Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 2001年4月

2001年4月30  掃除

 なんか、日付などもろもろ間違ってた。

 明日・明後日と、楽しいゴールデンウィークの谷間ですね。みなさんいかがお過ごしでしょう。佐伯です。今日・明日は休みじゃないので大学に行かねばなりません。
 この休みの時期を利用してモノの散乱状況に関して抜本的な対策の実行が模索されている(何もわざわざ難しく言わなくても‥‥)佐伯's room ですが、画期的な方法がなかなか見出せぬままに2日が経過しました。

 一応、表面に散らばっていたゴミは大きな袋2つに分別収集されました。しかし、なぜか足許にはCCレモンの缶が未だに6つ転がっています。友だちに貸していたのがこないだ返ってきた坂本龍一・YMO関連のCDも20枚ばかし散らばっています。踏まないように歩くにはかなりの集中力が要請されます。

 居間・客間・寝室・書斎・台所・食堂・そして物置。一人暮らしの学生の部屋はいろいろなモノを兼ねているので、非常に難儀です。

 なんか、すごく眠いので、別のトコロに書いた日記を殆どそのままはりつけています。

 掲示板にも昨日書きましたが、1さんの記念写真を、トップから、あるいは更新履歴からも見られるようにました。ありがとう。

2001年4月28日  これでいいのかな

 『Kansai Walker』を見ていたら、中に『インビジブル』のビデオ・DVD広告がありました。キャッチコピーがすごい。「全米が、吐いた」。たしかに吐きそうな写真です。いいのかなこんな写真印刷しちゃって。この号には「食博覧会」の特集もあるって言うのに(上のサイトにその写真はないみたいです。上映前に作られたサイトに載せられる画像ではない)

 『インビジブル』主演のケビンと言えば、他にもいろいろあるんでしょうけど、中学の時に淡すぎる初恋を感じていた相手(彼女の名誉のために念のため言っときますが、大向こうにいらっしゃる大方の予想を裏切ることなく、わたしの完全な片想いに終始しました)がケビンのファンだということが教室で話していて発覚した『クイックシルバー』の彼は格好よかったなあ。なんの同時上映だったろう?

 当時、実家の方では「ちょっと待ってよ」って言いたくなるくらいに豪華な同時上映が流行ってました。『探偵物語』と『時をかける少女』とか(‥‥これは角川だから全国的な戦略だったのかな?)ね。『オネアミスの翼』を二回見ようと思って待っていたら『エンドア』というジャンル違い(特撮)のが始まり、苦痛に苛まれて見続けたけどやっぱり見てらんなくなって泣く泣く出てしまったこともありますし、『ロッキー4』の同時上映が(題名忘れてしまいましたが)アイスホッケーの青春ドラマで、たぶんロッキーよりもそっちの方が面白かったこともあります。数年後には『ラマン』と『氷の微笑』という、やり場のない性欲を持てあましていた帰省中の大学生にはある意味非常にキビシイ官能大作戦に接したこともあります。うん、でもあの同時上映がいちばんオトクだったなあ。二番館でもなんでもなかったのに。

 ‥‥そっか。多分これでいいのです。(謎)

2001年4月27日  必然性

 生協の購買で、カップに入ったスナック菓子、「じゃがりこ」や「カールスティック」の隣の棚に、ドリトスの「フォーミュラ 1」ってのを見つけました。
 メキシカンタコス味の、F1と言うよりインプレッツァみたいなカタチをして「24」という数字まで打ち出された、金太郎飴状態なのかな? と思える、4cmくらいの赤いクルマ? 状のがいっぱい入ってました。
 おいしい。っちゅうか、ひらべったい三角形のが入ってる「ドリトス」と同じ味。

 さて、そこで疑問がいくつか。

  • なぜこのカタチ? なぜクルマ?
  • なぜラリーカーのカタチなのに「F1」?
  • なぜ番号が「24」?
  • なぜ袋じゃなくカップに入れたの?

 おいしかったからなんでも良いんですけどね。上の疑問をさも重大事のように友だちに向かって喋りたい一心でまた買いそうな予感がするので、購買層をわたしのような理屈っぽい奴にしぼってるのなら大成功と言えます、あのお菓子。もともとお菓子に必然性なんて求めてはいけないのかもしれませんし。ただただ「おいしい&楽しい&新しい」くらいのイメージで売ってるだけなのかもしれませんから。
 でもなんかこう、いろいろ考えてしまったのですよ。

 そういえば、一昔か二昔前に、「きのこの山」のカサに「佐伯」とか「石田」とかの名前を刻んだ「はんこちょうだい」ってお菓子がありましたよね。必然性‥‥? 知らない。はんこも理由がよくわからないけれど、そもそも、なぜキノコのかたちなのか? ‥‥楽しいから。かわいいから。

 もっと昔、「ビッグワンガム」ってのがありましたよね。\150で、ガムのおまけにプラモデルがついてくる。いや、はっきり言ってしまえばプラモデルのおまけにガムがついてくる。銀メッキの部品までついていて、案外しっかりしたブルドーザやF1が出来上がりました。作ったあとで空き箱を捨てようとして、「おっと、ガム忘れてた」なんてことがしょっちゅうでした。でもってそのガム、なんの変哲もない板ガム。‥‥「売れればいいのです、売れれば。子どもが喜んでくれればいいのです。」ってことなのかな。でも、どうしておまけを充実させすぎる? 実際すごく楽しめたので全然オッケーです。

 究極かもなあと思ったのは、お菓子じゃなくて清涼飲料水ですけど、でもって飲みませんでしたけど、「コーヒー味の紅茶」か「紅茶味のコーヒー」でした。一体どこに何の必然性があってあんなものを作ろうとしてしまったのでしょう。そりゃ「作りたいから」という理由で作るのでしょうけど、必然性も、戦略も、高校生くらいだった佐伯には何も見えませんでした。缶に表示されたコピーを見た瞬間に「おっ、すげー。無意味すぎ」とは思いました。でもオモシロイだけで美味しそうに見えなかったので(缶ももう少し努力して作って欲しかった。二色刷か何かで、たしか、「バンブー」って名前だったろうか?)、手にも取らなかったと思います。

 今日はお菓子の他に何も思い出せないので、このくらいです‥‥。

2001年4月26日  組閣人事

 経済財政担当大臣は相当キレそうですね。さすが現役の大学教授。「生きてる知識」人はああでなくっちゃ。講義受けてみたいです。すっごい解りやすそう(専門的なこともきっとわかりやすく講義してくれるのでは‥‥)。
 彼のことはよく知らないけれど、彼の言った
Warm heart, cool head
って、いい言葉ですね。
 話しぶりから察するに政務に専念するのかなあ。大学としては災難なんでしょうけど、まあ、うん。呼ばれたら仕方ないですよね。 ‥‥何があっても呼ばれない佐伯であります。ノーベル賞やこのクニの叙勲制度に異を唱えるクチでもありますが、大丈夫、どっちも絶対的にもらえまい。キミは心配しなくて良いのだよ。

 A日新聞が新内閣のほぼ全員に「靖国神社への公式参拝は‥‥」って聞いてたけど、あれってどうなんでしょ。中国との関係がこじれかけてる今だからタイムリーなのかも知れないけど、そればっかりでヒトを見ようとする姿勢ってどうなのさ。失礼ながら、ばっかみたく見えました。世界的に評価の高いサッカー選手つかまえて戦略も心意気も何も聞かずに「スシ好き?」ばっかり聞く外国人レポータが『天国と地獄』におったけど、あれに近いモノを感じました。
 せっかくA日なんですから、情報収集力にモノを言わせて、各新官僚が「ぐっ」と詰まるような、もっと専門的なところを聞いて欲しかったです。

 ‥‥とは言え、何人かがそれに関連して「ご冥福を祈る」的な言い方をしていたのに、一人の大臣がしっかり「哀悼の意を表する」って言葉遣いをしていたのには、あの質問のおかげで遭遇できました。
 一般にあまり気にされてませんが、「ご冥福」は「冥土」を前提とする言葉ですから、明らかに宗教術語なんです。‥‥公式な場所で、嘘であっても宗教色を出さない方が良い場合(たとえば浄土真宗からキリスト教への場合)には、死後に赴くとされているのが「お浄土」であったり「天国」であったりするわけですから、おかしなことになります。そういう場合には、「自分はこう思う」を宗教色抜いて言えばいいわけで。それが「哀悼の意を表する」なんです。メディアが訃報を伝える際にも、これが原則です。そのへんのことを知ってか知らでかどっちの発言かはわかりませんけど、わたしにはその大臣の印象が他より多少良かったです。またカタイことを語ってしまったなあ。(^^;)

 サッカーについて補足。『天国と地獄』はモネールが毎回すっごいのを届けてくれるから全然いいのです。

2001年4月25日  やっぱり

 やっぱり、わたしの論破は論破になってないのかも知れません。「論として弱いよ」「彼と話しても無駄」「彼には『勝つ』ことが不可能。やめといたら?」との意見をもらいました。
 ぼちぼち考えてみます。
 自分の中の反対論がある程度以上のカタチをとったら、彼と話すとか話さないとかは無関係になるんじゃないか、とは思ってるのですが。

 やっぱり、昼夜逆転しまくりです。昨日の日記にも書きましたけど、お昼に眠ってます。昼に眠って夕方に起きてるのなら、24時間サイクルが規則正しく実現されて良いのですよ。修士論文を執筆してる時はそうでした。ただ最近のわたしの場合は、40時間くらい起きて10時間かもっと眠ってを繰り返すという不規則きわまりないやり方なんですね。不規則をも規則と呼べるならば規則的と言えるけど、でも不規則は不規則に過ぎない。こういう生活をしていて体を本格的にこわしてしまった先輩も身近にいるし、うん。昼に眠っても良いけれど、せめて規則正しくいきたいものです。

 やっぱり、携帯って便利ですね。うん。「つながっている」という実感? なんてのは全然感じませんけど、パソコンを起ち動げるよりもはるかに短い時間でネットにつながって、メールが出来る。どこにいてもほぼつかまる。うん。便利です。

 やっぱり、わたしは文章が長いですね。ここんところ急激に自覚が深まっています。

 やっぱり、思い出せない。今日何かトピックがあったのだけど忘れてしまいました。ココに書ける内容だったと思うのだけど‥‥。メモ帳を常に携えてないといけませんね。ネタ帳になる。

 ではでは。

2001年4月24日  元気なのか?

 今日は部屋のほぼ真北にある大学に行きました。大きな大学です。関西ではいちばん、いや日本でも有数の、経営的に大成功している大学です。そこに好きな先生がいらっしゃってゼミをされているので、友人に無理を通してもらい、先生にもご快諾をいただけたので、ちょっとお邪魔させてもらいました。

 京都は長いのですが、初めて行きました。なんと、本当に近かったです。同じアパートに住んでいたすごいアホな学生がそこの学生だったこともあって多少イメージ悪かった時期もありますが、そのアホ以外、知り合う人間 知り合う人間すごく面白くて魅力的なので、最近はイメージアップが急激でした。いや、しかし、こんなに近いとは思ってなかったです。予想外に近かった。

 やっぱり、真宗以外の学問って面白いです。無茶苦茶おもしろいです。そして、これは真宗でもそうですが、発表される方がそのテーマに本気で興味を持っていて、本気で追っておられる場合、その発表は本当に面白いです。

 わたしの論文に「真宗学がない」? それは、わたしの真宗学とあなたの真宗学が違うということです。方法論が違うのですから、互いに根拠の違う物差しで測るのはやめましょう。だ、誰に言ってるのだろう?とにかく、いろんな方法があって良いと思います。

 あまりに居心地が良くて、良すぎて、コンパまで行ってしまいました。うわあ。誘われたし えへへ。先生の本にはサインもいただけました。わたしが裏表のある人間であることの証明書としても使っている、ウラのある名刺もお渡ししてしまいました。

 居心地の良い他人の家に長居してはいけないが、居心地の悪い他人の家には長居しても良い、なぜなら、こちらの印象と相手の印象とは、逆であることが多いからだ。
 という内容であったかどうか正確には憶えていませんが(と言うか、ちょっと違うことが明らかなのですけれど)、なんかそういうのありましたよね。うーん。良かったのだろうか、今日のわたし。
 そんな殊勝なことを言いながら、次回もお邪魔させてもらうつもりでいます。うーん。悩むな悩むな。このさい貪欲に吸収させてもらいましょう。

 註:日記は、起きた日の日付で書きます。眠った日の日付ではありません。ちなみに今は25日の13:45です。

2001年4月23日  書いたのに

 お昼からの講義があったので、大学に行きました。少し遅れたので、「少しもいっぱいももう同じ」ってよくわかんない理由を考え出して、着いても自販機でコーヒー飲んだり煙草吸ったりぐずぐずして、それから教室に入りました。
 あれ。人がいない。数人しかいない。
 よさげな女の子がおったので多少「ラッキ♪」と思いつつ聞いたら、「ええ、そうみたいです」って。(「「今日は休みます」と言ってユーザが大喜びするような商売は他にない」森博嗣『臨機応答・変問自在』)
 なんか、知ってたような気もするんですよ。で、部屋を出る前に確認した手帳をもっかい出して見てみました。そしたら、先週のところにちゃんと「休講」ってチェック入ってるんですね。
 せっかく書いてあったのに‥‥。
 手帳の意味ないじゃん。
 あほやん。
 方言まざってるべや。
 いや、元気ですよ。

2001年4月22日  ヒトクローン

 4月19日の日記でもお伝えいたしましたが、ヒトクローンについて、石田は否定的見解を持っています。その見解に基づいた論をメールで出したところ、 ココココ で、論破されてしまいました。

 石田は理性的に議論することがすごく好きなので、でもって、女性とのつき合いなどでは全然そうじゃないこともあるのですけど(美しい女性の下になれ:友人談)、かなり負けず嫌いなので、反論の執筆を開始しまして、このほど完成いたしました。
 完成した論は、わたしを論破してくださった方(佐倉哲氏)や、わたしの論が紹介されていることを伝えてくださった方(Jun氏)に添付ファイルで発送し、あわせてココのサイトでも発表いたしました。
 今日は、論自体はまったくいじっていませんが、佐倉氏の当該発言をテーブルで囲ってくっつけたり、佐倉氏と他の方とのクローン議論へのリンクを付け加えたり、Junさんのページへのリンクもつけたり、そんなふうに手直しいたしました。

 よろしかったら読んでみてください。わたしの書いた文章だけに限れば9000字くらいです。こちら です。意見や感想、反感や反論などをお寄せいただければ幸いです。

 佐倉氏の反論に対するレスポンスではない、それに影響を受けて石田が新たに獲得したクローン論は、後日執筆し、発表いたしたいと考えております。

 なお、石田(含さえき)が否定的見解を持っているのは、成体の体細胞に由来するヒトクローン技術を用いて実際に成体の体細胞に由来するヒトクローンを製造しようとする論理や、見解や、それに基づいてわたしのような反対派を説得しようと試みる一連の動きに対してです。決して、その技術に基づいて生じるヒトクローンに対して否定的なのではありません。
 どのような技術に基づいて誕生しようと人間は人間です。わたしはそう考えています。そして、技術やその運用方法に対して否定的見解を持つことと、その技術が実際に運用されて生じる、いわば犠牲者とも言えると考えられる人間を人間と認めることとは、両立し得ると考えています。

 どうかそこのところを誤解なさらないでください。わたしには、ヒトクローンを差別しようとするつもりはありません。

2001年4月21日  なんか

 なんかわたし、傾向として、いちいち正論を吐くんだそうです。だからWeb上のモノにあまり反応が来ないみたいです。ツッコミの余地がない、ってことなのかもしれません。
 別に、その「正論」が素晴らしく完成されていて完璧だ、ってことではないと思う。読んで疲れっちまうんだと思う。

 いますよね、そういう人。非の打ち所がないわけじゃない論なのに、なんかうまくツッコミをいれられない。突っ込んだら突っ込んだで、こっちはただ道を尋ねただけなのに「おまえ俺のこと嫌いだべ!」って言われて、全然思ってもみなかった方角から大量のマサカリが降ってくる、みたいな。

 わたしは「現在」のわたしに可能な限りの、いちばん正しく思える「仮説」を精一杯提出します。もちろんそれは精一杯だというだけで、完全無欠に正しいというわけではない。誰かが突っ込んできてくれたらそのツッコミの内容を理解して、次いでツッコミが妥当かどうか考えて、自分の仮説にひびが入ったら、その仮説を捨てるのではなく、つっこみを溶いてヒビを塞ぐ。

 わたし、論文や掲示板で意見を表明するというのは、そういうふうにすることだと考えています。何かへんなことをまじめくさった顔でわたしが言い出したな、と思ったら、なるべく突っ込んでください。わたしたまに(じゃないという説もアリ)他人が喋るのを遮ってまで自分の言いたいことを言ってしまうことがありますが、そういう場合は「ま、まあ最後まで聞いて」か何か、そういうふうに言ってみてください。わたしの言葉を遮ってしゃべり出そうとしているのでなければ、わたしは聞くと思いますので。
 不躾かも知れませんが、ほんとにお願いします。

 本気ですが、一体どうやって返事して良いのかわからないかもしれないお願いでした。

2001年4月20日  遅刻した‥‥

 掲示板に書き込んでから爆睡したのですよ、目覚ましセットして。
 案の定、知らないうちに止めていました。そしてバイト遅刻しました。時間が合わなくて、会いたかった人にも会えなかったです。しくしくしく‥‥

 明日は朝からバイトです。なので、目覚ましはまた止めちゃうかもしれないし、明日は電話の目覚ましもセットして‥‥なんて思うけど、まあ、起きていれば遅れまい。(^^)
 ちょうど映画もふたつ借りてきてることだし。うん。録音したいCDもあるし。うん。
 ということで、ここまでは、今日もまた夜更かしするさえきがお伝えしました。

 知り合いのお坊さんの文章が新聞に載りました。と言っても宗教的な新聞です。たしか記事はそんなに公開されていないのですけど、その新聞のHPは ココです。
 もちろん宗教関係者じゃなくても講読できます。各宗教団体の近況や、あんまり表に出てこないドロドロっとしたものや、実施されているイベント情報などが満載です。石田の実家でも講読しております。宗教関連学会の大きなのは、部会と発表タイトルが確実に載ります。
 新聞社の主義主張はもちろんあって、社説もありますけれど、それ以外のページは非常に冷静に並列した記事ばかり。よい感じのスタンスだと思います。
 あ、宣伝してますね。すみません。
 佐伯に付き合って夜更かしのいしだがお伝えしました。

 さて。牛乳買ってきて映画見よっと。

2001年4月19日  ありゃ

 あるサイトでヒトクローンについて語り合っていました。わたしはヒトクローンに反対で、相手は賛成派。わたし以前「脳死」臓器移植について別サイトで語りあっているうちに見事にフレームにしてしまったので、その時の苦い経験をふまえ、冷静になろう冷静になろうと努力しつつ。

 お互い相手の立脚点を崩そうと試みていたのですけど、こないだ、反対派のわたしがどうも勝ってしまったようなんですね。すっごい嬉しかったのだけど、なんかこう、変な気もしていました。だって自分で見てもあちこちにいっぱい大きな穴がある論だったので。
 で、今日、他にレジュメが用意できなかったので、サブゼミではその「対話」をプリントアウトして資料にしました。あまりよい資料ではなかったのですけど。

 サブゼミが終わってから、久しぶりに大学生協の方のサーバでメールを受け取りました。そして、2月にヒトクローンがらみでメールを出していたヒトのサイトに、わたしのメールが掲載されているということを知りました。

 へえ、やっと反論してくれたんだな、と思って見に行ったら、なんか、3月4日にすでに答えてくれていました。そして、わたしのヒトクローン反対論が論破されていました。

 自分の精一杯考えて到達した地点が、他人の明晰な論理で論破されるのって、なんかすごくわくわくします。わたしがまたあの場所に立とうとするのなら、わたしは彼を論破しなければならない。いろいろ考えなければならないことは多いのだけど、なんかこういうの、良いです。

 なんて調子ぶっこいてられるのも今のうちなんだろうなあ。どうやっても敵わない論理に触れて、わたしはきっとわたしの限界を知るのでしょう。うーん。困ったな。

 論破されたのは、 ココココ です。再反論にはしばらくかかります。ぼちぼち。

2001年4月18日  名刺

 名刺を作りました。新メルアドならびに新URIになり、携帯も買ったので。

 こないだは別のソフトで作ったのだけど、二つ作る(本名&偽名。表ウラ)には不向きなソフトだったので(というか、どうすれば二種類のレイアウトを保存できるのか不明なままで使い終わってしまった‥‥)、別の方法を模索。
 で、A-one というところから出ている、マジックカットの台紙と、名刺レイアウトを作るためのソフト(フロッピ入り)が一緒になったのを買ってきて、それにかちかち書き込んで、テスト印刷して、修正し、テスト印刷、修正、‥‥を数回繰り返せばキレイな名刺ができる、そういうやり方を選択。

 なんか、フロッピに入っているソフトが起動する時の背景画面には「A-one」って書いてあるのに、10面名刺は違う会社の設定になってしまうのね。それでなのかどうなのか、ちょっと上に寄ってしまった。前にF3000かフォーミュラニッポンを使った映像が流れていた、ビタミンEか何かのCMみたいな感じ。

 そういう誤算もあったけど(テスト印刷は?)、とりあえず30枚できました。ウラの偽名の方にココのタイトルも入れました。もちろん ドジャーブルーComic Sans MS太字。よしよし。

 あとは、この名刺を持つヒトの中身ですね。(^^;)

2001年4月17日  あらあら。 (ふたたび)

 ゼミコンパからの帰りぎわ、大学ヨコにあるお寺のヨコを自転車で通りました。
 一瞬、視界の隅に何んかこう、見慣れぬモノを見たんですね。暗かったんだけど、なんか。

 よーく見ると、ディープにキスをしてる人たちでした。久しぶりに見たなあ。
       ̄ )<>(  ̄  ← こんな感じ‥‥‥。

 西欧系の人たちが本願寺の塀にもたれてキスをしてる図って、結構シュールでした。

 日本人って、キリスト教のチャペルで結婚式を挙げるのにあこがれる傾向がありますよね、
ロマンチックだ って。
 ひょっとするとこんなもんなのかなあ、このクニの中で暮らしていると お寺なんてある程度以上に日常のものだけど、きっと西欧人にとって日本建築やお寺は「エキゾチシズム」のカタマリみたいなもんで、だからきっと彼らは新婚旅行に日本を選んだのであって、そしてやっぱりその選択に間違いはなかったわけで、だから二人は盛り上がって、あんな往来の真ん中でそんなことを‥‥。

 なんて思いつつ、なるべく早く通りすぎた佐伯でした。

2001年4月15日  あらあら。

 昨日日記書かなかったんですね。いま気付きました。あらら。スミマセン。

 くぼたくんありがとう。慥かにトップを「フォント中」で表示して掲示板へのリンクをクリックしようとすると、このサイト全体が地震に見舞われました。今は指摘通りに「bold」をはずし、デコレーションを「underline」にしてあります。これも動きがあって好きなやり方です。どこぞのサイトと同じ(パクり)なのですけど、良いですよね。

 昨日のお花見は、すぐそばでパークゴルフの練習をしてるおじさんのヨコで平和理に始まりました。参加者やそれ以外の人の今後がそれぞれにとって良いモノであること、おじさんのコントロールが逸れないことを念じて乾杯したのだけど、肝心なものを念じるの忘れて、おかげで(?)すぐに雨が降ってきました。
 屋根のある場所に移動して再開したものの、そこに住んでる人が帰ってきて、どう考えてもうちらかなり迷惑みたいだったので、雨が小降りになったところを見計らって、いちばん近い参加者・今回のお弁当を作ってくれた人の家に移動。

 まあ、ねえ。葉桜でもお花見はお花見。家の中に移ってもお花見はお花見。野郎ばかり5人でもお花見はお花見。気のあった仲間と飲み物とお弁当があれば、お花見なんていつでもどこででもできる、と思います。春だったり晴れてたり満開の桜があったり女性がいたりするのは、まあ、オプションだと思います。
 ↑ 本気で書いてるのだけど、わたし多少まちがってますね。

 予定は未定ですが、明日、携帯を買おうと思っています。何がなんだか本当にわかってないけど、なんとかなるもんなんでしょうか。パソコンを買う前にいろんな人にアドバイスもらって、結局よくわからなくなって、とりあえず VAIO と Gateway に選択肢をしぼったら両方持ってる友だちが見つかったので、わたしにとっては非常に正しい選択ができました。
 今かかえている不安、迷いながらとりあえず Gateway に電話してたのを思い出させます。

 明日はとりあえず au に行きます。学生さんはお金がないのです。きっと学生さんじゃなくなってもわたしはお金がないままでしょうけど。

2001年4月13日  昨日は‥‥

 昨日は日記書かなかったんですね。いま気付きました。スミマセン。

 一昨日のプリン体験、いろいろな意味で鳩尾(みぞおち)に食い込んでます。なぜハトの尾で「みぞおち」なんでしょう。不思議です。‥‥あれ、『大辞林』語源でてないや。

 大学生協に行ったら奥泉光の新刊が出てました。迷いません。きっと高橋源一郎がエッセイで言及していたやつだと思います。評価良好。好きな人が好きな人を褒めてるのって、嬉しいですね。しかし奥泉の作品を読むのに先入観はあまり要りません。帯も要らないかもしれません。

 大学からの帰りに立ち寄った本屋さん、古処誠二の新刊を探したのだけど、その書店ではまだ出てなかったです。もう彼のHPでは表紙をアップしてるというのに‥‥。  ココです。  明日にでも京都駅周辺で買いましょう。
 でも偶然そこで鈴木光司の新刊に遭遇しました。やはり迷いません。
 『ループ』の衝撃、そして三部作を総括した『バースデイ』のインターミッションを経ての邂逅。わっくわくvvvです。今日はその後べつのところで彼のインタビューを読む機会があって妙にタイムリー。よし!

 しかしその前に、埋もれて泣いている稲垣足穂や池澤夏樹を読まなければ‥‥。っていうか最近本読んでないなあ俺‥‥。ニコチン中毒よりも、カフェイン中毒よりも先に罹患したのに、存続の危機なのかなぁ活字中毒。俺大丈夫かなあ‥‥。

 明日は「薄暮お花見」です。京都の桜はとうに盛りを過ぎています。まあ良いでしょう、人も少なくなってるだろうし。新葉を堪能するってのも結構いけるのではないかな。

2001年4月11日  ハウスプリン

 昨日、実家から送られてきた荷物になぜか入っていた「ハウスプリン」を、「へー。火にかけて作らなくて良くなったんだ〜。 ポットのお湯で作れるようになったんだ〜♪」と感動しながら楽しく作り、今日、食しました。

 まぁるい大きなカップに入れて固めたので、見栄えも最高♪

 でっかいモノって良いよね。佐伯が作るとホットケーキもでかくなるし、プリンもやっぱりでかくなります。そういえば『ぐりとぐら』に出てきた大きな大きなタマゴも、むちゃむちゃ愛らしかった。味の素のマヨネーズCMに出てきた実写版でっかいタマゴもニコニコで、抱きついてる香取くんがとっても羨ましかった。
 しっかしでっかいプリンだな〜。こんなの食べるの初めて!うまそ!(^ー*^)!

 感想 : キモチワルぅ。

 自他ともに認めるかなりヘヴィな甘党なのに、やっぱり300ccプリンを一気に食べると、いかんですわ。何事も「ほどほど」が良いようです。こういうのは一人で食べるんじゃなく、友だちを呼ぶか、恋人ができたら2人で作って、そして一緒に食べよう。反省してます。

2001年4月10日  ひとごみ

 大学が起動しました。

 学部の科目登録期間と言うこともあり、とても人が多くて、人混みが苦手な佐伯には激烈な環境悪化が起こったかのように思えてしまいます。

 キャンパスは特別に設えられた喫煙所以外全面禁煙のはずなのに、そこらじゅうに吸い殻が落ちていて、くわえ煙草でうろうろ歩く人がいます。そういう環境だとわたしも安心してくわえ煙草でうろうろしてしまって、ハッと気付く、ということになる。これはいかん!
 喫煙者の多くはほとんど無自覚ですよね、自分の喫煙について。まあ、だから嫌われるというのもあるのかな。ふかす人は論外として、美味しく吸ったのならちゃんと捨てたいと思うし、美味しく感じてないヒトや、煙草を目の敵にして、まるで煙草がこの世から消えてなくなったら全ての悪がこの世から去るのだ、みたく考えてるんじゃないかって思える人や、そういうのに配慮 してやっても良いと思う すべきだと思うんです。

 キャンパスのあちこちに下水口があります。多くはその上に網を敷き、その上にさらに砂利を敷き詰めてあるので目立たないのだけど、一部露出していて、しかも、まるで灰皿なんですね、その下水口の外観。
 灰皿や吸い殻入れに吸い殻を捨てない人はキライだけど、道端でぽいと捨てて踏んだり、踏まなかったりして通り過ぎていく人もキライだけど、でも、灰皿に酷似した下水口に捨ててしまう人間の心理は多少解る気がする。「無自覚にもほどがあるぞ!」と言えるのだけど、うーん。

 解るけど、弁護するつもりはさらさらないです。

2001年4月9日  なぜ?

 もとの偽名ページにあった掲示板、消えました。なぜでしょう?
 うーん。
 本名ページにあった方は、逆にまだまだいけます。チカラワザでの移行作業も、滞りがちながら非常にスムーズです。

 Smap Vest を借りてきました。二枚組み。でもファンじゃないし、一枚目の方しか聞かないかもしれないな、と思いつつ。
 サトシトミイエ feat. CHARA の ATARI というのも借りてきました。クルマのCMでかかってるやつですね。想像していた歌詞と全然違いました。CHARA の発音は非常に良いなあ。一時期の桑田さんみたいです。

2001年4月8日  えっちらおっちら

 掲示板を保存するというのは一体どうすれば良いのだろう‥‥。

 移動したじゃないですか、ココ。それにともなって掲示板も一部引っ越しました。
 さえきくんの方の掲示板はいろいろ変更したらそのまま使えそうなのでこのまま使い続けるつもりですが、しかし 心機一転 という意味で新しい掲示板を作ってしまいました。昔の掲示板も引き続き使えますけど、ゆるやかに移行して行ければいいなと思っています。(旧偽名ページ掲示板へのリンクは、トップの「さ」です。)

 本名ページからリンクしていた掲示板は、本名ページの入っていたところにある独自のCGIでした。だからその掲示板、いまだに、下の方にある「ホーム」ボタンを押すと旧ページに飛んでいくんです。これはリンクして急場はしのげるとしても、継続して使い続けることは出来ない。
 何度も「すべて選択」か何かして、テキストで保存するかなあ。
 そういう悩みからの、今日のタイトルでした。

 新掲示板、両方とも機能しています。ただ、最初に新しく作った本名の方(生命学系‥‥というか、研究系かな)、作った途端にリンクがなぜか無効になってしまい、おかしいなと思って管理ページに行ってみようとしたのだけど、それさえ叶わなかったので危険と判断しました。こっちは使わない(一応リンクは有効。「仮」です。)
 仕方がないので 「掲示板 サービス」 をキーワードに、ヤフー!で新しいのをもう一回探しました。そしたら個人的に非常になじみ深い形式の掲示板が見つかりました。すごくすごくラッキー。
 こっちは非常に気に入りました。だから、こっちを正式版にします。落ちるなよ。なくなるのは研修サイトだけ。いやそっちもなくなるんじゃない。

 と、謎の言葉とともに今日はおしまいです。サイトマップもどきを作ったら寝ます。

2001年4月7日  ふけばとぶ

 ふけばとぶよなこのサイトですが、このたび本格的に風にふかれ、というか管理人がやっと移動させる気になったので、移動することになりました。移動先は、 ココ です。

 内容を本名ページと再統合するだけなのでたいしたことないじゃん、って思っていたのですけど、内部リンクなど、思ったよりややこしいものがありました。そして思った通り、今は佐伯と本名とぐしゃぐしゃになってますね。
 ここと本名ページと、両方に「飛ぶよ」ページをアップしたら本当に移動します、いろんな意味で。

 今日は、そのくらいかなー。‥‥一人で祝杯を上げたくらいでしょうか。

 ドイツ人はビールを冷やさずに飲むんだよ〜。
 ということを前から聞いていたので、今日はヱビスビールを冷蔵庫から出して十分に室温になじませ、それから飲んでみました。
 うまいぞヱビス。
 うまいビールは、うまいんですね、どうやっても。
 おなかにも優しくて、とっても収穫でした。

2001年4月6日  村上陽一郎

 以前から先輩に薦められていた、村上陽一郎『生と死への眼差し』青土社 を買ってきました。復活版なのですが、なかなか素晴らしいです。なんせこの人は言葉の選び方が良いですね。でもって、哲学や科学・医療に関する知識もひどくまともです。読んでいてホッとします。

 『グラディエータ』を借りてきて見ました。アカデミー賞受賞ということもあってTSUTAYAにはほとんどありませんでした。一本だけあった。
 見始めたら、いきなり日本語が耳に飛び込んできました。
 ‥‥しょっく。やってしまった。吹き替え版を借りるつもりなんてさらさらなかったのに‥。

 でも案外楽しめたから、まあ、よしとしています。(^^)

 昨日の日記がやたらに長かったし、今日はこのくらいで‥‥。

2001年4月5日  ヒトクローン (長っ‥‥)

 について『クローズアップ現代』でプログラムが組まれていました。

 わたしはヒトクローンの製造 (はなはだ語弊のある表現ですが、技術的にはまったくこの表現の通りであり、かつ、誕生させようとする技術者の観点からしてもまったくこの表現の通りであり、かつ、わたしが違和感を覚える表現であるから、この表現を用いています) に反対です。

 ヒトクローンの製造法なんて解説するまでもないでしょう。論理的には無茶苦茶簡単です。他の技術との違いも明らかです。なのになぜ、体細胞に由来するヒトクローンの製造とES細胞培養に基づく技術とを混同させようとする人や、混同させたままで誤解を解こうとしない人が、世にはかくも多いのか。理解に苦しむところです。『クローズアップ現代』はその誤解を解除するのに役立ったでしょう。
 こないだ本名ページにアップしたわたしの文書から、一部を引用です。↓
 そのうち偽名ページと本名ページは統合される予定です。

 成体の体細胞に由来するヒトクローンを実際に製造(!)した場合に問題になるであろうことの一つであり、そのような事態の到来が予見される現在において問題となっているのは、
 1.クローンとして生まれてきた人間が、まるでオリジナルのコピーのように誤解されることが異様に多く、
 2.人格や性格その他、人権やその周辺のモノを持っていないかのように誤解されがちであること、そして、
 3.クローンとして誕生する人間の人格や人権を容認することが、そのままヒトクローンを製造することを容認するのと同義ででもあるかのように誤解されていること、である。

 ヒトクローンが不妊治療と同一視されているのも、どうも納得が行かない。それは不妊を不妊と認め、その上で選択されようとしている代替策に過ぎない、わたしはそう思っています。医療現場では代替策を治療と言う、そのような「ならわし」があるのでしょうか。しかし言葉の問題は比較的些末ですよね。

 結婚もしてないし、自分の子どもが欲しいと本気で思ったことも、わたしはまだありません。だからわたしが言うのは典型的に過ぎる机上の空論かもしれません。しかし、わたしなりの意見を表明することにまったく意味がないわけではないでしょう。無視されたり呆れられたりする結果に終わるかも知れませんが、以下、ヒトクローンについて、わたしはわたしの意見を述べます。

 1.なぜ自分[たち]の遺伝情報にこだわるのか。
 子どもは絶対に自分[たち]の遺伝情報を持っていなければならないものなのでしょうか。なぜ養子縁組という手段を取ることができないのか。‥‥結婚もしていないわたしがこんなことを言うのは甚だ僭越ですが、わたしはそのような場合、今のところ、必要があれば妻(!)にもわたしの考えを伝染させ、養子縁組を選択するつもりです。(この選択には、養子縁組を選択し、幸せな生活を送っている一家を個人的に知っているという事実も手伝っています。)自分が親と遺伝的なつながりを持っていないという情報に触れた人間は混乱を来しますが、それは克服可能な混乱です。充実した「いま」があれば、たとえ時間がかかっても、克服は可能です。
 遺伝的なつながりが完璧な親子でも、親を殺し、子を殺すことはあります。遺伝的なつながりが親と子をつなぐ唯一無二のモノではありません。クローンという手段を選択するほどに子どもを求めている親が、授かった子どもに惜しみない愛情を注ぐことを疑うつもりはありませんが、また、「お前は○○のクローンなんだよ」という告白も養子縁組の告白(→受容)と同様、克服可能な混乱ですが、遺伝的なつながりにあぐらをかき、そこからオカシくなっていく親子が多いのも、事実です。

 2.この世に自分が生きた証は、子どもだけなのか。
 自分がこの世に生きた証を残したいから子どもが欲しい、という意見があります。だから人はセックスをしたり人工授精をしたり体外受精をしたり、そのようにして子をもうけるのかもしれません。しかし、子を為さずにこの世から去る人間がたくさんいるのも事実です。
 そのような人は、この世に生きた証を、この世に残していないのでしょうか。
 わたしは、そんなことはないと考えています。
 死んでしまった友だちは、確実に、彼なりのやり方で、この世を生きました。彼が望むと望まぬとに拘わらず彼がこの世を生きた証は、彼の近親者である、彼の肉親のココロ、わたしのココロ、他の友だちのココロに確実に刻まれています。そしてこの世にも確実に刻まれています。子を為すか否かに関わらず、この世を生きた以上、生きた証は、この世に刻まれるのです。この世に関わった人間の生きた証は、この世を生きている人間に、この世に、刻まれるのです。ほぼ同様に、たとえこの世に生まれた時すでに息を引き取っていたとしても、その赤ん坊が生きた証は親のココロに、そしてこの世に刻まれるのです。
 わたしはそのように考えています。

 3.出産にこだわるのならば、別の方法もある。
 それでも自分や自分の配偶者が出産するという行為にこだわりたいのならば、他人の卵子や他人の精子を利用して人工授精や体外受精を行い、そして出産すれば良いのではないでしょうか。

 ヒトクローンの製造に反対するには、まだまだたくさんの理由があると思います。

 上に示した引用文でも少し書きましたが、綾波に感情移入しているわたしに、ヒトクローンとしてこの世に生まれてきた人間が独立した人権や人格を持っているということを否定するつもりはさらさらありません。
 ただ、親の遺伝情報の一部や全部を担っていなければ子どもではないと考えてしまう人の持つ欲望であるとか、技術的に可能であることがどこまで現実に可能であるのかを試したいとか、望んでいる人がいて技術があるのにやって何が悪いんだ! とか、‥‥そういう欲望を野放しにすることには、反対です。

 そうです。わたしはヒトクーロンという技術を用いて子どもを為そうとする人に対して「がまんしなさい」と言っているのでしょう。これは厳格に過ぎぬ、机上の空論に過ぎない、冷たい意見でしょうか。
 わたしの意見に拘わらず、あの宗教団体は、「代理母による出産」というなんだかよくわからない手段で、ヒトクローンを製造(!)してしまうんでしょうね。

 「習作」におちゃらけたモノをアップしてありますが読んでみますか?

「たった一人」 を読む

 よかったら、この意見や習作に対して、ご意見・ご反論をお寄せ下さい。

2001年4月4日  今日もよふかし

 知り合いがこないだカラオケで歌ってた平井堅を借りて来ました。『why』など。
 うん、彼はスキャットまで完璧だったし、相当頑張ってたんだなあ。見習わないと。っておまえ歌う気かよ、って言うか歌えるのかよ。
 なんだ、こんな良い声・こんなうまさなのに、『楽園』みたいな堅いのばかりじゃなく、悪い意味で日本的なラブソングも歌っていたのね。じゃあ今度コレを歌おうかな。『the flower is you』。
 こんな「見守ってるよ♪」的な内容のじゃなく、中島みゆきのように突き抜けた、ある意味でもっとロックロックした歌詞を堅く硬く歌って欲しいなあ。

 萩尾望都『マージナル』小学館文庫を買ってきました。昨日ですが。
 知り合いからタルコフスキの映画を薦められたり、池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』を薦められたり、稲垣足穂『一千一秒物語』を薦められたり、森さんの先生の話を本屋さんで見かけたので合法的に部屋に招待したり、楡氏が完結編を出してたので印税収入に微々たる協力をしたり、最近いろいろ大変です。図書館から8冊くらい借りてるはずなのに、ふと気付くと5冊くらいしか見つからないし、しかもどれもほとんど読んでないと来てる。ああ、おわっとる。

 こないだの日記について、補足を少し。
 元プリンスの撮る映画は最悪な出来なんだそうです、ほぼ確実に。
 でも、その分(?)、ミュージッククリップはシュール&サブイボで、とってもステキなことが多いです。『Live 4 Love』はライブです。格好良すぎて首をヨコに振りながらうっとりしてしまいたくなり(そういう女の子が一人映ってるし)、そういう意味で正しい鳥肌。『Kiss』や『Cream』、『Sexy MF』は「なぜそこまでする? っていうかお前さっき上半身裸だったべや。いつのまに着てるのよ?」という、そういう意味で正しい鳥肌です。

 褒めてることになってるでしょうか。そのつもりだったのですが。

 ああ、音楽は折り紙付きですね。記録映像に関してはたまに「?」ですが、音楽は、ライブもCDも完璧です。「完膚無きまでの完璧」を絵に描いて、その絵を後ろから「トントン」と叩けば飛び出てくるのが、プリンスや元プリンスのライブであり、音楽です。

 ‥‥変だな。今日は落ちていかないな。明日に期待。

2001年4月3日  毎日が 発掘調査の ぼくの部屋 (5・7・5)

 イチローが大リーグデビューだなー、って思って、見ようとして、夜中ずうっと起きてました。新聞とってないし、帰省直後で中途半端だったために『KANSAI一週間』も買えなかったし、TV欄がなかったのです。(ネット上ので確認すれば良かったことにいま気付いた!)
 で、朝が来てしばらく経って、11:00からだということを知りました。(・・)

 フテ寝しました。

 でも、大リーグでの初アウトも、初ヒットも、初ホームインも、全部見ることができました。ちょっと嬉しかった。新庄も見ようと思っていたのだけど、スタメンじゃないんだってね。どないしょう。

 ずっと前から薦められていた萩尾望都『マージナル』を購入しました。優先順位の関係で読むの少し後になりそうですが、楽しみです。ほんと、いろんな本がいろんなところにある部屋です。

 さてさて。今日は軽めです。

2001年4月2日  イルカの夏

 知り合いのご夫婦と一緒に晩ご飯を食べ、その後、TSUTAYAに行きました。楽しい食事だったこともあり、なんか一つ笑いが欲しいなと思っていたら、中古CDのコーナで木村佳乃のデビュー曲が発掘されました。「100円」のシールの上に、さらに「50円」のシールが貼ってある。食事の時にも木村佳乃の話が出て、わたしがファンであると言い、だんなさんは無言になり、奥さんが「わからない」と率直な感想を述べられていました。

 ああもう、これは仕方がない。マクドより安いやないか。

 あまり好きじゃないのです、彼女の歌ってるの。カレンダは毎年買ってますが、CDは一生買うつもりなんてなかった。でもまあ、これもなんかのご縁であろうと諦め、グラディエータとゴーストドッグを借りるのと一緒に買いました。
 はなはだ不本意そうな顔をしていたのでしょう、奥さんは「わたしも加賀丈司のCDがあったら買ってた!」と言ってなぐさめてくれました。文脈はそれなりに合ってます。

 感想については、わたしに聞かないでください。それはプリンスが撮った映画の感想を渋谷陽一に聞くくらい、非常に気の毒なことです。よろしく。

2001年4月1日  待ち合わせ

 なんか最近どんどん日記の更新が遅くなってる佐伯です。せっかく常時接続にしたのに夜更かし続きで、これではほとんど意味がないぞ〜!

 今日、河原町の方のドトールで待ち合わせをしました。先輩です。恋人じゃないです。
 時間通りに行ったのに、いつまでもいつまでも、カードの『エンダーの子どもたち』下巻を半分以上読み終わってしまったのに、先輩は現れない。
 何か急な用事でも入ったのかな、こういう時って携帯持ってないと不便だな、って言うか、何んか変だな、と思いつつ、帰宅。
 その後、それぞれの家の加入電話で話して判明したのは、似たよな場所に(と言っても相当離れてるが)ドトールが二軒ある、という事実でした。
 待ち合わせって、その界隈では一軒しかないトコロでした方が良いようですね。駅なんかで「南改札口」なんてのが「1」と「2」に分かれていたりすると、もう目もあてられません。
 って言うか、通りの名前も、その通りからの方角も完っ璧に間違えて行ったわたしが、全面的に悪いのでした。

 ああ。監獄ふう居酒屋、行きたかったなあ‥‥。


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