Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 2003年4月

2003年4月30日(水) 5月1日(木)4:38 +0900

◇ パソコン壊したかも。

 昨日の日記に出てきた、わたしが設定を任された、先生のパソコン。

 深草のパソコンまわり担当の方に先生の研究室まで出張して来ていただいて、わたしがおっかしなことをしたから出来ていた不要なファイルを捨てたり、3桁くらいの数字が4つ並ぶよくわからないやつを設定したりしていただいて、新しいパソコンは無事インターネットにつながって行きました。

 元のパソコンから「マイドキュメント」等のデータを移動するときにはこのような方法でると非常に便利です、とおっしゃって、クロスケーブルで繋いでやる方法を教えてもいただきました。「はい、クロスケーブルですよね!」みたいなことを口走りそうになりましたが、デスクトップとノートとを繋ぐのが最近全然うまくいかないので、何かわたしのやり方に間違いがあるんだろうから、どんなに微妙なところでも違うやり方でつないだ場合にはいただいてしまおう! みたいなことを思って聞いていたらあなた、わたしが今までにやっていたやり方と全然違いました。びっくりでした。

 見させてもらってるだけだったので根本のところは未だに全然わからないです。でもたぶんマニュアル的な方法で良いはずなので、こんどわたしのノートとデスクトップをつなぐ時にも、思い出せたら応用させていただこうと思ってます。

 LANがつながったのでホッとして、先生の新しいパソコンの中にある、ほとんど使いそうにないファイルを軒並み削除しました。それだけでは不安なので完全削除を目指し、「名前が惜しい人はいるか?」という ‥‥ 失礼。眠いと意味わからないことをたまに書きます ‥‥「アプリケーションの追加と削除」でアプリケーションの名前と実行ファイルの場所を確認しながらどんどん捨てていって、最後に「ディスククリーンアップ」でまとめようとしたら、パソコンいきなり落ちました。

 かなり焦る。

 どうも消してはいけないファイルを消してしまったっぽいです。なのでいきなりリカバリディスクを使うことになるかも知れなくて、ちょっと憂鬱というか、ちょっと気が重いというか、ちょっとWindowsの再インストールなんて久しぶりなので楽しみに思っていたりもするとか、そういう感じです。
 ありゃほんとに眠いです。おやすみなさい。


◇ ナウシカが出てきた。

 岡村靖幸の二枚組ベストCDが、たぶん誰にも貸してないのに皆目みつからないってことは、部屋の中で何かと何かの間に挟まっているか、何かと特定の床の間に挟まっているか、記憶の中でウソとウソの間に挟まっているだけ;つまり手に入れたことなどないか、どれかだと思います。

 今日もちょびっっとだけ探しました。でもやっぱり出てきません。半年ほど前にも探したけど出てこなかったのね。それが今日になって忽然と出てくるなんて場合は、何か画期的な方法で探さなければあり得ないと思う。

 代わりに ‥‥ とは言えないものが出てきました。稲葉振一郎『ナウシカ解読 ユートピアの臨界』窓社【bk1】と、GILBERT O'SULLIVAN の alone again 。

 どちらもすごく良い時期に出てきてくれたと思う。ギルバート・オサリバンなんて久しく聞いてないし、「ナウシカ解読」はナウシカ研究書の純然たるトップの位置にあると思ってる本だし。

 まあとにかく、明日のために眠ることにいたします。


◇ いやそのまえに

 本の表紙を何個かスキャンしました。「公式の場所に表紙画像をアップする場合には帯をはずした方が良いのだろうか、否だろうか?」ということを気にしてます。今は帯があった方がよさそうに思える場合は帯つき、そうじゃない場合には帯なし、という通行止めも完全にし、まったく野次馬的な発想かもしれまんが、

 ‥‥ 失礼。また眠っていました。

 では。

 今日はこの辺で。。。。

2003年4月29日(火) 4月30日(日)6:30 +0900

◇ 鬼が来た! (鬼子來了)

 返却期限が火曜日までだった映画を二本続けて見ました。ナウシカ論文に必要な整理やバイト関連のウェブ更新をしなければならないのに、映画だけでもどえらいことでした。

 一本目は『鬼が来た!』という中国映画です。『戦場のピアニスト』も見た先輩が「狂気の中の人間性」と「人間性の中の狂気」という二つのキィワードを使って効果的に評価を話してくれてて、見たい見たいと思っていたやつです。

 アジア・太平洋戦争当時の中国、日本占領下の小さめの村が作品の舞台です。一軒の家に絶対的権力者のようなヒトが「あとで取りに来る。それまで預かっておいてくれ」と言って変な荷物を二つ置いていく。そこから始まって、とんでもない高みへ飛べます。

 なんか素晴らしかったです。2000年のカンヌグランプリ。まさに、そうですね。ほんとに「人間性の中の狂気」という感じだと思う。すすめてくれてありがとうです。


◇ 自殺サークル

 これは園子温:監督・脚本の日本映画です。5月26日の新宿駅、19:30、中央線。プラットホームに整列した54人の女子高生が「いっせーの、で!」で一斉に飛び込んで自殺するという、そういう場面から始まる映画です。

 冒頭のシーンはすごかです。えぐ過ぎであります。撮影もたぶん良かったし役者もすべて良かったです。ストーリィは後半特にかなーり不満ですがまあ良いでしょう。何かどす黒い得体の知れないモノがココロの中に残ってしまった気がするから、たぶんすごい映画です。

 本は以前どこかの本屋さんで見かけて買ってます。冒頭だけ読みましたがそれ以降はまだ全然読んでません。古屋兎丸が同タイトルで映画とは少し違ったマンガを描いてるらしいです。そっちをひどく読みたい。


◇ ラ王焼きそば。

 おいしかったです。最近インスタント麺ばっかり食べてます。こんなインスタントな生活を続けていたら、いろんな人が心配してやめてくれと言っていたのに「これはすぐ食べられて良い!」と言い続け、胃が壊れてしまった手塚治虫のように死んでしまうかもしれない。ので、せめて二日に一食くらいにしたいものです、インスタント。お湯を沸かすときに大蒜スライスをバラバラっと入れて一緒に煮たり、九条ねぎをざくざく切って入れたりしてますが、いかんせんインスタントはインスタントであります。

 彼ほど多忙な日々を送ってるわけでもない。もっとちゃんと料理しよう。


◇ 15歳未満の「脳死」

 今日も木下くんのラジオが聞けませんでした。思い出して聞こうとしたのですが、民放のラジオは電波状態があまりに悪くてこの部屋では聞けないようです。

 巨人vs阪神戦以降そのままニュースなどをハシゴしてテレビを見続け、ジャンクスポーツからフジ系を見続けていたら、「ザ・ドキュメント ふたつの命〜閉ざされた小児臓器移植〜」【公式サイト】という番組が始まりました。

 周知のように(←全然周知じゃないかも知れませんが敢えてこう書きますよ。有名な法律なので。また、内容も知らずに賛成・反対の意思表示ができるはずがないじゃないか)、日本では15歳未満の心臓移植は一切できません。なぜかと言えば、1997年当時いろいろ考えてそういう法律を作ったからです。現行の「臓器の移植に関する法律」がいちばん大事にしているのは、わたしの理解では「自己決定」という考え方です。また、これもわたしの理解ですが、生命倫理学の常識と伝統にのっとって考えれば、子どもに「自己決定」の能力がないことは明瞭なので問題にもなりません。

 可哀想だから15歳未満の子どもも「脳死」からの心臓移植がやれるようにしようよ! という動きはたしかにあります。しかしそのような立法や法改正を指向している人たちの論を読んだり見たりすると、わたしには、彼らが何かものすごく大事なモノを意識的に認知しないで済まそうとしているように感じられてしまうこともあって、今のところそれに賛同するつもりはありません。

 まず前述のような「臓器移植法」が立脚していることになっている「自己決定」の問題を彼らはどう考えているのか。わたしは「自己決定だったら良い!」と言うつもりがないのでどうも否定のための否定のようになってしまって恐縮ですが、彼らが望んでいるように親の賛同でオッケということになったとしたら、そこに子どもの「自己決定」はなくなるわけで、そのことをどう考えているのか。また、子どもが「脳死」と判定された子どもからの心臓移植を受ける場合、そこには確実に別の子どもの死が横たわっている。わたしは彼らに、移植を受ける子どもの命のことや、その命をある意味では現状よりもっと輝かせるために何ができるかをおそらく本気で探っている姿勢がうかがえて、そこはすごく評価できると考えています。個人的な印象批評になりますがそこはかなり好きです。しかし心臓を摘出される子どもの命について、どこまで考えているのか。現状ではあまりに姿勢や考えの深さがアンバランスなんじゃないかと思ってしまう。彼らは彼らなりの解釈で考えて整合性を付けようとしていることはわかっているが、その考え方を受容しない人がいる現状で、「そのように考えてはいけない!」的に「「力説」」されても、それは力説に過ぎず、そのことばを繰り返せば理解が深まるなどというユメのようなことは起こらないと考えて欲しい。

 わたしのような者が考えても容易に「その考え方、偏ってると思うよ?」という意見を表明できてしまうような、そういう法改正を支持することはわたしにはできない。

 これはわたしが「脳死」と呼ばれる状態になった人からの臓器摘出に賛同していないこととも密接な関係のあることなのでしょう。

 ‥‥話がちょっと見えなくなってしまいましたが‥‥

 「ザ・ドキュメント ふたつの命〜閉ざされた小児臓器移植〜」【公式サイト】という番組は、ナレーションは随所で「今はできません。」的な方向であり、聞き方によっては「なぜできないのだ? おかしじゃないか!」的な声に聞こえました。

 しかしサイトにも紹介されているように、「そうそう単純に『可哀想だから‥‥』という方向の議論だけで終わる問題ではないようだ?」という意見も紹介されて、当事者以外の人があまり考えていないという、そういう現状にも問題があるんじゃないか? という終わり方になっていた ‥‥ ように思えました。

 「当事者になればこの行為を否定できないはずだ。わからない人はわからない人だ」

 的な感傷的言辞もやはり出てきて、それを聞いたときははっきり言ってムカつきましたが(だってそんなことを言ったらすべての人間はすべての他者と絶対的にわかりあえないことになるだろうし、たとえ無理であるとしてもわかりあおうとする気持ちが存在することをさえ否定しようとしているように思えてならないから。おまえにはわからない! と叫ぶのは矛盾だと思う、なぜなら、わからないよおまえには! という言葉は一切わかってほしくなかったら吐かれることさえない言葉だから。)、そういう意見も意見の一つとして紹介されていたに過ぎないのかも知れない。

 たぶん、いや、うがった見方かもしれませんが。

 従来の移植賛成論の意見や論、論以前の感情的なもの、実現のための戦略は、今までによく知られているモノが紹介されていました。それに対し反対論の紹介はかつて「当事者」だった人の意見が主流で、たとえばわたしのように机上に更に机を重ねて論じているようなケンキュウシャの意見は一つも出てこなかった。

 とてもバランスの取れた得難い番組だったと思う一方で、当事者のある方が上のように「当事者になれば誰だって!!!!!」的に言っていたわけだけど、それは成立しないよ、という主張がウラに在るんじゃないか? とさえ思える、そういう番組でもありました。当事者には賛成する人も反対する人も両方いるんだよ、という。

 以上、「論」ではなくちょっとバラバラっとした「感想」に終始、でした。。

 昨日・一昨日の日記もバックナンバの方に上げときました。よろしければどうぞ。

 ではでは。二時間だけ眠りまーす。

2003年4月28日(月) 4月30日(水)5:30 +0900

◇ LANが小麦粉です。

 先生の研究室に行ったら新しいパソコンが来てました。「設定は石田くんにまかせます」と言われて、‥‥市販のフツウのノートなのでいちばん最初に起動させたときに指示に従って設定すればそれで良いのだろうと思い、ふんふんやってました。

 それが。

 もくろみ通り使える状態にはなったんですが、ケーブルをつないでもLANがつながりませんでした。どうすれば良いのか設定の方法が皆目わかりません。なので、水曜日、パソコンやネット関係の質問に答えてくれたり設定のアドバイスをしてくれたりする担当の方に研究室までご足労願い、設定し直すことになりました。

 ああ、役に立ってない。。(−_−;)


◇ 飲みましたー。

 友だちとカラオケして飲みました。カラオケの途中で集中力みたいなのが完全に切れてしまうという、今までなかった変な感覚に襲われて「歌いたくない」とつぶやいたら「自分の気持ちに正直になって否定的な方向で言うのではなく、ウソでも別の言葉や行動に置き換えて積極的なコメントにした方が良い。 ‥‥たとえば「もう飲みに行こうよ」とか。またはそれでもカラオケし続ける場合は無理矢理モー娘。や慎吾ママを歌うとか。」という、ひどくあたりまえに思えるアドバイスをもらいました。

 考えればそれは確実にそうだと思う。そういう、否定的なのより積極的な方向の発言を! という知識はわたしにだってもともとある。でも、知識の水準に止まってる知識ほど役に立たないものはないとも思う。

 机上の知識を実際の行動に変えることの出来る場面に自分がいる・いてしまってる! ということに気づけなかったら、知識はずっと知識のままで、実際的な力になれないんですよね。

 そういうのを、ボーっとですが感じられました。

 就職すると、ヒトというのはきっと変わるんだと思います。でも友だちはあんまり変わって見えませんでした。それが良いことか悪いことかはわからない。一つ言えるかもしれないのは、学生から社会人になると生活は激変するはずだけど「就職したらこんな感じなのかな‥」と思っていた、その路線からあまり外れない毎日を今は過ごしてるんだろうな、ってことだろうか。「特徴のない社会人生活を送ってる」ということではなく、周囲や自分の変化の姿を激変も含めて驚くほど正確に読んでいたということなんじゃないかと思う。いやわたし就職したことないから正確にはわからないんだけどね。しかし、なんとなくそんな気がしました。


◇ 骨折疑惑。

 「こないだちゃりんこ乗ってたら、おばちゃんのちゃりんこが 「くあっ」 てハンドル切ってぶつかって来て、指が切れたのね。おばちゃん相手に何言ってもはじまらんからそのままにしたけど、すんごい痛かったわあ。もう一週間以上経つかな。切り傷は治ったけどココまだ痛いわぁ。」みたく言って手を見せたら、 ‥‥ 右手中指の第二関節あたりです ‥‥ 「コレ折れてるんじゃない? ふつうの指はこんなところ出てないよ?」と言われました。

 ‥‥たしかに、左右の手を見比べてみると、右中指はへんなところが出っぱってるように見えます。触診すると左にも大体同じ場所の奥の方にホネの「でっぱり」はあるんだけど、右のでっぱりは左のソレより明らかに大きい。また、軽くおさえただけで変な痛みがじんわりと走る。打ち身で痛いのがこれだけ長びくのも今までなかった。

 ということで、レントゲン撮らないとなんとも言えませんが、ひょっとすると細かく砕けるかなんかしたようです。ヤラれた瞬間は激痛が走ったけど動かしたらノーマルな感じで動かせたので深刻に考えてませんでした。それに血もあまり出なかったし、キィボードも不自由なく打てるし ‥‥ 。中学校の時、突き指がいつまで経っても治らなくて病院に行ったら「あんたコレ折れてるよ。まあココまで来たら動かしながら治した方がいいわ」みたく言われた、と言ってる友だちがいましたが、あんな感じなんでしょうか。ホントに折れてるかどうかわかりませんが、動かしながら治すことにします。

 考え始めたらじくっと痛くなってきた。不思議だ。

 そんな感じで、日本酒が美味しかったです。帰ってきてから 『鬼が来た!』 を少し見ました。

2003年4月27日(日) 4月30日(水)5:30 +0900

◇ 日曜日は‥‥

 日曜日の日記を水曜日の早朝に書いています。

 ということで、日曜日に何をしてたかうまく思い出せません。うーん。下の日記にもあるようにナウシカの整理で煮詰まった記憶はあります。夜は野球を見たりしてたはずです。しかしその他に何をしていたのだろう?

 外出はしたのかな。。。

 掲示板に書き込んではいたようですね。。

2003年4月26日(土) 4月27日(日)18:10 +0900

◇ ナウシカ中。

 そんなわけで、ゼロから再開するナウシカ論文の下準備のようなことをしています。マンガをもう一度最初から、内容を読み込まず・感動せず・泣かずに、いろいろある表面的なデータを分類・整理・収集する作業です。

 冷静にキチキチ見ていくと、何度も読んでいたのに いや、何度も読んでいただけに気づけていなかったモノがあってびっくりしてます。こんなところでこんなこと言ってたっけ? という記憶違いも少しあるし。あと、おそらく誤記も発見しました。

 まあしかし楽しいですよナウシカ、表面だけざりざり見ていても。気を抜くとすぐに内容に入っていってしまうから注意が必要なんですけど、まあ注意する方法は少しわかりました。「ぐっ」と感動する場面が特徴的な記述から内容への入り口だったりするわけです。あまりに自然に書いてあるから物語の中に容易に入っていってしまうんだけど、そこで踏みとどまると、物語の全体像がより鮮明に、ゲーム中のナカタにはフィールドがそう見えているんじゃないかという感じで、俯瞰した画像として、特徴が見えてくる。

 なんにせよ「萌え」とは異なる情熱だなあ。こういう健全な情熱がわたしにもあったということがわかってホッとしています。

 ちなみに、この↑場合の「健全」は「知りたい」という欲望の路線、「不健全」は「自分のモノにしたい」という欲求の路線、という感じに思えます。


◇ ノート → 勘違い

 バイト先がそんなに厳しくないところだし、本は余裕で読めるところだし、合い間・合い間に上記の↑ナウシカ作業をしようと思い、パソコンと電源コード、【あうとら】で製作中のファイルを入れたmp3ウォークマン、ナウシカ本編を何巻か持ってバイトに行きました。

 誰にも迷惑のかからない時間にパソコンを開いてウォークマンをUSBに接続したところ、 ‥‥いつまでも認識しないんですよコレが。入れたはずだと思ってたんですが実はドライバを入れてなかったようです。いくら嘆いてもパソコン用のドライバがなければウォークマンはウォークマンに過ぎず、リムーヴァブルディスクとして機能せず、専用のキットにつないでウォークマンとして使うしかない。のでデータ整理だけ手作業でやっておいて、入力は別の時間にやるという、あまり能率的じゃない作業になりました。

 バイト中に手作業でいろいろ書いたデータ整理の紙を見ながらデスクトップで整理してますが、うまく整理して書いてあるところとそうじゃないところがあり、もっと別の言葉で分類しておけば良かったじゃないかよ俺! とか、いろいろなところにボコボコ空いている穴に自ずと気づいてしまうので、作業は滞りがちです。

 まあまあ、がんばります。


◇ 『異議あり! ‥‥』

 生命倫理や環境倫理に対してタイトルから「異議あり!」と異を唱えている本が買ってあったのを【bk1】バイトに持っていって、ナウシカのデータ整理@手作業の合間にやってました。 ‥‥いや、バイトもしてましたよ。もちろんですよ。

 全然つまんないのでまだ全然読めていませんが、最大限に誉めて魅力を感じるとすれば、素朴な疑問を素朴な場所から解こうとしているところでしょう。この態度は、素朴な水準にたゆたっているだけならば好感が持てます。

 逆に限界や違和感、虫酸が走りまくる瞬間を感じるのは、「コレはココが悪い! だから私は‥‥」の「‥‥」の部分が今のところまったく見えてきていない、ということでしょうか。単に「だから私は不満に思う!」だけなら誰でも言えるし、そんなものを本にしてもまっっっっったく意味がないと思う。そうではなく「ココとは別の方法で問題解決の道を探ります!」と言ってくれているなら、その問題解決の道が的はずれであるとしても、まあ良いんじゃないでしょうか。

 しかし、どうなっているのかを想像するに、本というのはすべてを書いた後で「まえがき」を新たに書いて出版するわけなので、あまり良い方には傾かないだろうな、と思っています。「まえがき」を読んでイヤな予感がしたなら、おそらく最後までそれは継続される、そういうことが多いです。おそらくこの作者は、自分が否定しようとしているモノと同じ土俵の上に自分がいてしまっていることに気づけず、自分が否定しようとしている対象のモノをつかってソレの全体を否定しようとしているんじゃないか? という予感でいっぱいです。

 最初と最後には、着眼点とかひらめきとか、とってもいいことが書いてあるっぽいです。「この本に問題点があるならそれを指摘してくれ、議論をしよう」みたいなことも書いてある。しかしこれでは‥‥。

 たとえば節の後ろの方にある多くの文章が疑問形で終わっているんですが、この疑問形が

  • 作者の個人的な疑問の表出なのか(不明としての疑問形)
  • 読者に対して問いかけているのか(問いかけとしての疑問形)
  • 答えが明らかだからわざと反語にしているのか(反語としての疑問形)
  • なにも考えていないのか(文学的実存的表出としての疑問形)

 上のどれなのか全然わからなくて、印象が薄ぼんやりフワフワしてしまってるんです。ミステリなら良いと思いますよ、この書き方で。文学的な作品である場合にも大成功でしょう、現代思想文の解説書であったりした場合も、解説みずらからが現代思想文ふうになってしまってるわけで、読みにくくて意味がわからないけれど、ある意味ではもう完璧の部類かも知れません。個人の日記でもこれで全然良いんじゃないかと思います。(いやぼくのココの日記なら駄目です。あるかないか少し疑問ですが、でもきっとあるはずの、ある種の「美学」に反しますので。。。。)

 しかし、ある体系的なガクモンのことを調べ尽くしているつもりでその枠組み自体に異を唱えているつもりであるのなら、わたしは、このような書き方で済むわけがないと思います。もっと学術的な水準で疑問を整理し、学術的な水準でその答えを探し、それが生命と環境の倫理学という場面に「ない」という結論に達したのなら、おそれずに、それをそのまま学術的な方法で書けば良いのだろうと思います。

 とにかく、いまのところ、この本に対しては怠惰な印象が強いです。生命倫理学に対して異を唱えているところで具体的なことを言えば、エンゲルハートの有名な論に対しては哲学や論理学など、学術的なところでキッチリ反論することが可能なのです。また、世間話チックな水準に持ってきても、「物事は単純化すればいいものではない」という印象批評であるとか、「いや、でもそれでは可哀想だろう?」という感情論であるとか、「たとえ違法でないとしても我々がそこに罪の意識を感じるのは事実だ。では違法であるかないか、やっていいかどうかではなく、その罪の意識と我々はどう付き合うべきなのか? どう受け止めていくべきなのか?」という、ある場面では正視することがためらわれるものを正視していこうという森岡さんのような、鋭角的なまでに実存的な問いかけが可能だと思うんです。

 それが、この本のこの作者の場合、

 「どうしたどうした! 答え切れてないじゃないか!
  だから駄目なんだよ生命倫理学なんてよ!!!
  だから駄目なんだよ!!!!!!!!!!!
  駄目なんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

と言ってるだけに思えて、ひどく辛いです。

 駄目だ! と言うなら言うで、その人はどこがどう駄目であると考えているのかを提出しないとフェアじゃない気がします。常に建設的でなければならない! と言うつもりはありません。しかし

 「こんなんじゃだめだ! ぜったいにだめだ!」
 「どこがだめなの?」
 「ワカラナイ! とにかくだめだ!」
 「ふうん」
 「きみも一緒に『駄目だ駄目だ駄目だ』と叫ぼう! うわお!!!」

 という無意味な会話をしてる気になって、ほんとに辛いです。

 裸で歩いている王様を見て「王様は裸だ!」と叫ぶことと、服を着て歩いている王様を指さして「王様が着ている服は服ではない! なぜ服ではないと言えるのかと問われたら、わたしはまだよくわかっていないので困ってしまうんだが、‥‥とにかく王様の着ている服は、わたしの言っている意味での、またはわたしが理解している意味での服ではない! だから王様は裸だ!!」と叫ぶこととの間には開きがあると思います。


 また、「自己決定」というタームが出てくるのに小松美彦を一切ひいていなかったり、「生命倫理学」に異を唱えようとしているってことはそれを「越」えるモノを模索せざるを得ないだろうと思うのに、森岡正博の根幹部分にある論をまったく引いていなかったりなので、非常にオカシイ。怠惰すぎるだろう。オイオイ。

 わたしはこの本のどこがどうイヤなのか、感情的ではない水準、ウソでも学術的な水準にまで高めて発信したいと思ってます。作者が問題にしているつもりの生命倫理学的な疑問については、作者が求めている水準では一切問題にも相手にもせず、もっとメタなところでちくちく攻めるつもりです。

 しかしいつになるかな。

 とにかく、茶飲み話と学術的な話を同じテーブルでごちゃ混ぜにして喋れると考えてはいけないと思います。わたしが力説すると非常に不自然ですが、学術論文とエッセイ論文はまったく異なるモノなのです。

 では。

2003年4月25日(金) 4月26日(土)2:40 +0900

◇ パソコン変。

 最近、いろいろなソフトの起動にのきなみすごく時間がかかります。画面もよく固まります。きっと何かしたからおかしくなったんだろうけど何もやった覚えがないので対処のしようがなく、ちょっと困ってます。

 ちょっと前から、ワープロファイルを圧縮しないでメールに添付して送ると、受け取った方で「ウイルスなので開けません」というメッセージが出るらしかったんですが、それも理由がわからない。もともといたはずがないし、半信半疑ながらスキャンしてみたけれど、やっぱりうちのパソコンにはウイルスなんていません。

 どうしちゃったのかな。ヒマ見つけてWindowsXPから再インストールすべきかも。連休中にいろいろやってるかもです。しかし面倒なので、しないですむ方法を模索します、です。


◇ IE変。

 なかでもIEの起動の遅さが際だっています。IEくらいは再インストールしてもそんなに面倒じゃないな、と思ってネット検索したところ、「レジストリ」をいじればIEを再インストールできるらしいのでやってみました。が、 ‥‥ これもうまくいかない、のみならずパソコンを起動するたびに「インストールが途中です。どうします?」という表示が出るようになってしまいました。

 煩わしいのでレジストリをもとに戻し、なんか変なモノができていたのでそれも削除し、WindowsUpdateに行っていろいろやったら「途中だけど、どうします?」という表示は出ないようになりました。

 起動は遅いままです。うぅぅむ。小麦粉か何かです。


◇ 靴購入。

 新しいクツ買って来ました。革靴です。

 前から革靴ひとつ持ってるんだけど足にあんまり合ってません。 ‥‥いつだったかな。東京で学会があったとき、懇親会とは別口で、先輩がお世話になってる先生を囲んで何人かで繁華街の方に流れて飲もう、ってことになり、会場の場所がよくわからなくてかなりな距離を歩いたんですが、そのとき履いてて足すんごい痛くなって、自分でも意外に思うような変な場面でキレかけちまったくらい合ってなかったんです。

 大学に入った頃には同じメーカの同じ大きさのクツで良かったんです。はき始めは痛いけど長い間はいてると足になじんでくるタイプのクツ、という付き合い方ができていたので、前のが駄目になると同時に同じのを買ったんですが、今回はいつまでたっても駄目でした。最初は「ちょっと痛いな」と思うくらいで済んでいたのが、上記の東京キレキレびっくり以降、30分も履いていると常に左足に激痛が走るようになり、ふと気づくと左足の親指のつけね部分に、ホネじゃない、何か得体の知れない突起ができてしまっていました。

 だから、最近はスーツ着ててもスニーカでした。優しくしているうちに左足親指つけね部分に出来ていた得体の知れない突起も引っ込んできたので新しいのを購入しました。

 足の甲が太めなのに無理して細いクツ履こうとしてはいけないですね。今回買ったのはかなりラクに履けそうで嬉しいです。あんまり革靴っぽくないかもだけど、まあ、良いのです。

 安い安いサンダルも買ってきました。夏の間もてばいいな。


◇ 朝生が。

 ひさびさに朝生を見てます。田中宇が出てます。姜尚中も出てます。小林よしのりも久しぶりに見たな。面白そうだけど土曜日は朝からバイトです。。。どうしよっかな。もう眠らないとまずいかもしれない。

 うん。おやすみなさい。もう少しナウシカやって寝ます。

2003年4月24日(木) 4月25日(金)18:25 +0900

◇ 雨でした。

 雨でした。そういえば昨日・水曜日も雨でした。ここのところ週末ばっかり降ってたので水・木に降ると奇妙に意外な気がします。慣れというのは ‥‥。

 ま、雲は雲、単に水蒸気のカタマリだから意思ないし関係ないんでしょう。

 早めの時間にお金おろしてスーパ行ってカセットコンロ用のガスを買おう、靴も買おう ‥‥ という計画を一応立てたものの、パソコンの調子がどうもおかしくて、ファイルを見るのも書くのもすべてに普段より時間がかかり、それもあって家を出るのが遅れ、7時からの勉強会には10分くらい遅れてしまいました。

 もちろん治りません、パソコン。


◇ ピンポン

 松本大洋の『ピンポン』をテキストにして勉強会でした。学術的な発言はわたしまったくできなかった気がしてなりません、が、でも、楽しかったです。楽しければそれで良い! とは思わないけど、学術的な発言ができてないということに自分で気づけるようになったのは、ものすごい微少だけど、それでも進歩だ。うん。

 さらなる進歩を‥‥‥。

 勉強会もですが、その後の飲み会がまたいつものように楽しかったです。美味しいお酒が飲みたいならやっぱ飲む前に頑張らないとだめですね。

 ‥‥‥そんなに頑張れなかったけど美味しかったです。(^^;

2003年4月23日(水) 4月24日(木)5:25 +0900

◇ かなりな迷惑

 江戸時代に書かれた仏教聖典系の解説書の活字化されたモノ(さすがに木版ではないと思う)を班ごとに分かれて読み、ワープロファイルで体裁を整えて発表し、他の方々からの意見をうかがって一つの読み方を確定する、というのの発表が当たっていました。

 発表が終わってよくよく見てみると、わたしの担当していた箇所に入ったは、他の担当者の箇所の3倍くらい多かったんですよ、これが。

 当然調べて臨むべきであった箇所をうっかり調べずに済ませていたり、どう読めば良いのかをもう少し詰めて発表できればよかったんだけどそれもあまりできなかったし、などなどいろいろ言い訳できそうだけどあんまりしたくないです。

 とにかく、もうあんまり迷惑かけたくないです。スミマセン。

 いや、「発表したくない」ってことじゃないです。逆です。もっとしっかりしたいってことです。できるかどうかはわからないけれど、理想や希望は必要だと思う。


◇ 高津が。

 古田が高津に何か言いながらボールを手渡し、普段あまりしないような感じで頭を下げて、それから握手してたのをニュースで見ました。チャンネルがそういうチャンネルだからイメージ良くなる画像ばかりつなげていたのかもしれないけれど、いや、それにしても、とっても良い感じでした、古田と高津。

 230セーブだそうです。例によって今日も別のことしながら野球みてました。途中から(巨人ファンとしては耐え難いおかしな展開になってしまった後で)高津が出て来られるようになってしまって、‥‥明日は野球見られないし巨人にはその間にガンバってもらって、今日は高津の新記録を見ようか、と納得して「清原が三振して終わるのかな。清原の三振カッコ良いし、絵になるだろな。」などと失礼なことを思っていたら清原はフォアボールで無事出塁し、そこで中継が終わりました。

 高津のプロ入り第一回目のセーブ、リアルタイムで見てました。松井が9回ウラにプロ第一号を打ったことと、そのとき高津が投げていたこと、巨人が負けたこと、なのに東京ドームから帰るお客さん方は巨人がまるで勝ったかのようにニコニコしている、と解説の人が伝えていたことは覚えていたけれど、あの日が第一回目のセーブだったなんて‥‥。

 今年巨人に松井がいたら、きっと松井が打ち損じて新記録達成、みたいなことになっていたかもしれないな、などと、やっぱりかなり失礼なことを考えているわたしでありました。というか次の打者が三振して終わったようだったし、それならTV中継の時間内に見たかったです。。。

 こういうのをみぃはぁ。と言います。


◇ 失念。

 「木下くんが火曜日の夜10:00から12:00までオールナイトニッポンやってるみたいだよ!」と、こないだ日記に書きました。わたしも聞くつもりだったんですが、東京ドームと札幌ドームの野球をチャンネル変えながら見て、ほっこりし、再放送みたいな『プロジェクトX』を見て「すごいなあ発想が変わる瞬間って」と思い ‥‥ といういつもの暮らしをしていたら、10:00からNHK見ちゃってました。そして『ジャンクスポーツ』に流れていったわけで。。。

 すっっからかんに忘れていて、木下くんのラジオはまったく聞けませんでした。今日のお昼ころにフッと思い出しましたが‥‥。12時間くらい遅かったです。

 スミマセン。

 最近日記書きながらすごい眠気に襲われることが少なくないです。春眠は気持ちよすぎて暁がいつ来たかわからないんですよね、たしか。時期が時期だからわたしが眠いのも仕方ないか、みたいな。

 うん。眠いのは仕方ないだろう。しかしソレと遅刻とは別の問題である。

 これ以上深刻に遅刻しないように気を付けます。

 では。

2003年4月22日(火) 4月23日(水)3:47 +0900

またやっちまった‥‥

 10:45に先生と待ち合わせていました。その前に事務系の待ち合わせもありました。移動に1時間くらいかかるので昨夜は余裕を見て目覚ましかけて眠りました。とりあえず、最悪でも9:30には部屋を出たい、そう思っていました。

 起きたら10:15でした。  ぅ ぁ  ぁ ぁ ぁ あ

 寝坊してるその瞬間は気持ち良いです。正直言って大好きです。もうトリコです。大きなモノには巻かれろってことでトリコロールです(寒)。しかしその後で非常に辛いから、もうしたくないです。先生ならびに事務のお姉さん非常にスミマセン。


◇ 『ピンポン』読了

 松本大洋『ピンポン』【bk1】を読みました。

 近隣の古本屋さんでウロウロ探し回ったけど探しきらなかったので、勢い余ってまんが喫茶に行って読みました。今回は煙草を吸う高校生にも遭遇せず、ココロ平穏なままですみました。店員のおねいちゃんがよく笑って可愛かったのも嬉しかった。あのコはきっと大成するぞ(なんだそりゃ)

 文法が独特なんですね、松本大洋。こればかり読んだら疲れてしまいそうだけどすっごい良かったです。絵だけ・台詞なしってマンガの醍醐味?みたいな感じがします。最初から最後までものすっっごい骨太な何かが通ってるのって、大好きです。

 「映画も良い!」って聞いてます。‥‥でもマンガ素晴らしいから、しばらく見なくても良いかな、映画は。というかビデオやDVD出るまで見らんないか。映画の主題曲は非常に好きです。


◇ アイロンでくっつける糊

 すそあげにも使えるという、アイロンでくっつける布状の糊を100円ショップで買ってきて、昨日の月曜日の夜、京都に来てからおそらく初めてアイロンをハコから出し、こないだ「まつり縫い」がほどけてしまったスーツのすそをくっつけてみました。説明書きには「中」の温度でくっつくと書いてあったけど、最初は何か怖がって「低」でやってみました。すると全然くっつかない。 ‥‥ そのときは糊の場所がズレて大変なことになりそうだったので「低」でやっててよかったです。

 その後、糊の位置を微修正し、おそるおそる「中」の温度でやったら「完璧!」って言いたくなるくらい強力にくっつきました。今日の昼間そのスーツを着ていて別にこれと言った違和感もなく、というか修理したことなど完璧に忘れていました。今のところはまったく問題は発見されていません。

 もし「まつり縫い」その他で困っていらっしゃる方がいたら非常にオススメです、布状の糊でやるの。アップリケもできるって書いてあったけどしないからなあアップリケなんて。他に何の使い道があるかなー。

 ま、あまりはとっとけば何かに使えるってことにしておきます。

 ではではー。

2003年4月21日(月) 4月23日(水)1:10 +0900

◇ 寒かった。

 月曜日は昼間そんなに暑すぎず、夜はやたら寒かったです。こういう日に限って夜も暑いだろうと思って上着やマフラー持っていかないものだから、手袋だけの防寒で寒々と帰ってきました。首が寒いとホントに寒いですね。


◇ 風にも雨にも逆らわず

 午前中、やたら風が強い中(ヘッドフォンが耳から飛んで行きそうなくらい強かった)、立命の図書館に『ギリシア神話小事典』を閲覧させてもらいに行きました。学外者の入口がどこなのか一瞬わからなかったり、受付のどこに書類を出せば良いのかわからなかったりでまごまごしまくりましたが、なんとかなりました。ありがとうです。龍大の生協コピーカードがそのまま使えたのも助かりました。

 その後、部屋に帰ってきて洗濯しました。風が強いので多少の不安を感じつつ、でもやっぱり天日干しが良いよなと思い、屋上にある物干し竿などなどに干しました。そして部屋に戻ってしばらーく経った頃、「どん!」とか「みしっ!」とかいうような、えもいわれぬ音が聞こえて来ました。 ‥‥ 確信はないけど、以前2度ほど聞いたことのある音によく似ている。この音が響いた後で屋上に行くと物干し竿の支柱が倒れていたことがあったものだ。いやな予感。

 ‥‥ 一応屋上に行ってみると‥‥

 強風のせいで見事に倒れてる支柱ならびに強風のおかげで大体かわいた洗濯物発見。(不幸中の)幸い、床にくっついてしまってた部分は乾いてたおかげで全然汚れずに済んでました。しかし支柱2股のサビ部分にがっちりはさまっていた白Tシャツは一部真っ黄色になってました。これはまた洗わないといけません。

 また干してもまた倒れるだろうし、それに大体乾いてたし、予定よりちょっと早めに回収し始めたら、 ‥‥ 雨がしとしと降ってきました。天気予報では雨なんてヒトコトも言ってなかったのに。そこそこ強く降らないと雨の音が響かない部屋なので、支柱が倒れてくれて、ちょっとだけ良かったです。たぶん「倒れてしかも雨が降っている」という状況より数万倍マシだったと思う。


◇ ラスコー‥‥

 掲示板にも書きましたが、こないだから日記に何度か書いていた本のタイトルや作家の方の名前で検索hitして来られる方が爆発的に増え、アクセス解析で見たら、月曜日は「ユニークアクセス」が104hitを記録しました。とんでもないことであります。嬉しいです。ちょっとコワイです。いい加減なことは書けないな、という思いを新たにさせていただいています。

 ‥‥しかしですね。うちの日記は前日のが別ファイルになってしまうので、グーグルならキャッシュを見ていただくか、ヤフーならトップページにいる「ちひ」に聞いて日記内を検索してもらうしか当該文書に至っていただく方法がないので ちょっと心苦しいです。検索の方、申し訳ありません。


◇ 会議

 とある会議に参加しました。下っ端のぺーぺーなので会議中まっったく役に立てず、ただ「参加してる」、いや「参加してたらしい?」みたいな感じでした。が、大体の流れが何となくわかるので出た方が良いし、会議後に役に立てるトコロは確実にあったし、ありがたかったです。


◇ 打ち打ち

 活字になっているモノをテキストファイルにする、という作業をしました。スキャンしてOCRという選択肢もあるけど、一枚一枚の紙に記されている文字の数が非常に少ないから手で打った方が時間かからないな、しかし3日や4日はかかるんだろうな、という予測のもと、無理しないでぼちぼちやろうと思っていました。

 が、しばらくして実はそんなにかからなそうだということが判明。文書の内容が面白かったこともあり、一日でできました。ちょっと嬉しかったです。しかし大幅な寝不足になってしまいました。

 では。

2003年4月20日(日) 4月21日(月)4:12 +0900

◇ ラスコー‥‥

 こないだからワーワー言ってる佐々木氏の小説、昨日書いた感想を少し手直しし、表紙もスキャンして、「本の紹介」(書評)のページに載せました。もしよかったらご覧ください、って言っても昨日の日記に書いたのとあんまり変わってません。

 「1995年の国松警察庁長官狙撃・暗殺未遂事件を小説にしてる」というのは事実で、それが軸になってるのも事実なんですが、しかしそれ以外のモノがやたら絡みまくっているので、そしてそれ以外のモノが謎解き部分にやたら密接に関わっているミステリなので、抽象的な感想ばっかりになっています。

 いろいろ情報を集めようと思ってウェブ検索していたら、佐々木氏らしき人物が書き込んでいたBBSのキャッシュを見つけました。ホンモノはもう残っていないようです。ちょっとびっくりしました。


◇ メイスイ.TV

 木下くんがサイト作りました。トップからリンクしてますので皆さん遊びに行ってください。掲示板は書き込んで良いのかどうか微妙なのでちょっと遠慮しておきました。ラジオも始めてるそうです。毎週火曜日22時〜24時、「オールナイトニッポン いいネ!」【ココ】 だそうです。うちのアパート、FMもAMもラジオがすごい異音入るのであんまり聞けないんですが、頑張って聞きます。

 サイト、ところどころ微妙にツボです。素朴に「さすがだな‥‥」と思いました。ドット単位でウェブを作るというのがどういうことなのかよくわからないし、フラッシュ作れるってことだし、デザインも確定されてるし、初めて作ったとはとても思えません。 ‥‥きっとこういう才能がもともとあって、作ったら一気に開化したってことなんでしょうね。いいなー、いろいろあって。


◇ マタイ‥‥

 上の佐々木氏の本をスキャンしたとき、ついでに、こないだ借りた『マタイ受難曲』と『ミサ曲ロ短調』の歌詞カードをスキャンしました。コンビニでコピー取ると ‥‥ 400円くらいか。こういう使い方をしてると「パソコン(とその周辺機器)って便利だな!」という思いを新たにします。

 ドイツ語なので全然歌えません。「エリ、エリ‥」はさすがにわかりますが、そらドイツ語じゃないし、しかも音階がシロウトには不可能なので、やっぱり歌えません。ええ。しかし日本語訳ついてるし、やっぱり意味わかって聞いた方がいいよね。うち、なぜか新共同訳の旧約・新約の両方が入った『聖書』もあるから参照も容易です。ごくたまーに読んでます。

 うーん、それより先に真宗のお聖教をもうちょっとしっかり読もうよ、俺。


◇ 暑いぞ‥‥

 そして、京都は暑いです。

 まだ4月です。

 暑さ的には「初夏」を通り越しています。わたしの部屋だけかもしれませんが、湿気も梅雨以降のソレだと思う。まさかホントにこのまま梅雨に突入するのかな? マリネラは望めないとしても、これじゃ春があんまり短すぎです。

 水浴びしまくる季節が今年もやってきたようです。

 負けることが明らかな相手とは争わないことですよね。季節とか、食欲とか、睡眠欲とか、ちぃとか。暑いのは、あんまり冷たいモノばかり食べ過ぎずに、あったかいお茶とか飲みながら乗り切れば乗り切れないこともない、ことが多い気がします。

 しかし今すでにTシャツなのに暑いってのが‥‥。ふぅぅ。

 ではです。

2003年4月19日(土) 4月20日(日)4:56 +0900

◇ 早起き

 土曜日ですがバイトのため早起きしましたです。眠るはずがお酒残ってたり暑すぎたりで全然寝付けなかったり、夜中に突発的に起きたりしたけど、朝はちゃんと早くに起きれて遅れずに出勤できました。よかったよかった。こんなことは滅多にないのでガラスケースに入れるかドライフラワーにしてとっておくかしたいくらいの朝でした。

 と、わけのわからない‥‥。


◇ 八尾

 バイト後に、後輩に連れられてお説教を聞きに行きました。‥‥という話だと思ってお数珠とお経の本だけ持って行こうとしてることを話したら、「あれ? お聖教は?」と言われました。「お説教 ≒ ご法話」ではなく、いちおう「土曜《講座》」であり、ご法話とはちょっと異なっているんだそうでした。しかし、、、

 おそい! (>_<。)

 もう電車に乗るところだったので本は断念して行きました。メモ取ったりしながら(たぶん)よーく聞いてきました。

 他者の語る話って、一方的に聞くだけじゃなく、聞いてどう思ったのか、感じたのかを後でポツポツとでも良いから語り合わないととんでもない誤解をあたためてしまったり育ててしまったりすることがあって、それは多分すごく危険なことだと思います。でも今日は帰りの電車の中で、わたしはあんまり喋らずにいましたが、一緒の参加者の方が補足のような感じの(?いや本人にそういう意図はないんだろうけどわたしにはそういう感じで聞こえる)内容を語ってくれるのを聞いて、それもすごい助かった気がします。


◇ 抹香? 抹香って実はすごく良い香り

 上、ちょっと俗に言う「抹香臭い」話になってるかもですね。しかし捕虫植物のように近づいたヒトを完璧な精度で取り込んで Jack のような dull boy に仕立て上げるいわゆる「カルト」ばかりが宗教じゃないので、そして日本に展開するおもに鎌倉新仏教の伝統を持つ宗教はごく一部を除いていわゆる「カルト」ではなくいわゆる「既成宗教」と呼ばれる人畜無害で特徴も主張もない、と思われるモノになっているわけで、そうすると絶対に取って食われるなんてことはないんだから、

 ‥‥「狂信」というコトバに代表されるような「のめり込み」型の信仰は、わたしにはあまり健康的な信仰とは思えません。なぜそう思うかと問われれば、あれはきっとやっていてしんどいだろうし、かつ、「そのしんどいところを能動的に頑張っている自分が大好き! これが、このわたしのすがたが信仰のアカシなのです!」的に考えてるんじゃないか? と疑えてしまうノリも大嫌い。だから「のめり込み」はよくないと思う。と同時に、

 宗教という現象に特徴的な事実の一切を知らずに「みんなお金儲けしか考えてない」的な誤解を全宗教に敷衍してしまえると考えるような、そういう「食わず嫌い」と「すっぱいぶどう」を絶妙に組み合わせ、かつ差別的な方向で煮付けにしたような宗教理解からくる実践である「抹香臭い話は聞かない」というやり方は避けた方が良いと思います、わたしは。

 大きなお世話ですね。そうですね。スミマセン。


◇ ラスコーリニコフの日

 能弁(のうべん)を装ってこないだからご紹介しています、佐々木敏『ラスコーリニコフの日』【表紙・内容紹介・注文など】 、読了しました。二段組みで349頁ありました。決して「流れるような‥‥!」という描写が当てはまる文章ではないと思いますが、内容そのものや内容同士の関係性など、語り掛けてくるモノがべらぼうでした。

 中身(なかみ)の話ですが、正直、ノンフィクションならまだわかるけど、フィクションの小説で扱われた内容にこんなにやヴぁい内容や仮説が可能だというのにはびっくりしてしまいました。今まで考えたこともなかった話になってます。

 かゆいところに手が届くと言うか、手が届いたところがすべて事後に「ああ!俺ココがかゆいと思っていたんだ!」と思ってしまえるようなと言うか、何というか‥‥。

 ヒトの書いた文章の内容を全部信じこんで疑えなくなるというのは愚かなコトであると思うし、怠惰なことでもあると思います。(刺激的な内容であればあるほどわたしは疑います、なんて言ってみたけれど、そうじゃない場合もありそうな気がします。どうだったかな?)多分おそらく誰もがそのような視点と意図で自分なりの「ふるい」にかけて文章を読解することが多いんじゃないかと思います。それでも残る何かがあるなら、おそらくそれが文章のエッセンスの一部なのでしょう。

 論文(ろんぶん)のように厳密におさえるべきところとエッセイのように適当に済ませるべきところが共存していて、かつ、こういう話では不可能なんじゃないかと思えるようなエンタテインメント性がしっかり現れていて、すごかったです。一日で読んでしまうのは非常にもったいなかった気がします。

 ムチャだったなあしかし。睡眠不足で早起きしたのが今頃になって効いてきたようです。非常に眠いので、今日はもう眠ります。

 おやすみー。ではではー。

2003年4月18日(金) 4月19日(土)0:58 +0900

◇ 死海のほとり

 4月7日の日記に少しだけ出てきた『死海のほとり』のハードカバー版を、借りた人に返せました。もろもろのリヒター作品群も返せました。

 その「お礼」と言ってはなんなんですが、文庫版の『死海のほとり』【bk1】 を買って持っていきました。するとその表紙を見た後輩が、作者にキリスト教徒として有名な遠藤周作という名前があるのを確認しながらなので冗談だろうと思うんだけど、

 「これって「生死の苦海ほとりなし」を小説にしたやつですね!」

 みたいなことを言うわけです。そのときは「はあはあ」みたいに済ませたけれど、よく考えれば「死海のほとり」という言葉を見てそこまで連想できるってのはすごいかもしれません。

 「生死の苦海ほとりなし」ってのは、和歌のようなんだけど和歌じゃない日本文学上の一ジャンルである「和讃」というのの一つで、親鸞さんが書いた『三帖和讃』の中の『高僧和讃』に所収のモノの冒頭です。

生死の苦海ほとりなし
 ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀弘誓のふねのみぞ
 のせてかならずわたしける
高僧和讃 七 (二・五〇二)

 小説にできないもんでもないでしょうが、小説の冒頭は現代のエルサレムですし遠藤周作にそういう意図はないだろうと思います。 ‥‥ しかしやっぱり遠藤周作だし「生死の苦海ほとりなし」の文脈で読むことも可能かも知れません。

 まだ全然読んでないのでなんとも言えませんがね‥‥。

 ちなみに、「生死(しょうじ)の」と書いてあることからもわかるように、「苦海」というのは「この世」のことです。伝統的に仏教では実際的な「苦しいこと」のみを「苦」とは言わず、「思い通りにならないこと」をイコール「苦」と捉えるんです。わたしの感覚では、たしかに「思い通りにならない」のを思い通りにしたくて、でもやっぱり思い通りにならなくて、それで苦しいんだろう、 ‥‥ という解釈が可能なので、さほどの混乱や拒絶もなく受け容れることが出来ている仏教的言辞のひとつです。

 まあまあ、うん。はいな。


◇ フィラデルフィア

 チーズうまいうまいと言っていたら、友だちが「おいしいナチュラルチーズを食べようね」的に言って「フィラデルフィア」というのを薦めてくれました。【コレ】 です。竹内結子出演のCMは【こちら】 。たしか\400もしなかった時に買ってきたんだと思う。

 ハコの中にはレア・ベイクド両方のチーズケーキレシピが載ってるけど、そのまま食べても美味しいです。今日は小さめにちぎった「フィラデルフィア」を皿の上にのせ、近所のスーパから\88で買ってきた「ペペロンチーノ」を作ってその上にのせ、ぐるぐる混ぜて食べました。

 たぶん滅茶苦茶に邪道な食べ方だと思うけど、うまかった。(^ー^)

 ちなみに映画『フィラデルフィア』の淀川長治評は【こちら】 です。

 ではでは。

2003年4月17日(木) 4月18日(金)16:30 +0900

◇ ギリシア神話小事典

 たつみさん【もきもき堂】の協力もあり、去年の暮れくらいには消滅していたらしい「社会思想社」というところの出している(た)『ギリシア神話小事典』を参照することができそうです。

 大学図書館にない本があって、他の図書館にあることがわかった場合には、利用者が申請すればその大学に行って閲覧させてもらえるようになってます。あまりに遠くにある図書館の場合はしんどいけど、今回の場合はうちから ‥‥ ヘタすると通ってる大学より近い大学なので、ホッとしてます。

 資料集めは、貪欲に。


◇ 各種申し込み

 本願寺派の学問的な一大イベント(という言い方で良いのだろうか‥‥)である「デンシ」というのの前段階にある申し込みをしました。

 デンシ、正規ルートの場合は「予試」→「本試」→「殿試」ということになるんだけど、わたしは龍大の大学院修士で真宗学を専攻・修了しているので、「予試」と「本試」が免除になるのだそうです。でもその「免除手続き」のためには、修士の時の成績証明書と、学長からの推薦状がいる。ちょっと心配しましたが、でもどちらも機械的にもらえたのでオッケ。

 デンシ、たしか毎年二回やってます。去年の秋頃に申し込もうと思い、本願寺派の公式な出版物である『宗報』を見て要項を確認したところ、「免除手続き」の申し込み期間が一日か二日前に終わっていて申し込めませんでした。

 今年やっと申し込めて知ったのですが、‥‥龍大の修士出身でも、学部が他大学の場合は修士を出て4年経たないと、あるクラスでは「免除手続き」ができないんだそうです。そしてわたしは今年の春にやっとその「4年」が経過したところ。なので前回に申し込みができなかったのは、ケガの功名みたいなモノに過ぎませんが、結果的にとても良かったようです。

 まあそんな感じで、きっと頑張ります。


◇ 飲み飲み

 バイトが終わり、もう帰ろーっと思いつつ、学内に設置された灰皿(生協でよく見るタイプの、カレーか何かが入っていたと思われる巨大なガンガン)のヨコでぽーっと煙草吸ってたら後輩が二人通りかかりました。ちょうど勉強会が終わったところだそうな。

 こういう巡り合わせを大事にしない方法はないんじゃなかろうかと、当然のように飲みに行きました。

 思うのですが、突発的に飲むのって美味しいことが多いと思います。

 そして今日は計画的に飲むのです。


◇ ラスコーリニコフの日

 佐々木敏『ラスコーリニコフの日』【表紙・内容紹介・注文など】 が届いたので、少しだけ読みました。

 まだよくわからないけれど、なんかとんでもなくエラい話になっていきそうです。軍事や政治、外交、国際関係などの専門家にとっては「常識」みたいな話が目白押しなのかも知れませんが、シロウトのわたしには、ストーリィはもちろん、作品の前提となっている知識や考え方も非常に刺激的で面白そうです。

 前作『龍の仮面(ペルソナ)』【表紙・内容紹介・注文など】 も面白かったし、とってもたのしみです。

 ではでは。

2003年4月16日(水) 4月17日(木)06:23 +0900

◇ 花粉?

 3月の終わりくらいから、どうも鼻がおかしいです。今日の昼間も講義を聞きながらぐじゅぐじゅ言ってたし、夕方からのアルバイトの時もぐじゅぐじゅ言ってたし。‥‥これはどうも、信じたくないけれど、花粉症なのかもしれません。しかし期間が長すぎます。何かと何か、二つ三つ重なって症状が出ているのかも知れない。

 しかし午前中は、わたしだけじゃなくその教室にいる人たちの半分くらい? がずっと苦しそうに音を出し続けていました。古い建物なのでダニとかホコリとか、そういうのが舞っていたのかもしれません。また、アルバイトの時もある部屋にいるときだけ苦しかったので、そっちも何か、花粉以外のモノが原因なのかも知れません。

 とは言え、わたしの部屋ほどやヴぁい状況のところにはお目にかかったことがないので、ホコリが原因であるとはあんまり考えられない。ダニもあんまりあり得るもんではないと思う。いや、しかし午前中にいた教室は畳に絨毯というダニが最も繁殖しやすい環境だったか‥‥

 ってことでやっぱり何かの花粉なのかな。こんなことならこないだ『ガッテン!』でやってた花粉症対策の回をもっと真剣に見ておくべきだったと激しく思う。

 あと、いま書いててふと思い当たったのが、最近アトピーが全然痛くもかゆくもないし、毎年冬は手がガサガサに荒れたのに、それもなくなってるってことでしょうか。年をとって体質が少しずつ変わっていく中で、いろんなモノのアレルギー反応だとも言われていたと思うアトピーがヒフ(エヒフではない)つまり体の外に出るのをやめて体の内側、それも鼻の粘膜系に特化して出始めた、ということなのかもしれません。

 うーん。

 皮膚と粘膜系の両方に同時に出ないだけまだ良いかも。科学的な裏付けはぜんぜんないけど、自分としてはそう考えると少し納得できそうです。。


◇ ナウシカ関連

 ゼロからのナウシカ論文(昨日の日記参照)ということで、マンガ『ナウシカ』第一巻裏表紙・裏に記載された宮崎駿の文章「ナウシカのこと」に登場する二人の少女、そしてその少女が描かれた二つの本を探し始めました。

 一人は『オデュッセイア』に出てくる「ナウシカ」という少女であり、もう一人は久石譲がナウシカ音楽集でそういう感じのタイトルの曲を作ってもいる『蟲愛ずる姫君』、『堤中納言物語』所収です。

 後者は短いし面白いので当然のようにすぐ読めるんですが、しかし前者の少女は‥‥長篇『オデュッセイア』。でもその「ナウシカ」のことを知るために『オデュッセイア』本編を読む必要は必ずしもなく、宮崎氏が「魅せられ」たという、バーナード・エヴスリン『ギリシア神話小事典』(社会思想社 孝養文庫 小林稔訳)に出てくる「ナウシカ」の項だけ読めばよさそうです。

 ということで大学図書館で検索してみましたが、入ってないようでした。比較的安価なら買っても良いかな‥‥と思って【bk1】【Amazon.co.jp】 で検索したところ、600円なのはわかったけれど、どっちも購入できない。買えないってことは、つまり在庫がないってことかな? それとも絶版かな? と思い、社会思想社の【公式サイト】に行ってみたら、

 うわ!( ̄□ ̄;) ‥‥‥出版社が絶版。

 ってなわけで古本屋さんサイトも見たけど、ない。大学の図書館に紹介状書いてもらって、他の大学の図書館に出向いたりしないといけないみたいです。

 しかしどうもその当該項目を全文引用しているっぽいページを見つけました。

 http://webclub.kcom.ne.jp/ma/horizon/nausicaa.htm

 前にお世話になっていたネットバイトで指導してくれた社員さんが「個人的な基準だけど」と言って教えてくれたのは、本や論文を引用する場合には引用の3倍くらい批評なり批判なりを書いて、そして引用じゃなく批評なり批判なりがメインになるように書けば著作権を侵害していることにはならないんじゃないかな? ということでした。なるほど! と思ったので今のところわたしもそれに一応ならってる ‥‥ つもりです。

 しかしこのナウシカ関連の項目を全文引用しているっぽいページは、内容は批評ではないし、出典も明示せずに本文の内容を紹介しているっぽいので、おそらく「盗作」か何かになってしまってるんじゃないかなと思います。営利目的でなくてもまずい気がします。 ‥‥ひょっとして訳した方なのかな?

 ‥‥‥非常に感謝しつつ、こういうことをするのって、きっとあんまりいかんのだよなあと思いつつ、でも絶版になってしまった知識や主張がこういうことで他者に伝えられることもあるのだなあとも思ったりで、ちょっとぐるぐる複雑です。

 しかしまったく意味の通らない箇所もあるし、また出典が明示されてもいないから信用するわけにいかないので、かつ正確なページ数なども知りたいので、やっぱりどこかの図書館に行って探さないとならないのは変化なしです。

 と思っていろんな図書館を検索しましたが、なぜかどこにもないらしい。

 どないしょう‥‥。


◇ まつり縫い

 ヨレヨレの畳の上に敷いた絨毯の上を歩いていたら、右足に何かが激しく絡みました。長めの糸くずだろうと思い、取ろうとして足をぱたぱた動かしたら、ソレはスーツ左足の裾から延びている糸だったらしく、うまく言えないけど、こう独特の、何かがほどけていく絶妙にイヤな感触とともに糸がどんどん延びてきました。ちょっと焦って手で切ろうと思うものの、まつり縫い【参考サイト】の糸は、というかスーツを縫っている糸はたいてい頑丈な糸なので手じゃなかなか切れないもんです。

 ハサミで糸を切る頃には、左足の裾には まつり縫いが10%くらいしか残っていないという、そういう状況になってしまっていました。

 ボタンはつけられます。ゴロゴロするけど一応つけられる。しかしまつり縫いはやったことない。もしあったとしても「うまくいったぞ!」という感動的な記憶は一切ないから、たぶん小学校の家庭科の時間くらいだと思う。余裕で20年のブランクがある。困ったな。こういう場合があるから「洋服病院」みたいなところが繁盛するのかな?

 ‥‥などと思いながら先輩にソレを話したら、百円ショップに、布と布をくっつけるための不思議なモノが売られているんだそうです。アイロンで圧着すれば全然OKらしい。

 アイロンはアイロンでやっぱり10年くらい使った覚えがないけれど、でもまつり縫いよりはうまくやれそうだし部屋にあるので、百円ショップにあるというその不思議なモノ、行って探してみます。というか何故アイロンがあるんだ。

 ではです。

2003年4月15日(火) 4月16日(水)04:55 +0900

◇ 遅刻。

 入学式でした。たしか去年の同時期・同施設にわたしが入学したはずです。よく一年もったもんだという感じも少しします。行き始めて正直すこし途方に暮れて、でも途中からこっちの働きかけ方ひとつで劇的に面白くなるというアドバイスを受け、実際どうもその通りっぽくて、ほんとに面白く感じられるモノが今はひとつあるので、それでもったのだろうな、と思います。

 ナイスアドバイスありがとうございました。塞翁が馬だから今後どうなるかまったく予断は許されそうにありませんが、今のところ非常に楽しいです。今日は3時間くらいやってました、読み合わせ。

 ええと、そういうのがある施設の入学式だったんです。今日は時間ピッタリに着いた! と思って嬉しそうに会場に向かったら、‥‥外、やたら静かなんです。時間ぎりぎりだからもっとさざめいているはずなのに、もうかなり前にそういうのは過ぎ、まったりゆったりしてる感じの雰囲気。 ‥‥会場のそばに番兵のように座ってる人がいたので聞いてみたら、ちょうど30分前に始まったらしかったです。

 今年も遅刻から。。。(^▽^;)


◇ ナウシカ新展開。

 ナウシカ。どういうことかと言いますと。

 何年も前からわたし『風の谷のナウシカ』に関する学術論文を書こうとしています。しかしトップページからリンクしている「ナウシカ レジュメ」が第一稿だったと言えばおわかり頂けるかもしれませんが、書き始めた時は非常に勝手な単なるエッセイでした。いろんな方から何度か抜本的な治療を受けているんです。それが今日もありました。今日は強力・協力Ver.で、一気に二人の方から指導してもらえて、めっちゃ嬉しかったです。

 というか、わたしの目には一体いくつのウロコがあるのでしょう。というか外から見るとまるで目のように見えているけれど、そして一応機能しているけれど、実は俺の目はむいてもむいても実が掴めないラッキョの皮のようにウロコばっかりでできてるんじゃないか? という危惧を持ってしまいます。


◇ 風だよ。

 『風の谷のナウシカ』という作品は、やはり『風の谷のナウシカ』なのですよ。

 今日うけた指導の衝撃を今の自分だけにわかる言葉で端的に表現するとそういうことになります。いつか自分で読み直した時にわかるように書いておくと、「風」という言葉がタイトルにあるのには、ストーリィに感動して何も見えなくなっているわたしの気持ちとは関係なく、重大な理由があった、ということを指摘してもらえた、ということです。

 わかってるつもりで何もわかってない、‥‥なんていうのでしょう。何かに集中して頑張っているときにはフッと肩の力を抜いて自分の主体を含めてもろもろの全体を俯瞰してみなければならない時が確実にあると思うのですが、そういう時に、今までは肩の力を抜いたつもりにはなれていたんだけれど、実際にはそういうフリをしていただけなのかもなあ、ということがわかった、気がしました。それが、ナウシカという作品の中の「風」という概念についてでした。他にもすんごい刺激や指摘をもらえました。しかしやっぱり『風の谷のナウシカ』に「風」だから、これがいちばん象徴的な出来事でした。

 ナウシカを分析して論文を書くんだし、今までのわたしなりにいろいろ分析はしていた、はずでした。しかし今までのアプローチが、やっとガラガラ音をたてて崩れていきました。ピンク・フロイドの『The Wall』のラストのような感じです。

 ‥‥というか、実感を別の表現でもっと正確に伝えようとすると、音もたてずに崩れていったと言う方が良いかも知れません。宇宙空間で何か爆発させると、一瞬「どん」と広がり次の瞬間には一気に収縮する、かつソレを伝える媒体(空気)が皆無なため音はまったく響かないという、そういう感じの崩れ方でした。

 たぶん、今までやって来たことが一気にゼロになってしまったのはわーわー泣いても構わないくらい悲しいことかもしれないんですが、代わりに(あるいは今までやれていなかった)コレをやった方が良いよ、というのをもらえたので、全然前向きな感じがします。

 作業量はボウ大かもしれません。というかボウ大に決まってる。それさえあまり苦にならないでやれそうな気が、今はしています。宮崎はすごい、うん。

 つまりわたしは単純なのかも知れません。という変なところに落として今日は眠ります。というか実際すんごい単純か。よく知られている事実にすぎないっスね。

 んではではー。

2003年4月14日(月) 4月16日(水)04:10 +0900

◇ 見忘れたぞ

 せっかくさんまさんが出てたのに、SMAPxSMAP見損ねました。惜しかったです。ゲストがきっと司会になったんだろうなあ。‥‥同じ感じで、BSでやってたERも見損ねました。

 さんざんでした。ざんざん降りの雨のようでした。

 しかしNHKのニュースや野球中継は見た。

 ニュースは、何を見たかは忘れてしまった。‥‥ええと。いつ見たか忘れたけど、BSのニュースでバクダッドのフセイン像が倒される場面を、二つのTVの伝え方を比較して伝えていました。

 フセイン像の顔にアメリカ国旗をかぶせるところで、あるTVでは、「みんな喜んでいます。すごいことです」みたいに伝えていて、もうひとつのTVでは、「 ‥‥‥‥‥‥‥ とにかく、この国旗がどこの国旗であるか、皆んなはまったく問題にしていません」と伝えていたらしい。

 フセイン像が引き倒されるところで、あるTVでは逐一喋って伝えていたらしい。もうひとつのTVでは、まるで藤田元巨人監督と星野現阪神監督がNHKの画期的な試みのひとつとしてアナウンサなしのダブル解説で伝えたときによくあったように、2分くらい誰も何も喋らずに、その場面をただずーーっと無言で見ていたそうです。スタジオの人が「‥‥リポートしてください?」と問いかけたらやっと「ああ、ええ、ご覧のように、長い間かかって、紆余曲折を経て、やっとフセイン像が倒されました。」と言ったらしい。そしてまた間を置いて「これにかかった時間よりも、もっともっともっと長い時間が、イラクの復興には必要なのでしょう。」と言ったらしい。

 どちらも↑わたしの記憶なので歪んでると思ってくださいね。一応伝えたかったのは、アメリカと中東の国と、いろいろな前提が違うからか、伝え方も好対照だった、ということだったようです、ということです。。

 月曜日はその他には、ええと。ニーチェに関する論文ですごくわかりやすいのを見つけて読んで、うひょひょひょ! って喜んでました、たしか。プロテスタントの方が「神」に注目しつつ、ニーチェを書いていました。

 あと、棚原さんの【坊さんの小箱】の場所が微妙に変わっていたので、リンクページのそれを修正もしました。

 じゃあこれから間を置かずに火曜日の日記を書いてアップします。たぶん。力尽きて眠ったらそれまでです。いや頑張ります。

 では。

2003年4月13日(日) 4月14日(月)02:45 +0900

◇ 洗濯。

 いつぶりかわからないくらい久しぶりに洗濯しました。パンツもシャツも靴下も、一週間じゃありえない不可能な枚数がたまってました。下着類が古くなって来たのでこないだポンポン買ったから、それで「まだあるから洗濯不要!」と思い続けていて、今日に至ったということだと思います。

 日曜日の京都は、予報では一日中晴れで洗濯日和、ということでした。昼間ずっと眠っていたのでどうだったのか正確にはわかりかねますが、夕方に屋上へ取り込みに行ったら何もかもカラカラに乾いててくれましたし、実際にも晴れてたようです。

 こんなにさわやかに乾くの、桜が咲いてから梅雨が始まるまでのごくごく期間限定な嬉しさなんだよなあ。

 ほんと京都は、梅雨と夏の極暑と冬の極寒さえなければめちゃめちゃに良いところなんです。春と秋はマリネラも真っ青なくらい暮らしやすいし、かつ、ちょっと公園や山の方にいけば桜も紅葉もスバラシイし。タクシーもバスも観光客に優しくしてるのがクセになってるのか一般の京都人にもとっても優しい(と思う)し、 ‥‥夏と冬さえなければなあ。

 今はほーんと絶妙に暮らしやすい気候ばかりなので、そういうあとさき考えて憂鬱にならずフワフワ暮らします。


◇ 選挙。

 洗濯して屋上に干し終わったのが6時くらいでした。「このまま投票に行けばいいのかな?」とも思いましたが、数年前、投票所にならんで投票所が開くのを待ち、いちばん最初の投票者になり、「ハイ、投票箱の中はカラですね。」って選管の人にハコを開けてもらうのを夢見て30分前に並びに行ったらもう5人くらい並んでいて、しかもいちばん最初に並んでいた人は何の選挙の時でもいちばんに並ぶって言ってたし、今後もそうするって言ってたし、見た感じそれ以外に取り柄なさそうな人に見えちゃったし(おいおい)、 ‥‥というのを思い出して、並びに行きませんでした。

 なんかすごく変な理由ですが。起きてから行けばいいやと。

 そして案の定、起きてもろもろしてるうちにすっかり忘れてしまいました。正確に言いますと、7時のNHKニュースが終わったら行こう、と一応考えていたけれど、そのあと『武蔵』が始まったので行けなくなっちゃいました。(ええ、もちろん、同じのをBSで10時からやるので地上波のを見なくても全然かまわない、なんていう事実は知らなかったことにします。)

 わたしが行かなかったばっかりに、京都の投票率は過去最低を更新したそうです。50%ないんじゃ当選してもあんまりやる気にならないかもだな。相乗効果ですみませんです。


◇ なんか。

 今日はうまく書けないみたいなので、このくらいにします。いや、いつもうまく書けてると思ってるわけでもないんですが、今日はいつもにもましてそういう自信がない、ということです。

 ではです。

2003年4月12日(土) 4月13日(日)19:15 +0900

◇ あんまり(−_−;

 こないだ買った、養老孟司の『バカの壁』(新潮新書)【bk1】を読み終わりました。期待していた内容とはちょっと違いましたが、ちょっと面白かったです。

 人間、わかりたいことはわかるけれど、わかりたくないことはわからない。その〈わかる-わからない〉の壁はほとんど無意識にできている。それが原因で、話が通じたり通じなかったりする。‥‥自分自身がそういうふうにできてること、世界中の人々がそういうふうにできていることを前提にして生きた方がラクだし、その前提を世界中の人々と共有して生きられたら、そんな良いことはないのにな‥‥

 という主題のようなモノはとっても良かったです。

 しかし、いまいち品がない。

 「まえがき」に明示してあるように、養老氏が編集者の前でわらわら語ったことを編集者が文字に起こすという口述筆記だったんです。そのせいか、放言のような印象の言葉や、わたしほどではないにしても「そんなこと決めつけて語ってはまずいんじゃないの?」という感想を持ってしまう独白がちょっと多かったです。

 講演会を起こしたのなら、ここまで酷くはならなかったんだろうと思います。しかし今回は編集者を前に語っているということで、もっとくだけた感じなんです。それが少し悪い方に作用しているっぽい。世間話をしている時の言葉の選び方・文章の展開・間(ま)と、論述するときのそれらとは、まったくちがうということの証明かも知れません。内容の方向性は完全に同意できるところが多かったけれど、聞き分けのないオヤジが「こうだからこうなんだよ!」と言って押しつけてくるのを「はいはい、はいはい」って聞いているだけみたいな感じになってしまい、少し苦痛に思うところもありました。

 対面で話しているなら、「それ違うよ養老さん! 俺はこう考えてるよ!」って伝えられるし、それに対して養老氏が「いやいや、きみはちょっと誤解してると思うよ。わたしはこういうことを言ってるんです。(丁寧に説明)」と言い、それに「あ! なるほど! よくわかりました!」なんて応えて、キャッチボールできていくと思うんです。

 しかし、本だから、うまくキャッチボールできてない部分もあると思います。

 いっそ編集者の相槌や疑義などの言葉もそのまま入れて、対談かインタビュー形式にして、もっと字を小さくして出せば良かったんではないかなあ。

 ではでは。

2003年4月11日(金) 4月12日(土) 21:45 +0900

◇ 仏旗と法輪

 どうも。土曜日の夜8時すぎに書き始めています。

 ‥‥と書いて金曜日の日記を書くつもりだったのに、気づくと今日の買い物のことを書き始めていました。しっかりしないと、わたし。

 金曜は勉強会・飲み会でした。勉強会は、実質的にはあまり活動せず、新勧ビラの草稿をみんなに見てもらい、推敲しました。あんまり抽象的なこと書いても初めて見る人イメージ沸かないかもね、今年やろうとしてる具体的な内容も少し書いた方が良いんじゃないだろうか? という意見が大勢だったので、従来の真宗教学・教理・教学史・教理史など論文系の研究もしつつ、「質問紙法」(アンケート調査の一種)を用い、真宗の実情の一端を今までになかったようなやり方で探るという、そういうこともしたいと思っている、という文言を入れました。

 やっぱり、どんな文章も、鍛錬するには他者の視点からの意見が必要ですね。そのほかの箇所ものきなみ修正されて、ずいぶんわかりやすく・恐らく伝わりやすくなりました。

 だいぶ文字数が少なくなったので、空いたところに最初は仏旗(ぶっき)を入れようかと思ったんですが、白黒ビラなので断念、代わりに法輪(ほうりん)を入れることにしました。ホウリンと言っても日渓法霖(ニッケイホウリン)【遺偈】 じゃないですよ。と、局所的な駄洒落をかます。


           
 
 
 
 

コレ ↑ が仏旗(ぶっき)です。タグです。

法輪

コレ ↑ が法輪(ホウリン)です。

 どっちも【坊さんの小箱】のトップページや『CREST』からもらいました。

 仏旗の方は「可愛いね」と言われることもありますが、法輪はインパクトあるけどよく見ると何んかコワイかもですね。仏旗や法輪は、キリスト教の十字架みたいな感じで、たしかどんな仏教(教団)にも共通するマークということになってます。仏旗の色やデザインの意味は、よくわかりません。

 ‥‥あぁ。いいサイトみっけ。【意味:from川崎大師】 こんな意味だったのか。

 法輪は、仏教の法(法:ダルマ=真理)が伝わることを、法の輪がくるくる回って動いていく、みたいな比喩で表現することがあります。たとえばブッダになった後のブッダがいちばん最初に法を説いたことを「初転法輪(しょてんぼうりん)」と言ったりします。だから「法輪」をマークにしてるわけです。

 ちなみに「大法輪閣」という出版社は【こちら】です。

 まあまあ、そんな感じです。ビラを見る人の大部分は真宗学に関係のある人たちなので、きっと仏旗も法輪もわかると思います。


◇ パリでは。

 10日の日記のいちばん最後に「支配体制が変わるとそれ以前の体制に関与してた人たちは率先して身を翻そうとする」みたいなことを書きましたが、それを読んでくれた先輩から関連情報が入りました。

 昨日の日記に書いたような、『Band of Brothers』【wowowの公式サイト】 で描かれていたできごとは、第二次大戦中、ドイツに占領された後アメリカによって解放されたパリで実際にあったそうです。でもって、わたし「「こいつらはドイツ兵と仲が良かったんだ。(そしてうまい汁を吸っていたんだ。だから俺たちは我慢が出来ないんだ。だからこういう酷いことをしているんだ)」的に語る。」って書きましたが、コレはもちろん寝ていたことを示しています。娼婦です。

 ‥‥なんですが、どうも彼女たちがドイツ兵の性欲のはけ口として十分に機能したから、一般のパリジェンヌたちは犯されまわらずに済んだ、‥‥という見方が可能らしいです、というか実際そうだったんだそうです。だから、‥‥ドイツ兵が占領しに来たという事実があっちゃならんことだったというのはその通りだけど、でもその最悪の中で更に最悪度が増す事態は、彼女たちのおかげで避けられたんだそうです。だから本来なら(と言って良いのかわからないけど)パリ市民は彼女たちに感謝するべきなのかもしれない、なのに実際には、彼女たちは解放後に迫害された、ということらしい。

 なんか少し変な感じがします。「まあ、いろいろ屈折することがあるから、そんなもんなのかもしれない‥」とは言えるけれど、、、ううむ。

 先輩どうもありがとうです。

2003年4月10日(木) 4月11日 (金) 4:15 6:25 +0900
◇ あれれ。。

 夢の22222hitから一日たちました。

 22222hitの方は、まだ名乗り出てこられていません。

 何かの検索で偶然来られて、日記の内容を見て「あれ? hitしたコトバが日記の中にないぞ? おかしいな ‥‥ 」という感じで去ってしまわれて、カウンタなんて全然見てなかったとかいう、そういうことだったりするのかな。

 もしそうだったらさみしいです。(>_<。)

 プレゼントとしては‥‥ いま考えてるのは、ありきたりながら『ゲド戦記』既刊全巻【bk1】とか、そういう感じです。もちろん新刊本を買ってプレゼントですよ。うん。この本は不定期に読み返すので、わたしのはあげられませんです。

 『闇の左手』というハードSFや、のんびりおだやかなファンタジー『空飛び猫』でも有名なル=グウィンの、恐らく生涯を代表する作品になるであろう超絶的名作、ゲド戦記。石田本人やその知り合い・友だちの話を総合すると、どうも『ハリー・ポッター』シリーズがあんまりなじまない、と言う人は大好きなことが多い『ゲド戦記』。本には「小学6年・中学以上」って書いてあるから分類上は児童文学だけど、児童・生徒に読ませておくだけではもったいないと思う『ゲド戦記』。

 なんか誉めすぎかもしれない。

 他のモノの方がよかったら、ご相談下さいね。というか早く名乗り出てください。よろしくお願いします。

 そういえばまだ全然読んでなかったな。わくわく。


◇ 昨日はですね。

 昨日、『有事法制』 PHP新書【bk1】と『有事法制批判』 岩波新書【bk1】を紹介してわらわら書きましたが、何を言いたかったのかを自分なりに考えると、

 必要「論」も不要「論」も、どっちも部分的に非常にまともなことと非常に偏狭なことを言っているので、自分たちの論のどこが偏狭で、他の意見を持つ人にとって受け容れがたいモノであるのかを確認して、それから互いの良いところを見比べて冷静に話し合っていけば、お互いにとって目指してもいなかったような、案外すごく良い高みに行けるんではないかな?

 という、極めて楽観的な見通しだったんではないかと疑っています。そしてそう言うだけでは単なる言いっぱなしになると思ったので、それぞれどこがまともでどこが偏狭なのか、わたしなりに考えてみて、彼らがもし発展的に妥協するとすればどのあたりになるのかを探りたかったのだと思います。

 無駄なことしようとしてたかも知れません。

 というか長すぎて、しかも主題が掴みきらんまま書いていたようで、自分でも読むのしんどかったです。読んでくださった方、すみませんでした。ごめんなさい。

 何かを読者の方に一緒に考えてもらいたい場合は、「知識はあっても、わたしもその問題についての思考はゼロです。さあ一緒に考えてください!」と言って勧誘するよりも、「わたしはココまで考えました。ココが限界。どうしましょう。」と言って誘った方が、きっとフェアだと思います。昨日のわたしの文章は、なんかほんとよくわからなかったと思います。

 今後はなるべく、書いてる途中で自分が何を考えていたか・書こうとしていたかがわからなくなったら、頑張って頑張ってウソでも主題の筋が一本通るまで考え抜き、そしてアップするか、それとも一切消去してしまうか、どちらかにしたいです。


◇ 近隣で火事でした。

 10日のお昼前、アパート脇の道路を消防車が何台も何台も走っていきました。ちょうど選挙で最近うるさいんですけれど、あんなもん較べものにならないくらいの音量で何か放送して、すんごい「緊急事態です!」ってのが伝わってきました。

 どうも非常に近そうな雰囲気なので不安3割、野次馬7割で屋上に上がって四方を見渡していたら、 ‥‥ うっすらと、しかし結構な量の煙が見えました。そっちの方に向かう車の列も直前にある交差点でどんどんヨコに分かれて行っている。

 ほどなく、煙が薄くなっていくのがわかりました。ほっとして部屋に戻りました。

 その後、そんなことがあったのをすっかり忘れて大学に行き、そんなことすっかり忘れて帰ってきました。そしてやっと「そーだ、火事があったっぽいんだ。」と思ってネットで調べたら、やっぱり【火事】でした。 ‥‥ そしてやっぱり非常に近かった。かつ、ちょっとスーパに寄って買い物したのでいつもと違う道を通ったんですが、そのときに思いっきりヨコを通ってたようです。

 うーん。まったく気づかなかったな。暗かったからかな。

 被害が‥‥少なかったと言えるのかどうか全然わかりませんが、他人事ながら、人も着物もちゃんと無事に避難できたみたいでよかったです。


◇ 朝の連ドラ。

 こないだTVCMを見ていたら、(わたしにとってストライクの)やたら可愛い女の子が出てました。(ある意味)ギョッとして「藤沢薬品」と「イージーアイズ」で検索しました、が、そのコがなんというコなのかは、わかりませんでした。

 で、今日、そのコが【NHKの朝の連ドラ】で主演してる、ということを知りました。

 乗用車のCMでお風呂入ってる時はすっっっごいキレイだったのに、NHKで『ひまわり』に出てるのを見たらやたらフツウになっていた松嶋菜々子。

 なんでこんなに可愛くないコが主演なんだろう? と思っていた『さくら』が終わり、その後で他のドラマに出てるのを見たら案外可愛いかも? と思えるようになった高野志穂。

 日程的にキツいのでしょうか。NHKの朝の連続ドラマで女の子が可愛く見えることって、あんまりないんじゃないかと思います。 ‥‥いや国仲涼子は可愛かった。あれれれ。‥‥とにかく、CMで可愛かったのでちょっと心配です、中越典子。早起きして確認してみます。

 美人ではなさそうな気がしますが、田畑智子はCMも連ドラも変わらず可愛くて良いです。

 まあ、自分のことを棚に上げすぎですね、わたし。ふふ。はは。

 ではです。(>_<。)


◇ 6:25 付記

 日本時間の9日深夜、フセインの像が、地元の人たちの統制の取れていない人力だけではどうにもならず、アメリカ軍の重機の協力もあって引き倒されました。それが日本のTVでも恐らく生中継されたと思うのですが、わたしは5分後くらいに流れた録画映像で見ました。

 アメリカの大統領は、世界中に配信されていたその画像を見て「やったぜ!(「ゼイ・ガット・イット・ダウン」だから直訳だと「彼らはそれを倒した!」という感じ)」と叫んだらしいです。【Nikkei Net】
 それ以前からデイジーカッターその他を使って、かなりえげつないことを彼はアメリカ軍にさせていたのに今更「やったぜ!」もないだろ? 彼がおおはしゃぎしたという逸話は非常に不思議です。そうだよ、誰かに命令されて彼ら(アメリカ軍兵士)はほんとによく「やったぜ!」状態なんだろうよ。
 まあそれはそれ。わたしにわかることなど少ないんだし、彼が何を考えてるのかは今までにもましてよくわからなく思えてるし、それはそれ。

 で、現地の人たちが引き倒されたフセイン像の上で跳んだり跳ねたり喜んだり、いろいろしてる映像も流れました。今日何かのニュース番組で、誰か忘れちゃいましたが、

地域住民の大部分は湾岸戦争の時に略奪などがあったのを知っているから、自宅にこもって警戒してるんではないか。あそこで喜んでいる人たちは、きっとこれからどのように生計を立てていけば不安に思ったりしている人たちなんではないか。だからホラ、群衆とは言っても街中のすべての人たちって人数じゃないでしょう? これは街のごく一部の人たちが騒いでいるっていうことだと思います。

 みたいなことを言っていました。
 うぅむ、と思いました。

 昨日、リアルタイムに近い映像を見ながら、わたしは、ココの日記で過去に何度か「とんでもないシロモノだと思って警戒して見たら、実はなかなか良いメッセージも持っていたように思えた。いろいろ考えさせてくれて興味深かった。 ‥‥ もちろん、なんかこう、変なメッセージもちょっとはあったようだけどね。」という文脈で紹介している『Band of Brothers』【wowowの公式サイト】という、第二次世界大戦中にアメリカ軍の「E中隊」がヨーロッパ戦線をどのように戦ったのかを、証言や史実などをもとに再現したDVDで5巻あるドラマの一場面を思い出して、ちょっとしんどくなっていました。

 ドラマの中では、ドイツの敗色が濃厚になってきたある時点で、アメリカ軍はフランスかどこかの国をドイツ軍の支配から完全に解放します。

 解放後に街に入った「E中隊」の兵士たちは街の人々の歓迎ぶりに驚きます。まるでヤンキースがワールドチャンピオンになってパレードしてる時のニューヨークの街のよう。降伏して占領されていたのが解放されたのだからそりゃ喜ぶのは喜ぶだろうけれど、しかしちょっと不思議なくらいに熱「狂」的な人がいるのにも彼らは驚かされる。すんごい美人の女性が何人も何人も、まるで見せつけるようにアメリカ兵に抱きついたりなんだり、常では恋人にしかしないような熱意でいろいろしてくれる。で、「E中隊」の兵士の一人がそのうちの一人のあとにこっそりついていくと、

 ‥‥

 その女性だったかな? 他の女性だったかな? ‥‥とにかく、まるで他の人に対して見せつけるようにアメリカ軍兵士と親密[身密?]になろうとしていた女性たちが、アメリカ軍を歓迎している人々の輪の外で、街の他の人につかまえられて、殴られたり、長くて美しかっただろう髪を全部バリカンで刈られたりしているのを見てしまう。

 彼がびっくりしていると、街の人たちは「こいつらはドイツ兵と仲が良かったんだ。(そしてうまい汁を吸っていたんだ。だから俺たちは我慢が出来ないんだ。だからこういう酷いことをしているんだ)」的に語る。

 ‥‥‥

 どうやらそういうことが実際に行われたらしいという、そういうドラマの1シーンを見て全部わかったようなつもりになるのはおかしなことですが、フセイン像を倒したり引きずったりして大騒ぎする人たちがカメラのこっち側、日本を含んだアメリカ側、つまりわたしたちの目、いやむしろわたしの視線を意識しているように感じられれば感じられるほど、あれはフセイン政権下の圧政からアメリカ軍によって解放されたヨロコビの、どうしても心の底からわき上がってきてしまう「表出」ではなく、そうしないと自分の身が深刻にやヴぁいと思っているが故の「表現」に過ぎないんではないか? と思えました。

 「表出」「表現」とは、全然ちがいますよね。最近それについて今まで以上にちょっと考えてます。

 あと、文脈が全然一致してないんですが、たしか『はだしのゲン』【bk1】か、他の何かか、アメリカ軍にチョコレートをもらってる子どもを苦々しげな目で見つめてる大人の姿も思い出しました。

 彼らが実際にどう考えてフセイン像を倒そうとしたり殴ったりしていたのかは、わたしにはわかりません。しかしいろいろ、なんかちょっと、見ていて凹みました。まー、昨日は日記の後半がうまく書けなくて、それで凹んでいたのもあるんでしょうけれど。。。

 ではです。

2003年4月9日(水) 4月10日(木) 10:45 +0900

◇ 22222hit!

 ついに22222hitが実現しました。

 よくまあ2万なんて‥‥。

 2000年の7月にオープンしてから今までに来てくれたすべての方に感謝しています。

 ありがとうございます。

 今後も、よろしくお願いします。


◇ まるで詩。

 勉強会の新歓・新勧ビラ原稿を作ってました。

 去年や一昨年のビラも文面やレイアウトを考えたからパソコンの中にデータが残ってました。なのでそれを参考にしようと思ったら、 ‥‥なんかこう、自分で言うのもアレなんですが文章すんごく変でした。

 そうか、だから一昨年も去年もあんまり入ってくれなかったのか、去年なんて後輩が偶然の「一本釣り」して、それで入った彼だけだったもんなあ。

 ‥‥などと考えてるうちに何も書けなくなってしまいました。(−_−;)

 数時間にわたってうなってうなって何とか書けたモノをよーく見ると、 ‥‥ 妙に牧歌的?な、異様に出来の悪い極寒の似非詩のようになっていました。ま、コレが決定稿ってわけじゃないから‥‥。などと言って自分をなぐさめてみる。

 と言って読んでるうちに何故か気に入ってきた。以下です。
 やっぱ何事も「慣れ」が肝心なのかな。(違うと思う)

2003年度
現代教学研究会ご案内

 大宮学舎に通う大学院生の方・学部生の方、こんにちは。
 わたしたち「現代教学研究会」では、真宗教理史や真宗教学史はもちろん、仏教学や宗教学、哲学・倫理学、心理学、生命学など、必ずしも真宗教学に限定されないさまざまな興味や角度から現代における真宗のあり方について探っています。

 自分が救われる事実としての真宗
 社会現象としての真宗
 宗教のひとつとしての真宗

 わたしにとっての真宗
 他者にとっての真宗

 歴史の中で変遷してきた真宗

 ‥‥‥いま、これからの真宗。

 真宗を研究するには、真宗に浸かるだけでも、外側から眺めるだけでも、自分や他者に対して説得力のある研究はできないのだと思います。
 真宗や、真宗をとりまくいろいろな問題を、一緒に考えてみませんか。

 もしよかったら、ほんと、一緒にどうですか?
 専攻は問いません。連絡ください。(必死らしい‥‥)

 念のために言いますと、先輩も後輩もわたしほど真宗的にちゃらんぽらんであっぴろぴな人は一人もいません。大丈夫。問題なし。全然。まったく。これっぽっちも。

 コレ、まるでテトリスでもやってるかのように紙をガンガン文字で埋めていた過去二年のビラより文字が少ないです。そういえば最近テトリスやってません。100インチくらいのでっかい画面で一回やってみたいなぁテトリス。


◇ 有事関連法案、今月中に国会審議です。

 有事関連法案に関する本を二冊ざりざりっと読みました。

 有事関連法案は
   ◆「必要だ。」 : 『有事法制』 PHP新書 【bk1】
   ◆「不要だ。」 : 『有事法制批判』 岩波新書 【bk1】

 前者の方が冷静‥‥というか、感情じゃない部分で考えることを読者に迫ってるように思えて読みやすかったです。後者は背筋がぞっとするような感情的な部分に迫って来ようとしてるように思えて、論理的にどうなのかがあまり伝わってこないような文章が多かった、ように思えました。

 まあ、どちらも印象批評の域を出てないかも知れません。。

 必要「論」の究極的な内容は、わたしの理解では「外国から侵略されて死んでしまったら基本的人権も自由も何もかもなくなります。それを避けるために戦時下を想定した冷静な法律が必要です。」だと思う。

 対し、不要「論」の究極的な内容は、同様にわたしの理解では「いま国会で審議されようとしている有事関連法案は、平時にも自由や人権を奪いかねません。また、クニが有事を見据えていろいろ整備しはじめると外交上もよくないです。だから不要です。」だと思う。

 双方とも、双方の想定がまっったく正しくて、他の要素が一切ないのなら、双方もっともなことを言ってると思うし、双方とも正しいのだと思う。

 こういうのを読んだり考えたりするといつも不思議になる、「どっちも一理あると思うのに、なぜ対立してしまうんだろう?」というのを考えてみました。

 たぶん、両者の共通理解としてあると思うのは、

  • できれば外国と仲良くしたい。
  • 有事関連法案は戦時を想定しての法整備案ということになっている。
  • 日米安全保障条約がある関係上、必然的に、戦時や戦時に近い状態でのアメリカ軍が日本国内で動きやすくするためのものともなる。
  • 基本的人権や自由をゆえなく侵害されて生きるのはしんどい。避けたい。

 でしょうか。

 そこで問題になるのは、ステロタイプな言い方で申し訳ないかもですけど、クニに対するスタンスの違いだと思う。

 「必要だ」と考える人のうち、いま大きな声でそう言っている人の多くは、他の国や地域から侵略されて郷土や人々の共同体がとんでもないことになったり、自分の大切な人や自分が死んでしまったりする、そういうことに較べれば、平時でも、自分が政府機関から多少の制約を受ける恐れのあることなど、たいした問題ではない、と考えているのではないかな? と思う。そして、ニホンジンは須くそう考えるべきだ、と考えているのではないかと思う。つまり「大きな目的」のために多少の犠牲はやむを得ない、みたいに考えているのではないかと思う。
 しかしそれって大いなる勘違いです。そうは考えない人がいるし、それだけが方法だとするのは早計です。そう思います。

 対し、「不要だ」と考える人のうち、いま大きな声でそう言っている人の多くは(平時に)政府機関が一人一人の人間の基本的人権を制限することは絶対に避けなければならない、そういう危険性のある法整備は許されない、と考えているのだと思う。つまり「大きな目的」というのがクセモノだと考えていると思う。
 でも、だからと言って、そのことだけ考えて、侵略された時に一体どうするのか。それを一切考えないで良いのかどうか、ちょっとわたしは不思議です。いや、戦時下で発効する法律を作るのは外交政策上も最善ではない、と言うのはわかります。でも‥‥。

 とにかくココの、「大きな目的」のところをどう考えるか、そのスタンスの違いがいちばん大きいんじゃないかと思います。

 加えて、「必要だ」とする人の多くは、外国の政府をあまり信用していない、とも言えるんじゃないかと思う。逆に「不要だ」とする人の多くは、信用したがっている、と言えると思う。

 「必要だ」とする人を現実論、「不要だ」とする人を理想論とするのには、わたしはなじみません。理想や現実というコトバで、戦時法制や戦時法制の平時下への適用の危険性を語るのは、ちょっとまずいんじゃないかと思います。と言ってもあまりうまく伝わってないような気がしてなりません。というかわたしの中でうまくまとまってないんじゃないか、という気がし始めています。もっと頑張らないと、おれ。

 ええと。

 加藤尚武の『戦争倫理学』ちくま新書【bk1】を読んでて出てきたのは ‥‥ ぱらぱら。

  • 絶対的平和主義(絶対的非戦闘主義、の方が正確か?)
  • 戦争限定主義
  • 無差別主義

 という、三つの考え方でした。別にどれが良いとか悪いとか、そういうことが書いてある本じゃないです。

 うーん。明日また考えます。

  • 昔々、原発を作った側が原発災害の対処法を尋ねられて「原発は絶対に安全だから、コワれた時の対策なんて絶対に要りません、絶対に考えません。」と言っていた(今はそんな阿呆なことは言ってません、念のため)。わたしは慥か広瀬隆の本などでそれを読んでムチャクチャに怒ったと思う。
    核分裂と他国軍の行動とは別の話だけど、やばいことになったら半端じゃなくやばいことになるという点では共通だと思う。何らかの決め事は、あった方がいいと思う。
     
  • スパイ防止法の騒動のとき、「スパイはスパイ防止法など作らなくても十分に取り締まれます」という論があった。実際その通りだと認識している。
    今回の戦時法制だけど、そのような論はまだ聞いたことがないんだけど ‥‥ それって本格的にヤバいってことじゃないよな?
    なお、20年くらい前に国会で審議されようとしていたスパイ防止法というものは、わたしの理解では、治安維持法なみにザルザルした基本的人権無視法でした。
     
  • なんでもかんでも二項対立で理解しようとするのはまずいよね。無理矢理に分類して二項化すれば考えるのラクだけど、でも加藤尚武のを見ると、いわゆる絶対的平和主義と無差別主義との間にはどちらとも違う考え方があるわけです。
    戦時法制についても、なんかこう、間に何か隠れてるんではないかな。というか恐らく隠れているに違いないんだと思う。
     
  • 議論って、どうしてこうも勝ちたがる人が多いのだろう? あるいは説得したがる人が、はたまた他の意見を無視して自分の意見が唯一絶対の正しい意見だと信じ、それに対する他人からの「理解を求めていく」という無意味な言葉でゴリ押しを正当化できると信じ、相手が何を考えているのかを想像せずに同じコトバを繰り返してしまう人が。
     
  • あ、わたし大体いつもと同じことを言い始めてますね。

 ではです。少し休みます。

 消防車がびゅんびゅん走ってました。火事みたいでしたが、いまは静かになっています。

 火事と他国からの侵略は違いますが、類焼を防ぐためになんともない家を打ち壊すことが火事ではあります。どういうふうな基準で打ち壊すのか、多分なんらかの決め事があるはずです。

 火事じゃないときに「異常に乾燥してるから燃えないように」と言って、家に水をかけてくれるのは良いかもしれない。でもガシガシ壊し始めたら、それはおかしい。

 うーん。

 逆に戦時法制で最低ラインを何も決めていないと、戦時は国家機関の判断次第で何でもアリの変な状態になってしまうんじゃないか、という、そういう恐れはないのだろうか。

 いや、もちろん、平時に拡大解釈みたいな感じで徴用とかされるのは阻止しないとならないと思っています。

 うーーん。

2003年4月8日(火) 4月9日(水) 2:02 +0900

◇ 長いかも。

 昨日の日記で絶賛してたカール・リヒターの『マタイ受難曲』、楽しく(?)聴いていたのですが、さすがに3時間ぶっ続けはヨッパライの体力の限界を超えてまして、ちょっと厳しかったです。

 うつらうつら眠りながら聴くのはちょっと申し訳ないので、二枚目の真ん中くらいでやめて、ちゃんと布団入って眠りました。

 わたし歌詞内容はつまみ食いしてるだけです。それでも全然良い。でも今日【マタイぐみ】というところを見つけました。かなり詳しく説明してくれているようです。そのうち勉強してみようと思う。

 今日はこれから勉強系のファイルを作るので、その間にかけて聴きます。ってそれは真宗系の勉強なのです。その時にキリスト教音楽の最高峰のひとつをBGMにする。これはとっても良いことかもしれません。何がどう良いのかは、わたしにもわかりませぬぅ。


◇ 佐々木敏の新作。

 2002年のサッカーの頃、先輩が教えてくれたので、作家の佐々木敏氏のサイト【トップページはこちら】に行くようになりました。そこで佐々木氏の『龍の仮面(ペルソナ)』【bk1】という小説を知りました。メルマガの内容があまりにすごかったので、応援の意味も込めて買って読んでみたら、 ‥‥ 噴き出してしまいそうな表現の箇所もあったのですが、ストーリィ的にはとっても好きな作品なので、メルマガだけじゃなく、作家としての佐々木氏も、ちょっと好きになりました。

 その佐々木敏氏が4月中旬に新作を出すそうです。『ラスコーリニコフの日』【bk1】。bk1じゃなく、佐々木氏のサイトの方にちょっと詳しいめの情報があるし、注文できるフォームもあります。

 でもわたしはbk1で買うことにします。うん。日記書いたら注文します。


◇ バリウム

 就職活動も就職もしなかったせいでしょうか。そして必要に迫られなかったからでしょうか。わたし今までに一度も「バリウム」を飲んだことがありません。

 「それ変だよ。」と言われました。‥‥そうか?

 「一回くらい(胃を)レントゲンで見なきゃ心配だよ」とも。

 友だちは健康診断で水曜日に飲むのだそうです、バリウム。うまくも何ともないモノを飲むために、火曜日の夕食に出た美味しそうなビビンバも食べられず、さらに明日の朝のごはんも食べられない。ということで、八つ当たりしたかったようです。だから「それ変だよオカシイよ」という、理由がよくわからないけれど非常に非難めいたコトバになったらしい。

 ‥‥まあ、実際、この年で一度もバリウムも胃カメラも飲んでないってのは、たしかにオカシイのかもしれません。別のトコロにCCD入れて見てもらったことはありますけれど。

 ということで、そのうち。しかしどういうタイミングで見てもらうのだろう。

 ではです。

 そうそう。4月8日はお釈迦さまの誕生日らしいです。いま生きていたら、ゆうに2500歳くらいでしょうか。生没年に関して100年くらい開いた説があって、どちらも有力で、つまりよくわからないようです。ともかく歴史上に実在した人であるのは間違いないらしいです。

 注意すべきは、その人が歴史上に存在したという「事実」が、自分の受け容れているその人の説示が普遍的な「真実」であるということの証明にはまったくならない、ということでしょうか。

 歴史上の「事実」と、人間が一人一人かかげている「真実」、それの性質の違いを理解しようとするあまり、勢い余ってすべての「真実」がウソだと勘違いしてしまうのも、注意した方が良いと思う。

 まあまあ、とにかく、ではです。

2003年4月7日(月) 4月8日(火) 5:00 +0900

◇ お花見♪

 今日は勉強会のみんなと、大学そばの梅小路公園でお花見でした。

 勉強会のOB、お世話になってる先輩二人を電話で呼びつけてみたんですが、二人ともちょっと都合あわなくて、無理でした。ちょっと残念でした。

 たぶん、お花見というのは、花を見ながら何か語り合ったり酌み交わしあったりコレおいしいですよと勧めあったりするのがメインなのではなく、まっったく関係ない他者がそのそばを通りかけたときに

  「ああ、お花見かあ。。。。。いいなあ。。。。」

 と思う、そういう雰囲気を醸し出すことが主目的な行為なのではないかと思います。
 シアワセの おすそわけ 垂れ流し。

 ということで、成功だったのかどうなのかはよくわからないんだけど、でも話したり飲んだり食べたりしてた人間たちの共通理解としては、「楽しかったし美味しかったね♪」ということなので、非常によかったです。


◇ Economic Cancer

 あ、めーりか、あんめーりか。

 と言ってるように聞こえるプリンスの曲があります。「コドモタチを自由に保て!」的な歌詞があったりする曲です。思いっきり短調の曲です。U2にも、「逃げてこい、逃げてこい、‥‥こんなアメリカへ‥‥」的な歌詞の曲があったりします。

 たぶん、自由の象徴としてのアメリカ、という概念が昔はあったと思うんです。プリンスやU2の曲が究極的に何を言わんとしてるのかはわからないんですけれども、なんとなく、なんとなく、「アメリカ」という言葉にそういう何かが想定されてる・されてた、ような気がします。

 いまのわたしは「アメリカ」という言葉に何を象徴させられるかな、って考えると、ちょっとさみしくなってきます。

 コクミン一人一人と話すと、とっても良い奴ばっかりいるんじゃないかな? って想像します。しかし、今のあのクニの真ん中にある政治組織のいちばんてっぺん、大工でいう「統領」みたいなところにいる人間の考えてることは皆目「ワカラナイ、シラナイ、小麦粉カ何カダ」って水準になってるので、うまいこと想像できない。にも拘わらず、その「ワカラナイ小麦粉」が、わたしにとってのアメリカの象徴になっていてしまったりする。

 皆目わからない。

 というか、日本というコトバで表現されることに一定の意味が見いだせる、ある特定地域の特定の現象に「えこのみっくあにまる」というコトバを付与して、それでその時代のその土地に表出されたすべての現象をうまく言い得た、

 のであるのなら、

 わたしは、今のアメリカという現象に、「えこのみっくきゃんさー」、という名前をつけたいと思っています。

 って、いま日記書きながらふと思いついただけのコトバです。

 アメリカという現象は、
 他の一切の現象を否定し攻撃しながら
 癌のように広がっている。

 そういうふうに、今は感じられてます。


◇ RICHTER

 遠藤周作『死海のほとり』【bk1】を、年上の後輩@大学院、の方が勧めてくれました。

 上述のお花見が終わった後に、集団で、その方の部屋にお邪魔しました。すごく片付いた部屋で、本もCDもすぐに参照できる環境になってました。で、そのCDがわたしのCD棚を席巻してるCDたちとあまりに異なるCDたちで埋め尽くされていて(具体的には、クラッシクばかりだったという、そういうことです。プリンスも中島みゆきもカヒミカリィもU2もYMOもなかった、と。いや、聞かれるそうなんですけれど。。。)、 ‥‥ そういう時って、意地でも自分と同じ趣味のCDを探したくなるものではありませんか?

 え? わたしだけ? (汗)

 とっっっ とにかくわたしは探したくなって、探しました。そしたらグールドが見つかりました。

 グールドがあるということは、それはつまりヨハン・セバスチャン・バッハがあるということを意味します。というか、まんまです。んだもんだから(わたしとしては)当然のこととして、わたしがわかる範囲でのバッハを捜すわけです。もちろん変奏曲が見つかるわけです。そして気づくと、そのCDのヨコには、わたしの「知らない天井」by庵野、または「知らない空」by田中理恵、としての「知らないバッハ」が並んでいることに気づくわけです。

 そしてもうひとつ気づくことには、見た感じそのCD棚の1/3、ざっと100枚くらいががバッハなわけです。それだけの密度でバッハがあるということは、‥‥‥

 と思って探したら、やっぱりありました、リヒターのマタイ受難曲ハコ入り全曲CD。

 というわけで、借りてきて、いま、なんての。

 シアワセなのですよ。(^▽^)(T−T)(^▽^)(T−T)

 その方はその方で、わたしがCDを眺めているうちに、いちばん最初に「マタイ受難曲」に手を伸ばしたというのを嬉しく感じてくれたようです。

 ええ、わたしクラシック音楽について何もわかってないだけに、上のエピソードには「少し」以上に自慢が入ってます、もちろんです、鼻につくモノを感じられたなら、それはすっごく正しい反応だと思います。わたしこういうのをさらりと書くの、いつもにもまして下手です。勉強します。

 仏教徒ですよ、わたしは。「しかし」でも「だから」でもなく、「そして」でしかつながらない・つなげられない水準での理解かも知れませんけれど、とにかく、そして‥‥

 やっぱりバッハ BACH の「マタイ受難曲 MATTHÄUS-PASSION」はすばらしい。

 わたしの偏狭な理解かもしれませんが、聞くたびに、NHKのBSで流したビデオの3倍の録画であれ(だって3倍にしないと録画できなかったから。。)、借りてきて聴いてるCDであれ、聴くたびにいちいちライブとしか思えない密度で「イエスさんの喪失」という、キリスト教徒にとっての最大の問題を感じてしまえるんです。

 仏教徒であるわたしが何を言ってるのかという、そういう非難は当然だと思います、所詮、自分にわからない水準のモノを自分にわかる水準に引っ張って落としてきて、それで勝手な感情で言ってるにすぎないのだろうと思う。 ‥‥開き直ってはいけないと思うんですが、でも、それでもリヒターに演奏されたバッハという現象の表出が、ちゃらんぽらん で あっぴろぴ な わたし という現象に対して、それでも訴えかけてきてくれるように感じられるのは、とんでもないことだと思います。

 とにかく、この曲は空前絶後だと思います。

 その流れで、遠藤周作『死海のほとり』【bk1】という本と『イエスの生涯』【bk1】も勧めてもらえました。リヒターのマタイがクラッシク音楽界においてどのような位置づけで理解されているのかを説明してもらって、それで理解できたことに較べると、わたしが『死海のほとり』について理解できていることはひどく少ない。

 だって、体験してないから。

 ということで、読むのが楽しみです。『沈黙』【bk1】の姉妹篇、という評価もあるようなので。。


◇ 表出としての。

 トップページの左、ハーボットの下でピカピカしてるのは、ある意見ファイルへのリンクです。できたら(きっと)ざっとで全然よいと思います、とにかく通読してもらえたらすごく嬉しいです。そのあとで何か考えたり動きたくなったりしてくれたなら、 ‥‥ わたしの文章じゃないからやっぱりこう言うのは変な気がしますけど、でも、それでも、やっぱり、嬉しいです。

 ではです。

2003年4月6日(日) 4月7日(月) 8:10 +0900

◇ カウンタ‥‥

 何回やってもカウンタの表示がおかしいので新しく登録することにしました。22100から再開することにします。 ‥‥土曜の時点でカウンタの登録は済んでましたです。

 カウンタと言えばサップですねえ。

 何となくその流れで思い出したのかもしれませんが、武蔵はほんとに強いですね。刀がぐんにゃり曲がったのを踏んでまっすぐに直すシーン、実際にあんなことなるのか知りませんが、妙にリアルに思えました。

 中村玉緒、怖かったです。武蔵の古い古い映画をBSでやってるのを少し見た感じ、その映画のばあさんもコワイみたいでした。でも玉緒さんほどじゃなかった、ように思えた。

 吉田玉男の「政岡」はすごかったです。後ろに立ってるおじいさんはぴくりともしないのに、文楽人形は本当に本当に呼吸してました。たぶん参考にできるのは ‥‥ 【bk1】


◇ Web更新。

 バイトさせてもらってる関係のWeb更新ファイルを作り終わりました。どうすれば良いのかよくわからないところがあったので、いつもにもまして時間がかかってしまいました。それで徹夜状態です。まいったなまいったな、うふふふふ、って感じです。

 メール出さなきゃ。


◇ お花見。

 予定では今日はお花見です。夜桜かな。葉桜かな。

 二年前のお花見は完全な葉桜でした。野郎ばかりでゴザを敷いてお弁当を広げた途端に雨が降り出して、それはそれで風情のある、ただの飲み会になりました。

 さて、メール書こう・出そう。

 ではです。

2003年4月5日(土) 4月7日(月) 7:34 +0900

◇ 寝坊

 金曜の夜、と言うより正確には土曜日の1時ころに携帯と加入電話とキッチンタイマ、三つで目覚ましかけたのに、起きて携帯のディスプレイを見たら9時36分でした。

 信じられないので二回見直しました。(@_@)

 時間、変わりました。\(^▽^)/

 と思ったのが見間違いで、8時45分からのバイトには圧倒的に遅れました。

 初出勤の同僚と二人だったんです。だから謝るのとすごく心配になったのとで電話しました。 ‥‥誰からも仕事の内容を聞いてないと思われるのに、全然問題なくこなしているようです。天性なのでしょうか、いや天然なのでしょうか。

 そのバイト最近まったく遅刻してなかったのでショックです。って2カ月くらいずっとなかったわけだから、出勤しないのに遅れられるわけがなかろー。

 「きっちんたいま」と書いて変換キィを押したところ、第一回目に表示される変換候補は「キッチン大麻」でした。なんかこう、内容がうまく想像できない言葉です。


◇ 成絵‥‥

 関西では、惣流・アスカ・ラングレーみたいな顔した女の子の出てくるアニメが始まりました。声は違います。「宇宙人」なんだそうです。設定もストーリィも、初回を見ただけでは半端じゃなく深いなぞなぞのようです。よくわからないので見てみることにします。とりあえず「直撃」なんだそうです。

 というか、パンツの見せ方がオカシイです。無理矢理です。 ‥‥ ひょっとすると、これも「萌え」要素の分解と集合ということで説明がつくのでしょうか。

 深く考えないことにしよう。


◇ 書評が‥‥

 うちからよくリンクしてる【bk1】(のトップページ)、「ブリーダープログラム」というのをやってます。うちから特定の本にリンクしておいて、ココを見た人がそのリンクをたどってbk1で本を買った場合、すこしポイントがもらえる。

 以前そういうのを知って、買いたい本へのリンクを作り、自分がそれで買ったんですが、 ‥‥ それでもポイントがたまるって書いてあったのに全然加算されなくて「おっかしいなー?」と思っていたら、ココに引っ越す以前のサイトの情報で登録したままになってました。そら加算されないわけです。

 修正しときました。

 以前は書評を投稿して採用されれば300ポイント! だったので地道にためて細々と買ってましたが、何カ月か前に書評のあり方が変わって、全然ためられなくなりました。

 むぅぅ。

2003年4月4日(金) 4月7日(月) 7:03 +0900

◇ 自害

 ずっと以前のことですが、司馬遼太郎の短編集を読んでいたら、昔々、江戸時代、本願寺派のなんとかというご門主さんが病気になり、本人は全然希望しなかったのに誰かが病気平癒のためのゴマを焚くか何か、とにかく加持・祈祷をしたら治ってしまい、誰かが「そらいかんわ!」と言って無理矢理に自害させてしまった、という話が出てきました。

 びっくりしたけれど、わたしは、司馬さんがその時代の人間が実際に何をどのように考えて行動していたのかは現代の視点から大幅に脚色して書くことが多いものの、史実から大幅に逸脱したことは書かない人だ、と思っているので、「ま、まあそういうことがあったのかもしれないな。。 自殺か‥‥。」というふうに、事実として受け取りました。

 お昼からの講演会では、そのあたりの歴史的な事実について、少し詳しく話してもらえました。

 本願寺派の公式文書には「若いのに、突然亡くなった。病気だった」と書かれているんだそうです。その他のもろもろの歴史的な文書にも軒並みそのように記録されているそうです。

 しかし本願寺派の公式なお茶を担当している家の記録には、はっきり「御自害」と書かれているそうです。当該文書もプリントで配布されました。

 加持祈祷なんて本人望んでなかったわけだから事故みたいなもんだったわけだし、何も毒あおって死ぬことまでなかったんじゃないかなあと思います。しかし何をどう言っても事実は変わらないわけだ。というかなんというか。自分が悪かったわけじゃないのにそこまで考えて自分の責任を思って自害してしまう人だったのなら、それって何となく信頼できそうな気がします。生きて活動してもらいたかったかなあ ‥‥ と思います。

 その後に門主さんになったヒトがちゃらんぽらんでどうしようもなくって2年で放り出されて、門主さんとして記録に残せてもらえなかったというのは、ちょっとぶっとびました。


◇ いのり

 ‥‥という、そういう、自分と加持祈祷とについて深く考え自害してしまった門主さんの軸がそのお寺にありました。

 その人の友だちが癌の末期か何かになった密教系の僧侶の方が「俺が護摩焚いて治るんだったら焚くんだけどな‥‥」とさみしそうに言ったという、そういう笑えない話も聞いたことがあるけれど、でも「願い」は何らかのカタチにしないと安心できない場合はありそうな気がします。

 しかし下に書いたように真宗僧侶に本来求められるべきかと思われるオーソドックスから逸脱したわたしにとっても、加持祈祷はまったく意味がないので、やっぱり今後もしないんじゃないかと思います。稲城和上が「門徒もの(いみ)知らず」を「これはすばらしい言葉だ」とおっしゃっていたけれど、ホントそう思います。小麦粉カ何カダ。

 しかし他の世界観から見ればスバラシイことなのかも知れません、加持祈祷。それはわたしが大事にしてるモノが他者から見れば全然たいしたことなかったりするのと同じなのかもしれません。

 包括主義にも多元主義にも陥らないのは、難しそうです。

 土曜日は朝からバイトなので、最終日の5日は出ずに4日の夜に帰ってきました。帰って眠ろうと思っていたけれど、なんか話したかったのでやっぱり飲んだわけですよあなた。何も考えずにフツウにいっぱい飲んでしまったのが土曜日の悲劇の原因です。

2003年4月3日(木) 4月7日(月) 6:30 +0900

◇ 理由:バイト

 2日の日記を3日の朝に書けたのは、2日の夕方に京都でアルバイトがあって八尾から帰ってこなくてはならなかったからです。

 1日の夜、お寺の真っ暗な本堂にめいめい布団借りて敷いて眠って思ったのは、この「仏教文化講演会」(ふと思う。「仏教文化講座」だったかも知れない。しかし文脈には問題ありません)は、昼間も興味深いけれど、夜の部の方がより興味深いということと、集まってきている真宗僧侶の方々の話を課外(?)の時間に(おもに夜に)わらわら聞かせてもらってるのも非常に興味深いということでした。

 だから「八尾では今頃いろいろやってるんだろうなあ」と思うと、バイト中も、バイト終わって部屋に帰ってきて一人でごはん食べてこもごも眠るのも、ちょっともったいない感じがしました。


◇ とは言え。

 ネットにつなぐのは、それはそれで面白いわけです。カウンタが原因不明でおかしくなっていたのを直そうと試みて深みにはまったり、知り合いの方が掲示板上での議論(いや、あれは議論と呼べないと思う)で暴走してるのを読んだり、たつみさんの日記がやたら牧歌的でいつもにもまして面白かったり。

 あと、最近パソコンでないとうまく文章が書けなくなってきてるようなので、3日の朝に再びお寺に向かう際、ノートを持って行くべきかどうか少し悩みました。 ‥‥ まあ不便でも手でちゃきちゃき書けば良い、それに荷物になる、と考えて持って行かないことにしました。

 ラッシュの時間帯にぶつかったわりにスムーズに行けました。そして、後輩に連れられて一度行ったきりの場所なのに、なぜか迷わずに行けました。

 朝の稲城和上のご法話はやっぱり稲城和上のご法話でした。昼間の津本陽氏の講演会は、「書くのと話すのは違うから、大したことなかったりしてなー」という感じで何も期待せず、かえって妙に斜めに構えて聞き始めたのが申し訳ないくらい面白かったです。聞いてるこっちが笑ってしまうことを本人は全然笑わず狙ってないかのように言える人ってランダムで刺激的です。あとびっくりしたのは、椅子に座って第一声から枕を置かずに伝えるべき内容を語り出したことです。目の前でライブで語ってるんだからあたりまえだけど、場所の共有だけじゃない、もっとダイレクトな感じがしました。

 その後、僧侶の方が「話すのが格別にうまい、というわけじゃないんだけど、なんだろう、あの語りの勢いのような熱のようなものは強烈に訴えかけてくるなあ。 ‥‥ 布教使もあのくらいの熱意をもって喋ることができたら良いんだろうなあ。」みたいなことを話してるのを聞きました。 ‥‥ そ、そうなのか。

 夜は期待通りでした。いや期待以上でした。そういうのを「楽しかった」と書くと変な感じがしますが、でもやっぱり「楽しかった」と書くのがしっくりきます。

2003年4月2日(水) 4月3日(木) 1:00 +0900

◇ お聴聞‥‥

 4月1日から、大阪の八尾南にお聴聞に行ってました。明日、3日も行き、4日の夜、または5日の早朝に帰ってきます。

 ‥‥というようなことを1日更新分、31日の日記に書こうかなとも思ったのですが、わたしが書くと事実でもウソっぽく感じられてしまうことというのは多いし、お聴聞なんてその筆頭だと思ったので、4月1日に書くにはふさわしくないと考えて、書かずにおりました。

 パソコン持って行かないので5日まで更新できないと思います。


◇ カウンタ‥‥

 カウンタが変です。次回更新時も変なままだったら or 「022223」以降に表示されていたら対応策を考えます。

 たぶん「022100」から再開、などということになると思います。

 んでは。


◇ 桜‥‥

 大阪では桜が満開に近い〜満開になっています。
 京都は、市内はまだ三分咲き〜五分咲きかな。
 近いうちに、Iさん、Kさんと一緒にお花見しましょうね。

 次回の更新は土曜以降になると思います。

 ではです。

2003年4月1日(火) 4月7日(月) 6:05 +0900

◇ お聴聞‥‥

 (コレを書いてる時点(7日)からは約一週間昔の話になりますが)お聴聞でした。稲城和上のお寺です。第五十回目の「仏教文化講演会」に無料で参加させていただきました。

 真宗関係者(?)の方にはアタリマエな水準のことですが、真宗では「お聴聞」、真宗の僧侶の方が阿弥陀さんを背にして語るお説教を聞くのがすごく大事なこととされています。なぜ大事なのかについて語り出すと長くなるしうまく説明できないので今日は勘弁してください。

 とにかくですね。ええと。

 わたしはそういうのをあんまりしてません。今回は勉強会の後輩が誘ってくれたので行けました。Nくん・Aくんありがとう。お世話してくれたさまざまな方々、ありがとう。

 わたし、大学院での研究テーマは何年も前から「真宗と現代との関係性」に設定しているわりに、「現代」はどうやら生命倫理系の分野の方であっぷあっぷみたい(最近「ニヒリズム」を避けて通るわけにはいかないんじゃないか? と思い始めているけどそっちまでカバーできるかどうか微妙)。そして「真宗」の方は、真宗の「教義」じゃなく「ご法義」と言われる分野の研究や、より実践的なコト(真宗に「修行」は一切ありません、念のため。しかし能動的な修行じゃない分野で実践的なモノ、体が動かされてしまうような方向での実践はやっぱり想定・同定することは可能と思われます)をする場所にわたしが出向いていると ‥‥ たとえば今回のような ‥‥ 、必ず複数の方から「あれ? 石田さんどうしたんですか? なんて場違いなところに‥‥」的な反応をされるほど、もう すっからかん に あっぴろぴ なわけです。

 とにかくこれじゃ周囲で見ていてどうも心配でたまらないようです。それでいろいろな人がいろいろな手段でそっちの方に向けてくれるわけです。これをお節介と理解するか感謝をもって受け取るかが問題なのかもしれないけれど、最近ちょっとあきらめついて来たのでしょうか、たまに ‥‥ 混み始めた電車やバスの中で年配の人を見かけてスルスルスルっと自然に立てちゃう時くらいたまに ‥‥ 、後者以前の状態ですけども、聞きに行けることがあります。

 とある状態を示す真宗の術語である「約仏」という観点からいけば「行かせてもらう」になるわけだけど、今はわたしのそういう状態をそういう言葉で表現すべきとは思えないので「行ける」って書いてみた。

 まあそんなわけで、とにかく行けたわけです。


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