Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 2001年6月

2001年6月29日 30日(土) 05:30  できたっ

 やっと、印仏研の発表レジュメが完成しました。今↑からちょうど12時間前、わたしが今向かってるパソコン‥‥の中と言うか外と言うかまあとにかく‥‥で原稿が完成。

 プリントアウトしたサイズはA4。でも発表時には二枚並べた縮小‥‥B4にしていたい。つまりこれをこのまま「リソ」してもいけない。

 学校のコピーは最近どうも粗かったり線が入ったりカスれたりする、と常々(少々変な言い回しになっている‥‥)思っていたので、今日は違うところのにしようと考える。コンビニくらいしか思いつかない。‥‥モノクロコピーで良いからどこでも良い。だがローソンは異様に遅いので却下。すると‥‥待て待て。こないだあそこに新しくファミマがオープンしてただろ。コピーってのは消耗品だから、そりゃ新しくリースされた機械でやった方が良いに決まってるやん。

 と考え、ファミマでコピー。さすがに綺麗に取れます。うむ。

 学校に行き、自転車置き場で思わぬ三人組に会って時間を取られるも(こちらが取ったのだという説も根強い)とりあえず印刷室でリソグラフ。コピー原稿が綺麗なせいか、

 とりあえず50枚。10頁、五枚あるので250枚。

 そのままロビーの机に並べ、五枚セットにして折り出す。折る。もっと折る。かなり折る。

 30分後くらいにやっと完成。一服。HTML化すべき、と思う。

 12時間を経て、完成。それは、ここです。
 そんな感じで、管理人は東京へ行きます。月曜の夜遅くかお昼か、そのくらいまで日記の更新はできません。その間、掲示板で遊んでやっていてください。よろしくお願いします。
<(_ _;)>


お願い 30日(土) 05:55


石田は今年の印仏研で発表します。クローンと真宗との関係、みたいな発表になる予定です。つきましては発表レジュメをHTML化いたしましたので、ご意見をお願いいたします。どのような立場からの意見でも待っています。

真宗と生命の技術
ご意見お待ちしています。
7月1日発表予定(NEW ! 2001/6/30)

2001年6月28日 28日(木) 07:00  うわっっっ

 村上陽一郎の『文化としての科学/技術』岩波書店を読んでいました。科学史の専門家の方です。わたしが「科学」や「技術」に関して何かすごく良さげなことを言ってる場合は、ほとんどが彼の受け売りです(とんでもないことを言ってるときは、ほぼ全て間違いなくわたしの勝手な思い込みです)

 クローンについてレジュメを切るはずだったのに、この本の一部を要約してレジュメ化してました。‥‥もちろんクローンの方でも使えます、だって技術なんだもん。でもって、彼の言う「プロトタイプの科学」と「ネオタイプの科学」って場所から語るのって、すごく有効なんだもん。

 ではでは。おやすみなさい。お昼くらいに起きられたら良いな。っていうか、洗濯物を取り込んで、クリーニングを取りに行って、つたやにCDを返して、それから登校だからやっぱ、お昼前に起きなくてはいけないな。では。



2001年6月27日 28日(木) 02:30  あちちち

 京都は「殺人的」って言って良さそなくらい暑いです。元気ですか。佐伯も石田もバテ気味ですけど、なんとかやっております。

 これだけ暑いとイラつくのかなあと思ってたんだけど、顔はどうも弛緩してるような気がします。うむ。ちょっと良いことです。あちちち。
 いや、気がするだけかもしれませんけどね。もともとにこやかな顔と無縁な感じの表情が得意なので。うむむ。

 先週土曜日に髪を切りました。発表があるのでね。
 ‥‥日曜日に、全体から見れば小規模ながら14人も集まって某サイトのオフ会があった、というのも無論作用しています。はっは。

 ‥‥さて、何のサイトでしょう? (正解しても「うん」と言いません。)

 先週の木曜にプレ発表したときから、「クローン」に関するレジュメのヒナガタを読んだ方から相次いで意見をもらってます(ほとんどオフでなんですけど。最初メール、その後オフ、という方も一人だけいます)

 多いのは「なぜ真宗とクローンなのか?」という至極もっともな意見です。「うむ。これについてはすでに修論で書いたはずだからそれをまずコピペして、それから加筆訂正をしよう♪」と思って修論を当たったのだけど、‥‥ないですよね?(誰に聞いてる)
 だからまた書いてます。他の論文やレジュメにはありそうだから、そっちをまた当たってみて、使える記述があったら使います。
 ‥‥そういうことをし続けているとどんどんレジュメが内容的に痩せていくんだろうなあ。まあ仕方ないか。俺なんだし。

 時間的にもキビシイし、以前ココロある先輩がアドバイスしてくれたように

 「やりたいこと・やれること・やるべきこと」

 を見極めななければならん、ってのを肝に銘じて、なんとかして少しでもマシなものを捏造し完成させようとして日夜 夜々、縷々、努力しています。

 りゃあ。内容のわからない発表ネタになっている。すみません。



お願い 21日(木) 22:55


石田は今年の印仏研で発表します。クローンと真宗との関係、みたいな発表になる予定です。つきましては(?)、どんなことでもいいので、ご意見をお願いします。ご質問でもなんでもホント、よろしくです。全部(?)発表に反映させたいと考えています(甘いかも‥‥)!
(これにかまけてて日記の更新が滞っています! スミマセン!)

pre 真宗と生命の技術 pre
ご意見お待ちしています。
7月1日発表予定(NEW ! 2001/6/21)

2001年6月26日 27日(水) 15:00  エディタ

 たつみさんのところに行ったら、エディタを紹介されました。えっと。
 たつみさんのところは ココ、エディタはココです。

 今ソレを使いながら書いてます。いつもは<BR>って打ってるのが<Br>になるので少し違和感を感じてますが、タグを変に閉じ忘れると本文の色が色が変わったままになってくれるので、解りやすくて良いかも。でも「変に」です。本来の意味でのタグの閉じ忘れは自力で見極めるしかないかも。

 クローン関連の学会発表レジュメに対して、先輩からアドバイスをもらいました。その中で村上陽一郎『文化としての科学/技術』(岩波書店)を紹介されました。今日早速買いに行きます。今日早速読みます。

 うーん。表面的にはすごく忙しくなってきました。まいったまいった。しかし忙しいと思ってられるうちが花です。うむ。洗濯もしないといけないなあ。

 ではでは。まったく不定期更新で非常にすみませんです。

2001年6月25日 26日(火) 11:00  途方

 日曜日、ネットバイトのオフ会でした。普通の飲み会から参加したのですが、お昼ご飯のバイキングが1次会、その後のボウリングが2次会ということで、飲み会は既に3次会でした。で、その次の軽いカラオケは4次会、徹夜カラオケは5次会、その後の朝ご飯は6次会。

 わたしは3〜6に参加でした。

 ちょっとしんどかったです。もう若くないさと誰かに言い訳したくなってきます。別に就職が決まってロンゲを切り落としたってわけじゃないんですけど。わかるかな。わかんねえだろうなあ。そういえばこういう歌詞の曲を昨日は歌い忘れてしまいました。

 カラオケメンバーの中では最年長でした、わたし。同年代の友だちを前にしたときと同じ感覚で銀色夏生作詞・大澤誉志幸作曲 『そして僕は途方に暮れる』 を歌ったら、「知らない」と言われて焦りました。というか、途方に‥‥。
 しかし、俺が中1くらいの時のヒット曲なんだから、それはつまり、年齢が10違えば2歳か3歳当時の歌と言うことになるから、聞いたことなくても無理はないわけです。いや、しかしさ。そのわりに久保田の『Missing』はわかってくれるんだよなあ。大澤のは歌い継がれるタイプの歌ではなかったということなんだろうか。ベストセラーが時代を越えて常に残っていくわけじゃないですからね。『地上』なんてどこかに消えましたし。
 そういえば、昨日の『人間講座』を見逃したようです。うう。

 6次会の朝ごはんを食べて、大阪から阪急に乗って帰って来ました。疲労が極限に到達していたようで、気づくと、音を切らずに携帯メールを打ちまくってた神経不行き届きな乗客に音を切るように言ってました。‥‥同い年くらいの姉ちゃんだったんだけど、解らないみたいでした、切り方。あほ。そのくらい知ってから持てよ。
 石田的には、文明の利器を持つときには自分の出す音にまず気を配るってのがあるんですが‥‥。気にしない人は本当に気にしませんね。
 禁煙と書いてある灰皿のない場所では吸わない捨てないというのも、気にしない人は気にしないし、一緒にいる知り合いにそれを注意されても「かまへんやん」と言って吸い捨て踏み消してそれっきり、という輩もいるようだし。まいるねえ。
 携帯持ちの一部の甘えが携帯を使える範囲を狭め、煙草吸いの一部の甘えが俺の喫煙所を減らすわけで。ペースメーカ云々という言い訳を列車内で流すのは無駄だからやめれば良いと思う。「かまへんやん」と言う傍若無人な人は何を流しても好き勝手するわけで、しない人はそもそもそういうことをしないのだから。苦痛ばかりが広がっていく。

 そして、部屋に帰ってきてちょっと眠ったら、別口のオフ会に誘われてそっちにも行きました。京都駅向かいのJTB二階にあるイタリア料理屋さんでした。久々のピザ。うまかったなあ。

 オフ会2連発の佐伯&石田でした。
 電話代を払ったりスーツをクリーニングに出したりしないと。。。ではです。

2001年6月23日 24日(日) 09:00  高校生。

 「最近の若者は云々」って言葉って、まだ有効なんでしょうか。

 3月の末から高校生とネットでのみ接するアルバイトをしてるんですが、二重の意味で、前々から漠然と思っていたことを実地で‥‥まあネットだから「実地」とはあまり言えないのかも知れませんが‥‥、感じています。

  1. 若者は「若者」で一括りにできるほど無個性ではない
  2. ネットも対面同様、人と人との関わりだ
 リキんで言う必要もないか。

1. 老若男女を問わず、アホな人間はアホであり、馬鹿な人間は馬鹿であり、アタマの良い人間はアタマがよく、賢い人間は賢く、傍若無人な人間は傍若無人であり、謙虚な人間は謙虚であり、言葉足らずな物言いをする人間は言葉足らずであり、文章のうまい人は文章がうまい。そりゃそうだ。
 対象を「若者」や「17歳」で括って何か有意義なことを言おうとするなら、全称文の及ぶ範囲を逸脱してはいけない。自分の注目して見ている一部のソレとソレ全体を同一視し自分の見解に疑いを差し挟まないままで語り尽くせると信じ切るのは、怠惰だである。

 ‥‥と言ってるこれも微妙に全称文かもしれません‥‥。

2. ネットでの会話は顔と顔を突き合わせて話す対面の会話とは異なり、身振り手振りや表情が伝わらず、ほとんど文字だけの会話になる(^^;)。対面ならば言いたいことを言いきる前に相手の表情を読んで言い止めたりもっと言ったりできるのに、それがまったくできず、互いに、言おうと思ったことを言い切ることしかできない。
 だから(?)ネットでは、些細な誤解や甘えが作用することによって、文字で表現した心情や意見が不可逆的なくらい伝わらなくなることがある。だけどこれは対面での会話にも全然通底する事実だ。些細な誤解や甘えに基づくそれが積み重なれば、時には積み重なる間もなく、対面での会話や接触も、関係を粗鬆にする。

 どの会話にも共通して必要とされるのは、有名無実に見えて実は確実に現象している相手のココロを現前に創造する想像力である。それを怠れば人と人との関わりは崩壊する。
 ネットは意志疎通に不向きな無味乾燥な道具なのではない。ナイフとハサミには特異分野があり、かつ同じモノを切ることもできる。だが同じ切り方ではうまくいかないことが圧倒的に多い。特異な切り方があるのだ。それを理解して技量を磨けば、どちらでも切れるものはどちらでも切ることができる。それと似ているのではないか。

 言葉だけで理解し尽くし合うことはできない。そもそも人と人とは理解し尽くし合うことができないのではないかと思えてならない局面が対面での会話にも存在する。対面であればすべてが可能であるとする幻想を捨て去るところから始めれば、ネットでの会話に必要などのような技量を磨けば良いのかも自ずと判明するのではないか。自分が不得手だからと言って、全ての他人に自分と同じように振る舞えと言うのは傲慢である。


 ネットでバイトしてて、そんな思いをまた新たにしています。

 しかし、上の文章の最後は苦しいと思います。おやすみなさい。

2001年6月22日 22日(金) 23:00  どうもこう、うーん。

 最近どうもこう、うーん。 うまくないです。

 元気がないのに無理してカラ元気出して動いてるうちに元気なんて出てくる、って言います。実際そうだと思います。朝ベッドの中で動きたくなくてうんざりしても、とりあえず体を起こして少しずつでも動き出すと、カラダもココロも案外動くもんですから。
 でもその間‥‥カラ元気出してるうちに何か、自分が凹むようなモノを、たとえそれが誤解からのヘコみであっても見てしまうと、事実としてまずヘコむ。

 カラ元気出してる段階でまずオカシイ。だから、それが理解なのか誤解なのか、自分の読みで本当に合ってるのかどうかを考える余裕がない。でもって、見てしまったソレの時空的な周辺にはそれっぽいのがわんさとあるから、誤解なんてあり得ないと勘違いして、曲解してわめく。「周辺にあった」と考えてるモノが事実なのかどうか、事実もあればそうじゃないモノ・誤解に過ぎないモノも含まれてるに違いない、って、ちょっと考えれば解るはずなのに、そしてそれに気づけばその後の自分の行動は自ずと実際に取ったのと異なるものになる可能性があったのに、面倒なのかなんなのか、その可能性・危険性をむしろ積極的にうっちゃってしまう。

 で、決定的な一線を踏み越えてしまって、そのおかげもあって、自分が単に誤解してわめいてたに過ぎないことがわかると、その事実がやっぱり恥ずかしくなって、謝ってからまたヘコむ。「取り返しがつかないこと」というのは特別なモノじゃなく日常に溢れてる。謝れば済むとか済まないとか、そういうところから妙に逸脱した状況にソレがある場合、謝っても悔やんでも実際どうにもならない。具体的なソレの中で、具体的なソレを思い、かつ、一般的にもそうであることに思いを馳せ、同時の二段階でまたヘコむ。

 ‥‥何か自分の構造を変えなければならないんだろうなあとは思うけど、どうもこう、うーん。うまくいかんなあ。

 コレを乗り切って自分の構造を少し変えるために選ぶべき、カラ元気を出すよりもまだ有効な方法はわかってます。恐らくきっと解ってると思います。だけどそれを選択する気にどうしてもならない。これは一体なぜなんだろう。

 相談してるわけではないと思います。ぼやきモードです。

 明日はもっとヘコんでない時に書くことにします。

 ダイレクト過ぎるのかな。もう少しクッションを配置しよう。

 最も有効な方法を選ぶのがわたしはまだイヤみたいです。「俺って駄目な奴!」って思うとまたヘコむし、それを避けるためにも、この間にいろいろ試してみることにします。

 妙にくらーい日記になってしまったなあ。おおむね元気なんだけど‥‥。

   あれ。 ‥‥あれっっっ!

 わあ! 掲示板すごーい!! ありがとう!!(クローンの方じゃないけど。)

お願い 21日(木) 22:55


石田は今年の印仏研で発表します。クローンと真宗との関係、みたいな発表になる予定です。つきましては(?)、どんなことでもいいので、ご意見をお願いします。ご質問でもなんでもホント、よろしくです。全部(?)発表に反映させたいと考えています(甘いかも‥‥)!
(これにかまけてて日記の更新が滞っています! スミマセン!)

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ご意見お待ちしています。
7月1日発表予定(NEW ! 2001/6/21)

2001年6月19日(3) 20日(水) 06:30  梅雨本格化

 under20世界大会の一次リーグ見ましたけど、ちょっと悲しかったです。そこそこいけそうなのにオーストラリア何んか強いや。
 梅雨が本格化して、まるで台風みたいです。買い物に行きしなは良かったのですけど、帰りしなはじゃぶじゃぶになってしまいました。その後でずぶずぶのサンダルをはいたら「にゃっ」「にゃっ」「にゃっ」と言います。‥‥一体いつころ乾くかなあ。

 最近、気づくとメールのタイトルが「にゃー」になってます。なぜなんでしょう。「にゃーん」とか「にゃおーん」とかもあります。前もらった返事は「わんわんわん」でした。うむ。

 入試の採点ミス、浪人の時によく話題になってました。「○○は現役で受かったけど絶対採点ミスだ」とか、「昔々、俺の伯父さんは受験を申し込むだけ申し込んで、試験は受けなかったんだって。でも合格通知が来ちゃった、って言ってたよ」とか。
 「早稲田大学は、不合格者が手続き通りに問い合わせると、『あなたは何点でした。ボーダーは何点でした』ってふうに、ちゃんと教えてくれます。‥‥皆さん落ちたからココにいるんですよね? ぜひ問い合わせて、ぜひその情報を入手してください。‥‥データを集めてるので、よかったらソレを教えてね」
 予備校ではそのように言われました。サテラインゼミでしたけど。
 「ふーん」って思ったけど、入手しませんでした。まあ、聞くのも恥ずかしいくらいな得点であったことが自覚されてたからねえ。

 イチローが大リーグのオールスター投票で一位ですけど、どうなんでしょう。日本の一部コンビニに置いてある投票用紙も集計の中に入ってるんですよね。そのうちわけはどんななんでしょう。ちょっぴり気になります。
 リプケン引退しちゃうんですね。ほっとんど見たことない人だけど、でもなんか寂しいです。こういうのも存在感って言うのかなあ。



2001年6月19日(2) 19日(火) 02:30  波乗りジョニー

 サザンの新曲だと思っていたら違った。あれは桑田佳祐の新曲か。

 コカコーラのCMでバックに流れてる、ちょっと懐かしい感じのする、歌詞がもうしょうもないあの曲。波乗りジョニー。たった今、CDのCMを見ました。
 そかそか、桑田さんは『おっととっと夏だぜ』が聞きたいのか。
 何かもっと古い曲を言うのかと思ったら。いつ見てもキュートやなあ桑田氏。『みんなのうた』のあたりで少し自信をなくしたけど、たぶん終始一貫20年間、おおむね変わらぬアイを保ち続けています。

 言う人に言わせると「どれも同じ歌にしか聞こえん」ってことですが。身びいきってやつでしょうけど、うん。良く感じられるモノは良いのです。仕方ない。



2001年6月19日(1) 19日(火) 02:00  女満別

 J-Sky の「このサービスを使ったら携帯でもっといっぱい文字が送れるよ!」って CM で、女満別 が全国区になってしまってます。「女」→「女満別」。読めますか。「めまんべつ」です(まめちしき)。北海道北見市の最寄り空港のある市です。留辺蘂の最寄り空港でもあります。なんかちょっと嬉しかったです。

 留辺蘂。読めますか。「るべしべ」です(もっと、まめちしき)

2001年6月18日 19日(火) 01:00  人間講座

 NHKで『人間講座』ってのをやってました。猪瀬直樹が担当で、タイトルは「作家の誕生」。今日は第三回「サラリーマンとフリーライター」。

 何んかすっごいオモロイんですけど。(≧▽≦)テキスト買っちゃおっかなー。

 話の内容としては、まあ、多分教科書なんかで読むとあんまり面白くなさそうな気がします。NHKの「みんな見てよ!」的な案内は、ここ です。見てて印象に残ったことだけ引用ふうに書いてみますとですね。

 森鴎外は政府関係の高給取りであった。その片手間に作家をしていた。同時代の夏目漱石は大学教授で、やはり高給取り。彼は大阪朝日新聞に招かれ、年収を倍にし「小説記者」となった。‥‥二人とも固定給でリスクを負わずに作家活動をしていたという点では同一。朝日新聞は夏目漱石のおかげで部数を数倍に伸ばした。
 その後、『中央公論』という雑誌が部数を伸ばした。それは名編集者・滝田樗陰の力によるところが大きかった。彼は『中央公論』にとにかくなんでも面白いモノを詰め込んだが(たとえばゴシップアイドルの平塚雷鳥に書かせたり)、その要素の一つとして小説があった。そしてそこから、作家が作品だけで食べていけるかもしれない可能性が生まれたのである。

 いや、教科書的に書くと全然魅力的じゃないですね。だけどホント面白かったんです!
 平塚雷鳥を説明するのに「この人は‥‥デヴィ婦人じゃないけどいろいろあったんですよ!」と言ったり、菊池寛と芥川龍之介の写真を並べて、菊池の方を眺めて「この人はまるっこい顔をしてるでしょ。うん、渥美清じゃないけど、こんな顔だったんですね。じゃぁこっち、芥川はほんといい男でしょ、いかにもモテそうな。」みたいに言ったり。

 次回、第四回は、第三回の菊池寛つながりで『文藝春秋』創刊の話とか、日本初のベストセラー島田清次郎『地上』(新潮社)秘話などを語ってくれるそうです。『地上』は高校か浪人の時に『栄光なき天才たち』で紹介されてて、すっげ読みたくて、大学の時に探したけど読まず、京都に来て思い出してやっと院の図書館で借りて読みました。

 うん。

 昨日嬉しがって携帯に付けたティマのストラップ、なんかもそもそしてます。

 なんか、早朝にサッカーがあるようですね。見なければ‥‥。

2001年6月17日 18日(月) 06:00  METROPOLIS

 『メトロポリス』を観てきました。行くの遅れてしまって、オープニング部分にある(らしい)ちょっとした「演説」とタイトルバックみたいなのを見逃しましたが、METROPOLIS というタイトルが出た瞬間から最後まで、ずっと見ることが出来ました。

 手塚治虫原作、大友克洋脚本、りんたろう監督‥‥ってことなんだけど、描画の妥協を許さない繊細さ、ラストの大盛り上がりの畳みかけるさま、そして、ちょっと感情移入しにくい淡々としたストーリィ‥‥。
 三人並べると、やっぱり大友の色彩がいちばん濃く感じられました。一緒に観た友だちは「薄い青とか、○○とか、色づかいが完全に大友やったなあ」と言ってました。ご参考までに。ミスドに遅れてスミマセンでした。

 ヒゲオヤジや「おむかえでごんす」、ローソク、ヒョウタンツギ、そして主人公「ケンイチ」のまるまっちい絵は確実に手塚さんなんだけど、別に大友がいじり倒してるわけでもないのに、何かこう、印象が違いました。‥‥でもやたら歯車の出てくるメカメカしい世界が気に入ったのでオッケーです。

 セル・アニメーションとCGがあんなに綺麗に融合するもんだとは思ってなかったので、ちょっとびっくりしました。やっぱすごいや、日本アニメの水準。ほとんど違和感なし。
 「なんでその部分に歯車があるの?」という疑問は感じましたが、こないだ手塚治虫の御真蹟原画を見た『アトム』内部にはケーブルばっかりあったし、まあ、メカをメカらしく見せるために必要な記号は、電気ケーブルであり歯車であるのでしょう。うむ。
 しかし、立命館大学の手塚治虫展で見た手塚氏の肉筆原画、親鸞さんの御真筆『教行信証』を見たときと同じか、それに勝るくらいの衝撃を感じました。マジで震え、マジで涙出て来ました。

 テーマは、予告編などで言っていたように、
「ロボットと人間、その共生の可能性」
 ってことなのだろうと思います。
「ロボットにココロは生まれるか?」
 っていうコピーもあったけど、それはもう随所に前提として感じられました。いや、だって「アトム」だってそうじゃないですか? アトムにココロがあることを疑う人はおそらくいないんじゃないかと思います。
 ‥‥アトムは人間の友だちと花火を見ていて、友だちが「キレイ。キレイ」って言うのを聞きながら「火薬の爆発がキレイなの? ボクにはわからない。」って言ったらしいけど‥‥。それを見て、幼き日のある漫画家は鳥肌が立ち涙が流れたらしいけど‥‥。
 でも、アトムにもティマにもココロはある、と思う。
 人間と何らかの交流を行うロボットに、手塚さんは、ほぼ常にココロを前提としているんじゃないなかと思います。あ、でも作業用ロボットは別ですよ、ライン生産などの産業用とか。
 しかし、何をもって「産業用」とそれ以外のラインを引くのか? という問題は残りそうな気もします‥‥。

 だから(?)、やっぱりテーマは「ロボットにココロは生まれるか?」じゃなく、「人間とロボットの共生」だと思います。そして「ロボットの電子頭脳が技術的にすごく進歩したら、ほとんどココロみたく思えるようになるだろう。その時人間は、そのロボットとどんなふうに付き合う道を選択するのだろう?」ってことだったように思えます。(まだまだ技術的には全然ですから夢物語に過ぎませんけどね。‥‥それはまるで「ES細胞培養によるクローン技術がめざましい進歩を遂げた暁には、ヒト個体からヒト個体への臓器移植なんてする必要がなくなるのになあ」って言うのと同じくらい夢物語で、現在に対して全然チカラを発揮しない、しえない言辞なのかもわかりません。)

 アヤナミに感情移入できる以上、我々が体細胞由来ヒトクローンが人間であることを拒む理由はありません。それと同じことが言えるかな、って思います。アトムやティマとココロの交流が可能だと考え、一瞬でもそれに感情移入ができるなら、我々がそういうロボットを人間と考えてしまうことを拒む積極的な理由も、見つけられないと思います。
 今度公開されるドリームワークスの『AI』も、モロにそんな感じがします。いや、そりゃ人間にロボットの役をさせてるんだからアタリマエですね。「アトム」も「メトロポリス」も同様ですね。そもそもココロを前提とされてるんだから。

 恐らくホンダPシリーズの発展形態に搭載されると思われる、電子頭脳に制御されたココロは、実際はどんなふうに我々の前に現れるのだろう。

 ‥‥ティマ萌え〜。(オチとしてはチカラ不足‥‥。)

2001年6月16日 18日(月) 06:00  関西一週間

 どうも。いしだです。ごぶさたしてます。(^_^)/~~

 15日金曜日、16日土曜日はともにバイトでした。とは言っても全然たいしたことないバイトです。だから日記の更新が滞った理由・言い訳になりません。すみませんでした。今後もごひいきに‥‥。
 ただ単に、どうもこう倦怠気味というのが、日記を書かないで過ごしていたのの理由です。暑いというのもあります。生協の書籍購買部に行ったらお気に入りの 『関西一週間』 が売り切れていて、泣く泣く『Kansai Walker』を買って来ざるを得なかった、というのもちょっと作用してる‥‥わきゃないか。しかしこっちはTV欄が見づらくて困ります。
 ‥‥「一週間」なのにTV欄は二週間分だなあ、そういえば。

 アパートの隣のヒト、彼女を連れ込むのは別にかまへんのやけど、夜中に大音量で喋るのはどうかと思う。注意をしに行ったら「今むっちゃこぼした。無視かい!」って意味不明な言葉を同じく大音量で吐くのもどうかと思う。何んのちからもないわたしですから、そりゃ大家さんに電話してしまいます。夜中にいわれなき理由で叩き起こされる身にもなってみてくださいな。

 以前向かいに住んでいたヒトも精神に疾患を来していると確信してしまうくらいすごかったのですが(徹マンは「アタリマエダオタガイサマダ」「オレニハヤクザノシリアイガイッパイイル」「コレカラソトヲアルクトキニハキヲツケタホウガイイデスヨ」(意味不明。母語は日本語のようでしたが、彼の発言はどういうわけか常にカタカナに聞こえました)。生理的欲求から敢行したわたしの注意のせいで細い線が不可逆的に切れてしまい、夜中にダンスダンスレボリューションの体感版をなさっていました。しかも一人で)昨今「他人にあからさまに迷惑をかけて顧みない! 立てる音は常に大きく! 食べ方はだらしなく! ゴミは散らかす! ケータイは常に廊下で! 痴話喧嘩も廊下で! 煙草は廊下で踏み消す! いっそ廊下に火を放て! アパートは、上から下からオレノモノ!」って考えるのがステイタスになりつつあるのでしょうか?
 だとしたら、昼夜逆転してもどうしても、とりあえず夜中に傍若無人に騒ぐのは人倫にもとることだと考えるわたしには生きにくい世の中になったものです。‥‥昔からこうだったのかなあ。でも東京におった頃は逆に大家さんから「あんた夜中うるさいよ!」って叱られまくっていたんだけどな。

 あらら。すみません。<(_ _)> 愚痴ってしまいました(確信犯)

2001年6月15日 15日(金) 22:30  あれあれ

 カリオストロの城をやってますね。うむ。良いモノは良いです。

 東儀秀樹を二枚借りてきました。ボニーピンクも。どういう組み合わせや。

 明日の朝には何か捏造して書いておきます。
 じゃあまあ、そういうことで。すみませんです。

2001年6月14日 15日(金) 22:30  ツチノコ

 ツチノコ、みたいなものが見つかったらしいです。ココ です。

 どう見ても太った蛇ですにゃ。
 ビール瓶のみこんだネコ、あるいは蛇、って言われてませんでしたっけ。
 まあ、うん。夢があって良い話だと思います。(^^)

2001年6月13日 14日(木) 10:30  マンガ研究会講演会

 水曜日はマンガ研究会の講演会でした。講師は原子力(はらこつとむ)氏、藤井寛清氏。面白い内容だったけど、つかみどころがなかったかもしれない。

 はらこ つとむ という名前は案外メジャーみたいですね。メジャーとは言わないのかな。ないわけじゃないみたいです。タルるートくんにも出てきたし。大学には原子朗、はら しろう って先生がいました。ま、あんまり関係ないです。

 いつも吸ってる煙草が切れて、自販機ではめぐりあえなくて、すっごい久しぶりにマルボロ吸ってます。
 やっぱ無添加煙草を吸い慣れると添加物ガッチリ煙草は吸いにくいです。吸ってるときはおいしいけれど、頭痛してきたり、寝覚めがいつもにもましてスッキリしなかったり、ひどいですね。

 あの。4000番のキリ番は誰なのでしょ??

2001年6月12日 14日(木) 10:00  手塚治虫展

 火曜日、「手塚治虫展」に行きました。立命館大学の「国際平和ミュージアム」で5月25日から開催されています。今月の15日までです。
 すごかったです。震えました。

 内容は、手塚氏の生涯や作品を紹介するのはもちろん、手塚さんがどんなふうに作品を紡ぎだしていたのか、その時に彼が考えていたこと、願っていたこと、(推測&本人の言葉)‥‥そしてそれを受け取るのはわたしたちだけど、「可能性として、こうも受け取れるよね?」 みたいなのも、パネルで展示してありました。

 それだけなら別になんともなかったんですけど、

 子どもの時に書いた直筆の昆虫図鑑が!!( ̄□ ̄;)!!
 なんて緻密なんだ!! 直筆の医学部時代のノートまで!!

そして
直筆マンガ原画が!!
!!!!!!( ̄□ ̄;)!!!!!

 うわおーーがおー(我王)ーー!
 なんじゃこりゃーー!! すごすぎるーー!!
 何十枚も何十枚も何十枚も!!
 俺を泣かせるつもりかーー!!(>_<)

 ‥‥最初はなんともなかったんだけど、『ジャングル大帝』の原画を見てるあたりでマジで涙出てきました。あっれー。
 もう13年か‥‥。ほとんどたった一人で「マンガ」を作って、ほとんどたった一人でそれを発展させて、後輩に優しくて、いろんな人を直接・間接に勇気づけて、「生きるって何」「人間って何」「世界って何」「自分って何」っていうのを問い続けて‥‥。

 現在公開中のメトロポリスも、もちろん行かせていただきます。

 ‥‥‥単なるファンの雄叫びカキコでした。



2001年6月12日 13日(水) 07:00  寝ます

 ごめんなさい。12日は立命館大学の国際平和ミュージアムで開催されている手塚治虫展に行きました。が、今激烈に眠い(35時間くらいゆっくり眠ってないのです。うつらうつらはしてますけれど)ので、起きてから日記書きます。でも今日は別の講演会を手伝いに行ったりするので、もっと遅くなるかも知れません。すみませんです。

 14:45付記 もっと遅くなりそうです‥‥。

2001年6月11日 12日(火) 007:00  今日は何の日?

 今日はネタを思いつかないな、と思いながら、古い古いCDをRealJukeboxに入れていました。再生YMOの『Technodon Live』です。「久々に聞くなー」ってインデックスを見たら、「1993年6月10、11日」って書いてあります。
 おお。「今日は何の日?」で書けるかもしれない。

 他の年に何が行われたのか定かにはわかりませんが、1993年の今日、6月11日、東京で大学3年生をやっていたわたしは先輩や友だちと一緒に東京ドームに行ったのでした。前年に(元)プリンスのコンサートや巨人戦のバイトをしていた東京ドーム。多分(元)プリンスが食べるのであろう、フルーツ満載の巨大な立体構造のお盆が運ばれていくのを見た東京ドーム。警備のバイトなのにチケットを購入して見た前日よりも(元)プリンスをそばで見たいがためにアリーナ席で警備させてくださいと言ってばっかもんと言われ、でもアリーナはそもそも違う業者さんが警備だから不可能で、スタンドのギリギリいちばん前で警備をしながら見ていた東京ドーム。

 6月11日、ドームに入る前、ヒゲを生やしサングラスをかけたちょっと太めのおじさんが三人くらいでのっしのっしと歩きながら肩に担いだ巨大なラジカセから『Nice Age』を大音響でかけて、あまりの大音響のためか電池が切れかけのためか音が割れてるのを目撃‥‥というか視聴。何がどうなってるのかよくわからないながら、内部へ。

 あとのことはあまりよく覚えていません。
 遠すぎて壇上の3人が本当にあの3人なのか確信が持てず戸惑っていたら、それまで幾何学的な模様や当時の『クローズアップ現代』オープニングにソックリな画像等々が映し出されていた巨大スクリーンに突然映し出された教授の雄姿。ユキヒロの雄姿、ムーミンの雄姿。やたら拳を突き上げて観客を煽る教授。動きが一緒だ! ということは、サカモトは本当にあそこで何かやってるんだ! ‥‥なんせ概ね直前に発売された『Technodon』と寸分違わぬ演奏を披露されて眠くなったのを覚えています。
 再生アルバムとは違っていたのもあります。当然ですね。昔の曲をやらないのならファンには再生してコンサートまで開いた意味がない。

 前奏だけなら別の曲に聞こえる『Behind The Mask』、パンフには書いてあったのに、きっと前日にユキヒロがドラムを叩きながら亡き人になっていかんと思い外され聞くことの叶わなかった『U.T.』、それは超地球的存在。アリーナ席の最後列でこんなこんなこんなふうに体をくねらせて、あきらかに聞くためのテクノで無理矢理に踊っていた太めの男性、『Behind The Mask』の前奏を聞いて「なんだよそれ!」と叫ぶわたし、隣で「教授〜!」と絶叫し続ける先輩。「あれ? 『U.T.』まだやってへんよな?」と気にする友だち。
 懐かしいなあ。思えばわたしも随分と歳をとったものです。

 そして、今日の日記は唐突に終わるのでした。   <了>

 あ、そういえば佐倉哲氏が反論をアップしてます。もう日記からはリンクしません。彼の駄論(≒堕論)がどうしても読みたい向きは、佐倉さんのところに行ってください。左「論文」をクリックし、いちばん上の「ver.2」をクリック。いちばん下に行って「(3)」をクリックすれば、彼の持論垂れ流しが読めます。「リンク」の「哲学系」からも行けます。しかしココは哲学じゃないですね。近日中に「日記」に変えます。

 自分自身が最も宗教宗教してるのにそれに無自覚なままで、キリスト教徒や仏教徒を自覚してる他人に「きみは宗教的ドグマにどっぷり浸かってるからダメなんだ!」って豪語する人間・ディベートですべて片が付くと信じ込んでる人ってのは、議論できません。

 手前を振り返り自覚しないと哲学なんて出来ないぜ。

2001年6月10日 (2) 11日(月) 006:30  ビンゴ

 今日は友だちの結婚式二次会に行きました。僧侶の世界(って言うのかなあ何んて言えば良いのかな‥‥)というのは狭いですね。別に新郎新婦の友人がすべて僧侶関係者だったわけではありません、参加者の一部、一テーブルだけがそっち関係です。でもそのテーブル、大学院の友だちや、前に通っていた専門学校の後輩(期としてです)ばかりで、わたしと同窓でなかった人は皆無でした。なんてことでしょう。ほんまに悪いことできませんね。いや、そうじゃないか。(^^;) 懐かしい顔にも会えて楽しかったです。
 ただ、ビンゴ‥‥。リーチ五つもかかったのになあ。ここ最近のわたしの状況をうまく象徴してくれてるよー。

 少人数での三次会(新郎新婦不在‥‥)に参加したこともあり、帰ってきたらコンフェデの決勝も2001年も完璧に終わっていました。‥‥いや、良いんです、楽しかったから。‥‥帰り際、約一名にすっごく不愉快な思いをさせてしまって、そっちは後悔してますが。

 コンフェデ決勝、点差まで含めて結果予想が的中。ちょっとウレシイ。そう言や、ローマはナカタを出してませんでしたね。ならこっちで出しても良かったのかな。でもチームと一緒の場所にいるってのも大事なんですよね、きっと。

 F1面白かったですよね。久々だった気がします。アレジも地味に暴れてて、何んか嬉しかったです、完全にヒトゴトなんですけどね。しかし「史上最速の兄弟ゲンカ」って‥‥(^^;)

 新堂冬樹『カリスマ』徳間書店、やっと読了しました。わたし上巻を読んでいた時にココでもぶぅぶぅ言ってましたけど、下巻にはいろいろ、新新宗教に興味があったり、研究しようとしていたり、対抗する必要に迫られていたり、‥‥巻き込まれたくないと思っていたりする人に不可欠な情報も入っていました(もちろん他の本や論文から入手することも可能な情報です)。だから、そっちにしか興味のない人は下巻の222ページあたりから読めば良いのではないかな。ソコまでに何が起こったのか、大体は推測できるかもしれません‥‥いや、でも物語だからやっぱり最初から読むべきかな。おおむね親切な書き方をしてくれているのでさほど問題ない気がしますけど。
 ただ、伏線として書いてるのか、技術的な未熟ゆえにそうなってしまっているのか、表現の見極めが難しいです。荒れ球のピッチャーがたまに無失点で勝ちますよね(大リーグでフォアボール七つくらい出したピッチャーがノーヒットノーランやったのも記憶に新しい)。推理小説的にはあんなお話です。あまりクレバーじゃない。
 なんせ読者に「メシア」を嫌悪させるための描写がえげつなくて、わたしはあんまり好きじゃないです。
 宝島の『「救い」の正体。』(→『「カルト」の正体。』)『いまどきの神サマ』、米本和広『教祖逮捕』、同じく米本『カルトの子』(文藝春秋)、竹下節子『カルトか宗教か』(文春新書)、上田紀行『宗教クライシス』(岩波書店)などを読むのがちょっとしんどいと思う人で、スプラッタ系が大丈夫な人には一応お勧めします。だけど僕この人のは今のところあまり好きじゃないです。すべりがちだから。

 さー。次は『未完成』かな。いや『シーズザデイ』を読もうかなー。それとも薄いところで『眠りの牢獄』? はたまたジャンル違いで『<神>の証明』かな。

 あ。レジュメ作らないとヤバイな。



2001年6月10日 10日(日) 10:00  こもごも

 今日は友だちの結婚式二次会に出たり、コンフェデで日本が惜敗(と予測‥‥)するのを見たり、2001年を見たり、いろいろいそがしそうです。暑いね今日も。ほんとに平服で行っちゃいたくなって来る‥‥。

2001年6月9日 (2) 10日(日) 06:00  講演会ビラ

 今日は昼から講演会に行きました。行ったことない大学。女子大。
 その付近についたら、女子中学生・女子高生らしき人間が多くなって舗道が歩きにくい歩きにくい。きっと修学旅行か何かなんだろうなあ、それにしてもちょっと多すぎやしないか? ってひどく不思議がりながら到着。
 講演会会場はすぐに発見できました。入ったすぐ。場所を確保して、一服。
 立て看板があったので、よくよく見たら、‥‥付属の高校と中学校が同じ場所にあるんですね。知りませんでした。そういえば、付属の学校って、同じ場所や周辺にあることが多いですね。

 講演会は、ええと‥‥
 (と言いながらパンフを出す‥‥つもりでついでにお米をとぐ‥‥)

「転換期の若者のゆくえ・出会いのかたち
 ケータイ文化のなかの喪失と再生の可能性」

というタイトルでした。
 あ、シンポジウムですね。すみません。
 パネリストは、江川紹子氏・森岡正博氏・村瀬学氏、司会が中村信博氏でした。なかなかおもしろかったです。
 江川氏と森岡氏はそのへんで本がすぐ手にはいるしTVでもよく見るし、特に森岡さんは実はココと相互リンクだし(アンケート結果だけですけどね)解説要らないですよね
 村瀬氏も、中村氏も、同志社女子大学の教授です。村瀬氏はちょっとわからないんですが、中村氏は数年前に結成された「宗教倫理学会」のメインメンバだそうです(ってこっちもわたし実はよくわからないんですが‥‥聖書学などをなさってるらしいです)
 ノートを取ってきました。少しだけ。「携帯電話」は、シンポジウムのタイトル意図に沿い、すべて「ケータイ」としました。
  • 江川
  • ケータイって文化なの? 道具じゃないの?
  • なんで悪者にされるんだろう? 新幹線で隣に座っていたおばちゃん三人組の方がケータイより明らかに煩かった。ペースメーカ云々と言うのも解るけど、しかし日本はそんなに病者に優しいかな?(何か別の理由を感じる‥‥)
  • 悪いことをする人は今あるものを利用する。
  • ケータイとは限らないけれど、自分の中にある種の「溜め」がなくなって来てるように思う。
  • 森岡
  • 新幹線の話だけど、‥‥独り言をいう人への恐怖かな?
  • 年齢を重ねるにつれて、友だちがそんなに多くなくても苦痛に感じなくなってきてるからか、わたし普段はケータイoffです。‥‥学生の時には加入電話で長電話してました。同じかも。
  • 「情報通信」と「意識通信」、通信には二つあると思う。ケータイは多くの場合、後者だろう。存在感の交流と確認を行っている。ケータイ時代の心象風景は「孤独」ではないか。他人が寄り添っているにも拘わらず感じる「孤独」。
  • 村瀬
  • ケータイは武器である。存在を誇示する武器である。
  • どうしても存在を発信せざるを得ない使い方と、ビジネスでの使い方がある。そしてこれらは全然使い方が違う。
  • 次世代のケータイには位置表示機能が標準装備される。‥‥それを利用すれば、相手がどこにいるのか容易に追跡できる。便利でもあるが、危険でもある。
  • 出会いは危険である。「あいくち」という武器がある。あれの語源は「出会い」。
  • 1980、1990年代は「自分探し」の時代だった。その時に、(今使われているカタチとしての)ケータイが生まれた。
 大体以上のような意見表明。中村氏の整理、そして補足とレスポンス。
  • 江川
  • 村瀬氏の「追跡」に関して、わたしは楽観的です。森岡氏は先の食事の時に「攪乱ソフトが普及する」と言ってましたよね。
  • でも、わたしたちはいつから「友だちが多いのは良いことだ。→少ないのはよくないことだ」という価値観を持つようになったのだろう? 少なくても、全然かまわないと思うのに‥‥。これはこれで単一的価値観ですよね。今の時代は「価値観の多様化」がキーワードになっているのに、友だちに関しては単一の価値観。
  • しかし、この単一的価値観も、恋愛の場面では‥‥。恋愛をしていると「友だちが多いのはよいことだ」という価値観が顧みられなくなる、ことがある。
  • 恋愛をしていると、ケータイでつながることより、実際に会いたくなる。
  • ココロの中をコトバにする機会が増加している。これは良いことでもあるだろう。しかしコトバにする前に「じわっ」「もやん」と感じる時間を、もう少し持てたら良いな。
  • 森岡
  • 欲張りな人は、恋人と実際に会えない時もつながっていたいと思う。だからメールするんでしょうね。
  • 村瀬氏が「武器」と言っていたのは面白い。そもそもコンピュータは弾道計算のために生まれた。つまりそれ自体が武器だと言える。
  • いま、検索エンジンがすごくパワフルになってる。本名を入れてみるとよくわかる。HPを持っていないヒトの情報さえネットには載っている場合が多い。
  • GPS機能に対抗する攪乱ソフトも流行るだろう。だがそれよりも、プライバシー保護のために我々は自分に関するニセの情報を積極的に発信すべき状況が来るかもしれない。
  • 村瀬
  • 江川氏が「ケータイは文化だろうかどうだろうか」とおっしゃったが、逆に、「次世代ケータイの新機能がいかに文化に成りうるか」ということかもしれない。
  • ケータイで膨大な知的情報が引き出せるようになる。勉強するということはどういうことになっていくのだろう。
 という感じで「さー面白くなってきたぞ!(^^)!と思ったら。すぐ会場からの質疑応答になってしまいました。ちょっと肩すかし。いや、まあ、オモロイ質問があったから良いのですけど。質問はおいといて、答から。まとめの発言も。
  • メールをすると喋れなくなると思う、ということだが、‥‥それは悪いことだろうか? ゆっくり考えると、その間は喋れなくなるだろう。喋れなくなることの方がむしろ大事かも知れない。友だちが少なくなるかも知れないけれど、きっと良い友だちが‥‥。
  • 人格をさまざまに分離することの出来る人が、ネットではうまくいくかもしれない。ネット普及前は、自分を使い分けできない人が多かった。使い分けの出来る人は「多重人格者」だった。
    これからは、一個の人格しか持たないヒトは逆に病理になるかも知れない。‥‥多重人格者は逆に、「いや、本人がそれで(ネットの中で)うまくやってるんだから良いんじゃない?」ってことになっていくのかな?
  • ネットでプライバシーを漏洩された被害者こそ、ニセ情報を発信し、防衛すべきかな。
  • 他人や自分を傷付けることで何かが変わる、「閉塞 → 開」「扉 → 開」「闇 → 明」、そういう感覚に我々が襲われる時代なのだろうか。昨日の大阪の事件とつながってるのかもしれない。浜崎あゆみの歌を聞くと特にそう思う。
  • ケータイを切れ、と言いたいわけじゃない。ただ、一人でいることを楽しめる、大事な人とともにすごす時間を楽しめる、やりたいことがいっぱいある、‥‥ケータイがあってもそれが出来れば、って。
  • 「ケータイは文化か?」と問うたが、文化を生む道具にはなるでしょうね。
そして、中村氏のまとめ。

 「他者に対して責任を負う時にのみ人は個となる」
 と言った哲学者がいる。‥‥ケータイは、個の在り方にどのように関わり、個の在り方をどのようなものにしていくのだろう。
 ‥‥という課題を、みなさんにお持ち帰りしていただきたい。

 そういうふうにして、シンポジウムが終わりました。

 面白かったなあと思いながらの帰路、オソロシイことに気づきました。
 来週の水曜日、「マンガ研究会」で講演会をするんです。その 講演会ビラ を100枚持っていってたんです、わたし。
 計画としては、シンポジウムのパンフを配布してるところに置いてもらえれば置いてもらって、それで配布しようって考えていたのに、まっっっっっっっったく思い出さなかった。

 何をしてるのかねえ。こんなんじゃイカンじゃないか。

 しかし、長いねえ今日の日記。自分のことを全く書いてないからだねえ。

2001年6月9日 9日(土) 06:30  もっと間違った

 『ブレードランナー』や『2001年』の放映時間や曜日を間違えてお伝えしていましたが、昨日あれから大学に行って、もっとマズい事実を知りました。
 「学会イベントの一つとして土曜日に講演会があります」と書いた講演会、金曜日でした。でもって、学会はほぼ金曜だけで終了でした。もともと参加するつもりのない講演会だったのだけど、でもそれは土曜日だと勘違いしてたからです。金曜日だったのなら参加しようと思えば何の問題もなく参加できた。それにビラ配布だけは頼もうと思っていたから(都合の良い奴だの)、やっぱりマズいのです。それに、木金土と3日間連続で講演会に参加するなんてなかなか出来ることじゃないからネタにもなっただろう‥‥‥。
 最後、動機が不純過ぎやしないか‥‥

 情報収集能力に翳りの見えるさえきくんです。いしだの方は輪をかけてひどい。見るべきモノがなく、語るべきモノも持ちません。

 ネタとして扱うの、どうかと思います。でも‥‥。

 昨日の午後、MSNを開いたらトップニュースが大阪府池田市の事件でした。その見出しが「死傷」じゃなく「死亡」だったのにまず驚きました。ああいう事件って、死傷ですよね、普通。インパクトのある数字を持ってきて、殺人事件や大きな事故に接することに慣れてる我々は「なんだ、死傷○○人のうち亡くなったのは○人だけか」などと不謹慎なことを思ったりする。だけど昨日の事件はいきなり、確定的な書き方をしていた。
 子どもが8人というのは、それだけインパクトを持つということかもしれない。

 しかし入院歴があったり、通院歴があったり、変なお薬をいっぱい飲んで朦朧としていたり、供述内容が明らかに事実と違っていたり、‥‥まず間違いなく精神鑑定にまわされますね。そして、まず間違いなく「責任能力は問えない」という判決に至るのでしょうね。

 法はそういうものであり、司法はそういうものであり、精神障害者の人権は守らねばならないものなのでしょう。

 しかし何かこう、‥‥いや確実に腑に落ちないです。

 こないだ、子どもに妻と子を殺されて、でも少年法のおかげでどうも雲行きが怪しくなって、「もし裁判で少年が無罪になったら俺が殺す」と発言して物議を醸した方がいました。あれ、基本的には同感です。

 今回のやつでも、そういうふうに言う保護者の方が出てくるんじゃないかって気がします。精神障害者には責任能力がないから、無罪になってしまう。だから、「もし裁判で彼が無罪になったら俺が殺す」と言う親、出るでしょう。

 しかし、です。死刑や私刑がいけないことであるというコンセンサス、このクニでは大体得られているんじゃないでしょうか。だから、そんなふうに言うと反感を買います。
 わたしがもしそんな夫や保護者の立場に立たされて、冷静だったなら‥‥。

 わたしは少年や精神障害者を「人権」その他の論理を駆使して弁護し、その「人権」を守り、彼らを無罪にするためにあらゆる活動をします。出来るだけのことをします。記者会見も開くでしょうし、国選弁護人であれ自発的についた弁護人であれ、弁護人と協力して、彼らには責任能力を問えないとする法を遵守するよう他人に迫り、たとえ近親者を殺害されたとしても、憎むべきはその行為であり、そのヒトそのものではないのだ、悪いことをしたのはその手だが、手を憎まず、悪いことをしようとして実行したココロを憎まず、‥‥ただ行為だけを憎む、それに彼らには責任能力がないのだ、もし人間を怨むのなら、彼らを野放しにしていた彼らの近親者であり、そのような法を作った国会であり、‥‥つまり代議士を選んだ自分たちをこそ怨むべきだ、と主張します。

 そして、必ずや彼の無罪を勝ち取ります。そして、
無罪となった彼と
涙ながらに抱き合い、
そして、します。
 裁判中に、これ以上ないほどの信頼を得られれば、二人だけで会ってる時にでも刺せば良さそうなもんですが、わたしは派手好きですので。

 死刑も私刑もわたしはあまり好きじゃありませんし、そのような行為を肯定はしません。でもこれは理性がそこそこあって無味乾燥に机上の空論を吐いていられる地点にいるから下せる判断でしょう。わたしはもともと感情的な人間ですし、そういう場合は間違いなく感情的な部分が増進・助長されるでしょう。
 だから、今言ったみたく冷静に行動できるのかどうか自信ありませんが。

 でも、もしも冷静でいられるなら、わたしは、カメラの前で「奴を殺す」とは言いたくないです。本当に大事なこと、本当に本当に夢として携えていることは、他人に言えば言っただけ実現確率が減っていく、ような気がします。
 ‥‥‥コトダマ信仰かよ。

 責任能力が問えないのなら、責任と表裏一体で同意語である自由をも、彼に認めるべきではない、とも思います。でもそんな、彼が一生勝手に動けなくなったとして、それがなんだと言うのか。感情的なわたしは、その意義を見いだせないでしょう。

 私刑でしょうね。

2001年6月8日 8日(金) 16:00  間違った

 ブレードランナーの最終版は、7日の21:00からの放映でした。でもって、2001年は土曜日じゃなく日曜日の放映予定です。無茶苦茶に間違いまくってしまった。
 大学では今日から、わたしにとってすばらしく重大な学会が開催されています。重大すぎて、参加するのがあたりまえ過ぎて、何時から何が始まるのかまったくメモってなかったくらいです。なんせとにかく参加しないとまずいでしょ、ってやつ。友だちはその準備のために昨日のゼミを休んでました。それも見ていた。
 ここんとこ、いろんなものの締め切りの関係で、30時間くらい起きて徹夜しては一日眠る、という生活が続いていました。昨日は40時間を超えました。今日もそういう生活が続きそうなんですが。

 昨日もココの日記書けないくらい時間配分間違って手際悪くいろんなことをして眠ろうとしたら、もう朝だったんですね。「数時間だけ眠って、それから大学に行こう」なんて甘いことを考えた結果が、15:00起床という事態の到来です。ああ。うう。まずいかも。いや完璧にまずいです。先輩の発表楽しみにしてたのに。
 同じ学会、明日もあります。明日は講演会なんかがある。‥‥だけどわたし別の大学の方に別の講演会を聞きに行こうと思ってますので、今日のに輪をかけて不義理かつ研究者のネットワーク構築(?)にもあまりよろしくない感じ‥‥。でも森岡正博と江川紹子っすよ。ある意味仕方ないっす。

 じたばたしても今日の分の学会にはもう間に合わないので、日記の更新をしています。昨日の分もこれから書きます。ああ。いろいろ見直さないといけません、こんな生活。

2001年6月7日 8日(金) 16:00  エンゲージド・ブディズム

 今日は大学で開催された講演会に行きました。ちくまから『日本人はなぜ無宗教なのか』等を出版したりしておられる阿満利麿氏。講演会の直前に会場の外で一服していたら、何が目的か少し不明確ながらキャンパスに設置されている大画面でコンフェデ準決勝、日本 vs オーストラリアが流れてました。

 設置理由が不明確だということであって、放映意図が不明確だ、ということではありませんよ。あるものは迷惑・心配をかけない範囲で利用しなきゃ。

 見入ってしまった。

 ギリギリまで‥‥前半の34分まで見続けて、泣く泣く講演会に出ました。あと10分見ていれば得点が見れたのに‥‥。
 ナカタ帰っちゃうんですね。仕方ないですよね、スクデッドかかってるんだから。でもナカタがいて5点獲られたフランスに、ナカタなしでどこまで戦えるようになったのか。そのへん興味あります。また5失点ってことはないんじゃないだろうか。

 講演会、ちょうど30時間目くらい起きてたところだったので、面白かったにも拘わらず少し眠ってしまいました。でも耳はわたしに必要な情報を取捨選択してくれたようです。違うとしてもそう考えることにしています。聞き始めは構造のはっきりしない講演でしたが、最後には一つのモノにきっちり収斂していった、というふうに理解できてます。ってことは聞くべき内容を聞けたのだろう、って思います。

 ‥‥アジア仏教の大きな潮流は 「エンゲージド・ブディズム」、つまり、社会参加して役割を果たす仏教である。しかし今の日本にある仏教の大部分は生きた人をあまり相手にしておらず、生きた生身の人間が抱えている問題に積極的に関わり、それを解こうとしているとは言い難いのではないか。
 ちなみにベトナムではこんなふうになっている。そして明治時代の日本にも、そのような気概を持って活動していた仏教者がこんなにいた。

 今の日本仏教は、大乗か上座部か、という視点から仏教を一刀両断して、上座部仏教を軽んずる傾向にある。上座部なら途端に興味を失ってしまうという傾向を持っている。
 だが、もはやそのような区分による偏見は捨て去るべきなのではないだろうか。もう一度、今を生きている人に答える仏教になるためには、ベトナムで、上座部仏教の流れの中で生まれてアジア全域に広がりつつある 「エンゲージド・ブディズム」 の活動を参考にして、時には連帯して活動していくべきなのではないか。

 むちゃむちゃ大まかに言うと、そういう内容だった、ように思います。
 参加して良かったと思ってます。その時間に眠っていれば、その後バイトでまた起きてなきゃならなくて朝方にやっと眠って、起きらんなくなって、金曜日の学会に参加できなくなってしまった、という事態を見ずに済んだとしても、でも、今日の話は聞いて良かったです。活かしていきます。

 ブレードランナー、やっぱり綺麗でした。しかも「いのちって何さ?」ってのを深く考えさせる内容だったことに気づけたので、ますます良かったです。

 しかし慢性的な寝不足状態をなんとかしないと。

2001年6月6日 7日(木) 07:30  ブレードランナー

 7日21:00から ブレードランナー の最終版がBSで放映されます。

 フィリップ・K.ディックの名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?」と言った友達がいます。うーん。見ないかもね。)の映画化ですが、わたしは映画から入ったせいかそんなに違和感ないです。原作には原作の良さがあり、映画には映画の良さがあります。原作の方が作品世界は圧倒的に深い。ましかし、映画は映画で素晴らしい。
 しかしディックは長いタイトルが多いね。『流れよ我が涙、と警官は言った』とか『パーマーエルドリッチの三つの聖痕』とか。ロビンソンクルーソー ほど長くはないけどね。‥‥コレは半端じゃなく長いらしいよ。 ↑

 ‥‥探したら出てきた。さすがインターネット。正式な原題は

『The Life and strange surprising Adventures of Robinson Crusoe, of York, mariner, who Lived Eight-and-twenty years all alone in an uninhabited Isiand on the Coast of America, near the mouth of the great River Oroonque, having been cast on shore by shipwreck, where-in all the men perished but himself. With an Account how he was at last strangely delivered by Pirates, Written by Himself.』
 で、訳すと
「遭難して他の船員が全滅した中で唯一助かってアメリカ海岸オリノコ河の河口近くの無人島で28年間たったひとりで生き抜いたヨーク生まれの船員ロビンソンクルーソーの生涯とその驚くべき冒険。海賊に発見されるまでの一部始終を彼自身が書き記した」
 なんだってさ! 参照したのは ココ です。多謝多謝。

 昔々、日曜日の夜7:30から「象印 クイズ ヒントdeピント」「で」はひらがなだったかもしれません‥‥ってのをやってました。そのクイズの中に「16分割」ってのがありました。ヒントが16出て、ヒントを開けなかった数だけ得点になる。小林亜星が強かったなあ。やらせ一切なしで、むっちゃ難しかった。

 ‥‥『ロビンソンクルーソー』の正式タイトルは、その問題の一つになってました。慥か1点か2点にしかならなかったんじゃなかったかな。懐かしいなあ。

 最近のハリウッド映画はCGが全盛ですけど、そうじゃない、目がチカチカせずに安心して見ていられる(?)、モノをカメラでフィルムに焼き付けたスタイルの特撮映画の恐らく最高峰‥‥ですよね。

 え? 何の話かって? ブレードランナー です! 佐伯も忘れかけた‥‥。

 しかし、ブレードランナー2001年 も、なんであの時代にあんなゴツイのを作れたんだろう。すごいっす。‥‥ 2001年 は日曜日に放映されます。

 現在、立命館大学で 手塚治虫展 やってます。どうぞ!

■ 立命館大学国際平和ミュージアム特別展
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2001年6月5日 6日(水) 09:00  新しい歴史教科書

 ってのが販売されてますね。

 3日、待ち合わせ場所が大阪ではよくある場所‥‥場所は一つしかないけど待ち合わせにはよく使われるという意味です‥‥だったので、そばの本屋さんに行きました。すると、件の教科書がものすごいスペース使って平積みにされていました。わたしは全然違う本を買って帰ってきたのだけど(『<神>の証明』)、恐らく日本史つながりということで、ベージュ色の平積み教科書を見て(逆に)山川出版社の日本史教科書を買いたくなりました。研究の時に時たま歴史的事実、それも平安・鎌倉期からこっちの通り一ぺんの詳細情報(可能な表現ではある)が欲しくなることが多いからココはひと思いに、ってことだと思います。

 月曜日に別の本屋さんに行ったところ、教科書、そこでも、前述の紀伊國屋書店ほどではなかったけど、でもやっぱり普通じゃない、「この本は売れるぞぅ」的な置き方で販売されていました。その付近には古くさい内容の、とある新新宗教 兼 カルトの出してる「花がどうしたと」いうタイトルの本が平積みになってました。

 いや、今日はカルトの本の方は別にかまわんのですよ。巨大なウサギに追われていただけかもしれないし。‥‥いまこのように本気で打ちたいと思ったから打ったのですけどなんでしょう、この文脈。非常に眠いと言うことの証明になってはいますよね。

 教科書ね。
 別に人それぞれ歴史観なんて違ってアタリマエだし、それで良いと思いますよ、価値観や世界観がこれだけ多様化してるんだもん、それなのに歴史観だけクニで一つに統一できると考えるのは大いなる誤謬なんだから。

 だけどね。
 正しい事実をもとにしていないモノをヨリドコロにするのはどうかと思いますね。

 あの教科書に「事実」として記されていることに事実じゃないことが多い、と言いたいわけではありません。事実がかならずしも真実であるとは限らない、と言いたいのです。切り口を間違うと、同じ事実を見つめているのに結論がまったく逆になる、ってことです。
 あの教科書はその代表なんじゃないかな。そう思ってます。また機会を見て語らせていただきます。ではでは。

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2001年6月4日 4日(月) 22:30  じゃばじゃば (^^)

 「ジャバスクリプトよくわっからへん。」と嘆いたら、たつみ さんが 掲示板 で 「ジャバアプレット」 というのを紹介してくれました。ココ です。
 ダウンロード&解凍し、開いたら、かなり じゃばじゃば な、めいっぱい装飾の施された電光掲示板が立ち現れました。
 うーん。なんとかして応用したいけど、今は それだけの技術がないので見合わせました。でもほんま綺麗です。ありがとうよ〜。

 友だちのやってるサイトに行ったら、「Google で検索かけたら自分のページがヒットしたにょ。すごくびっくりしたよ〜。コンテンツ充実させなきゃやっぱりだめだかな〜」という内容の書き込みがありました。「管理人の名前で検索したら ココ のサイトも一発でしたよ」という書き込みも。
 うちはどうかいな? と思い、Yahoo! で偽名・本名、両方やってみました。そしたら両方ともここが出てきました。ぁあぅ。なんかこっぱずかしい気がします。でも非常にウレシイです。しかし名前で検索する人なんて、そうそういませんよね。

 偽名の方はわたしのところだけでしたが(そりゃそうや)、本名の方は

→ 国内著者別一覧[い]
... 月号》. 石田智秀: 「最後の一人 [投稿小説]」《SFマガジン 1999年2月号》

 こんなのも出てきた。これはココの 「習作」 中、唯一の「作品」であり、確かにわたしの文章です。誰がこんな細かい仕事をしてるんだ‥‥。(^^;)

 他にも、わたしじゃない本名さんが出てきました。

→ 掲示板
... BM さん 2000年 08月 12日 11時 23分 53秒. バンド関係者は小生と、ドラムス○西○太郎、ギター石田智秀の三人です。

 オレがギター? 弾けないぞー。

→ 平成10年度作文絵画コンクール
... 便利なパピア」, 徳島市立○○小学校5年, 石田智秀.

 オっオレが小学校五年生? いま中二? あうっ。そこまで戻りたくはない‥‥。

 びっくりしちゃいました。同姓同名って案外いるもんなんですね。
 ってかやっぱ悪いことは出来ないなー(今さら遅い‥‥)。再認識です。


 現在、立命館大学で 手塚治虫展 やってます。どうぞ!

■ 立命館大学国際平和ミュージアム特別展
「手塚治虫展−世紀をつなぐ作品とメッセージ」


詳細な情報はこちら ↑ をクリック!


 実は うちの大学でも講演会を やったりしていて、今週二っつ良さげなのがあります。ひとつめは7日(木)で、講師は阿満利麿です。詳細情報は

第88回顕真館公開講演会
「仏教の新しい潮流−エンゲージド・ブディズム」

こちらを ↑ どうぞ。

2001年6月3日 4日(月) 08:30  ビアホール (^^)


NASAが開発した極超音速飛行機のテスト飛行が行われたが、制御不能により破壊、失敗に終わった。

 大阪の ビアホール に行きました。総勢14人。バイトの同僚たちです。なんとなんとすばらしいメンバーじゃないか。
 テーブルの向こうの方は声のトーンも高く話題もワールドワイドでした。が、こっちの方は「たかじんのbarにちょっとだけ映ってる一般客のように」ぼちぼちとやってました。‥‥でも、楽しさは同じか上回ってたと思うのよ。せっかくだったのにあんまり話せなかった人がいて、それは残念でした。ビアホールデビュー(?)の人もようけいました。

 京都の河原町界隈にある屋上ビアホールと同じビール、同じような料理、同じような配置で、しかも同じように大きなスクリーンで阪神戦を中継してました(昼間の試合の録画でしたが。でもって京都のビアホールでは慥か巨人戦が中継されてましたが)

 ちょっと違うこともありました。近くのビルのてっぺんを ニュース がくるくる回ってるのが見えました。見るとはなしにぼーっと見ていたら、起承転結がやけにはっきりしたニュースが一つだけ流れました。それが上のマーキー。
 なんか、笑ってしまいました。
 大金のかかった失敗に対してそんな反応じゃいけないかなとも思ったんだけど、笑けてしまったモノは仕方ないと思うの。

 新ミサイル防衛構想、本気なんでしょうか。飛行機一機も飛ばせないのに。

 軍とNASAは全然違うっちゃ違うんだけどね。

2001年6月2日 4日(月) 08:30  たこ焼き (^^)

 友だちが東京から出てきたので会いました。新大阪。うーん遠いかも‥‥。

 飲むだけかなと思ったんですが、ちょうどカメルーン戦があったので一緒に観ました。ただ見るのは寂しいので、ホテルのそばで たこ焼き を買って来て、食べながら見ました。
 あんなにサックリ得点する日本代表って久しぶりに見た気がする。鈴木って誰? ねえ誰? 突然の金髪。何んやねんその落ち着き払ったシュートは。その後はキーパー騙してるやん!

 ‥‥ってかカメルーン時差ボケで二試合ほぼ連続はやっぱキツイか?
 ‥‥そして川口の神懸かり状態も久々だったと思う。彼は年に何回か‥‥すごいのになると数年に何回か、そういうことがありますよね。その不確定要素がまるでパチンコみたいでたまらない。僕がパチンコをやめたのは彼のおかげかもしれない‥‥。

 鈴木の二点も川口のファインセーブも、きっと彼お気に入りのたこ焼きのおかげだと思う(んなアホな‥‥)
 新大阪に来ると必ず食べる、ってくらいお気に入りらしいです。むっちゃうまかった。あんなたこ焼き初めて食べた気がする。
 思っていたよりも奥が深そうです、たこ焼き。

 現在、立命館大学で 手塚治虫展 やってます。どうぞ!

■ 立命館大学国際平和ミュージアム特別展
「手塚治虫展−世紀をつなぐ作品とメッセージ」

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2001年6月1日 1日(金) 23:50  昨日はね & 手塚治虫展 (^^)

 昨日はですね。
 プロテスタントの人、「無宗教」の(宗教的自覚が無い?)人、真宗の人が集まってやってる「マンガ研究会」の月例会だったんです。‥‥左側に「ナウシカ」のリンクがありますよね。あれです。

 昨日はいつもとは異なって、フランスから日本に来ている建築家の方‥‥大学でマンガについて講義をしたこともあるという‥‥が講演をしてくれました。英語でしゃべったので少ししか解りませんでした(フランス語だったら100%理解不能だったでしょう)。が、語る内容をプリントアウトしたモノが配られたので多少は解りました。‥‥スミマセン、嘘を申しました。少々です。通訳 兼 補足も適宜入ったので、だいぶ理解はできましたよ。

 タイトルは、

"MANGA AND FRENCH CULTURE"

 フランスで今30歳くらいになっている世代は日本のアニメやマンガの影響を色濃く受けているそうです。子どもの頃から『キャンディー・キャンディー』、『鉄腕アトム』、『グレンダイザー』、『うる星やつら』、『銀河鉄道999』などなどが放映されていて、『ドラゴンボール』も放映されていて、‥‥そして翻訳された原作マンガを購入することもあるし、輸入された原典(!)に触れる機会もある、らしい。

 フランスでの日本のマンガやアニメの受容が常に順風満帆だったわけでもないらしい。性的に露骨な表現があったりするでしょう? やっぱり筒井康隆の『くたばれPTA』や永井豪の『ハレンチ学園』みたいなこともあったみたい。‥‥親は日本のアニメを子供に見せたがらなくなった。どっちかと言うと撲滅の方向へ。
 しかし宮崎駿の映画が公開されてその情勢が一変。逆に親は子どもに宮崎はじめ日本の作品を勧めるようになった、らしい。

 ただヨーロッパ諸国では、マンガは日本のような消費雑誌として受容されているわけではなく、また劣悪な紙に印刷されたモノトーンの姿で多くが受容されているわけでもない。色を付けた綺麗な芸術本の一つという感覚で読まれている、らしい。それがフランスのマンガの伝統。30代よりも上の大部分の人は、日本のマンガが入る前に脈々と受け継がれていたそのようなモノとしてマンガを受容している。逆に30代以下の人の大部分は、マンガは日本で読まれているようなスタイルのモノであると考えて受容している。
 ‥‥その世代間ギャップを埋めたり薄めたりする努力も行われているが、なかなかうまくいかない、らしい。
 でもそれって多分マクドやハリウッド的な「文化の破壊」かもしれないなあ。融合よりは差異を認識した共存ができれば良いと思う。
 でも『AKIRA』はアメコミで色が付けられたのが行ったようです。

 ‥‥日本の諸作品が日本と同様、エンタテインメントとして読まれているのは一緒です。しかし当然の事ながら彼らにとってはそれが外国文化と触れあう契機になってる。‥‥日本は逆っすよね。逆にこっちの文化に埋没していく契機になってるかもしれない。
 また、日本のように、まるで普通の本のように読む‥‥楽しむために読んでいたはずなのになにがしかのモノが心の中に澱のように残り、それの影響を少しずつ受けていく‥‥ということは、まず「ない」、ということです。

 そのへんがだいぶ違うかなあ。

 例の如くその後は講演者も含めた参加者全員で居酒屋に行きました。彼がトム・クランシーのように「日本のビールは本当においしい」と言ったかどうかは伏せておきます。しかし、かなりかなりお代わりしていた事実は紹介して良いと思います。よかった、キリンで。

 居酒屋の外に出たら半月で「おぼろ月夜」でした。僕や友だちは何となく「いいな♪」って思ったんですが、彼によるとヨーロッパでは満月と三日月くらいしか鑑賞されないんだって。友だちは「日本ではすべての月に一つひとつ「愛」が付与されている」みたいなことを言いました(秀逸な表現だと思う)。すると彼は「フフン♪」って、良い感じだとは思ってくれたみたいです。

 月ひとつとっても接し方が全く違うんですね。文化は違う。
 でもそういうのの上に乗っかったマンガやアニメが、まだまだ小さな市場ではあるらしいんですが、熱狂的に迎えられ、フランスでの世代間ギャップを語る際に不可欠な要素にまでなりつつある。それってなんか、ウレシイです。

 フランス、実は日本に次ぐ世界第二位のマンガ消費国なんだそうです。‥‥ジダンは『キャプテン翼』を読んでいるかも知れない‥‥?

 マンガネタのついで。現在、立命館大学で 手塚治虫展 やってます。

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