましたが、大部分、屋上の床に落ちてました。なぜ洗濯ばさみとか布団ばさみとかで固定しないのかなあ、と、見るたびに不思議です。


◇ おみまい。

 滋賀の方に友だちのお見舞いに行きました。外科手術と言うより、詳細を聞いてると細かい職人芸みたいなモノに思えてくる手術も大成功らしいです。しかしやっぱり階段は落ちるものではないなあ、と強く思った次第です。

 心細そうで寂しそうなことを言ってるから少し心配したわけですが、行ったら別の友だちが来ていて、3人で話していたらまた別の方もあらわれて、なんか人気者のようでした。最初からいた方は、ちょっと日本人離れした顔かもなあと少し思っていたら、果たして、遺伝子の半分が北欧系なんだそうでした。言われてみればたしかに「色白」の範疇を通り越した白さで、髪も完全地毛なのに色素が薄かったと思います。圧巻はまつげでした。尋常じゃなかった。いとこでそこそこ長いのがいますが、あんなもんじゃない。長くて量が多い。まるで鉛筆が乗りそうでした。などなど言いながらよくよく見れば見るほどキレイで、すごい不躾にじろじろ見てしまって、いま思い出せば失礼でした。しかしいやな顔もされなかった。きっと慣れてるのかもしれないな。という感じで、ひさびさ目の保養になりました。いや、失礼。


◇ ROYCE'の変なの。

 別の友だちさんは、伊勢丹で北海道展をやってたと言って、ロイズの箱やハッカのお手ふきなどを持ってきました。ただその場にいたというだけでわたしもご相伴にあずかりました。

 その方がハコを開け、中袋を開けてくれたので中を見て、それはそれはギョッとしました。ギザギザポテチの片面にチョコレートが塗ってある‥‥。【こんな】

 青トッポが塩まぶしてありますよね。コレはいもだからまた独特な味ですが、強いて言えばあんな感じです。いや、もっと正確な表現を使うなら、ポテトチップにチョコレートを塗ったような味です。そうとしか言えないです。

 見た瞬間は完全なネタに思えましたが、ロイズなので大丈夫なんだろうと思ったら、本当に大丈夫でした。しかしポテチのように毎日食べられるタイプのものではなかったかな。ってポテチ毎日食べてたら体にあんまりよくない気がします。せめてポテコにしよう。うん。

 という感じです。

 ダイエーの試合を見ている途中でひどく眠くなり、いつもより早めに眠りました。大逆転で勝ったら俺は「見ておけばよかった!」と思って後悔するのだろうか? と思いましたが、まあそれはそれ、それこそネタになろうってもんだ、と思って横になったら、すごい勢いで眠れたみたいです。

 起きたらF1をやってます。生放送。北海道の友だちはF1が完全にLIVEで見られるからという理由でCSに加入したそうです。おや?ちょっと贅沢かな?と思ったけど、彼の中学の頃から(もっと前からかもしれないが)の趣味だし、それ以外は契約していないらしい。戦略的で効果的なお金の使い方だと思います。きっと今もフジ系列じゃなくCSで見てることでしょう。今日は時差の関係で地上波でも生です。こういうときってヤフー行っても結果が書いてなくて(あたりまえだ)、すごいトクした気がします。

 うん、そういう感じなのです。

 ではです。

2003年9月27日(土) 9月28日(日) 10:40 +0900

◇ ウイルス調査。

 昨日掲示板に書いたように、ウイルスを積んだメールがぱたぱた来てます。不定期で断続的にどんどん来ますね。きっと空気感染したり接触感染したり飲み水から感染したりするウイルスも、実はこういうふうに日々いっぱいあふれてるんでしょうね。あんまり発症しないから気づかないだけな気がします。

 ウイルス本体は捨ててしまったので名前わからなくなっちゃいましたが、メール本文は残してあったので、一行目の

this is the latest version of security update, the

 をコピペしてYAHOO!で検索したら、ウイルス情報を公開して注意喚起してくれてる【ココ】がひっかかりました。2002年3月からポピュラーなものになってるってことは、古かったんですね。どうして今頃うちに来たんでしょう。

 そういえば、父が誰よりも早い時期にインフルエンザにかかって寝込んでて、そうか珍しく流行の最先端を行ってしまったなあ、と思っていたら、どうも父のかかったインンフルエンザはその年大流行すると言われていたVer.ではなかった、ということがありました。。

 ということでウイルスには気を付けます。冬近いし。


◇ ガンダム終了。

 ガンダムが終わってしまいました。ネタバレにならない範囲で感想を言うと、Phase 49 と Phase 50 は、あまり急がず詰め込みすぎず3回くらいに分けてやってほしかったです。たたみかけたと言えばたたみかけたんだが、いやー。カルピスをあまり混ぜずに飲んだら下の方がどんどん濃くなっていきますよね。あんな感じに似てました。

 何はともあれ土曜日の楽しみが一つ消えてしまった。

 で、音楽集を買ってきました。聞いております。OP・EDを収録したDVDがついてました。わたしはてっきり「ノンクレジット」なやつだと思い込んでましたが、そんな美味しい話はなく、TVで放映されたまんまでクレジット入りのOP・EDでした。そしてCDに付録でつくDVDに標準的な、べらぼうに良いわけじゃない画質でした。

 おまけですもの。

 わたしも買って、複数の友だちや知り合いも、買ったりもらったり買うと言っていたりしてます。お金は大事だから借りてすましちゃうことも少なくない中、それでも欲しいモノにはちゃんと払うようになってるんですよね。いいね。

 では。

2003年9月26日(金) 9月27日(土) 1:50 +0900

◇ ご承知のとおり。

 テープ起こしをしていて、話してる先生が比較的・頻繁に使っていたのが「皆さんご承知だと思うんですが」という言い回しでした。そしてその言葉のあとには、わたしのあまり知らない歴史的な事実や、わたしのあまり知らない学問的で概念的な一種の「オーソドックス」や、わたしのあまり知らない出版関係の話などが続く。

 たとえば、「皆さんもご承知のとおり、石田は木村佳乃のカレンダを6年連続で買ってるんです。」とか、「皆さんもご承知のとおり、ラクスクラインとちぃは同じ声優さんがやっているんです。」みたいな感じでしょうか。

 そこには「"皆さん"って誰だ?」という戸惑いや「ソレを知らない俺はバカ?」という恥じらいなどの感情がわき上がることへの期待がまったくありませんでした。悪く言えば緊張感がゼロ。つまりその先生の中で「ご承知のとおり」は「しゃべってもしゃべらなくてもよい、場つなぎのための言葉」という意味しか持ってないんじゃないか?と疑ってしまいました。

 常套句をどれだけ使わずに語れるかを気にしてしゃべりたいな、と思いました。

 テープ起こしはまだ120分あります。とほ。


◇ そんな感じで。

 皆さんご承知だと思うんですが、実家の方を強めの地震が襲いました。今日はやたら早起きだったらしい関西の友だちから「地震すごいね」というメールが入って、わたしはそれで知りました。十勝・釧路は比較的地震慣れしてる土地柄ですが、さすがに天井が落ちたり特急が脱線したり道路が波打ってたりするのをTVで見たら心配になってきて実家に電話しました。話した父も母も地震には一様に「びっくりした」そうです。横揺れがいつもより長くて気分が悪くなったりもしたそうです。

 しかし実家の周囲は目に見えて何かのカタチが変わるとかの大きな変化もなく、けがをした方もなかったようです。たぶん牛のお乳の出が一時的に悪くなるかもしれませんが、ほんと目立った被害はそれほどないんだそうです。ほっ。

 父は、本堂と納骨堂を見に行ったら輪燈の部品が飛んでいたり、香炉がひっくり返っていたり、ロウソク立てが倒れていたりしたよ、納骨堂は納骨壇の扉が開いて中のモノがのきなみ床に落ちてて掃除に一日はかかるかなあ、智秀手伝いに帰ってくるか? という冗談が出てくるくらい元気でした。声は重たかったけどね。

 結構でずっぱりでTVに登場していた広尾町の隣の町で小学校の先生をやってる友だちから来たメールにも、やはり、それほど大きな被害はないから心配しなくていいわ、と書いてありました。子どもたちも無事だったみたいです。何よりです。しかし図書室に入ったら書架が全部ひっくり返っていて、それを見てひどく気が重くなったそうです。たしかそんなに規模の大きな学校ではなかったと思うから、きっと学校総出で点検・復旧作業なんでしょうね。それはそれで変に祝祭的な色彩を帯びる瞬間があったりして。。(失礼な)。。

 かと思うと、ほとんど同じような場所に住んでる別の友だちから来たメールには、なんにも、まったくなんにも気づかずにぐっすり眠っていた、という旨が書かれていました。なんとなく、さすがだなぁと思いました。空間的ウラシマ現象ってやつでしょうか、そんな現象があるとすれば。

 TVに写ってるのは、当然のことながら、特に目立って被害の大きかった場所です。心配してかけた電話が当然つながらず、被害状況が大体わかった、ように思えた頃にかけてつながった電話に出た母と電話で話してるときに、ちょうど釧路空港の屋根の部品が大量に落ちてるのが写りました。それを見て「何これ? どこ? 大変じゃない!」と母が逆にびっくりしてたような、そういう感じででもありました。

 なんと言っても直下型じゃなかったから、それがすべてなんでしょうね。あとは都会じゃないからもし火事が起こったとしても大抵は延焼しにくいし、家は防寒重視、かつ少ないとは言っても積雪があるから丈夫で頑丈な家しか建てられないのも良いのでしょうね。屋根も瓦じゃないし。

 いろんな方からご心配いただきました。ありがとうございます。


◇ SEED。

 SEEDの新しい音楽集を買いにプラッツのCD屋さんに行ったら、予約以外は一枚も残ってませんでした。どうも売れてるっぽいです。明日も入荷しますと言われたので、 ‥‥ しかし今日同様きっと予約分以外は全部売れてしまうんだろうなあ、売れ残ってるかどうか気をもみながら来るのはいやだなあ、と思い、予約してきました。

 わたしの後からも、同じことを考えたらしきヒトが予約してました。本当にどうも売れてるっぽい。『暁の車』も『静かな夜に』も入ってないのにね。

 もごもご。

2003年9月25日(木) 9月26日(金) 9:50 +0900

◇ sting。

 TSUTAYAに『STAND ALONE COMPLEX』の5巻を返却に行きました。もちろん6巻以降を借りようと思っていたのに、6、7がなく、8,9しかありませんでした。ちょっと残念。

 SEEDのオープニング・エンディングを集大成したCDが26日発売なので、前日から売ってないかなーっと期待しつつ1階に行って探しましたが、まだ並んでませんでした。いいです。先輩から全国百貨店共通の商品券をもらってるし、プラッツで買います。

 ‥‥そのままぶらぶらしてたら、sting の新譜が出てました。【Amazon.co.jp】 「一部のDVDプレーヤでは再生できない」と書いてあったので少し心配になりました。普通の音とSACDの音とのハイブリッド仕様なんだそうです。今のところ何の問題もなく聞けてます。

 ちょっと感動的なライナーノーツ。911の当日に泣きながらライブやったのは有名ですが、その翌日から、いろいろ考え込んだ結果として、ふたたび曲を書き始めることができたんだそうです。やっぱこのヒトはすごいな。

 ボーナストラックの最後にある『MOON OVER BOURBON STREET』の「コーネリアスミックス」というのは、本当にあのコーネリアスのミックスでした。びっくりするくらい格好いいです。

 『SEND YOUR LOVE』のリミックスが本編の最後に収録されてます。本人が作ったわけじゃないけど「スティング?どうした?」と言いたくなるくらいハウスです。しかもすばらしく耳心地が良いです。デケデケデケデケ。

 10月にはDVDが出るんだそうです。また出費です。


◇ サイト。

 実家のお寺のサイトから先輩のお寺にリンクが張ってなかったのを思い出し、というか気づき、張りました。そのとき先日と同様サイトの更新がうまくいかなくなりました。唸って唸って、しばらくして原因が解明されました。重掲にも書きましたがそのまま書きますと、ひどく簡単な原因でした。更新用ファイルの入ったフォルダが別々の場所に2つあったんですね。先日と今日の妙法寺サイトの更新・アップ状況は

  1. 甲フォルダの中のファイルを書き換える
  2. 乙フォルダの中のファイルをアップロードする
  3. 更新されてない!( ̄□ ̄;)と驚く

 ‥‥こんな感じだったわけです。先日それでもちゃんと更新することができたのは

  1. 何かのはずみで乙フォルダの中のファイルを書き換える

 ということを無自覚のうちにやれてたからみたいです。今日はそれができずに唸りつづけてるうち、やがて甲乙両フォルダの存在に気づいたわけです。

 教訓:
  バックアップファイルの入ったフォルダはそれとわかるモノに名称を変更すべし。

 26日早朝の北海道十勝・釧路沖地震のことはやはり26日の日記に書きます。
 いや、実家のお寺は大丈夫だったみたいですよ。

 ではです。

2003年9月24日(水) 9月25日(木) 9:20 +0900

◇ 雨。

 火曜日の夜から、ひさびさまとまった量の雨が降りました。4時過ぎに布団を舗道に置いたときも、ふと見てみたら回収のひとが持ってってくれたらしく布団がなくなっていたときも、どんどん降ってました。

 しかし大学の方に行こうと思って外に出たら、なんと都合の良いことに上がっていて、傘を差してバス停まで歩く手間も省け、傘を差しながら自転車をこぐという危ないこともせずに、大学の駐輪場に着くことができました。

 大学にいたときも雨はずーっと降ってました。小降りになったかと思ったら突然ひどく激しく降りだしたり、ちょっと流れがつかめなかったです。こりゃ自転車置いて帰らないといけないかなー? っと思っていたら、帰る頃になって突然止みました。ので、また自転車で、傘を差す必要もなく帰ってこれました。今日の雨はわたしには非常に都合がよかったです。


◇ 発送。

 本願寺派系の研究機関で、大学のゼミの「演習」みたいに班に分かれて読み合わせをしている「講録」の原稿を持って行って、印刷し、折ったり封筒に詰めたり、発送したりするのを手伝ってもらいました。忙しそうだったのにスミマセン。少し重たいめの世間話のような会話が楽しかったです。ためになりました。(?)


◇ 音。

 生協で遅めの昼食兼早めの夕食をいただいていたら、ごはんを食べ終わった学生の二人づれが、携帯の着メロを聞かせあうという、よくある遊びを始めました。それがどうも耳につく。いらいらしながらカツ丼などなどを食べていたら、胃の中がいっぱいになっていくにつれてイライラが遠ざかっていきました。おなか空いてると機嫌悪い人って、たまにいますね。アレですねわたし。

 その後、バイト中に突然激しい雑音が数回響いて、そのたびに脳の中がかき回されるような感じがしてイラつくと言うよりコワれかけました。目もしょぼしょぼして、寒気もして、なんだろう? って考えて思い当たったのは、すごい寝不足状態だということでした。寝不足のときに機嫌悪い人って、たまにいますね。アレですねわたし。


◇ エクソダス。

 村上龍『希望の国のエクソダス』 【堅】 【文庫】 を読了しました。龍で何の不満もなく満腹になれたのは『69』 【bk1】 以来です。ってあんまり読んでないんですが。。

 そんな感じで、ひさびさ一気に読んだ小説です。‥‥というのはウソで、最近は 『瑕』(京極) ・『春』(森) ・『砂の惑星』 と、3作一気に読んだんでした(わたしとしては後ろに行くほど感動が大きかった)

 小説以外も、門主さんの本をやっと読了しました。字が大きく文章表現が平易で読みやすかったです。目次を見た感じでは「小さなエッセイがいっぱい詰まってるだけかな?」、みたいな印象がありましたが、文章群の並び方にはちょっとした工夫があって全体でちゃんと一つの「作品」になっているし、使用されている言葉の選択は目立たないところでも洗練されてるし、非常に考え抜いて作られてるみたいです。著者が良いのは端っからわかりきってるんですが、編集も相当がんばってくれたんじゃないかと思う。そんなんで、予想とちょっと違って、かなり良かったです。

 そんな感じで、信者がトップのことをよいしょしてるだけの感想になってるわけさ。

 いろいろせんならんことと折り合いを付けながら、今度は篠田節子『コンタクト・ゾーン』 【bk1】 を読みます。文庫化される前に読了したいものだ。

 そんな感じです。

2003年9月23日(火) 9月24日(水) 4:30 +0900

◇ モス。

 ひさびさモスでいただきました。

 最近「スパイシー」がきつくなりつつありますが、そんなこと忘れて注文し、いただきました。相変わらずおいしくて、相変わらず食べにくかったです。

 ドッグをたのんだおばちゃんが「4つくらいに」と言って切ってもらってました。ドッグは大丈夫なんだよなー。主食?であるハンバーガがあんなに食べにくいバーガ屋さんは他に類を見ないと思います。

 食べやすくてあんまり美味しくないところより良いと思います。うん。

 もう少し近くてもう少し安かったら、きっともう少し頻繁に行っていたと思う。


◇ おみまい。

 友だちが階段から転げ落ちてヘルニアになり手術しなければならなくなったそうです。今日は突発的にそのお見舞いに行ってきました。

 滋賀と京都は思っていたより近くて、そして駅から病院までは想像以上に遠かったです。症状は落ち着いていて、そして手術の前だったので全然元気でした。ヒマでヒマでたまらないと言っていたので『サイカノ』全巻と、固持されましたが宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』を置いて来ました。

 『最終兵器彼女』はもう読んだそうです。たいしたことなかったらしい。たぶん何か、作品が読者に期待している読み方ができなかったのだろうと思う。マンガなんてどう読んでも良いはずなんだけど、ちょっと、いや、非常に残念です。

 以下、「◇ ふとん。」まで、ネタバレいたします。

 『サイカノ』の世界の戦争にリアリティを求め、そればっかりで読んでしまったら、作品のメインの要素である無菌培養的な恋愛の要素がどっかに吹っ飛んでしまうんじゃないかと思う。「戦争」がなぜ起こるのかを考えながら読んだり、近代の「戦闘」がどのように戦われるのかを考えながら読んだりするよりは、すでに起こっている戦争の中で、戦争に対して何一つ批判的な位置から語ったり行動したりできない小さな自分、という、多少逃げてるかもしれない場所にしかいられない自分を仮定・設定して読んだ方が良いと思う。『サイカノ』では、戦争や現実世界は小道具の一つにすぎなくて、ちせとシュウジのココロ以外にリアリティはない(と思う)のだから。

 (少なくともわたしは)そんな(ふうに考えている)作品を読みながらリアリティばっかりを考えてしまうのは、『スターウォーズ』に教訓や警句を求めて「つまらんわい!」と怒ったり、『宇宙戦艦ヤマト』や『アルマゲドン』に物理法則の整合性を求めて「なっとんらんわい!」と嘆いたり、『タイムマシン』や『タイムシップ』に「そんな物質どこにあるんだよ!」と突っ込んだり、『ガンダムSEED』のNジャマーの設定を聞いて「ありえん!」とあきれたり、『マトリックス』見て「VRがそこまでリアルになる保証がどこにあるんだ!」と言って暴れたり、『AKIRA』に「超能力なんてナンセンス!」と小言したり、サッカーを見ながら「手を使えよ手を!」と叫んだりラグビーを見ながら「なぜ前に投げないんだ!?」と混乱したり、するのと、あんまり変わらない結果を生むんじゃないかと思います。

 きっと『サイカノ』は恋愛ファンタジーなのですにゃ。

 というか譬喩が過ぎますな、まったく。


◇ ふとん。

 敷き・掛け双方の布団に、それぞれ400円の「京都市 粗大ごみ処理手数料券」を貼って出して来ました。それだけで2箇所刺されてます。涼しくなって来てても蚊は健在のようです。

 市から指定されたのが24日なので仕方ないんですが、ぱらぱらとした雨降りの闇の中に浮かび上がる布団は、なんかすごく可哀想でした。

 ではです。

2003年9月22日(月) 9月24日(水) 2:30 +0900

◇ 夢一。

 どこかで、大人数で懐石料理か何かをいただいています。 ‥‥「とても良い料理」というイメージで日本料理的なのものを畳の上で胡座(あぐら)かいてお箸でいただいているので、きっと懐石料理でしょう。メンバはいま通わせていただいている本願寺派系の研究施設の面々です。向かい合った正面の席についている、友だちのお兄さんでもある先輩は、ヨコに座っている先輩に向かって「こういう良いものをいただいても、右から左みたいな気がしますね」みたいなことを耳打ちしていました。

 つかれたのでお座敷の外、廊下、というより出入口付近に設えられていた喫煙所で煙草を吸いました。となりには煙草を吸わない友だちがなぜか来ていて、わたしの吸っている煙草は、いつものアメリカンスピリットライトではなく、よくわからない、黒っぽい、まるで立体的な蛇腹みたいな模様のある(つまりどことなくミミズっぽい、しかしまっすぐな)今まで吸ったことのない煙草でした。と思ったら、わたしの視点がわたしから離れていって、わたしを外から見る視点になった。するとわたしはわたしじゃなく、もう一人の別の友だちでした。

(いま考えると料理が「右から左」ってのはおかしい。そりゃ音や声が耳を右から左とか、『Maybe』でひだりからみぎ、みぎからひだり、という感じで使う方が正しいだろうと思う。あの先輩がそんな変な表現を使うなんて現実にはありえない、すごく変だ。ということには夢の中では気づかず、起きてから気づきました。なお「もう一人の別の友だち」がすでに亡くなっている友だちであったということにも、夢から覚め、夢を思い出しているときに気づきました。真宗でなければ「ああ、お彼岸だからだよ」と言われて納得したりしちゃうのかもしれませんが、彼はお彼岸でなくてもわたしの中にいますので‥‥)


◇ 夢二。

 これは「夢」ではないかもしれないが‥‥。

 夢現(ゆめうつつ)でいるときに、何か新しい論理に気づいたり、新しい真実(笑止!)に気づいたり、新しい製品開発の方向性が見えたりすることってありませんでしょうか。そして、夢現のときは「素晴らしい! もう世界は俺のものだ!」と思うんだけど、夢から醒めて、その「新しい」何かを正確に思い出してみると、どうでも良いものであった、ということがほとんどではないでしょうか。 ‥‥ これはそういう感じの話です。

 缶ビールは、プルタブを開けてそのまま飲むか、グラスに注ぐかして飲みます。どちらもクチのところに段差があるので、飲むときも注ぐときも泡が少し入ってくる。というか注ぎ口に直接クチをつけて飲むと飲みにくい気がする。

 いっそプルタブで開けるんではなく、缶ビールの先端部分がパッカリと全部取れて、アルミのコップみたいな状態になれば、コップに注ぐ必要なく直接飲めて良いのではないだろうか。直接口をつけても切れないように缶の端を折り返しておけば、手で持ったときに缶がぐわんぐわん凹んでしまうことへの補強対策も兼ねるだろう。そのような感じで、「アルミのコップ」みたいな部品と、その上の「フタ」の部分とに分解されるような缶を開発したら、とてももうかるのではないだろうか。コップで飲むときには泡は必需品だが、おそらく竹の菜箸か何かで「ぐるっ」と混ぜればほどよい細かい泡が立つのではないだろうか。

 ‥‥ということを考えました。

 泡対策まで考えて、ほぼ完璧だと思いました。しかし、コップやジョッキで飲む場合って、泡がどのくらいあってビール本体がどのくらいあるのかを、我々はヨコから見て確認しながら飲みたい、のではないか。ので、却下かな、と思いました。

 また、缶を「アルミのコップ」と「フタ」という構造にするのは、技術的に可能なのかどうか。可能であるとして、それでガス漏れなどは起こらないのかどうか。パッカリ取れたときに、口に接する場所に何か異物(接着剤の残りや不自然な凸凹など)があったりはしないか。

 などなど、いろいろ具体的に考えました。

 そして、日本酒に「ワンカップ」というものがあり、ビールには今のところない、ということに気づきました。構造や見た目はアレで問題ない。なのに今のところ大きめのワンカップにビールが入った姿は見たことがない。 ‥‥ きっと機密性に問題があるのだろう。

 という感じで夢のない話になってきてるので、ここらで。


◇ 夢三。

 会食があって、それに参加するために母親に車で送ってもらおうとしている。案内状をよく読んでいなかったわたしに、母親は、会食の前に会場を掃除するから○時までに来なさい、と書いてある、と指摘する。わあ本当だ、と思い、会場を一緒に掃除して、わたしはそのまま会場で会食に参加しようとするのだが、じゃあ母親は掃除だけして帰るのだろうか? 思えばわたしは母親に対してこういうふうな特殊な甘え方ばっかりして来ているなあ、と強く思ってさびしくなる。

 いちばん上の夢とつながってるのかどうかは不明。

 月曜日は日記を書き忘れました。なので月曜日の分の日記は、火曜日から水曜日にかけて見た夢で代用いたしました。

 では。

2003年9月21日(日) 9月21日(日) 15:36 +0900

◇ テープ起こし。

 さほど速いわけでは実はないんですが、でもまったく「チカラワザ」で眠らずにやれば、結果的には他者より速く仕上がることも多くなります、テープ起こし。その手伝いを半年くらい? 放っておいて、さすがにまずい気がしてあわててやっております。


◇ なぜ思い出したかのように。

 どうして半年も放っておいたものを急に今頃、まるで思い出したかのようにやり始めたのかと申しますと、どうも最近、自分の書くあらゆる文章がことごとく気に入らなくなって来ていて、それなのに日記はどうしても毎日書きたいし、ノートだってたまにはとらなきゃならないし、でもオリジナルの文章はもちろんその他の文章もあんまり書きたくないという、そういう変にアンビナレンツな感覚があるので、コレを何とかして打破しようと思ったからです。

 自分の文章を「大嫌い!」よりは好きな状態になろうとするとき、わたしには他者の文章を読むのも良い訓練になります。そして自分の文章じゃない文章を書くというのも良い訓練になる、ことがあります。だからテープ起こしをしているということです。他者の文章は、『砂の惑星』とか、『四季 春』とか、『陰摩羅鬼の瑕』とか、そういうのを読んでるので良いとして、自分の文章じゃない文章をただ書き写すのはしんどいので、書いて新しい情報が少しでも入ってくるのといえば、テープ起こしかな、みたいなふうに思ったわけです。いつでもあるわけじゃないけど、テープ起こしなんて。

 しかし、自分の文章を気に入るためにいちばん良い方法だと思うのは、自分に独自な表現が誰にでも受容される表現となるように、丁寧に、一生懸命に書くことだと思ってます。イヤでも情けなくてもなんでも必死になって続けていれば、壁はそのうち越えられるのです。越えられない壁ならそれは壁ではなく単に「限界」と正しく認識すべきものであると思うから、一石二鳥というか、ええと、とんびがタカを産むような感じのことになるわけですね。

 アレ。限界には気づいているつもりなんだけど‥‥。

 とにかくテープ起こしをしました。少しだけ。60分ぶんくらい。


2003年9月21日(日) 9月22日(月) 5:55 +0900

◇ 仏教はどこまで。

 テープ起こしをしたのは、2001年10月から12月にかけての短めの講演会、数コです。講演されている先生が自覚的な仏教徒であることと、時期がちょうどそういう時期であったことから、多少の緊張感のある面白い内容でした。2001年9月11日以降の自分の日記を読み返すと多少は面白い発見があるのと少し似てると思う。(日記は混乱してて可哀想で、「テロ」や「平和」という言葉の使い方が、まったく無防備な状態から少しは考えられたモノになっていく過程が、もう今ではその試行錯誤は行間にしかうかがえないけれど、今の自分なりにトレースすることができます。)

 講演の内容は、一神教的で原理主義的な場所から「文明のタイリツ」という言葉で現実世界を一刀両断できると考える人や、そんな状況を憂えている多くの仏教徒に対する「何とかしないといけません」というメッセージ、という意味合いが強い気がしました。

 そのときの「仏教はこう、他の宗教はこう。したがって仏教のコレを伝えていけば世界はよくなる」的な 比較 → 導入案 は、仏教の良いところと他の宗教の悪いところを同じテーブルに載せて比較して嬉しがるという、よくある誤りを犯した地点から始まっていました。また、論理的には非常に弱い、しかし感覚的には何となくわかったような気になってしまう譬喩を用い、ちょっと無理な展開から「だからこうなのです」という結論が導き出されてもいました。

 ただ、そういうグラグラな論理展開をしてまで、その人はその結論に到達したかったんだ、そしてそれを他者に訴えかけたかったんだという、内容じゃない、状況的なメッセージは受け取れる話だったので、これはこれで非常に良いんだろうな、と思いました。しかしこのままではどうにもならないお話でした。どこがどう甘いのかを突っついてさらけ出し、ひっぱたいて鍛えれば、話をしている人の考え方の特徴や魅力が浮き彫りになっていくんだろうな、と思います。

 何か間違った展開が結論の前にあったとしても、結論として提示された「いいたいこと」のはっきりした人のメッセージの方が、中身の論理構築ばっかりにかまけて結論や「いいたいこと」がわからぬまま語り続ける人(筆頭:わたし)の長い長い、中身ばかりで主張の希薄なメッセージよりは、わかりやすく、受け取りやすいんだろうな、と思いました。

 わたしの文章は、その中身さえわけわからんことになることが少なくない。
 いや、多いかもしれない。

 ‥‥「いいたいこと」がはっきりしてる人の「いいたいこと」って、大体オーソドックスなものである場合が多い気がします。もちろんそうじゃない場合もあるけれど、それは数としては少ないと思う。だからそういうの(少ないの)を読んだり聞いたりするとびっくりしてしまって、中身の論理の整合性にもよるけれど、すぐに影響されてしまうのかな、わたしは。

 そんな感じで、中身と結論、どちらかばかりが肥大しない、どちらもしっかりした、わかりやすく面白い論文が書きたい。もちろん動機もわかりやすく提示したい。

 との思いを強くしていることでございます。


◇ 衝撃。

 「龍の作品の中ではいちばん面白いんじゃないかな。少なくとも僕はそう思ってるよ。」と言われ、「じゃあ『69』よりも面白いんですか?」と聞いたら「うん、あれも良いけどたぶんあれより面白いかもしれない。」と言われたので、そうかぁ、と思い、こないだ『希望の国のエクソダス』を買ってきました。

 何が衝撃だったのかと言うと、

文庫が出ているのにハードカバーを
買って来てしまった!(>_<。)

 という事実に気づいてしまったのです。【堅】 【文庫】

 1000円も違うよー。ハードカバーしか出てないからハードカバーで買って、大事に大事にとっておいた本が、読み終わる前に文庫で出たのを知ったときのそれよりも、はるかに大きな衝撃でした。

 文字が大きくて読みやすいです。くっ。男の子だもん。泣かないもん。

 『69』は、10代の頃に読みたかった。【bk1】

 ではでは。

2003年9月20日(土) 9月20日(土) 13:56 +0900

◇ 混みすぎだ。(x_x)

 午後5時から7時くらいにかけて行くと非常に混んでることの多いスーパがあります。営業は夜8時までで、閉店まぎわに行ったら空いてるのかと言うとそれは誤りで、やっぱり混んでることが少なくない。というかそんな時間に行ってもタマゴや牛乳、納豆や豆腐がほぼ確実になくなってるから行きません。

 今日は、きっと空いてるんじゃないかと思って午前中に行きました。

 甘かったです。(>_<。)

 それはそれは激烈に混んでました。しかも家族連れが多い。何で午前中に子どもが出歩いてんだよ! と思ったら、今日は土曜日でした。 (・_・) ショックです。土曜日は学校あるべきだと思う。しかも20日でいろんな安売りの日で、それもあって混んでたようです。


◇ さんま。

 混んで混んで阿鼻地獄なみに大変な惨状を呈していたレジを抜け(ウソ)、さんまを3尾買ってきました。もう煮ました。圧力調理したので骨までいただけます。

 「ウソ」がこの位置 ↑ にあると、(1)レジが「混んで混んで阿鼻地獄なみに大変な惨状を呈していた」というのがウソなのか、それとも (2)わたしが「レジを抜け」たのがウソなのか、どっちなのか、判断に少し迷います。混乱を避けるために解説しますと、後者がウソで、実はまだレジを抜けられず、仕方なくレジへ続く行列の半ばあたりで待ちきれなくなって日記を書いております(ウソ)

 「ウソ」がこの位置 ↑ にあると、(1)「実はまだレジを抜けられ」ていないのがウソか、それとも、(2)「レジへ続く行列の半ばあたりで待ちきれなくなって日記を書いて」いるというのがウソか、判断に少し迷います。解説しますと後者がウソでして、今の石田はレジへ続く行列の半ばくらいにいるんですが、でもココで日記を書き始めてしまったというのはウソです。

 上の記述、まんべんなくウソです。

 自分で読み返してもあんまり面白くないです。すみません。

 ちょっと疲れてきた。

 そう、さんまの話です。さんまというか、お魚の調理の話です。

 魚を焼いたのも煮たのも、食べてるときは全然そんなこと思うひまないんですが、おなかに水を入れてじゃぶじゃぶ洗ったり、しっぽ切ったり、胴体を筒切りにしたりしてると、「やっぱ生きもの殺して食って生きてんだなあ」という実感がすごくしました。

 普段はいろいろな感覚がキハクです。

 キハクといえばですね。

 「小麦色」が本当はどういう色かご存知ですか? わたしはよくわからなくなってしまいました。こないだ勉強会でそういう話が少し出て、「いま一般的に使われているような〈小麦色〉の指している色と、色見本などで示される正式な〈小麦色〉の指している色とは少し違う色になっている」という小ネタをいただきました。

 実ってきた頃の穂の色だとおっしゃっていたので、陽に焼けた肌なんかを指して言う「小麦色」より、かなりキハクなんですね、本来の「小麦色」は。

 わたしがわからなくなったのは、小麦に色なんてないというか、あるにはあるけど茶色ばっかりじゃないじゃん、ということでした。

 小麦はその多くの時期を緑色で過ごします。「小麦色」の期間は非常に短く、また、茶色い時期だってすごく短いです。それなのに茶色の一部の色を「小麦色」と言うなんて‥‥。

 ‥‥あれあれ「茶色」も変だな。「烏龍茶色」ならわかるけどお茶って、お茶って、抹茶色と茶色は違いますね。さらにややこしいことに「抹茶色」と「真っ茶色」は音が同じですね。汚職事件・お食事券なみに同じですね。

 寝ます。お昼寝ターイム。


2003年9月20日(土) 9月21日(日) 4:50 +0900

◇ 来週終わり?

 SEED、オープニングでは「来週の最終回は17:30からの放送です」という告知が出て、次週予告では「次回、」とだけ出ました。終わるんだよな?

 戦争モノなのでそういう展開になるのは仕方ない気もしますが、ここに来てばたばた逝きすぎな気がします。個人的には生き残ってくれるもんだと思い、それで納得してた人が一人逝ってしまい、ちょっとわからなくなってきた。まあ一年戦争と同様、きっと戦争が終わって終わるのでしょう。今はそれしかわからないです。

 たたみかけるなあ。

 そんな感じです。誕生日おめでとう。

2003年9月19日(金) 9月20日(土) 9:35 +0900

◇ 自転車はどこだ。

 最近日記の更新が変な時間になってます。

 『デューン』を読了後、一時間だけ眠って『座頭市』を見に行くつもりでベッドに入りましたが、コーヒー飲み過ぎたのか、ぜーんぜん眠れませんでした。なのでそのまま映画館へ行きました。

 MOVIX京都 【公式サイト】 の、いちばん広くて音響もいちばん良い劇場での上映でした。以前行ったときは広い広い駐輪場があったからそのつもりで自転車で行ったら、駐輪場は新しいビルを建設中なので消滅してました。建物の脇にあった不自然に広いスペースには自転車が一台も停まってませんでした。注意を促す看板があって、でもその記述がよくわからなかったので受付で聞いたら、「あそこにお停めいただいているなら大丈夫です」的に言われた(ような気がした)ので安心して映画を見ました。

 出たら、綺麗になくなってました、自転車。どこへ持ってったんだ! と受付に聞いたら、係のヒトが来て、移動させたところ(従業員専用スペース)に連れてってくれました。

 よくよく聞いたら、駐輪所は公式には現在ないんだそうです。いろんなところにも、たとえば新聞にはそのように出しているんです、というふうに言われました。満面の営業スマイルだっただけに、逆に「確認しないで自転車で来たお客さんが悪いんですよ!」と言われてるような気がしました。一応、謝って出てきました。

 でもおれ新聞とってないんだなあ。情報誌も買わないし。そしてサイトのどこにも書いてないんだよね。なんか非常に腑に落ちない気が。


◇ 座頭市。

 平日の午前中、第一回の上映でした。上に書いたようにホールはいちばん大きいところで、座席は半分以上埋まってました。北野武監督とは思えないほどの混み方である。隣の席にはおじいさん、後ろの席には何度やめてけろと言っても座席を蹴ってくる外国人が座ってました。ぶつぶつ。二人とも泣いたり笑ったり反応がダイレクトで、そっちも少々面白かったです。しかし、映画のどこで泣かれても全然気にならないんですが、質の低い笑いはちょっと苦手です。

 はい、映画の内容はですね。しっかりした時代劇ストーリィで、素っ晴らしくわかりやすく、これまた北野監督作品とは思えませんでした。大杉蓮が出てこず音楽も久石譲じゃなかったのも、今までの北野映画とは違ってました。

 面白かったからなんでもいいんです。(^▽^)


◇ au。

 TSUTAYAが半額なので『砂の惑星』DVDを借りて来ました。携帯でクーポンを出そうとしたら、何か ez-web の設定が変わってしまってました。画面がなかなか出てこなくて困っていたら、隣にいた女性が教えてくれました。ちょうど同じ携帯だったので非常にスムーズな。女性から親切にしてもらうと実物以上にかわいく見えることがどうも多いので、ちょっと注意が必要です。いやいや、すごくありがとう。


◇ 砂の惑星DVD

 TVで放映されたという「長尺版」を借りてきました。文庫で4冊あるモノをたった3時間にまとめようなんてハナっから無茶だし、SFXは20年前の技術だし、あまり期待せずに見ました。目当てはスティング。

 いちばんびっくりしたのは画像の粗さです。画面も映画の横長サイズじゃなく3:4だったから、どうもTV放映したまんまの形・画質らしい。

 でもストーリィや人物設定の変更は我慢できる範囲内だったし、シャイ・フルド(400mくらいの長さにも成長する、アラキスの砂虫。口はパカッと三つに開く)はちゃんと怖かったし、綺麗であるべき女性は綺麗で、格好良くあるべき男性は格好良かったし、スティル・スーツ(砂漠で生き抜くための特殊な服。汗や排泄物など水分を濾過してたくわえる。ナウシカの「蟲使い」や「森の人」を思い浮かべれば良いような気がする)もデザイン良かったし、特撮だって当時のものとしては考えられる限りのことをやってたと思うし、CGで目がチカチカするやつよりわたしはこっちの方が好きです。期待は良い方に裏切られました。

 スティングも格好良かったです。ちゃんと役者として演技できてました。殺陣も上手かった。ただ、青いビキニパンツ一丁で現れたシーンは意味がよくわからなかった。「ホラホラ格好良いだろ?」ってことだけだったのかな。腹しっかり割れてました。びっくりでした。今は格好よさげなおじさんだけどあの頃は格好良い青年だったのね。

 という感じです。

2003年9月18日(木) 9月19日(金) 17:00 +0900

◇ 読了。

 『砂の惑星』を読了しました。多くは語れませんが、面白かったです。読みながら何度も左ななめ前に目をやり「最近これより前にワクワクしたのって、いつだったっけ?」と思わずにはいられないくらい面白かったです。

 浪人してる頃にスティングのファンになりました。大学に入って友だちとスティングの話をしてたとき、スティングが映画に出たことがあると聞いてひどく驚きました。『Band is born』という、ライブその他スティングの魅力満載なビデオを見た感じでは、とてもハリウッド的な演技が出来るようなヒトには思えなかったからです。って失礼な。そして『砂の惑星』に出てると聞いて、さらに驚きました。

 『砂の惑星』の映画はTVCMを見たことがあるだけで、本編は見てません。でも巨大なミミズみたいなのが茶褐色の空と茶褐色の地面いっぱいにのたくってるシーンが強烈に脳裏に焼き付いています。あんな茶色い映画のどこにスティングが出てくる余地あるってんだ! と、わたしは思ったわけです。

 『Desert Rose』って曲はあるけど『砂の惑星』とは関係ありません。

 『砂の惑星』の小説、挿絵じゃなく挿写真がいっぱいです。映画の中から少しピックアウトして載せてくれてます(何をどの角度から見た写真なのかがわからないやつも一部にはありますが‥‥)。その中にスティングのアップがありました。「おぅ本当に『砂の惑星』に出てたんだ! こんなに大きな写真ってことは、結構重要な訳なのかな?」と期待しつつ検索してみたら、 ‥‥主人公でないことはわかりました。体力を使いそうな役であることもわかりました。

 どんな演技してるのかなあ。気になります。

 音楽は全然スティングが担当じゃないんだそうです。TOTOらしい。TOTOが来日してトイレに入ってすんごいびっくりしたという話は、何に書いてあったんだったかなあ。どこのトイレに入っても一つ残らず「TOTO」って書いてあるから「日本のTOTOも頑張ってるやん!」と思ったとか思わなかったとか。

 わたしとしては、TOTOという名のバンドが存在しているということを知ってひどく驚いたものです。バンドがどんな音楽をやってたのかは今もまったく知りません。陶器っぽい音なんてことはないよなあ。

 デヴィット・リンチが監督なんだそうです。意外です。「監督が何も恐れずに自分のイロを出し、完全にポシャった。しかし‥‥」という感想も見ました。そういえば、『A.I.』はスピルバーグの思い入れが強すぎて、やりたいことをやりたいようにやってしまったからヒットしなかったんだ、という分析を聞いたことがあります。撮りたくて撮った映画と売れる映画とは別物だ、ということなんでしょう。その好適な例がプリンスですね。プリンスの撮った映画は音楽以外てんであかんのだそうです。幸いにしてまだ見たことはありません。たぶん、音楽の超絶的な質とストーリィその他の質とのギャップを楽しむ純然たるコメディ映画だと思って見れば、きっと泣かずにすむのでしょう。

 プリンスと言えば、最近出たやつはまだそんなに聴いてません。声が聞きたかったのに楽器ばっかりだったから、正直ちょっとがっかりでした。相変わらずねちっこかったのはすごく嬉しい。


◇ そのような。

 そのような感じです。

2003年9月17日(水) 9月18日(木) 2:34 +0900

◇ いっそムアドディブ。

 どうも。

 『砂の惑星』、昨日のうちに第2巻を読了し、いまは第3巻を読んでいます。良いです。単なる暇つぶしのモノにすぎない空想科学小説をひさびさこんな熱狂しながら読んでます。なんであれ小説なんて暇つぶしのモノにすぎません。教訓や警句、「真実」だけを求めて読む読み方を中学生の頃にあきらめてからこっち小説を読むのが非常にラクでたまりませんです。それら(教訓や警句、「真実」だけ)を求めてそれらばっかり気にして読むのか、それとも、極力何も考えず本の中には現実世界のように真っ黒・真っ白な口を開けて「唯一絶対な未来」的なものだけが待っていることを知りながら読むのか。

 わたしにとっては、この違いだったんだろうなあ。

「恐怖は心を殺すもの。恐怖はすべてに忘却をもたらす小さな死。ぼくは自分の恐怖を見つめよう。それがぼくの上を、ぼくの中を通りすぎていくがままにまかせよう。そしてそれが通りすぎてしまったとき、ぼくはふりかえって恐怖の通っていった道を見てみよう。恐怖が去ってしまったところ、そこには何もない。ぼくが残っているだけなのだ」
フランク・ハーバート著 矢野徹訳 『デューン 砂の惑星』 ハヤカワ文庫SF
第3巻 P.80 ポウル・アトレイデの言葉 (ベネ・ゲセリットの祈りの文句)

 格好いいなあ。。(>_<。)。。

 「何もかもわかって行動してるヒト」の出てくる小説、大好きです。作者が地の文の行間にそういう態度を装って書き連ねた小説も同様です。しかし途中でそれが破綻するタイプの小説は、変わらず大好きだったり大キライだったりです。

 その間(はざま)がどこにあるのか? と考えるに‥‥。

 能動的に破綻させたのか、それとも筆がすべって破綻してしまったのか。その違いは最重要です。また、破綻してしまったにも拘わらずその文章群は妙(たえ)なる高みへと達してしまったのか、否か。それも最重要です。

 とにかくコレは非常に良い感じがします。どうりで今年の5月にも増刷されるわけです。日本語を母語とする人間の一人として(つまり非常に個人的な感想として)、ハヤカワがあって本当によかったです。

 もちろん東京創元社にも感謝しております。子ども向けじゃない(無論クライトンであるはずがない)『失われた世界』 【bk1】 を初めて読めたのも、トゥエインの超絶ファンタジー『アーサー王宮廷のヤンキー』 【bk1】 を読めたのも、どちらもわたしは東京創元社のおかげでした。 ‥‥版権の問題かもですね、たぶんどちらも。

 だからと言ってビートルズの曲を聞くたびにマイケル・ジャクソンに感謝するつもりにはなれん。

 ‥‥と書いて、「ビートルズの楽曲の版権はすべてマイケル・ジャクソンが保有している」と聞いたのが10年前なので、最近どうなってるかなと心配になって検索していたら、こういうのが出てきました。すんばらしい。【顔】 左下はもうすこし横長の方が良いと思うかもだぞぅ。

 そして、版権がいまどうなってるのかはよくわからなかった。


◇ "いたみ"と"あゆみ" 

 「いしだあゆみ」なんて書いてはありません。

 専門学校に通っていたときにお世話になっていた先生の御自坊でずっとやってる『論註』の勉強会に参加させてもらいました。

 原文をちくちく読んでいく講義と、それに関連した質疑応答、というスタイルの勉強会で、専門学校のときに別の先生から受けさせてもらっていた講義より はるかにわかりやすくて、イメージもふくらんで、自分で傍線を引けるくらいには理解が深まるという、講義の内容も雰囲気も、どっちもすごくほっとできる勉強会でした。

 「往生浄土」の意味を、もう少ししっかり我が身にひきあてて考えて、それでいて自分の理解とは独立した理念としてももう一度考えてみないとならんのだな、という感じになりました。それが"いたみ"と"あゆみ"ということなのかな、みたいな感じがしています。

 帰りにTSUTAYAに寄りましたが、やっぱり『STAND ALONE COMPLEX』は借りられていて一枚もありませんでした。DVDの完結はかなり先なので、ゆっくりゆっくり見ていこうと思います。

 という感じの今日このごろです。

 では。

2003年9月16日(火) 9月17日(水) 1:55 +0900

◇ ひとこと。

 コンビニで烏龍茶とUCCコーヒー、キャラメルコーンを買いました。なんか少し多いような気がするな、と思いつつ払って店から出て、自転車のカゴに積んでレシートを見たら、買った記憶のない、袋の中にもないジョージアがカウントされてました。中に戻って店員さんの前に袋の中身を全部出して並べ、レシートを見せて、バックしてもらいました。

 店員さん、なんで一言も謝らなかったのかなあ。


◇ 朝には紅顔ありて

 を借りてきました。【bk1】 実家では3冊買ってあるので(1冊は家族が読むため。2冊は有縁の方に貸して読んでもらうため)、わたしが買うこともないでしょう。かなり売れてるし。

 わたしの立場としてはウソでも褒めちぎるしかないような著者の本ですが、ウソっぽくない書評が書きたいものです。講演録とかを読んだ限りでは、ご門主さんって言葉の選び方がべらぼうにうまいという印象があります。そのへんが発揮されてると嬉しいです。


◇ デューン。

 帰省してるとき、姉にたのんで地元の本屋さんで聞いてもらったら「そんな古いのはもうありません」的に言われたフランク・ハーバート著・矢野徹訳 『デューン 砂の惑星』 ハヤカワ文庫SF 【bk1】 の第2巻以降を京都の本屋さんで購入しました。

 はたして、奥付には「2003年5月15日 改訂版11刷」と書いてあります。

 なーんも(−_−)古くないやん。

 古くてもなんでも、良いものは時を超えて増刷されるのです。ハヤカワがある限り日本語で読めるSF秀作は不滅なのです。表紙の写真やタイトルの書体が古くさいからといって甘く見てはいけないのです。

 ボーリング場が閉店し、その内部を全部本棚にして開店した、地元に初めて出店してきた全国展開規模の書店(TSUTAYAじゃないですよ、念のため)ですが、あの本屋さんには勝ったような気がします。二度と負ける気もしません。「その勝敗は何で決まるのですか?」

 売り場面積ではなく品揃えの豊富さ・独特さ・アクの強さで勝負して欲しいです。ということで、こないだオープンした(らしい)ヴィレッジ・ヴァンガードには是非とも頑張ってほしい。

 ‥‥みたいな。

2003年9月15日(月) 9月16日(火) 3:35 +0900

◇ 見そびれずにすんだ。

 洗濯物を取り込みに行ったら、誰か別の部屋の人が布団を干してました。わたしも火曜日、晴れたら数時間でも布団干そうかな。

 今日が今日なので、NHKがせんならんという必然性がいまいちつかめない特番が入って、『ニコニコ日記』 【NHKによる公式サイト】 が0:49からの放送になってしまいました。ずーっと待っといて、見そびれなくて良かったです。

 耳寄り情報。今なら上のサイトから壁紙がダウンロードできます。

 多分ネットやパソコンのことわからない人がいっぱいアクセスして来て、NHKだから丁寧に答えてもらえるんじゃないかなーって安心するのか、きっと質問攻めなんでしょう。回答・説明がすっごい丁寧で、でもあんまり答えられていません。面白いです。

 『ニコニコ日記』、原作はマンガなんだそうです。【bk1】 絵が乙女チック(死語)でちょっと怖い感じがします。そんなわけで木村佳乃にはあんまり似てないですね。


◇ マクロス zero。

 TSUTAYAに行って借りてきて、↑というのを見ました。サイトは 【こちら】 。こういうフラッシュ良いですねえ ‥‥ 。TV版『超時空要塞マクロス』の前史だそうで、輝もミンメイも今のところ出てきてませんが、かろうじてフォッカーが出てきました。声は20年前と同じ神谷明がやってます。この人はすごいなあ。でも顔が全然違っててちょっと違和感。

 バルキリーや戦闘シーンはCGで出来てます。セルアニメとCGの橋渡しが少し戸惑い気味な、よくある感じです。しかしすんごい綺麗で、こういう技術があったときにホンモノをやれていたらなあ、という感じがします。『zero』はちょっとどう転ぶかわからない感じがするので、わたしとしては様子見です。たぶん『機動隊』ほど熱心に借りることはないんじゃなかろうか。1枚30分しかないってのは微妙です。

 いやいやわからんですけども。
 ちなみに『機動隊』はこないだに引き続きまったくありませんでした。


◇ 殿試。

 友だちから電話がかかってきました。秋の殿試を受けるんだそうです。わたしは春に受けたので、参考になることが何かあるかなという、そういう感じでした。ただ先に受けたというだけで何も持ってなくても少し「先輩」っぽくなるというのは不思議です。とにかく

  • 事前の講習を受けましょう。
  • 時間あると思っていてもすぐ本試験の日が来る気がします。
  • 天井に本がいっぱい描いてある部屋で本試験があります。
  • きっと試験の雰囲気にのまれることでしょう。
  • 受けたことのある人にアドバイスを求めたら、みなさん一様に「せめて【出拠】だけは完璧に記憶して受験しなさい。じゃないと確実に落ちます」とおっしゃいました。
  • 筆記と口頭試問の間の時間が大事です。
  • 口頭試問の時、先生方は全員答案のコピーを持って、それを参照しながらこちらに質問してきます。焦りますことでしょう。
  • 落とすための試験ではなく通すための試験らしいです。
  • 受かったら申請その他でお金いっぱいかかります。

 という感じのことを、思い出すままに伝達しました。
 役に立つことができれば良いですね。

 今日はそんな感じでした。

2003年9月14日(日) 9月15日(月) 9:25 +0900

◇ 「もう15日か」と言って焦る。

 9月も15日になってしまいました。

 そういえば10月1日までに何とかやってしまっておかなければならないことがあるので、今日あたりから、もう一度、メールを出したりし始めるのだと思います。

 読み合わせはオンラインよりオフラインの方がずいぶん良いです。丁寧に手順を書いても誰も反応してくれなかったり、反応してくれたと思っても「例」のような手順でやってくれることを期待してるのに「例」にしか反応してくれなかったりで、自分の文章力のなさにかなり凹み、それで夏休みは終わってしまおうとしています。

 いくらやっても本番ではかなり突っ込まれるのだから、もうこの時期に来たらカタチをひとまず整えることに集中すべきであり、他には何も考えずにいて良いんでない? という気がしてきました。うん、22日月曜日にレジュメを発送するためには、今週中に終わらせないとならんってことなのであります。

 ‥‥なんだ、それなら何とかなる気がする。(をぃ)

 去年はそんなに大変じゃなかったのに今年はこんなにしんどいというのは、それはつまり班長がわかってる奴か否かという違いなのだろうと思います。

 もちろん今年の班長はわたしです。


◇ 洗濯する。

 洗濯して屋上に干して来ました。今日は雨の予報はありませんが、たまになんの前触れもなく土砂降りになるので注意が必要です。 ‥‥ まあ降ったら降ったです。そのときは泣きながら取り込んでもう一回洗濯してもう一回晴れてるときに干すか乾燥機を回すかすれば良いだけの話です。出費が600円増えるくらいなもんです。どってことはありません。

 どうして急に強がったのか自分でも不明。


◇ 誕生日。\(^▽^)/

 上戸彩が18歳になったそうです。めでたいです。【公式サイト】 には何も書いてないっぽいですけど、きっとそのうち日記にそういうことが書かれるでしょう。

 恐らく今月中にガンダムSEEDが完結します。最近毎回欠かさず見てるTVプログラムは『SEED』と『ニコニコ日記』だけなので、とっても寂しいです。ニコニコの方も今月中に間違いなく終わりそうです。

 いやそういうことが言いたかったのではないのです。

 SEEDの時に上戸彩が毎回違うCMをやってるんです。ほんとです。一回だけ焼き直しの同じのを放映したことがありますが、それ以外は毎週・毎回違うんです。SEEDが終わったら毎回変わるあのCMがなくなるということなので、それがひどく寂しいです。

 SEEDを見はじめる前は上戸彩なんてわたしの心の中にカゲもカタチなかったのに、ガンプラのCMを見始めた時だって「誰だこの女?」と思っていたはずなのに、次第に「不器用そうだな?」から「この子がプラモ作るなんて心配だな。おじさんが手伝ってあげようか?」みたいな感じになって、終わりかけの昨今では心に格別の位置を占めるまでになってしまいました。

 つくづくわたしは単純である。

 中学の時に解いた英語の長文読解の文章にあった内容があまりに真実っぽく思えて記憶して、それを何人かの友だちに何度かそのまま言って、そのたびに同意してもらったり反論してもらったりしてますが、ええと。

  • 男は同じ時空をどれだけ多く共有したかで相手の重要度をはかる
  • 女は同じ話題をどれだけ多く共有したかで相手の重要度をはかる

 ということなのだと思っています。みもふたもない言い方をすれば「情が移る」ってやつです。男が女のアイドルを好きになるときもそれに近くって、一目惚れもあるんでしょうが、多くは「見慣れた」≒「擬似的に同じ時空をいっぱい共有した」、が最大の理由なんではなかろうか。少なくともわたしはそうなんだろうと疑ってます。高校生だった時に友だちが別の友だちから「こいつってちょっと一緒にいた女の子をすぐ好きになるんだ」って言って笑われてて、わたしも一緒になって笑ってましたが心の中では「あ、俺もそうだわ」と思ってました。

 じゃあ女性が男のアイドルを好きになる時って理由はなんなんだろ。きっと一目惚れなんでしょか。というか男のアイドルって誰だろう。

 なまんだぶつぶつ。では。

2003年9月13日(土) 9月14日(日) 3:25 +0900

◇ 書評追加。

 書評、というか本の紹介、三つ追加いたしました。それぞれ「本の紹介」のページをどうぞ。『社会をつくる仏教』 【bk1】 ("諸宗教・真宗"に分類)と、『これから論文を書く若者のために』 【bk1】 ("その他"に分類)と、『安楽死のできる国』 【bk1】 ("生命倫理"に分類)です。特におすすめは、 ‥‥ 全部ですね。

 『社会をつくる仏教』の表紙は焼身供養をする僧侶、『これから論文を書く若者のために』の表紙はベガルタ仙台、『安楽死のできる国』の表紙はシンプルに字ばかり、です。それぞれスタンスがよくわかる。ということにしておこう。

 3冊ともほんとにおすすめです。対象は限定されるのかも知れませんけど ‥‥ 。


STAND ALONE COMPLEX

 攻殻機動隊の新しいのが、ずーっと前から始まっています。『STAND ALONE COMPLEX』 【サイトはこちら】 です。菅野よう子氏による音楽集 【Amazon.co.jp】 は以前から聞かせてもらってますが、映像はまったく見てませんでした。

 それを、ついに借りてきて見はじめております。本当は『ラーゼフォン』 【こちら】 のDVDを借りに言ったらビデオしかなくて、手ぶらで帰るのがいやだったので『バイオハザード』と一緒に借りてきたという、そういう感じです。。『バイオハザード』は、(1)主演のおねいちゃん(ミラ・ジョボビッチ)が綺麗だった (2)時々びっくりさせられた、ということ以外に特筆すべき事項は一切ないと思います。

 26話完結で、放映の方はもう完結してるんだそうです。DVDはいま9枚目、18話まで出てます。2枚目まで見たのでTSUTAYAに続きを借りに行ったら、今週はクーポンで半額になる日だったので軒並み借りられてました。しかし3枚目は借りることができたのでよしとしています。

 内容は、こりゃー完全なる「刑事モノ」です。映画の設定を無理なく(う?)引き継いだ刑事ドラマ。非常に良い感じです。そうかそういえば映画も映像は派手、台詞は無意味だったけど、フツウに刑事モノだったか。

 4枚目の特典は菅野よう子氏のインタビューです。本編もいろいろ進み始めてるので楽しみです。にもましてインタビューの方も楽しみです。 (^_^)

 という感じです。

2003年9月12日(金) 9月13日(土) 7:45 +0900

◇ 大将軍。

 「天下の焼肉 大将軍」という看板のビルが、京都の四条大宮界隈にあります。京都に来てからずっと、看板やビルがよく目立つこともあり、市バスなどで前を通るたびに気にしておりました。看板には「焼肉」と書いてあったり「サウナ」と書いてあったり、何がメインなのかちょっとよくわかりません。

 京都に来て何年も経ちますが、金曜日の夜に初めてそのビルに入り、若干迷いつつ二階へ行って、そこで焼肉を食べました。地元でも京都でも「食べ放題2000円!」とか「寿司もお汁粉もラーメンも焼肉もパンもすべて食べ放題で1600円!」なんてのを食べ慣れたわたしにはびっくりする値段でしたけど、なぜかおごってもらえたので問題なしです。そして値段はあんまりウソをつかんのですね。非常に美味しかったです。

 別口でサウナもやってるようです。ヤフーで検索した情報によると 【ココ】 、サウナと焼肉、両方やってるみたいです。悩むことはなかったわけだ。

 検索して初めて知りましたが、京都には「大将軍」という地名があったんですね。小学校もあります 【ココ】 。焼肉屋さんのある場所とはちょっと違いすぎます。もとは大将軍にあった焼肉屋さんが大宮に移って来たのか、それとも地名はまったく関係ないのか。公式サイト 【ココ】 を見てもよくわからないままです。

 おいしかったから、良いか。ごちそうさまでした。


◇ 深夜のファミレス。

 ひさびさに深夜のファミレスへ行きました。12時前に出ちゃったから深夜度は低いかもですが、でも多分まったく深夜です。野郎二人でコーヒー飲んだりティラミス食べたりパフェ食べたりしてました。周囲、みなさん非常にうるさかったです (x_x) 。なんであんなに元気なんだろう。わたしたちはだいぶ静かでした、たぶん。


◇ データの移動。

 実家で撮った写真のデータとか、実家で作ったフラッシュのデータとかを、今日やっとノートからデスクトップにコピー&ペーストしました。いまちょうど後輩から外付けHDDを借りてるので、「コレ使えば1ギガくらいすぐ移動できるじゃん!」と思ったのが直接の理由でした。しかしノートはOSがWindows98のSEなので、ドライバを入れないといろいろなものを認識してくれません。ということで、ちょっと無理でした。なので結果的にはMuVo 【コレ】 (ただし石田が持ってるのは液晶ディスプレイとアームバンドはついてません。マイクもなし。)を5回くらいフォーマットしながら、まるで時間のかかる方法で移動させました。

 ずっとやらなきゃならんと思っていたことの一つなので、ちょっと気が楽になりました。まあ、こんなのよりもっともっと大事なことがあるんですけど。。。。

 うん。

 追伸。【佐々木大悟のページ】 をリンクに加えました。大学院の後輩です。日記のようなエッセイのような文章と、あまりに宗門的な話題とも思える掲示板が楽しいです。ウォン・カーウァイが好きな奴に悪い奴はあんまりいないと思っていますが、その確信が少し増しました。 ‥‥ 『新しい単位』 【bk1】 ってマンガなのかな?

 では。

2003年9月11日(木) 9月12日(金) 10:40 +0900

◇ 戦場のピアニスト。

 を見ました。面白いというかなんというか、やっぱり見ていてやりきれなくなりますね、ユダヤ人の悲劇を扱った第二次世界大戦ものは。50年以上経った現在もハリウッドで未だにこういう映画が作られているのは(いや『戦場のピアニスト』はハリウッドじゃないですよ、念のため)、一つには、あのとき何もできなかったことへの贖罪の意味合いがある、ということを聞いたことがあります。贖罪が無理なことだけに、ずっと贖罪するという。

 歴史を風化させないために注意を喚起し続けることと、あまりに同じようなものばかり作ってしまって客が飽きてしまうことと、客が飽きないように従来とは違った角度からの観察をどんどん発掘して映像化することと、より現実っぽく描くためにどんどん刺激的な手法を取り入れて悲惨さが増大してホラー映画みたいになることと、 ‥‥映画の中身が伝えるメッセージとは全然関係のない、そういうどうでもいいことがちょっと気になってしまいました。

 メッセージとしては、以前ある先輩が言っていたまんまだったと思います。つまり歴史に材をとって「狂気の中の正気」について描いているのでしょう。対比すべき「正気の中の狂気」を描いている映画として先輩が挙げていたのは、『鬼が来た!』でした。

 本当にそんな感じです。うまいことを言う。

 そして今日は11日だったんですね。日本時間12日、アメリカ11日夜のMLBを見ていたらぜんぶ半旗になっていて、それで思い出しました。911ももちろんかなり大きな事件でしたが、その2年前の同じ日に友だちが死んでしまったことも、個人的にはやっぱりすごく大きな事件です。

 一つひとつの死の周辺にはいくつもの思いがからまっているから、単純に数で比較しない方がいい局面もあると思います。奇妙な比べ方をしないですむような感じでいきたいです。

 そう言いながらちょっとした比較をしてるような気がしてきたぞ。


◇ スキャンスキャン。

 ココじゃないところのために書評を書きました。
 (もともと書いてあったやつを編集しただけかも。)

 表紙画像が必要なので、昨日デジカメで撮影しました。8冊。「立体的に見えるからこっちの方が良いよ」という感じで、たぶん写真の方が採用されます。しかし今日念のためにスキャンもしておきました(わたしが写真に撮るよりスキャンした方が今のところだいぶ綺麗ですです)9冊。ん?( ̄〜 ̄;) 数が合ってない。

 それで初めて、一冊撮り忘れてたことに気づきました。仕事めいたことの詰めの甘さは10年前となんもかわっておりません。決定機を逃すとか、決定力不足とか、そういう感じです。

 まあ気づいて良かった。ちょっと面倒くさいけど‥‥。


◇ 今日も暑そうです。

 うん、やっぱり今日も32度くらいになるらしい。これはそもそも「残暑」と表現すべき現象なのでしょうか。もちろんコヨミでいけばこの時期の暑さは「残暑」と表現すべき暑さです。しかしわたしたちはひょっとするとコヨミの上での「残」に必要以上にだまされてぶつぶつ言ってるに過ぎなくて、地学的にはあったりまえに暑い時期なのかも知れないですね。

 ぼーっとしているのは暑さが理由だけではない今日このごろです。

 はい。では。

2003年9月10日(水) 9月11日(木) 15:10 +0900

◇ のみました。

 友だちが京都へ帰ってきたので、集まって飲みました。

 まず焼鳥をいただきながら二人で飲み、そのあと友だちの部屋で合流して飲み、最後にはラーメンをいただきました。途中からどうも言葉足らずなことを言っていた記憶がいっぱいです。

 ということで、今(11日の午後)も少し疲れています。

 二日つづけて飲むと疲れますね、さすがに。

2003年9月9日(火) 9月10日(水) 1:55 +0900

◇ かみなり。

 一回で終わらそうと思って努力していれば一回ですんだはずの用事が、提出書類不備のために一回で終わらなくなったので、洗濯物を取り込んでから大学へ向かいました。途中、進路を南へ向けてふと空を見上げたら、変な雲がありました。

 きのこみたいな感じでした。地震の直前に変な雲があらわれることがあるんだそうですね。だからそれを思い出しました。なんにせよ直前に現れて「あの雲変だね」「地震雲かもね」などと言われてそのまま直下型地震が起こったんでは逃げる間もないわけで、まったくなんの意味もないなと思いつつ、傘も用意せず、そのまま大学へ向かいました。

 書類を記入・提出して外に出て、もう一回空を見上げたら、いくぶん成長した感じの同じ雲が、まっったく同じ場所に見えました。すごく太い円柱のカタチでした。光ったように見えました。

 その後、実家から出てきている父と飲みました。暑いね、とか、歩くのはつらいね、とか言いながら、聞法会館から蔵倉まで歩いたんですが、そのときも、まんまるな月の右にはその円柱形の雲が見えていました。見ていたら光る光る。下ではどんなことになってるんだろう、と少し心配しながら、蔵倉へいったわけです。

 蔵倉、相変わらずおいしいです。やっぱり日本酒にはお刺身や焼魚が似合います。げその唐揚げがメニューにないというのは初めて知りました。なんでかなと思ったら、磯辺焼きにするには少し大振りのが合うんですね。唐揚げは小振りな方が合う。 ‥‥日本酒には唐揚げじゃなくあぶったイカが合うぞと、そういうことなのでしょう。

 げその唐揚げは、たしかに、どっちかと言えばビールのつまみかも。


◇ まがた。

 帰りに本屋さんに寄ったら、森さんの新しいのが出てました。『四季 春』【bk1】 です。カバーには「乖離」という言葉がフリガナなしで踊っております。いいね。わくわくです。


◇ 激震? いやいや。

 野中ひろむ氏が引退を表明しました。永田町では激震が走った、との報道です。でも佐々木敏氏の「予言」 【ココ】 通りなので、「引退が突然でびっくりだ!」という驚きより「なぜ佐々木氏はわかったんだろう?」という驚きの方が強かったです。ついで、「あまりに不自然な理由でやめると言ってるんだからウラを考えなければならないんだけど、じゃあアレに書いてあったことは本当なのか?」という、そういう寒さが背筋をぞわぞわと走り抜けております。佐々木氏は、「この本(『ラスコーリニコフの日』 【bk1】 )が10万部売れると、ある政治家が失脚します」と、ずっと以前から明言していました。

 「この本」のわたしの書評はそれを受けて書いてあります。「書評」の「ミステリ」のところにありますので、よかったら読んでみてください。きっとわからないと思いますが‥‥。‥‥ つまり、各段落の1文字めをつなげて読むと「のなかひろむ」になります。
 とにかく、ちょっとコワいですね。政治はほんとーーにわからないや。

 そんな感じです。ではー。

2003年9月8日(月) 9月9日(火) 7:10 +0900

◇ 起き過ごしています。

 どうも、石田です。いまは9日の朝7時近くです。変なこと頑張っていて、それで寝そびれちゃいました。ちょうど晴れてるし洗濯しようかな、と思って共同洗濯機を見に行ったら、皆さん考えることは同じなんですね。一人洗濯していて、もう一人待ってました。なんだいなんだい。頑張るぞ。何を。


◇ なぜこんなに六花亭が‥‥。

 木村佳乃主演の『ニコニコ日記』というドラマを見ています。月〜木の夜11:00から、NHKです。タイトルが異様ですが内容も異様です。ストーリィそっちのけで子役の演技がすばらしい。木村さまは良い演技と悪い演技がはっきり分かれておりまして、なんかこう、ええ。

 とにかく、月曜の放送では、主人公(木村さま)を心配したお母さんが実家からおみやげをたんまりもって上京してました。そのおみやげが、もんのすごいコアな六花亭三昧でした。マルセイバターサンドは定番だから当然なんだが、ネットで販売してるとは言ってもあんまり全国的には有名じゃないと思える「十勝日誌(全)」まで持ってきてました。

 まあまあ、そういうのが嬉しいわけですねわたしは。しかしその二人がソレらをさっそく開けて食べているように見えたシーン、何をどうやって食べてるのか全然わからなかった。今月のお菓子だったのだろうか、はたまたクランベリーのスイートポテトでも別口で買ってきて、それを食べていたのだろうか。うぅむ。


◇ さんまの筒切り。

 さんまを3尾と、酢、酒、生姜を買ってきて、砂糖、醤油と一緒に煮ました。最初は酢水で煮て煮汁を捨て、それから調味料を入れて圧力調理15分、そののち冷ますという、非常に簡単な作業で骨まで食べられました。

 しかし一人で3尾というのは多かったです。いくら魚でもそんなに食べると胃もたれがしてきます。今後は気を付けます。しかし今年のさんまはほんとにほんとに脂がのっていて非常に美味だと思います。わたしのインチキ調理でも脂がどっかいってしまわないんですねえ。臭みは抜けたけど脂は抜けない。すばらしい。

 ほんとのこと言うとさんまは焼くのがいちばん好きです。でもうちにはグリルがないので、贅沢は言いません。せっかく新しい料理を覚えかけたところなので、コレを極めようと思っています、多少。


◇ 「論文」ページ、renewal。

 先日の、二日続けての学会発表を受け、「論文」のページにその二つの発表のレジュメをアップいたしました。一方は面白いです。もう一方は「こいつヤヴぁいんじゃない?」ってくらい面白くないんじゃないかと思います。

 で、なんか統一性が皆無だなあと思って眺めていたら無性に気に入らなくなってきたので、「論文」のトップページを大幅に変更、リニューアルしました。訪れてきてくれている方々の趣味に合う見栄えかどうかはわかりませんが、わたし個人としては気に入っています。お世話になっている先生方二人のウェブサイトにある「論文」リストのページに見た目が非常に似ておりますが、というより三つ子みたいな状態になってますが、それは単なる愛嬌ってやつです。

 ではです。今朝は洗濯できないかもなあ。

2003年9月7日(日) 9月8日(月) 1:25 +0900

◇ 寝過ごす。

 目ざましかけてました。でも起きたら12:00でした。目覚ましだけじゃなくメールや着信もありましたが、なーんも聞こえませんでした。キレイなもんです。なにが。

 もう一度眠りました。起きたら17:00頃でした。


◇ 父と話す。

 明日から本願寺で住職研修があるとのことで、父が今日から京都に出てきてます。夕ごはん一緒に食べました。今日は時間があったので、かつて暮らしていた京都をいろいろ回ろうと思ったそうです。しかし暑すぎて、回ろうと思っていたうちの半分も回れなかったらしい。関東も関西も残暑が厳しいんですが、北海道はあんまり残暑ないんだそうです。寒くてストーブ焚いてるらしい。

 30年も経つといろいろ変わってるそうです、京都。30年前と言えばわたし2歳ですからねえ。今はソトマワリだけは立派な大人みたいになってるから、それは変わるんだろうな。

 わたしは寝不足で、父は出歩いて、それぞれ非常に疲れてたので二人ともすぐ酔っぱらってしまった (◎_◎) 。食事はおいしかったです。「がんこ」は店舗によって雰囲気が全然ちがってて面白いですね。今日行った京都駅の店舗は女性の店員さんみなさん着物で、しかもかわいい人が多い。店の作りも凝ってたし、着実においしいし、当然のように高めの値段設定でしたが、何かのはずみでお金持ちになったら、あるいは誰かにおごってもらえるなら、また行きたいです。

 そして帰ってきて、今、9月3日からこっちの日記を書き終えたところです。学会発表レジュメの雑誌原稿化、Web化、本の紹介原稿の整理&写真撮影、講録の読み合わせ at Web 、ナウシカ、フラッシュ技術の習得、その他、やらなきゃならないことは目白押しです。でも今日はすこしゆっくりしています。

 では、です。

2003年9月6日(土) 9月8日(月) 1:03 +0900

◇ 話す。

 佛教大学へは自転車で行きました。自転車で行くにはちょっと遠めでした。立命館のまだ北、金閣のまだ北。大学構内の地下に駐輪場があるのでそこに駐輪して、会場に向かいました。

 今までに発表させてもらった学会では、ほぼ常に「あ行」「か行」「さ行」‥‥という感じで受付業務を分割しておこなっていました。しかし今回の佛教大学での受付は、スペースの都合もあったのでしょう、完全な一元管理で、多少混乱してるような印象がありましたが、まあ時間までには確実に終わるので、どぅってことはなかったです。

 発表は、天理大でおこなった発表よりは完全にマシなモノになりました。直後の質疑応答にも手が挙がりました。よかったです。更に良かったのは、わたしの発表がその部会での午前最後だったこともあって、3人の方がわたしのところに来て、いろいろな意見を聞かせてくれたことです。

 学会発表や論文には常に穴があるもんです。しかしあんまり大きな穴が空いていても、みっともないし、聞いている方は寂しくなってしまいます。だから発表する方はしっかりと、そのときの自分に可能な最大限の努力の結果を発表しないといけない。

 一応そういう発表にはなっていました。しかしその3人、いや質疑応答の時の先生も入れれば4人の方の意見を聞いて、それですぐに足りないところがいくつもいくつもわかってしまうというのは、やっぱりひどいもんだと思います。

 発表するだけじゃ何もなりませんが、その方々の意見が聞けたので、わたしにはかなり嬉しい時間となりました。と言うか、非常にずるい発表となりました。

 レジュメをアップするのはもう少し先になります。どうかお待ちください。

 発表終了後、生協でごはんを食べました。学会のせいで土曜日なのに人がいっぱい来たせいでしょう、こじんまりとした生協は多少混乱してました。コロッケ定食をたのんだら、ええと。15分くらいかかりました。先輩はうどんをたのんで、すぐ出てきたのに、わたしのが出てくるまで待ってくれていて、かなりのびてしまったのではないかと思います。すみませんです。

 午後からは先輩の発表を一つだけ聞きました。先輩も、その前に発表されていた方も、どちらも声が非常に大きかったです。寝不足の耳には響いて聞こえました。やっぱあのくらい堂々と発表したいものです。今回はわたしどっちの発表もあんまり堂々とした見栄えの良い発表はできてなかったんじゃないかと思う。

 帰りは下り坂なので、自転車は非常にラクに帰ってこれました。

 そしてやっと眠りました。

 というのはウソで。


◇ でかける。

 後輩と合流して、八尾へ法話を聞きに行きました。寝不足だったので、途中の電車の中で眠りこけて起きられなくならないかとか、ご法話がありがたすぎて眠りこけやしないかとか、いろいろ心配しましたが、大丈夫でした。つつけば起きる感じだったです。いやご法話は眠りませんでしたよさすがのわたしも。

 帰りの電車で、向かい側に子ども連れの人がいました。子どもの額に大きな絆創膏が貼られてるのを見て、後輩が「最近あれ珍しいですよね」と話しかけて来ました。個人的には、額に何か貼った子どもって、よく見かけます。熱さまシートとか貼ってるのもよく見かけます。なので何が珍しいのかなと思ってよくよく聞いてみると、「3つ目族って最近あまり見かけないじゃないですか」みたいな。

 寝不足の身にはうまく伝わってこない話でした。

 額に何か貼った子どもはやっぱり多く、その後も何人か見かけました。そのたびに三只眼なのかと思うと、ちょっと楽しくなりました。隣にいた目の細い親はきっと八雲なのでしょう。失敬だな。

 そして後輩んちでビールを飲みながらSEEDの録画を見て、プロ野球ニュースを見て、そうか今日は阪神負けていたんだ、だから電車で会った阪神ファンは一様におとなしかったのか、なんだなんだ、また勝ったんだと思っていた、応援して疲れたからおとなしかったんだと思っていたね、と話したり、まあまあそんな感じで帰って来ました。

 そしてやっと眠りました。日曜日にも友だちや知り合いが学会発表するので、一応、7時に目覚ましをかけて眠りました。徹夜が二日続くと逆にうまく寝付けないものです。しかしばたんばたんしてるうちにちゃんと眠れたようです。

2003年9月5日(金) 9月8日(月) 0:28 +0900

◇ 謝る。

 レジュメが完成したので、シャワーを浴び、着衣をそれなりに調えてネクタイを締め、レジュメを携えて部屋を出ました。地下鉄を乗り継いで京都駅からは近鉄に乗って天理へ行きました。そしてレジュメをコピーさせてもらって、発表させてもらい、ちゃんと謝って、誰からの質問も意見ももらえずに発表を終わり、他の発表者の発表を少しだけ聞かせてもらい、翌日も発表があるので、そのレジュメを創るために、ちょっと急いで帰ってきました。

 学会開催地である天理大学へは、天理駅から1キロと少しということなので、ちょっとしんどかったけど歩きました。地図をよく確認しないで行ったので迷いかけるも、目印にしていた天理教本部の建物は目立つので迷わずにすみました。良いですね、大きな建物を目印にするのは。

 とはいえ、大きな建物は近くにあるように見えても案外遠かったりします。実際、うちのアパートの屋上からは京都タワーがすばらしく大きく望めて近そうに思えますが、実際には何キロも離れています。天理教の本部も、近そうに見えて遠かったです。

 途中で、建築中の建物を見ました。作業としては土盛りをしているところらしかったです。大型重機でガンガンやるんじゃなく、「もっこ」のようなモノをかついだり、小型のリヤカーを押したりした天理教関係の人が土を運んでました。どう見てもフツウの信者さんに思えた。ということは、可能な部分は外注せずにやってるんだろうと思います。作業効率とか近代的方法とかを第一に考えるんではなく、こういう活動も含めて信仰の中に確実に位置づけることができているんだなあ、という、妙な感動を覚えました。しかもその活動によって本当に新しい建物が建っていくんですよねえ。すごいと思いました。

 ただ、朝から暑かったので皆さん少々疲れてるっぽく思えました。なんとなくですが、DHL のCMを思い出しました。

 発表が終わって帰る頃にはもっと暑かったです。きっとその暑さの中でもやはりあの作業は続いていたんだろうなあ。

 本通り商店街を歩いて駅に向かいました。天下に名高い「天理ラーメン」を探しましたが見つかりませんでした。道の途中でこれから天理大に向かうという先輩に会いましたが、彼も発見できずにいました。

 ‥‥「彩華ラーメン」というんだそうです。【ココ】 うーん。本通りからは近いけど、ちょっと遠かったな。また今度行ってみます。

 【天スタ】 というところもあります。サンクスあたりで売ってるカップ麺は彩華の通称「天理ラーメン」じゃなくこっちの「天理スタミナラーメン」のようです。

 前ココに書いたような気もしますが、なぜか十勝の業者さんが製造しています。麺は「寒干し」製法なので、乾麺にお湯をそそいだはずなのに、びっくりするくらい生麺っぽい味です。具もうまいし、カップ麺ではかなりいける方だと思います。

 まあそんな感じで帰ってきたわけです。京都駅からはバスで帰ってきて、途中でそば屋さんに寄ってカツ丼とうどんをいただきました。

 部屋に帰ってきて、徹夜二日はまずいだろうと思ったので少し眠ろうと思いました。でもレジュメが完成してから眠った方が良いだろうと思い直してコーヒーを飲み飲みレジュメを作りました。

 数時間後、内容的にも分量的にも、天理大で発表したやつよりは数段マシなものが出来ました。できあがったのは朝の6時でした。予定では朝2時頃にできあがり、7時まで眠るつもりだったんですが、ちょっと長くかかりました。でもできあがったのはめでたいことだ良いことだと考え、少しご褒美、のつもりでベッドに入りました。

 「待て待て。前日に徹夜したわたしに一時間だけ眠って起きるなんていう芸当は可能なのか??」 という、あまりに基本的な線で心配になったので、セットできる限りの目覚ましをセットしてから、もう一度ベッドに入りました。

 しかし、多少なりとも理性は残っていたようで、心配で心配でたまらなくなり、ベッドから出て、レジュメをコピーしにコンビニへ行きました。本来の予定としては、朝起きて、会場である佛教大学へ行く途中のコンビニでコピーしようと思ってました。しかしまあ、良いでしょう、早い分には。

 そんな感じで6時からコピーして、帰ってきて折り折りして50部調えて、ということをしていたら7時をまわりました。諦めもついてシャワーを浴び、コンビニで買ってきたごはんも食べて、いざ、佛教大学へ。

 ってこれはもう6日の出来事を書いてますね。眠らなかったので日の区切りが不明瞭です、このへん。でも続きは6日の方に書きます。

2003年9月4日(木) 9月5日(金) 2:16 +0900

◇ やヴぁい。

 例によって学会前でやヴぁいので日記の更新はお休みです。きっと明日もこのやヴぁさは続いています。二日続けて学会発表というのは初体験です。かつ、どっちもまだレジュメが完成していないというのも初体験です。(−_−;

 冷や汗が止まらないっス。もっと早めに準備しようわたし。


◇ 付記。(19:33)

 準備は万端ととのえてからじゃなきゃ駄目です。
 とっても失礼な発表をしてしまった。。。
 あと、朝しっかり食べないと脳がふらふらで、それもよくないです。
 そして明日も発表‥‥

 一応、今日のよりはマシなものになりそうです。


 というわけで、また。



2003年9月4日(木) 9月7日(日) 23:51 +0900

◇ 焦る。

 先輩んちで目覚めました。いつのまに眠ったのか覚えておりません。しかしいつもより激しく深く酔いが回った気がして、そこから回復するために一瞬だけのつもりで「ごろん」とヨコになった記憶があります。恐らく例によって例のごとく、なのでしょう。

 起きたら朝10:00頃でした。しかしカラダをタテにすると胃の中で溶ろけている何かものすごく奇ッ怪なモノが暴れるので、小声で少し唸りました。しばらく経ったら先輩が起きて、胃薬をくれました。よろよろしながらそれを飲んで、12:00くらいになったらさすがに回復できたので、二人で喫茶店に行って朝ご飯?昼ご飯?を食べました。

 店員さんをよくよく見たら、友だちというかバイト同僚というか知り合いというか、がいました。食べ物もコーヒーもおいしかったです。しかし二日酔いまっただ中のわたしには少し重たくて、ちょっと残してしまいました。外食で一人分の食事を残したのなんてまったく記憶ないです。

 帰ってきて、少し眠ってからレジュメに取りかかろうとしましたが、しかし眠れない。焦っているらしい。ということで冷や汗いっぱいの焦りの中、作業をケイゾクし続け、分量だけは一人前くらいのレジュメが完成しました。それがたしか、朝5時くらいでした。

2003年9月3日(水) 9月7日(日) 23:45 +0900

◇ 飲む。

 学会発表のレジュメを作成していて、いきなり煮詰まりました。先輩が京都に帰ってきていて、後輩も帰省から京都に戻って来ていると聞いたので、もう一人の後輩と一緒に4人で飲むことにしました。

 後輩2人の家は双方ともかなり雑然としているということだったので、先輩んちで飲みました。十勝ワイン「清見」、サントリーウィスキー「山崎」、ビール6本、発泡酒6本、六花亭のバターサンド20個、わたしが地元で買ったおいしいソーセージ12本、‥‥という感じでした。

 わたしは例によって途中ですごく声が大きくなっていたのをうっすらと覚えています。煮詰まったレジュメ的状況を打開しようとして、他の人の意見を聞きたくて飲み会をしたはずだったのに、そういう内容のことはピクリとも話し合われず、ただただ飲みました。それはそれで全然よかったんです。楽しかったし。しかしこれは少しまずいぞ、と、今は思えますが‥‥。

2003年9月2日(火) 9月3日(水) 3:45 +0900

◇ 読了。

 京極の『陰摩羅鬼の瑕』(おんもらきのきず) 【bk1】 、読了しました。

 学会のレジュメ二つともまったく仕上がってないのに。

 会場に向かう・会場から帰る電車の中で読めば良いか、などと考えていたのに。

 読了してしまいました。

 感想は、うん、先入観になるといけないので言わない。


◇ 麻婆豆腐。

 CMを見て、CookDoの麻婆豆腐 にひき肉が入ったのを知り、買ってきました。なおCookDoの総合トップページは 【こちら】

 買ってきてよくよく見たら、ひき肉が入る前のやつでした。豆腐の他にひき肉とネギが必要なver.です。やられた。というか確認して買いなさいわたし。

 ネギは最近絶やさないようにしてるので恒常的に部屋にあります。豆腐も買ってきてありました。でもひき肉はないので、スーパに買いに行きました。でもうまいこと探しきらんくて(独り暮らしを始めてからこっちひき肉なんて買ったことない。何を作るんだ?)、仕方ないのでこま切れを買ってみじん切りして作りました。

 たぶん麻婆豆腐は肉や豆腐じゃなくスープが大事なのでしょう。いつも使ってる丸美屋のひき肉入りのやつで作ったのより美味しく感じました。肉が自己主張していたのも不思議とよかった。ネギをレシピの6倍、まるまる2本みじん切りして入れたというのもあったのかな。ネギ大好きです。


◇ 「付記。」について。

 昨日の「付記。」、よくわからなかったという感想をもらいました。

 あれ、ターゲットは約1名でした。しかしウェブにダイレクトな私信を書くと変なので(ネットではよく見かけるけど他の読者をあんなにばかにしたものもないと思う)、狭くならないように努力して書いてるうちに焦点がどこか、あさっての方向に行ってしまいました。 ( ̄〜 ̄) すみませんでした。

 そんな感じです。ではー。

2003年9月1日(月) 9月2日(火) 4:16 +0900

◇ エアコン。

 部屋についてるエアコン、多分おそろしく旧型なんだろうと思います。温度調節がうまくいきません。ほとんど手動でやらなきゃならんので面倒です。前面パネルが「ぱかっ」と取れるタイプでもないから内部の掃除がまったくできなくて、これも困ります。燃費?も相当悪いんじゃないかと思います。エアコンの中に泡泡をふきかけて掃除するスプレーだってかなり前から買ってあるのに使えません。

 突然ぼやいてみました。

 ぼやきたくもなろうってもんです。(>_<。)暑。


◇ 京極。

 ネタバレにならないようにならないように、途中まで読んだ感じで最新刊の感想を言うと、 ‥‥ それが味だと言えばそれまでですが、しかしいつもより蘊蓄の部分が著しく多く感じられて興ざめになりつつあります。この本を最初の京極体験にしてしまうヒトのためのことも思って書いてる気がする。しかし、ちょっと長い気がする。これらの蘊蓄は後半の方でしっかり驚くべき結末に収斂していくのだろうか。

 心地よい饒舌とそうでない饒舌があるし、心地よい繰り返しとそうでない繰り返しがあると思う。いや「必要な」と言うべきか。京極のことだから大丈夫だろうとは思うんだけど、それでも少し不安です。。

 前作では何も不安がらずに上巻を読み終わり、わくわくしながら下巻に入って「あれ?」という感じになり、読み終えて「おーい」とつぶやきました。つまり京極の長編のすべてがわたしにとって面白い、とは限らない、ということがわかった。

 猿も木から落ちる。京極も(わたしの感想では)筆を滑らす。

 そんな感じで一抹の不安を覚えつつ読み進めております。


◇ 9月ですね。

 9月になっちゃいましたね。学会まで3日。もしくは4日。

 今日は二百十日だそうです。

 中学生の頃だったと思います、夏目漱石の『二百十日』という小説を読みました。今も覚えているのはタイトルと作中に「二百十日」という言葉が出てきたことくらいです。あまりに意味不明な小説だったので辞書で「二百十日」を引きましたが、小説の理解には何の役にも立たなかった気がします。

 「二百十日」について、ちょうどこの頃から台風がよく来るようになると言われてるんですよ、ということを今日NHKで言ってました。当時引いた辞書にはそんなこと書いてなかった。それを聞いて『二百十日』の中のあるシーンだけはある納得を伴って鮮烈に思い出されました。でも、やっぱり小説全体の主題とか内容とかは藪の中にあります。

 かといって再読する気にもなかなかなってこない。

 まあ、そういう小説もあるということだ。放っとこう。一期一会ですね。

 という投げやりな感じで今日は。では。


◇ 付記。

 他者を、自分がボヤくときに利用するだけの存在として考えることも、そのように行動してしまうことも、今のわたしにはできません。だからわたしをそういうふうな(まったくの)モノにしてるように思える接し方をされると非常に戸惑います。時に腹も立てます(いや立ててばっかりだろ)

 ターゲットとなっている他者から自分の存在を大事にしてほしいのなら、なぜその人がいま自分を大事にしてくれないのかを考えるべきではないのかな、と思います。そのときに役に立つだろうとわたしが思うのは、なぜ自分がいま石田の存在や考え方や偏向をまったく大事にせず、都合良くボヤく時の壁みたものとしてしか扱えないのか? ということを考えることなんじゃないかと思います。

 シンジくんは「自分を好きになれない人は他人を好きになれない」と言われて汗をかいてましたが、それと逆方向で、なぜ自分が他者を大事に出来ないのかの理由を考えること、そのように指摘されてもなお開き直るばっかりでその理由を全然考えようとしないことの理由を考えること、 ‥‥ それらの行為は、他者が自分を大事にしてくれない理由や、他者が自分を大事に出来ない理由を知ることにつながっていくんじゃないでしょうか。もっと言えば、その理由を知ることができる・できないに拘わらず、相手への恨み辛みばっかりを思うことから一時的に離脱できるんじゃないでしょうか。そしてその離脱は「逃げ」では全然なく、熱に浮かされ、まるで真夏日兼熱帯夜的なモノに成り下がっている脳ミソを少しでも cooooool な状態へと誘導することにつながっていくんじゃないでしょうか。

 ひとりでうんうん考えてばっかりいると間違いなく動けなくなるしバカにもなります。しかし独りでうんうん考えるべき時や、独りでえーんえーん泣くべき時、独りで何かを思い続けて煮詰まって動けなくなる時、それらの瞬間は、わたしは絶対的に必要なモノだと考えています。独りでい続けてもいかんし、独りになる瞬間がなくてもいかんと思う。どっちもバカになる。

 ‥‥バカが悪いとは、しかしわたしは考えていない。ええと。立ち止まらず独りにもならずにサメみたく泳ぎ続けているとバカになったことに気づけない。それは怖い。そういう感じのことを考えている。

 自分が独りであるということや、自分がすごく寂しい現象であるというのは、わたしの味わいでは至ってアタリマエです。それは寂しいことだけど、そんなモノは独りで抱えていくしかないと思う。

 その寂しさを紛らす「ために」恋をしようとするのはナンセンスも甚だしいと思う。恋は楽しいからしちゃうもんだと思うし、相手のことが好きだからしちゃうもんだと思ってます。そういう相手といると寂しさが「結果的に」不思議と紛れる、と思うのは良いと思う。だけどそれを紛らす「ために」恋をしようなんて、それは(恋愛至上主義なのかなわたし)本末転倒だろう。

 寂しくて誰か隣にいてほしいんなら誰か隣にいればそれで良いんであって、それを恋と呼ぶのは大間違いだと思うし、その関係性を殊更に「恋」という関係に仕立て上げようとするのも勘違いだろう。誰か隣にいてほしい理想の人が理想の恋の相手だと考えるのも恐ろし勢いで大いに間違っていると思う。「恋人なのに何々してくれない」とか叫び出すのもオカシイと思う。恋人であるために生きてるんでない限り、「恋人」というのはその人の属性の一つにすぎないわけだから、こっちの考える「恋人」という規格に相手の全人格や全行動の可能性と多様性を押し込めようとするのはナンセンスだろう。じゃあ世間一般の規格に当てはめれば良いのかと言うとそれもオカシイ。なぜなら「世間一般の」という言葉で表されるものに実体はないからだ。

 他者を手段にしだすと不毛さ・無意味さ・傲慢さはとまらなくなります。それだけが自分と他者との唯一の関係性だと誤解してしまうとますますサメだ。どこかで他者に「目的」という意味合いが入ってこないと止まらないだろう。止まらないと考えられないだろう。考えられないと自分がバカになっててもそれに気づけないだろう。気づけないと円環は閉じたままで、成長も変化も何もあり得ない。

 もご。ぶくぶくぶく。


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