Just a Little Bit of… の日記
バックナンバ 2001年1月

2001年1月31日

 夜中に煙草が切れました。自販機は閉店してるけど煙草は基本的にコンビニで24時間買えます、が、あんまり売ってない煙草を吸ってるとこういう時に不便です。ちゃんととっておいたはずなのになあ……。
 今おもに吸ってる煙草、無添加です。カラダのことを思うと煙草なんて吸わなければそれに越したことはないんだろうけど、でもそんなにカラダのことばっかりキュウキュウと考えていると逆に「健康崇拝病」みたいなのにかかって死んでしまう、ような気がします。
 いや、そうじゃなくって、無添加の煙草にしたのは「カラダのために」ってことではない、ってのが言いたかったんです。

 普通の煙草は「味」を出すために、まるで「味の素」のような添加物を葉っぱにふりかけてるんだそうです。その分ニコチン量が少なくなって、味が増すようです。
 わたしが吸ってる煙草は、無添加です。その分ニコチンが普通の煙草に較べて、タールと比較した時の含有量が多いんだけど(つまり常習性が増してるの?)、肝臓にかかる負担はびっくりするくらい軽減します。具体的に言えば、皮膚の表面(特に右手の指先)に恒常的に出ていた吹き出物の類が、この煙草にしてからわたしの場合は完全になりを潜めました。また、徹夜明けの朝、苦しくなることもなくなりました。……こっちは、この煙草を吸ってる人がみな声を揃えて言います。

 「なんでキャメルなの?」と聞かれた友だちが「ラクダから」と言ってたのを突然思い出しましたが、キャメルはそんなにラクじゃなかったです、わたしには。ダジャレでもなんでもなく、今吸ってる煙草は、本当にラクです。カラダのことを思ったから、ではなく、自分がラクだから、吸ってます。
 で、さっきそれが切れて、違うのを吸ってます。
 なんかカラダが受け付けてないのがわかるような気さえします……。

 と、ネタがないのにまかせて煙草の宣伝をしてしまったぞ。
 そうそう。
 いつも吸ってるのは、NATURAL AMELICAN SPIRIT です。そのライト。黄色いの。

 ああ、そうでした。
 ポストペットのペットが、さっきいなくなりました。実はかなりショック受けてます。「心配しないで。痛かったりはしないんだよ。新しいお友達と仲良くね。たまにはぼくを思い出してね」といった内容のメールが来てました。泣かせるぜ〜。

2001年1月30日

 ……ま、「口説かれ放題」(昨日の日記。ちょっと後ろ向きかもしれない)とは言いましても、「ココが惜しいな」とか「うーん、なんか違うような」とか、きっと選ぶと思います。わたしはそういう優柔不断なヤツだったりします。

 なんか、「バースデーベア」ってのがあるんですか? …さっきまでまったく知りませんでした。「中高生の間で話題!」 ということだから30近いオッサンが知らなくても不思議はないけど、なんか寂しい。
 きっと昼夜逆転きわまった観のある生活が作用してるんじゃないかと思います。でも安定したら「した」で、逆転も日常になり得ます。「学生」という境遇にあまえてるだけなんじゃないかという気もしますが、論文を執筆していてあまり他人に会いたくない時とか、他人に言えない何かマニアックなことをしていて集中力がいる時とか(おれ何やってんだろ)、わたしは結構やってます。「俺が昼に起きてなくてもあまり誰も困らないというのは、良いことなのか悪いことなのか?」と、たまに考えます。そしてほぼ常に、「きっと良くも悪くもないことなんじゃないか?」という結論に達します。

 教室に入ってくるなり「…ですからね、」あるいは「…つまりですね、」はたまた「…というわけでですね、」と語り出す教授が約一名、わたしの大学にはいます。ここだけ抜き出すと非常に不思議な光景ですが、それで教授も学生も違和感なく講義に入っていけるということの方が、きっと不思議なんじゃないかと思います。

 ……あれ、変だな? 二つ続けてオチがみつからないぞ?

2001年1月29日

 ふとんカバーを替えました。デフォルト状態のよくわからない柄モノから、今度は薄青い無地の生地になりました。スッキリしていて清潔感たっぷりなんだけど、これは汚れが極端に目立ちそうです。前のの半分くらいの厚さしかないし、すぐ破れてしまいそうな気もしています。ので、元のやつも洗濯してとっとかないとヤバそうです。

 なんかね。

 独立心旺盛な人と、そうではない至って依存的な人と、世の中には大きく分けて二つの分類があるようです。今まで全然気づかなかったんだけど、最近、とある機会にわたしは後者であるという指摘を受けました。経済的には文句なくそうだと思ってきたけれど、精神的にもどうやらそうらしい。でもって経済的なモノが精神的なモノにも大いに作用するらしい。
 ハタから見てるとまるっきり明らかでも、本人は何んにも気づいてないことって、わたしこれに限らず非常に多いです。今回の指摘では、赤面するほど恥ずかしくなりました。
 でもやがてきっとそんなことも忘れ、わたしは今のままで生きていってしまいそうです。
 ……じゃないや、なんとかしないと。
 対策としては、自分のこの性質を少しずつ改善していくことではないかと思います。しかし人間の性質ってそんな簡単に変わるもんでもないだろうから、それと並行して、独立心旺盛で精神的に幅の広い、まるで母親のような女性に惚れて惚れられ(どちらが先でも問題ナシ)、戸籍上で独立し、彼女の「庇護」の下で一生を終えること、でしょう。
 そんなふうな、しかも可愛くて賢い女性って、いないでしょうか。今のさえきは、たぶん口説かれ放題です。

2001年1月28日

 京都では「雷注意報」が出ています。たぶん「春雷」ってやつだと思います。でもまだ鳴ってないみたいだな。……しかし明日は雪か雨が降るそうです。ほほぅ。確実に春に向かってはいても、まだまだやっぱり冬なんですね。
 友だちのHPの日記を見たら、「大学の友だちが結婚する」とありました。共通の友人もいるし、当然のようにそうでない友人もいますが、どうでしょう。知り合いであれば純粋に祝福できそうな気がするので、久々にメールでも出して聞いてみます。まあわたしじゃないし、なるべくならずっと結婚しないでいてくれるとありがたいなぁと思っていた女性はすでに結婚してしまっているし、あんまり関係なさそうですけど。と、コドモのようなことを書いていて良いのでしょうか。
 「クッション」と表記されていたニョロニョロを抱きまくらに転用してはや1カ月が経過しました。外に出して見ると結構だまだまでいっぱいです。だまだまのいっぱいついたスウェットを着て抱きついているから移ったんだと思います。かくのごとく、望むと望まぬとに拘わらず、気づくと、モノは単独で存続しているわけではなく、他のモノに影響を与えつつ存続しているのです。
 なんのことやら……。

2001年1月27日

 昨日は日記書けませんでした。ちょっといろいろやっております。今日は完全に寝坊をしました。こっちはまったく言い訳できない感じです。
 夕方の5時頃、日が長くなってきてるのを実感しました。わたしが知らないうちに、北半球は良い感じで確実に春に向かっていたんですね。
 天候も春先特有の不安定さでした。朝は、わたしが家を出た時は結構な勢いで降っていたのに、その一時間前くらいの時は雨なんてカケラもなかったそうです。京都は日中そのまま降り続け、帰るときは青空が「のぞいた」と言うより半分以上が青空になり、でもバスに乗ったら「よよよ」と降り出しました。何んか、とてもめまぐるしかったです。
 関東の方では雪が降って大変みたいですね。皆なさま、雪や寒さに負けず、どうぞお元気で……。

2001年1月25日

 昨日観た『ケイゾク』の映画、中谷がキレイで、美人で、エキセントリックで、篤部が格好良くて、それで終わってしまいました。……いや違う違う、大河内奈々子ってカワイイです。それも観所でした。声が透き通ってるってステキです。

 今日は寺町に行ってHDDを買ってきて、増設しました。……えい、一部コピペ。

 「増設」って、限りある空間のアパートに、順番に、いろいろなヒトが住み込んでいくようなものです。パソコンの本体がアパート。わたしは大家さん。
 デスクトップ(本体・モニタ分離型が多い)の場合、本体の中に物理的に入る分だけ「増設」できます。うちのは 46×54×22(cm)、という、牛のような大きさです。まだまだ「内蔵」できます。アパート内にいっぱい「空き部屋」があるから新入居おっけー。
 パソコンの蓋を開けて、買ってきたHDDをネジでくっつけたりケーブルを接続したりして、画面からマニュアル通りにいろいろ打ってやれば、本体の中にいるいちばんエラいヒトがその新参者のHDDを「認識」してくれて、「よし、動かしてやる」と言ってくれます。

 マニュアルではうまくいかなくて、牛さんを販売してくれたところに電話をしたりして、パーティションの設定もフォーマットも終えて使えるようになり、買った時の4倍もの容量になって、わたしは非常に嬉しそうにしてるんだけど。
 ……でも「増設」して一体何をしようというのか、全くアテがないことに気付きました。
 とりあえず、プリンスのCDを持ってるだけMP3化しています。これをrealjukeboxで、エンドレスで、シャッフルでかけて聞くのです。文書編集をする時にも殿下(元・殿下)との全き一体感・至福の時を演出です。
 さしあたってはそんなところです。あとはバックアップ用ですか。

2001年1月24日

 『ケイゾク』の映画と、いまさら『アマデウス』を借りてきました。なんでこんな行動を取っているのか脈絡がいまいちはっきりしませんが、『ケイゾク』は明らかにメル友と「最近とんと見ないねえ、美人って」という話をしていて同意したくなかったためでしょう。『アマデウス』は合計で2本借りたかったから何んでも良かったはずなんですが、そういえばしっかり見てなかったことにふと気付いてしまったからです。昨日BSで『ジーザス・クライスト・スーパースター』をやってたのも微妙に影響してそうです。
 そして『アマデウス』を見た後は『マタイ受難曲』を、カール・リヒターと小澤征爾の両方で体験する、と。ますますわけがわからない日常を送りつつある佐伯です。元気です。

2001年1月23日

 いま気付いた。お金返し忘れてます。24日に、気づき次第、返却いたします。

 今日は「USB接続インターリンクケーブル」というのを買ってきました。こないだ家のそばの量販店で聞いたら「そんなの出たのかな〜? USB接続ですか〜? うーん。ないみたいですねー」と言われたんですが、リンクケーブルを紹介してくれた方は去年の秋かそこらに買ったと、もう一人の知り合いも「持ってる」と言ってるし、やはり売ってたんですね。寺町のパーツ屋さんに行ったら「あ〜。あるにはあるんですが、でも出ちゃってる(売り切れてる)みたいですねー」と言ってましたし、そのそばの店に行ったら集団でぶら下がってました。3種類も4種類もありました。なんてこったい。その店はチェーン店だから、家から近いとは言えないかもしれないけどでも寺町よりは近いもう一軒の方の店に行けばすぐ手に入ったのかも知れない。再び、なんてこったい。
 これでノートと牛さんとのリンクが完了です。テキストファイルも、メールソフトのアドレス帳も、IEのFavoritesも、他のアレもコレも、すごくラクにやりとりできます。ノートの中の文書を移し替えずに印刷する、なんてことも出来るようです。

 太陽誘電から色つきの綺麗なCDが出てたので、それも買ってきました。

 電話代やガス代も払い、また貧乏になった佐伯です。HDDの増設は一体いつになるのだろう…。

2001年1月22日

 『朗読者』を借りて来て、読み始めました。ラディゲの名作中の名作であると佐伯は信じてこれっぽっちも疑っていない『肉体の悪魔』(新潮文庫)にちょっと似てる、と聞きました。慥かにちょっと似てるようです。悩むのならそんなことしなさんな、という点が似てます。何かうっちゃってるように感じられるのも似てます。まあ、方向性が多少違いますが、わたし自身そういうことたくさんしてるし、他人のことは言えません、まったく。
行動は、それ以前に考え、決断したことをそうたやすく実行に移してくれないのだ。本能的衝動は独自の源を持っていて、独特の方法でぼくの行動を形作っている。ぼくの思考が思考であり、決断が決断であるように。
 こういうことを言う人には、「Let your soul be your pilot」というコトバで答えましょうか。ただ、理性と感情とのせめぎ合いという場面に立たされると、ホント自分が他人みたいに見えることが多いなあ。
 ちなみに、わたしは、人間の本能の一部だと思ってます、理性というのも。生きる上でどうしても必要なモノだし、アプリオリなものだと思うから。慥かに環境や教育の成果ではあると思うけど、でも、「人間」という種にそもそも備わっていた能力だと思うから。
 「だから何?」と問われても困ります。佐伯はそこから先、まだ一歩も進むことが出来てません。

 曙が引退しちゃったんですね。昨日から今日にかけて見た夢にそういうのが出てきたと思っていたんだけど、そうすると、あれは夢じゃなかったのか。…寂しくなっちゃいますね。あんな「おすもうさん」然とした大きなおすもうさんって、今あんまりいないもん。今まで本当にありがとう。あなたがたった一人で横綱として頑張っていてくれた、そういう時期があったことを、わたしはきっと忘れません。

 今日は財布を忘れて大学に行きました。こんなことは滅多にないので非常にびっくりしました。お金を貸してくれた方、本当にありがとう。
 学生証を財布に入れているため、こんな状況で事故に遭ったりしたら警察困るだろうなあ、などとも思いました。ドナーカードはそもそも持ってないので、また、今は法律が守ってくれてるし、そういう面での心配はせずに済みました。願わくは、打倒、町野案

2001年1月21日

 久しぶりにトップページを開いてみたら、140Xヒットでした。皆さんありがとうございます。

 昨日から作っていたカレー、大体おいしく出来ました。しかし馴染みのないルーを使ったせいか、味にちょっと違和感があります。市販のルーを使って作ったのは本当に本当に久しぶりだなあ。わたしはそもそも一日寝かせてからしか食べないのだから、熟とかコクとかそういうのは要らないんだということに気付かなかった、という、わたしのミスだと思います。次は前のようにSBのちっちゃな箱に入ったルーを買ってこようっと。でも、今日使ったルーは実家から送ってきた荷物に入っていたやつだし、まだ1箱ある。こういう場合は、タマネギをそんなに炒めず、ノーマルな作り方をすれば、「全然手間かけなかったのにおいしいな」と思えるんだろうか。

 また、東京におった頃の話です。
 隣に住んでいた一人暮らしのおばちゃんが、手作りのカレーをくれたことがあります。変わった味がするなあと思いながら食べていて、気が付いたのは、タマネギが入ってないということでした。あと、干し椎茸が入っていた。ルーを入れなければこれは単なる煮込みの料理だなあ、と思いながら、お世辞にもカレーとしては美味しいと言えない、でも暖かさがあってなかなか、おばちゃんのオリジナル料理と考えれば美味しいな、と思いながら、結果的には非常に美味しくいただきました。

 どうなんでしょう。
 牛肉を入れた時点でインド的なカレーとは対極のものになるし、でもこの国に暮らす人の多くは牛肉を入れたカレーを美味しくいただき、でもってカレーが美味しくなればなるほど何んとなくインド的なモノを感じるような気がする
 ちなみに、わたしは牛肉の入ったカレーより、豚バラの入ったカレーの方が好きです。バターを大量に使うため、牛肉だとクドくなってしまうからです。
 ほうれんそうや、カッテージチーズや、豆や、いろんなものを入れて作るやつも、そのうち作ってみたいなあ。
 何んにせよ、今日から数日間はカレーです。生協の食堂で間違って頼まないように注意が必要です。

2001年1月20日

 京都では雪が降りました。朝から夕方までずっと降って飽きたのか、途中からみぞれになり、雨になり、そして止みました。結構つもりました。一部の舗道では圧雪アイスバーン状態です。舗道に乗り上げるところがつるつるになってるようで、さっきバイクが一台ころぶのを見ました。そんな中を自転車で、右手で傘を差しながらぐっしょり濡れつつ帰ってきたわたしというのはすごいのかも知れないなあ、と、思ったり思わなかったり。

 カレー作ってます。今日はまず煮込みです。明日はジャガイモを大きめに切って炒め、入れ、更に煮てからルーを割り入れる予定です。
 マギーブイヨンを入れる時、たぶん古いせいだと思うんだけど、どうしても砕けなくて、親指の爪がぼろぼろになっちゃいました。コレって砕けない時は諦めてそのまま投げ込んで放っておけば溶けていくものなんだろうか。
 カレー、久しぶりですね、作るの。途中で路線変更してシチューになってしまうことが多かった。でも今回はタマネギをガンガン炒めたので、いきなりカレーになりました。
 東京におった頃、女の子が二人わたしの部屋にやって来て手作りのカレーを食べて帰ってったことが懐かしく思い出されます。出来れば一人で来て欲しかったけどそんな夢のようなことは起こらずじまいであった。……メインの方はおとなしく食べてそのままでしたが、その連れの方はおかわりしてってくれました。良い子だなあ。慥かにあの時のカレーは画期的に美味しかった、と思ってます。さて、今日・明日のカレーはどんなかな。

 はい。

 文章力が良いだけ減衰しておるようです。今日はこのへんで。

2001年1月19日

 今日は、昨日のマンガ研究会で先輩に聞いた本(学術書です。さえきだってたまにはそういう本を読みます、本当にたまにですけど)を図書館に借りに行きました。
 先輩は「コレとコレとコレが良いと思うよ」というふうに具体的な書名は挙げられず、わたしがそういう「コレ」にぶつかるのを待ってくれる人なので、実は半年くらい前に「たぶん佐伯くんにとても良さそうなのが○○関係にあるよ」と教えてくれていたんです。が、「○○」って広いんです、かなり。次の日に大学の図書館で調べたんだけど、広すぎて何が何だか解らなかった。そしてそのまま約半年。
 で、昨日はそれに更に2,3のキーワードを付け加えてくれました。それで検索したら範囲が狭まって、数冊借りることが出来たわけです。
 つまり、まだ読んでないわけですね。どういうふうに消化できるのか、できないのか、わたしにもまだ解りません。
 コレ ↑ は本名ページに書くべき内容かも知れない。

 『ハサミ男』の殊能将之が新作を出していたので買って読みました。
 講談社ノベルスって、たいていハガキがついてますよね。それにはこう書きました。

 「こりゃあ、どうしたもんでしょう…。
  帯に偽りのないのがちょっと救いでした。『名探偵が世界を変える!』」

 …他にはどうもコメントが思いつかないので困っています。たぶん「新本格」か何かなのかもしれません。わたしはこういうの苦手です。

2001年1月18日

 今日は昼間に大学で話し合いがあったのをすっかり忘れて、タマゴやヨーグルトを買いに行ったり、煙草を買いに行ったり、いろいろして、リンクケーブルを買いに行ったらその電気屋さんが休みですごく寂しくなったり、そのままマンガ研究会に行って、部会が終わり、次回の予定を話し合おうと手帳を広げた時に初めて、昼間の話し合いをすっぽかしてしまっていたことに気付いて「あっ」と声を上げたりしてました。
 昼間のその話し合いやそれに付随する話し合いって、わたし遅刻したりすっぽかしたりしまくっているので、誰も不思議に思わなかったようです。留守電も来てないし、メールも来てません。うん。ちょっとまずいと思います。なので、恥を忍んで友だちにメールして、どんな内容だったのか聞こうと思います。

 『ぼくタマ』のレジュメは「輪廻転生」に焦点をしぼっていました。レジュメも、発表も、話し合いも、とても面白くて楽しかったです。ただ問題点としては、非常に個人的なことですが、最近の傾向として、わたし、他人が喋っている時にそれを遮ってまで喋ろうとしてしまうんですね。今日もそれが出てしまいました。後の祭り・精神的な血祭りでした。喋ってるときはすごく重要なことを喋っていると思いこんでるから他人を遮れるんですけど、後で振り返ると、そんな、全然たいしたこと喋ってないんですよね。恥ずかしいです。
 別にこんなところに吐露しても免罪には一切ならないので、生き方とか、スタンスとか、変えないとならんと思います。いろいろな面で、自分には変えようと思っても変えられない部分が多くあると思うようになって来てるんですが、でも、このデシャバリ的なところは変えられると思うので、なんとか努力します。
 ……って書いてるんですが、やっぱりどうも免罪を狙ってそうな気がしてイヤです。

2001年1月17日

 皆なさまお変わりありませんか。ここ京都はやはり、とても寒いです。夏は猛暑で冬は極寒、慥かにほどよい平地が広がってはいますが、昔の人はどうしてこんなところをミヤコに定めたんでしょう。時々すごく不思議になります。

 …そう言ってるわたしの実家は北海道にあるわけですが、極寒の季節に帰省することについて、実はあまり不思議に思わないんですね。これはこれで不思議かもしれません。自分の行動についてそんなに不思議がらないという、それだけかもしれない。

 今日、非常にココロ暖まるアドバイスをいただきました。
 「最近は毎日布団乾燥機をかけて暖かくしてから眠っています。…そうすれば?」
 寒さに同化して、いやどうかしてました。まったく不思議です。「そろそろ布団に乾燥機かけなきゃいけないな」とも思っていたし、「寒いなあしかし」とも思っていたのに、その二つの思いが全然リンクしていませんでした。また「リンク」だ。
 本当にありがとう。しかしわたし本当に、本格的にあほです。ちょっとまいった。

 リンクついで。
 さえきは「リンクケーブル」というのが必要だと思うようになっています。

2001年1月16日

 昨日の日記で「リンク」「リンク」と書いてましたが、その後、このページの「リンク」にSummer Highland Fallsを加えていたのですが、アップし忘れていたことに気づきました。satoさん、すみませんでした。
 ついでに更新履歴などもアップし直しました。

 今日は飲み会でした。どういうわけか1次会でお開きになってしまったので、寂しくなり、体力にも多少余裕があったので、木曜のマンガ研究会でそういえばテキストに指定されてた日渡早紀『ぼくの地球を守って』(白泉社 全21巻)を、まんが喫茶で読了してきました。
 どちらかと言うとじっっっくり読む方なので、5時間もかかりました。
 いや、すごく良かったです。テキストに選択してくれた方に感謝しています。
 8巻に、「こういうことを作者に言わせる読者ってなんなんだろう?」という意見をよく聞く、「フィクションです」というメッセージがありました。これも見たかった。
 作者としては複雑だったようですね。そこまで読者をのめり込ませたというのは自分の筆力の証明にもなるわけですから。
 発信されたモノは発信した者の意図を超えて受容されることがある、という、「よい例」と言うか何んと言うか、そういうのをまた感じながら、でもすごく感動しながら読みました。

2001年1月15日

 今日はほんと寒いです。なんか、火曜日の予想最低気温は零下なんだそうです。この時期、実家の方では日中の最高気温さえ余裕で零下ですが、しかし京都でこんな寒いのは勘弁して欲しいです。こたつも石油ストーブもないってのに(いや、こたつはあるか。しかし使えない状態)
 日本海側に住んでる先輩に、心配と言うより「わくわく」を主な関心にして「雪が深刻みたいですけど、どうですか?」というメールを出したら、「今回のはホントすごいぞ! 会社から帰ってきたら車が雪で車高二倍になって鏡餅状態になってたぞ!」という返事が来ました(寮の駐車場から一台だけ発掘して皆んなで乗ってったんだそうです)。わたしの知ってる先輩はとても寒がりだったのに、なんか楽しんでるようにも見えて、よかったです。たくましくなっていらっしゃる。

 去年、実家からこっちに戻ろうとして飛行機が大雪のために飛べなくてちょっと困ったんですが、その時でさえ、妙に嬉しかった気がします。ちょぼちょぼと降る雪は時にやっかいですが、大雪はもう「やっかい」をハナっから通り越し、泣くなり笑うなりとにかくある種の「あきらめ」を要請してきます。最近の傾向として、家は強くなってちょっとやそっとの雪ではつぶれませんし、車も寒冷地仕様ならバッテリがゴツくなってるからガソリンが凍るまで走るし(それが普通だと思っていたので東京の車のバッテリを見てすごく心配になりました)、被害を受けそうにないお気楽な地点から「のほほん」と見てる分に関しては、大雪はとても楽しいイベントです。

 普段降らないところでドカ雪が降ったら、無理をして怪我をするより、流通の人を皆んなでサポートするだけにして、他は全部休日にしてしまえば良いんじゃないかな、とも思います。北海道でさえ変に強烈な雪が降ったら学校休みになるんだし。
 うちの方はそんなに降らないけど最低気温が−30℃以下なら学校休みだし、−25℃以下なら一時間目休みです。わたしが小学生の時、記憶では一回だけ一時間目休みだったことがあります。なんせ夜のうちに雪をトラックで踏み固めて水をまいておけば露天で立派なスケートリンクが出来あがるんですから。この冬もだいたいそんな気温になってそうな気がします。でも北海道はたいてい1月20日頃まで冬休みなので、ちょっと、小学生は悔しがってるような、そんな気もします。

 リンクと言えば、そうですね。
 「リンク開き」と「リンク納め」には、リンクにみかんをまいて取り合ったモノでした (「みかん拾い」。余興です)。しかしわたしみかんそんなに好きじゃないのでいまいち楽しくなかった。それに油断してるとスケートに刺さるし。
 ああ。ってことはリンク傷めかねないし、「納め」の時だけだったのかな。

 なんにせよ、たったこのくらいの寒さで震え上がるなんて、わたしも随分と軟弱になったものです。いかんです。

2001年1月14日

 寒い寒いと思いながらも、ラーメンを食べに行き、ノートやアダプタを収納するバッグを買い、ミスドで顔をこわばらせたまま半額のドーナツを買い、震えながら街を歩いていたら、雪が降って来ました。「舞う」と言うよりちゃんと「降る」でした。こりゃー寒いわけです。府下の北側や他県の北側などでは大雪のようです。
 帰省してた時、道新(北海道新聞)に、雪だるまを作って旗を持たせようとしている観光客と、その人の目の前で雪だるまを蹴崩して壊す警官、という写真に、「無許可なら壊してしまえ雪だるま」という説明がついてるのが載ってました。警官は無表情、旗を持たせようとしてた人は絶句状態。…「人民広場」では、何人も、無許可でモノを設置してはならんのだそうです。そういえば女神像は戦車にタックルされてたね。厳格すぎるかな? とも思いましたが、雪だるまって一個あるとついつい真似して作りたくなるモノだから(彼らは愛らしさで増殖します。)、あの広大な広場が雪だるまだらけになってる図を想像すると、ちょっと、仕方ないかなとも思います。
 夜に会津若松から来たメールには、一晩で60センチ積もったとあります。無茶苦茶積もった写真も添付されていました。よくわかんないくらい積もってます。すごいねえ、雪って。
 いやしかし、ほんと寒いです。みなさま健康にご留意してください。風邪っぽいので、わたしはベンザエースとアリナミン、VCを服みました。
 ではです。
 わたしの妙な紹介を読んで『エンダーのゲーム』を読もうかなと思ってくれる人って、いてくれるんでしょうか。そのへんどうでしょう。

2001年1月13日

 「書評」に、ついに『エンダーのゲーム』をアップしました。思い入れたっぷりですから、後々に本人が読んでも辟易するかも知れません。昨日届いた荷物の中に入れていたので、表紙もアップしました。

 表紙について。
 ネスケユーザの皆様、ご迷惑をおかけいたしておりました。表紙が本分を邪魔して読めなくなっていましたね。さっき気付いて改善いたしました。本名ページにある本の紹介も、全て改善いたしました。でもネスケ4.7でしか確かめておりません。他のバージョンではどうなるのだろう。

 NHKで文楽についてやってます。住太夫がそんなすごい人だとは知らなかったけど、玉男がすごいってのは文楽を一回見ればたぶんすぐ解ると思う。5年前に友だちからチケットをもらって初めて文楽を見ました。『政岡』。引き込まれ引き込まれて、ふと気付くと、人形遣いのじいさん(後で知ったら玉男でした)はぴくりとも動いてないのに、人形がゆっくり、ゆっくり、息をしていました。人形が比喩じゃなく本当に生きてるという事実を知ったのはそれが初めてでした。
 玉男は別にそればっかりがすごいわけじゃないです。会場で購入したパンフに物語は詳細に紹介されてるし、また、それまで歌舞伎で二回見ていたから見慣れていたはずの政岡なのに、人間が演技するよりも遙かに多くを語りかけて来るのです。さっきナレーションが「人形遣いが消える」と言ってましたが、本当にそんな感じでした。玉男じゃなく、舞台は人形の存在感だらけになる。
 なんの予備知識もなく見に行っても、文楽は一日見ただけで誰がいちばん「うまい」か解ってしまいます。玉男はそのくらい、ホントにすごいです。
 そう言いながら『天網島』を見に行ってない佐伯でした。

2001年1月12日

 念願のノートを買いました。型遅れ的な印象もありますが(Meじゃなく98です)、これさえあれば実家でもネットが出来ます(いつも行ってる喫茶店でも論文が書けます・創作が出来ます)。快く貸してくれるけど結構迷惑してたかも知れない友だちに更なる迷惑をかけることもなくなると思います。彼の仕事にノートは実は必須なんだし。本当によかった。
 前にこの、今使ってるパソコンが我が家にやってきたとき、場所がないから仕方なく時季はずれの大掃除を敢行して場所を確保したんですが、それ以降まったくやってないです、大がかりな部屋掃除。今回は置く場所に困らないノートがやってきたわけです。でも、何んか、これは部屋掃除にうってつけの、言い訳じみた良い機会かもしれないと思ってます。思ってます。 先輩が泊まりに来るとか(ちょっと前)、好きな女の子が友だちを連れてカレーを食べに来るとか(8年弱前)、なんかイベントがないと限定された範囲内で外面の良いわたしの場合、本当に部屋が片づきません。

 さて。

 実家から送った荷物も今日届きました。海苔が50枚もやって来ると非常にうれしいです。何に使えば良いのか解らないながら同梱したオリーブオイル。スパゲッティでもゆでましょう。六花亭のマルセイバターサンドはバイトに持って行って皆んなで美味しくいただきます、忘れなければ。

2001年1月11日

 卒論の提出、そんなに、思っていたほどの修羅場はありませんでした。会場で折り折りする人が異様に多かったことと、わたしの修士論文と同じ題目で提出した人がいたこととが、強いて言えばトピックだと思います。
 提出会場、昨日はとても寒かったので、今日はちょっと厚着して行きました。そしたら今日は暖房がガンガン効いてて、セータ脱がなければならなくなりました。また、湿度が低くて目が渇きまくってしんどかったです。

 ハリーポッターは半分くらい読めました。でもなんか、楽しいと言えばそう言えなくもないんだけど、あんまり面白く感じられません。一冊目と同様、作者から主人公に注がれる視線は容認の一点張りに思えるし、行き当たりばったり的な展開に思えるし(ミヒャエル・エンデもそういう書き方をしたんだそうですが、でも彼の作品は非常に周到な行き当たりばったりだったとわたしは思います)
 あと、舞台が異様にほこりっぽいような気もします。だからあんまり楽しめないんでしょうか。なんせ、汚れた部屋や無秩序な配置、整頓されていない世界というのは、わたし起きてすぐ、眠る前、こうやって日記を打ってる今、見たくなくてもすぐ見られるので、そういうものが本の中に出てくると、たいていうんざりしてしまいます。
 と言いながら、わたしの日常のように何かにつけてくよくよ煩悶する人間の出てくる作品は、見慣れ、感じ慣れているにも拘わらず、作品にもよりますが、好きでよく読むなあ。
 見慣れているモノが出てきてるのに、何が違うから「面白い」と思ったり「つまらない」と思ったりするんでしょう。
 ……こりゃひとえにわたしの嗜好なのかな。理屈っぽくないからかも。

 別に、いわゆる児童文学が嫌いなわけではないです。エンデはたいてい好きですし、『ゲド戦記』も大好き、『マヤの一生』も、『100万回いきたねこ』も、『らいぎょのきゅうしょく』も、『葉っぱのフレディ』も、『星の王子さま』も、『燃える谷間』も、好きです。忘れられないのは『ゆきのひのうさこちゃん』ですね。ストーリーは完っ璧に忘れましたが、出てくるうさぎは大好きです。うちには二次元も三次元もいっぱいいます。
 童話みたいになってる仏教説話も結構好きです。ジャータカは案外深いと思います。

2001年1月10日

 うっかりしていました。
 昨日はいつになく早寝をしたんですが、日記を書いてなかったんですね。完全に忘れてました。こんな大事なことを忘れてしまったなんて、わたしはどうかしていたのでしょう、きっと。
 ええと。
 大学では卒業論文の提出受付が始まりました。わたし、受付をお手伝いするアルバイトをしています。
 読みたくなるタイトルの論文もありましたが、卒論を提出した時って、わたし慥か緊張してたと思います。修論の時もなんか緊張してしまってました。だからあまり妙なこと言わない方が良いかなあ、と思って、言えずじまいでした。
 ワープロで書かれた論文がほとんどでしたが、気付いたうちでは一人、手書きのモノを提出された方がいました。非常に綺麗な、整った、読みやすそうな字で書かれていました。うーん。良いなあ。わたしが出した卒論はワープロで書くことが認められていなかったため、仕方なく手書きで出しましたが、彼の論文を手にとった瞬間、非常に恥ずかしくなりました。

 ぱらぱらと来たり、どっと来たり、提出状況にかなりムラがあったので、読みかけていた『死者の代弁者』を読了できました。明日もバイトです。明日はハリーポッターを読みます。が、提出は明日で終わりなので、多分そんな悠長に読んでられないような修羅場をいくつか目撃しそうな気がいたします。今日でさえ、提出会場で折り折りしてる人を二人見ました。

 はい。そうでした。クチコミで広げるんでした。

 生命学の 森岡正博氏 が、2001年1月10日発売の『中央公論』2月号に、専門家もほとんど知らない脳死の最新事情について書かれています。タイトルは「日本の「脳死」法は世界の最先端」で、そのヨコには

 脳死状態のまま14年以上生き続けた患者や、脳死判定後に腕や脚が動く「ラザロ徴候」の例など未公開の情報を一般に公開し、最新の米国の議論をふまえた上で、「脳死は人の死か」を考えるべきである

 とあります。論文の内容は、この問題について「よく知っていますよ」という自覚を持っている方にも、恐らく、非常に衝撃的だと思われます。

 「脳死」と診断されたり判定されたりした人は、わたしが思っていたよりももっと動いていました。また、この国の一部の方々は何かにつけて闇雲に「欧米なみが良いのだ!」と言いがちだと思いますが(わたし自身、無意識のうちにそういうふうに思ってしまっていることも多いです)、それは論理的ではないし、こと「脳死」やその周辺の問題を考える際にはほとんど無意味に近い言辞である、という思いを新たにいたしております。
 どうぞ、読んでみてください。

 「中央公論」の新聞広告には、森岡氏の論文については全く書かれていないんだそうです。ですから、比較的平易に入手できると思います。そして、同じ理由からお願い申し上げます。書店で「中央公論」が手に入るうちは周囲の方に立ち読みするなり買って読むなりすることを、もしよろしかったら勧めてください。手に入らなくなったら、貸してあげてください。あるいは他の手段を用いても良いのではないかと思います。とにかく、なるべくたくさんの方に、森岡氏の論を経験してもらっていただきたいと思います。
 情報は出し惜しみされるべきではなく、共有されるべきである、という内容のことを、森岡氏もおっしゃっておられます。

 また、それ以外の情報を希望される方は → こちら ← をクリックして、森岡正博氏の詳細情報を手に入れてください。

 ではです。

2001年1月8日

 これを読んでくれてる方にとって、どんな幕開けでしたか、新世紀は?

 佐伯はそんな感じで帰京しました。本当に本当に寒かったです。恐怖でした。

 昨年はいろいろありがとうございました。
 もしよろしかったら、今年もよろしくお願いいたします。
 どうぞ、末永く、ごひいきに。

 ええと。

 あてにしていた友だちは重要な所用でノートを使うため貸して貰えませんでした。
 「俺にも帰省するってメールが来たけど、あれに書いてあった『友だち』って俺だべ」
 「うん(わくわく)
 「すまんな」
 「いや全然あてにしてなかったよ(嘘)。父さんのマックもあるし」

 父のマックはネットに不可欠なファイルが父の手によってごみ箱にやられていたらしく、モジュラージャックをいくらつないでもネット環境を整備することが出来ませんでした。
 「父さんコレやっぱ駄目だわ」
 「そうか。そりゃー残念だね」
 「うん。かなりね」

 わたしは除夜の鐘を撞いているうちに新世紀を迎えました。31日から1日にかけては、北海道の冬としては恐らく珍しいことに夜霧がいっぱいでした。ってことは暖かかったはずなんですが、京都の気候に慣れ親しんでいるわたしには寒かったです。
 ネットを読んだり喋ったり出来なかったら、腹いせに本を読もうと思って数冊持って帰ったのですが、無意味でした。いろいろ行事もあったし(除夜の鐘やお年始のお参り、父の還暦祝い)、何よりわたしにとってわたしの地元は牧歌的雰囲気に満ち満ちていすぎて、読んだり書いたりすることに頭がなかなかなじんでいかなくて困ります。それでも物置にあったオースン・スコット・カード『エンダーのゲーム』(ハヤカワ文庫SF)を引っ張ってきて再読してました。やっぱすごい、すごすぎる。……で、今は続編『死者の代弁者』を読んでいます。こりゃすげえ。やっぱすごい。『エンダーズ・シャドウ』なんて足もとにも及びません。

 『TSUNAMI』がレコード大賞でしたねえ。権威ある賞かどうかは解りませんが、ちょっと嬉しかったです。

 ポストカプセルが3通も来ました。つくば博の感動が伝わってきます。彼がさかんに気にしてましたが、そういえば日航が開発していたHSSTはどこに行ったんでしょう。山梨のリニアに吸収されてるんでしょうか。
 過去の自分から来たハガキを見ていちばん驚いたのは字のまずさです。今のわたしだって酷い字を書いてますが、はるかに、もっと、むごたらしいくらいに酷かった。
 当時のわたしは当時のわたしなりに現在のわたしをいろいろに予測していましたが、自分の字を自分がどう思うかについては全く予測していませんでした。また、文章内容も非常になれなれしくて、イヤでした。やっぱ自分を他人のように見るのは難しい。あとびっくりしたのは、ミンメイを結構うまく描いていた、ということでしょうか。うん。今のわたしよりもきっとうまいと思う。文章は今のわたしのほうが上手だと信じたい。
 ハガキが二枚に封書が一通来たんですが、怖くて、封書の方はまだ開けられてません。何書いてあるんだろう。予測としては、自分が忘れないように初恋の人の名前とかが書いてあるような気がします。忘れねえよそんなもん。でもってこの予測は予測じゃなく記憶なので、そういうヴァカなことを真面目に書くような自分が他にもどういうヴァカなことを書いてるのか全く予測がつかず、それが本当に怖い。


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